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岩手県 二戸_1.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
遮光器土偶で有名な「亀ヶ岡遺跡」を見に行こう
 
フォトジェニックな千本鳥居が人気の「高山稲荷神社」
 
幻の港湾都市「十三湊」はなぜ跡形もなく消えたのか?
 
<おすすめのレストラン>
しじみラーメン和歌山 十三湖本店
 
海・山・滝のダイナミックな景色を堪能できる「竜泊ライン」
 
青函トンネルに下りて海面下140mの世界を体験しよう
 
北のはずれ「竜飛崎」には何がある?

 

遮光器土偶で有名な「亀ヶ岡遺跡」を見に行こう


遮光器土偶(複製)



歴史先生:さて、青森県で、というより日本で一番有名な土偶と言えば?


マナブ:「遮光器土偶」って言うんでしたっけ、あのゴーグルをつけたような、宇宙人みたいな姿。


歴史先生:はい、それが出土したのは亀ヶ岡遺跡。今日はそこへ行きましょう。現在は「つがる市」になっていますが、かつては「木造町」でした。まずはその中心である木造駅に行きますよ。


木造駅


マナブ:えー! あれが駅??


歴史先生:はい、木造駅です。


マナブ:おもしろすぎる! でも、これって木造町の税金で作ったのかな?


歴史先生:1988年の「ふるさと創生事業」って覚えていますか?


マナブ:たしか各市町村に1億円ずつ交付した・・・。


歴史先生:そうです、その1億円で木造町がこれを作りました。


マナブ:あれは無駄だったとも言われますが、こんな面白いことに使った町もあったんですね。


つがる市縄文住居展示資料館 カルコ


つがる市縄文住居展示資料館 カルコ(地図 ❶)

〒038-3138 青森県つがる市木造若緑59−1

入館料200円(大学生以下、団体割引あり)

9:00~16:00、月曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://jomon-tsugaru.jp/jomon_dwelling_museum


歴史先生:ではつがる市役所(元の木造町役場)の隣にできた「つがる市縄文住居展示資料館 カルコ」に行ってみましょう。

 

マナブ:大きな施設ですね。

 

歴史先生:ここでは亀ヶ岡遺跡を中心とする、つがる市内の縄文遺跡の出土品などが展示されています。

 

縄文時代の暮らし

 

非常に多くの出土品や説明パネルがあって見ごたえ十分

 

マナブ:1階では縄文時代の暮らしが再現されています。2階には出土品やパネルがたくさん。じっくり見ていくとかなり時間がかかりそうです。

 

縄文海進による「古十三湖」(展示パネルより)

 

マナブ:興味深いと思ったのは、縄文海進による「古十三湖」の説明です。

 

歴史先生:そうですよね。津軽平野の西側には「屏風山砂丘」がありますが、かつては半島でした。その内側には内海が広がっていて、その海岸に縄文遺跡がずらっと並んでいて、貝塚なんかもたくさんあるんです。

 

マナブ:ところで、遮光器土偶は見られるんでしょうか?

 

歴史先生:えーっと、本物は東京上野の国立博物館にあるんです。

 

マナブ:あ、そうだった。上野で見たことがあります。

 

歴史先生:その代わり、ここには精巧な複製があるんですよ。

 

遮光器土偶(複製)

 

マナブ:あ、ありました。

 

歴史先生:この有名な土偶は1887年(明治20年)、亀ヶ岡遺跡の低湿地から出土しました。発掘した人々は特徴的な目にびっくりしたことでしょう。

 

マナブ:これってゴーグル、ですかね?

 

歴史先生:北方民族のイヌイットが雪のまぶしさを軽減するために、動物の骨や牙などに細いスリットを入れて目に装着した「遮光器」に似ているので、このように名付けられました。

 

マナブ:八戸市の是川縄文館で話があったように、この遮光器土偶は超有名でありながら国宝ではないんですよね。

 

歴史先生:はい、国指定重要文化財です。

 

 

展示ケースは360度どの角度からも見られる

 

マナブ:ここは展示ケースの後ろにも回り込めますね。遮光器土偶の背中なんて、今まで見たことなかった。

 

歴史先生:ここはじっくりと見ることができますね。頭の部分、よく見ると赤い顔料が少し残っています。土偶は以前は赤い彩色がされていたようです。

 

マナブ:左足の部分は見つかっていないんですね。

 

