兼六園のはじまり:「瓢池」と「碧滝」
アンバランスさが美しい、兼六園のシンボル「徽軫(ことじ)灯籠」
兼六園最大の謎:丘の上なのになぜこんなに豊かな水が流れているの?
前田家の奥方のための豪華な御殿と、SNS映えする古社
加賀百万石の「粋(イキ)」を残す2つの茶屋街
兼六園のはじまり:「瓢池」と「碧滝」

兼六園 桂坂口

実線:バスルート
点線:徒歩ルート
兼六園 (地図 ❻)
〒920-0936 石川県金沢市兼六町1
入園料 320円 (小人・団体割 引あり)
7:00~18:00(最終入園17:30)(3/1~10/15)
8:00~17:00(最終入園16:30)(10/16~2/末日)
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
https://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen/
マナブ:さて、かつての百間堀にかかる橋を渡って、いよいよ兼六園です。
歴史先生:「特別名勝」と書かれていますが、覚えていますか?
マナブ:もちろん。庭園の国宝みたいなものですよね? 日本3名園のうち、後楽園と兼六園が指定されていて、他には東京の浜離宮とか小石川後楽園とか。高松の栗林公園なんかもそうですよね。
歴史先生:数ある日本庭園のうちでも本当にトップのごく少数の貴重な庭、です。
マナブ:ますます楽しみです。

いたるところに苔のじゅうたんが広がる

歴史先生:では桂坂口(案内図 ❶)から歩き始めましょう。
マナブ:さっき金沢城から眺めた通り、木が多い。そして木陰には苔のじゅうたんが広がっています。雨に濡 れて緑がまぶしい。
歴史先生:庭園に入って右側の坂を下りていきます。
マナブ:結構下っていきますね。

日本最古と言われる噴水
歴史先生:左側に噴水(案内図 ❷)があります。この噴水、動力は何だと思いますか?
マナブ:え? 電気じゃなくて?
歴史先生:実は上の池からの3.5mほどの標高差を使って噴き上げさせています。この噴水は19世紀中ごろに作られた、日本最古と言われるものなんです。
マナブ:へぇー。何の変哲もない小さな噴水だと思っていましたけど、実は貴重なものだったんですね。

瓢池に降りる道の脇には勢いよく水が流れている
歴史先生:ではさらに下って、瓢池(ひさごいけ)・翠滝(みどりたき)(案内図 ❸)へ行きましょう。

マナブ:水が大きな音を立てて勢いよく流れています。
歴史先生:この水が注いでいるのが瓢池です。

瓢池と翠滝(左奥)
マナブ:これは日本庭園らしい、凝った形の池ですね。印象的な塔が池の中の島に立っていて、奥ではごうごうと激しい音を立てて滝が落ちている。
歴史先生:ちょうどひょうたんのような形をしているので、瓢池という名前になりました。石の塔は「海石塔(かいせきとう)」と呼ばれていて、一説には加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰ったものだとか。翠滝は高さ6.6m、幅1.6mの大きさで水量も多く、普通の日本庭園ではあまり見られないほどの迫力です。兼六園というと、上にある霞ヶ池が有名ですが、兼六園の最初の作庭はここから始まったんです。
マナブ:うん、ここだけでも庭園としてとても魅力的ですよ。
歴史先生:作庭を始めたのは第5代前田綱紀ですので、いわゆる前田3代の時代にはまだ庭園はありませんでした。その後、各藩主が庭園の改修に関わり、中でも第13代斉泰が大幅な改修を行って現在のような形になりました。
アンバランスさが美しい、兼六園のシンボル「徽軫(ことじ)灯籠」

庭園内は緑豊かな森が広がる
歴史先生:では再び坂を上っていきましょう。
マナブ:ほんとにどこを見ても緑がきれい。雨の日も捨てたもんじゃないですね。

徽軫灯籠と霞ヶ池

歴史先生:さて、やって来ました。徽軫灯籠(ことじとうろう、案内図 ❹)。
マナブ:兼六園といえばやっぱりこの写真、ですよね?
歴史先生:どのポスターやガイドブックをみてもここからの角度の写真が使われていますよね。

徽軫灯籠
歴史先生:ところで「徽軫(ことじ)」というのは「琴柱」とも書くのですが、琴の弦を浮かせるために立てる足のようなものを指します。ちょうどこの灯籠の形がそれに似ているので名付けられました。

片方の足は石の上に立っている
マナブ:片方の足が短い?
歴史先生:片方は石の上に立っています。
マナブ:なんだか、この微妙なアンバランス感が何とも言えず美しいように感じます。
歴史先生:昔の人もその効果を狙ったのかもしれませんね。
兼六園最大の謎:丘の上なのになぜこんなに豊かな水が流れているの?

