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埼玉県 大宮_1.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
国東半島の「六郷満山」とは何か?
 
曹洞宗・九州総本山の格式を今に伝える泉福寺の大伽藍
 
両子寺が祀っているのは双子の子供の神様だった?
 
天念寺耶馬に残る天空の橋と川の中の不動明王
 
平等院、中尊寺と並ぶ日本3大阿弥陀堂の1つ、国宝 富貴寺
 
ド迫力の大型仏像、国重文9体が並ぶ真木大堂
 
日本最大の磨崖仏には不思議がいっぱい:熊野摩崖仏

 

 

国東半島の「六郷満山」とは何か?

 

大分空港の入口にある両子寺仁王像

 

 

マナブ:大分空港に着きました。大分の旅はここからスタートです。

 

歴史先生:ここ大分空港は国東半島の東側にあります。大分の旅は国東半島からスタートしましょう。ところで、国東半島と言えば「六郷満山」というワードで語られます。これって何かご存じですか?


マナブ:聞いたことがあります。でもどういう意味なんですか?

 

 

歴史先生:国東半島の地形を見てみましょう。中央にあるのが両子山(標高720m)。ここから360度、放射線状に谷がたくさん刻まれています。

 

マナブ:たしかにそうですね。

 

歴史先生:これらの谷を6つに分け、来縄、田染、伊美、国東、武蔵、安岐と呼びました。これが「六郷」。

 

マナブ:ふむふむ。

 

歴史先生:そして718年に、仁聞(にんもん)がこの6つの郷に法華経の巻数と同じ28カ所の寺を創建しました。それぞれの寺には718年創建という縁起が伝わっています。仁聞はそれらを本山(学問するところ)、中山(修行するところ)、末山(布教するところ)に分け、寺院勢力として組織化を図りました。これらのお寺を総称して「六郷満山」と言います。

 

マナブ:えーっと、たしか平城京遷都が710年だから、718年は奈良時代の初め頃。

 

歴史先生:そのとおりです。

 

マナブ:すごく古い話ですね。でも、仁聞さんはたった1年で28カ所もお寺を開いたんですか?

 

歴史先生:お寺を開いただけではありません。熊野摩崖仏や各種の仏像など、法華経の文字数と同じ69,300体の仏像を彫ったのだとか。でもこの仁聞という人はその存在が少し怪しいんです。

 

マナブ:というと?

 

歴史先生:仁聞は人間ではなく、宇佐八幡宮に祀られる八幡の神様そのものだ、という説もあり、宇佐神宮の影響や庇護のもとで国東半島に次々とお寺ができた、ということには間違いなさそうです。

 

マナブ:ん? ちょっと違和感があるんですが、宇佐神宮が作るべきはお寺ではなくて八幡宮の神社では?

 

宇佐神宮の境内にある弥勒寺跡

 

歴史先生:そうですよね。宇佐神宮の別当寺は弥勒寺というのですが、そこが中心となってこれらのお寺を作ったようなんです。その当時、宇佐神宮では「神仏習合」の考え方が始まり、宇佐神宮の庇護のもとでたくさんのお寺が建立されました。これが日本における神仏習合の始まり、と言われています。

 

マナブ:そういうことですか。

 

歴史先生:奈良時代の終わりから平安時代になると、天台宗の影響を強く受けるようになります。そして最盛期と言える平安時代後期から鎌倉時代にかけては800ものお寺があったそうです。

 

マナブ:国東半島は仏教の一大拠点だったんですね。そしてそのバックには豊前を牛耳っている宇佐神宮がいる。なかなか面白い構図です。

 

歴史先生:では空港でレンタカーを借りて、そろそろ出発しましょう。

 

マナブ:行きましょう。

 

曹洞宗・九州総本山の格式を今に伝える泉福寺の大伽藍



両子山へ向かう車窓からは溶岩ドームと思われる山容が見える


マナブ:空港でレンタカーを借りて海岸線を北上。その後左折して、両子山の方へ向かっています。遠くに見える山がポコポコとした形になっていますね。



歴史先生:再び地形図を見てください。国東半島は丸い形をしていて、中央に両子山があります。この山は150万年前ごろに活発に活動していた火山で、いくつもの溶岩ドームを形成していました。その後噴火が収まると浸食がすすみ、中心部から放射線状に川による谷がいくつも刻まれました。


