top of page
三重県_1.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
江戸時代、参道途中の「古市」には何があった?
 
25回連続当選。憲政の神様「尾崎行雄」は何をした人?
 
全国第一位の虚空蔵菩薩はここ。朝熊山の「金剛證寺」
 
信長も登った伊勢のすべてが見渡せる聖地「朝熊山」
 
<おすすめのホテル>
三交イン伊勢市駅前
 
<おすすめレストラン>
嘉一

 

江戸時代、参道途中の「古市」には何があった?


伊勢古市参宮街道資料館



マナブ:昔の参道である「伊勢街道」と伊勢自動車道が交わるところにある、「伊勢古市参宮街道資料館」に来ました。資料館の前に数台車が停められそうです。


伊勢古市参宮街道資料館(地図 ❿)

〒516-0034 三重県伊勢市中之町69

入館無料

9:00~16:30、月曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.amigo.ne.jp/~furuichi/ 


歴史先生:さて、古市という場所、今は観光客がほとんど来ていないところなんですが、江戸時代はここは大いに賑わう街でした。

 

マナブ:ここには何があったんですか?

 

歴史先生:その前に、江戸時代に大流行したお伊勢参りについてお話しておきましょう。「伊勢に行きたい 伊勢路が見たい。せめて一生に一度でも」という歌がありました(道中伊勢音頭)。江戸時代、庶民の一生の楽しみはお伊勢さんに参ることでした。

 

マナブ:なんだか楽しそう。

 

歴史先生:江戸時代を通してお伊勢参りは流行しましたが、中でもほぼ60年周期で爆発的に流行して、伊勢神宮へ大勢の人たちが押し寄せたことがありました。それらは「おかげまいり」または「抜けまいり」と呼ばれています。

 

マナブ:おかげ横丁のおかげ、はそこから来ているんですね。

 

歴史先生:はい。まさに神様のおかげ、その神様に感謝するための参拝旅行です。

 

マナブ:もう1つの「抜け」とは?

 

歴史先生:伊勢参りが大流行したとき、家族にも内緒で、職場も勝手に辞めて伊勢へ行ってしまう。そんな人が続出したんです。

 

マナブ:勝手に抜けて行く、ということですか。でも計画的に貯金していないと、急な思いつきでそんな長旅はできないのでは?

 

歴史先生:それがですね、そういった抜けまいりの人々が集団となって道中を練り歩いて、それを妨げた人には天罰が当たると言われ、街道沿いの人たちはやむなく宿や食事を提供しました。旅人は「ひしゃく」一本を持ち歩いて、そこに食べ物などを入れてもらっていたようです。

 

マナブ:爆発的な流行、というときはどれくらいの人が来たんですか?

 

歴史先生:江戸時代の日本の人口は3,000万人くらい。最も流行した1830年のおかげまいりでは数か月のうちに400~500万人くらいも来たそうです。

 

マナブ:それって日本人の6~7人に1人がその期間中にお参りに来たということですね? すごすぎる。

 

展示室内の様子

 

歴史先生:古市は外宮から内宮へ行く参道の中間地点にあたります。江戸時代ここに何があったか、想像できますか?

 

マナブ:宿場町?

 

歴史先生:いえいえ、もっと男性が好みそうなもの。

 

マナブ:ひょっとして、遊郭? いやいや、まさか神聖なる伊勢神宮の外宮と内宮の間にそんなものがあるはずないですよね。

 

歴史先生:いえ、それが正解なんです。ここ伊勢の古市は江戸の吉原、京都の島原と並んで日本三大遊郭、と言われていました。

 

マナブ:ひぇー、天照大神もびっくり、だったのでは?

 

歴史先生:古市へ寄ることは「参拝後の精進落とし」なんて言われて、こんな川柳も流行りました。「伊勢参り 大神宮へもちょっと寄り」。

 

マナブ:あはは。お伊勢参りの主目的は参拝じゃなくて、古市で遊ぶこと?

 

歴史先生:はい、そんな楽しみがあるから、お伊勢参りは大人気になったんでしょう。ところで古市の遊郭を有名にした事件がありました。1796年、三大妓楼の「油屋」の人気遊女だった「お紺」と飲んでいた医者の「孫福斎」は、他の座敷に呼ばれてお紺がなかなか戻ってこないのに腹を立て、刀を振りかざして大暴れ。2名即死、7名負傷という大事件になりました。

 

マナブ:それはやりすぎ。

 

歴史先生:その顛末は「伊勢音頭恋寝刃(いせおんど こいのねたば)」という芝居のネタとなり、全国で上演されて大ヒット。一躍古市の遊郭を有名にしました。

 

伊勢暦

 

歴史先生:館内には貴重な資料もたくさん展示されています。たとえばこの伊勢暦。

 

マナブ:カレンダー?

