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岩手県 二戸_1.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
キリストの墓は青森県にあった!?
 
新渡戸稲造の父祖たちが開拓した十和田の町
 
十和田市にはどうして大きな現代美術館ができた?
 
<おすすめのレストラン>
大昌園(十和田バラ焼き発祥の店)
 
<おすすめのホテル>
天然温泉掛け流しの宿 ホテルポニー温泉

 


キリストの墓は青森県にあった!?



マナブ:八戸市から西へ車で30分ほど。新郷という山間の村に来ています。ここは何があるんですか?


歴史先生:もうすぐ標識が出てきます。あ、あれです。


ピラミッド、キリストの墓の道路標識


マナブ:えーっ! ピラミッド? そしてキリストの墓??


歴史先生:はい、いずれも新郷村にあります。では、キリストの墓に行ってみましょう。


キリストの里公園 入口


公園入り口前の売店


マナブ:あれはコンビニ? 「キリストっぷ」って書いてある。面白い。


歴史先生:あれはお土産店で、日曜日のみ営業しているそうです。


公園の案内図


キリストの里公園(地図 ❶)

〒039-1801 青森県三戸郡新郷村戸来野月33−1

伝承館 入館料500円(中学生以下割引あり)

9:00~17:00、水曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://aomori-tourism.com/spot/detail_62.html 


歴史先生:駐車場からは伝承館へ行くには、奥の階段から行くように標識で誘導されます。でもそちらの道は森の中で、今の時期はクマが怖いので、道路沿いのスロープを上がっていくのがよいでしょう。


標識ではこちらの道に誘導される


国道沿いのスロープから行く方が安心


マナブ:スロープを上がると、お墓が2つ見えます。


歴史先生:これはイエス・キリストの墓と、その弟のイスキリの墓です。


イスキリの墓(手前)とキリストの墓(奥)


マナブ:イスキリ、という弟がいたんですか?


歴史先生:はい。キリストは21歳の時に日本に渡り、天皇とも交流して神学を身に付けます。33歳の時にユダヤへ戻り、教えを広めようとしたのですが、それが受け入れられなかったどころか、ユダヤの人たちはキリストを捕えて処刑しようとします。そこで弟のイスキリが身代わりとなって、ゴルゴダの丘ではりつけになり、キリストはシベリアを通って日本へ逃亡しました。彼はここ戸来村に住み、106歳の生涯をここで終えたんです。


マナブ:うーん、さっきから大真面目に解説していただいているのですが、私が知っている世界史とは違います。


キリストの墓


歴史先生:はい(笑)、そうですよね。新約聖書でもイスキリという弟はでてきません。キリストはゴルゴダの丘で十字架にかけられ、その墓はエルサレムにある「聖墳墓教会」や「園の墓」などがそうではないかと有力視されています。


マナブ:ではなぜここにキリストの墓と言われるものがあるんでしょう?


歴史先生:その秘密を探りに「伝承館」へ入って見ましょう。


伝承館


歴史先生:そもそもこの話は、竹内文書(たけうちもんじょ)と呼ばれる古文書の発見から始まりました。昭和の初めごろ、竹内巨麿(たけうちきよまろ)という人がいて、彼は自分を平群真鳥の子孫だと主張しました。そして彼が開いた天津教では、神武天皇よりずっと前から皇統は続いていて、日本の皇祖皇太神宮でモーゼ、孔子、釈迦、キリスト、マホメットらが学んでいたということになっています。


マナブ:さすがにそれはでたらめだって、わかりそうに思うのですが。


歴史先生:竹内家は皇祖皇太神宮の神官でしたが、その地位を戦乱等で失い、古文書を守り続ける家になったとのことです。竹内巨麿が家に代々伝わるその古文書を開示して大騒ぎになったというわけです。


マナブ:そこにキリストが日本で生涯を終えた話があった?