マナブ:なるほど、ここも昔は活発な火山だったんだ。


歴史先生:噴火によってできた大地は溶結凝灰岩や凝灰角礫岩などが浸食で取り残されて、険しい岩峰や奇岩を作り出しました。このことが修験道の霊場としての性格を持たせるようになります。


マナブ:なるほど。歴史と地形はつながっていますね。


泉福寺参道と駐車場


マナブ:私たちは両子山が作った谷の1つを車で走っていますが、その途中に泉福寺というお寺があります。ここまで大分空港から約20分。泉福寺というのは今まで聞いたことがないお寺なのですが・・・。


歴史先生:ガイドブックにもほとんど載っていません。でもここは重要なお寺なので立ち寄りましょう。


泉福寺(地図 ❶)

〒873-0524 大分県国東市国東町横手1913

境内自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://visit-kunisaki.com/spot/%E6%B3%89%E7%A6%8F%E5%AF%BA/


マナブ:ここはどういうお寺なんでしょう?


歴史先生:国東半島といえば「六郷満山」なのですが、泉福寺はそれとは別に、室町時代の初期(1375年)に無著妙融(むじゃくみょうゆう)禅師によって創建された曹洞宗のお寺です。


マナブ:他のお寺とは時代も宗派も違う。


歴史先生:はい。ここは九州における曹洞宗の総本山として江戸時代まで大変栄えていたそうです。また、曹洞宗の無著派の根本道場でもあり、座禅堂で本格的な指導による座禅体験もできるんだそうです。(料金1,000円)


マナブ:九州の曹洞宗の総本山、というのはすごいですね。


総門


マナブ:泉福寺の前までやって来ました。とても雰囲気のある総門です。


歴史先生:手前にある石段も古くからのもので国東市の有形文化財。高さがあって登りにくいので気を付けて。では早速中へ入っていきましょう。


山門


山門の仁王像


マナブ:少しユーモラスな感じの丸っこい仁王さんがいる山門です。


歴史先生:こちらの山門は江戸時代の中頃、1733年に建てられた2層の門です。2階部分には地蔵菩薩、十六羅漢が安置されています。


仏殿(国指定重要文化財)


マナブ:山門のすぐ奥は仏殿、です。これは国指定重要文化財と書かれていますね。


歴史先生:室町時代の禅宗様仏殿としては数少ない遺構で、1524年の建立。曹洞宗の仏殿としては日本で最古のものなんです。


マナブ:それはすごい。かつ、姿がとても美しい。しばらくの間、見とれてしまいました。


歴史先生:実は泉福寺は戦国時代、大友宗麟によって焼き討ちされているのですが、仏殿はその際に焼けずに残ったんだそうです。


マナブ:大友宗麟がここを焼き討ち? 知りませんでした。


昭堂・開山堂(国指定重要文化財)


歴史先生:開山堂は1394年の創建。奥の建物の中にあって外から見ることはできませんが、これも国指定重要文化財。その前に礼拝用の昭堂(1764年再建)が設けられています。


方丈


かつての本堂跡。現在の本堂は石段を登った上にある。


マナブ:開山堂の手前には立派な方丈、さらに石段の上には大きな本堂が見えます。


歴史先生:このような室町時代の本格的な禅宗様伽藍はそれ自体、貴重な文化財です。ここはかつて隆盛を誇った寺であることを想像させてくれますね。


マナブ:大分県人として今まで名前も聞いたことがないお寺でしたが、実に立派かつ重要なお寺でした。


両子寺が祀っているのは双子の子供の神様だった?



マナブ:泉福寺からさらに奥へ車を15分ほど走らせ、両子山の近くまで来ました。ここには両子寺があります。


歴史先生:両子寺には駐車場がいくつかありますが、一番下の駐車場に停めましょう。


マナブ:それはなぜですか?


