
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
巨大な猪苗代湖誕生の陰には壮大な大地のドラマがあった
「天鏡閣」を建てた有栖川宮家とは?
1歳半で大やけど。ハンデを負った野口英世のその後の人生とは?
巨大な猪苗代湖誕生の陰には壮大な大地のドラマがあった

猪苗代湖の遊覧船


マナブ:今日は会津若松の東にある、猪苗代湖の湖畔にある「長浜(地図 ❶)」というところに来ています。いやー、それにしても猪苗代湖、大きいですね。
歴史先生:ここは日本で4番目に大きな湖です。
マナブ:4番目というと、1番は琵琶湖。2番、3番は、うーん、どこだろう? たしか霞ヶ浦って、結構大きかったような。
歴史先生:正解です。2番目は霞ヶ浦。3番目はちょっと難しいと思いますが、北海道のサロマ湖です。
マナブ:あ、そこは想像になかった。
歴史先生:この大きな湖、どうやってできたと思います?
マナブ:たしか、火山の噴火で堰き止められた、という話でしたよね?
歴史先生:はい、ではこの場所でそれを見てみましょう。


湖の向こうに見える山々が「川桁山地」
歴史先生:ここ長浜は猪苗代湖の北西の湖岸になります。対岸に見えている山々が川桁(かわげた)山地。ここは比較的まっすぐに山々が連なっています。
マナブ:ということは断層?
歴史先生:そのとおり。「川桁断層」という大断層が猪苗代湖の東側を、縦(南北)に走っています。一方西側はというと、同じように縦に「脊炙山断層」というのが走っています。
マナブ:なるほど。地形図で見るとよくわかります。
歴史先生:これらの断層がずれて、2つの断層の外側が上に隆起し、2つの断層に挟まれた部分が沈下してできたのが猪苗代盆地です。以前はここに湖はなく、会津盆地のような感じの土地でした。
マナブ:それがどうして湖になったか、ということですね?
歴史先生:はい。約5万年前といいますから地球の歴史からするとごく最近ですが、磐梯山が大規模な「山体崩壊」を起こします。その際、山が崩れて岩なだれが起き、「流れ山」という小島のような地形を無数に作りました。

長浜近くの湖岸の様子
マナブ:ということは、今私たちの背後にある小高い丘のような地形は、磐梯山が崩れて土砂が流れて来たもの。
歴史先生:はい、そうなんです。それによって、猪苗代盆地から会津盆地へと流れ出ていた河川が閉じ込められ、水がたまったのが猪苗代湖だと考えられています。
マナブ:でも、待ってください。郡山から会津若松へ来るとき電車から磐梯山を見ましたが、富士山のようなきれいな形をしていました。大規模に崩壊したなら、もっとえぐられたような形になっているはずですが。
歴史先生:いいポイントですね。今の磐梯山というのは、とても若い山。5万年前に山体崩壊した古い磐梯山のカルデラの中に新しい火山ができて、それがどんどん成長して1~2万年前ごろにはきれいな形の成層火山になったのが、今私たちが見ることのできる磐梯山なんです。
マナブ:なるほど、そうなんだ。壮大なスケールの大地のドラマですね。
歴史先生:実は磐梯山はその後もう一度、山体崩壊を起こします。その話はまた、裏磐梯に行ったときにしましょう。

長浜
マナブ:ここ長浜には広い駐車場がありますね。遊覧船も出ているし、長浜という名前の通り、ビーチもある。夏は海水浴客でにぎわうんじゃないですか?
歴史先生:はい、そうなんです。ただし「湖水浴」ですが。
マナブ:あ、そうか(笑)。
「天鏡閣」を建てた有栖川宮家とは?

