
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
高松はどうやってできた街?
鉄道ファンに人気の「ことでん」の歴史
さすが海城。「高松城」のお堀にはあの魚が。
日本庭園の最高峰「栗林公園」はどこがすごい?
<おすすめのホテル>
ロイヤルパークホテル高松
高松はどうやってできた街?

高松シンボルタワーから見る高松市街地


マナブ:今日は香川県の県庁所在地、高松市に来ています。なんだか地方都市というよりは、もっとにぎやかな中核都市という感じですね。
歴史先生:はい、高松は商店街も発展していて、中心部がとても賑やか。40万人都市なんですが、それ以上の賑わいが感じられますね。

近代的な高松駅

市内中心部にはにぎやかな商店街が発達している
マナブ:ここは古くから栄えた町なんでしょうか?
歴史先生:ここは秀吉の配下にいた生駒親正(ちかまさ)が1588年に築いた高松城の城下町です。
マナブ:四国といえば長宗我部元親が支配していた土地ですよね。それをたしか秀吉が奪った。
歴史先生:はい。1585年、秀吉は大軍を四国に送り込み、長宗我部元親は降伏。阿波、伊予、讃岐を放棄し、土佐一国だけを安堵されました。秀吉は讃岐の地に自分の側近である仙石秀久を送り込みました。彼は今の瀬戸大橋の付け根のあたりにある聖通寺城を拠点として讃岐を統治するようになりました。
マナブ:でも長くは続かなかった?
歴史先生:はい。翌年の1586年、秀吉は九州の島津征伐を行います。仙石秀久は先遣隊として参戦しますが、戸次川の戦いで大敗。自分自身は軍を捨てて逃亡したということで秀吉は激怒。讃岐を没収します。
マナブ:短い治世でしたね。
歴史先生:代わりとして、秀吉は生駒親正を送り込みます。生駒親正は高松、丸亀の地に築城し、江戸時代の高松藩、丸亀藩の基礎を作りました。この土地を「高松」と名付けたのも生駒親正です。

高松城
マナブ:生駒親正の政治はどうだったんですか?
歴史先生:讃岐というのは難しい土地柄で、細川氏、三好氏、十河氏など様々な旧勢力が争っていました。そこへ新たに入ってきた生駒親正は旧勢力を解体し、豊臣政権としての支配体制を作り上げました。
マナブ:秀吉と言えば検地、刀狩り。
歴史先生:そうですね。生駒親正は讃岐で検地、刀狩りを実施し、公平な税制と兵農分離を実現。高松城の周囲に城下町を作り、新田開発やため池の整備をおこないました。盆栽や漆器などの産業の育成にも務めています。
マナブ:いいことばかりのようですが。
歴史先生:まず訪れたピンチは秀吉の死後の関ヶ原の戦い。この時は生駒親正が西軍、その息子の生駒一正が東軍に分かれ、讃岐を安堵されました。
マナブ:まずは生き残れた。
歴史先生:はい。しかし江戸時代になると次のピンチが訪れます。3代目藩主が若くして亡くなり、わずか11歳の生駒高俊が4代目藩主となります。それはまずいだろうということで、徳川幕府は藤堂高虎を後見人にしました。
マナブ:とてもややこしいことになりそう。
歴史先生:藤堂高虎は自分の家臣を高松藩の家老として送り込みます。当然のことながら、生駒家のそれまでの家臣はおもしろくない。その対立は日に日に激化。そんな状態に嫌気がさした4代目藩主生駒高俊は統治を放棄。藩の中はボロボロになってしまいます。
マナブ:どうなったんですか?
歴史先生:事態を重く見た江戸幕府は高松藩17万石を没収し、生駒家は秋田県へわずか1万石の小大名として移封されてしまいました。
マナブ:やはりそうなりましたか。
歴史先生:代わりに高松藩を任されたのが松平頼重。この人はある有名な人のお兄ちゃんなんですが、誰だかわかりますか?
マナブ:えっ、誰だろう? 松平ということは徳川家関係?
歴史先生:水戸の徳川家の人です。
マナブ:水戸光圀?
歴史先生:そう、松平頼重は水戸の黄門様の実のお兄さんです。
マナブ:優秀な人だったんですか?
歴史先生:それはもう。1642年に高松城に入った松平頼重は、生駒騒動でボロボロになった藩を立て直します。

