登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
岬の先端には何があった?
出島で江戸時代にタイムスリップ
コラム:シーボルトって何をした人?
水辺の森公園:海風を感じながらベイエリアを散歩しよう
出島ワーフ:まるで海外のようなおしゃれスポット
グッドデザイン賞 受賞の長崎県庁
市内中心部(浜町)のおすすめレストラン(1)
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市内中心部(浜町)のおすすめレストラン(2)
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市内中心部(新地中華街)のおすすめレストラン(2)
ウスターソースで食べる細麺皿うどん「龍園」
岬の先端には何があった?

マナブ:大きな通りを西側(港の方)へ向かって歩いています。おっと、突然上り坂になりました。(地図 ⓬)
歴史先生:はい、地図をみてください。ここが長崎の地名の由来になった長―い岬の先端です。今、埋め立て地のところから、この岬の先端のところに登ろうとしています。
マナブ:結構、急な坂ですね。
歴史先生:はい、では岬の先端に何があったのか、ここの看板を絵を見てみましょう。

江戸町交差点の看板に描かれている昔の長崎の絵
マナブ:お、これは昔の長崎。
歴史先生:はい、まだ埋め立てがされる前の姿。昔の地形がこれでよくわかりますね。

江戸町交差点の看板に描かれている岬の教会の絵
歴史先生:そして長崎が開港してすぐの1571年、その先端に「岬の教会」がポルトガル人の宣教師によって建てられました。その後、増改築を繰り返し、1601年には被昇天のサンタ・マリア教会となりました。当時の長崎で最大の教会だったようです。しかし1614年、徳川幕府による禁教令のもとで、この教会はすべて取り壊されました。

江戸町交差点の看板に描かれている出島と西役所の絵
歴史先生:江戸時代には岬の先端に人工の「出島」が造られ、岬には「西役所」がありました。今の長崎歴史文化博物館に併設されている立山役所は「東役所」とも呼ばれ、ここ西役所と共に長崎奉行が街を治めていました。

江戸町交差点の看板に描かれている海軍伝習所の絵
歴史先生:幕末(1855年、安政2年)にはここに海軍伝習所が造られ、勝海舟、榎本武揚、五代友厚ら、錚々たるメンバーがここで船の技術や操船術を学びました。勝海舟は単なる生徒としてではなく、生徒をまとめる役割を担っていました。
マナブ:成績優秀だったから?
歴史先生:大きかったのは語学でしょう。海軍伝習所の先生たちは皆オランダ軍艦に乗って日本へやってきた人たち。当然日本語はできません。よって授業はすべてオランダ語。通辞はいましたがそれでも大いに不便でした。
マナブ:船の学校だから、実習船もあるんですよね?
歴史先生:はい。オランダ製の蒸気船、観光丸・咸臨丸などが練習用に使われました。
マナブ:咸臨丸は聞いたことがあります。
歴史先生:海軍伝習所ができる前の話。ペリーの黒船来航によって、幕府は軍艦を揃えないと西洋と太刀打ちできないことを悟ります。そこで友好国であったオランダの出島の商館長、ドンケル・クルチウスの勧めもあってオランダに軍艦を2隻発注。そしてその操船を教える学校を作ろうとしたのがこの海軍伝習所です。しかし欧州での戦乱のため、納期が遅れそうになってきました。
マナブ:困りますね。
歴史先生:そこでクルチウスは蒸気船スームビング号を幕府に献上するよう本国を説得し、その船が先に長崎へやって来ました。それが観光丸、です。オランダとしては日本に恩を売った代わりに今後の軍艦や商船の発注を独占しようと考えていました。
マナブ:なるほど。
歴史先生:その後、新しく建造されて納品された1隻が咸臨丸、です。
マナブ:坂本龍馬もここで船について学んだんですか?
歴史先生:いいえ。長崎海軍伝習所はわずか4年で閉鎖になり、その後江戸(築地)と神戸にも海軍の練習施設ができて、龍馬は神戸で操船を学びました。
マナブ:えっ? こんな施設がわずか4年なんて、もったいない。
歴史先生:当時は安政の大獄(1858~59年)のころにあたり、政情不安が募っていました。長崎という土地柄、薩摩・長州を含む西日本の諸藩からの生徒も多く、中でものちに倒幕の中心となる佐賀藩からが一番多かったようです。幕府としてはもっと自分のコントロールの利く江戸や神戸に海軍伝習所を移したかったのではないでしょうか。
マナブ:ここ、今では空き地になっていますが・・・。
歴史先生:2018年までここに長崎県庁がありました。今では長崎駅前の新庁舎に移転しています。
マナブ:ここを過ぎると、今度は急な下り坂ですね。
歴史先生:坂を下りたところが昔の船着き場、「大波止」です。南蛮船来航の看板を見ておきましょう。

