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長崎市_2.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
「長崎くんち」で有名な諏訪神社

無料の穴場:サント・ドミンゴ教会跡 資料館

さすが長崎! みどころいっぱいの長崎歴史文化博物館

長崎「四福寺」:坂本龍馬の事件を今に伝える聖福寺
コラム:七福神とは?
コラム:いろは丸事件

長崎「四福寺」:原爆ですべてが失われた福済寺の意外な今の姿

2人のローマ教皇も訪れたキリスト教の世界的聖地:西坂

100年に一度の大規模な再開発が進む長崎駅

諏訪神社から長崎駅のおすすめレストラン
(1)1930年創業の長崎の老舗洋食店 「銀嶺」
(2)カウンターで一人でも入りやすい、海鮮丼専門店「魚〇亜沙」

「長崎くんち」で有名な諏訪神社


諏訪神社参道入口


マナブ:諏訪神社の参道入口に来ています。


歴史先生:ここからは長崎の古い町が続きます。眼鏡橋や南山手に比べると観光客は比較的少ないのですが、歴史勉強には最適なエリアです。


マナブ:いいですね、わくわくします。


歴史先生:では早速スタートです。まず、諏訪神社へ参りましょう。


マナブ:これは長い参道ですね。鳥居がいくつもある。


歴史先生:たくさんの鳥居をくぐって進むと、最後に急な階段があります。


マナブ:ふぅ~、やっと着きました。長崎はやっぱり坂の街。


神社前の階段を上って振り返る


諏訪神社 拝殿


諏訪神社(地図 ❶)

〒850-0006 長崎県長崎市上西山町18−15

無料、拝観自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.osuwasan.jp/


歴史先生:諏訪神社は長崎の総氏神様として厚い信仰を得ています。江戸時代の初めに、それまで市内にあった諏訪神社・森崎神社・住吉神社を統合して建てられたものです。


マナブ:そうだったんですね。建物はその当時のものですか?


歴史先生:いえ。残念ながら江戸末期の1857年に大火でほとんどの社殿は失われてしまいました。その後1869年(明治2年)に再建されています。


© Nagasaki Prefecture Tourism Association

長崎くんちの様子


マナブ:たしかこの神社は「長崎くんち」で有名でしたよね?


歴史先生:そうです、そうです! 長崎くんちは毎年10月7・8・9日に開催される諏訪神社の例大祭です。


© Nagasaki Prefecture Tourism Association

長崎くんちの様子


マナブ:中国風の龍の踊りとか、のイメージがあります。


歴史先生:そうなんです。神社の神輿に加えて異国風の踊りなどが特徴的ですね。ここ、諏訪神社の大門前の階段下の広場が主会場の1つになります。


マナブ:次は長崎くんちの時に来てみたいなぁ。


神輿庫


マナブ:今日はお祭りを見ることはできませんが、拝殿に向かって右の神輿庫で実際のおみこしを見ることができました。


歴史先生:では次に拝殿に向かって左側に回り込んでみましょう。


止め事成就の狛犬


マナブ:あれ、なんか、ひもみたいなものがたくさん付いた狛犬があります。


歴史先生:これは「止め事成就の狛犬」と呼ばれていて、この狛犬にコヨリをくくりつけることで「悪いことを止める」という言い伝えがあります。


マナブ:僕は何を止めようかな?


無料の穴場:サント・ドミンゴ教会跡 資料館


石畳の道


歴史先生:では諏訪神社を出て、次は長崎歴史文化博物館に向かって歩いていきましょう。


マナブ:この通り、雰囲気あって素敵ですね。


歴史先生:長崎にはこういった石畳の風情ある通りが結構あちこちにあります。素敵な街ですよね。


サント・ドミンゴ教会跡 資料館


歴史先生:通りの突き当りに小学校があります。その脇に、遺跡があるので見ていきましょう。(地図 ❷)


マナブ:ん?あれはなんて書いてあるんだろう?「サント・ドミンゴ教会跡 資料館」?


