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岩手県 二戸_1.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
日本一美しい奥入瀬渓流の歩き方
 
世界最大の二重カルデラ「十和田湖」はどうできた?
 
十和田湖遊覧船に乗って大噴火の痕跡を見よう
 
十和田湖に伝わるスケールの大きな伝説とは?
 
巨大な杉並木に圧倒される「十和田神社」と高村光太郎の「乙女の像」
 
魚のいない十和田湖で明治時代に始まったヒメマスの養殖
 
<おすすめのレストラン>
とちの茶屋

 

日本一美しい奥入瀬渓流の歩き方


奥入瀬渓流



マナブ:今日は有名な「奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう)」に行きます。


歴史先生:奥入瀬渓流にはどんなイメージをお持ちですか?


マナブ:とにかくきれいな渓流。流れが速くて、川の中に石があって、それで水が分かれているような、きれいな写真をよく見ます。


歴史先生:写真がきれいに見えるのは川だけのせいでしょうか?


マナブ:あ、そうか、写真の背景の林がきれい。


歴史先生:そうですよね。1年で林が最もきれいに見える季節が2回あります。そう、紅葉シーズンと新緑シーズン。今は6月上旬ですが、春の遅い東北ではまさに今が新緑シーズン。


マナブ:やった、それは嬉しいです。


奥入瀬渓流に沿って自動車道と遊歩道が作られている


歴史先生:さて、奥入瀬渓流は青森県のツアーでは必ず立ち寄るメインの観光地なんですが、実は観光はややしづらいんです。


マナブ:というと?


歴史先生:まず、全体の距離が長い。片道14㎞くらいあって、主要な「流れ」とか「滝」とかが離れているので、簡単に歩いて見て回ることはできません。観光バスは途中でちょっとだけ立ち寄って付近を散策するだけ。


マナブ:であれば、車で移動して、それぞれの見どころの近くで停めてそこから歩いては?


歴史先生:それができればいいんですが、渓流の途中は駐車場がとても少ないんです。


マナブ:ではどうするんですか?


歴史先生:1つの方法は、バス。奥入瀬渓流の南北の入口(北側は奥入瀬渓流館、南側は子ノ口)に広い駐車場があって、そこから路線バスが出ています。途中数か所にバス停がありますので、うまくそれを使いながら歩くことができますが、本数が少ないので時刻表をみて計画することが必要です。


JRバス時刻表

https://www.jrbustohoku.co.jp/towadako-oirase/


マナブ:うーん、時刻表を見ながら歩く時間も考えて計画するのはちょっと難しいですね。


歴史先生:ですよね。そこで今回私たちがトライするのは、空いているうちに限られた駐車場を使って車で行く方法。ということで、朝早く出発します。


マナブ:さっそく出発しましょう。


石ヶ戸休憩所前の駐車場



奥入瀬渓流/石ヶ戸休憩所(地図 ❶)

〒034-0301 青森県十和田市奥瀬1−12

8:30~17:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://aomori-tourism.com/spot/detail_339.html


マナブ:奥入瀬渓流に入ってしばらく車を走らせました。突然道幅が広くなって、ここの左右に車を停められそうです。


歴史先生:ここは石ヶ戸(いしけど)休憩所の前。渓流の中で唯一の休憩所があるところです。


マナブ:今は平日の朝8時前。まだ車が少ないので、私たちも余裕で停められますね。道の左右に縦列駐車できるようです。


歴史先生:全部で何台くらいでしょう、休憩所の近くは「バス専用」と書かれているところが多いので、一般の車が止められるのは20~30台くらいだと思われます。


マナブ:有名観光地にしては少ないですね。


歴史先生:しかも遊歩道を歩きますので、それぞれの車の駐車時間が長いと思われます。


石ヶ戸休憩所


マナブ:休憩所の売店は8時半開店ということなので、まだ開いていません。お手洗いは使えるようです。


歴史先生:ではこちらの階段から川へ下りていきましょう。


川へ下りる階段


石ヶ戸


歴史先生:川へ下りてすぐに見られるのが「石ヶ戸(いしけど)」。岩でできた小屋、という意味です。


マナブ:本当に人が住めそう。


歴史先生:大きな岩がころがっているのですが、左にある木が成長して、この大きな岩を持ち上げているの、わかりますか?


