登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
眉山の山体崩壊による日本史上最悪の火山災害:「島原大変・肥後迷惑」
<コラム> 山体崩壊
記憶に新しい平成の雲仙普賢岳噴火と平成新山の形成
すさまじい土石流の爪痕を間近にみる道の駅
絶景ルート、仁田峠循環道路を走る
雲仙ロープウェイ:太古に起きた2度の大崩壊の跡を間近に見よう
島原半 島はどうやって現在の姿になったのか?
眉山の山体崩壊による日本史上最悪の火山災害:「島原大変・肥後迷惑」

がまだすドーム


がまだすドーム(地図 ❶)
〒855-0879 長崎県島原市平成町1−1
9:00-18:00 (最終入場 17:00)、無休
常設展示 入館1,050円(小中高生、団体割引あり)
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
マナブ:島原市内から車で15分ほど南に下ったところに来ています。「がまだすドーム」(地図 ❶)という大きな施設の前です。
歴史先生:はい、「がまだすドーム」は平成の火山災害を記念して建てられた博物館です。さて、ここに入る前にまずは後ろを振り返ってみましょう。

がまだすドーム前から見る眉山と雲仙
マナブ:おぉ。山がきれい。
歴史先生:右が眉山、左が雲仙です。
マナブ:ここから見る眉山は島原市内から見る姿とずいぶん違いますね。
歴史先生:というと?
マナブ:島原市内からは傾斜の急な山、という感じでしたが、ここから見ると何やらざっくりと削り取られたような形に見えます。
歴史先生:それ、大事なポイントです!
マナブ:えっ?
歴史先生:ざっくり削り取られた感じはどうやっ てできたと思いますか?
マナブ:崩れた、とか?
歴史先生:そうです! 眉山は「山体崩壊」を起こして、今の姿はその痛々しい傷跡なんです。
マナブ:山体崩壊! 会津若松に行ったとき、たしか磐梯山でも聞きました。
歴史先生:そうなんです。会津の磐梯山は明治になって山体崩壊を起こし、その結果として湖や沼がたくさんできましたよね。眉山の山体崩壊でいったい何が起きたのか、ここ、がまだすドームで見てみましょう。

島原大変の展示
歴史先生:さきほど島原市内の江東寺で「島原大変・肥後迷惑」の話をしましたね。
マナブ:はい。
歴史先生:実はこれ、我が国の史上最悪の火山災害なんです。
マナブ:そうだったんですか。
歴史先生:1792年、江戸の中期に普賢岳が噴火し、それが終わったころ、大きな地震が起こりました。それによって眉山が山体崩壊を起こし、とてつもない量の土砂が東側へ崩れて流れていきました。山体崩壊の原因としては地震で崩れたとか、眉山自体が爆発したとか、熱水が噴出して崩れたとか、諸説あります。当時の島原の城下町の半分は土砂に流され、海岸は大きく前進。それによって発生した津波は島原だけでなく、対岸の肥後の海岸沿いの街を襲い、実に約15,000人が亡くなるという我が国の史上最悪の火山災害となったのです。
マナブ:15,000人というと東日本大震災の全体の死者数と同じくらいですね。

歴史先生:山体崩壊を起こしたあとには「流れ山」ができますが、島原市内や有明海にたくさんの流れ山が残りました。今日、島原の港にたくさんの小島があり、九十九島(つくもじま)と呼ばれているのはその時 のものです。(ちなみに有名な佐世保の九十九島は「くじゅうくしま」と読みます。)
マナブ:島原の街は大変な被害を被ったんですね。
歴史先生:そうなんです。ところで、眉山崩壊の直後から、島原市内のあちこちではきれいな湧水が出るようになりました。市内にある白土湖(しらちこ)はその代表的なもの。豊かな湧水が鯉の泳ぐまちを生み、それを使ったかんざらしなどの名物ができたわけです。
マナブ:少しは良いこともあったわけですね。でも自然の脅威の前には人間は無力、としか言いようがないです。

