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長崎市_2.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
長崎の新しいビュースポット、市役所展望フロア

長崎のシンボルと言えばやっぱり「眼鏡橋」

アーケード商店街なのに国道、ってどういうこと?

「行こか、戻ろか」思案橋

まるで京都? 清水寺と八坂神社

国宝が2つもある崇福寺。ここは地上の竜宮城?

唐人屋敷:かつては唐人だらけ。今では猫だらけ?

かつては埋め立て地の倉庫街だった「新地中華街」

長崎の新しいビュースポット、市役所展望フロア


新しい長崎市役所外観



マナブ:さて、今日は路面電車で長崎市の市役所に来ました。(地図 ❶)


歴史先生:ここ、2023年1月にオープンした新しい長崎市役所にできたビュースポットです。長崎にはあまり高いビルがないので、19階建てのこのビルはひときわ目立ちます。


長崎市役所 19階展望フロア(地図 ❶)

〒850-0874 長崎県長崎市魚の町4−1

入場無料

8:15~21:30、無休(12/29~1/3は休み)

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.at-nagasaki.jp/spot/65364


歴史先生:それではエレベーターで19階へ上がります。


マナブ:19階へ上がってきました。わぁ、いきなりいい景色ですね。


歴史先生:市内中心部にあるので、360度どこも見どころがあります。


興福寺を見下ろす


歴史先生:東側から見ていきましょう。興福寺が良く見えています。


新大工町方面の眺め


歴史先生:こちらは新大工町方面。後ろは烽火山426m。かつては異国の船が来たことを烽火(のろし)で伝えた山、です。


長崎歴史文化博物館方面の眺め


歴史先生:北側を見ましょう。こちらに大きく見える黒い建物は長崎歴史文化博物館。その手前に復元された立山奉行所が見えます。山の上まで家がぎっしり。坂の町、長崎、を感じますね。


聖福寺・福済寺方面の眺め


歴史先生:右に修復工事中の聖福寺、中央に長崎観音の立つ福済寺、左奥に聖フィリッポ西坂教会、が見えています。


マナブ:おお。長崎観音が銀色に光って目立ってる。


長崎港と女神大橋


歴史先生:西側には長崎港の景色が広がり、対岸の造船所もよく見えます。


マナブ:そして遠くに女神大橋。


中島川の眺め


歴史先生:そうですね。南側を見ると、中島川が。ちょうど浜町アーケードの電停あたりが見えています。


マナブ:今日は昼に来ていますが、夜景もよさそうですね。


歴史先生:はい、毎日夜の21:30まで開いています。長崎市、なかなかやりますね。


長崎のシンボルと言えばやっぱり「眼鏡橋」


眼鏡橋



マナブ:中島川に出て、眼鏡橋まで歩いてきました。(地図 ❷)中島川に沿って遊歩道ができていて、ここは歩いていて気持ちいいですね。


歴史先生:眼鏡橋は1634年といいますから江戸時代の初期に架けられた、日本でも最古の石橋の1つとして、国の重要文化財になっています。近くにある興福寺の黙子如定(もくすにょじょう)禅師が架けた、と言われています。また、日本三名橋の1つにも数えられています。


マナブ:日本三名橋、ですか。他の2つは?


歴史先生:岩国の錦帯橋、東京の日本橋、です。


マナブ:なるほど、納得です。それとは別に、日本三奇橋、っていうのも聞いたことあります。


歴史先生:岩国の錦帯橋、山梨の猿橋、富山の愛本橋(あいもとばし)、と言われています。


マナブ:さすが錦帯橋、両方に入ってるんですね。ところで、富山の愛本橋っていうのは聞いたことないです。


歴史先生:ブラタモリの黒部峡谷の回で、タモリさんが途中下車して訪ねていました。黒部川が狭い谷から急に平地に出て、そこから日本最大級のきれいな扇状地を作っている、その扇の要になっているポイントです。元は全長61mにも及ぶ大きな刎橋(はねばし:猿橋と同じような構造)だったということですが、黒部川の激しい流れで何度も失われてしまい、今では12代目のつり橋がかかっています。


マナブ:そうか、もう無いんですね。


歴史先生:話がちょっと横道にそれました。さぁ、眼鏡橋、じっくり見ましょう。そして、眼鏡橋のたもとにあるこの看板はとても興味深い。


眼鏡橋のたもとにある看板


歴史先生:地図を見てもらうとわかりますが、風頭山のふもとにはずらりと大きなお寺が並んでいます。そして中島川にはそのお寺に向かう石橋がずらり。その間を横に貫く中通りが長崎のメインストリートで、今ではアーケード商店街として賑わっています。これが長崎の街の骨格、なんですね。