天鏡閣の駐車場

マナブ:長浜の駐車場の向かいにある斜めの山道を登ると、1分もかからずに天鏡閣(地図 ❷)の駐車場に着きました。ここはどういう場所なんですか?
歴史先生:天鏡閣は皇族ゆかりの別邸です。詳しくは建物を見ながらお話ししましょう。
天鏡閣(地図 ❷)
〒969-3285 福島県耶麻郡猪苗代町翁沢御殿山1048
入館料370円(高校生以下、団体割引あり)
5~10月 8:30~17:00(最終入館16:30)
11~4月 9:00~16:30(最終入館16:00)、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
https://www.tif.ne.jp/tenkyokaku/

表門(国指定重要文化財)

秋には紅葉が美しい(写真は11月下旬の様子)
マナブ:駐車場から坂を上るとすぐ、レンガ造りの立派な門が現れました。
歴史先生:ここが表門。国指定重要文化財になっています。お手洗いは門を入ってすぐ右。館内にはないのでここで済ませておくのが良いでしょう。

天鏡閣 本館(国指定重要文化財)
マナブ:門を入って歩くとすぐに素敵な建物が目に飛び込んできます。
歴史先生:ここが車寄せと玄関なのですが、観光客はここからではなく、建物の左側の入口から入ります。

天鏡閣の入口。中にはカフェも営業している。
歴史先生:まずは建物の中を見て、そのあと外をぐるっと一周して外観を見ましょう。

食堂
歴史先生:1階にはメインの部屋が南側に3つ並んでいます。1つ目はこちら、食堂になります。
マナブ:上品な、格式を感じる部屋ですね。
歴史先生:イギリスで17世紀に流行したジャコビアン様式を取り入れています。
マナブ:ここで皇族方は上品にお食事されたんでしょうね。

客間
歴史先生:建物の中央にあるのが客間。
マナブ:こちらは明るくて、かわいらしい感じもします。
歴史先生:この部屋はフランスのロココ調が取り入れられていて、渦巻きや花の模様などの曲線が使われています。華麗なシャンデリアも見どころです。ただしフランスのコピーではなく、蒔絵や螺鈿といった日本の技もそこに加えられていて、これらは明治の皇族関連の建物で流行したスタイルです。

球戯室
歴史先生:3つ目のお部屋は球戯室。
マナブ:ビリヤード台が置かれていますね。
歴史先生:こちらはアメリカ製。オリジナルの物は失われてしまいましたが、横浜の三渓園で有名な原三渓氏から寄贈されたものです。
マナブ:ビリヤード台の上の照明がちょっと変わったデザインです。
歴史先生:そうですね。球の影ができないように特別に作られた照明器具で、こちらは後世になって復元されたものです。

2階から見える外の景色が美しい
マナブ:皇族の別邸というお話でしたが、どなたの別邸なんでしょう?
歴史先生:有栖川宮威仁親王(ありすがわのみや たけひと しんのう)の別邸です。
マナブ:有栖川宮というお名前はよく聞きますが、天皇家とはどういう関係なんですか?
歴史先生:まずは「宮家」というものを理解する必要があります。歴史と共に変わってきていますので正確な説明をするととんでもなく長くなるのですが、要は天皇家の親戚筋。
マナブ:今だと秋篠宮は天皇の兄弟。
歴史先生:そう。常陸宮は上皇の兄弟。秩父宮・高松宮・三笠宮は昭和天皇の兄弟。そんな感じです。さて、室町時代から江戸時代にかけて、4つの宮家が定義され、四親王家と言われました。伏見宮、桂宮、閑院(かんいん)宮、そして有栖川宮、です。
マナブ:有栖川宮がここで出てきましたね。
歴史先生:有栖川宮家は江戸時代初期の1625年に後陽成天皇の第7皇子が創設された宮家です。四親王家は天皇家の血筋が途絶えることがないようにその備えとして作られましたから、天皇の後継者がいない時には皇位継承の候補になっていました。
マナブ:実際に皇位継承したケースもあるんですか?
歴史先生:数は少ないのですが、1428年に伏見宮から後花園天皇、1654年には有栖川宮から後西天皇、1780年には閑院宮から光格天皇が出ています。ところで、宮家の場合、世継ぎの男子がいなければそこで断絶することがルールです。そのため今では四親王家すべて、断絶しています。
マナブ:厳格なルールなんですね。
歴史先生:一度だけ、明治時代に有栖川宮が断絶になりそうだった時、当時の総理大臣伊藤博文の超法規的措置によって昭和天皇の弟が有栖川宮を継承したことがあります。その際、有栖川宮の旧称である高松宮を名乗りました。
マナブ:では高松宮という名前で現在も続いている?
歴史先生:いえ、2004年にここも断絶しています。
マナブ:あら。現実は厳しい。
歴史先生:ところで、有栖川宮の親王の中で歴史によく登場するのが有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)です。
マナブ:どこかで名前を見たことがあるような・・・。
歴史先生:幕末の時代、皇女和宮降嫁ということがありました。これは公武合体を模索する岩倉具視らが、孝明天皇の妹、和宮を徳川第14代将軍家茂に嫁がせた出来事です。1862年のことでした。
マナブ:ふむふむ。
歴史先生:その時、和宮の婚約者だったのが有栖川宮熾仁親王。親王は戊辰戦争の際には東征大総督として江戸へ攻め上る西軍の総大将を務めました。
マナブ:婚約者を取られた復讐?
歴史先生:たしかに有栖川宮熾仁親王は和宮の初恋の相手で、降嫁の際には有栖川宮熾仁親王がとても惜しんだというような話も伝わっていますから、江戸幕府への良い感情は持たれていなかったかもしれません。

