日本で一番小さい国「志摩」
三重県という地名の由来は古代史のヒーローの弱音?
英虞湾のリアス海岸地形はどうやってできた?
「志摩観光ホテル」が作ったリゾート開発の歴史
「G7伊勢志摩サミット」の開催
近鉄の伊勢志摩開発の起爆剤と期待された「志摩スペイン村」
<おすすめのホテル>
志摩観光ホテル(ザ・クラシック)
<おすすめのホテル>
ホテル志摩スペイン村
日本で一番小さい国「志摩」

志摩は平地が少なく、リアス海岸が続く

マナブ:今日は伊勢から近鉄電車に乗って、志摩の方へ旅します。
歴史先生:「伊勢志摩」とよく言われますが、昔は2つの別の国でした。上の地図を見てください。
マナブ:伊勢、伊賀、志摩で今の三重県になっているようなんですが、それにしても「志摩」って、半島の先っぽだけ。とても狭くありませんか?
歴史先生:そうなん です。日本で一番小さい国、と言われています。
マナブ:何でだろう、どうみても伊勢の一部で良さそうに思いますが、志摩を独立国にしたのは何か理由があったんでしょうか?
歴史先生:最初に国を定めた天武天皇の時代、志摩は伊勢の一部だったようです。それが7世紀後半もしくは8世紀前半に伊勢から独立したようなのです。理由ははっきりとはしないのですが、それは志摩の特殊性によるものと考えられます。
マナブ:特殊性というと?
歴史先生:志摩という地区は、リアス海岸が続いていて、平地はほぼありません。よって稲作はほとんど行われていない。その代わり、アワビや海藻などの海産物には大変恵まれていました。
マナブ:たしかに。

美しい「国府白浜海岸」にはかつて志摩の国府があった

志摩ではアワビ、サザエなどが豊富に獲れる
歴史先生:そのため、この地区からは米ではなく海産物を贄(にえ)として納めていたわけです。そのことから志摩地区は朝廷にとって「御食国(みけつくに)」、すなわち天皇をはじめとする朝廷の食事を担う国、とされました。
マナブ:朝廷のための食糧基地。
歴史先生:はい。朝廷の食事をつかさどる「内膳司(ないぜんし)」という役職があるのですが、この役職は代々志摩の高橋氏が務めていて、志摩の国司はこの高橋氏が兼任していました。
マナブ:天皇家の料理長さんが県知事でもあったわけだ。志摩というのはまさに海の恵みと共に生きている人々の国なんですね。
歴史先生:はい。志摩の国の一の宮とされている伊射波(いさわ)神社。海に向かって鳥居が立っていて、海上安全の神様を祀っています。

伊射波神社
歴史先生:一方で、志摩は伊勢とのつな がりが深い。志摩国の範囲にある伊勢神宮の別宮の「伊雑宮(いざわのみや)」。こちらも志摩国一の宮と言われています。

伊雑宮
マナブ:そんな志摩ですが、その後はどうなったんでしょう?
歴史先生:室町時代には伊勢の北畠氏が戦力を伸ばして、志摩も実質的に統治していたようです。しかし戦国時代になると九鬼氏が台頭。志摩を治めるようになります。
マナブ:ふむふむ。
歴史先生:江戸時代には何度か領主が交替します。明治維新後の廃藩置県では まずは鳥羽県が作られますが、すぐにお隣の度会県と統合。さらに北側の安濃津県と統合されて三重県となりました。
三重県という地名の由来は古代史のヒーローの弱音?
マナブ:あ、そういえば、これまで「三重」という地名は歴史の話で出てきませんでしたが、これはどこからきた県名なんでしょう?
歴史先生:ヤマトタケルの伝承から、です。
マナブ:お、古い話だ。
歴史先生:ご存じのようにヤマトタケルは東国を平定します。その帰りに伊吹山で荒ぶる神によって病となり、フラフラ になりながら大和を目指して帰ろうとしますが、その途中で亡くなってしまいました。
マナブ:ふむふむ。