マナブ:ここ、下に降りられるんですね。


歴史先生:はい、降りてみましょう。階段急なので気を付けて。



川まで下りて見上げる眼鏡橋


歴史先生:例年2月頃に開催される「長崎ランタンフェスティバル」の時はこんな感じになります。


マナブ:わぁ、幻想的ですね。


© Nagasaki Prefecture Tourism Association

長崎ランタンフェスティバル時の眼鏡橋


歴史先生:次はとなりの袋橋の上から見てみましょう。眼鏡橋の名前の意味がよくわかります。


マナブ:あ、たしかにメガネのように見えますね。


袋橋からみる眼鏡橋


歴史先生:眼鏡橋、どうでしたか?


マナブ:(1)眼鏡橋を渡る、(2)川に下りて下から見る、(3)となりの袋橋から見る、などいろんな楽しみ方がありました。やっぱりこれは長崎のシンボルですね。



アーケード商店街なのに国道、ってどういうこと?


中通り



マナブ:眼鏡橋から歩いてすぐ。アーケードの商店街に入ってきました。(地図 ❸)


歴史先生:さっき、眼鏡橋のところでみた看板にあった、「中通り」です。


中通り


中通りの入口


歴史先生:中通りが南北方向に伸びていて、それと交差する浜町アーケードは東西に伸びています。


浜町アーケード


マナブ:あ、百貨店がありますね。


歴史先生:はい、地元のデパート、「浜屋百貨店」が今も健在です。最上階にファミリーレストランがあって、全国でも数か所しか残っていない、屋上遊園地があります。


マナブ:わぁ、ファミリーレストランからの屋上遊園地。 親によく連れて行ってもらいました。昔懐かしいですね。

 

浜屋百貨店 アーケード側の入口


浜屋百貨店 外観


歴史先生:ところで、この浜町アーケードは、国道324号線、なんです。


マナブ:え? アーケード商店街なのに国道?


歴史先生:はい。アーケードの国道は全国でも2か所だけ(もう1か所は東大阪市)。一応、午前5時から午前10時までは車も通行可能です。


マナブ:へぇー、おもしろい。


「行こか、戻ろか」思案橋


夜にぎやかな思案橋横丁



マナブ:思案橋、というところに来ました。(地図 ❹)


歴史先生:思案橋、というのは、ここは丸山地区の入口であり、その丸山にある遊郭に「行こうか、戻ろうか」と思案する橋、ということから、名付けられました。今は川は暗渠になっていて、橋はありません。


マナブ:なるほど。


歴史先生:ここから横に伸びるのは「思案橋横丁」。昼は閑散としていますが、夜は飲食店がずらりと並び、夜遅くまでにぎやかなとおりです。


福砂屋 総本店


マナブ:カステラの福砂屋、がありますね。


歴史先生:はい、ここが福砂屋の総本店。丸山の入口にどーんと構えています。ライバルの文明堂は大波止の交差点のところにありますので、あとで行ってみましょう。


マナブ:あの建物は何ですか?


歴史先生:あれは丸山町交番(地図 ❺)。このあたりが丸山の入口だったと考えられます。


レトロ感のある丸山町交番


歴史先生:この看板の絵を見てください。江戸時代の後期の様子です。手前の門が今の交番のあたり。ここから中に入ります。格子の中をのぞく男たち。酔っ払い。そして唐人やオランダ人らしき人たちも描かれています。


マナブ:ここは別世界、ですね。ちょっと怖い。行こうか戻ろうか、思案しちゃいますね。


丸山の入口にある看板に描かれている昔の丸山遊郭の様子


歴史先生:丸山の入口に小さな公園があります。ここにも坂本龍馬像。


マナブ:龍馬も丸山でずいぶん遊んだんでしょうね。


丸山公園にある坂本龍馬像


マナブ:突き当りに趣のある建物が見えますね。


歴史先生:ここは「花月」(地図 ❻)という史跡料亭、です。元々は引田屋という丸山でも最大級&最高級の遊郭の中庭にあった茶屋ですが、引田屋の建物を引き継いでいます。中に入ると坂本龍馬が切りつけた刀傷とか、勝海舟が利用した部屋、なども見ることができますよ。


マナブ:なんだか敷居が高そう。


歴史先生:そうなんです。サービスのランチでも1万円以上から。ディナーは2万円以上します。


マナブ:それは手が出ない・・・・・。


歴史先生:でも一生に一度の思い出として、長崎のおもてなし料理である卓袱(しっぽく)料理をすてきなお庭を見ながら食べられるなら、高くはないかもしれません。


史跡料亭 花月


史跡料亭 花月(地図 ❻)

