伊勢神宮とはいったい何か?
なぜ外宮と内宮があるの?
外宮(豊受大神宮)の正宮にお参りしよう
内宮は女性? 外宮は男性? 伊勢神宮最大の深い謎
外宮のそのほかの見どころ
別宮を訪ねて(月夜見宮)
伊勢神宮とはいったい何か?

伊勢神宮 内宮

マナブ:今日は三重県の伊勢に来ています。
歴史先生:伊勢にはどんなイメージをお持ちですか?
マナブ:やっぱり伊勢神宮、ですね。参道のお店が賑わっていて、赤福のお店がある。
歴史先生:そうですよね。今回はマイナーな場所も含めて伊勢神宮の歴史をじっくりと見ていきましょう。それから自然がいっぱいの鳥羽、志摩にも行きます。
マナブ:楽しみです。
歴史先生:ところで、伊勢神宮とは、どんな神社でしょう?
マナブ:えーっと、天皇家の祖先である天照大神をお祀りしている、日本で一番格式の高い神社。なので天皇陛下をはじめとする皇族がお参りする。
歴史先生:そうですね。ではいつ、どういう経緯でここにできたのでしょう?
マナブ:聞いたことがあるような・・・たしか最初は天照大神は大和の国にいたんだけど、何らかの問題があって新しい場所を探して、ここに行き着いた?
歴史先生:はい。第10代崇神(すじん)天皇の御代 まで、天照大神は大和の宮殿に祀られていたのですが、その力があまりにも強く畏れ多いということで、一度宮殿の外に出されて、その後、お祀りすべき場所探しが始まります。
マナブ:第10代崇神天皇というと、いつごろでしょう?
歴史先生:日本書紀の記述に従えば、紀元前148年~紀元前30年になります。現代の考古学では3世紀後半から4世紀前半、と考えられています。
マナブ:でも、なぜ大和から外に出されたんですか?
歴史先生:その当時の高度な政治判断だったのではないかと思います。
マナブ:というと?
歴史先生:仮に天照大神系の新興勢力が、それまでの大国主命系の一族を武力で倒し、力ずくで「国譲り」をさせた、と仮定しましょう。そうするとどうなりますか?
マナブ:新しい支配者としては、旧勢力をどう統治するかが課題となる。
歴史先生:そうですね。旧勢力の人々、そして旧勢力の神々のパワーをコントロールしなければなりません。ところが崇神天皇の時代には疫病が大流行して、人口の半分が死亡するほどだったんです。
マナブ:最近のコロナの比ではない、大変なパンデミックですね。
歴史先生:これを当時の人は大国主命の祟りだと考えました。そこで夢のお告げに従って大国主命の子孫である太田田根子を探し出して祭祀を行ったと ころ、ようやく疫病が収まりました。それが奈良県の三輪山、そしてふもとにある大神神社です。

大国主命が祀られている奈良県の三輪山
マナブ:三輪山と言えば、纏向遺跡など大和朝廷の都のすぐ脇にあって、都を見下ろしていますよね。
歴史先生:はい、そうなんです。大国主命の祟りのパワーのすごさに驚き、「丁寧に祀るのでどうか祟らないでください」と頭を下げている様子が想像できます。
マナブ:なるほど。その一方で、天皇家の祖先である天照大神をどう扱うかが問題になりますね。
歴史先生:はい、そうなると天照大神を同じ都で祀ることが難しくなります。「神の威光が強すぎて一緒に暮らすのは畏れ多い」と天皇が言ったというのが表向きの理由ですが、政治的に大国主命一派に気を遣って都から離れた場所に移すことにした、と考えても良さそうです。
マナブ:伊勢は近すぎず遠すぎず、移転先にはちょうどよい場所だったのかな?
歴史先生:第11代垂仁(すいにん)天皇の皇女に倭姫命(やまとひめのみこと)という人がいました。この人は崇神天皇の孫にあたります。この人はなんと40年もかけて天照大神が新しくお住まいになる場所を求めて伊賀、近江、美濃、尾張、伊勢を巡行します。
マナブ:40年!
歴史先生:そして伊勢の国の五十鈴川のほとりに来た時、ついに天照大神からのお告げを聞きました。
マナブ:何と言われたんでしょう?
歴史先生:「この神風の伊勢国は、永遠の波が幾重にも寄せて返す国である。大和の傍らにある、美しく素晴らしい国だ。私はこの国にいたいと思う。」と言われたそうです。

五十鈴川
マナブ:天照大神のお気に入りの場所、ということなんでしょうけど、他にも理由はあったんでしょうか?
歴史先生:大和から見て太陽が昇る方角なので、太陽の神様である天照大神にはふさわしかったのでは、という説もあります。
マナブ:なるほど。
歴史先生:ところで当時の伊勢・尾張・美濃は人口も増加し、大和から見て兵力や食料の供給地としての重要性が高まっていました。初期の大和政権が大和の盆地から全国へと覇権を広げるには最重要の土地でしたから、ここに拠点を設けたいという戦略的な意図もあっただろうと思われます。
マナブ:昔のこととはいえ、神様本人がそう言ったというよりは、場所選びには政治的な理由があったと考える方が納得できますね。
なぜ外宮と内宮があるの?