歴史先生:はい、あえて壊して別に捨てられていたのかもしれません。足ですが、底面が狭くて、安定して立つ形ではなさそうです。寝かしていたのか、どのように使われていたのかは謎です。

 

亀ヶ岡遺跡 案内所

 

 

亀ヶ岡遺跡(地図 ❷)

〒038-3283 青森県つがる市木造亀ケ岡

見学自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://jomon-japan.jp/learn/jomon-sites/kamegaoka 


歴史先生:亀ヶ岡遺跡は木造から十三湖へ行く主要な県道沿いにあります。古十三湖に面した台地の上にあって、貝類や後背地の広葉樹林からの恵みを受けていた集落です。

 

マナブ:縄文時代にもいくつか分け方がある、という話でしたが、亀ヶ岡遺跡はどれくらいの時期の遺跡なんでしょう?

 

歴史先生:亀ヶ岡遺跡は縄文遺跡の中でも最も新しいものの1つ。縄文晩期の遺跡で、紀元前1,000年~400年ごろのものです。

 

マナブ:だから精巧な細工の土偶なんかが出るんだ。

 

歴史先生:そうですね。この遺跡でたくさんの土器や土偶が出ることは江戸時代から知られていました。その後、ここ亀ヶ岡遺跡で発掘されたものと同様のものが東北各地や北海道南部でも出土しましたので、これらを「亀ヶ岡文化圏」と呼ぶようになりました。

 

マナブ:考古学をやっている人にはとても有名で重要な遺跡なんですね。

 

歴史先生:そのとおりです。

 

亀ヶ岡遺跡

 

フォトジェニックな千本鳥居が人気の「高山稲荷神社」

 

大鳥居をくぐると広い駐車場がある



マナブ:さて、私たちは亀ヶ岡遺跡から十三湖へ向かってドライブしています。その途中、「高山稲荷神社」に寄ってみましょう。


高山稲荷神社(地図 ❸)

〒038-3305 青森県つがる市牛潟町鷲野沢147−1

境内自由

9:00~17:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://takayamainari.jp/ 


境内には参集殿など立派な建物が並ぶ

 

マナブ:想像していたよりずっと立派な神社です。

 

歴史先生:ここに境内の案内図がありますので、見ていきましょう。

 

神社は山の上、千本鳥居はその向こう側の谷にある

 

マナブ:どれどれ。

 

歴史先生:私たちは駐車場から歩いて階段の下のところまで来ています。(図中「現在地」)

 

マナブ:ここから階段を登った山の上が神社のようですね。

 

歴史先生:そしてその山を向こう側へ下ると「千本鳥居」があります。

 

マナブ:あ、それも楽しみです。

 

神社へ登る階段

 

 

階段に自信がない方は坂道を利用されるとよい

 

マナブ:そこそこ、登りごたえのある階段ですね。

 

歴史先生:階段の自信のない方は右側の坂道を行かれるとよいでしょう。いわゆる「男坂」「女坂」の関係です。

 

拝殿

 

歴史先生:さて、階段を登り切ったところにあるのが高山稲荷神社の拝殿・本殿です。標高22mの東西に延びた丘の上に鎮座しています。

 

マナブ:標高22mなのに「高山」というのも面白い。ところでここはどういうご由緒なんですか?

 

歴史先生:創建ははっきりしないようですが、鎌倉時代から室町時代にかけて、この地方を治めていた安藤氏によって開かれたようです。その当時は山王坊日吉神社で・・・

 

マナブ:山の神様。

 

歴史先生:そうです。安藤氏の祈願所として栄えました。しかし室町時代中期の1443年(または1432年)に南部氏の焼き討ちにあい、神社は焼失してしまいました。

 

マナブ:安藤氏は南部氏とずっと対立していたんですよね。

 

歴史先生:はい、そうなんです。さて、時代は下って江戸時代。赤穂藩主浅野内匠頭の事件があり、赤穂藩がお取りつぶしになるとき、赤穂城の中に祀っていた稲荷様を赤穂藩士の寺坂三五郎が持ち出し、津軽へと落ち延びました。彼は鯵ヶ沢で醸造業を営んでいましたが、その子孫がここ高山に稲荷様を遷して祀ったのが稲荷神社の始まりと伝わります。

 

稲荷神社の裏にはここに元々あった三王神社がある

 

マナブ:なるほど、元は山王/日吉神社だったところに稲荷神社が加わったわけですね。

 