マナブ:あ、ほんとだ。木の力ってすごいですね。


石ヶ戸の瀬


歴史先生:石ヶ戸から歩き始めて5分ほどで現れるのが「石ヶ戸の瀬」。


マナブ:川の中に大きな石がゴロゴロとあって、白い波が出て美しい眺めです。写真で見ていると、奥入瀬渓流ってずーっとこんな景色かなと思っていたんですが、ほとんどの場所は以下の写真のように静かな流れで、ところどころ、名前が付いたような場所で急流になっているんですね。。


多くの場所では奥入瀬川は静かな表情を見せる


馬門岩


歴史先生:道路脇に馬門岩(まかどいわ)という岩があります。バス停の名前にもなっています。


マナブ:黒っぽくて、水平に割れ目ができていますね。火山性の岩かな?


歴史先生:そのとおり。これは火砕流や火山灰が積もって、自分の重みでギューッと圧縮してできた溶結凝灰岩。縦に割れやすく、川によって削られ、深く鋭い谷になります。この岩では柱状節理よりも水平方向の板状節理が見えていますね。


馬門岩の対岸に見える「屏風岩」には縦方向の柱状節理が見られる


マナブ:十和田湖が噴火した時の火砕流ですか?


歴史先生:いえ、これは八甲田カルデラの76万年前の大噴火のときのものです。


マナブ:十和田ではなくて、八甲田山でしたか。こんなところまで埋め尽くしたんですね。


阿修羅の流れ


歴史先生:橋で対岸に渡り、さらに進むと「阿修羅の流れ」という場所に来ます。ここも非常に流れの激しいところで、よく写真に使われます。まだまだ歩いてもいいのですが、このあたりで石ヶ戸に戻りましょう。


雲井の滝


マナブ:石ヶ戸に戻って、再び車で川沿いをドライブしています。


歴史先生:そこの左側、道路が少し広くなっているところに、かろうじて車1台停められるスペースがあります。ここが「雲井の滝」。


マナブ:降りてみましょう。おぉ、結構大きくて迫力ある滝ですね。


歴史先生:落差20m、三段になって落ちてきます。


マナブ:新緑の美しい林の中の滝。いいですね。


白布の滝


歴史先生:川へ下りてみましょう。川の反対側にも滝が見えますか?


マナブ:あ、見えます、見えます。


歴史先生:あれは白布(しらぬの)の滝。雲井の滝より水量は少ないですが、こちらは20mの高さを1段で落ちてきます。


マナブ:白い布が1枚垂れ下がっているようですね。緑がまぶしい。きれいだなぁ。


銚子大滝前の駐車スペース


マナブ:再び車でのドライブです。あそこに車が何台か停まっていますよ。


歴史先生:あそこは銚子大滝。車を停めて滝を見に行きましょう。


マナブ:道路左側に縦列で10台程度停められそうです。


銚子大滝


マナブ:駐車場から歩いてすぐ、立派な滝がありました。


歴史先生:高さは7mと低いですが、幅が20mもあります。奥入瀬川の本流にかかる唯一の滝で、水量が豊富ですね。


マナブ:銚子という名前ですが、千葉県の銚子市と関係あるのかな?


歴史先生:銚子というのはご存じの通りお酒を入れる容器ですね。注ぐところが細くなっているのが特徴。十和田湖を大きな銚子に見立てたとき、ここがちょうど注ぎ口になるという連想から付けられた名前です。ちなみに千葉県の銚子は利根川が太平洋にそそぐ、最後の細くなった場所。名前の付け方としては同じですね。


マナブ:なるほど、おもしろい。


奥入瀬川の本流にかかる滝のため、水量が格段に多い


マナブ:近くで見ると水しぶきがかかって、大迫力です。


歴史先生:この滝があるために、十和田湖には下流から魚が上ってこれないんです。よって十和田湖には昔は魚が住んでいませんでした。その話はまた後ほど。


世界最大の二重カルデラ「十和田湖」はどうできた?

 

 

子ノ口から見る十和田湖

 

マナブ:奥入瀬渓流を登りきったところ、急に視界が開けて明るくなります。

 

歴史先生:ここは子ノ口(ねのくち)。遊覧船やバスが発着し、飲食店やお土産店も並びます。十和田湖は昔は閉じた湖でしたが、15,000年ほど前に子ノ口の外輪山が決壊し、大量の洪水と土石流が下流へ押し寄せました。その時にU字型にえぐられてできたのが奥入瀬渓流です。石ヶ戸のような大きな岩が散乱しているのもそのためです。

 

マナブ:なるほど、普通の渓谷とは成り立ちが違うんですね。だからあんなにきれいなんだ。

 

歴史先生:そのとおりです。

 

マナブ:それにしてもここから見る十和田湖は広い湖ですね。どれくらいの広さがあるんですか?