杖衝坂
歴史先生:今の四日市市に「杖衝坂(つえつきざか)」というとても急勾配の坂があって、東海道の難所の1つとされています。この坂をヤマトタケルは杖をつきながら何とか登ったのですが、その際に「吾か足三重の勾なして、いたく疲れたり」(=私の足が三重に折れ曲がって、ひどく疲れた)と言ったそうです。
マナブ:足が三重に曲がるなんて、相当キツそう。
歴史先生:そのことから「三重」という地名ができ、安濃津県の県庁がそこに置かれたことから「三重県」という名前になりました。
マナブ:へぇー、面白い県名ですね。三重の人はどう思ってるのかな。「伊勢県」とかのほうがしっくりくるような気がしますが。
歴史先生:廃藩置県の時、昔のしがらみを断ち切って新しい世の中にするために、歴史ある名前をどんどん切り捨てていったんだと思います。
マナブ:その結果、日本中がなんだかピンとこない県名ばかりになってしまったんですね。歴史を大事にしたいと考える私たちからすると、明治維新の時に大切なものがたくさん失われたような気がして残念です。
英虞湾のリアス海岸地形はどうやってできた ?

英虞湾

歴史先生:さて、志摩はリアス海岸が続くというお話をしましたが、中でも「英虞湾(あごわん)」は、実に複雑な海岸線を形成しています。深い入り江、そして無数の島々。高い山がなく、開放的な景観も特徴的です。
マナブ:地図で見てもすごそうですね。こんな地形はどうやってできたんですか?
歴史先生:伊勢にいたとき、中央構造線の話をしましたよね。
マナブ:はい。その北と南で地層が違う、ということでした。
歴史先生:おさらいすると、中央構造線の南側は「付加体」、すなわちフィリピン海プレート上の海底で堆積した地層が、ユーラシアプレートに潜り込むときに剥がれて、陸地に押し上げられたもの。ミルフィーユのような層になった岩石が特徴的です。

二見浦で見られた緑色片岩
歴史先生:陸に押し上げられた付加体は風雨によって浸食されやすく、複雑な谷と川の凸凹地形になりました。ところで、地球は氷河期を何度も繰り返しているというのはご存じですね?
マナブ:はい。
歴史先生:その氷河期の中でも特に寒い氷期と、その間の温暖な間氷期というのがあります。258万年前から地球は氷河期に入っていて、1万1700年ほど前に氷期が終わり、それ以降は現在まで温暖な間氷期が続いているんです。
マナブ:で?
歴史先生:氷期が終わって間氷期になると、氷が溶けたり海の水が温まって膨張したりすることで海面が上昇します。7,000~6,000年前くらいには海面上昇がピークとなって「縄文海進」という現象が起きました。
マナブ:あ、そうか。海面が上昇したことで、谷だったところに海水が流れ込んだ。
歴史先生:はい、そうやって英虞湾の複雑なリアス海岸ができたんです 。
マナブ:英虞湾のこの地形。縄文時代に出来た意外と新しいものだったんですね。

海抜140mの横山展望台からは英虞湾の複雑な地形を見渡せる
「志摩観光ホテル」が作ったリゾート開発の歴史

志摩観光ホテル「ザ・クラシック」。右側手前の茶色屋根の建物が「ザ・クラブ」。この景色は「ザ・ベイスイート」のラウンジから眺められる。

志摩観光ホテル(地図 ❶)
〒517-0502 三重県志摩市阿児町神明731
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
https://www.miyakohotels.ne.jp/shima/
マナブ:さて、伊勢市内から近鉄特急で45分ほど。賢島駅に着きました。ここが近鉄の終点ですね。
歴史先生:はい、賢島は英虞湾の中に浮かぶ島です。たくさんの観光客が降りてきましたね。ここは一大リゾート地としてたくさんのホテルが立ち並んでいます。