歴史先生:江戸時代にはたくさんの稲荷神社が造られ、繁盛しました。ここもその1つで、元々の山王/日吉神社を凌駕して稲荷神社が前に出るようになったものと考えられます。

 

山の上からは日本海が見える

 

歴史先生:さて、では千本鳥居の方へ、階段を下りていきましょう。

 

向こう側の谷へ下る階段

 

龍神宮

 

マナブ:階段を下りてすぐの池には龍神宮が建てられています。

 

歴史先生:ここから千本鳥居が始まります。

 

千本鳥居をくぐって行こう

 

千本鳥居の脇にはハスの花が咲く美しい池がある

 

マナブ:千本鳥居、美しいですね。周囲のある池や菖蒲、ハスなどの花も美しい。

 

千本鳥居の展望所

 

歴史先生:さて、千本鳥居をくぐり終えるとそこは少し高い場所になっていて、そこは全体を見渡せる展望所になっています。

 

マナブ:わぁ、楽しみ。

 

展望所から見た千本鳥居

 

マナブ:おぉー、これはいいですね。絵になるなぁ。

 

歴史先生:きれいですね。

 

マナブ:これは昔からあったんですか?

 

歴史先生:いえ、鳥居の奉納が始まったのは1982年(昭和57年)と言いますから、かなり最近ですね。地元の農家さんたちが五穀豊穣を願って奉納したそうです。

 

マナブ:あ、そうなんですね。

 

チェスボロー号の模型

 

歴史先生:ところで、神社の展示室にはチェスボロー号の遭難の資料があります。

 

マナブ:どれどれ、パネルを読むと、1889年(明治22年)に、米国貨物船がここの沖合で沈没した?

 

歴史先生:はい。沖合の浅瀬に乗り上げて、乗組員たち23名が海に投げ出されました。それを見ていた村の人たちは船を出して必死に救助をします。村の人たちのわが身を顧みない、勇気ある懸命な救助のおかげで4名の命が助かりました。瀕死の状態の船員を村の女性が人肌で温めて介助したとも伝わります。

 

マナブ:たしか和歌山県の潮岬でもトルコの船を救助した話を聞きました。

 

歴史先生:トルコのエルトゥールル号の遭難事故ですね。1890年(明治23年)の出来事ですので、チェスボロー号の遭難はその前年になります。

 

マナブ:エルトゥールル号のことがきっかけで日本とトルコの友好が深まったという話でしたが、ここでの救助は日米の友好につながったんでしょうか?

 

歴史先生:はい、もちろんです。米国側は深い感謝の意を表し、地元の自治体同士の交流は今でも続いています。

 

米国クリントン大統領からの感謝のメッセージ

 

幻の港湾都市「十三湊」はなぜ跡形もなく消えたのか?

 

十三湊遺跡

 



マナブ:さて、私たちは十三湖のほとり、「十三湊(とさみなと)遺跡」というところに来ています。看板だけがあって、周りには畑しかありませんが。


歴史先生:そうですね。かつて鎌倉時代から室町時代にかけて、ここには日本海側でも有数の港湾都市があり、蝦夷地などとの貿易などで大変栄えていました。それが十三湊です。


かつては町屋が立ち並んでいた十三湊のメインストリート


十三湊遺跡の看板に書かれている地図


歴史先生:看板にある昔の地図を見てみましょう。私たちがいるのは当時のメインストリート。この両側に町屋が立ち並び、西側には大きな寺院も見えます。もう少し北へ行くと土塁があって、その向こうは安藤氏の館などがありました。


マナブ:今からは想像するのが難しいです。


かつては海への出入り口は今の場所とは違っていた


歴史先生:ところで今は十三湖が直接海とつながっていますが、鎌倉時代・室町時代には海への出入り口は南側にあって、前潟と呼ばれる狭い水路によって海につながっていました。


マナブ:そうか、ここは波の影響を受けない、理想的な良港の地形だったんですね。


歴史先生:中世には日本海側に「七湊」という7大港湾都市がありました。北から津軽十三湊、秋田、直江津、岩瀬(富山)、輪島、加賀本吉、三国、です。


マナブ:そのほとんどは今では大きな都市になっているのに、ここ十三湊だけは跡形もない。それはどういうわけなんでしょう?


