
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
空海が生まれた場所に立つ「善通寺」
金刀比羅宮:「こんぴらさん」っていったい何?
滝宮天満宮:菅原道真はここに住んでいた?
空海が生まれた場所に立つ「善通寺」


善通寺(地図 ❶)
〒765-0003 香川県善通寺市善通寺町3丁目3−1
駐車場300円
8:00~17:00、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
マナブ:今日は香川県の善通寺に来ています。善通寺市というのがあるのは知っていたんですが、お寺の名前がそのまま市の名前になっているんですね。
歴史先生:はい、それだけ重要なお寺だと言えます。ここは弘法大師空海が生まれた場所。高野山、京都の東寺と並んで、善通寺は弘法大師三大霊跡の1つとして厚く信仰されています。ちなみに善通寺の名前は空海のお父さん、佐伯善通の名前を取ったものです。

善通寺の西側には広い駐車場がある。その奥には四国八十八カ所の参拝ができる香色山をはじめとする険しい山々が連なり 、この地は屏風浦と呼ばれた。

駐車場から西院へとつながる済世橋

歴史先生:では橋を渡って善通寺西院の中へと入っていきましょう。善通寺は「西院」と「東院」に分かれています。
マナブ:というと?
歴史先生:西院は空海が生まれた聖なる場所、そして東院はそこに建てられたお寺になっています。
マナブ:空海が生まれたのは、たしか奈良時代の終わりごろ。
歴史先生:はい、774年の生まれ。佐伯善通の次男として生まれ、俗名を佐伯真魚(まお)と言います。
マナブ:まおちゃん。
歴史先生:はい、そんな感じのキャラクターの幟(のぼり)が立っていますね。

若き空海(佐伯真魚)のキャラクター
歴史先生:空海は15歳で奈良に上京し、儒教や仏教などを学びます。そして804年、31歳の時に遣唐使船で唐に留学するチャンスを得ました。彼は長安に行き、青龍寺で恵果に師事し、わずか数か月で当時最先端だった密教の奥義をマスターして帰国します。
マナブ:そんな短い期間でマスターできるものなんでしょうか?
歴史先生:いえ。普通は一生かかってもできないことです。恵果は唐の皇帝からも頼りにされていた当時最高レベルの高僧ですが、彼は空海を一目見るなり「汝が来るのをずっと待っていた」と喜んだんだとか。そして短期間ですべてを教えようとしてくれたんです。
マナブ:先に帰国していた、空海よりずっと身分の高い最澄が中途半端な修得に終わった密教を、空海はすべて理解し、たくさんの書物をたずさえての堂々の凱旋帰国だった。
歴史先生:はい、そうだったようです。806年に博多の港に帰国した彼は太宰府に寺を開きます。その後、密教をもっと知りたいという希望を持っていた最澄の支援もあって京都の 高雄に移りますが、結局最澄とは対立。
マナブ:なかなか難しい関係性ですね。
歴史先生:807年~813年には生まれ故郷に寺を建立しました。それが善通寺です。京都では嵯峨天皇に大変気に入られて、鎮護国家の大祈祷を実施したり、816年には嵯峨天皇にお願いして密教の修行の場として高野山の地を下賜してもらったりしました。819年からは高野山に伽藍を建立し始めます。
マナブ:高野山は天皇からもらった土地だったんですね。
歴史先生:はい。そして821年には地元である讃岐の満濃池の改修を指揮。
マナブ:「香川県の歩き方」の回に出てきた日本一大きなため池、ですね。空海は宗教家というだけではなくて土木工事もできたんですか?
歴史先生:そうなんです、アーチ型堤防など、当時の最新技術を使った工事でした。
マナブ:まさに天才。
歴史先生:823年には京都の東寺が空海に与えられます。東寺は平安京ができる時に桓武天皇によって建てられた国立のお寺。ここを真言密教の根本道場として使っていいよ、と与えられたわけです。
マナブ:大変な名誉ですね。
歴史先生:そのとおりです。東寺は現在でも真言宗の総本山として君臨しています。
マナブ:そして空海は高野山で今でも生きている。
歴史先生:あ、そうなんです。高野山の奥の院で生きておられるということで、今でも毎日お食事が運ばれています。

御影堂(みえいどう)
歴史先生:さて、こちらが西院の中心的な建物、御影堂(みえいどう)です。空海が生まれた佐伯家の家の跡に建てられました。現在の建物は江戸時代末期の1831年の再建です。
マナブ:御影堂という名前から、空海のお姿をした仏像をお祀りしている、で合ってますか?
歴史先生:秘仏である瞬目大師(めひきだいし)像、というのがお祀りされていますが、これは空海が唐に留学する前に、お母さんのために池に映るご自身の姿を絵に描かれたものだそうです。
マナブ:空海作自画像、ですか。
歴史先生:はい。50年に一度のご開帳だそうです。
マナブ:なかなか見られませんね。
歴史先生:ところで御影堂の地下には「戒壇めぐり」(有料)があります。これは長さ100mほどの真っ暗な廊下で、ここを進むことで自己を見つめ直すという修業が体験できます。
マナブ:やってみましょう。