 

歴史先生:そうです。伊勢で作られた暦で、農作業に必要な日の情報なども盛り込まれている、実用的なものでした。江戸時代、この伊勢暦が全国で使われていたんです。

 

マナブ:なぜ伊勢の暦が全国に広まったんでしょう?

 

歴史先生:それには御師(おんし)の存在が欠かせません。御師とは全国を回ってお伊勢参りの宣伝をしていた人。担当している集落の人たちが伊勢に来ると、御師は彼らを自分の家(=大勢が泊まれるような大きな家を持っている)に泊まらせ、参拝の世話をしました。

 

マナブ:旅行会社みたい。

 

歴史先生:そして御師は全国を歩く際、伊勢神宮のお札(ふだ)と共に、伊勢暦を配っていたんです。

 

マナブ:なるほど。今でも営業の人は年末になるとお客さんのところでカレンダーを配ったりしますが、あれの走りですね。

 

伊勢のおみやげ

 

歴史先生:ところで、伊勢のおみやげと言えば?

 

マナブ:やっぱり赤福でしょう。

 

歴史先生:では江戸時代はどうだったかというと、干した海産物や織物の他に、「万金丹」が有名でした。万病に効く薬として、お土産としてとても喜ばれたんだそうです。

 

マナブ:軽いし、かさ張らないし、いいお土産ですね。

 

歴史先生:現代では薬事法があって「万病に効く」とは言えなくなりましたが、今でも胃腸薬として販売されています。

 

おはらい町の「万金丹」のお店

 

25回連続当選。憲政の神様「尾崎行雄」は何をした人?

 

尾崎咢堂記念館の入口。ここの脇に数台車が停められるスペースがある。

 

 

尾崎咢堂記念館(地図 ⓫)

〒516-0052 三重県伊勢市川端町97−2

入館料100円(高校生以下無料)

9:00~16:30、月曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.city.ise.mie.jp/cul_spo_edu/culture/shisetsu/ozakigakudou/


マナブ:外宮から西へ車で5分ほど。宮川という大きな川を渡ってすぐのところにある尾崎咢堂記念館に来ました。ここは尾崎行雄さんという政治家の記念館。私がピッチャーの尾崎行雄と間違えた人ですね。

 

歴史先生:はい(笑)。尾崎咢堂という雅号で知られた政治家の尾崎行雄は、幕末の1858年、神奈川県の津久井の生まれ。14歳の1872年(明治5年)に伊勢山田に引っ越し、その2年後には上京して慶應義塾に入学しました。

 

マナブ:えっ、ここにいたのは2年間だけ?

 

歴史先生:でも、でもその後1890年(明治23年)に行われた初めての衆議院議員総選挙で三重県から立候補。32歳で当選し、以来、25回連続当選、63年間も議員を務めました。これは世界記録かもしれません。彼は95歳で亡くなる前年までずっと議員で、「憲政の神様」とも言われました。

 

マナブ:すごいな。

 

旧尾崎邸を伊勢市が譲り受けて記念館として運営している。

 

歴史先生:1903年(明治36年)から1912年(明治45年)までは衆議院議員と兼任で東京市長も務めました。日露戦争でアメリカが講和を仲介してくれたことのお礼としてワシントンに桜の木を寄贈したのも尾崎行雄です。その返礼としてアメリカからはハナミズキが贈られました。季節になると記念館の庭には桜とハナミズキが咲き乱れます。

 

マナブ:ポトマック川の桜は今でもワシントンDCの名所になっていますね。

 

歴史先生:尾崎行雄は非常に金にきれいな人でした。正義感が強く、強い相手にもひるまずに立ち向かっていく。後に三木武夫が「クリーン三木」というキャッチフレーズで首相になりましたが、彼が模範としていたのが尾崎行雄でした。

 

マナブ:三木さん、いましたねぇ。クリーンで好感度高かったんですが、お金を配らないせいか、自民党内での基盤が弱かった。どうしても政治と金というのは切っても切れない関係なんでしょうかねぇ。

 

記念館の庭にある尾崎行雄の胸像

 

歴史先生:尾崎行雄の功績として有名なのが普通選挙の実現。大正時代に薩長をはじめとする一部の藩の出身者に権力が集中していた藩閥政治に対する一般大衆の反感から、大正デモクラシーという運動が起きました。尾崎行雄は犬養毅らと共に藩閥政治の打破に務めます。

 

マナブ:で、普通選挙が実現した?