大波止交差点に近い所に立つ南蛮船来航の看板
マナブ:大波止の交差点の角、ここがカステラの文明堂総本店、ですね?
歴史先生:はい、先ほど丸山にあった福砂屋総本店と同様、立派な店構えですよね。

文明堂総本店
マナブ:カステラと言えば長崎、というイメージがありますが。
歴史先生:カステラは長崎が開港してまもなく、ポルトガル人によって伝えられたと言われています。
マナブ:ということは、カステラって、ポルトガル語?
歴史先生:いえ。中世のころ、現在のスペインの大部分を占めていたカスティーリャ王国という国があるのですが、そこで食べられていたパンとして紹介されました。
マナブ:国の名前だったんですね。
歴史先生:その後、長崎にてさまざまな改良がくわえられて、現在の形になりました。坂本龍馬の海援隊の日誌の中にもカステラのレシピのメモが残っていたりしますよ。
出島で江戸時代にタイムスリップ

© Nagasaki Prefecture Tourism Association
出島 表門橋

マナブ:いよいよ出島にやって来ました。(地図 ⓭)
歴史先生:はい、この表門橋を渡ったところが出島です。

ちりんちりんアイスの屋台
マナブ:おっ。また「ちりんちりんアイス」の屋台が 出てる。さっき眼鏡橋でも見ました。
歴史先生:はい、そのほか、平和公園やグラバー園入口など、長崎の有名観光地で見ることができます。ただし冬の期間(12月中旬から3月中旬くらいまで)はお休みになります。前田製菓さんという会社がされていて、1960年(昭和35年)の創業。当時は当たり前だった行商スタイルを今でも続けています。ちりんちりん、と鐘を鳴らして売っていたことからこの名前になりました。
マナブ:昔懐かしいですね。江戸時代に入る前に昭和にタイプスリップ、です(笑)。
歴史先生:たしかに(笑)。味も昔懐かしい感じです。ぜひ1つ食べていきましょう。

ちりんちりんアイス
前田製菓さんのWebサイト
歴史先生:これから出島に入るわけですが、出島の歴史を少々まとめておきましょう。出島が着工されたのは1634年、その2年後に完成しました。徳川家光の時代です。幕府が鎖国政策をとるようになったため、長崎市中に住んでいたポルトガル人を収容しようということで造られました。
マナブ:オランダ人、ではないんですか?
歴史先生:そうなんです。最初はオランダ人ではなく、ポルトガル人のための場所でした。しかし出島ができた翌年の1637年に島原・ 天草一揆が起きて、1639年にはポルトガル船の来航が禁止されました。ということで出島は一度空き地になります。そこへ1641年、オランダが平戸から商館を出島へ移すことになりました。
マナブ:それでオランダ人の島に変わったんですね。さて、表門橋を渡って、出島に入ってきました。
歴史先生:入って右側が江戸時代、左側が明治時代の建物の復元になっています。まずは江戸時代から行きましょう。

出島のメインストリート
出島(地図 ⓭)
〒850-0862 長崎県長崎市出島町6−1
拝観料520円(小中高生、団体割引等あり)
8:00~21:00 (最終入場20:40)、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
歴史先生:入ってすぐ。緑の格子が印象的な建物は「筆者蘭人部屋」、すなわちオランダ人の書記が住んでいた建物です。現在は出島と世界のつながりを紹介する資料館になっています。

筆者蘭人部屋
歴史先生:少し奥にある、三角の階段が印象的な出島で最も大きな建物、これが「カピタン部屋」。出島で一番偉い、オランダ商館長が住んでいた建物になります。
マナブ:カピタンって、キャプテンのこと?
歴史先生:はい、英語ではそうなります。日本の大名や役員が出島を訪れたときに接待されたものここ。今では出島の生活やカピタンの暮らしを展示しています。