2階の御座所(書斎)には有栖川宮威仁親王の大理石の胸像が飾られている
歴史先生:で、この別邸を建てた有栖川宮威仁(たけひと)親王ですが、有栖川宮熾仁(たるひと)親王の弟にあたります。
マナブ:ようやく答えにたどり着きました。有栖川宮威仁(たけひと)親王というのはどういう方だったんでしょう?
歴史先生:熾仁(たるひと)親王に継嗣が生まれなかったため有栖川宮の10代目の当主になり、英国へ留学して海軍の知識を身に着け、帰国後は連合艦隊旗艦「松島」の艦長になるなど、海軍軍人として任務を果たしました。
マナブ:今では考えられませんが、戦前までは皇族が軍隊の要職を担っていたんですよね。
歴史先生:はい、そうです。しかし有栖川宮威仁親王はその在任中、実際の戦闘に参加することはなかったようです。生来体が弱く病気がちで、1913年、51歳で亡くなりました。
マナブ:そうでしたか。
歴史先生:後継者がいなかったため有栖川宮家はこれで断絶するはずでしたが、先ほどお話ししたように高松宮として継承されることになります。
マナブ:なるほど。

特徴的な八角形の塔屋の内部

南側より建物を見る
マナブ:では、外へ出てみましょう。
歴史先生:南側へ回り込みます。
マナブ:うわぁー、素敵な外観ですね。屋根やバルコニーなど、とても変化に富んだ形をしています。
歴史先生:ルネッサンス様式が基調になっている、木造2階建て。八角形の塔屋がその上に乗っています。
マナブ:これは絵になりますね。
歴史先生:実際、映画やドラマで多数使用されています。印象的だったのは2020年公開の「約束のネバーランド」でしょうか。
マナブ:あ、それ観ました。北川景子さんとか渡辺直美さんとかが出ていましたね。そうか、幸せいっぱい、夢のような建物にみんなが暮らしていましたが、あの建物はここだったんだ。

映画「約束のネバーランド」にはこの庭がよく登場した
歴史先生:さて天鏡閣ですが、1907年(明治40年)に有栖川宮威仁親王が東北旅行をされた際、猪苗代湖の風光の美しさに感動され、福島県知事の勧めもあってここに別邸を建てられることになり、すぐに建築に取り掛かって翌年1908年(明治41年)の春に竣工しました。
マナブ:話が早いですね(笑)。
歴史先生:その年の夏、まだ皇太子だった大正天皇が5日間滞在されています。その際、李白の詩の一文である「明湖落天鏡」から名前を取って天鏡閣と名付けられました。
マナブ:大正天皇とは親しかったんでしょうか?
歴史先生:有栖川宮威仁親王は大正天皇の教育係を務められていたんだそうです。

昭和天皇が詠まれた歌
歴史先生:1924年(大正13年)には当時皇太子だった昭和天皇が新婚旅行でここを訪れられ、8月5日から8月30日までの間、滞在されました。
マナブ:それは思い出の地になりますね。
歴史先生:1961年(昭和36年)、再びここを訪れられた際に詠まれたのが写真にある歌です。
マナブ:天皇陛下の若き日へのなつかしさの想いが伝わってきます。
1歳半で大やけど。ハンデを負った野口英世のその後の人生とは?