歴史先生:ではその謎を探りに、市浦歴史民俗資料館へ行きましょう。



市浦歴史民俗資料館(地図 ❹)

〒037-0403 青森県五所川原市十三 五月女萢3(駐車場住所)

入館料310円(大学生以下、団体割引あり)

9:00~16:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.city.goshogawara.lg.jp/kyouiku/bunka/shiurarekimin.html 


売店が数軒ある広い駐車場に車を停める

 

市浦歴史民俗資料館はこの長い橋を歩いて渡った先の中島にある


マナブ:駐車場に車を停めて、ここからは歩行者用の橋を渡って、中島という島に渡ります。


歴史先生:十三湖に浮かぶ島で、キャンプ場や釣りなどが楽しめますが、今日は市浦歴史民俗資料館を目当てにいきます。


マナブ:橋の途中から見る十三湖の景色がきれいですね。広いなぁ。


歴史先生:約17平方キロあって、全国21位の広さの湖です。


マナブ:でも13個の湖があるわけではなくて、1つですね(笑)。


歴史先生:十三湖(じゅうさんこ)ですが、ここにあった十三湊(とさみなと)が語源です。「とさ」とはアイヌ語の「ト・サム」から来ていてそれは「湖沼のほとり」という意味があるとか、あるいは日本語の「戸狭」(河口の狭いところ)が語源だとか、さまざまな説があります。


マナブ:なるほど、「十三」というのは後からの当て字のようですね。


橋からの眺め


市浦歴史民俗資料館


マナブ:さて、資料館のところまで来ました。中へ入りましょう。ところで「市浦(しうら)」というのは?


歴史先生:かつてここは市浦村と呼ばれていました。今では五所川原市に編入されています。


展示室入口


歴史先生:展示室は3つに分かれています。それほど巨大ではないのですが、内容が濃い。じっくり見ているとすぐに1時間経ってしまいます。


マナブ:ここは興味深い。ぜひじっくり見ていきましょう。


第一展示室


歴史先生:十三湊の歴史は鎌倉時代の1期、室町時代前期の2期、室町時代中期の3期、に分かれています。第一展示室ではそれぞれの発展時期と発掘経過の詳細が展示されています。


マナブ:鎌倉時代の初期に港町が形成され、その後発展していきますが、室町時代中期の1400年代の半ばごろに急速に衰退して姿を消したということですか。不思議ですね。


十三湊の賑わいの想像図


第二展示室


歴史先生:第二展示室では十三湊の人々の暮らしぶりがわかる出土品などを展示しています。


第三展示室


歴史先生:第三展示室は十三湊を治めていた安藤氏の展示が中心。また、十三湊が当時の瀬戸内とも深い交流があったとことが現在の広島県安芸津町のお寺で発見された文献でよくわかります。


マナブ:日本海側の貿易だけではなくて、瀬戸内ともつながっていて、その先の大坂や京都も海路でつながっていた。そう思うとますます十三湊は先進的な街だったんだろうなと想像されます。


安藤愛季(ちかすえ)座像の複製

 

マナブ:この像は?

 

歴史先生:安藤愛季(ちかすえ)。戦国時代に南部氏と北東北の覇権を争った武将です。南部晴政、南部信直、九戸政実などと同じ時代を生きました。ところで安藤氏は、自らを前九年の役で滅ぼされた安部貞任の末裔であると名乗っています。

 

マナブ:ということは、元々蝦夷(えみし)のリーダーであった一族。それを聞いただけで、甲斐源氏出身の南部氏とは仲良くできそうにありませんね。

 

歴史先生:はい、そうですね。前九年の役は平安時代の出来事でしたが、やがて鎌倉時代となり、北条義時が執権になると、安藤五郎がその代官として津軽に拠点を置き、北東北と北海道を治めるようになります。北条義時はかつての蝦夷のリーダーを立てることでこの地を治めようとしたのでしょう。

 

マナブ:なるほど。それはうまく行ったんですか?

 

歴史先生:うまくいくはずだったんですが、1275年に蝦夷(えぞ)、すなわち北海道のアイヌ民族との戦いの中で安藤五郎は戦死してしまいました。

 

マナブ:あら。

 

歴史先生:その後は安藤氏の中での後継者争いが長く続き、鎌倉末期の1322年には「津軽大乱/安藤氏の乱」が勃発。鎌倉幕府は鎌倉から大軍を派遣してこれを鎮めましたが、そのことが鎌倉幕府滅亡の引き金になったとも言われています。

 

マナブ:うまくいきませんねぇ。

 

歴史先生:このころから安藤氏は十三湊に拠点を移し、港の支配によって力を蓄えていきました。ラッコの皮、昆布など、北海道の特産品を輸入して都で売るビジネスなどをしていたようです。

 

マナブ:そんな十三湊がなぜ衰退したんでしょう?

