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岩手県 二戸_1.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
実は火山だらけ。ダイナミックな青森県の地形
 
【青森で見逃せない地形スポット 5選】
 
知っているようで知らない「縄文時代」をおさらいしよう
 
東西で全く違う青森県の歴史と文化
 
【青森で見逃せない歴史スポット 5選】

 

 

実は火山だらけ。ダイナミックな青森県の地形

 

 

マナブ:今回は青森県を旅します。

 

歴史先生:青森は来たことがありますか?

 

マナブ:いいえ、初めてです。目的地としてだけでなく、通過したこともありません。

 

歴史先生:青森県は見どころがいっぱいです。しかも、県の全域に見どころが散らばっています。

 

マナブ:普通は県の半分くらいは山で、見どころは偏っていたりしますよね?

 

歴史先生:はい、でも青森は県の全域を回らないといけないので、全部見ようとすると1週間あっても足りないでしょう。

 

マナブ:東北の県はどこも広いんですね。

 

歴史先生:はい、青森県の面積は第8位(北海道、岩手、福島、長野、新潟、秋田、岐阜に次ぐ)。東京の人には「東京都+神奈川県+千葉県」を足した領域をイメージするとわかりやすいでしょう。

 

十和田湖の二重カルデラ

 

歴史先生:ところで、青森と言えば火山。

 

マナブ:火山、ですか?

 

歴史先生:八甲田山、岩木山、恐山・・・

 

マナブ:たしかに有名な火山がありますね。

 

歴史先生:そして十和田湖。

 

マナブ:えっ、十和田湖も火山?

 

歴史先生:十和田湖は直径11㎞ほどの十和田カルデラにできたカルデラ湖なんです。青森県の南部の大地は十和田火山の火砕流や火山灰が積もった台地になります。

 

マナブ:今は静かな湖ですから、ここはかなり古い火山?

 

歴史先生:いえ、20万年前ごろから火山活動が始まりましたが、6万1000年から3万6000年前、1万5000年前の3回にわたって巨大な噴火があり、カルデラが形成されました。そしてここは世界最大の二重カルデラで、カルデラの中にもう1つカルデラがあるのですが、その噴火は6000年前の新しいものです。

 

マナブ:これからも噴火するんでしょうか?

 

歴史先生:その危険性があるとされていて、全国50カ所の常時観測火山の1つとして気象庁が観測を続けています。

 

津軽富士と呼ばれる青森県最高峰(1625m)の岩木山

 

歴史先生:弘前に行くと岩木山が町のいたるところから見えます。

 

マナブ:津軽富士、と呼ばれていますよね。

 

歴史先生:3つのピークがあって、まさに漢字の「山」の形をしています。

 

マナブ:きれいな形ですが新しい火山ですか?

 

歴史先生:いえ、そうでもありません。約30万年~20万年前に、現在に近い形の成層火山として形成されました。しかしその後、山体崩壊を繰り返し、岩屑なだれを引き起こします。その後は山頂から溶岩を吹き出して溶岩ドームが形成され、ごつごつとした山頂付近の地形を作りました。

 

マナブ:最近でも噴火しているんでしょうか?

 

歴史先生:江戸時代に4階の噴火の記録が残っています。それ以降は噴火をしていないようですが、大型の活火山であることには違いなく、全国50カ所の常時観測火山の1つです。

 

青森市内から見た八甲田山

 

マナブ:そして青森県の中央部には八甲田山がそびえていますね。

 

歴史先生:はい。青森市内や八戸市内からも遠くに見ることができます。最高峰の大岳は1584m。10個の小型の成層火山があって、たくさんの山頂が並んでいるような形に見えます。

 

マナブ:八甲田山はどのようにできたんでしょう?

 

歴史先生:これは古い火山です。70~60万年前に最初の大規模カルデラ噴火があり、40万年前にも2回目の大規模カルデラ噴火があったようです。古い時代なのでカルデラの形がはっきりしなくなっていますが、現在八甲田山の北側に広がる田代平高原はカルデラの底と考えられています。

 

マナブ:ここは古い火山なのでもう安心?

 

歴史先生:いえ、まだ火山活動自体は続いていて、全国50カ所の常時観測火山の1つです。

 

マナブ:50カ所のうち、青森県には3つもあるんですね。

 

 

マナブ:火山が目立ちますが、一方では青森県の西部に津軽平野が広がっていますね。

 

歴史先生:津軽平野の西側、日本海沿いには屏風山砂丘が続いていて、海への出口は北の端の十三湖のところになります。地球が温暖化した8000~7000年前の「縄文海進」では、津軽平野はほぼすべて海になっていました。

 

マナブ:大きな湾があったわけですね。

 

歴史先生:そのため、その当時の内海の海岸線に沿ってたくさんの縄文遺跡が出ています。

 

マナブ:貝塚もあったりしますか?