賢島駅にはさまざまな近鉄の特急電車が到着する。郵便ポストは「しまかぜ」仕様。

2026年11月デビューのレストラン特急「Les Saveurs」。名古屋発-賢島行きの間に、志摩観光ホテル総料理長監修のフレンチコース(またはフレンチ膳)が味わえる。
歴史先生:さて、今晩私たちが泊まるのは「志摩観光ホテル」。志摩のリゾート地としての歴史を作ったホテル、と言えるでしょう。
マナブ:すごく楽しみです。このホテルはいつできたんでしょう?
歴史先生:1951年(昭和26年)開業です。終戦からわずか6年。そのころ日本にはアメリカ軍が進駐していました。彼らが日本国内を観光するにあたって、志摩の真珠やリアス海岸の景観などの人気が高まりましたが、当時このあたりには外国人が宿泊できるようなホテルはありませんでした。また、真珠を買い付ける外国人バイヤーも増えていました。
マナブ:真珠かぁ。
歴史先生:そこで近鉄グループ、三重交通、そして三重県が共同でリゾート開発に乗り出します。しかしこのあたりは平地が少なく、ホテルになりそうな場所がない。ようやくホテルの場所を賢島に決めますが、戦後間もない時期、建築資材 が手に入りません。
マナブ:今とは違ってホテル建設も大変そう。
歴史先生:そこで三重県鈴鹿市に戦前に作られた、海軍将校のための社交施設「海軍工廠高等官集会所」を取り壊して移築することにしました。そして、その施設を作った建築家の村野藤吾に新たなホテルの建設を依頼します。
マナブ:村野藤吾、ですか。
歴史先生:昭和を代表する建築家の一人で、彼は京都・蹴上の都ホテルや、大坂上本町の都ホテル大阪など、近鉄グループの仕事を多く請け負っていました。彼は賢島の現地を視察し、「こんな馬の背のようなところにどうやって建てよう?」と悩んだそうです。

高さを抑えた階段や丸みを帯びた手すりの終端などに、村野藤吾独特のデザイン性が感じられる。

ホテル宿泊者向けには毎朝9時から館内の歴史ツアーが行われる(所要40分)
歴史先生:ホテルは3つの建物から成っています。一番古いのが「ザ・クラブ」。1951年(昭和26年)の開業当時はこれがホテルでしたが、現在はカフェなどになっています。西洋式のホテルでありながら、随所に日本建築の技術やモチーフが施されている名建築です。

ザ・クラブの内部

現在はカフェとして営業しているかつてのホテルのダイニング
マナブ:ザ・クラブは鈴鹿にあった海軍将校向けの施設を移設したものですね?
歴史先生:はい。開業直後に昭和天皇も滞在され、ザ・クラブの前の庭から英虞湾を眺望され、歌をお読みになられました。「色づきし さるとりいばら そよごの実 目にうつくしき この賢島」
マナブ:で、あとの2つの建物は?

ザ・クラシック
歴史先生:1969年(昭和44年)、「ザ・クラシック」が建てられます。
マナブ:1969年というと、1970年の大阪万博の前の年。
歴史先生:大正解です。万博へ来られた世界各国の人たちが足を延ばすだろうとの需要を見込んで建てられたんです。こちらも和の要素を巧みに取り入れた西洋式ホテルです。当時としては国内最大級のリゾートホテルでした。
マナブ:なるほど。
歴史先生:ザ・クラブとザ・クラシックはテレビの「新・美の巨人たち」でも詳しく取り上げられていましたので、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。

左手前が「ザ・クラブ」。右奥が「ザ・ベイスイート」。
マナブ:そして3つ目は?
歴史先生:3つ目は「ザ・ベイスイート」。2008年(平成20年)に建てられた新しいもので、全室100㎡以上のスイートになっています。
マナブ:贅沢な造りですね。
歴史先生:ところで、志摩観光ホテルといえば、フレンチが有名です。
マナブ:志摩には伊勢エビとか、 アワビとか、高級な海の幸が豊富にありますものね?
歴史先生:でも以前はごく普通の「洋食」を出していたんです。それを変えたのが1994~2001年に第5代目の総料理長を務めた高橋忠之(ただよし)。
マナブ:あれっ、たしか天皇の料理を統括していたのも高橋さんじゃなかったでしたっけ?
歴史先生:はい、古代の内膳司も志摩の高橋氏でした。高橋忠之さんも志摩の出身ですが、その高橋氏の子孫だという記録はないそうです。でも、もしそうだとしたらロマンがありますね。
マナブ:そうだったらおもしろい。
歴史先生:さて、高橋忠之さんは「このホテ ルで地元の最高の食材を使って最高のフレンチを提供したい」と言い出します。経営陣からは「料理の値段が上がって今までのお客様が離れてしまう」という心配が示され、料理人たちからは「私たちにはそんな高度な料理はできない」と強い反対意見が出ました。
マナブ:たしかにそうなるでしょうね。
歴史先生:でも高橋忠之は「特別なフレンチを食べるために志摩観光ホテルに泊まりたい、というお客様に来ていただきたい」、と自らの主張を曲げませんでした。結果、料理人の半数が辞めてしまったとか。
マナブ:大変でしたね。でもその試みは成功した?
歴史先生:はい。高橋忠之が築いた伝統はその後も代々の料理長によって守られてきました。彼が生み出したアワビのステーキ、伊勢エビのスープなどの看板メニューは、今でも提供され ています。
マナブ:今晩、食べられますか?
歴史先生:はい、もちろん!
マナブ:やった!