城下町の格子状の道路は今や商店街として発展している
歴史先生:その功績の一 つは、全国でも最古のものの1つとされる上水道の整備、です。
マナブ:讃岐の人はずっと水不足に苦しんできた。
歴史先生:はい、そのとおりです。松平頼重は高松の町の3か所に大規模な井戸を掘り、きれいな地下水を確保。そこから地中にパイプを通して上水道を整備しました。これらの施設は1921年(大正10年)に近代水道が整備されるまでの長期間使用されました。
マナブ:すばらしい。
歴史先生:そのほか、高松城や栗林公園の拡張・整備を行い、藩としての体裁を整えていきます。
マナブ:いずれもが今の高松を代表する観光地になっていますね。ところで松平家はその後 も続いたんですか?
歴史先生:はい、幕末まで11代、高松藩を統治し続けました。さて、明治以降の近代になると、高松は四国の玄関口として発展します。
マナブ:たしか宇高連絡船、というのがありましたね。
歴史先生:はい、1910年(明治43年)に開業。岡山県の宇野と、香川県の高松を結びました。しかし1955年(昭和30年)に衝突・沈没事故を起こし、修学旅行生など168人が亡くなるという大惨事が発生。瀬戸大橋建設の機運が高まりました。
マナブ:たしか青森に行ったとき、青函連絡船も大事故を起こして、それがきっかけで青函トンネルの建設の機運が高まったという話がありましたね。
歴史先生:はい、洞爺丸の事故ですね。1954年(昭和29年)に台風で沈没し、実に1,155人もの人が亡くなりました。それと同様のことが翌年瀬戸内でも起きていたんです。
マナブ:宇高連絡船はいつまで稼働していたんですか?
歴史先生:JRが運行していた連絡船は1988年の瀬戸大橋開通と同時に廃止となりました。しかし橋の開通以後も、通行料が高いと言うことでトラックなどが引き続き民間のフェリー会社を利用したりしていたんですが、2019年にそれらもすべて廃止となりました。
鉄道ファンに人気の「ことでん」の歴史

マナブ:高松市の中心 、瓦町駅に来ました。
歴史先生:ここは高松琴平電気鉄道、通称「ことでん」の中心的な駅。ことでんの3つの路線がすべてここを通っています。
マナブ:地方都市に行くと、こういったローカルな私鉄に乗るのが楽しみです。
歴史先生:ことでんは3つの路線ですが、1番長いのが高松の港からこんぴらさんまで参拝客を運ぶ「琴平線」。そして高松と志度を結ぶ「志度線」、高松と長尾を結ぶ「長尾線」。
マナブ:ことでんはいつごろできたんでしょう?
歴史先生:1911年(明治44年)に東讃電気軌道が志度線を、1912年(明治45年)に高松電気軌道が長尾線を、そして1926年(大正15年)に琴平電鉄が琴平線の栗林公園~滝宮間を開業しています。
マナブ:別々の会社だったんですか?
歴史先生:はい。別々の会社だったのですが、戦時中の1943年(昭和18年)に3社が合併して、現在の高松琴平電気鉄道(ことでん)ができました。
マナブ:戦時中だった、というのは何か影響があるんでしょうか?
歴史先生:はい、おおあり、です。1938年(昭和13年)に国は「陸上交通事業調整法」というのを制定します。これは戦争に向かって突き進む国が、限られた燃料や人員を効率よく使うために、各地の電車・バス会社を統合していこうという法律です。その指導に基づいて、高松にあった私鉄3社が強制的に統合させられたわけです。
マナブ:そういった背景でしたか。