がまだすドーム屋上から見た眉山
<コラム> 山体崩壊

中瀬沼から見た会津磐梯山の山体崩壊跡。眉山の形とよく似ている。
火山はその活動によって傾斜が急で不安定な土の塊を生み出す。 それが何らかの要因によって大きく崩れるのが「山体崩壊」であり、ひとたびそれが発生すれば麓の地域に甚大な被害をもたらす。
山体崩壊の原因としては強い地震や噴火などの急激な変化によって起こるものや、熱水の放出や長年の風化によって少しずつ脆くなって最後に崩れる、といったものがある。山体崩壊では山自体がかたまりとなって崩れ落ちるが、このことを「岩屑(がんせつ)なだれ」と言い、そのなだれの跡には山体の小さなかたまりである「流れ山」が残って、たくさんの小さな丘を形成する。
一方、崩れた火山には何かで鋭く掻き出されたような大きな馬蹄形の爪痕が残る。眉山、会津磐梯山などではその典型的な形を現在でも見ることができる。
日本の主な山体崩壊を以下に記す。
紀元前466年(と推定される)に秋田県の鳥海山で大規模な山体崩壊が発生。多数の流れ山が形成された。その後、その周囲に海水が入り、そこは「象潟(きさか た)」と呼ばれるたくさんの小島が点在する風光明媚な入り江として名所になった。小島は「九十九島」(くじゅうくしま)、入り江は「八十八潟」と呼ばれた。現在の佐世保の九十九島はこの象潟に似ているということでその名前をとったものである。象潟はその後、河川からの砂の流入や草木の堆積などによって埋め立てられ、現在では水田の中に流れ山が点在する場所に変わっている。
1640年には北海道の駒ケ岳でマグマが上昇。それによって山体が膨張し、まず南側、続いて東側の山体が崩壊した。南側の崩壊によって川がせき止められ、大沼・小沼が誕生。東側の崩壊は海に土砂が流れ込み、津波が発生。700名あまりの死者を出した。
1792年には島原の眉山で大規模な山体崩壊が発生(島原大変・肥後迷惑)。津波も発生し、15,000人にも及ぶ死者を出す我が国歴史上最大の火山被害をもたらした。
1888年(明治21年)には会津磐梯山で水蒸気爆発に伴う山体崩壊が発生。山の北側が崩れ、長瀬川がせき止められたため、檜原湖、小野川湖、秋元湖や五色沼などが形成された。麓の村々は壊滅的な被害を受け、477名が死亡した。
世界的には1980年の米ワシントン州のセント・へレンズ山が有名。かつては標高2,950mの富士山によく似た美しい火山であったが、1980年に頂上付近から噴火。大規模な山体崩壊を起こし、大きく馬蹄形にえぐれたような山に変わった。現在の高さは2,550m。近年の出来事であるため映像も残されており、その山体崩壊の様子はいくつかの動画サイトで見ることができる。(以下はその一例)
https://www.youtube.com/watch?v=OFirI6DK9qY

噴火前のセント・へレンズ山
写真提供:Pixabay

噴火後のセント・へレンズ山
写真提供:Pixabay
記憶に新しい平成の雲仙普賢岳噴火と平成新山の形成

がまだすドーム内部

歴史先生:平成の雲仙普賢岳噴火を覚えていますか?
マナブ:はい、これはよく覚えていますよ。山から火砕流がものすごいスピードで下ってきて、報道陣とかが走って逃げているようなニュース映像が記憶に残っています。
歴史先生:島原大変から約200年たった1990年(平成2年)に普賢岳が噴火し、1991年には最大級の火砕流が発生。噴火は1995年まで続き、44名の死者・行方不明者を出しました。

眉山と雲仙のジオラマ
歴史先生:普賢岳の上には溶岩ドームが盛り上がり、1,359mだった雲仙の最高峰・普賢岳の隣に、1,483mの平成新山が誕生しました。
マナブ:ジオラマがとてもわかりやすい。また、ここの展示では大量の資料や映像で、その時何が起こったのかを見せてくれました。火砕流がどれほど速いスピードで襲ってくるのか、床下を走る火のような照明で体験する展示もありました。被害の状況、そして人々がその時何を考えてどう行動したのか、など、多くの記録がありました。