 

歴史先生:十和田湖の広さは全国で13位。およそ61平方kmあります。これは65平方kmの浜名湖より少し狭いくらい。

 

マナブ:やはり相当広いですね。

 

歴史先生:でも深さは田沢湖、支笏湖に次いで全国第3位。326mも深さがあります。

 

マナブ:えっ、それはすごい。なぜそんなに深い湖ができたんですか?

 

歴史先生:それには十和田湖の成り立ちを理解していただく必要があります。

 

十和田湖(中湖)

 

歴史先生:十和田湖ですが、地図で見るとどんな特徴がありますか?

 

マナブ:おおよそ丸い形のカルデラ湖ですが、二本ほど半島が伸びています。

 

歴史先生:そうですね。これこそ二重カルデラの痕。大きなカルデラの中に、もう1つ後からカルデラができたんです。

 

マナブ:いつ頃の話ですか?

 

歴史先生:ここで火山活動が始まったのが20万年前くらい。

 

マナブ:先ほどの八甲田山の火砕流はたしか・・・

 

歴史先生:76万年前です。

 

マナブ:ということは、十和田湖から奥入瀬渓流のあたりは、昔は八甲田山の火砕流に埋め尽くされた台地で、そこにすいぶん後になってから十和田湖の火山ができた。

 

歴史先生:そういうことです。そしてこの十和田火山では6万1000年前、3万6000年前、1万5000年前の3回にわたって巨大な噴火があり、カルデラが形成されました。1回目の噴火でのマグマの噴出量は100億トン。特に2回目と3回目の噴火は規模が大きく、500億トン。火砕流は青森市内を含む半径50㎞を埋め尽くしました。

 

 

マナブ:今では想像できない規模ですね。九州で話を聞いた阿蘇山の4回目の噴火「Aso-4」はどれくらいだったんですか?

 

歴史先生:推定で9,600億トン、と言われています。9万年前のことです。

 

マナブ:ひゃー、それはとてつもなく大きい。。。

 

 

 

歴史先生:さて、1万5000年前の大噴火の後、湖の南側では噴火活動が続きます。それによって親カルデラ湖の中に子カルデラができました。しかし6,100年ほど前の噴火の際、子カルデラの外輪山の北側が崩壊し、そこから湖の水が流れ込み、中湖ができたんです。

 

マナブ:なるほど、この地形はそうやってできたんですね。

 

歴史先生:ところで十和田湖全体にはいくつかの川が流れ込み、湖底には土砂が少しずつ堆積していきます。そして水深も徐々に浅くなり、今は湖の大部分は深さ50~100m程度です。しかし中湖には流れ込む川が全くなく、ここだけは326mもの深さがあるんです。

 

マナブ:そんな深い穴があくなんて、火山のパワーはすさまじい。

 

歴史先生:さて、突然ですが、日本の歴史の記録があるのは3世紀あたりから。それ以降で国内最大の火山噴火はどこで起きたでしょう?

 

マナブ:ここで聞くということは、十和田湖?

 

歴史先生:正解です。

 

マナブ:でも、聞いたことがないなぁ。

 

歴史先生:平安時代中頃、西暦915年8月17日のことです。

 

マナブ:えっ、ずいぶん細かい日付ですね。これまでは何万何千年前、とかだったのに。

 

歴史先生:「扶桑略記」という、平安時代に比叡山延暦寺のお坊さんが書いた歴史書のようなものが残っているのですが、その915年8月18日のところに、「朝日に輝きがなく月のようだった」、という記述があります。火山灰で空が曇ったとすれば、京都に影響が出るのは翌日。よって前日の8月17日に噴火があったと考えられるんです。

 

マナブ:なるほど。でも火山灰って東に流れるのでは? 青森の火山灰が京都に来ますか?

 

歴史先生:普通はそうですよね。でも真夏は上空の偏西風が弱く、この時期なら十分にあり得る話なんです。

 

マナブ:日本史上最大ということでしたが、どれくらいの規模の噴火だったんでしょう?