護摩堂
歴史先生:御影堂の斜め前には護摩堂があります。不動明王が祀られていて、ここでは護摩の祈祷が行われます。

西院の入口にある仁王門

東院の入口にある南大門
歴史先生:それでは東院の方へ行きましょう。西院の入口の仁王門を出て、東院の南大門から入ります。

東院の伽藍

金堂(国指定重要文化財)
マナブ:立派なお堂がありますね。
歴史先生:こちらは国指定重要文化財の金堂。江戸時代初期の1699年の再建です。ここにはご本尊の薬師如来像が祀られています。高さ3mの大きな寄木造りで、金箔が施されています。
マナブ:すばらしい。

五重塔(国指定重要文化財)
マナブ:それからこの五重塔。大きいですね。
歴史先生:こちらも国指定重要文化財。日本で一番高いのは東寺(京都)の五重塔で、高さ54.8m。続いて興福寺(奈良)が50m、善通寺(香川)が43mで第3位です。
マナブ:すごいですね。
歴史先生:現在の建物は4代目で、1902年(明治35年)に再建されました。今は開放されていませんが、以前は5階まで登って眺望を楽しめたんだそうです。

大楠
マナブ:この木もなんだかすごい。
歴史先生:こちらは香川県の天然記念物になっている大クス。樹齢は千数百年と推定されますから、空海が生きていた時代にもあったのかもしれませんよ。


王墓山古墳
歴史先生:ところで善通寺市は古墳 が400基もある古墳の町でもあるんです。中でも最大の古墳が有岡古墳群の中の王墓山(おうはかやま)古墳。善通寺から車で5分ほどの場所なので行ってみましょう。
マナブ:広い駐車場が整備されています。古墳も大きいですね。
歴史先生:全長46mの前方後円墳です。前方の部分は一部欠けてしまっていますが、後円の部分はよく残っています。そこに横穴式石室がありますので、登ってみましょう。

横穴式石室
歴史先生:ここでは多種の副葬品が発掘されていて、中でも金銅製の冠帽は全国でも数少ない貴重なもの。讃岐の地を治めていた豪族に対して大和朝廷から特別に贈られたものだろうと考えられています。
マナブ:まさにこの地にいた「王の墓」なんでしょうね。
金刀比羅宮:「こんぴらさん」っていったい何?

石段が続く参道

金刀比羅宮(地図 ❷)
〒766-8501 香川県仲多度郡琴平町892−1
6:00~18:00、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

参道近くのコインパーキング

マナブ:善通寺の次は「こん ぴらさん」にやってきました。車をコインパーキングに停めます。
歴史先生:ここはにぎやかな参道と、長い石段で有名です。

金刀比羅宮参道
マナブ:参道の両側、お店がずっと連なっていますね。観光客もたくさんいます。さすがに有名観光地です。

金陵の郷
金陵の郷
入館無料
9:00~16:30、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
http://www.nishino-kinryo.co.jp/museum/
歴史先生:参道の入口付近にある「金陵の郷」。金陵というお酒のメーカーさんの資料館で、ここではお酒造りの歴史が学べます。

石段の参道の両側に店が連なる
マナブ:さぁ、階段がでてきました。両側にお店が続いていて、楽しそうですが。
歴史先生:本殿まで785段あります。奥宮まで登ると1,368段あります。
マナブ:本殿まで、にしておきましょう(苦笑)。ところで、金刀比羅宮(こんぴらさん)ってとても有名ですが、ここはどういう由緒の神社なんですか?
歴史先生:お釈迦様が1,000人の弟子に説法した伽耶山(別名象頭山)に山の形が似ているところから名付けられた、象頭山の中腹にある神社です。ここには太古の昔、大物主命が訪れたことがあり、その跡を祀った琴平神社が起源となっています。
マナブ:神社なのかお寺なのか、まぎらわしい。
歴史先生:実はその通りで、昔は神仏習合が当たり前でした。中世になり、本地垂迹説に基づいてインドの仏教で水運の神様とされる金毘羅(クンビーラ)を合わせて祀るようになったようです。金毘羅はワニの姿をしていてガンジス川の守護神なんだとか。そしてこの場所は金毘羅大権現というお寺になります。
マナブ:ややこしいですね。
歴史先生:それが明治になって神仏分離になり、金刀比羅宮という神社になりますが、金毘羅大権現であったころの歴史から、水運に関する神様として信仰を集めるようになりました。
マナブ:とすると 、今のご祭神は?
歴史先生:大物主神です。そしてもう1人。保元の乱に敗れて讃岐へ流された崇徳上皇。流罪の期間中、1163年に彼はこの神社にお参りしています。その翌年崇徳上皇は崩御され、怨霊として恐れられました。そのため金刀比羅宮ではもう1人のご祭神として崇徳上皇を祀っています。
マナブ:なるほど。でもその神社がなぜ江戸時代にブームになったんでしょう?