歴史先生:はい。そして1935年(昭和10年)に竹内巨麿がここを訪れ、調べたところ、丘の上にこんもりとした2つの盛り土を見つけ、これこそキリストとイスキリの墓だ、と特定しました。


マナブ:もしこれが豪族の古墳だったとしたら、埋葬者もびっくりでしょうね。


歴史先生:しかし日本書紀や古事記に基づいた歴史教育がされている戦前の世の中では、それと違う文書が出てくることは都合がよくありません。警察はそれらの竹内文書を没収します。


マナブ:本物かどうか、鑑定したんでしょうか?


歴史先生:それらの文書は太平洋戦争で焼けてしまい、残っていません。戦時中、竹内巨麿は不敬罪で逮捕されましたが、これは宗教の問題だとして裁判所は無罪を言い渡しています。


キリストの里公園


マナブ:でも、キリストがここで生涯を閉じたなんて、さすがに信じるのは難しそうですが。


歴史先生:しかし、この地域には不可解なものがたくさんあります。この地域は戸来(へらい)といいますが、これがヘブライと似ていること。父親をアヤまたはダダ、母親をアパまたはガガということ。


マナブ:うーん、それだけではまだ弱いですね。


歴史先生:子供を初めて野外に出すとき額に墨で十字を書くこと。足がしびれたとき額に十字を書くこと。ダビデの星を代々家紋とする家があること。


マナブ:うっ、それはなんだかちょっとゾクっとします。


歴史先生:この辺りではナニャドヤラという盆踊りがあって「ナニヤドヤラー、ナニヤドナサレノ」と歌いますが、これが何語だかさっぱりわからない。


マナブ:神秘的だ。ところで、道路標識ではピラミッドもある、と書かれていましたね。


歴史先生:はい。竹内文書を見て感動したうちの1人に酒井勝軍(さかい かつとき)という人がいました。彼は古事記・日本書紀と聖書を研究し、それらが密接につながっていることを証明しようとしたんです。


マナブ:面白そうな研究ですが。


歴史先生:酒井勝軍は日本にもピラミッドがある、という説を唱えます。とはいってもそれはエジプトのようなものではなく、元々形の良い尖った三角錐の山頂に巨石を配置して、信仰の場としたものです。1934年(昭和9年)には広島県庄原市の葦獄山(あしたけやま)をピラミッドとして特定し、同年、ここ新郷村で大石神ピラミッドを発見しました。キリストの里公園からさらに山を入ったところになります。


マナブ:キリストの墓の発見はその翌年でしたっけ?


歴史先生:はい。竹内巨麿はその大石神ピラミッドを見るためにここを訪れて、偶然キリストの墓を発見しました。


マナブ:そういうことでしたか。何だか夢があるというか、歴史ロマンというか。不思議な感覚になる場所ですね。


新渡戸稲造の父祖たちが開拓した十和田の町



マナブ:八戸市の北西にある、十和田市へやってきました。


歴史先生:ここはユニークな歴史のある町です。


マナブ:というと?


歴史先生:元々ここは三本木原という荒野でした。八甲田山の火山灰が分厚く積もり、「やませ」という冷たい風が吹きつける、耕作には非常に不向きな不毛な大地。木がたった3本しかないから、ということで付いた名前だそうです。


マナブ:広い土地ですが、農耕には使えなかったんですね。


歴史先生:江戸時代後期、盛岡藩は冷涼な気候で凶作が続き、藩の財政が逼迫(ひっぱく)していました。そんな時に藩の勘定奉行に任命されたのが新渡戸 傳(にとべ つとう)。新渡戸稲造のおじいさんにあたる人です。


マナブ:ほう。



新渡戸記念館(地図 ❷)

〒034-0031 青森県十和田市東三番町24−1

2026年6月現在リニューアル工事中

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

http://www.nitobe.jp/index.html 


歴史先生:まずは新渡戸記念館に行ってみましょう。

 

マナブ:大きな鳥居があって、中に入ると右側に数台車を停められます。

 

新渡戸記念館のある太素公園

 

歴史先生:記念館には新渡戸一族による三本木原の開拓の歴史や新渡戸稲造関連の展示がされる予定ですが、現在は長期リニューアル休館中なので、公園を歩きながらお話ししましょう。