 

歴史先生:中湖の噴火口を中心に半径20㎞を火砕流が焼き尽くしました。マグマの噴出量は50億トン。

 

 

マナブ:えっと、カルデラを作った2回目、3回目は500億トンでしたっけ?

 

歴史先生:はい、ですのでそれに比べればわずか1/10。でも、江戸時代(1783年)に関東に大変な被害を及ぼした浅間山の噴火は7億トン、記憶に新しい平成の雲仙普賢岳の噴火は4億トン。50億トンというのはとてつもなく大きい噴火だということがわかると思います。

 

マナブ:うわぁー、自然の脅威は私たちの想像を超えますね。

 

歴史先生:次は遊覧船から火山活動の痕跡を見てみましょう。

 

十和田湖遊覧船に乗って大噴火の痕跡を見よう

 

遊覧船乗り場

 

 

十和田湖遊覧船

〒018-5501 青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋486

乗船料金1,760円(子供、団体割引あり)

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.toutetsu.co.jp/ship.html 


マナブ:遊覧船は、「休屋」という地区から出ています。北と南、2か所の広い駐車場がありますが、今日は南側は工事中のため、北側に車を停めます。

 

乗船券売り場

 

歴史先生:乗船券売り場で遊覧船のチケットを買いましょう。ここの1階にはヒメマスなど十和田湖の自然が、2階には高村光太郎の展示がありますので、乗船までの時間をここで過ごすことができます。

 


十和田湖遊覧船

 

マナブ:さぁ、乗船時間です。双胴船だ。幅が広くて長さが短い船ですね。

 

歴史先生:2階と3階が客室です。3階の客室はグリーン席となっていて、船内で追加料金を払うシステムです。

 

マナブ:どこに乗りましょうか?

 

歴史先生:前方のガラスが大きい船ですので、2階または3階の最前列が特等席です。でもガラス越しではなく直接景色を見たいなら、やっぱりデッキですね。2階、3階の客室後方にあります。

 

マナブ:3階のデッキも追加料金が必要?

 

歴史先生:いえ、デッキは大丈夫ですので、3階デッキに行きましょう。見どころは右側が多いので、右側のベンチがいいと思います。ただし、船内では見どころのアナウンスが流れるのですが、デッキではほとんど聞き取れないのが欠点です。

 

3階デッキ

 

2階客室の様子

 

出航

 

マナブ:出航しました。波がなくて、水面が鏡のよう。景色が水面に映り込むのがとてもきれいです。

 

溶岩でできた島々の間を進む

 

恵比寿大黒島

 

歴史先生:出航してすぐ、いくつかの小さな島の間を船は抜けていきます。

 

マナブ:かわいらしい島ですね。上に赤い祠がある島もあります。

 

歴史先生:祠があるのは恵比寿大黒島。これらの島々はかつての火口丘で、溶岩が固まってできたもの。養分がなく乾燥した土壌ですが、その環境に耐えられる種類の松などが育っています。

 

マナブ:もうここから火山の痕跡だらけですね。

 

船から「乙女の像」も見える

 

 

歴史先生:船は中山半島の西側を北へ進みます。

 

マナブ:ここは2つ目のカルデラの外輪山を外側から見ているんですよね。

 

歴史先生:はい、そのとおりです。見てください、むき出しの岩のところ、柱状節理で縦に割れ目が入っています。

 

マナブ:ほんとだ。

 

中山半島で見られる柱状節理

 

中山半島の先まで来ると御倉半島が見えてくる

 

歴史先生:さぁ、中山半島の先端まで来ました。ここから中湖に入っていきます。もう1つの半島、御倉(おぐら)半島が見えてきましたよ。

 

マナブ:おぉ、あちらの半島はさらに絶壁になっています。

 

奇岩の1つ、烏帽子岩

 

中湖の周囲は絶壁に囲まれている

 

マナブ:周囲を見渡すと、ここは丸く、絶壁に囲まれています。この下が300m以上の深さがあるところですね。

 

歴史先生:はい。私たちは中湖のカルデラの真ん中にいます。これだけ絶壁に囲まれているので、流れ込む川もないというのがわかると思います。

 

 

五色岩

 

マナブ:あそこ、すごい色をしています。真っ赤で燃えているみたい。

 

歴史先生:あれは「五色岩」と呼ばれています。鉄分を多く含む土壌でできていますが、これも火山活動の痕跡。

 

五色岩と御倉山

 

御倉山/千丈幕

 

歴史先生:御倉半島の先端は御倉山という山になっています。

 

マナブ:かなりの高さがある絶壁が続いていますね。

 

歴史先生:湖面からは230mほどの高さがあるのですが、これは例の915年の噴火の時、溶岩が地中からせり上がってできた溶岩ドームです。

 

マナブ:すごい・・・。とてつもない噴火の痕跡ですね。

 

十和田湖に伝わるスケールの大きな伝説とは?