がまだすドーム屋上から見た眉山(右)と雲仙(左)
歴史先生:がまだすドームの屋上からは眉山と雲仙(平成新山)が良く見えています。
マナブ:ここの屋上は絶景ですね。2つの山の様子の違いが良くわかります。
すさまじい土石流の爪痕を間近にみる道の駅

道の駅 ひまわり

マナブ:がまだすドームから車 で3分ほどの「道の駅 ひまわり」に来ています。(地図 ❷)
歴史先生:この道の駅には「土石流被災家屋保存公園」が併設しているんです。そこを見に行きましょう。

土石流被災家屋保存公園
マナブ:保存用の建屋でしょうか。白い大きな建物が見えます。中に入ってみましょう。

土石流に埋まった家屋
歴史先生:この建屋の中には数軒の家が保存されています。見てください、1階部分はほとんど土砂に埋まっています。
マナブ:これが土石流なんですね。おそろしい。
歴史先生:もう少し山に近い地区は火砕流に襲われましたが、このあたりの地区は土石流で大変な被害を受けました。この看板に土石流発生の前後の航空写真がありますので見ていきましょう。

土石流前後の変化
歴史先生:2つの噴火災害、どうでした?
マナブ:平成の噴火で何が起きたのか、よくわかりました。でもその約200年前に島原大変という大災害があったのは知りませんでした。200年もの間、山が静かであったために地元でも警戒が薄れていた、という話もありましたね。私たちは火山国に住んでいますから、過去の噴火のことを学んで、今後の災害にしっかりした備えをしておかないといけませんね。
絶景ルート、仁田峠循環道路を走る

マナブ:レンタカーで島原から雲仙越えの山道である「国道57号線」を登っていきます。一気に1,000mも上る、カーブの続く道です。
歴史先生:仁田峠循環道路はもうすぐです。

マナブ:「仁田峠循環道路」の入口に来ました。(地図 ❶)
歴史先生:がまだすドームから約25分ほど。くねくねした山道のドライブ、おつかれさまでした。
マナブ:ここからは一方通行って書かれていますね。
歴史先生:はい、ここからの仁田峠循環道路は反時計回りの一方通行です。カーブが 続きますが、対向車がいないので運転しやすいと思いますよ。
マナブ:たしかに。カーブがあっても対向車がいないので気が楽です。
歴史先生:2009年に無料化された全長8.2㎞の観光道路です。10月下旬から11月中旬の紅葉シーズンはとても混みあいます。シーズン期間中は予約制にするなど、渋滞緩和に向けた実証実験が行われています。
マナブ:あ、右に駐車場の案内が。「仁田峠第二展望所」と書かれています。(地図 ❷)
歴史先生:ここは見逃せません。ぜひ立ち寄りましょう。

仁田峠第二展望所から見た有明海と三角半島
マナブ:わぁ、海が見えます。
歴史先生:向こうに見えるのは三角半島ですね。熊本県になります。そして右に続く島々が天草。
マナブ:気持ちのいい場所ですね。
歴史先生:そして左に目を移すと眉山があります。遠くに見えている山影はおそらく熊本の金峰山でしょう。

仁田峠第二展望所から見た眉山
歴史先生:そしてさらに左側に・・・
マナブ:荒々しい山肌が見えますが・・・

仁田峠第二展望所から見た平成新山
歴史先生:この荒々しいのが平成新山なんです。左に見える少し色の濃い、古い感じの部分が普賢岳です。
マナブ:あ、違いが分かりやすい。普賢岳に覆いかぶさるように平成新山ができた。これは大迫力ですね。
歴史先生:こちらの看板に、平成の噴火前の様子と噴火後の様子の写真があります。ほら、噴火前は普賢岳しかなくて、噴火後に平成新山が新しくできていることがよくわかりますよ。

仁田峠第二展望所の看板
雲仙ロープウェイ:太古に起きた2度の大崩壊の跡を間近に見よう

仁田峠循環道路の途中から見える雲仙ロープウェイ

マナブ:仁田峠第二展望所から車を走らせると、2分ほどでロープウェイが見えてきました。
歴史先生:はい、あれに乗りに行きましょう!
マナブ:と言っているうちに、仁田峠につきました。広い駐車場(大型車20台、普通車200台収容)があります。(地図 ❸)