 

歴史先生:はい。それまでは一定の納税額以上の男子にしか選挙権がなかったのですが、成人男子全員に選挙権が与えられるという「普通選挙法」(1925年、大正14年)を成立させたんです。

 

マナブ:それでもすごいことだったんでしょうけど、まだ男子だけだったんですね。

 

歴史先生:女子にも選挙権が与えられたのは、何と1945年(昭和20年)、戦争に負けた後の話です。

 

マナブ:けっこう、最近の話なんですね。

 

歴史先生:ただし、尾崎行雄は普通選挙の実施に関しては迷いもあったようです。

 

マナブ:というと?

 

歴史先生:ポピュリズム、をご存じですか?

 

マナブ:はい。大衆に迎合する主義、のことですよね?

 

歴史先生:既存の権力やエリートを批判の対象にして対立構造を作り出し、一般大衆から熱狂的な支持を得る、という政治手法。高いモラル意識を持つ上流階級などを敵として対立を煽り、どちらかといえば教育をあまり受けていない人々に支持されます。

 

マナブ:まさに今のアメリカがそうなってきていますし、日本もそれに近い。嘆かわしいことです。

 

歴史先生:普通選挙は民主主義の根本だという理想は理解していながら、大正時代当時の日本でそれを実施するとポピュリズムの餌食になるのではないか、という懸念は尾崎行雄自身、不安に思っていたようです。

 

マナブ:そうでしょうね、現代でもまだその不安が大きいですから。

 

歴史先生:しかもそれと同時に治安維持法が制定されます。これは政府の批判をした人を逮捕できる法律。これによって言論の自由が侵され、民主主義の理想とはまだかけ離れた状況が続きました。

 

マナブ:うーん、良くないですね。

 

歴史先生:彼の不安は的中します。そのうち経済面では世界恐慌が起き、人々の暮らしは苦しくなりました。そんな時に台頭してきたのが軍部だったんです。軍部はポピュリズムを最大限に活用し、人々の不満を既存の政治家にぶつけ、軍部こそが日本を救う正しいヒーローだということを一般大衆が信じる空気が醸成されます。しかも、それに反対する知識人たちは治安維持法で排除すればいい。

 

マナブ:そして無謀な対米戦争。壊滅的な敗戦。まさに最悪の結果を生みましたね。日本人はこの昭和史の流れを学ぶことが最重要の勉強だと思いますが、あえて学校ではまったく教えない。さまざまな圧力があるのだとおもいますが、それに対して私は憤りさえ感じてしまいます。

 

記念館の展示室

 

歴史先生:さて尾崎行雄ですが、第一次世界大戦の後、ヨーロッパへ視察に行きます。そこで目にしたのが、これまで歴史上起きたことがなかったほどの大規模で悲惨な殺戮と破壊の跡でした。

 

マナブ:彼はそれを見てどう行動したんですか?

 

歴史先生:このような世界戦争は二度と起こしてはならないと強く思いました。ヨーロッパ諸国は軍縮へと進む流れになり、国際協調の必要性を誰もが感じていました。尾崎行雄はアメリカ50州の連邦をモデルにした世界連邦の思想を説き、欧米からも注目されます。

 

マナブ:素晴らしい思想だ。

 

歴史先生:しかし足元を見ると、第一次世界大戦でほとんど傷つかなかった日本は、世界の流れと逆行していました。アジア大陸への進出、軍備増強が盛んにおこなわれ、どんどん軍国主義へと向かっていきます。

 

マナブ:たしかに。

 

歴史先生:尾崎行雄は軍縮や反軍国主義を主張しましたが、そのたびに命を狙われました。それでも彼は主張を止めません。

 

マナブ:勇気ある人だ。

 

歴史先生:太平洋戦争直前には命がけで東条英機内閣を厳しく糾弾します。しかし結果的には彼の力及ばず、日本は壊滅的な戦争に突入していきました。

 

尾崎行雄の歩みを映像でも見られる

 