 

御鼻部山展望台から見た十和田湖

 

マナブ:十和田湖での火山活動の痕跡、遊覧船からたくさん見ることができました。そして静かな水面、なみなみと水をたたえたスケール感。とても神秘的な湖ですね。

 

歴史先生:しかも、アクセスが不便。どこから来るにしても長い山道を登ってきた後に、一気に視界が開けて十和田湖が見える。そんな場所ですから、不思議な伝承も残っているんです。

 

マナブ:どんなお話でしょう?

 

歴史先生:昔むかし、このあたりに八郎太郎という立派な若者がいました。あるとき八郎太郎は2人のマタギの仲間たちと一緒に山へ入りました。山の中の沢で3匹のイワナを捕まえた八郎太郎は串に刺してそれを焼きます。そのおいしそうなこと、おいしそうなこと。

 

マナブ:おいしそう。

 

歴史先生:1匹食べた八郎太郎。あまりのおいしさに、ついつい残りの2匹も食べてしまいました。しかしマタギの仲間内では、食事はみな平等に分け合うという厳しい掟があったんです。

 

マナブ:それを破るとどうなるんでしょう?

 

歴史先生:八郎太郎は急にのどの渇きを覚え、水を飲みましたが、飲んでも飲んでもそれが収まりません。ついには川を堰き止めて大量の水を飲みます。すると彼の体は大きくなり、なんと巨大な龍の姿になっていました。八郎太郎の姿が見えないので探しに来た仲間たちもびっくり。堰き止めた川は湖になり、八郎太郎の龍は湖の中へ隠れていきました。彼は十和田湖を作り、その主となったのです。

 

マナブ:すごい話だ。

 

歴史先生:それから数百年後。熊野で修業をしていた南祖坊(なんそのぼう)という人が神託を得ます。その内容は、「鉄のわらじを履いて、全国を行脚せよ。わらじの鼻緒が切れたところがお前の永住の地だ」というものでした。南祖坊は旅をし、十和田に来たところついにわらじの鼻緒が切れ、目の前には十和田湖が広がっていたのです。

 

マナブ:ふむふむ。

 

歴史先生:「こここそ、我が永住の地だ」と南祖坊は喜びましたが、湖の中から八郎太郎の龍が現れ、「ここの主は俺だ。立ち去れ。」と言うのです。2人の間で戦いが始まり、それは7日間も続きましたが、ついには法力を使った南祖坊が勝ちました。傷を負った八郎太郎はどこへともなく逃げ出しました。五色岩を覚えていますよね?

 

マナブ:はい、船から見た真っ赤な色の崖。

 

歴史先生:あそこはケガをした八郎太郎の血が付いた跡だと言われています。

 

五色岩

 

歴史先生:こうして八郎太郎の代わりに南祖坊は湖に入り、十和田湖の新しい主となったのです。人々は南祖坊を「青龍権現様」として祀りました。

 

マナブ:十和田湖の主が入れ替わった、というお話ですか。

 

歴史先生:そうですね、そしてこのお話には続きがあります。八郎太郎は十和田湖から日本海側へと逃げていきます。そして湖を作るのに適した土地を見つけてそこに大きな湖を作り、その主になります。これが八郎潟。

 

マナブ:あ、八郎潟の名前はそこから来ているんですか。

 

八郎潟

 

歴史先生:もう1つ。田沢湖という、十和田湖にも似た感じの日本一深い湖が秋田県にありますね。そこには辰子(たつこ)という世にも美しい美少女が住んでいました。彼女はその美しさを永遠に保ちたいと神社に願掛けをしたところ、「北の山の霊泉を飲むとよい」というお告げを聞きました。そこで見つけた泉の水を飲み始めると、いくら飲んでものどの渇きが止まりません。飲んで飲んで、ついには龍の姿になってしまいました。辰子は泉を広げて田沢湖を作り、そこの主になったんです。

 

マナブ:男女の違いはありますが、同じような話ですね。

 

田沢湖畔に立つ辰子像

 