歴史先生:はい、江戸時代の初期には、ここに教会がありました。1609年に薩摩から逃れてきたフランシスコ・デ・モラーレス神父によって建てられましたが、その後の禁教令によってわずか5年で取り壊しになってしまいました。その時の石畳や排水溝が残っており、そのあとに建った代官屋敷の遺構も合わせて残っています。これらは隣の小学校を建設する際に発見・発掘されたそうです。現在は資料館も併設しており、潜伏キリシタンに関連する資料などが展示されています。


サント・ドミンゴ教会跡 資料館(地図 ❷)

〒850-0028 長崎県長崎市勝山町30−1

入館無料、9:00-17:00、月曜休、12/29~1/3休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000835.html


マナブ:無料なのに雰囲気抜群、資料も充実しています。ここはぜひ見逃さないでほしいですね。


教会・代官屋敷の発掘跡を見ることができる


潜伏キリシタン関連の発掘品


歴史先生:サント・ドミンゴ教会跡から博物館はすぐそばなんですが、その前にちょっとだけ寄り道を。脇道に入ったところにある「田中旭栄堂」です。(地図 ❸)


田中旭栄堂


マナブ:ここは何のお店ですか?


歴史先生:ここは栗饅頭の元祖、と言われるお店。明治時代にカステラ職人をしていた創業者が、その技法を応用して作ったのがここの栗饅頭。和魂洋才の革新的なお菓子として評判を呼んだそうです。


マナブ:おいしそう。おみやげにもよさそうですね。


田中旭栄堂(地図 ❸)

〒850-0054 長崎県長崎市上町3−6

9:00-18:30(月~土)、9:00-17:00(日・祝)、第2・第4水曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://tanaka-kyokueidou.com/


歴史先生:田中旭栄堂の斜め前にあるお寺が西勝寺。映画「沈黙」でフェレイラ神父が棄教したのちに過ごしていた、とされる寺です。ここにはフェレイラのサインのある「転び証文」というのが残っています。


マナブ:ころびしょうもん?


歴史先生:はい。江戸時代の初期、キリシタンへの弾圧が激しかったころ、その信仰を捨てることを「ころぶ」と言っていました。これは「私〇〇はキリシタンの信仰を捨てることを神仏に誓います」という趣旨の証文。しかもその「神仏」には神道や仏教だけでなく、デウス、サンタ・マリアなどキリスト教の神も含まれているという厳しいものなんです。


マナブ:キリシタンから改宗する人が、その証拠として転び証文を提出した、というわけですね。


歴史先生:そのとおりです。ここ西勝寺に残っている証文は九介という人とその妻が棄教を誓うもので、証文の最期の方には沢野忠庵(これはフェレイラ神父が棄教したのちに与えられた日本名なのですが)の署名も残されています。


マナブ:おぉ、映画でみたあのフェレイラ神父、実在してたんですね。ところでその書類がなぜこのお寺に残っているのでしょう?


歴史先生:どうやらこの証文は書き損じで、もう一度清書したものを役所に提出したようです。そのためこれは下書きとして残り、そのまま寺で保管されていたらしいのです。


マナブ:フェレイラ神父がいきなり身近に感じられました。その証文は見ることができるんですか?


歴史先生:いいえ、こちらは非公開になっています。


<読んでおきたい本>

遠藤周作

沈黙



島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。

神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。


<見ておきたい映画>

沈黙 ーサイレンスー



遠藤周作の名作「沈黙」をマーティン・スコセッシ監督が映画化。



さすが長崎! みどころいっぱいの長崎歴史文化博物館


長崎歴史文化博物館


マナブ:さぁ、いよいよ長崎歴史文化博物館に来ました。(地図 ❹)大きな建物ですね~。


歴史先生:はい、さすが歴史がたくさん詰まった長崎、博物館も大きいです。


マナブ:博物館の建物も立派ですが、背後の坂にある家のすごいこと! 斜面にびっしりと家が建っています。


博物館前から見える山には家がいっぱい


長崎歴史文化博物館(地図 ❹)

〒850-0007 長崎県長崎市立山1丁目1−1

入館630円(小中高生、団体、前売り割引あり)

8:30-19:00(4月~11月)、8:30-18:00(12月~3月)、10:00-18:00(1/1~1/3)、第1・第3月曜日(祝日の場合は翌日)

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

http://www.nmhc.jp/


博物館内部の様子


マナブ:中に入りました。展示が豊富ですね。


歴史先生:はい、たくさんの資料やパネルが展示されていて、映像を使ったわかりやすい説明も多いです。特に長崎開港から江戸時代、そして明治の産業革命に至る長崎の激動の時代について詳しく知ることができますね。