仁田峠駐車場からロープウェイ仁田峠駅までは歩いてすぐ

仁田峠
歴史先生:雲仙ロープウェイの駅の前は展望台になっていますので、まずは行ってみましょう。

雲仙ロープウェイ 仁田峠駅
雲仙ロープウェイ(地図 ❸)
〒854-0621 長崎県雲仙市小浜町雲仙551
始発8:51、最終上り17:03、下り17:23(夏季4~10月)
始発8:51、最終上り16:51、下り17:01(冬季11~3月)
約12分ごと運行、所要約3分
往復1,300円(小学生以下、団体割引あり)
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
マナブ:おぉ、ここからは平成新山がさらに間近に見えますね。
歴史先生:では、ロープウェイに乗りましょう。案内アナウンスは特にないので、駅舎の脇の階段を上って、上の階の乗り場へ行きましょう。

雲仙ロープウェイ 仁田峠駅脇にある平成新山展望地
マナブ:ロープウェイで標高1,333mの山頂(妙見岳駅)まで上がってきました。右側に海、左側に雲仙の温泉街を見下ろす、絶景の3分間でした。

ロープウェイ妙見岳駅

ロープウェイ妙見岳駅と有明海の眺め

妙見岳駅からの散策ルート
歴史先生:山頂の妙見岳駅についたら、少し階段を上がっていきましょう。ここから国見岳、普賢岳へ続くハードな登山道もあるのですが、スニーカーで行ける数分ほどの気軽な散策ルートがありますので行ってみませんか。
マナブ:いいですね、行きましょう。

左が国見岳(1347m)、正面が普賢岳(1359m)、その奥が平成新山(1483m)

妙見カルデラ展望所の看板
歴史先生:階段を少し上ったところが「妙見カルデラ展望所」です。(地図 ❹)
マナブ:目の前が大きな崖になっていますが、これがカルデラですか?

歴史先生:はい、そうです。雲仙の山々は、元は野岳の火山活動でできました。その野岳の溶岩ドームが大きく崩れて野岳カルデラができ、その中にさらに新しい火山が生まれました。その1つが妙見岳。その妙見岳も1~2万年前に大きく崩れ、それがいま目の前に見えている大きなカルデラなんです。
マナブ:そしてそのカルデラの中にさらに普賢岳ができて・・・
歴史先生:その通り。4~5,000年前に新しく普賢岳の溶岩ドームが形成されて、長い間雲仙の最高峰を誇ってきましたが、平成になってその隣に平成新山の溶岩ドームが盛り上がり、最高峰の地位を譲ることになりました。
マナブ:ということは、普賢岳や平成新山もいずれは大きく崩れてカルデラになるんでしょうか?
歴史先生:長い年月はかかるでしょうけど、その可能性は十分あります。その際にはとんでもない大災害になるでしょうから、火山活動の観測は常に怠ることができませんね。
島原半島はどうやって現在の姿になったのか?

がまだすドームに展示されているパネル「島原半島の成り立ち」より
マナブ:ところで、雲仙は日本初の国立公園、そして日本初のジオパークって聞きましたが、そんなにすごいところなんですか?
歴史先生:はい、これほどの活発な火山活動で成り立っている半島というのも珍しいでしょう。上は「がまだすドーム」に展示されていたパネルの写真です。これを元に説明しますね。
マナブ:はい、お願いします。
歴史先生:元々ここは海でした。430万年前、といいますからすごく古い話ですが、ここに小さな火山島ができたようです。そして150~100万年前になるとこのあたりには大きな火山がいくつも成長し、今の島原の基礎となる島ができました。
マナブ:うんうん。
歴史先生:そして50万年前には今の雲仙の元となる大きな火山が成長。40万年前には今の諫早のあたりの陸地とつながり、半島となりました。