 

マナブ:はい。

 

歴史先生:1849年、盛岡藩の勘定奉行になった新渡戸傳は、藩の財政を立て直す施策を次々に考案しました。用水路を引いて三本木原を開拓しようという事業もその1つでしたが、予算がつかず、事業を始める目途が立ちません。

 

マナブ:そうでしょうね。

 

歴史先生:そこで彼は自分の武具などを売って、また募金をかき集めて何とか開拓に着手するお金を作ります。勘定奉行になったのが56歳という高齢で、事業開始時は62歳。当時は人生50年と言われた時代ですから、今の感覚よりもかなり高齢に感じられたことでしょう。

 

マナブ:で、事業はうまく行ったんでしょうか?

 

歴史先生:奥入瀬川の上流から人工の河川を掘って、三本木原まで水を引いてきました。稲生川と名付けられたその河川は10㎞を超える長さになり、しかもうち4㎞はトンネルとして掘削しました。

 

マナブ:大工事でしたね。

 

歴史先生:はい、それによって2,500haの水田が新たに開拓され、安定して米作ができるようになりました。

 

新渡戸3代の銅像がある

 

歴史先生:開拓はこれで終わりません。新渡戸傳の次男、新渡戸十次郎は開拓地に碁盤の目状の町割りを作り、近代都市の建設を始めます。12町四方、すなわち1,300mx1,300mのスケールの大きなまちづくりでした。


マナブ:まだ江戸時代ですよね?


歴史先生:はい。まちづくりが始まったのは1855年のことでした。その後、明治になって1869年に札幌の町の建設が始まります。三本木原の水田開拓と街づくりは、その後の北海道の開拓の布石となり、日本の歴史の中で大きな産業遺産となりました。


マナブ:なるほど。


歴史先生:十次郎の長男、新渡戸七郎は父の跡を継いで街づくりを進めます。そして十次郎の三男が新渡戸稲造。彼は9歳で養子に出されて東京に行くのですが、その後アメリカやドイツに留学、農業学や経済学を学んで帰国します。


マナブ:その後はどうなりましたか?


歴史先生:教育者として活躍し、東京女子大の設立にも関与して初代学長となりました。そして彼の英文の著書「武士道」は、世界中の知識層が日本人の心を理解するための名著として高い評価を得ています。


新渡戸記念館

 

十和田市にはどうして大きな現代美術館ができた?

 

「夜露死苦ガール2012」(奈良美智)

 

 

中央駐車場

 

マナブ:十和田市役所の前にある中央駐車場に車を停めます。

 

歴史先生:ここから十和田の街を歩きましょう。

 

官庁街通り

 

歴史先生:街を東西に貫いているのは「官庁街通り」です。

 

マナブ:実に素敵な通りですね。

 

歴史先生:幅36mで桜と松の並木を二重に持つ、贅沢な造りになっています。

 

十和田市現代美術館(地図 ❸)

〒034-0082 青森県十和田市西二番町10−9

入館料1,800円

9:00~17:00、月曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://towadaartcenter.com/ 


「光の橋」(アナ・ラウラ・アラエズ)(左)と「アッタ」(椿 昇)(右)

 

マナブ:十和田市現代美術館に来ました。素敵な建物ですね。

 

歴史先生:2008年に開館した美術館です。それぞれの作品に個室が与えられていて、それらを繋ぐガラス張りの通路を通って鑑賞していきます。

 

マナブ:現代美術にはあまりこれまで興味がなかったのですが、ここには有名な作品があるんでしょうか?

 

歴史先生:私も現代美術はあまりわかりませんが、スタンディング・ウーマン、フラワー・ホース、あたりが有名なようです。

 

フラワー・ホース(チェ・ジョンファ作)

 

マナブ:それにしても立派な美術館ですね。十和田市というのは青森県でもそれほど大きくない街だと思うのですが、なぜここにあるんでしょう?