〒850-0902 長崎県長崎市丸山町2−1

12:00-15:00、18:00-22:00、火曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.ryoutei-kagetsu.co.jp/


長崎検番


マナブ:あれ、三味線の音が聞こえてきました。


歴史先生:ここは「長崎検番」。芸姑さんたちが待機したり練習をしたりする場所、です。では、その脇の細い坂を上がってみましょう。


長崎検番横から梅園身代り天満宮へ上る坂道


歴史先生:こちらは「梅園身代り天満宮」。江戸時代に安田治右衛門さんという人が丸山で切りつけられ、大けがをして家に逃げ帰ったところ、不思議なことに傷がなくなっていて、代わりに庭の天神様が血を流していたそうです。安田さんはそれを感謝し、神社を建てました。その後、長崎奉行の許可を得て、ここの境内では芝居や見世物、相撲などが行われて賑わいました。また、土地柄、遊女や芸者さんの参拝も多かったようです。


梅園身代り天満宮


歴史先生:天満宮からさらに坂を上がったところにあるのが「中の茶屋」。こちらも元は大きな遊郭の茶屋。江戸時代に作られた「長崎ぶらぶら節」には「遊びにゆくなら花月か中の茶屋」という歌詞があります。


「長崎ぶらぶら節」はここで聴けます:https://www.youtube.com/watch?v=M2l0Lie8fOw


マナブ:庭が素敵ですね。


中の茶屋


中の茶屋(地図 ❼)

〒850-0836 長崎県長崎市中小島1丁目4−2

・入園 100円 (小中生、団体割引等あり)

・営業時間9:00~17:00 月曜、年末年始(12/29~1/3)休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.city.nagasaki.lg.jp/kanko/820000/828000/p006356.html


まるで京都? 清水寺と八坂神社


清水寺



マナブ:さて、今度は路面電車の終点、崇福寺の電停に来ました。


歴史先生:ここは風頭山のふもとに並ぶお寺の一番奥。では、お目当ての崇福寺に行く前に、清水寺(きよみずでら)と八坂神社に行きましょう。


マナブ:まるで京都観光してるみたいな名前ですね(笑)。


歴史先生:そうなんです(笑)。でもそれ、いいポイントを突いていますよ。まず、清水寺は、京都の清水寺の僧侶が江戸時代の初期にここに開いたお寺です。その後、島原城主の松倉重政が清水の舞台にちなんで石の手摺(てすり)のようなものを造り、今のような眺めのいい「清水の舞台」の形ができました。

   

 清水寺


清水寺(地図 ❽)

〒850-0831 長崎県長崎市鍛冶屋町8−43

拝観無料、境内自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

http://nagasaki-kiyomizudera.jp/index.html


歴史先生:清水寺から隣の八坂神社へは、そのままつながっています。


マナブ:一度下に降りなくていいんですね。


清水寺から見た八坂神社

 

八坂神社


歴史先生:八坂神社ですが、こちらも江戸時代の初期に、京都の祇園から神様を移した神社なんです。


マナブ:へぇー、どちらも京都から持ってきたお寺と神社だったんですね。


八坂神社

〒850-0831 長崎県長崎市鍛冶屋町8−53

拝観無料、境内自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://yasaka-jinjya.net/


国宝が2つもある崇福寺。ここは地上の竜宮城?


崇福寺 三門



崇福寺(地図 ❾)

〒850-0831 長崎県長崎市鍛冶屋町7−5

拝観料300円(小中生、団体割引等あり)※窓口はなく自分で箱に料金を入れる仕組み

8:00~17:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.at-nagasaki.jp/spot/96


歴史先生:さぁ、いよいよ崇福寺です。(地図 ❾)


マナブ:うわぁー、いきなり門からしてすごい。竜宮城、みたい。


歴史先生:長崎には福建省福州から来た唐人がたくさんいました。崇福寺は彼らによって建てられた唐風のお寺です。だから日本のお寺とは雰囲気がずいぶん違いますよね。この竜宮城みたいなのは三門。江戸時代の末期に日本の大工さんたちによって建てられました。


マナブ:ということは、他にくらべてちょっと新しい。


歴史先生:そうです。そして、三門をくぐると次はこちら、「第一峰門(だいいっぽうもん)」。これは国宝です。この門は、資材を中国の寧波(ニンポー)で加工し、唐船で長崎まで運び、1695年(江戸初期~中期)に建てられたものです。中国の建築様式に則り、複雑な組み方をしたこのような建築は日本では他に類を見ません。


 

 

崇福寺 第一峰門(国宝)

 

マナブ:第一峰門から中に入りました。立派な伽藍ですね。


歴史先生:そうですよね。中でも重要なのがこちら、「大雄宝殿(だいゆうほうでん)」。これもまた国宝、です。こちらも資材を中国で加工し、唐船で長崎へ運び、1646年に建てられました。


マナブ:すごい。


崇福寺 大雄宝殿(国宝)


唐人屋敷:かつては唐人だらけ。今では猫だらけ?