ことでんの中心的な駅、瓦町駅
マナブ:それにしても、瓦町の駅ビルは、まるで都心のターミナル駅のよう。
歴史先生:とても立派なビルですね。1997年(平成9年)に再開発されたビルで、開業時には「コトデンそごう百貨店」が入っていました。
マナブ:駅ビルにそごう。よく見かけるパターンですが、そごうはその後破綻しましたよね。
歴史先生:はい、2000年にそごうグループが破綻し、開 業わずか4年後の2001年に閉店。それに伴って親会社の高松琴平電鉄も民事再生法適用を申請する結果になりました。
マナブ:あらら。
歴史先生:地元企業の「加ト吉」や、香川の日産の販売店などの支援で何とか再建され、現在に至っています。
マナブ:ローカルの私鉄の経営は大変ですね。

鉄道ファンに人気のことでんの電車
マナブ:ことでんの電車、なんとなく懐かしい感じがあります。
歴史先生:そうなんです。ことでんの電車は1960年代、70年代などに作られた名古屋市営地下鉄、京王電鉄、京浜急行電鉄がそのままの形で走っています。東京や名古屋の人から見ると、懐かしい感じがするでしょう。
マナブ:なるほど。
歴史先生:ではここから電車に乗って、高松築港駅へ行きましょう。2駅だけの短い旅になります。
マナブ:いいですね。乗りましょう。
さすが海城。「高松城」のお堀にはあの魚が。

近代的な高松駅前

マナブ:ことでんで瓦町駅から2駅。高松築港駅で降りました。ここにはJRの高松駅もあって、大きなホテルや商業施設が立ち並ぶ都会的な街になっています。
歴史先生:では高松城の中を歩いてみましょう。

高松城西門
高松城(地図 ❶)
〒760-0030 香川県高松市玉藻町2−1
入園料200円(16歳未満、団体割引あり)
開門時間は季節によって変動、Webにて要チェック。無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
歴史先生:西門を入ると二の丸です。すぐに「水門」があるんですが、ここは海から海水をお堀に取り込んでいます。
マナブ:なるほど。あ、鯉のエサやり、100円と書かれていますね。ん? ブラタモリでタモリさんも体験した、と書かれています。
歴史先生:漢字をよく見て下さい。鯉、ではないです。
マナブ:あれ、鯉(コイ)じゃなくて鯛(タイ)だ!

鯛のエサやり体験
歴史先生:このお堀は海とつながっていますから、瀬戸内の鯛がいても不思議ではありません。
マナブ:お城のお堀に鯛。初めて見ました。
歴史先生:さて、高松城は以前お話ししたように生駒親正によって1590年に築かれました。生駒家4代目のお家騒動によって生駒家は秋田へ移され、そのあとに松平頼重が入ります。
マナブ:水戸黄門のお兄さん。
歴史先生:はい、そうです。その後、江戸時代の終わりまで松平氏が城主でした。1669年には天守が完成し、その天守は3層5階建て、当時四国最大のものでした。1884年(明治17年)に天守は老朽化を理由に解体され、現存していません。
マナブ:もったいないことをしましたね。
歴史先生:ところで、高松城は「日本三大海城」の1つ、と言われています。
マナブ:たしか大分県の中津に行ったとき、中津城もその1つだったように記憶しています。
歴史先生:そうです。そしてもう1つは愛媛県の今治城、です。

月見櫓・渡櫓・水手御門(国指定重要文化財)
歴史先生:さて、北の丸に入ってきました。ここは1671年に増築された部分。1676年にはその角のところに月見櫓が建てられ、海に面した入口である水手御門、それらをつなぐ渡櫓が建てられました。現存するこれらの建物は国指定重要文化財になっています。
マナブ:さすが水城、門も海に面して造られているんですね。
歴史先生:そして月見櫓ですが、お月見をして楽しむ場所ではなくて、船が着くのを見る、「着見櫓」がその語源です。
マナブ:風流なものがあるなぁと思ったのですが、そうではなくて防御施設だったんですね。

披雲閣(三の丸御殿)(国指定重要文化財)
歴史先生:となりの三の丸には江戸時代には御殿がありましたが、こちらも老朽化を理由に1872年(明治5年)に取り壊されました。
マナブ:もったいない。
歴史先生:その後1917年(大正6年)に松平家の子孫が披雲閣を再建しました。松平家の別邸であり、かつ香川県の迎賓館としても使われました。
日本庭園の最高峰「栗林公園」はどこがすごい?