歴史先生:現在、国会議事堂の前には「憲政記念館」という、国会の資料館のような施設があります。これは元々は1960年(昭和35年)に尾崎行雄を記念して建てられた「尾崎記念会館」でした。今でも尾崎行雄の功績が展示されています。

 

マナブ:暗黒の昭和初期にも素晴らしい政治家がいたんですね。日本が再びポピュリズムの国に戻らないよう、今の国会議員全員に尾崎行雄の考え方を徹底的に学んでほしい。そう感じました。

 

全国第一位の虚空蔵菩薩はここ。朝熊山の「金剛證寺」

 

伊勢志摩スカイライン「一宇田展望台」

 

 

マナブ:伊勢神宮の内宮の近くから出ている「伊勢志摩スカイライン」をドライブします。

 

歴史先生:地形図を見ていただくと、朝熊山(あさくまやま、ではなく「あさまやま」と読む)というのは内宮の東側に東西に細長く延びる尾根のような山。高さは500mほど。この尾根筋を通って、内宮から鳥羽に抜ける道が「伊勢志摩スカイライン」です。

 

マナブ:このあたり、東西方向に地形の筋が見えますね。

 

歴史先生:「付加体」というのを覚えていますか?

 

マナブ:たしか南紀(和歌山県)を訪ねたときに聞いたような。

 

歴史先生:はい、そのとおり。海底に堆積した海洋生物や砂などがミルフィーユ状に積もってできた堆積岩の地層のことです。これらが海の底でフィリピン海プレートに乗って日本列島にぶつかった時、プレート本体はユーラシアプレートの下に潜り込むのですが、付加体部分だけが地下に飲み込まれずに剥がれていき、陸地に乗り上げます。熊野灘に面した南紀や志摩あたりはこの付加体でできています。この地層はプレートの圧力で圧縮されて「しわしわ」になっているので、同じ方向を向いた線のようなものが地形図に現れるんです。

 

マナブ:なるほど。

 

歴史先生:そして朝熊山は、付加体の中に偶然取り込まれてしまった海底火山の名残だ、ということもわかってきました。

 

マナブ:へぇー、そうなんですね。

 

歴史先生:では料金所を通って、伊勢志摩スカイラインを走りましょう。

 

マナブ:登り始めてしばらくすると「一宇田展望台」というところがありました。ここから伊勢の平野の眺めが素晴らしい。

 

歴史先生:でも山頂はもっと眺めがいいので、お楽しみに。

 

 

金剛證寺(地図 ⓬)

〒516-0021 三重県伊勢市朝熊町548

境内自由

9:00~15:45、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.iseshimaskyline.com/kongoushouji/ 


マナブ:山頂付近まで登ってきました。ここには金剛證寺(こんごうしょうじ)というお寺があります。

 

歴史先生:仏教伝来から間もない古墳時代の第29代欽明天皇(在位539~571年)のころに開かれた古刹で、平安時代の初期、825年に空海が堂宇を建立して密教の一大道場となったと伝わります。鎌倉時代には禅宗に改められました。

 

マナブ:それは相当古いですね。

 

歴史先生:その後も伊勢神宮(内宮)の北東側、すなわち鬼門を守る寺として大切にされ、伊勢国で一番の大寺として発展しました。1925年(大正14年)にはケーブルカーが開通して、多くの参拝客が訪れましたが、1944年(昭和19年)に軍のために金属供出し、そのまま廃線となっています。1960年(昭和35年)には伊勢湾台風で甚大な被害を受け、寺は衰退しました。

 

マナブ:あらあら。

 

歴史先生:しかし1964年(昭和39年)に伊勢志摩スカイラインが開通。路線バスも運行されるようになって、今は少しずつ賑わいを取り戻してきています。

 

仁王門

 

歴史先生:では仁王門から入っていきましょう。

 

マナブ:大きくて立派な門ですね。

 

歴史先生:こちらは火災で焼失したため1979年(昭和54年)に再建されたものです。

 

雨宝堂と連珠橋

 

マナブ:赤い太鼓橋があります。

 

歴史先生:これは連珠橋と呼ばれ、橋の向こうには雨宝堂があります。雨宝堂には空海が作ったとされる雨宝童子像(国指定重要文化財)が祀られています。

 

マナブ:雨宝童子って?

 

歴史先生:天照大神は、大日如来の化身です。その天照大神が日向国に降り立った時の16歳のお姿を空海が感得して彫ったものだそうです。

 

マナブ:えっ、天照大神は大日如来の化身?