眺望台

霞ヶ池

歴史先生:徽軫灯籠のすぐそばには「眺望台」(案内図 ❺)があって、丘の東側を見渡せます。天気の良い日は白山山系も見られます。
マナブ:うーん、なんだかさっきから強烈な違和感がします。
歴史先生:何でしょう?
マナブ:ここって、台地の上ですよね? 眺望台からは下が見えてて、結構な高さがあります。でも振り返ると台地の上にはなみなみと水を湛える霞ヶ池。どう考えてもありえない地形じゃないですか? 江戸の大名庭園をみても、池を造るのは谷戸とか、崖の下の水が出やすい低いところばかりでした。
歴史先生:実にいいところに気が付いてくれました。私はそこが兼六園の一番すごいところだと思ってるんです。
マナブ:すごいところって?

歴史先生:答えは「辰巳用水」。犀川の11㎞の上流の所から水を引き入れて、そこからわずかな傾斜を生かして兼六園に水を引いてきているんです。
マナブ:それはすごい。
歴史先生:さらにですよ、金沢城にも水を供給しています。
マナブ:え? でも兼六園と金沢城の間には深い谷があります。
歴史先生:あそこでは一旦低いところまで水を下げて、地下を通して二の丸に逆サイフォンの原理を使って再び持ち上げてるんです。
マナブ:すごい技術だ。
歴史先生:それだけの土木工事を行う技術と財力を持っていたなんて、すごいことじゃないですか?
マナブ:さすが加賀百万石! 実に贅沢な作りです。

唐崎の松
歴史先生:霞ヶ池のほとりに、実に枝ぶりのいい松の木があります。
マナブ:立派な松ですね。
歴史先生:第13代藩主、前田斉泰(なりやす)が近江の唐崎の松からタネを取り寄せて、ここに植えたものだそうです。
マナブ:あ、近江八景の唐崎の松。覚えていますよ。琵琶湖畔に神社があって、実に立派な松がありました。
歴史先生:冬になるとここに雪吊りが架けられて、それもまた兼六園らしい風景になります。

明治紀念之標・日本武尊銅像

明治紀念之標の脇にある松

マナブ:古そうな銅像が立っています。
歴史先生:これは「明治紀念之標」(案内 図 ❼)と呼ばれ、1880年(明治13年)に西南戦争で戦死した郷土の軍人の霊を慰めるためにたてられたもの。銅像の主は日本武尊で、日本で最古の銅像と言われています。
マナブ:最古の噴水に続いて、今度は最古の銅像ですか。隣にある松の木もすごく立派だ。
歴史先生:左右の松の木は東西本願寺から移されたものなんだそうです。

根上松

根がせり上がっている様子
歴史先生:あの高い巨大な松の木を見てください。ちょっと変わっていませんか?
マナブ:ん? なんだろう? あ、根っこが浮き上がってることかな?
歴史先生:そうです。これは根上松(ねあがりのまつ、案内図 ❽)。第13代斉泰が土を盛って松を植え、その後盛り土を取り除いたことでこのような形になったそうです。およそ40本もの根っこが高さ2mまでせり上がっているように見える奇観ですね。
マナブ:先ほどの唐崎の松といい、斉泰さんはずいぶんこの庭で遊んでいますね。