 

歴史先生:室町時代になると、今の岩手県で南部氏が勢力を伸ばし、津軽にも進出してきました。そして1432年、ついに南部氏は十三湊を焼き討ちします。安藤氏はこの戦いに敗れ、北海道へと落ち延びました。

 

マナブ:あらら。でも安藤氏は戦国時代にはまた復活しているようですが?

 

歴史先生:安藤氏は十三湊奪回を何度か試みますが南部氏の武力の前にそれは叶いませんでした。その後秋田にあった分家に合流。秋田で安藤氏の再興を図ります。その子孫が先ほど座像を見た安藤愛季です。

 

マナブ:南部氏によって十三湊は滅ぼされたのでしょうけど、お金を生み出す港町ですから南部氏としても当然欲しかったのでは?

 

歴史先生:そうだったと思いますが、発掘の結果、この時期から十三湊には厚い砂の層の堆積が見られるようになりました。風で運ばれた砂が堆積して海を埋めてしまい、港としての機能を失ったのではないかと考えられます。

 

マナブ:そうか、では南部氏の襲撃と、その後の自然環境の変化によって、港町が衰退・消滅したと考えられるわけですね。

 

歴史先生:はい、それが答えと言えると思います。

 

 

津波之塔

 

マナブ:十三湖/岩木川の河口に来ました。途中から道が砂道になって、所によっては砂が深く積もっているので、運転には注意が必要です。

 

歴史先生:先端には「津波之塔」があります。1983年(昭和58年)の日本海中部地震を覚えていますか?

 

マナブ:うっすらと、ですが。

 

歴史先生:男鹿半島沖で発生したマグニチュード7.7の地震です。104名の方が亡くなりましたが、そのうち100名は津波による犠牲者です。そのうち港湾工事関係者が41名、釣り人が17名でした。

 

マナブ:海岸にいた人たちが逃げ遅れた。

 

歴史先生:はい。そしてこの場所でも6人の釣り人が亡くなりました。その鎮魂と教訓を忘れないために建てられたのがこの碑です。

 

マナブ:ここは古代から津波も何度かあったんでしょうね。

 

歴史先生:はい、そのため十三湊が突然歴史の舞台から消えたことについて、「大津波で全滅した」という説が長く唱えられてきたのですが、近年の発掘の結果では津波の痕跡は認められませんでした。

 

海岸にはいろいろなものが打ち上げられている

 

マナブ:長い砂浜が続く海岸ですね。景色はきれいなんですが、木とかゴミとかがすごい。

 

歴史先生:風もすごく強いでしょ? ここには砂やゴミがどんどん押し寄せて打ち上げられ、砂丘のように盛り上がっています。車で来る時に道が砂で埋もれていましたね。

 

マナブ:あ、そうか。この砂で十三湊は浅くなり、港としての機能を失ったということでしたね。

 

歴史先生:はい、それをここで実感していただけたのでは、と思います。

 

<おすすめのレストラン>

しじみラーメン和歌山 十三湖本店

 

十三湖の特産品といえば「しじみ」。それを手軽に味わえる「しじみラーメン」が人気だ。

 

 

 

しじみラーメン和歌山 十三湖本店

〒037-0403 青森県五所川原市十三羽黒崎133−22

10:00~16:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://sizimi-ramen.com/ 


実際に行ってみた

 

・場所は十三湖が海に出るところの橋のたもと。非常にわかりやすい場所で迷わない。

・人気店なので週末のお昼時などは待ち時間も発生する模様。私たちが訪問したのは平日の11時。まだ混みあう前の時間帯でゆっくりできた。

・名物のしじみラーメンを注文。あっさりとした塩味のスープに、しじみの出汁が効いている。ほかに昆布も出汁にはいっているらしい。

・しじみの身もしっかりしていて、味が濃い。

・このお店はしじみラーメンの元祖で、1982年(昭和57年)に店主が初めて提供したものだとか。

・食堂だけでなく民宿も営まれており、しじみたっぷりの夕食なども魅力だ。

 

 


海・山・滝のダイナミックな景色を堪能できる「竜泊ライン」

 

眺瞰台からの眺め

 

 

マナブ:十三湖から竜飛崎を目指してドライブします。

 