栗林公園 飛来峰からの眺め

栗林公園(地図 ❷)
〒760-0073 香川県高松市栗林町1丁目20−16
入園料500円(中学生以下、団体割引あり)
開園時間は季節により異なる、Webでチェック要。無休。
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
https://www.my-kagawa.jp/ritsuringarden
マナブ:高松市街地の南の方にある「栗林(りつりん)公園」にやってきました。
歴史先生:ここはすごいですよ。日本で一番の庭園だ、という人もいます。
マナブ:どうすごいんでしょう?
歴史先生:文化財の庭園の中では日本一の広さ。そして広いだけではなくて、何と言っても美しい。庭園の中で最高の評価である「特別名勝」になっています。
マナブ:名勝は重要文化財、特別名勝は国宝、というような位置づけでしたよね。特別名勝の庭園っているのはいくつぐらいあるんですか?
歴史先生:数でいうと23カ所あります。
マナブ:意外とたくさんあるんですね。
歴史先生:でもそのうち14カ所は京都・奈良に集中していて、それ以外では9カ所しかありません。以下、その9カ所をリストアップしますね。
岩手県:毛越寺庭園
東京都:旧浜離宮庭園・小石川後楽園・六義園
石川県:兼六園
福井県:一乗谷朝倉氏庭園
岡山県:岡山後楽園
香川県:栗林公園
沖縄県:識名園
マナブ:あ、ほんとに少ないですね。

東門

歴史先生:では東門から入っていきましょう。案内図は右が北になっています。
マナブ:広そうですね。
歴史先生:庭の部分は東京ドーム3.5個分にあたる約16.2ヘクタール。しかし、庭園全体の借景となっている背後の紫雲山を含めると東京ドーム16個分の約75ヘクタールにもなります。
マナブ:すごい。
歴史先生:まずは芙蓉峰。芙蓉というのは富士山のことなんですが、池の向こうから見るとこの築山の形が富士山のようなのでそう名付けられました。

まずは芙蓉峰に登ってみよう

芙蓉峰からの北湖の眺め
マナブ:おぉ、最初から素晴らしい景色。
歴史先生:見えているのは北湖。周囲は手入れされた松の木がたくさん。その常緑の色の中に、紅一点、梅林橋があるのがアクセント。
マナブ:それに背景になっている紫雲山がいいですね。

歴史先生:次は南湖を眺める飛来峰へ行きましょう。
マナブ:まだ築山に登ります。

飛来峰から見る南湖と偃月橋
マナブ:あ、この景色は写真で見たことがあります。
歴史先生:そうですね、栗林公園随一の絶景と言われています。
マナブ:あの橋と池のバランス、すばらしいですね。

偃月橋のたもとにはたくさんの鯉が泳ぐ
マナブ:先ほどから外国人観光客をたくさん見かけます。
歴史先生:ここはミシュランのガイドで三ツ星。わざわざ訪れる価値のある場所、として評価されていますから、海外からの旅行客に人気があるのも当然でしょう。
マナブ:立派な鯉、みなさん喜んでいただいているみたいです ね。

歴史先生:次は偃月橋を渡って、掬月亭(きくげつてい)へ行きましょう。
マナブ:それはどういう建物なんですか?
歴史先生:江戸時代初期、17世紀後半に建てられたという茶屋です。床を低く抑え、湖との一体感を作っている建物で、歴代藩主に大変愛された、と伝わります。

偃月橋から見た掬月亭

掬月亭は南湖のほとりに建つ
マナブ:たしかに南湖から続いているような空間ですね。
歴史先生:ここではお抹茶とお菓子をいただけます。
マナブ:あ、いいですね。ぜひ一服させていただきましょう。