外宮

歴史先生:さて、伊勢神宮は正式には「神宮」と言います。伊勢というのは場所の名前で「伊勢神宮」というのは通称です。そして神宮は「外宮(げくう)」と「内宮(ないくう)」に分かれています。
マナブ:外宮と内宮はどう違うんですか?
歴史先生:内宮は天照大神を祀る元々の神宮です。外宮は478年に新しく追加されてできた神社で、天照大神の食事をつかさどる豊受大神(とようけのおおみかみ)を丹後の国から迎えて建てられました。
マナブ:こちらは創建年がはっきりしているんですね。それにしても天照大神の専属シェフを雇って神社まで建ててしまったなんて、さすがです。ところで豊受大神という神様が元々いた場所はわかっているんですか?
歴史先生:京都府北部や兵庫県北部など数か所にその伝承が残っていて、「元伊勢」と呼ばれています。
マナブ:豊受大神は実際に食事を作っているんでしょうか?
歴史先生:はい、外宮では「日別朝夕大御饌祭(ひべつあさゆうおおみけさい)」という儀式を毎日おこなっています。実際に朝と夕に天照大神等の神々に捧げる神饌(=お食事)を作って、外宮の御饌殿(みけでん)にお供えしています。
マナブ:神様は1日2食なんだ。
歴史先生:神様だけでなく、昔はみんな1日2食が基本でした。それが江戸中期ごろ、菜種油の普及で行燈が使われ るようになって活動時間が夜まで伸び、労働時間も増えたため、その途中で昼食を摂る習慣が始まったようです。
マナブ:そうなんですね。
歴史先生:この食事をお供えする儀式は外宮の創建以来、1日も欠かさず続けられています。
マナブ:そうか、地震があったり戦争があったり、パンデミックがあったりしても、神様のお食事を欠かすことはできませんよね。

外宮 正宮の中にある御饌殿(みけでん)
マナブ:ところで、内宮・外宮というと、それぞれ同格のような感じがしますが、内宮はご主人様で、外宮は雇われ料理人だとすると、その地位の差は歴然していますよね。
歴史先生:そのとおり、なのですが、鎌倉時代に外宮の神官である度会氏が「伊勢神道」という新しい解釈を立ち上げ、豊受大神は宇宙の最高神だという話を広めます。それによって外宮は内宮と同格、いや、むしろそれより上だ、と主張したんです。
マナブ:うーん、それはちょっと無理がありそうな理屈ですね。
歴史先生:内宮は当然激しく反発しました。ところで、江戸時代には「お伊勢参り」が大変なブームとなりますが、地理的に参拝者が先に到着するのが外宮です。内宮はそこからさらに5㎞の距離があります。そうなると、外宮の周囲で商売をする人たちは外宮で参拝者にできるかぎり多くのお金を使わせようとします。
マナブ:なるほど。
歴史先生:そしてついには「お参りは外宮だけでいい。内宮は同じだから行かなくてもいい。」なんていうことまで言いだす始末。
マナブ:内宮からすると許せない状況ですね。
歴史先生:実際、多くの参拝者が外宮だけで参拝を終えています。参拝者が仮に内宮まで足を延ばしてももう使えるお金がほとんど残っていない、なんていう状況になりました。その格式の上下とは反対に、外宮は内宮に対して経済的に圧倒的に優位に立っていたんです。
マナブ:内宮と外宮はそれでは仲が悪くなりそう。
歴史先生:はい、実際に両者の間で暴力的な事件が頻発し、裁判も多く行われていました。
マナブ:今ではどうなんでしょう?
歴史先生:なぜかわかりませんが、今でも「参拝ルートは外宮が先」と言われています。しかし門前の賑わいは内宮の方が断然上。バスツアーなどで外宮をスキップすることはあっても内宮をスキップすることはあり得ません。
マナブ:いまでは再び立場が逆転して内宮のほうが儲かるようになった。
歴史先生:そのあたりの秘密はまた内宮に行ったときにお話ししましょう。
外宮(豊受大神宮)の正宮にお参りしよう