歴史先生:国道339号線です。この「国道339号線」というのはまた後から話題に出てきますので覚えておいてくださいね。

 

マナブ:はい。

 

歴史先生:途中小泊という集落を抜けて、そこから竜飛崎までの区間は「竜泊(たつどまり)ライン」として知られています。

 

マナブ:海沿いを走るんですね。

 

歴史先生:はい、そしてそこから高い山越えをして、最後に竜飛崎に着きます。十三湖から竜飛崎へは約35km、およそ50分のドライブです。

 

道の駅 こどまり


道の駅 こどまりの前には美しいビーチが広がる


道の駅 こどまり

〒037-0300 青森県北津軽郡中泊町小泊折腰内45−45

9:00~17:00、無休

営業は4月中旬~11月上旬まで(冬季閉館)

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.town.nakadomari.lg.jp/soshikikarasagasu/suisanshokokankoka/gyomuannai/1/3/949.html 


歴史先生:途中、「道の駅 こどまり」がありますので休憩していきましょう。お土産店や新鮮な刺身が食べられるレストランもあります。

 

 

切り立った海岸線を走る

 

歴史先生:さぁ、もうすぐ右側に滝が見えます。スピードを落として運転してください。

 

マナブ:あっ、これだ。

 

歴史先生:このあたり道幅が広くなっていますので、左側に安全に停めましょう。

 

七つ滝の前は少し道幅が広くなっているので数台車を停められそう

 

七つ滝

 

マナブ:あぁ、これは美しい滝ですね。

 

歴史先生:七段に分かれて落ちるので七つ滝。落差は21mもあります。

 

マナブ:けっこう大きい。

 

歴史先生:日本海の荒波で削られた切り立った海岸線ですので、山から流れてきた川が、最後は滝のようになって海に注ぎます。

 

テーブルとベンチも置かれている

 

 

マナブ:さて、ドライブを続けましょう。海岸線をしばらく走った後、今度は急な坂道になりました。

 

歴史先生:曲がりくねった坂道を一気に標高約500mまで登ります。

 

マナブ:かなりの急カーブと急坂が続きます。

 

歴史先生:さて、頂上の手前、ここには眺瞰台という展望台がありますので、見ていきましょう。

 

眺瞰台

 

マナブ:おぉー、これは絶景ですね。

 

歴史先生:ここまで登ってきたワインディングロードと、日本海の眺めがきれいです。さて、ここからゆるやかに山を下っていくと、竜飛崎になります。

 

マナブ:行きましょう。

 

青函トンネルに下りて海面下140mの世界を体験しよう

 

海面下140mへ

 


歴史先生:さぁ、いよいよ竜飛崎に近づいてきました。地図を見ていただくと、中央やや右寄り、縦に点線が描かれていますが、これは何かわかりますか?

 

マナブ:これは青函トンネルですね?

 

歴史先生:はい、正解です。この青函トンネルの大工事を記念した記念館がありますので、立ち寄ってみましょう。そして何と、そこから海面下140mのところまで下りていけるんですよ。

 

マナブ:えっ、それはすごい。どうやってそこまで下りるんですか?

 

歴史先生:それは中に入ってからのお楽しみということで。


青函トンネル記念館(地図 ❺)

〒030-1711 青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩龍浜99−99

特別セット料金(記念館入館料+体験坑道乗車券)1,500円(小人、団体、障がい者割引あり)

8:40~17:00、無休

4月中旬頃から11月上旬頃までの営業。毎年の開館日はWebサイトでご確認ください。

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

http://seikan-tunnel-museum.jp/index.html 


展示ホール

 

歴史先生:館内は「展示ホール」と「体験坑道」に分かれています。両方見たいので、セット料金で入りました。体験坑道へは25分ごとに入れる時刻が決まっています。その時間に合わせて、まずは展示ホールを見ましょう。

 

マナブ:たくさんの展示やジオラマ、パネルがあります。青函トンネルが開通したというニュースを見た記憶がありますが、いつのことでしたっけ?

 

歴史先生:開通したのは1988年(昭和63年)です。全長53.85km、海底部の長さが23.3kmに及ぶ世界最大級の鉄道トンネルです。

 

マナブ:それにしてもすごいことをやりましたね。

 

歴史先生:それまでは本州と北海道を結ぶ交通手段は青函連絡船でした。しかし1954年(昭和29年)に青函連絡船「洞爺丸」が台風15号が接近する中で無理を押して出航して沈没しました。その結果1,155名の死者・行方不明者を出すという、日本海難史上最悪の事故になったんです。その後、この台風15号は「洞爺丸台風」と呼ばれます。

 

マナブ:その事故が契機になってトンネル工事が始まった?