鶺鴒島
歴史先生:川のような流れの中に、鳥居が建っている島がありますね。これを鶺鴒島(せきれいじま、案内図 ❾)と言い、人の一生を表しています。
マナブ:「せきれい」というと、鳥の?
歴史先生:はい、鳥のセキレイです。
マナブ:人の一生と関係あるんですか?
歴史先生:はい。神話の昔、イザナギとイザナミは神が生んだ最初の夫婦でしたよね?
マナブ:はい。
歴史先生:でも彼らは夫婦和合の仕方を知らず、困っていました。
マナブ:きれいなことばの表現(笑)。
歴史先生:でもある日、鳥のセキレイを見てその仕方を学んだことから、子孫である神々を生み出します。ということでセキレイは夫婦円満や子孫繁栄の鳥、ということになりました。
マナブ:えーっと(苦笑)、小さな鳥から実際にどう学んだのか想像しにくいのですが、まぁ、いいでしょう。
歴史先生:たしかに(苦笑)。で、この鶺鴒島には正面入口に鳥居を建て、陰陽石(誕生)、相生の松(結婚)、五重の石塔(死)という人生の3儀式を表しています。
マナブ:人生って、生まれて、結婚して、死ぬのが3大イベントなんですね。

山崎山の洞窟から勢いよく水が流れている
マナブ:このあたりの流れは川のようですね。あの洞窟から水がどんどん流れ出ています。
歴史先生:山崎山と言う、兼六園の入口に築かれた大きな築山に穴を開けて、そこを通して園内に水を引いています。
マナブ:わざわざそんなことをするなんて、凝った造りですね。
歴史先生:山の向こう側へ行ってみましょう。

辰巳用水

マナブ:これが辰巳用水(案内図 ❿)ですか。
歴史先生:はい。兼六園の入口のところで一旦池に溜めて、そこから山崎山のトンネルをくぐって園内に水を流しています。
マナブ:この水が霞ヶ池にたまって、そして瓢池のところの翠滝になって落ちていた。
歴史先生:はい。さらには金沢城の中への水を供給しているわけです。
マナブ:すごい。とっても贅沢な造りになっていますね。さすが加賀百万石、です。
歴史先生:さて、兼六園を一通り見ていただいた後で、その名前の由来についてお話ししましょう。兼六園という名前は「6つを兼ねている庭園」ということですよね。ではその6つとは何か?
マナブ:何でしょう?
歴史先生:中国の宋の時代に書かれた洛陽の名園についての解説書「洛陽名園記」の中で、「湖園」という庭園について、以下のような一節があります。
洛人の云う、園圃の勝、相い兼ねるあたわざるは六。
「宏大」を務むるは「幽邃」少なし、
「人力」勝れるは「蒼古」少なし、
「水泉」多きは「眺望」艱し。
この六を兼ねるは、ただ湖園のみ。
「宏大」とは広大なこと。広大であると「幽邃」すなわち奥深い幽玄な感じはなくなる。
「人力」すなわち人工的な庭は、「蒼古」すなわち古びた趣がない。
「水泉」すなわち池や滝などがたくさんある庭は「眺望」を得るのは難しい。
確かにその通りですが、兼六園はまさにこの6つを兼ね備えていると思いませんか?
マナブ:たしかに。広いのに森のような深さがあって、人工的なのに古い趣があって、池や滝があるのに丘の上で眺望もいい。これはなかなか他にはない庭園ですね。名前の由来、納得です。
前田家の奥方のための豪華な御殿と、SNS映えする古社