歴史先生:ここで有名なのは仁王像と石段。せっかくならこの参道を登っていきたいですからね。


マナブ:納得です。



この橋を渡ってすぐ左側にある駐車場がお勧め


両子寺(地図 ❷)

〒873-0356 大分県国東市安岐町両子1548

拝観料300円

8:30~16:30、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

http://www.futagoji.jp/ 


マナブ:一番下の駐車場に停めました。


歴史先生:ここから仁王像はすぐ、です。


参道に架けられた無明橋


仁王像と山門


マナブ:あ、これです。写真でよく見ていましたが、実際に来るのは初めてです。


歴史先生:深い森の中に佇む仁王像と参道。この仁王像は江戸時代の1814年の作。


マナブ:力強くて美しい形をしていますね。


歴史先生:足元に小さな看板が出ていて、以下のように書かれています。


「ご参拝の方で足腰の悪い方

  この仁王像の足をさすって

  強い足にあやかって下さい」


マナブ:貴重なものですが、触ることもできるんですね。ありがたいことです。


山門の奥はゆるい石畳の坂道


マナブ:石段もその先の坂道もまったくきつくないので、安心して参拝できます。これなら下の駐車場から来た方がいいですね。


左の階段を登ったところで拝観料を支払う


マナブ:ところでこの両子寺というのはどういうお寺なんですか?


歴史先生:開基は718年、仁聞菩薩。


マナブ:どのお寺もそうだ、ということでしたね。


歴史先生:ここ両子寺は総持院として、六郷満山を統括してきた立場にあります。


マナブ:ここが六郷満山のトップなんだ。


歴史先生:本山、中山、末山のうちではここは中山。山岳修行の中心的な役割を果たしてきました。「峯入り」というのを聞かれたことはありますか?


マナブ:いいえ。


歴史先生:平安時代の855年から続く行事で、修験道の修行者たちが険しい峰々に入り、仁聞菩薩の足跡である183カ所の霊場を訪ねるものです。その行程は150㎞。6日間かけて踏破し、最後に両子寺に着いて満願するというものです。現在でも10年に一度行われています。


峯入りの様子


護摩堂(この日は修復工事を行っていた)


マナブ:拝観料300円を支払って、門の中に入りました。


歴史先生:入ってすぐの立派なお堂、これは護摩堂です。山岳修行の根本道場として両子寺でも一番中心的な建物。1892年(明治25年)に再建されました。両子寺の本尊、不動明王像が祀られていますが、今日は修復工事中のようなので中を見ることができません。


マナブ:残念。


歴史先生:また護摩堂の中には開祖の仁聞菩薩像が祀られています。仁聞菩薩が祀られているのはここ両子寺だけだそうです。


マナブ:さすが六郷満山を統括する総持院、ということでしょう。


歴史先生:さて、境内は自然がいっぱい。紅葉の名所でもあります。小さな小川が流れていますので、橋を渡って右側の坂を上りましょう。そこに見えてきたのが大講堂。


大講堂


歴史先生:こちらは明治の廃仏毀釈で失われた建物ですが、1991年(平成3年)に再建されました。鎌倉末期の阿弥陀三尊像が祀られています。


マナブ:中がやや暗いですが、外から阿弥陀様を拝むことができます。


奥ノ院へは鳥居をくぐって石段を登る


マナブ:大講堂の先に突然鳥居が? 神社があるのかな?


歴史先生:不思議ですよね。これは奥ノ院の入口の鳥居なんです。


マナブ:ん? それってどういうことでしょう?


歴史先生:なぜなら、奥ノ院には千手観音(仏様)の他に両所大権現という神様も祀られているからです。


マナブ:うーん、わからなくなってきた。でもそれが神仏習合、ということなんですよね。


歴史先生:そうなんです。明治になって神仏分離が進みましたが、その時に両子寺の住職が鳥居を壊したところ、すぐに亡くなったそうなんです。祟りを恐れた人々はすぐに鳥居を元通りに再建したんだとか。


マナブ:そういう物語のある鳥居なんですね。


歴史先生:では、私たちはその鳥居をくぐって奥の石段を登りましょう。やや急ですが、長さがそれほどないので頑張ってください。


奥ノ院への道


マナブ:石段を登りきると、後は平たんな道が続きます。


お山巡りの入口


歴史先生:左に「お山巡り」の入口があります。お山巡りには「針の耳」「百体観音」「鬼の背割」といった魅力的な場所があるんですが、なにしろ道が険しい。


マナブ:すべりそうな急な石段を鎖につかまって登っていくような感じですね。雨上がりの今日のような日は特に危なそうですので、やめておきましょう。


奥ノ院


マナブ:谷の奥、垂直に切り立った岩壁にへばりつくようにして奥ノ院が建っています。


歴史先生:建物の下の部分は「懸造り」。清水の舞台のような造りになっています。


マナブ:先ほど、千手観音ともう1人、神様を祀っていると言われていましたね。


歴史先生:正式には2人、といったほうがいいかもしれません。


マナブ:というと?