山崎豊子が執筆していた机も見ることができる
歴史先生:ところで、作家の山崎豊子さんを知っていますか?
マナブ:はい。白い巨塔とか、沈まぬ太陽とか。大きな組織の闇に切り込むような鋭い視点の骨太な小説が多いですよね?
歴史先生:彼女の代表作の1つに「華麗なる一族」があります。映画やテレビドラマ化された作品ですのでご覧になられたかもしれませんが、その書き出しは志摩観光ホテルから見る夕日の風景、でした。実際、山崎豊子はこのホテルに滞在して、執筆をしていたそうです。
マナブ:そうでしたか。まさに華麗なる一族が泊まってフレンチを堪能しているような絵が似合うホテルですね。
「G7伊勢志摩サミット」の開催

伊勢志摩サミット記念館「サミエール」は賢島駅改札を出てすぐ。

伊勢志摩サミット記念館「サミエール」
〒517-0502 三重県志摩市阿児町神明747−17 近鉄賢島駅 2階
入館無料
9:00~17:00、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
https://www.city.shima.mie.jp/kakuka/seisakusuishin/sogoseisakuka/iseshimasummit/1496971267933.html
歴史先生:さて、志摩観光ホテルの名前が一躍全国区になった出来事がありました。
マナブ:G7のサミットですね?
歴史先生:はい。2016年(平成28年)に開催されたG7伊勢志摩サミット。オバマさんやメルケルさんなどをこのホテルに招きました。
マナブ:候補地がいくつかあって、誘致合戦もあったんでしょうね。
歴史先生:はい。しかし賢島は橋2本でしか本土とつながっていないという、警備しやすい地理的条件が大きなアドバンテージとなって、志摩観光ホテルが会場に選ばれました。
マナブ:たしか広島のサミットも宇品島。同じような条件ですね。
歴史先生:そうでしたね。さて、賢島駅の改札を出ると正面にファミリーマートがあって、その隣の階段を2階にあがると伊勢志摩サミット記念館「サミエール」があります。

記念館の内部にはサミット関連資料やグッズなどの展示がいっぱい

実際に使用されたテーブルの1つも展示されている
マナブ:ここは無料なのに充実していますね。展示物が豊富で、じっくり見るにはけっこう時間が必要です。
歴史先生:各国の首脳やそのスタッフは、志摩観光ホテルに泊まりました。ザ・クラシックの6階にはオバマ大統領が泊まったスイートが残っています。警備のため、窓には防弾の装置を置き、屋上にはスナイパーが見張っていたそうです。
マナブ:さすがアメリカ大統領の警備はレベルが違いますね。ところで参加者の中では日本からのスタッフが一番多かったと思いますが、彼らも泊まったんですよね?
歴史先生:いえ、日本のスタッフは人数が多いので志摩観光ホテルに収容しきれず、系列の温泉旅館「賢島宝生苑」に泊まったんだそうです。
マナブ:あ、日本の人たちは温泉旅館、ですか。それもいいですね。