唐人屋敷のジオラマと映像


マナブ:あ、これは唐人屋敷。


歴史先生:はい、ジオラマで当時の唐人屋敷が細部までていねいに再現されています。また映像では唐人屋敷での文化や生活が紹介されています。


復元された奉行所


マナブ:次に「奉行所ゾーン」というところに入ってきました。


歴史先生:はい、ここは昔、「長崎奉行所 立山役所」があったところ。1673年にできたものです。ふすまや瓦など、当時の技術をできるだけ再現しながら、2005年に復元されました。


マナブ:時代劇のロケに使われそうな建物ですね。


奉行所の内部


長崎「四福寺」:坂本龍馬の事件を今に伝える聖福寺


筑後通り


マナブ:博物館を後にして、筑後通りというところを歩いています。ここも風情のある石畳の通りですね。


歴史先生:はい、ここも歴史ある昔からの通りです。さて、向こうに見えてきた工事現場、ここが聖福寺です(地図 ❺)。通りに面したところに山門があるのですが、2029年まで修復工事予定ですので、その間は入口がとても分かりづらいです。今は山門の修復工事現場の通路のようなところを入っていきます。


聖福寺(地図 ❺)

〒850-0053 長崎県長崎市玉園町3−77

拝観自由

9:00~17:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.at-nagasaki.jp/spot/121

聖福寺


マナブ:工事現場を抜けると階段の上に門が見えてきました。


歴史先生:これって門のように見えますが、実は天王殿、というお堂なんです。


マナブ:え、そうなんですか?


天王殿の布袋像


歴史先生:1705年に建てられたもので、中央に布袋(ほてい)さんが祀られ、その左右を出入りできるようになっています。


マナブ:あ、ほんとだ。真ん中に布袋さんがいる。


歴史先生:聖福寺は1677年に建てられた黄檗宗のお寺。創建した鉄心という人は黄檗宗の本山、京都宇治の萬福寺で修業した人で、この布袋像は萬福寺の天王殿に祀られている布袋さんとよく似ています。


マナブ:ところで布袋さん、って仏様?


歴史先生:ありがとうございます、面白い質問です。布袋さんは七福神の一人。七福神についてここでまとめておきましょう。


コラム:七福神とは?


インド・中国・日本にルーツを持つ七種類の神様を集めたもので、それぞれに日本独特の解釈が加えられたもの。参拝すると7つの災いが除かれ、7つの福が訪れる、とされている。室町時代の終わりごろから主として庶民の間で民間信仰として広まった。


・布袋尊:七福神の中ではただ一人の実在の人物。6世紀の中国の南北朝時代に生きた契此(かいし)というお坊さんがモデル。大きな袋を背負って国中を旅し、貧しい人々に袋の中から施しを行っていたが、そのお返しにもらうもので袋はどんどん大きくなっていったことから、「布袋」と呼ばれるようになった。弥勒菩薩の化身。夫婦円満、子宝などのご利益があるとされる。


・恵比寿天:七福神の中ではただ一人の日本の神様。日本列島を作ったイザナギとイザナミの子だったが、骨のない子として生まれたため海に捨てられ、流れ着いたところで漁師に手厚く育てられた。「えびす顔」と呼ばれる笑顔で釣り竿と鯛を持つ。大漁と航海安全の神様。


・毘沙門天:古代インドにルーツを持つ武神。宝棒という武器と、仏舎利を納めた宝塔を持ち、武装した格好で邪鬼を踏みつけて立つ。やわらかな笑顔の像の多い七福神の中では唯一、怖い顔をしている。仏教では四天王の一人。金運と福徳の神様であり、疫病を祓うご利益もあるとされる。


・大黒天:元々はインドのヒンズー教の神様。それが日本で大国主命への信仰と重なり、同一視されるようになった。頭巾をかぶり、打ち出の小づちを持って大きな袋を背負った姿が一般的。大国主命を祀る出雲大社が縁結びの神様であるように、大黒天も縁結びのご利益があるとされる。


・弁財天:元々はインドのヒンズー教の水の神様で七福神の中では唯一の女性。日本では吉祥天や宗像大社に祀られる市杵嶋姫命(いちきしまひめ)などの要素が重なり、内容が大きく変化。琵琶を持った姿で描かれ、音楽や言葉、財産などのご利益があるとされる。元々水に関係していることから、宮島、江ノ島、竹生島が日本三大弁天とされている。