歴史先生:そして八郎太郎は同じような境遇の辰子と結ばれることになりました。毎年11月9日の夜に八郎太郎は辰子に会いに田沢湖へやってきます。田沢湖の集落では「その音を聞くと命がなくなる」と伝えられていて、その音を聞かないよう一晩中大さわぎするんだそうです。以上、三湖物語、でした。

 

マナブ:十和田湖、八郎潟、田沢湖を結ぶ、スケールの大きな伝承ですね。昔の人々にとって、それだけ湖というのは神秘的な存在だったんでしょう。

 

巨大な杉並木に圧倒される「十和田神社」と高村光太郎の「乙女の像」

 

十和田神社の入口

 

 

歴史先生:さて、十和田湖遊覧船乗り場の近く、休屋という地区には十和田神社という神社があります。

 

マナブ:ここはどういう神社なんですか?

 

十和田神社

〒034-0301 青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋486

境内自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://aomori-tourism.com/spot/detail_356.html 


歴史先生:平安時代の初め、807年に坂上田村麻呂がここへ来て、湖を安全に渡るために祠を建てて祈ったという話。そして青龍権現(これは例の南祖坊(なんそのぼう)のことですね)の龍退治の伝承。これらが混ざり合って祀られています。

 

マナブ:この場所にあるのはなぜ?

 

歴史先生:十和田湖の中で最も聖なる場所というのは、先ほど船で行った中湖なんです。十和田神社は中湖への入口となる場所。十和田神社の社殿の奥を登り、中山半島の山を越えてさらに断崖絶壁を下ると中湖に到達し、そこには占いをする場所があります。あまりにも危険な道のりですので、現在は立ち入り禁止になっていますが。

 

マナブ:昔はここまで来るだけでも大変な道のりだったのでは?

 

歴史先生:そうなんです。江戸時代まで、十和田湖は山岳修行に適した北東北最大の霊場でした。十和田神社の場所には十湾寺というお寺や青龍権現を祀る神社があって、神仏習合の大伽藍を形成していたんです。そして十和田湖は女人禁制だったんですよ。

 

マナブ:今は自然を楽しむ観光地みたいになっていますが、元々は宗教色の強い場所だったんだ。

 

歴史先生:ところで、江戸時代は盛岡藩が十湾寺を保護していて、盛岡藩や八戸藩などからの参拝が多かったのですが、津軽藩からの参拝者の記録はありません。

 

マナブ:それは津軽藩と盛岡藩が過去のいきさつから恨みを持っていたから?

 

歴史先生:そうですね、津軽藩からの参拝を許していなかったんだと思われます。

 

マナブ:どれだけ仲悪かったんだ、って思いますね。

 

歴史先生:しかし明治になると神仏分離、そして廃仏毀釈の嵐が吹き荒れます。ここ十湾寺もことごとく破却され、一気に衰退してしまいました。

 

マナブ:あぁ、明治維新では日本各地でとても大切なものを失った気がします。

 

十和田神社参道の杉並木

 

マナブ:鳥居をくぐって参道を歩いています。いやー、ここは巨木の森だ。写真で見る木と人のサイズを比べてみてください。大巨人に囲まれているみたい。

 

歴史先生:そうですよね。樹齢250年を超えるような杉の大木が並ぶ、実に見事な参道です。

 

この階段を登ると社殿がある

 

歴史先生:さあ、次の鳥居に来ました。この階段を登りましょう。

 

十和田神社

 

マナブ:階段を登ると開けたところに出ました。これが十和田神社ですね。

 

歴史先生:はい。お参りしていきましょう。

 

開運の小路

 

歴史先生:十和田神社から十和田湖畔へは開運の小路という遊歩道があり、6つの祠が並んでいます。

 

乙女の像

 

マナブ:湖畔に出ると銅像があります。

 

歴史先生:これは「乙女の像」。高村光太郎の作品です。

 

マナブ:先ほど乗船券売り場の2階で少し展示を見ました。

 

2階の展示の一部

 

歴史先生:高村光太郎は1883年(明治16年)から1956年(昭和31年)までを生きた彫刻家。「智恵子抄」を出した詩人としても有名です。大正から昭和にかけて、裸婦や手などを題材にした塑像作品を制作。太平洋戦争が始まると、戦意高揚のための詩をたくさん書いて、軍部に協力します。

 

マナブ:そういう思想の人だったんですか。

 

歴史先生:いえ、戦時中というのはそういうことが当たり前に思えた時代ですね。しかし戦後になると彼は岩手県花巻市に粗末な小屋を建てて、そこで暮らすようになります。戦時中に戦争に協力するような詩をたくさん書いたことへの強い反省から、世間との関わりを断って暮らしていました。

 

マナブ:それで生涯を終えたんですか?