 

歴史先生:そうなんです。1964年(昭和39年)に工事着手、1983年(昭和58年)に貫通、1988年(昭和63年)に開通、という流れです。ところでトンネルの構想は戦前からあったようで、東口ルート(下北半島の大間あたり)と西口ルート(津軽半島の竜飛崎)の2つの候補がありました。海峡の距離は実は東口ルートのほうが短いので当初そちらが有力な案だったんですが、海峡の水深が深く、地質調査の結果も思わしくないということで、西口ルートが採用されました。

 

マナブ:もし東口ルートになっていたら、今の地図もずいぶん変わっていたでしょうね。

 

歴史先生:途中、3度にわたる大出水が起き、工事は難航したようです。また当初は在来線の規格での鉄道トンネルでしたが、新幹線延伸へと変更されました。

 

展示ホール内のジオラマ

 

歴史先生:さて、アナウンスが流れて、体験坑道に入る時間が来たようです。

 

マナブ:行きましょう。楽しみです。でも、どうやって下りるんだろう?

 

竜飛斜坑線

 

マナブ:えっ、これですか?

 

歴史先生:はい。こちらは竜飛斜坑線という、れっきとした私鉄。営業区間僅か0.8㎞の日本で一番短い私鉄路線なんだそうです。ただし、全線にわたって25度の傾斜がついています。

 

マナブ:おもしろい。

 

風門

 

マナブ:でも線路はすぐそこで壁にぶつかりますけど?

 

歴史先生:あの扉(風門という)が上に持ち上がるようになっているんです。

 

マナブ:うわー、昔テレビで見ていたサンダーバードの秘密基地みたい。

 

歴史先生:あはは、懐かしい。たしかによく似ています。

 

風門の奥には海面下へ続く線路がある

 

地下駅の標識

 

マナブ:さぁ、地下の駅に着きました。ここが海面下140m?

 

歴史先生:はい、そうです。

 

マナブ:特に暑いとか息苦しいとかはないですね。でも自分が今どこにいるかを想像すると何となく息苦しい(笑)。

 

歴史先生:そうですね(笑)。

 

 

海面下の作業坑にはトンネル建設に関わる展示がされている

 

歴史先生:下りる時には必ず説明員の方が同行します。作業坑には工事に使われた装置などが展示されていて、説明を聞きながら回っていきます。

 

マナブ:黒部ダムに行ったときに聞いた、壮絶なトンネル工事の話を思い出しました。

 

歴史先生:黒部ダムの時のトンネルは破砕帯というところに溜まっている地下水がトンネルに流れ込んで大変でしたが、青函トンネルではなんと海水が流れ込みました。

 

マナブ:それはもっと大変そう。

 

歴史先生:結果として、34名の尊い命が犠牲になっています。ちなみに黒部第四ダム工事での死者数は171名。うち60名は転落、32名は雪崩や凍死など雪によるものでした。

 

マナブ:黒部では山と雪、青函トンネルでは海水、ですか。

 

歴史先生:黒部ダムの工事は「黒部の太陽(石原裕次郎主演)」という映画になりましたが、青函トンネルの工事は「海峡(高倉健、吉永小百合 共演)」という映画になりました。

 

マナブ:豪華キャスト、ですね。


<見ておきたい映画>

「海峡」

 


 

 

北のはずれ「竜飛崎」には何がある?

 

竜飛崎

 

 

歴史先生:では竜飛崎の先端へ行ってみましょう。ところで、道の右側の眺めのいいところに「津軽海峡冬景色の歌謡碑」があります。道の手前左側に広い駐車場がありますので車を停めましょう。

 

マナブ:石川さゆり、ですね。2番でしたっけ、「ごらんあれが竜飛岬北のはずれと・・・♪」。

 

歴史先生:はい、私たちの世代はついつい口ずさんでしまいますね。

 

マナブ:あれ、歌詞では「たっぴみさき」となっていますが、先ほどから「たっぴざき」と聞いています。どちらが正しいんでしょう?