金刀比羅宮の入口にあたる大門
歴史先生:この山は海から見てよい目印になっていました。そのため、かつて瀬戸内で一世を風靡した塩飽(しわく)水軍は、金刀比羅宮を海上安全の神様として篤く信仰していました。また、江戸時代になると北前船がここ瀬戸内を盛んに通行するよ うになります。その船員たちの間で金刀比羅宮への信仰が広まっていったと考えられます。
マナブ:でも「こんぴら参り」に来ていたのは船乗りばかりではなかったんですよね?
歴史先生:はい、「お伊勢参り」と一緒で、江戸時代の庶民にとって、一生に一度はしてみたい旅行、という位置づけになっていました。
マナブ:海上安全祈願という建前はどうでもよかった?
歴史先生:そうでしょうね。ご利益の噂はどんどん拡大して、水の神様だから雨をもたらす農業の神様だとか、商売繁盛の神様だとか、誰にでも関係するように話が膨らんでいきました。
マナブ:伊勢神宮の場合は、神宮へのお参りだけではなくてそれ以外の楽しみもあったようでしたが。
歴史先生:ここ金刀比羅宮でも似たような状況でした。当時の一大観光地として、芝居小屋、そして遊郭が発展していたんです。
マナブ:やっぱり(笑)。
歴史先生:岡山県の由加神社に行ったとき、「両まいり」と言って金刀比羅宮と由加神社の両方をお参りすることが流行したという話をしましたよね?
マナブ:はい。
歴史先生:江戸時代にはそういった旅行産業が発展して、各地に観光地ができていったんです。そこでは旅人相手にいろいろなビジネスが生まれていたんですね。

もうすぐ本殿
マナブ:こんぴらさんといえば、歌がありましたね。
歴史先生:どんな歌ですか?
マナブ:♪こんぴらふねふね お池に帆かけて しゅらしゅしゅしゅ~♪
歴史先生:あ、それですね。「こんぴらふねふね(金毘羅船々)」という歌です。ちなみに「お池に」ではなくて「追風(おいて)」、です。こんぴらさんへ向かう参拝客を乗せた船が、追い風に帆を上げてどんどん進む、といった意味でしょう。
マナブ:あ、そうなんですね。でも、どこで聞いたかわからないけど、知ってる歌ですね。
歴史先生:起源ははっきりしないのですが、江戸時代、こんぴらまいりが盛んになったころ、大坂から出る船で歌われた、などと言われています。でもそれが広まったのは幕末から明治にかけて。軽妙な歌詞とリズムがおもしろいので、お座敷遊びで盛んに歌われたようです。
マナブ:それって舞妓さん、芸妓さんとの遊び?
歴史先生:はい、そうです。お膳の上のお椀か何かに、お互いが交互に手を置きます。お椀があればパー、なければグー。演奏はどんどんリズムが速くなって、遅れたり間違えたりしたら負け。
マナブ:詳 しいですね。
歴史先生:いえいえ、私はやったことはありませんが(苦笑)。
<1番の歌詞>
こんぴらふねふね 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ
まわれば四国は讃州(さんしゅう)那珂の郡(なかのごおり)象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現(こんぴら だいごんげん)
いちど まわれば

金刀比羅宮 本殿
歴史先生:さて、金刀比羅宮の由緒をお話ししていたら、 本殿につきました。
マナブ:ふぅー、それなりに足腰にこたえました(苦笑)。
歴史先生:ではその疲れが吹っ飛ぶような景色を見てください。

本殿の前からの絶景。正面に見えるのは飯野山。
マナブ:うわー、これは絶景。
歴史先生:正面には讃岐富士こと、飯野山が見えます。
マナブ:美しい姿だなぁ。昔の人もこの景色を見て感動したことでしょうね。
滝宮天満宮:菅原道真はここに住んでいた?