 

歴史先生:はい。その海で縄文人は貝や魚を獲っていたようです。

 

マナブ:最近、北東北と北海道の縄文遺跡は世界遺産になりましたよね。

 

歴史先生:そうなんです。2021年に登録された新しい世界遺産で、今回数か所訪れてみましょう。そして世界遺産と言えば、1993年に日本で初めて登録された4か所の1つ、白神山地があります。また下北半島も火山が作ったジオパーク。これらは遠距離になるので今回は訪れませんが、いずれも行く価値のある場所でしょう。

 

マナブ:青森県はとてもダイナミックな地形の宝庫なんですね。

 

【青森で見逃せない地形スポット 5選】

 

1.十和田湖

 

 

世界最大の二重カルデラ。2つ目のカルデラは遊覧船でないとアクセスできない。静かな湖のイメージと活発な火山の歴史のギャップが大きい。名物のヒメマスも楽しみたい。

 

2.奥入瀬渓流

 

 

十和田湖から流れ出る唯一の川。日本でも最も美しい渓流として人気の観光スポットだ。川沿いを自動車道路が走るが、それに沿う遊歩道をゆっくりと歩きたい。新緑、そして紅葉のシーズンは特ににぎわう。

 

3.岩木山

 

 

弘前市のすぐ西側にそびえる青森県最高峰。別名「津軽富士」。街のいたるところから見える。自動車道路とリフトで山頂までアクセス可能。周囲にはりんご畑が広がる。

 

4.八甲田山

 

 

青森県の中央部にそびえる火山群。ここを訪れたなら有名な「酸ヶ湯温泉」にも入りたい。八甲田山の名前は明治時代に雪中行軍を強行しておよそ200名もの命が失われた事件として映画化され、全国的に有名になった。

 

5.種差海岸

 

 

八戸の太平洋側に広がる美しい海岸線。砂浜と岩場、そして緑の草地が広がる国立公園。ウミネコの繁殖地として知られる蕪島もある。

 

知っているようで知らない「縄文時代」をおさらいしよう

 

遮光器土偶(国指定重要文化財)(複製)

 

歴史先生:さて、先ほど縄文遺跡の話が出ましたが、縄文時代というのはどういう時代だったか、覚えていますか?

 

マナブ:日本史の授業で一番初めに出てきました。「狩猟・採集」、すなわち動物を獲ったり、貝を採ったり、木の実なんかを食べて暮らしていました。獲物がなくなると、また次の場所へ移動しました。その後、稲作というものが大陸から入ってきたことで、人々はムラを作り、集団で定住するようになりました。

 

歴史先生:昔のテストであれば、正解です。でも今のテストであれば、不正解。

 

マナブ:えっ? そうなんですか?

 

歴史先生:縄文時代には、安定した食料の調達ができるような場所があり、そこに人々は定住して暮らすようになりました。今回行く三内丸山遺跡。大きな集落の跡ですが、これは縄文遺跡です。

 

マナブ:あ、そういえばそうですね。

 

三内丸山遺跡

 

歴史先生:縄文時代の始まりは紀元前13,000年ごろと考えられますが、紀元前1万年頃から地球は急激に温暖化し、今よりも気温が高い状態になります。そのため海面が上昇し、「縄文海進」と呼ばれる、内陸部まで入江が入り込む現象が起きました。

 

マナブ:ここ青森もあったかかった。

 

歴史先生:はい。そうなると東北地方ではブナやクリなどの落葉広葉樹林が広がり、シカやイノシシなど中型動物が増えます。また、津軽平野の内陸まで入り込んだ浅い海では貝がたくさん獲れました。

 

マナブ:定住しても大丈夫なだけの食料の供給があったんですね。

 

 

歴史先生:縄文時代の間、先進地域であった中国やヨーロッパはどうだったかというと、新石器時代を経て青銅器時代へと移っています。このころ農耕の技術も発展し、定住が当たり前になりました。

 

マナブ:ふむふむ。

 

歴史先生:しかし日本に稲作文化が入ってくるのはずっと後の話。農耕に移行せず、狩猟・採集のまま1万2千年にもわたって延々と続いたのが縄文文化です。

 

マナブ:中国やヨーロッパにはない文化ですね。

 

歴史先生:また、そこで出土する遺物からは、その時代の高度な社会システムと優れた精神文化がわかることから、世界遺産の登録へとつながりました。

 

マナブ:それにしても、日本史の勉強では最初だけですぐ終わる縄文時代ですが、こうやってグラフを見ると、日本史のほとんどの長さは縄文時代。

 

歴史先生:そうなんですよね。したがって、縄文時代の最初のころと、最後のころではずいぶんと内容も変わってきています。単に縄文時代の遺跡、としてではなく、縄文時代の中のいつ頃の遺跡、ということまで考えて見学するのが良いと思います。

 

東西で全く違う青森県の歴史と文化

 

歴史先生:まずはこちらの地図を見てください。

 

 

マナブ:江戸時代の地図ですね。今の青森県の西側が津軽藩、そして東側は盛岡藩、八戸藩。

 

歴史先生:はい、この分かれ方を理解するにはこの地方の戦国時代の歴史を見ておく必要があります。

 

マナブ:戦国時代、青森県はどんな感じだったんでしょう?