 

歴史先生:それが神仏習合の思想。伊勢神宮と金剛證寺の深いつながりを表す一例です。

 

本堂

 

マナブ:さぁ、いよいよ本堂です。これもまた立派な建物。

 

歴史先生:本堂も何度か焼失していますが、今の建物は1609年、江戸時代の初めに姫路藩初代藩主の池田輝政によって寄進されたもので、国指定重要文化財です。ご本尊は虚空蔵菩薩。

 

マナブ:虚空蔵菩薩ってよく聞きますが・・・。

 

歴史先生:「虚空」すなわち何もない空のような広大な空間を「蔵」とするほど無限の知恵と慈悲を持った菩薩様。知恵や知識、記憶力を与えてくださるということで、密教の修行の対象になっています。

 

マナブ:だから空海も信仰した。

 

歴史先生:はい。虚空蔵菩薩で有名なお寺が3つあって、日本三大虚空蔵菩薩と言われるのですが、その第一位とされるのがここ金剛證寺です。(第二位は福島県の円蔵寺、第三位は茨城県の村松虚空蔵尊)

 

マナブ:そうでしたか、ここは日本第一位の虚空蔵菩薩。

 

奥の院の入口にある極楽門

 

歴史先生:では奥の院にも行ってみましょう。

 

マナブ:山道をかなり登るんですか?

 

歴史先生:奥の院というとそういうイメージがありますよね。でもここではむしろ緩い下り坂の先にあって、距離もそんなにありませんのでご安心を。

 

奥の院参道に並ぶ卒塔婆

 

マナブ:これは何でしょう? 道の両脇に材木のようなものが立ち並んでいます。

 

歴史先生:これは卒塔婆(そとば)です。

 

マナブ:えっ、こんなの見たことない。

 

歴史先生:ここは墓地になっていて、遺族の方々が卒塔婆を立てます。卒塔婆は6年で取り下げられ、供養されてまた新しい卒塔婆が立っていきます。

 

九鬼嘉隆の墓

 

御木本幸吉の墓

 

歴史先生:そしてここには九鬼嘉隆のお墓、そして御木本幸吉のお墓があります。この地方の歴史上とても重要なこの2人については鳥羽の回で詳しくお話いたしましょう。

 

マナブ:御木本幸吉って、ミキモト真珠の人ですよね? お墓がまん丸になっていて、あれは真珠がモチーフなのかな?

 

歴史先生:あ、そうなのかもしれませんね。

 

奥の院

 

マナブ:割とすぐに奥の院にたどり着きました。お参りしてきましょう。

 

歴史先生:ところで金剛證寺は、江戸時代のお伊勢参りで必ず立ち寄るべき場所、とされていました。「伊勢へ参らば朝熊をかけよ。朝熊かけねば片参り」と歌われていて、朝熊山にお参りしなければ不完全な「片参り」になるよ、と考えられていました。

 

マナブ:とすると、伊勢神宮へのお参りの正しいルートは、まずは二見浦の海で「浜参り」をして、外宮に参拝して、内宮に参拝して、そのあと朝熊山にがんばって登る。そういうことですか?

 

歴史先生:はい、そうなんです。

 

マナブ:そして疲れたから古市の遊郭に行って「精進落とし」(笑)。

 

歴史先生:はい、それが実は最大の楽しみだったかも。

 

信長も登った伊勢のすべてが見渡せる聖地「朝熊山」

 

朝熊山頂上展望台の広場

 

 

朝熊山頂展望台(地図 ⓭)

〒516-0021 三重県伊勢市朝熊町185

入場自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.iseshimaskyline.com/spot-summit.html 


マナブ:金剛證寺から車ですぐのところに朝熊山山頂展望台があります。広い駐車場があって、お土産屋やレストラン。そして広い広場が整備されています。

 

歴史先生:まずは東側の海が見える方へ行ってみましょう。

 

鳥羽の海を見下ろす絶景展望台

 

マナブ:わぁ、これはすごいなあ。小さな島々がいっぱい。

 

歴史先生:あれは鳥羽のあたりになります。

  

足湯も人気

 

マナブ:足湯もありますね。絶景を見ながらリラックスできそう。

 

北側は伊勢の平野が見渡せる

 

歴史先生:今度は北側を見てください。

 

マナブ:こちら側もすごい。伊勢市内、そこから続く平野が見渡せます。

 

歴史先生:天気が良ければ名古屋の方まで見えるそうですよ。

 

マナブ:昔の人も金剛證寺に参拝した後、この景色には感動したでしょうね。

 

歴史先生:そうでしょうね。そんな中の一人が織田信長です。

 

マナブ:信長もここまで登った?

