八甲田山雪中行軍遭難事故とは?
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八甲田山雪中行軍遭難事故とは?

八甲田山雪中行軍遭難資料館

八甲田山雪中行軍遭難資料館(地図 ❼)
〒030-0943 青森県青森市幸畑阿部野163−4
入館料270円(高校生以下、団体割引あり)
9:00~18:00(4~10月)、9:00~16:30(11~3月)、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
https://www.moyahills.jp/koubataboen/index.html
マナブ:今日は「八甲田山雪中行軍遭難資料館」に来ています。
歴史先生:八甲田山雪中行軍遭難事故はご存じですか?
マナブ:「天は我々を見放した・・・」というセリフが有名な映画の印象が強いです。
歴史先生:我々の世代だとそうですよね。何かうまく行かない時、友達との間でこのセリフを使って笑っていたのではないでしょうか。1977年(昭和52年)の映画です。
マナブ:えっ、そんなに前の映画でしたか。
歴史先生:では、実際にどんな事故だったのか、ご存じですか?
マナブ:いいえ、知りません。
歴史先生:ではここ、八甲田山雪中行軍遭難資料館で勉強しましょう。

館内のミニシアター
マナブ:館内に入ると、まずは映像を見てくださいと勧められました。
歴史先生:はい、ここで事故の概要をつかんでおきましょう。事故が起きたのは1902年(明治35年)の1月末。日露戦争(1904~1905年)直前の世 相の中、寒冷地での戦いの訓練として、またロシア軍が陸奥湾に侵攻してきたときに日本海側と太平洋側を結ぶルートの開拓として、真冬の八甲田山の雪中行軍が計画されました。
マナブ:日清戦争に勝って、次はロシア。日本陸軍がどんどん自信を深めていた時代ですね。
歴史先生:そうなんです。青森の第5連隊と弘前の第31連隊を競争させるような形で両者から雪中行軍が始まりました。そして両者は雪の八甲田山ですれ違うはずだったのですが・・・。
マナブ:会えなかった。
歴史先生:準備周到だった弘前の第31連隊は苦労しながらも順調に踏破を続けましたが、準備不足、装備不足、かつ命令系統に混乱をきたした青森の第5連隊は、地元の案内人さえ雇わず、自力で山に入った結果、道に迷い、遭難。
マナブ:うーん。
歴史先生:3日間そのあたりをさまよった結果、210名中198名が亡くなるという大惨事を招いてしまいました。

遭難した地区の詳しいジオラマ
マナブ:ここにジオラマがありますね。普通は木が植えられている感じになるのですが、このジオラマは真っ白だ(笑)。
歴史先生:雪の世界ですからね。
マナブ:科学的な研究を怠り、根性論だけで突き進み、さらには責任者の上から上司が口出しして命令系統がおかしくなった第5連隊は、猛吹雪の中で判断を何度も誤り、ほぼ全滅という悲劇的な結末を迎えました。
歴史先生:日本陸軍の組織の悪い点がここに凝縮されているように思います。

後藤伍長の像
歴史先生:ロビーには、斥候に出て立ったまま凍っていたところを救助隊に発見され、蘇生して第5連隊の全滅を報告した後藤伍長の像が立っています。


後藤伍長発見の地
歴史先生:第5連隊はここの前の道路を八甲田山に向かってまっすぐに進んでいきました。山に入ってしばらくすると、「後藤伍長発見の地」という標識が立っています。車だとあっという間に通過してしまうので、注意してみていてください。
マナブ:資料館には第5連隊と第31連隊の違い、当時の社会背景、事故後の反響と影響など、とても詳しい展示がされています。ここは勉強になりますね。

陸軍墓地
歴史先生:資料館の裏には遭難者を埋葬している陸軍墓地があります。お参りしていきましょう。