 

歴史先生:地名としては「たっぴざき」が正しいです。でも「たっぴみさき」と呼ぶこともあり、これは「愛称」という扱いです。

 

マナブ:あ、今気が付いたんですが、歌詞は普通7・5調が多くて、5か7の言葉が続きますよね。でも津軽海峡冬景色では6・6・7、となっています。「上野発の(6)」「夜行列車(6)」「降りた時から(7)」で始まり、「青森駅は(7)」「雪の中(5)」と普通の7・5調に戻って、またそれを繰り返す。

 

歴史先生:そうなんです、出だしの6・6・7調で不安定な違和感を作って、次の7・5調でほっとさせる。これがあの歌の独特のリズムを生んでいて、それがヒットの原因の1つとも言われています。

 

マナブ:なるほど、歌詞の字数に秘密があるなんて気が付かなかったなぁ。やっぱり「たっぴみさき(6)」でないとダメなんですね。

 

津軽海峡冬景色 歌謡碑

 

歴史先生:歌謡碑の真ん中にある赤いボタンを押してみてください。

 

マナブ:はい、押しました。おぉー、大音量で「津軽海峡冬景色」が流れ始めました。あ、2番からですね。さっそく「竜飛岬」、出てきました。この場所で聴くのもいいですねぇ。

 

(「津軽海峡冬景色」はこちらから聞けます)

石川さゆり チャンネル

https://www.youtube.com/watch?v=dxYgtFTOMSU 

 

歴史先生:背後に見えているのが竜飛崎、そして龍飛埼灯台です。


歌謡碑からの海の眺めも素晴らしい

 

歴史先生:歌謡碑からは帯島、龍飛漁港を見下ろすことができ、遠くには北海道も見えています。

 

マナブ:あ、ほんとだ。北海道はわりと近いんですね。

 


階段国道の入口

 

歴史先生:歌謡碑のすぐ近くに「階段国道」があります。

 

マナブ:階段国道?

 

歴史先生:今日、私たちはずっと国道339号線を北上してきました。国道339号線はここ竜飛崎で終わりではなくて、今別というところまで続いているんですが、ここからのルートは何と階段になっているんです。

 

階段国道

 

マナブ:あ、ほんとに階段ですね。

 

歴史先生:全部で362段の階段になっていて、海沿いまで続いています。海沿いからは再び車が通れる普通の道になっています。

 

階段国道は海まで続く

 

マナブ:なぜここが国道になったんでしょう?

 

歴史先生:詳しい経緯は諸説あって不明なんです。でもとてもおもしろくて観光名所になっていることから、後に新しく自動車道が開通した時に出た国道指定の解除の話は却下されたそうです。

 

龍飛埼灯台

 

龍飛埼灯台(地図 ❻)

〒030-1711 青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩龍浜

入場自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.kaiho.mlit.go.jp/02kanku/aomori/top_menu1/15kanrihyousiki/kanrihyousiki.html#tappi 


マナブ:さて、再び車にのって岬の先端まで行きます。龍飛埼灯台の駐車場に車を停めました。


歴史先生:駐車場から坂道を少し歩いて上ったところに灯台はあります。ここは風の強いところ。


マナブ:今日もすごい風が吹いていますね。 まさに「龍」が「飛」んでいるみたい。


歴史先生:うまいこと言いますね。実際、竜飛崎の語源の説の1つはそれなんです。そのほかの説としてはアイヌ語の「タム・パ」(刀の上端、突き出た土地)から、というのもあります。


マナブ:白くて大きな灯台がありますね。


歴史先生:これが龍飛埼灯台。日本の灯台50選の1つです。1932年(昭和7年)に出来ました。海から110mの場所に立っていて、津軽海峡や日本海の遠くから見えるのが特徴です。

 

竜飛崎から津軽海峡を見る

 

マナブ:あれはレーダーかな?

 

歴史先生:地理的な重要性から竜飛崎の先端には海上自衛隊の警備施設があります。

 

マナブ:ここからも北海道が近く見えますね。

 

歴史先生:ということで今日は木造から津軽半島を北上して、竜飛崎まで来ました。いかがでしたか?

 

マナブ:遮光器土偶の形をした木造駅、あれはおもしろかったなぁ。それから高山稲荷の千本鳥居。これも見事でした。歴史では十三湊。かつて栄えた港町でありながら今では全く何もないことから、ひときわ歴史ロマンを感じます。竜飛崎では青函トンネルのことを詳しく知れたし、先端まで来られてよかったです。あ、滝好きの私としては途中の七つ滝も気に入りました。今日行ったのは今までまったく知らなかった場所ばかりで、新しい発見でした。

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