滝宮天満宮


滝宮天満宮(地図 ❸)
〒761-2305 香川県綾歌郡綾川町滝宮1314
境内自由
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
http://takinomiyatenmangu.com/
マナブ:香川県の中央部、琴平から高松に向かうちょうど中間点あたりに綾川という町があります。ここは「滝宮天満宮」で有名だということなんですが・・・。
歴史先生:この神社はご存じでしたか?
マナブ:いいえ。
歴史先生:全国にたくさんの天満宮がありますが、その中でも大変重要な天満宮の1つです。
マナブ:というと?
歴史先生:菅原道真は845年京都の生まれ。得意の学問を生かして朝廷内で昇進を重ね、ついには右大臣にまで上り詰めました。しかし藤原氏の陰謀によって57歳の時に大宰府へ左遷され、903年、58歳で亡くなりました。
マナブ:はい。
歴史先生:しかしその間ずっと京都にいたわけではなく、42歳で国司として讃岐に派遣され、4年間、讃岐の国を治めたんです。
マナブ:そうだったんですか。香川県とは縁の深い人だったんですね。知りませんでした。

拝殿
歴史先生:讃岐に行く前、彼は文章博士(もんじょうはかせ)という学者として最高の地位にありました。
マナブ:さすが学問の神様。
歴史先生:しかしある日、讃岐に派遣されることになります。華やかな都を離れ、その時は左遷されたような気分だったと考えられます。しかし讃岐での彼の民政の実績が認められて、その後の大出世につながりました。
マナブ:現代の会社で言うと、本社エリートが突然地方の営業所に飛ばされて、そこで営業所長として実績を上げて、本社に役員として戻ってくる。そんな感じでしょうか?
歴史先生:そうですね。では讃岐で菅原道真が何をしたのか。有名な話に「雨乞い」があります。
マナブ:雨乞い?
歴史先生:讃岐は水不足になりやすい、というお話を「香川県の歩き方」の回でしましたが、888年の干ばつは特にひどいものでした。小麦は枯れ、餓死者が続出。何とかしなければと思った国司の菅原道真は坂出の城山に籠り、7日間、命を懸けた雨乞いの祈祷に入ります。
マナブ:で、雨は降ったんでしょうか?
歴史先生:はい、彼が雨乞いを終えると3日間にわたって大雨となり、田畑はうるおい、人々は命拾いしました。大喜びの民衆は菅原道真の宿舎に集まり、踊り狂ったそうです。その宿舎があったのが、ここ滝宮天満宮。そして、その踊りは「滝宮念仏踊り」として今に伝わっています。この踊りは国指定重要無形民俗文化財、そしてユネスコ無形文化遺産に登録されているんです。
マナブ:すごいな。でもちょっと待ってください、念仏って、鎌倉仏教の時代のものではないですか?
歴史先生:いいところに気づきましたね。そのとおりで、民衆が自然発生的に躍った感謝の踊りに鎌倉時代になって振り付けをしたのが、念仏を広めた法然上人だったんだそうです。それでこの踊りは念仏踊りと言われるように なりました。
マナブ:へぇー。いろんな歴史上の有名人が絡んでいますね。

天満宮と言えば梅の花。境内にはたくさんの梅が咲き誇る。
歴史先生:菅原道真が行ったのは雨乞いだけではありません。重い税負担に苦しんでいた農民から、税制度をあるべき姿に見直し、さらに不正を取り締まったことで民衆との信頼関係をしっかりと築きました。離任して京に戻る時には多くの民衆が別れを惜しんだようです。
マナブ:現場を知ったことがその後の出世にもつながった。
歴史先生:はい、そう言えるでしょうね。京に戻ったのちに菅原道真が編纂した「菅家文草(かんけぶんそう)」という漢詩集があるのですが、その中にも讃岐時代の作品が多数あり、平安時代の地方の様子を知る一次資料として大変貴重なものになっています。
マナブ:ところで、この天満宮はいつ建てられたんですか?
歴史先生:948年に建てられました。前年の947年には京都に北野天満宮が建てられています。
マナブ:たしか菅原道真が亡くなって以来、京都では不吉なことが続いて、それが彼の怨霊のせいだと。そしてそれを鎮めるために建てられたのが北野天満宮、じゃなかったでしたっけ?
歴史先生:はい、そのとおりです。
マナブ:ひょっとして讃岐でも彼の怨霊が災いを及ぼしていた?
歴史先生:いいえ。北野天満宮とは違って、滝宮天満宮は菅原道真公の徳をしのび、彼が行った善政や命がけの雨乞いに感謝しようという目的で建てられたんです。
マナブ:ここでは菅原道真は怨霊ではないんですね。
歴史先生:はい。菅原道真が讃岐の民衆からいかに愛されていたか。このことからもよくわかると思います。
マナブ:なるほど。
歴史先生:さて、今日は善通寺、琴平、そして滝宮天満宮と見てきました。いかがでしたか?
マナブ:そうですね、善通寺では弘法大師空海についてあらためて学ぶことができましたし、お伊勢さんと並ぶ観光地だった「こんぴらさん」とは何かもよくわかりました。それから香川県で菅原道真の話を聞くとは予想していませんでした。ちゃんと調べてみると、ここにはいろいろな歴史があるんですね。