野口英世の生家

マナブ:天鏡閣から車で7~8分ほど、野口英世記念館(地図 ❸)に来ています。
野口英世記念館(地図 ❸)
〒969-3284 福島県耶麻郡猪苗代町三ツ和前田81
入館料1,200円(中学生以下、団体割引あり)
4~10月 9:00~17:30(最終入館17:00)
11~3月 9:00~16:30(最終入館16:00)、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
http://www.noguchihideyo.or.jp/
マナブ:ここはずいぶんと立派な建物ですね。
歴史先生:2階建てで、2階部分が野口英世の生家を覆うように屋根代わりになっています。1階は受付やショップで、展示はほとんど2階にあります。
マナブ:野口英世といえば前の千円札の肖像でしたが、何をした人でしたっけ?
歴史先生:明治から昭和初期に生きた人で、細菌学者として当時世界的な評価を受けています。特に梅毒、黄熱病に関する研究で成果を上げました。
マナブ:そういえば黄熱病を研究してアフリカだったかな(?)に行っていたというのを聞いたことがあります。
歴史先生:そうですね、黄熱病が流行していたのは主に中南米だったのですが、そこで研究をおこないました。不幸なことに自身も黄熱病に感染してしまい、51歳で亡くなってしまいます。研究の成果もさることながら、それに命を捧げた生き方自体も偉人として後世に語り継がれている要因ですね。
マナブ:2階フロアを見ています。野口英世の生涯と業績、それから感染症に関する展示が豊富にあります。

野口英世が大やけどを負ってしまった囲炉裏
マナブ:1階に下りて、野口英世の生家を見学しています。あ、危ない。小さい子が囲炉裏に近づいています。
歴史先生:これが大やけどを負ってしまった囲炉裏です。お母さんが農作業に出ている間に囲炉裏に左手を突っ込んでしまったんです。まだ1歳半くらいでした。
マナブ:その時はどうしたんでしょう?
歴史先生:貧しい家でしたからお医者さんを呼ぶこともできず、すりおろしたジャガイモなどの民間療法で手当てしましたが、左手の指がくっついてしまい、握りこぶしの状態になるという障害が残りました。
マナブ:農家の子としては大きなハンデになりますね。
歴史先生:そうなんです。その手では鍬を持って農作業をすることができない。周囲の子供たちからは、イジメにもあいました。でも野口英世はその思いを勉強にぶつけ、猛勉強するんですね。
マナブ:会津若松で彼の手術をした医院に行きましたね。そこでさらに勉強して医学を学んだ。
歴史先生:はい。こうして野口英世は医学の研究者として生きたんです。
マナブ:まさに偉人としてのストーリーに満ちた人です。

道の駅 猪苗代
マナブ:さて、近くの道の駅に寄りました。ずいぶんと広い道の駅ですね。
歴史先生:はい。「道の駅 猪苗代」(地図 ❹)。
道の駅 猪苗代(地図 ❹)
〒969-3132 福島県耶麻郡猪苗代町堅田五百苅1
9:00~18:00、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
http://www.michinoeki-inawashiro.co.jp/
マナブ:喜多方ラーメンやソースカツ丼などご当地グルメもあって、うれしいですね。
歴史先生:ここは磐梯山の麓。正面から磐梯山の秀麗な姿を見ることもできますよ。
マナブ:野口英世もこの磐梯山を見ながら育ったんですね。

道の駅からは磐梯山が正面に見える