唐人屋敷の入口



マナブ:今度は唐人屋敷の入口(地図 ❿)へ来ました。


歴史先生:地形図を見てください。ここは東に丸山の丘、西に活水女子大のある丘に囲まれた、すり鉢のような窪みになります。江戸時代、ここに中国人はまとめて住まわされていました。長崎歴史文化博物館には、唐人屋敷のジオラマや日常を描いた動画コンテンツなどがあって、ここがとても賑やかだったことが良くわかりますので、唐人屋敷訪問の前後にはぜひ見てもらいたいですね。


マナブ:ここが昔のチャイナタウン、だったんですね? 唐人屋敷には、今は何が残っているんですか?


歴史先生:土神堂(どじんどう)、観音堂、天后堂、などがありますが、いずれもオリジナルの建物は大火などで焼失してしまい、今の建物は後になって再建されたものです。


 

土神堂


土神堂の猫


マナブ:門を入って少し歩くと、早速雰囲気のある建物が出てきました。


歴史先生:はい、これが土神堂(どじんどう)です。1691年に土の神様の堂を建てたいという唐人の希望で建てられました。


マナブ:長崎って、いたるところで猫ちゃんに遭遇しますね。ここにも数匹・・・。


歴史先生:唐人屋敷あたりは特に猫が多いようです。実際、長崎は猫の街として知られていて、「尾曲りねこ」がその中の8割にもなるとか。


マナブ:尾曲りねこ?


歴史先生:はい、しっぽの先が曲がっている猫のことです。この種は東南アジア、特にインドネシアの種。江戸時代になって初めて日本(特に長崎)で見られるようになりました。


マナブ:江戸時代にインドネシアからやってきた?


歴史先生:そうなんです。当時、オランダ船にはネズミ駆除のため猫がたくさん乗っていました。それが上陸して長崎で繁殖したものと思われます。


マナブ:へぇー、単なる猫の話にも、長崎の歴史が刻まれているんですね。


眼鏡橋近くの雑貨店「nagasaki no neko」


「nagasaki no neko」

〒850-0875 長崎県長崎市栄町6−7

11:00-17:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://nagasakineco.theshop.jp/


歴史先生:そうなんです。今では「幸せを呼ぶ」ということで、尾曲りねこをモチーフにした雑貨やスイーツが人気になっています。


マナブ:長崎って、やっぱりおもしろい。


土神堂から天后堂への道


歴史先生:土神堂に向かって右の細い道をあがっていきましょう。ここはかつての唐人屋敷のメインストリート。当時の雰囲気を少し感じられそうです。そして突き当りにあるのが、天后堂。


天后堂


歴史先生:そこから左へ進んだ突き当りが観音堂、です。


観音堂


歴史先生:大通りを少し戻って福建会館にも立ち寄りましょう。


福建会館


かつては埋め立て地の倉庫街だった「新地中華街」


新地中華街



マナブ:唐人屋敷から歩いてすぐの新地中華街(地図 ⓫)にやって来ました。


歴史先生:今の新地中華街は新地、すなわち埋め立て地だったんです。ちょうど唐人屋敷のところの前の海を四角く埋め立てた島のようになっていて、中国商人の倉庫があったところです。


マナブ:倉庫だったところが今は中華街?


歴史先生:はい。明治になって唐人屋敷の外にも住めるようになったので、新地中華街の方にも店を出すようになりました。その後周囲の埋め立ても進み、いまでは島ではなくなっています。「新地荷蔵跡」という看板が新地中華街の真ん中の十字路に立っていますのでぜひみてください。


マナブ:あ、たしかに四角い島、になっていますね。


新地中華街の中心に立つ看板に描かれている絵


歴史先生:中華街の東西南北の入口に門があります。中へ入っていきましょう。


新地中華街 北門


新地中華街


マナブ:たくさんの人でにぎわっていますね。


歴史先生:特にランチタイムは人でいっぱいです。ここ、夜は開いている店が少なくなるんですが、夜の雰囲気もすてきです。特に長崎ランタンフェスティバルの期間中はとても素敵な灯りに包まれますよ。

  

© Nagasaki Prefecture Tourism Association

長崎ランタンフェスティバルの時の新地中華街


© Nagasaki Prefecture Tourism Association

長崎ランタンフェスティバルの時の新地中華街



​歴史好きのための観光ガイド
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