ザ・クラブにあるテーブル

ザ・クラシックのフレンチレストラン「ラ・メール」にもテーブルが置かれている
歴史先生:サミットと言えば丸テーブルに各国首脳が座っているイメージですが、実際に使用されたテーブル3つが、記念館に1つ、ホテルに2つ、それぞれ展示されています。ホテルの方のテーブルは実際に座って、ホテルスタッフの方に写真を撮ってもらったりもできますよ。
マナブ:あ、いいですね。それ、やろう。
近鉄の伊勢志摩開発の起爆剤と期待された「志摩スペイン村」

志摩スペイン村

志摩スペイン村(地図 ❷)
〒517-0212 三重県志摩市磯部町坂崎
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
マナブ:志摩観光ホテルからタクシーで15分ほど。「志摩スペイン村」、に来ています。昔は「パルケ・エスパーニャ」って言ってませんでしたっけ?
歴史先生:志摩スペイン村は、遊園地(テーマパーク)の「パルケ・エスパーニャ」、そして「ホテル志摩スペイン村」、そして温泉施設の「ひまわりの湯」の3つの施設から成る総合リゾートです。
マナブ:あ、そういう関係でしたか。
歴史先生:中核施設のパルケ・エスパーニャは1987年(昭和62年)に開業したテーマパーク。同年に制定された「総合保養地域整備法(通称:リゾート法)」の指定第1号案件でした。
マナブ:それはどんな法律だったんでしょう?
歴史先生:当時はバブル経済真っただ中。国民が余暇を楽しめるリゾート地域を各地に作ろうという目的で制定されました。そこで承認されると国から税制や金融面での優遇を受けられたんです。
マナブ:そんな時代もありましたね。
歴史先生:でも、志摩 スペイン村の開発は、近鉄グループがこれまで社運を賭けてきた伊勢志摩の観光開発の歴史の一部とみるのが良いでしょう。
マナブ:ふむふむ。

志摩スペイン村の中の広場
歴史先生:大阪・京都・奈良、そして三重から名古屋にまで広がる近鉄グループの路線。私鉄の中では最も長い営業距離をもっています。近鉄が伊勢神宮にまで延伸したのは1931年(昭和6年)のこと。関西から伊勢神宮にお参りできるような特急を作るべく、奈良から伊勢へ向けて、山々を越える16のトンネル、135の橋梁を建設。終点となる宇治山田駅までの路線を新設して、大阪から伊勢神宮まで直通の特急電車が運行を開始しました。
マナブ:現代の「お伊勢参り」ですね。
歴史先生:はい。そして1951年(昭和26年)には、先ほどお話しした志摩観光ホテルが開業。電車の終点である宇治山田駅から賢島までは、三重交通の座席指定定期バス「パール号」が走りました。
マナブ:その当時、宇治山田駅から先はバスだったんですね。
歴史先生:とはいえ、今のように整備された道路があるわけではなかったので、恐らくは2時間以上かかっていたのではないかと思います。
マナブ:志摩観光ホテルに行くのは大変だったんだ。
歴史先生:そうなんです。さて、万博に合わせて志摩観光ホテルに「ザ・クラシック」が建てられて大幅に拡張された話をしましたが、同時に交通も大幅に改善されました。
マナブ:鉄道が賢島まで来た?
歴史先生:はい、1970年の万博開幕の前月にようやく鉄道が開通しました。鳥羽―賢島間には三重電気鉄道がそれまで走っていましたが、線路の規格が「狭軌」で、近鉄の「広軌」とは違っていました。近鉄はこの鉄道を買収し、広軌にする改良工事を実施。さらに宇治山田から鳥羽まで鉄道を延伸します。これによって、大阪から賢島まで、直通の特急電車を走らせることができるようになったんです。
マナブ:大変な工事だったんでしょうね。