成巽閣の入口

成巽閣(地図 ❼)
〒920-0936 石川県金沢市兼六町1−2
入場料700円(高校生以下・障碍者・団体割引あり。特別展の時は別料金)
9:00~17:00、水曜休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
歴史先生:では兼六園を小立野口から一旦外へ出て、成巽閣(せ いそんかく、地図 ❼)へ参りましょう。ここも元々は兼六園の内部と言えます。
マナブ:ここは何の建物ですか?
歴史先生:ここは前田家の藩主の奥方のための御殿です。ところで前田家の奥方といえば誰を思い浮かべますか?
マナブ:前田利家の奥さんの「まつ」さんですかね。NHKの大河ドラマにもなっていました。
歴史先生:そうですよね。まつさんは当時はまだ尾張の小大名だった織田家の家来の家に生まれた娘で、同じく織田家の家来の前田利家と結婚しました。しかしその後、織田信長が天下を取り、本能寺で亡くなり、秀吉・家康へと大きく時代が動きました。そのような難しい時代の中で、前田家は奥方選びにも生き残りをかけなければいけません。
マナブ:そうですよね。たしかさっきの話では第2代利長の奥さんは信長の娘。
歴史先生:はい。そして弟の利政には蒲生氏郷の娘をもらい、織田家中での地位を固めます。やがて家康の時代になり、3代利常の奥さんは秀忠の娘。4代光高には家光の娘(水戸家からの養女)、5代綱紀には保科正之(家光の子)の娘と、徳川幕府との縁を代々深めていきました。
マナブ:そうやって江戸時代における前田家の地位を安定させていったんですね。
歴史先生:はい、そうなんです。さらに利常の娘である富を八条宮智忠親王に嫁がせ、皇族との関係も深めていきます。それを機に京都の文化人たち(本阿弥光悦、俵屋宗達ら)との交流も盛んとなり、利常はここ加賀の地に京都にも負けない文化・美術の華を咲かせたのでした。
マナブ:なるほど。
歴史先生:代々前田家には御細工所と呼ばれた工房があり、これまでの武具の修理の技術を生かして陶芸、漆や蒔絵、着物などの技術や芸術を高めていきました。
マナブ:今の金沢の観光人気は利常の政策が元になっているんですね。

成巽閣(国指定重要文化財)の玄関
歴史先生:さて、成巽閣は奥方の御殿と言いましたが、兼六園の中には殿様の御殿も以前はあったんです。
マナブ:今はありませんね。これも火事で焼失したんですか?
歴史先 生:いえ。竹沢御殿と言われる4千坪、200室の大御殿を兼六園の中心に建てたのは12代斉広。1822年に完成して12代斉広が隠居所として使い始めました。しかしその2年後12代斉広が亡くなると、その息子である13代斉泰は建物を撤去し、その場所を庭園にします。
マナブ:えっ、そうなんですか。
歴史先生:13代斉泰は竹沢御殿の池を大幅に拡張し、今の霞ヶ池にしました。その時に掘り返した土で栄螺山(さざえやま)ができました。
マナブ:斉泰さんといえば、先ほど唐崎の松とか根上松とかの人ですよね? 庭園好きだったのかな?
歴史先生:恐らくそうなんでしょう。今の兼六園の形の基本は13代斉泰が作ったと言えるかと思います。で、この成巽閣ですが、13代斉泰が、その生母である真龍院のために建てたものです。そのころは巽御殿と呼ばれていました。
マナブ:生母ということは、12代斉広の正室?
歴史先生:はい、そうです。
マナブ:ということは13代斉泰はお父さんの隠居所を壊して、お母さんの隠居所を建てた。
歴史先生:そういうことになりますね。その時、竹沢御殿の一部(謁見の間、鮎の廊下)を移築しました。巽御殿は大名の正室の御殿としては国内で現存する唯一の遺構とされ、国指定重要文化財になっています。
マナブ:では成巽閣の中へ入ります。建物の内部がとても美しいのですが、写真撮影禁止とのこと(庭園のみOK)。さっきの武家屋敷・野村家は写真撮影やSNS投稿がすべてOKで人気になっていましたが、こちらの建物や庭園はそれよりもはるかに格上。それなのに写真撮影禁止で広く 知られていない。お客さんもほとんど入っていません。もったいないというか、少し考えてもらえないですかね?
歴史先生:ほんと、そう思います。文化財を一律写真撮影禁止にするのは、いまどきナンセンスだと思いますね。野村家にいた欧米の人たちにも、むしろこっちを見てほしい。
マナブ:同感です。それによって入場者が増え、より多くの人が文化財に触れることができ、維持管理のための収入も得られる。いいことばかりだと思うのですが。それに明治になって「成巽閣(せいそんかく)」という読みづらい名前に変えたようですが、何の建物だか全くわからない。元々の「巽御殿(たつみごてん)」のほうが、いいですよね?
歴史先生:たしかに、その名前のほうが行ってみたくなります。それから、巽御殿は元々は兼六園と続く建物で、お母さんはこの御殿から兼六園に出て、庭を楽しまれていました。今は一旦兼六園の入口の門の外に出て、しばらく道路を歩いてから入り直すのですが、何で兼六園から直接入れないようにしたんだろう? 管理する組織が別だ からという理由のようですが、庭園からの入口があって「ここから別料金です」となっていたほうがはるかに人が入ると思いますが。
マナブ:いろいろと大人の事情があるのかも? ちょっと苦言ばかりになって申し訳ないけど、せっかくの素晴らしい文化財なので、こんなに誰もいないのはもったいない気がします。