・寿老人:中国の道教の神様で、南極老人星(カノープス)の化身。カノープスはりゅうこつ座の1等星で、全天でシリウスに次ぐ2番目に明るい星。冬の一時期のみ、天候の良い日に限って南の水平線(地平線)ぎりぎりに見えることがある。赤い星の色から見えると縁起が良いとされる。長い頭に帽子をかぶり、経巻を結んだ杖やうちわ、または桃を持つ。鹿を伴うことも多い。なお、寿老人は福禄寿と同一と考えられることから重複しているとして七福神から外されることもある。


・福禄寿:中国の道教の神様。福(子宝に恵まれる)、禄(金運に恵まれる)、寿(健康で長生きできる)の3つの願いを具現化したもの。長い頭、長いひげが特徴で、経巻を結んだ杖を持っている。鶴を伴うことも多い。寿老人と同じく南極老人星(カノープス)の化身とされる。


マナブ:七福神って、国際的で、それぞれに複雑な歴史が絡んでいるんですね。もっと詳しく勉強してみたいです。さて、布袋さんが祀られている天王殿を抜けると、また工事現場。


歴史先生:残念ですが本堂にあたる大雄宝殿も修復工事中なんです。ところで左を見ると2階建ての変わった感じの建物がありますよね。


鐘楼


マナブ:あれは何ですか?


歴史先生:あれは鐘楼です。2階に鐘があって、それをつくようになっています。1716年に建てられ、現存するものとしては長崎で一番古い鐘楼です。修復工事中の山門、大雄宝殿、そしてここに見える天王殿と鐘楼はいずれも国指定重要文化財です。


境内には赤い彩色も目立つ


歴史先生:ここ聖福寺は長崎の四福寺の1つ、と言われています。これは江戸時代の初期に、中国人が建てた4つの黄檗宗の寺、を表しています。


マナブ:ほかの3つは?


歴史先生:ここから近い福済寺、風頭山のふもとにある興福寺、それから思案橋の近くにある崇福寺です。実際、当初はこの3つで「三福寺」と呼ばれていましたが、その後50年ほど遅れて聖福寺が建立され、四福寺と言われるようになりました。


マナブ:いずれも唐風のお寺、なんですか?


歴史先生:そうですね。ただし興福寺や崇福寺と比べると、ここ聖福寺は比較的日本の禅宗の様式が色濃いお寺、と言えるかもしれません。


いろは丸事件の説明板


マナブ:あ、ここに坂本龍馬に関する看板が。


歴史先生:いろは丸事件のことですね。ここ聖福寺はその交渉の舞台となった場所なんです。


コラム:いろは丸事件


幕末の1867年(慶応3年)、坂本龍馬率いる海援隊が操縦するいろは丸は、讃岐沖の海上で紀州藩の明光丸と衝突した。


いろは丸は大洲藩(現・愛媛県大洲市)がオランダ商人から購入した160tの小型蒸気船で、明光丸は紀州藩がトーマス・グラバーから購入した887tの大型蒸気船。いろは丸は大破し、龍馬ら乗組員は明光丸に乗り移って難を逃れるも、いろは丸はその後沈没した。明光丸は近くの鞆の浦(現・広島県福山市)に寄港したが、先を急ぐため龍馬らに再交渉を約束し、そこを去った。


その後、長崎の聖福寺にて再交渉の場が設けられる。ここに龍馬は同席しなかったが、土佐藩の参政、後藤象二郎も同席して交渉が行われた。その結果、紀州藩が8万3,526両(今の貨幣価値にして164億円)という莫大な賠償金を海援隊に対して払うことで合意した。そこには龍馬の巧みな戦術があった。


龍馬の戦術1:最新理論で武装する

当時日本ではほとんど知られていなかった「万国公法」という国際法を持ち出して交渉を有利に進めた。


龍馬の戦術2:世論を味方につける

長崎市民の間で「船を沈めたその償いは、金を取らずに国を取る」という歌が流行。龍馬が流したもの、と言われている。


龍馬の戦術3:沈んだ積み荷を過大申告

沈んだ船には最新式の銃400丁を積んでいた、などと過大に申告。(近代の潜水調査の結果、沈没したいろは丸からそのような積み荷は見つかっていない。)


いくら土佐藩の後ろ盾があったとはいえ、海援隊が天下の徳川御三家の1つ、紀州藩に交渉で勝つなど、それまでは到底考えられなかったこと。幕末における幕府の力の衰えをここにも見ることができる。