 

歴史先生:今の岩手県、青森県あたりは陸奥の国と言われていましたが、ここには甲斐源氏をルーツに持つ「南部氏」が甲斐の国から送り込まれて、統治をおこなっていました。

 

マナブ:南部氏ですか。

 

歴史先生:はい。南部氏は八戸氏、三戸南部氏、九戸氏などの有力氏族に分かれて、この広大な領土を分割統治していましたが、信長・秀吉の時代になると三戸南部氏の後継者争いが起き、それをめぐって南部信直と九戸政実が対立します。そんな中、津軽にいた南部氏の一族である大浦氏が反乱を起こし、津軽平野の城を次々に切り取って独立します。これが後の津軽藩になります。

 

マナブ:残った南部氏の領地が盛岡藩と八戸藩。

 

歴史先生:はい、そうですね。その後、南部信直は秀吉に取り入って南部氏のリーダーと認めさせ、さらに秀吉の援軍を得て敵対する九戸氏を滅ぼしました。そして本拠地を三戸から盛岡に移して盛岡藩となりました。

 

マナブ:なるほど。

 

歴史先生:南部と津軽の感情的な対立はその後も続きます。津軽と南部の間で境界争いが起きたり(1713年の檜山騒動)、盛岡藩士が津軽の藩主を参勤交代の途中で暗殺しようとしたり(1821年)、そして幕末には両藩とも奥羽越列藩同盟に入りますが、官軍が優勢になると津軽藩はいち早く離脱して南部藩を攻撃しました。

 

マナブ:恨みが残りそう。

 

歴史先生:今でも両者は仲が悪いと言われます。

 

マナブ:同じ県にしたのがよかったのかどうか。

 

歴史先生:ところで、岩手県の二戸ですが、1871年(明治4年)に行われた廃藩置県で、当初は青森県に編入されるはずでした。しかし二戸の人たちは南部藩への所属意識が強く、盛岡との結びつきが強い。そして津軽の人たちへの反感が強い。といったことから反対運動が起き、ついには岩手県に所属することになったんです。

 

マナブ:そんなことがあったんですか。

 

歴史先生:さて、今回は青森県の旅ですが、岩手県二戸からスタートします。二戸は、三戸南部氏が九戸氏を滅ぼした場所。そこから話を始めましょう。

 

マナブ:歴史の流れを理解するにはその方がいいですね。

 

歴史先生:ところで青森県といえば何を連想しますか?

 

マナブ:りんご、ねぶた、そして津軽三味線、かな。

 

歴史先生:そうですね、でもそれらはいずれも「津軽」の文化。青森県の西側の文化です。東側の「南部」とは違います。

 

マナブ:両者は文化的にはどう違うんでしょう?

 

歴史先生:県民性からして全く違うと言われています。

 

・津軽の県民性:「じょっぱり」と言われる頑固で負けず嫌い。派手好きで情熱的、社交的。

・南部の県民性:物静かで真面目、口下手。消極的だが人付き合いは誠実。

 

マナブ:真逆、と言えるほど違います。青森県人は~、という言い方はできそうにないですね。

 

【青森で見逃せない歴史スポット 5選】

 

1.弘前城

 

 

弘前市の中心部にある、津軽氏が本拠としたお城。江戸時代以前に建てられた現存12天守の1つ。大規模な石垣修復工事が進行中で、天守の場所が移動している。東北を代表する桜の名所としても有名。

 

2.根城

 

 

南北朝時代に作られ、八戸南部氏が300年近く拠点にした古城。当時の曲輪や堀が残り、安土桃山時代の居館が復元されている。

 

3.十三湊

 

 

前九年の役で滅亡した安倍氏の末裔である安藤氏が日本海側に築いた港湾都市の十三湊(とさみなと)。かつては蝦夷地との貿易で栄えたが、室町時代中頃に南部氏によって滅ぼされ、急速に衰退した。

 

4.縄文遺跡群(三内丸山、亀ヶ岡、是川など)

 


 

日本最大級の縄文集落跡である「三内丸山遺跡」。遮光器土偶で有名な「亀ヶ岡遺跡」。国宝の合掌土偶で有名な「是川縄文館」など、青森県は縄文遺跡の宝庫だ。

 

5.青函連絡船と青函トンネル

 

 

1988年(昭和63年)まで運行していた青函連絡船が青森港に停泊して博物館となっている。同年に開通した青函トンネルは海面下140mの作業坑まで潜って見学できる。

 

​歴史好きのための観光ガイド
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