 

歴史先生:そうですよね、青森県で大きな街と言えば青森、弘前、八戸です。十和田市は人口6万人ほど。中央に官庁街通りというのがあるんですが、以前は国の出先機関の統廃合などがあって、空き地だらけになっていました。

 

マナブ:街のど真ん中から寂れていくのは辛い。

 

歴史先生:そこで十和田市は「Arts Towada」というプロジェクトを立ち上げます。「アートによるまちづくり」をテーマに、美術館の建設やストリート展示、そして官庁街通りの整備をおこないました。

 

「愛はとこしえ十和田でうたう」(草間彌生)

 

 

歴史先生:美術館のお向かいは「アート広場」。ここにもいくつかの有名作品が展示されています。ここだけでなく、町中にアート作品が置かれていますよ。

 

マナブ:あ、草間彌生さんは私でもさすがに知っています。ところで、官庁街通りに面した土地は十和田市が提供できたとしても、美術館の建設とか作品の収集にかなりの税金が投入されたのでないでしょうか? ちょっと心配になってしまいます。

 

歴史先生:それがですね、十和田市の税金はあまり使われていないんです。

 

マナブ:というと?

 

歴史先生:青森県の下北半島には「六ケ所村」というところがあります。

 

マナブ:たしか核燃料うんぬん・・・。

 

歴史先生:はい、「核燃料再処理施設」です。以前は茨城県の東海村にも施設がありましたが、こちらは稼働を停止して廃止の準備が進んでいますので、実質的に日本で唯一の再処理施設と言えます。

 

マナブ:放射能というのは目に見えないし、100%の安全ということは未来永劫保証できないので、自分の住んでいる場所に建設されるとなると困りますね。人口が少ない場所だとはいえ、反対運動も激しかったのでは?

 

歴史先生:はい。1984年に政府が六ケ所村に建設を申し入れしましたが農業・漁業関係者を中心に大変な反対運動がおこり、特に1986年のチェルノブイリ原発の事故によって、その反対運動の強さはピークに達します。

 

マナブ:いつ収まったんですか?

 

歴史先生:今でも反対運動は続いています。万が一の事故の時には大変な被害が出ること、そして事業に数十兆円の巨額の費用がかかることなどが指摘されています。そこで2012年には政権を取っていた民主党は再処理事業からの撤退を決めますが、政権が自民党に戻ってまたこの事業を推進しています。

 

マナブ:なぜ政府は再処理にこだわるのでしょう?

 

歴史先生:原発を動かすにはウランやプルトニウムが必要です。しかしこれらは輸入に頼っています。とすると、一度使った燃料を再処理して繰り返し使えるようにすることは、資源のない日本のエネルギー安全保障につながるからです。

 

ゴースト(インゲス・イデー)

 

歴史先生:話がそれましたが、美術館の建設や美術品の収集にかかったお金の話でしたね。

 

マナブ:ということは、六ケ所村に再処理施設を作らせてもらう代わりに、国は青森県に多額のお金を払った?

 

歴史先生:はい。「電源三法交付金」、というのですが、原発に限らず火力・水力も含めて発電所などの施設を建設する場合、地元には様々な負担や危険を抱えてもらいますが、その恩恵を受けるのは大都市です。ということで、発電設備を建設する地方自治体に国がお金を交付して、そのバランスを取るのです。

 

マナブ:なるほど、その交付金が青森県に支払われて、それが十和田市にも下りてきて、「Arts Towada」というプロジェクトの資金になったわけですね。

 

歴史先生:そうなんです。単に「アートがすてき」というだけではなくて、その背景にある近代史・現代史もぜひ知っておいていただきたいと思います。

 

マナブ:わかりました。

 

 

歴史先生:もう少し官庁街通りを東に進むと、「月がとっても青いから」の歌碑があります。

 

マナブ:あ、懐メロで聞いたことがあります。とても印象的な歌ですよね。

 

歴史先生:1955年(昭和30年)の歌です。歌っていたのは菅原都々子さん。作曲したのは陸奥明さん。

 

マナブ:ん? 陸奥明さんって、青森県と関係してそうな名前。陸奥、というのは芸名ですよね?