歴史先生:「両所大権現」というのは男の子と女の子の双子の神様なんです。


マナブ:えー? 初めて聞く神様です。


歴史先生:宇佐の八幡様には5人のお子さんがいて、この双子ちゃんは2番目と3番目。今の両子山に降臨されたので、ここに祀られています。


マナブ:だから両子山、そして両子寺。


歴史先生:そういうことです。そういったこともあって、奥ノ院は古くから子授けの霊験あらたか、と言われてきました。また奥ノ院の裏には岩屋があって、ここに入ることで母体、胎内から出る、すなわち子供が生まれるということを体験する場にもなっています。


霊水が出ている「奥ノ院 岩屋洞窟」


境内には鎌倉時代の国東塔が残る


鬼橋


歴史先生:境内の小川には、鬼がひょいっと石を乗せて架けたと伝わる鬼橋があるんですが・・・


マナブ:これですか?


歴史先生:どうやら土台の部分が崩れて落ちてしまったようです。今後恐らく修復されるのだと思います。


天念寺耶馬に残る天空の橋と川の中の不動明王



マナブ:両子寺から車で15分。天念寺に来ました。


歴史先生:大きな道から天念寺へ続く細い道を行ってもいいですが、私たちは大きい道沿いにある駐車場に停めましょう。


天念寺 南観光駐車場からの眺め(無明橋は中央やや右に見えている)

 

マナブ:「天念寺 南観光駐車場」に停めました。ここは少し高台になっていて、眺めがいいですね。

 

歴史先生:ここで見ていただきたいのは背後の山々。「天念寺 耶馬」と言われている国の名勝です。そして、あそこにかかっている橋、見えますか?


無明橋


マナブ:えっ? どこ? あ、あれって橋ですか?


歴史先生:無明橋といいます。修行僧たちがあれを渡るのですが、よこしまな心があるとあの橋が渡れずに落ちてしまうのだとか。


マナブ:怖すぎる。


歴史先生:幅1.2m、長さ1.5mほどの橋です。次に行く資料館に実物大の模型がありますが、平地にあれば全く怖くない。難なく、ひょいひょいと渡れると思いますが、あんな場所にあると足がすくみますよね。


マナブ:実際にあそこへは行けるんですか?


歴史先生:いえ。危険かつ信仰の場所ですので、一般の立ち入りは禁止されています。


マナブ:それがいいですね。勢いで行って事故を起こしそう。

 

天念寺から谷の奥には険しい岩峰が続く

 

鬼会の里 歴史資料館(山の上に無明橋が見える)

 

鬼会の里 歴史資料館

〒879-0731 大分県豊後高田市長岩屋2867(天念寺 南観光駐車場)

入館料300円(こども、団体割引あり)

9:00~17:00(4~11月)、9:30~16:00(12~3月)、第2・4火曜日休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.city.bungotakada.oita.jp/site/showanomachi/1269.html 


歴史先生:駐車場から階段を下り、橋を渡りました。ではまずは「鬼会の里 歴史資料館」へ行きましょう。

 

マナブ:鬼会(おにえ)というのはどういう意味なんですか?

 

歴史先生:修正鬼会(しゅじょうおにえ)というのをご存じですか?

 

マナブ:いえ、知りません。

 

歴史先生:六郷満山に伝わるお祭りで、昔はどのお寺でもやっていたのですが、今はここ天念寺など3カ所だけになってしまいました。国指定重要無形民俗文化財なんです。

 

マナブ:どんなお祭りなんでしょう?

 

歴史先生:この資料館のシアターで見ることができますので、見ていきましょう。

 

修正鬼会(しゅじょうおにえ)

 

マナブ:なるほど、シアターの映像では鬼に扮した人が激しく踊って、松明を持って、それで参拝者を叩いて無病息災を祈ってましたね。

 

歴史先生:そのほかにも五穀豊穣、家内安全なども祈っていました。ここでは鬼というのは悪ではない。仏様の化身として、災いを追い払ってくれる存在なんです。

 

マナブ:いつごろ始まったお祭りなんですか?