つくしの縁庭園
歴史先生:そうですね。では写真を撮ってもいい庭園から見ていきましょう。 これは「つくしの縁庭園」。ここは柱が一本もない広縁からパノラマのように眺められる、すてきなお庭です。
マナブ:いいですね。
歴史先生:建物の内部を見ていきましょう。絶対に見逃せないのが「謁見の間」。
マナブ:さっき話に出てきましたね。竹沢御殿から移築したもの?
歴史先生:そうです。ここは前田家の公式のご対面所。華麗な極彩色の花鳥の細工が施された欄間を境にして、上段には輸入されたじゅうたんが敷かれ、付書院と折上格天井、花鳥の絵や金箔の使用など、すべてに最高級のしつらえがされた空間。
マナブ:しばらくここに佇(たたず)んで眺めていましたが、本当にため息が出るようなお部屋ですね。入場料が700円と少し高いですが、ここは見に来る価値があります。

金澤神社
金澤神社 (地図 ❽)
〒920-0936 石川県金沢市兼六町1−3
境内自由
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
マナブ:成巽閣のとなりにある金澤神社へ来ました。
歴史先生:ここは1794年に第11代前田治脩(はるなが)が兼六園の中に藩校を建てた際、大宰府から天満宮を勧請したものです。境内の中に 金城霊澤と呼ばれる泉があって、ここがどんな時にも枯れないということから、神社の名前になりました。
マナブ:それが金沢という町の名前の由来?
歴史先生:はい、そうなんです。

金澤神社
歴史先生:菅原道真公のほかに金運・厄除けの白蛇竜神が祀られています。ここは1874年(明治7年)に兼六園が一般公開されるまでは、春秋の例祭のときだけにしかお参りができなかったそうです。
マナブ:学問もお金も厄除けも、というご利益がセットになった神社ですね。

兼六園の脇の坂を下る
歴史先生:金澤神社を出て、兼六園の脇の道を下っていきます。
マナブ:結構な下り坂ですね。あらためて兼六園は丘の上にあるんだなということが感じられます。

鳥居の続く坂道を下る
マナブ:途中から脇道に入ると、鳥居が続く坂道になっていて、石浦神社へと続きます。
石浦神社(地図 ❾)
〒920-0964 石川県金沢市本多町3丁目1−30
境内自由
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

思わず写真を撮りたくなる鳥居の参道
歴史先生:ここはすごいでしょ? 紫のおみくじが無数に結び付けられていて。
マナブ:皆さん写真を撮っていま すね。ここはSNS映え、間違いなしです。
歴史先生:近年、女性に大変人気の神社でして、お守りなんかもかわいいと評判です。

石浦神社の本殿
歴史先生:さて、こちらが石浦神社の本殿です。
マナブ:あ、本殿は地味なんですね(失礼!)。
歴史先生:実はさっきの鳥居ですが、境内社の広坂稲荷神社のものなんです。石浦神社はとても古い歴史があって、547年にできた金沢最古の神社です。当時は大和の三輪神社から勧請したものでした。
マナブ:ということは祭神は大国主命。
歴史先生:はい、そのとおりです。
マナブ:本殿の建物はかなり古そうに見えますが、江戸時代のもの?
歴史先生:いえ、古そうに見えますが、2000年(平成12年)のものなんです。
マナブ:えっ? いつもは古くてびっくりするんですが、珍しく新しくてびっくりしました(笑)。

金沢21世紀美術館
歴史先生:では石浦神社のお向かい、金沢21世紀美術館の前からバスに乗りましょう。
マナブ:この大きな丸い建物が美術館ですね。
金沢21世紀美術館(地図 ❿)
〒920-8509 石川県金沢市広坂1丁目2−1
有料ゾーンあり、入場料は展覧会によって異なる
10:00~18:00(金・土は~20:00)、最終入場閉館30分前、月曜休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