歴史先生:ところで、ここ聖福寺は2003年公開の映画「解夏」のロケ地としても知られています。やがて視力を失う病気にかかった男性(大沢たかお)が、愛する女性(石田ゆり子)と共に長崎の景色を最後に目に焼き付けたいとして歩くうち、ここ聖福寺の僧に出会い、禅寺の修行によって失明の恐怖を乗り越えていく話です。


マナブ:その映画もぜひ見てみたい。


歴史先生:さて、聖福寺を後にしてさらに西へ進みましょう。


<見ておきたい映画>

解夏


病により徐々に視力を失っていく男。故郷の長崎に戻った彼の葛藤と、彼を支えようとする愛する人が、長崎の美しい風景の中で描かれる。原作:さだまさし。



長崎「四福寺」:原爆ですべてが失われた福済寺の意外な今の姿


立山に続く石段


マナブ:わぁ、右の階段見てください。


歴史先生:すごい長さと高さですよね。この丘が立山、です。立山の上にはホテル長崎、にっしょうかんといった、とても眺めのいいホテルがあります。


歴史先生:さて、ちょっと寄り道しませんか? この長い階段のところを目印に、左へ坂を下りてみましょう。


マナブ:坂を下りると中町公園、というところに来ました。


歴史先生:そこを右に曲がります。


カトリック中町教会


マナブ:わぁ、すごい教会があります。


歴史先生:これはカトリック中町教会です(地図 ❻)。1897年(明治30年)に創建され、その後原爆で焼失しましたが、戦後再建されました。


マナブ:原爆の被害、長崎市内のあちこちで聞きますね。今は何もなかったように、平和な青空に白い尖塔が映えています。


カトリック中町教会(地図 ❻)

〒850-0055 長崎県長崎市中町1−13

9:00~17:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://nakamachi.sakura.ne.jp/


歴史先生:では、先ほどの長い階段のところに戻って、次は福済寺に行きます。1628年に建立された黄檗宗のお寺です。


マナブ:ということは先ほどの聖福寺よりも約50年前にできた、ということですね。


歴史先生:そうです。福済寺は他の唐寺よりもはるかに広い大伽藍を持っていて、大雄宝堂、天王殿、回廊、青蓮堂、中門などが国宝に指定されました。(注:1950年に施行された文化財保護法以前は、現在の国宝も重要文化財もすべて「国宝」という言い方をしていたので、現在の国宝とは同義ではない。)


マナブ:わぁ、見るのが楽しみ。


歴史先生:・・・なのですが、実は今は何もないのです。


マナブ:え?


歴史先生:これらの大伽藍はすべて原爆で焼失してしまいました。


マナブ:そんな・・・。


歴史先生:今から見る福済寺は全く違った形で再建されたものです。さぁ、福済寺につきましたよ。


福済寺(地図 ❼)

〒850-0052 長崎県長崎市筑後町2−56

拝観無料

8:00~17:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/120/


万國霊廟長崎観音


マナブ:えっ? これがそうなんですか?


歴史先生:万國霊廟長崎観音、として原爆犠牲者や戦没者の供養のため、1979年に建てられました。亀の上に建つ高さ18mの観音像が長崎の街を見下ろしています。ちなみに山の上に見えているのがホテル長崎です。


マナブ:まったく想像していたものとは違いました。


歴史先生:聖福寺とはほんのわずかの距離しか離れていないのですが、爆心地から見て立山の陰になっている聖福寺は国指定重要文化財4棟がすべて残っているのに、ほんの少しだけ西寄りの福済寺はすべて焼失するなんて、何とも極端に異なる運命をたどったものですね。


かつての福済寺の様子がわかる写真


歴史先生:さて、福済寺のとなりは本蓮寺です。ここはかつて勝海舟が住んでいた場所として有名。勝海舟は1855年から4年間、海軍伝習所で船の扱いを学びましたが、その際に住んでいたのがこの本蓮寺なんだそうです。ここで長崎の女性と結婚し、一男一女をもうけました。


マナブ:ここは勝海舟さんの思い出の場所でしたか。


2人のローマ教皇も訪れたキリスト教の世界的聖地:西坂


西坂へ続く古い道


歴史先生:ここから坂になっています。今の埋め立て地(地図で緑色で表示されている部分の大半)がすべて海だったころ、長崎の町から浦上に抜けるにはこの坂道を越えていくことになりました。町の西にある坂なので、「西坂」。