 

歴史先生:本名は菅原陸奥人。

 

マナブ:本名も芸名みたい(笑)。

 

歴史先生:菅原都々子さんの実のお父さんです。陸奥明さん、菅原都々子さんは十和田市の出身ということで、ここに歌碑があるようです。

 

「月がとっても青いから」はこちらから聞けます。

(Youtube、TEICHIKU RECORDS)

https://www.youtube.com/watch?v=J6p3StoY-Mg 

 

マナブ:聴いてみよう。

 

歴史先生:さて、今日はここまで新郷、十和田と訪れましたが、いかがでしたか?

 

マナブ:新郷村、おもしろかった。まさか日本でキリストの墓に行けるなんて、思ってもいませんでした。それから十和田。ここは街を歩いていると、アメリカの中西部にできた町みたい。ここもまた、開拓の歴史のある街なんですね。

 

歴史先生:まさにそうですね。

 

マナブ:たくさん歩いたら、おなか空いてきました。

 

歴史先生:もう少し歩くと、十和田バラ焼きの発祥の店があります。行ってみましょうか。

 

マナブ:いいですね。行きましょう。

 

<おすすめのレストラン>

大昌園

 

 

 

十和田のB級グルメとして最近有名になっているのが「十和田バラ焼き」。市内でも提供する店は多いが、中でも「大昌園」は十和田バラ焼き発祥の店と言われている。


大昌園

〒034-0011 青森県十和田市稲生町16−8

https://aomori-food.com/daishouen-251023/ 

 

実際に行ってみた

 

・訪れたのは平日の17時ごろ。夕飯にはまだ早い時間帯のため、お客様はまばら。人気店なので昼時や夕飯時は混みあいそう。

・官庁街通りの延長上、「大学通り」という通り沿い。大学通りを西側からアクセスすると、店の手前(西側)に5~6台程度の駐車スペースがあり、「大昌園」と書かれた枠に停めた。

・店内はややレトロでカジュアルな雰囲気の焼肉店。十和田バラ焼き専門店ではなく、焼肉店が考案したメニューの1つという位置づけだ。

・11~15時は「バラ焼きセット」(ごはん、みそ汁、小鉢付)990円というとてもリーズナブルなセットがある。

・注文してしばらくするとテーブルに置かれた鉄板の上に具材を乗せ、焼き方を指導してくれる。テーブルには美味しい焼き方のメモもあるので、それを見ながら自分で焼く。

 

十和田バラ焼き

 

大ライスと白菜キムチを別途オーダーした

 

・焼き始めるといいにおいが漂う。玉ねぎがしんなりしてあめ色になったら出来上がり。

・店独自の浸けダレの味が染みた牛バラ肉がうまい。玉ねぎの甘さとあいまって、ごはんが限りなく進む。

・午後の間、休憩なしに営業されているので、混雑していない早めの夕飯もおススメだ。

 

<おすすめのホテル>

天然温泉掛け流しの宿 ホテルポニー温泉

 

十和田市の中心部には、大手のビジネスホテルチェーンが数軒ある。もちろんこれらに泊まるのも良いが、ローカル色のある宿としてポニー温泉を推したい。

 

ホテル ポニー温泉の外観

 


選んだ理由

 

・立地:十和田市の中心部から西へ車で5分ほど。翌朝に奥入瀬渓流へ行く予定だったので、ちょうどその方角にあって効率的。

・施設:ゆったりとした大浴場、露天風呂が魅力。

・価格:非常にリーズナブル。

 

実際に泊まった感想

 

・立地:国道102号線沿いで、車で行くとわかりやすい。すぐ手前にミニストップ、少し走った先にローソンがあり、便利。

・施設:地元の人たちが利用する日帰り温泉施設でもあり、そのための大浴場と、宿泊客専用の浴場+露天風呂の2種類が楽しめた。

・部屋はシンプルで、必要なものはそろっている。

 

客室

 

ホテルロビー

 

​歴史好きのための観光ガイド
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