 

歴史先生:いいえ、そんな暮らしをしていた彼に、1952年(昭和27年)、青森県が十和田湖畔に建てる銅像制作を依頼します。 彼はそれを受けて東京中野のアトリエに戻って制作を始め、1953年に乙女の像が十和田湖畔に建てられました。その3年後の1956年、高村光太郎は肺結核でこの世を去ります。

 

乙女の像と遊覧船

 

森の中の岩には柱状節理が見られる

 

歴史先生:ところで、遊覧船の中でもお話ししましたが、このあたりは火山地形がみられるところ。見てください、こちらの岩。

 

マナブ:これは柱状節理かな?

 

歴史先生:正解です。同じような岩は湖の中の島々にも見られます。

 

恵比寿大黒島

 

マナブ:あ、先ほど遊覧船から見えた、赤い祠のある島ですね。

 

湖畔の風が気持ちい遊歩道

 

歴史先生:乙女の像から湖畔の遊歩道が続きます。ここを歩いて、お土産屋さんや食堂のある地区まで戻りましょう。

 

魚のいない十和田湖で明治時代に始まったヒメマスの養殖

 

乗船券売り場の隣にヒメマスの水槽が置かれている

 

歴史先生:ところで、十和田湖で有名なものの一つに「ヒメマス」があります。

 

マナブ:ここでたくさん獲れるんですか?

 

歴史先生:そうなんですが、自然のものではありません。

 

マナブ:というと、養殖?

 

歴史先生:はい。思い出してみてください、十和田湖は活発な火山。魚が住めるような環境ではありませんでした。そして外輪山が決壊して奥入瀬渓流を作り、川を通して海とつながるのですが、途中に銚子大滝があります。ということで魚が川を上って来れない。

 

マナブ:そこで人工的に放流して、養殖を始めた。

 

歴史先生:はい。和井内貞行(わいない さだゆき)という人の貢献を忘れるわけにはいきません。彼は幕末の1858年生まれ。明治になってこのあたりに十和田鉱山が開発され、鉱山夫や家族が十和田湖周辺に住むようになります。その人たちへの食糧調達が課題となり、そこに目を付けた和井内貞行は1884年(明治17年)に1,400匹のコイの稚魚を放流しました。

 

マナブ:マスではなくコイですか。

 

歴史先生:はい。コイの養殖はうまく行きましたが、今度は十和田鉱山が閉山になり、需要がなくなります。

 

マナブ:いつからマスになったんでしょう?

 

歴史先生:事業を立て直したかった和井内貞行は、多額の借金をして北海道支笏湖のマスの卵を買い集め、それらを孵化させると、十和田湖に放流します。そして3年後の1905年(明治38年)、とうとうマスたちが成長して帰ってきました。彼の養殖事業は大成功。21年間の苦労が報われた瞬間です。

 

ヒメマス

 

歴史先生:のちに、このマスは「ヒメマス」と名付けられ、十和田湖の名物となりました。

 

マナブ:食べられるんですか?

 

歴史先生:はい。特にヒメマスの刺身は美味。他ではなかなか食べられません。今から食べに行きましょう。

 

マナブ:いいですね~。

 

<おすすめのレストラン>

とちの茶屋

 

 

十和田神社の入口付近、北駐車場の周辺に数軒の食堂がある。ヒメマスを売りにする店が多いが、その中の1つ、「とちの茶屋」でヒメマスの刺身を味わうことにしたい。

 

実際に行ってみた

 

・とちの茶屋は十和田湖畔に近く、窓から湖畔の様子が見える絶好のロケーション。

・お店の一押し、「ヒメマス・ニジマス食べ比べ刺身定食」をオーダーしてみる。

・ニジマスはおなじみの味。サーモンに似た風味と食感で、しっかりした味。

・ヒメマスはニジマスに比べて、身が柔らかで繊細な味。これが実に美味しい。

・両方の刺身を比べながら食べられる、満足度のとても高い一食だった。

 

店内の様子

 

ヒメマス・ニジマス食べ比べ刺身定食

 

ヒメマス刺身

 

​歴史好きのための観光ガイド
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