マナブ:なるほど、昔の地形からみると納得の地名です。


歴史先生:この西坂はキリスト教世界では有名な聖地の1つになっています。


マナブ:たしか大浦天主堂でその話がありましたね。大浦天主堂は西坂の方向を向いて建てられているとか。


歴史先生:そうです、日本二十六聖人の殉教の地(地図 ❽)がここにあたります。では日本二十六聖人殉教記念碑の前で説明しましょう。


日本二十六聖人殉教記念碑


歴史先生:時は1596年、まだ秀吉の天下だった時代。サン=フェリペ号事件、というのが起きます。これは土佐に漂着したサン=フェリペ号というスペインの船の乗組員が、「スペインは広大な海外領土を持つ国だ。 まず宣教師を上陸させてその住民を教化し、それら信徒を内応せしめ、その後武力で征服する」という趣旨のことを語ったことで、秀吉はスペインに大変な警戒心を抱きます。そこで京都奉行であった石田三成に京都のキリスト教徒を捕縛するよう命じました。


マナブ:石田三成はそんな仕事もしていたんですね。


歴史先生:結果として24名の宣教師や信徒が捕えられ、京都を市中引き回しされたのち、長崎へ徒歩で移動、そこで処刑されることとなります。


マナブ:待ってください、26聖人にはまだ2人足りません。


歴史先生:そうなんです、長崎へ移動する途中、24名の世話人として同行していた2名も信徒として捕縛されてしまいました。ところでその26人の中にはまだわずか12歳の少年、ロドビコ茨木がいました。引率の責任者が不憫に思って改宗をうながすと、ロドビコ少年は「この世のつかの間の命と、永遠の命を取り換えることはできません」と断ったそうです。


マナブ:記念碑のレリーフに少年のような姿がありますが、それがこの少年なんですね。


歴史先生:そうです。そして一行は長崎につくと、通常の処刑場ではなく、この西坂で処刑してほしいと頼んだそうです。というのも、彼らの想像の中にあるキリストが処刑されたゴルゴタの丘と、ここ西坂が似ていると感じたからのようです。


マナブ:そしてここで処刑されたんですね。


歴史先生:はい。厳冬の2月5日、長崎市民4,000人が押し寄せる中で処刑が行われました。その時の様子を描いた絵が大浦天主堂にかかっていましたよね。


マナブ:ところで、日本での殉教者はほかにもたくさんいたはずですが、なぜこの26人だけが特別なんでしょう?


歴史先生:鋭い質問ですね・・・。映画「沈黙」を見てもらってもわかるように、長崎だけをとってみても、その後もたくさんの殉教者が出ました。しかしこの26人は日本で初めて為政者の命令で処刑された人たち、ということで聖人に加えられ、特に尊敬を集めるようになったんです。


ローマ教皇の来訪記念碑


マナブ:あ、ここにローマ法王の碑もあります。


歴史先生:1981年の教皇ヨハネ・パウロ2世、2019年のフランシスコ、の2名のローマ教皇がこの地を訪れました。それだけこの地は特別な聖地、と言えるでしょう。


マナブ:「ローマ法王」、ではなく、「ローマ教皇」、が正しいんですか?


歴史先生:どうやらそのようです。日本とバチカンが外交関係を樹立した際に「法王」という訳語を使ったためそれが一般的に定着してしまい、しばらくは法王と教皇という2つの表記が混在していましたが、カトリック教会では現在では「教皇」という訳語が正しいとして統一しています。


西坂公園から見る立山


マナブ:ところで、ここ西坂公園から見る立山の景色、家がびっしりですごいですね。山の上に「にっしょうかん」というホテルが見えています。


歴史先生:すごい眺めですよね。では次に、記念碑の後ろにある日本二十六聖人記念館に入ってみましょう。ここにはザビエルに始まる日本でのキリスト教の伝来と布教、そして迫害の歴史に関する資料が多数展示されています。


映画「沈黙」で使われた踏み絵


マナブ:あ、これは映画「沈黙」で使われた踏み絵! 映画でつかうために精巧なレプリカを作らせたもの、なんですね。


雪のサンタ・マリア


マナブ:そして映画にも出てきた「雪のサンタ・マリア」がここにある!