掬月亭では抹茶とお菓子がいただける(800円)
マナブ:ところで、この庭園はいつ誰が造ったんですか?
歴史先生:元々は戦国時代、生駒家の家臣である佐藤道益が隠居後の住まいとして紫雲山のふもとに作った小さな庭だったようです。それを元に江戸時代初期の1630年代、生駒氏によって南湖一帯が庭園として整備されます。
マナブ:まずは南湖のあたりから始まったんだ。
歴史先生:そのころ香東川という川がこの辺りを北に流れていました。しかしこの川がたびたび氾濫を起こし、高松で洪水が起きていましたので、まずはこの流れを堰き止める治水工事を実施。その結果できた池を元に庭造りが始まったんです。
マナブ:なるほど、単なる庭造りではなくて、それ以上の意味があったんですね。
歴史先生:そして生駒市に代わって松平氏が高松城に入 ると、この庭園の整備を継続し、1745年、第5代松平頼恭の時に完成しました。以来、代々の藩主が手入れを重ね、大切に保たれてきました。
マナブ:ほんと、木の一本一本までとても手入れが行き届いている、というのが感じられます。

ゆっくりと和船で巡るのも楽しい(所要30分、大人850円)

赤壁
歴史先生:紫雲山側には「赤壁」が続きます。
マ ナブ:赤壁というと、三国志で出てくる「赤壁の戦い」を思い出しますが。
歴史先生:そうですね。1745年に庭園が完成した際、第5代藩主の松平頼恭が藩の儒学者に命じて園内のあちこちに中国の名勝の名前をつけさせたんだそうです。
マナブ:あ、滝がありますね。

桶樋滝
歴史先生:赤壁の間からながれています。桶樋(おけどい)滝というのですが、どういう意味か分かりますか?
マナブ:ん? 桶があって、樋で水が流れてきてる人工的な滝?
歴史先生:はい、かつてはこの岩のかなり上のほうに大きな桶があって、そこまで人力で水をくみ上げていたんだそうです。
マナブ:それは「藩主様が来られるぞ~。それまでにたっぷり水をくみ上げておけよ。」という感じ?
歴史先生:はい、あくまでも藩主の目を楽しませるためだけに、家来が水をくみ上げていたんです。
マナブ:大変すぎる。
歴史先生:ちなみに現代ではポンプで西湖の水をくみ上げているそうです。

園内では梅林も見事

商工奨励館
歴史先生:園内には1899年(明治32年)に建てられた旧香川県博物館(現:商工奨励館)も残っています。
マナブ:ところで今更ですが・・・。
歴史先生:はい。
マナブ:園内を回って印象的だったのは松の木。松だらけの庭でした。逆に栗の木はまったく見なかったように思います。なのになぜ名前が「栗林公園」なんですか?
歴史先生:園内には約1,000本の松があって、見事に手入れがされています。大正天皇や昭和天皇お手植えの松などもあります。だったら「松林公園」、でもいいですよね。
マナブ:そう思いました。
歴史先生:少なくとも1640年ごろにはここは「栗林」と呼ばれていました。「以前は栗の木がたくさんあったが第10代藩主が邪魔だと言って伐採した」とか、「中国で木が生い茂った里山を栗林と呼ぶから」とか、園の名前の由来には諸説あります。
マナブ:なるほど、そういうことでしたか。
<おすすめのホテル>
ロイヤルパークホテル高松
高松市中心部の一等地にある全室クラブフロアの高級ホテル

選んだ理由:
・立地:高松の中心部に位置する。駅にも商店街にも近そう。
・全室クラブフロア:どの部屋に泊まってもクラブラウンジが利用できる。15:00~21:00まで利用可能。
実際に泊まった感想:
・立地:瓦町駅にも近く、ホテルの近くから縦方向に商店街が複数走っている。夜遅くまで買い物や 飲食店に行っても大丈夫な、最高の立地であった。
・駐車場:前を走る国道は右折禁止が続くので、どこで回ってくるのが良いか、事前に考えておいた方がスムーズ。私たちの場合、ホテルの駐車場がいっぱいだったので、通りの向かい側の平面駐車場を紹介された。
・ラウンジ:クラブラウンジの「シルク」を利用した。夕方にはアルコールやオードブルも並ぶ。本もたくさん置いてあり、雰囲気の良い落ち着いた空間で豊かな時間を過ごせた。
・部屋:十分な広さがあり、落ち着きのあるクラシックなインテリア。
・大浴場:このホテルには大浴場は無いので部屋の浴槽を利用する。

高級感のあるロビー
<一休のサイト>
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