カラー・アクティビティ・ハウス
歴史先生:美術館の前の芝生広場には色の3原色を使った作品などが展示されています。
マナブ:先生はあまり興味なさそうですね?
歴史先生:現代アートはちょっとよくわからなくて(苦笑)。

スイミング・プール
マナブ:これ はプール?
歴史先生:「スイミング・プール」という作品で、この美術館の一番人気。入場に数時間待つこともあるんだとか。地下から見るとプールの水の中にいるような写真が撮れます。
マナブ:待つのは大変そうですね。こうしてロビー(無料エリア)から見えているので、これで良し、とします。
歴史先生:では美術館の前のバス停から、左回りの周遊バスに乗って次の目的地へ行きましょう。
加賀百万石の「粋(イキ)」を残す2つの茶屋街

浅野川沿いに広がる主計町茶屋街

マナブ:金沢21世紀美術館の前から周遊バスに乗り、「橋場町」で降りました。
歴史先生:ここから主計町茶屋街(地図 ⓫)はすぐ、です。主計町茶屋街は観光地化されておらず、お土産屋やカフェなどはありません。観光客も少ないのですが、それだけ本物の茶屋街の姿を見ることができます。

あかり坂
マナブ:風情のある狭い階段のところに来ました。
歴史先生:ここを下りると茶屋街になります。この坂は「あかり坂」と呼ばれていて、五木寛之さんが命名したのだとか。

主計町茶屋 街

細い路地の両側に茶屋が並ぶ
マナブ:道が細いですね。ちょっと怪しい雰囲気もあるんですが、そもそも茶屋って、何ですか?
歴史先生:よく街道沿いとか峠とかにある「茶屋」ですが、あれは通行する人に飲み物や軽食を出して休憩できるような場所で、今でいうカフェに近い内容でした。
マナブ:でもこのあたりはちょっと違う雰囲気です。
歴史先生:このあたりの「お茶屋」は、芸妓による舞や演奏をみて楽しむ小さな宴会場、とでもいえばよいでしょうか。
マナブ:よく時代劇で、芸妓さんが芸を披露して、対面の座敷に座っているお客さんが手を叩いているシーンがありますが、あんな感じ?
歴史先生:そうです、そうです。

主計町茶屋街の北側は浅野川に面している
歴史先生:夜になると、先ほどのあかり坂や、その近くにある暗がり坂を下って、旦那衆が遊びに降りてくるわけです。そしてここに並ぶ馴染みの御茶屋で、芸能を楽しむんですね。
マナブ:なるほど。で、それが今も続いている?
歴史先生:はい、そうなんです。「一見さんお断り」のお店も多く、私たちにはまだまだ敷居の高い存在ですね。

浅野川を渡ってひがし茶屋街へ
歴史先生:では浅野川を渡って、次に「ひがし茶屋街」(地図 ⓬)へ行きましょう。ひがし茶屋街は逆に一大観光地になっています。古い建物はお土産店やカフェなどに変わってきていて、外国人客も多く、一年中混雑しています。


ひがし茶屋街
マナブ:あ、ここは写真でよく見るところだ。
歴史先生:はい。ひがし茶屋街のメインストリートになります。
マナブ:左右に古い建物が並んでいますね。
歴史先生:ここは1820年に第12代斉広が、金沢城下のあちこちに点在していたお茶屋をここに移し、加賀藩公認の遊興の街としてまとめたもの、です。
マナブ:第12代斉広さんって、兼六園の中に竹沢御殿を建てた人でしたよね。
歴史先生:はい、そうです。街の入口には木戸や塀が設けられて、風紀と治安の維持をおこなうべく、藩によって管理されていました。
マナブ:それって吉原、みたいですね。
歴史先生:そんな感じです。当時は100軒近い茶屋が建ち並んで、それはにぎやかだったことでしょう。ところがわずか11年後の1831年、ここは閉鎖されます。
マナブ:えっ?
歴史先生:1820年にできたひがし茶屋街はとても魅力的でしたから、ここに武士たちも通うようになりました。遊女たちも町中に出てきて、一般の女性たちも遊女の服装や髪形を真似たりもしました。そうなると、どうなりますか?
マナブ:うーん、ちょっと緩みすぎ、かな。
歴史先生:はい。茶屋街ができたことによって武士をはじめ、城下町全体に風紀の乱れが見られました。1822年より斉広の息子である第13代斉泰が藩主となっていましたが、彼は茶屋街を閉鎖することを決断したんです。