 

歴史先生:はい。織田信長は伊勢の北畠氏との戦いに勝って伊勢の国を手に入れます。その時、朝熊山に登って金剛證寺にお参りし、その目で伊勢の国を上から眺めたのだとか。

 

マナブ:自分が新たに征服した国を上から見る。実に気持ちが良かったでしょうね。

 

南側には平たい地形が続く志摩。白く光って見えるのは英虞湾。

 

歴史先生:そして南側に広がるのが志摩の国。比較的平たい台地が広がっていて、その先に英虞湾をはじめとするリアス海岸が続いています。

 

マナブ:あの光っているところが英虞湾?

 

歴史先生:はい、そうです。信長は次の攻撃目標である志摩国をここから見渡したはずです。そして下山すると九鬼嘉隆に志摩国を占領するよう、命令を下しました。

 

マナブ:そうなんですね。

 

歴史先生:ということで、ここまで伊勢を回ってきました。外宮から内宮へ、そして二見浦や斎宮、朝熊山など周辺地域を訪れましたが、いかがでしたか?

 

マナブ:伊勢神宮と言えば、「天照大神さんにお参りして、おかげ横丁で赤福食べて・・・」というくらいのイメージしかなかったんですが、歴史をちゃんと知ると実に興味深いことばかり。日本一の神社ということもあって、謎の多さも日本一。意外と地形の面白さもあって、興味は尽きません。せっかくお伊勢参りをするのであれば、こういったことも知ってから訪れると楽しみが何倍にもなりますね。

 

<おすすめのホテル>

三交イン伊勢市駅前

 

観光の拠点、伊勢市駅前にある施設の新しいビジネスホテル。


伊勢市駅(右)の前に建つ三交イン伊勢市駅前(一番左の建物)


選んだ理由:

・立地:伊勢市駅のすぐ前。最終日に朝の近鉄電車に乗るため、伊勢市駅の近くで探していた。また、ホテルを素泊まりで予約して、近隣の飲食店で夕食をとることにしたので、飲食店の多い伊勢市駅前が最も便利であった。

・施設の新しさ:2016年に開業した比較的新しいホテル。設備の新しさが期待できた。(なお、隣には別館Grandeが2023年に開業。上位グレードのホテルとしてこちらも比較するとよい。)

・大浴場:人工温泉の「四季乃湯」がある。


実際に泊まった感想:

・立地:まさに伊勢市駅前。月夜見宮にも近い。付近に飲食店も多くあり、とても便利であった。

・施設:新しくて快適。

・駐車場:1泊目はレンタカーを借りていたので駐車場を利用。ホテルのすぐ脇に10台程度の平面駐車場があり、フロントで1,000円支払ってサービス券をもらう。

・大浴場:2階に大浴場有り。展望はないが、十分な広さがあって快適に過ごせた。湯上りのアイスもうれしい。



必要なものがすべて揃ったコンパクトなシングルルーム


一休のサイト:

https://www.ikyu.com/00081421/ 


<おすすめレストラン>

嘉一

 

伊勢市駅からすぐ。新鮮な海鮮料理を楽しむならここ。

 

 


嘉一

〒516-0073 三重県伊勢市吹上1丁目3−22

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://kaichi.taikakougyou.com/ 


実際に行ってみた


・平日の夕方17時ごろ入店。

・2025年12月に開店した新しいお店。店内は新しく、シンプルでモダン。

・店内には生け簀があり、伊勢海老などが泳ぐ。

・魚介の新鮮さが売り。海鮮丼は盛り付けもきれいで、味はもちろん言うことなし。

・せっかく伊勢に来たらおいしい海鮮丼を食べたい、と思うなら、このお店も有力候補になるだろう。

 

シンプルでモダンな店内

 

 

盛り付けが美しい海鮮丼

 

​歴史好きのための観光ガイド
記事の内容は取材当時のものであり、最新の情報についてはWebサイト等で必ずご確認ください。

本サイトは個人が運営しています。筆者の勉強不足による歴史認識の誤りや情報のアップデートの必要性など多々あろうかと存じますが、何卒温かくお見守りください。

本サイトの内容について無断転載はご遠慮ください​。

© rekishizuki 
bottom of page