雲仙地溝とその南北両側の断層
歴史先生:しかし30万年前からは少し様子が変わります。今度は島原半島の中央部が沈み始めたんです。「雲仙地溝」の誕生です。
マナブ:沈み始めた?
歴史先生:そうです。今でもその痕跡となる大きな断層が残っています。深江・布津断層、金浜断層などがありますが、中でも「千々石(ちぢわ)断層」は地形図で見てもはっきりとしており、長さ14㎞、最大落差450mという大断層です。この断層は今でも年に1.5ミリほど沈み続けています。
マナブ:年に1.5ミリというのはとても小さい数字に見えますけど、1,000年で1.5メートル、ということですよね。とすると1万年で15m、30万年で450m、ということですか。
歴史先生:そうなりますね。とても小さな動きのように見えても何十万年という時間の中ではとても大きな地形の変化が起きるんです。
マナブ:そもそも何でここが沈んでいるんですか?
歴史先生:それにはプレートの動きが関係しています。島原半島の下は活発なプレートの動きがある地域なんですが、その結果として島原半島の南端では年間約3㎝、北端では年間約2㎝ほど、大地が南に移動しています。
マナブ:えっと、待ってください。南端で3㎝、北端で2㎝、それぞれ南へ移動している。そこに1㎝ほどのずれがありますね。これだと南北に引っ張られる。
歴史先生:ということは半島の真ん中あたりが引っ張られて沈んでいく、ということが起きているんです。
マナブ:なるほど。ということは何万年もすると島原半島の中央は海になって、その中に雲仙島が浮かんでいる 、なんていうことになるんでしょうか?
歴史先生:そうかもしれません。雲仙の山々が成長して土砂が供給されるスピードと、地溝が沈むスピードとの競争ですね。
マナブ:雲仙島が浮かんでいる風景も見てみたい。
歴史先生:さて、30万年前に雲仙地溝が沈み始めたあと、地溝の中にたくさんの火山ができます。15万年前くらいからは野岳が活発に活動し、それが崩れて野岳カルデラになり、そのあと妙見岳が活発になって1~2万年前に崩れて妙見カルデラになる、というような変化がありました。
マナブ:さっき妙見岳が崩れたのは1~2万年 前と聞いてずいぶん昔の話のような気がしていましたが、こうして聞くとそれは火山の歴史からするととても新しい、最近のことなんだなと感じました。
歴史先生:そうなんです、1~2万年前というのはごく最近の話です。そのころ、島原にも人が住んでいたとしたら、この崩壊で大変な犠牲者が出たはずです。
マナブ:ところで、長崎県の地図を見ていると、何で島原半島だけ突然火山地域になっているのか、不思議です。
歴史先生:そうですよね。でも少し大きな地図を見ると、ここが火山活動の活発な地域であることがわかります。
マナブ:というと?

歴史先生:まずは大きなプレートの動きから見てみましょう。西日本はユーラシアプレートに乗っかっているのですが、南からフィリピン海プレートが潜り込んでいます。潜り込んでいるところは海が深くなっています。
マナブ: あ、それが南海トラフ、ですね。
歴史先生:そうです。そして西日本にある世界的な大断層といえば・・・
マナブ:中央構造線。
歴史先生:その通り。地形図を見ていると和歌山県から四国にかけて、はっきりと断層が見て取れます。その中央構造線は九州では地形図上であまりはっきりしませんが、「臼杵-八代構造線」と呼ばれます。そして九州の西から南西諸島にかけて「沖縄トラフ」と言われる海が深くなっている場所が見られます。
マナブ:ふむふむ。

歴史先生:中央構造線、臼杵-八代構造線、沖縄トラフの影響で、九州の中央部では土地が沈み、そこにマントルの上昇流が起きます。これを「別府―島原地溝帯」と呼びます。
マナブ:へぇー、大分から熊本にかけての大きなエリアは少しずつ沈んでいるんですか。
歴史先生:そうなんです。この地域にある火山と温泉を見てください。
マナブ:おぉ、火山がたくさん。由布・鶴見、久住、阿蘇、金峰山、そして雲仙か。温泉としては別府、湯布院、黒川といった名だたる温泉が並んでいて、その延長上に雲仙があるんですね。
歴史先生:そうなんです。 別府―島原地溝帯は火山と温泉の銀座通り、と言えるでしょう。
マナブ:温泉の話をしていたら、早く温泉に入りた くなりました(笑)。
歴史先生:私もです(笑)。さぁ、それでは雲仙温泉に下りていきましょう。

散策ルートから見た雲仙ゴルフ場と雲仙温泉街