志摩スペイン村の街並み
マナブ:近鉄グループはなぜここまで伊勢志摩にこだわるんでしょう?
歴史先生:1つは1964年(昭和39年)の新幹線の開業。それまでドル箱だった大阪―名古屋間のビジネス客を一気に失いました。また、他の関西の私鉄に比べて、通勤客を稼げるような路線が少ないという弱みがありました。
マナブ:ふむふむ。
歴史先生:そこで近鉄グループとしては沿線の観光開発に着手。そこに観光客を運ぶ特急電車をたくさん走らせて、経営の軸としました。中でも観光資源の豊富な伊勢・志摩を最重要地域として、ホテルやテーマパークなど、自らがリゾート開発に乗り出したというわけです。
マナブ:なるほど、そういった事情があったんですね。
歴史先生:ところで、志摩スペイン村は近鉄グループの伊勢志摩開発の起爆剤として期待されましたが、国内ではバブル経済が崩壊。観光産業は大変なダメージを受けました。
マナブ:そうですよね。
歴史先生:何とかその低迷期を乗り切ったころ、2013年(平成25年)に伊勢神宮の遷宮があり、再び訪問客が増加します。それに合わせて新型観光特急「しまかぜ」を投入。「乗ること自体が旅の目的になるような列車を作ろう」というコンセプトの下で徹底的に顧客目線で開発した近鉄特急のフラッグシップ車両です。
マナブ:今回、「しまかぜ」に乗りたかったんですが、予約が取れませんでした。
歴史先生:そうなんです、デビューしてかなりの時間が経っている今でさえ予約が取りづらいという人気列車です。

大人気の近鉄特急「しまかぜ」
歴史先生:そして2016年(平成28年)に開催されたG7伊勢志摩サミットで再び全国から注目を浴びました。
マナブ:なるほど。そんな歴史があったんですか。さて、ということで、私たちはテーマパークのアトラクションを楽しみましょう。スペイン風の明るい街並みも素敵ですし、ここは結構、スリルのある乗り物も多いんですよね。
歴史先生:そうなんです。ちょっと怖いですが、乗ってみましょうか。

「日本で一番怖い絶叫マシン」と評判の吊下げ式ジェットコースター、「ピレネー」
<おすすめのホテル>
志摩観光ホテル(ザ・クラシック)
何と言っても志摩を代表するホテル。一生に一度は泊まりたいホテルの1つだ。

選んだ理由:
・フレンチ:志摩観光 ホテルといえばフレンチのディナー。伊勢エビ、アワビなどを最高の調理法で堪能したい。
・立地と眺望:山崎豊子の「華麗なる一族」にも描かれている英虞湾の眺望を楽しみたい。
・大浴場:実は「ザ・クラシック」には大浴場がない(部屋の風呂のみ)。元々外国人向けのホテルだったことが理由だが、その代わりに系列の賢島宝生苑の大浴場までの送迎がある。
実際に泊まった感想:
・夕食:恐らくは一生のうちに数回経験できるかどうかといったレベルの最高のフレンチ。盛り付けの美しい「伊勢海老のサラダ仕立て」、濃厚な「伊勢海老クリームスープ」、バターと香草の香りがよい「アワビのステーキ」。そして「和牛フィレステーキ」と、目も舌も大満足させる皿の連続。これを食べにわざわざここまで来る価値がありそう。
・朝食:卵料理1品+和洋ビュッフェ。1つ1つが丁寧に作られていて、どれも絶品。こちらも大満足だった。
・アクセス:賢島駅からホテルの定期送迎バスが出ている(予約不要)。電車が着いてすぐの便に乗るのもよし、1便遅らせてサミットの記念館を見るのもよし。
・部屋:少し広めの角部屋を取っていただいたが、普通の部屋でも余裕の広さがありそう。窓からは英虞湾の眺望が見事だった。
・大浴場:フロントで送迎時間を予約してチケットを購入。賢島駅の反対側にある賢島宝生苑(https://www.hojoen.com/)の天然温泉「朝なぎの湯・夕なぎの湯」に入った。ここは英虞湾を目の前にした開放的な露天風呂が有名で、わざわざ志摩観光ホテルから訪れる価値がある。
・ラウンジ:ザ・クラシックの2階にはゲスト専用の無料ラウンジがある。
・ザ・ベイスイートのラウンジ:ザ・クラシックの宿泊客も、何とザ・ベイスイートのラウンジを利用でき、しかもそこまで車で送迎してくれるという贅沢さ。最高の眺望を持つ評判のラウンジで素敵なひと時を過ごすことができる。これはぜひ利用していただきたい。