外宮前の参道

外宮(豊受大神宮)(地図 ❶)
〒516-0042 三重県伊勢市豊川町279
境内自由
5:00~18:00、無休
(せんぐう館は9:00~16:00、無休、入館料300円)
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
https://www.isejingu.or.jp/about/geku/
マナブ:伊勢市駅から南へ約500mほど、外宮への参道が続きます。レストランや土産店などが通り沿いにあります。
歴史先生:では外宮へお参りしましょう。

外宮 駐車場(無料)

歴史先生:なぜか外宮は左側通行、内宮は右側通行なんだそうです。火除橋を渡るとすぐに左に手水舎、右に「清盛楠」があります。
マナブ:これは平清盛と関係している?
歴史先生:はい。平清盛は勅使、すなわち天皇の代理として伊勢神宮に3回参向したと記録があります。その際にこの楠の枝が触れて冠が落ちてしまい、怒った清盛が枝を切らせた、というエピソードが伝わります。
マナブ:1100年代の後半のことでしょうから、その当時から大木だったんですね。
歴史先生:特に看板など出ていないので見逃さないように。

清盛楠
歴史先生:ところで、平安時代までは「私幣禁断」と言って、天皇またはその代理以外は伊勢神宮を参拝できませんでした。ところがその慣習を打ち破ったのが源頼朝。
マナブ:そうだったんですか。
歴史先生:彼は平家との戦いの中で「打倒平家」「源氏再興」という私的な祈願を伊勢神宮で行っていて、平家滅亡のあと、伊勢神宮を手厚く保護することになります。その後室町時代も第3代将軍の足利義満以降第6代までが参拝に訪れています。
マナブ:権力のある将軍は参拝できるようになったんですね。でも庶民にはまだ開放されていない?
歴史先生:はい、庶民の間にお伊勢参りが一気に広がるのは江戸時代のことです。

表参道
マナブ:今は平日の朝8時。まだ人が少なくて、静寂の中を自分たちが玉砂利を踏みしめる音だけが聴こえます。
歴史先生:朝早くの参拝はお勧めですね。内宮の朝もいいのですが、あちらはお店の賑わいが楽しいので、内宮はむしろ混雑するお昼時の方がいいかな、と思っています。

神楽殿

正宮と御敷地
マナブ:正宮らしきものと、その手前に何もない空き地があります。式年遷宮の御敷地、と書かれていますね。
歴史先生:はい。ご存じの通り、式年遷宮と言って、伊勢神宮は20年に一度、建て替えられます。今ある正宮の右側に、次の代の正宮がもうすぐ建てられるんです。
マナブ:そのために、常に2倍の敷地が確保されているんですね。

正宮
マナブ:正宮ですが、鳥居をくぐってすぐの拝殿までしか入れません。また鳥居の向こうでは写真撮影禁止です。
歴史先生:ここから本殿である御正殿(ごしょうでん)は見えません。4重の垣根で厳重に取り囲まれていて、さっきの御敷地のところから屋根の上の部分がちらりと見えるだけです。また、その奥に朝夕の食事をお供えする御饌殿(みけでん)があります。

御正殿

御饌殿(みけでん)
マナブ:ほとんど見えないのは少し残念。
歴史先生:外宮の入口にある「せんぐう館」に実物大の御正殿の一部のレプリカがありますので、そこでじっくりと見てくださいね。また神宮徴古館には第62回の式年遷宮で解体された「御饌殿」の一部が移設・展示されています。
マナブ:それはいいですね。ちらりと見える御正殿ですが、屋根の上にある金の装飾がキラキラしてきれいです。
歴史先生:屋根の上に乗っている丸太のようなもの、あれを鰹木(かつおぎ)と言い、屋根の端にX字のように出ているものを千木(ちぎ)と言います。
マナブ:たしかに神社でよく見るような気がします。
歴史先生:これは伊勢神宮の様式で、後に建てられた靖国神社や熱田神宮などでも見られます。このような造りを「神明造り」と言って、弥生時代の高床式倉庫が元になっているとされています。一方で出雲大社に代表される「大社造り」は弥生時代の住居がモチーフになっていると考えられています。
マナブ:おもしろい。
内宮は女性? 外宮は男性? 伊勢神宮最大の深い謎

マナブ:内宮も外宮も造りは同じですか?
歴史先生:はい、どちらも神明造りなんですが、わずかな違いがあります。丸太のような鰹木(かつおぎ)ですが、内宮は10本、外宮は9本。
マナブ:あれ、それは内宮の方が格上だということを表しているんでしょうか?
マナブ:内宮は天照大神だから女性。そして外宮の豊受大神というのは男性の神様なんですね。
歴史先生:いいえ、豊受大神は女性です。
マナブ:えっ、どういうこと??