歴史先生:雪のサンタ・マリアは外海の潜伏キリシタンが竹筒に入れて隠し持っていたもの。それをこっそり開いて皆で拝んでいたようです。この時期の西洋絵画はほとんど残っておらず、とても貴重な遺産となっています。これは必見です。


日本二十六聖人記念館(地図 ❽)

〒850-0051 長崎県長崎市西坂町7−8

入館500円(小中高生、団体割引あり)

9:00-17:00、12/31~1/2休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

http://www.26martyrs.com/


100年に一度の大規模な再開発が進む長崎駅


長崎駅前


歴史先生:西坂の坂を下りると長崎駅になります。


マナブ:あちこちで工事が行われていますね。


長崎駅案内図


歴史先生:はい、現在大規模な再開発が進行中です。2022年に西九州新幹線が開業。2023年に新駅ビルの一部が完成し、2025年には交通広場を含めた全体がグランドオープン。100年に一度の大事業、とも言われています。


マナブ:このあたりも土地が広いですね。埋め立て地なんですか?


歴史先生:はい。今では駅のそばに浦上川が流れていますが、このあたり一帯が深い入り江だった名残です。ここが埋め立てられて長崎駅が開業したのは1905年(明治38年)のことで、それまでは今の浦上駅が長崎駅、でした。


長崎駅ビル:アミュプラザ新館


歴史先生:新しくできたアミュプラザ新館の前に来ました。


マナブ:すごくおしゃれですね。でも長崎らしさがないというか、こういうのは他の街にもありそうな・・・。


歴史先生:それはそうですけど、長崎に暮らす方々からすれば、こういった今どきのショッピングモールが欲しいというのは当たり前のことかと。


マナブ:そうか。それもそうですね。すみません、私などはついつい長崎には特別な異国情緒とかを期待してしまいました・・・。


長崎駅前電停


マナブ:では、駅ビルを一回りしたら、長崎駅前の電停から帰りましょう。


歴史先生:このコースはいかがでしたか?


マナブ:神道の神社に始まって黄檗宗のお寺、そしてカトリック教会の聖地と、歴史と宗教が複雑に絡み合ったコースでした。充実の博物館もあって、とても勉強になりました。



諏訪神社から長崎駅のおすすめレストラン(1)

1930年創業の長崎の老舗洋食店 「銀嶺」



「銀嶺」ミュージアムレストラン

〒850-0007 長崎県長崎市立山1丁目1−1(長崎歴史文化博物館の敷地内)

10:30-19:00

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

http://www.nmhc.jp/shop.html


1930年に長崎市の鍛冶屋町で創業した洋食の老舗。遠藤周作氏も長崎に来るたびに立ち寄っていたと言われる名店。現在は長崎歴史文化博物館の敷地内に移転して営業中。


実際に行ってみた


場所は長崎歴史文化博物館の、復元された奉行所のとなり。周囲は公園のようになっており、博物館に入場しなくても、外からも入れる。


店内はアンティーク家具に囲まれた落ち着いた雰囲気。訪ねたのは平日12時ごろだったが、待つことなくスムーズに入れた。


アンティークな雰囲気の店内


ここでは長崎名物のトルコライスを注文。ピラフにカツが乗っていて、ケチャップのパスタも添えられている。上品な盛り付けとやや軽めのボリュームで女性にも好評だろうと思われる。


味はさすが老舗洋食店というだけあって、どの品も丁寧な仕事ぶりが感じられた。長崎歴史文化博物館に行くならぜひゆっくりと立ち寄ってほしい1軒である。


トルコライス



諏訪神社から長崎駅のおすすめレストラン(2)

カウンターで一人でも入りやすい、海鮮丼専門店「魚〇亜沙」



魚〇亜沙

〒850-0058 長崎県長崎市尾上町1−67(長崎街道かもめ市場内)

11:00-22:30、不定休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.nagasaki-asa.com/about-3


2022年にオープンした長崎駅の新名所、「長崎街道 かもめ市場」の中の「ご当地グルメゾーン」に入っている地元の海鮮丼専門店。


実際に行ってみた


長崎街道 かもめ市場


タッチパネルでオーダー


駅ナカのお店でカウンター席が中心のため、一人でも入りやすい。カウンターにはタブレットがあり、それを使ってオーダー。海鮮丼にはとろろと味噌汁がセットになっており、みそ汁は茶碗蒸しに変更できる(写真は茶碗蒸しに変更したもの)。


海鮮丼


さすが長崎だけあって、刺身のおいしさは格別。ただしお値段はそこそこ張るのでお財布と相談しながらのオーダーとなる。


長崎駅の中で何か地元のものを食べたい、と思った時に真っ先に思いつくお店の1つと言えよう。

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