ひがし茶屋街
マナブ:でも今も残っているということは、また復活したんですね?
歴史先生:はい。茶屋街を閉鎖しても庶民の歓楽街としての需要がなくなったわけではなく、また独特の茶屋文化の存続を望む声にこたえて、1867年、幕末のギリギリになって加賀藩第14代、最後の藩主の前田慶寧(よしやす)が再度営業を公認しました。
マナブ:そこから今に続いているんですね。
歴史先生:2001年には国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されて、今では金沢を代表する観光地の1つになっています。

志摩(国指定重要文化財)の外観
歴史先生:では、実際に中を見られるお茶屋がありますので、入って見ましょう。国指定重要文化財の「志摩」、です。
志摩(国指定重要文化財)
〒920-0831 石川県金沢市東山1丁目13−21
入館料500円(中学生以下、団体割引あり)
9:30~17:30(12~2月は17:00まで)、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

「前座敷」の床の間
マナブ:玄関を入ったところで手荷物を全てロッカーに預けます。携帯は持っていて良いそうで、写真も撮ってよいとのこと。
歴史先生:この「志摩」さんは、1820年、ひがし茶屋街ができたときに建てられたままの姿を手つかずで現在に残している貴重な文化財です。
マナブ:その当時のままの姿を見られるなんて、すごいですね。
歴史先生:2階が客間です。室内はベンガラの赤い壁が印象的。3つある座敷の1つがこの「前座敷」。ここの琴が置いてある床の間に前にお客さんは座ります。
マナブ:私も江戸時代のお客さんの気持ちになって座って、その場面を想像してみます。

控えの間
歴史先生:で、正面は襖(ふすま)になっています。この襖を開くと、控えの間。ここに芸妓さんがいるわけです。
マナブ:そして舞や楽器の演奏をしてくれる。
歴史先生:そういうわけです。芸妓さんは単に踊りや演奏の技術があるだけでなく、身なりや言葉使い、1つ1つの細かなしぐさにも気を配って艶(あで)やかな美、そして粋(いき)を表現しなければいけません。さらにお客さんと粋な会話を楽しめるだけの教養もなくてはなりません。
マナブ:相当な訓練と努力が必要ですね。

「ひろま」と控えの間(左)
歴史先生:そして、それはお客さんのほうにも言えます。芸を見て、ただ「すばらしいですね」というだけではまったく野暮。お客さんにも芸を解する力量が求められますから、ちゃんと自分で稽古事をして、自分でもたしなむんです。そこで初めて芸妓さんの芸を認めることができる。それが粋、なんですね。
マナブ:お客さんになるのも大変だ。
歴史先生:お客さんも茶屋遊びのために自分の芸を磨き、芸妓さんもそれに応えて最高の芸を客に見せる。そこにはお互いの芸や粋への尊敬の念すら生まれることでしょう。そして日常とはかけ離れた夢の世界に浸る。それが茶屋文化なんです。
マナブ:単なる風俗的な遊び場かと思っていたのですが、いえいえ、それよりはるかに文化的で粋なものでした。

昔の建物の階段は急だ
歴史先生:ということで、ここからバスに乗って金沢駅に戻ります。金沢、いかがでした?
マナブ:いやー、期待通り、盛りだくさんな城下町でした。とんでもない土木工事で出来た立派なお城、そして水を贅沢に使った兼六園はすごかった。美しい武家屋敷や変わった神門のある尾山神社。それから粋を極めた茶屋街。まさに百万石の城下町ならではの文化の深さを感じましたね。あ、それからお寿司も美味しかった。
歴史先生:よかったです。
マナブ:さすが人気の観光地、でした。大満足です。