奇数(5本)の鰹木と千木を縦に切り落とした男性神の神社例
歴史先生:これは実に興味深い、伊勢神宮の最大の謎だと思います。いろんな説があります。
マナブ:例えば?
歴史先生:元々外宮には地元の男性の神様が祀られていて、そこに豊受大神が入ってきたという説。
マナブ:ありえるかも。
歴史先生:平安時代に神道と仏教が交わ る中で、密教の考え方として金剛界と胎蔵界という2つの世界観がそれぞれ男女を表しているので、それで辻褄を合わせるために豊受大神が男性として扱われた。あるいは、度会氏が外宮の神格を高めるために豊受大神を女性から男性に変えた、など。
マナブ:それもありそうですね。
歴史先生:少し過激な説としては、逆に天照大神が男性だったという主張もあります。
マナブ:えっ、それはどういうこと?
歴史先生:太陽神は本来男性であるはず。天照大神は食事の世話だけでなく、女性を求めて豊受大神を呼び寄せたのではないか。内宮の本殿の床下には神宮で最も秘密とされる柱が立っていて、これは男性のシンボルではないか。天照大神を祀る斎王は未婚の女性に限られ、毎晩伊勢の神々が寝床へやってくる。そして退任後も結婚が許されないのは天照大神の妻 になったからではないか。そして祇園祭の山車に乗っている天照大神にはひげがある、などなど、天照大神が男性ではないかと疑われる根拠もたくさんあるんです。
マナブ:うわー、天照大神が男性だったかもしれないなんて、なんだかショックを感じます。
歴史先生:この場合、なぜ天照大神を女性に変えたのかという背景として、女性の持統天皇の即位を正当化するために天照大神を男性から女性に変えたのでは、という説もあります。
マナブ:たしかに2つの神社のペアを男性と女性の組合せと考えるほうがしっくりきますが、それにしてもどちらも男性なのか女性なのかはっきりしないなんて。歴史の謎というか、深い闇のようなものを感じます。
外宮のそのほかの見どころ

歴史先生:次は細い小川を渡って案内図の左上の部分へ行ってみましょう。

土宮

風宮
歴史先生:亀石という平たい石でできた橋を渡ると、右側に土宮、左側に風宮があります。いずれも外宮・内宮に次ぐ格式を持った「別宮」です。
マナブ:それぞれ土と風の神様?
歴史先生:はい。土宮は外宮が建てられる前からのこの土地の神様。外宮がここに建てられたのちは神域や宮川の堤防の守り神となりました。通常南向きに建てられるのですが、土宮だけは以前からの東向きを踏襲しています。
マナブ:なるほど。
歴史先生:風宮は元々風雨の災害から稲作を守る神様でしたが、元寇の際に神風を起こして国難を救ったことから別宮に昇格して、厚く信仰されるようになりました。

多賀宮への石段

多賀宮
マナブ:多賀宮は石段を登ったところにありました。
歴史先生:多賀宮は以前は「高宮」とも呼ばれていて、境内より少し高い位置にあります。ここは豊受大神の「荒御魂(あらみたま)」が祀られている別宮です。
マナブ:あらみたま?
歴史先生:神様には通常時のおだやかな「和御魂(みぎみたま)」と、災いが起きたときに荒々しく立ち向かう「荒御魂(あらみたま)」の二面性があります。正宮に祀られているのは和御魂ですが、ここ多賀宮には荒御魂が祀られています。
マナブ:ということは、とてもパワフル?
歴史先生:はい。恐ろしい力がありますので、きちんとお祀りして、災害を防ぐ必要があったんです。勅使の参拝や式年参宮など、正宮に準じた扱いがされています。

北御門鳥居と厩舎
マナブ:次は裏参道を通ります。ここは表参道に比べると、ぐっと人が少なくなります。

大津神社へ続く道
マナブ:裏参道からはずれて、大津神社へ続く細い道へ入ってきました。ここはほとんど人がいなくて怖いくらい。

度会国御神社
歴史先生:道を進んだところに度会国御(わたらしくにみ)神社があります。度会氏の祖先を祀っています。

大津神社
歴史先生:その奥には大津神社。元は五十鈴川の河口付近にあった神社です。
マナブ:このあたり、とても静かで雰囲気あります。

せんぐう館
歴史先生:さて、外宮の入口にもどって、「せんぐう館」へ行きましょう。2019年に開館した新しい資料館です。最大の目玉は外宮の御正殿のレプリカ。その他、通常みることのできない朝夕の御饌のお供えの様子などを映像で見ることができます。


茜社入口
茜社
〒516-0042 三重県伊勢市豊川町274
境内自由
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
歴史先生:勾玉池の近くに外宮のバスの駐車場があります。入口がとても分かりにくいのですが、バス駐車場から狭い道を入ると茜社という神社がありますので見ていきましょう。