 

歴史先生:それがなんと、仁聞菩薩が六郷満山28カ寺の僧侶を集めて開催したのが初めだとか。だとすると奈良時代から続くお祭りということになります。

 

マナブ:それはすごい。

 

歴史先生:2025年にはイタリアのミラノでも公演したそうですよ。

 

マナブ:へぇー、どんな反応だったんでしょうね。

 

歴史先生:資料館のもう1つの目玉は「木造阿弥陀如来立像」。国指定重要文化財で、高さ198㎝の大きな仏像です。(写真撮影不可)

 

マナブ:資料館のガラスケースの中に展示されています。大きいですね。これはどういう仏像なんですか?

 

歴史先生:平安前期に作られ、元々は背後の岩峰の中の岩屋にあったそうなのですが、その後天念寺に移されて安置されていました。しかしこの仏像は1941年(昭和16年)の水害で流された本堂再建の資金集めのため、売却されてしまいます。1997年(平成9年)になってようやく大分県と豊後高田市が買い戻し、この資料館の建設の目玉として設置しました。

 

マナブ:長い旅に出られていたのがようやく故郷へ戻れた、ということですね。

 

天念寺

 

歴史先生:資料館からすぐのところに天念寺はあります。

 

マナブ:険しい岩の崖を掘るようにして建てられています。お寺なのに鳥居。神仏習合ってなんだか不思議。

 

歴史先生:そうですね。ここには「六所権現」が祀られています。

 

マナブ:六所権現?

 

歴史先生:6種類の神様のチーム、と言ったらよいかもしれません。たとえば八幡様、お伊勢様、天神様、等々の中から6つを組み合わせて祀っています。修験者の間でもこういった神様と仏様の両方を信仰することが当たり前に行われていました。

 

マナブ:ところでここも718年、仁聞菩薩の開基ですか?

 

歴史先生:そのとおりです。今はひなびた感じのするお寺ですが、昔は川沿いに3㎞にも及ぶ大伽藍を持っていたとか。

 

マナブ:すごく栄えていたんですね。

 

歴史先生:でも地形から容易に想像できるように、この谷は大雨が降ると洪水に襲われる場所でした。特に1941年に洪水はひどく、国宝級の文物も多々失われてしまったそうです。

 

マナブ:それは惜しいことをしました。

 

講堂

 

歴史先生:水害で多くの建物が流されましたが、この講堂は残りました。

 

マナブ:よかった。

 

歴史先生:この講堂は修正鬼会が行われる会場なんですよ。

 

マナブ:あ、先ほど資料館でビデオで見たのはここでしたか。

 

川中不動

 

歴史先生:最後に、天念寺の目の前の川の中にある「川中不動」をお参りしましょう。

 

マナブ:これはすごいですね。岩もすごいけど、彫られている仏様も大きい。

 

歴史先生:高さ3.7mの大きな不動明王像です。彫られている岩は高さ6mほどもあります。実はこれは安土桃山時代のもので、六郷満山が栄えた時期よりもかなり後に作られました。

 

マナブ:というと?

 

歴史先生:この谷はあまりにも洪水が多かったので、水を鎮めるために彫られたものと考えられています。

 

マナブ:そうでしたか。長く天念寺を守ってこられたのでしょうけど、1941年には自然の力の方が勝ってしまった。

 

歴史先生:そうですね。

 

平等院、中尊寺と並ぶ日本3大阿弥陀堂の1つ、国宝 富貴寺

 

富貴寺

 

 

富貴寺(地図 ❹)

〒879-0841 大分県豊後高田市田染蕗2395

拝観料500円(中学生以下割引あり)

8:30~16:30、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.city.bungotakada.oita.jp/site/showanomachi/1251.html


マナブ:天念寺から車で20分。富貴寺にやって来ました。お寺の目の前が駐車場です。ここはどういうお寺なんですか?

 

歴史先生:宇佐神宮と深い縁のあるお寺です。富貴寺は宇佐神宮の大宮司の氏寺として建てられ、平安時代には多くの僧侶がこのあたりに住んで修行をしていたようです。

 

マナブ:宇佐神宮と富貴寺がそんな関係だなんて、知りませんでした。

 

歴史先生:しかし戦国時代には大友氏が勢力を増し、このあたりの寺社の田畑を荒し、作物を奪っていったりしたそうです。

 

マナブ:大分県人のヒーロー、大友宗麟も少し微妙な気がしてきました・・・。

 

歴史先生:そういったこともあり、六郷満山は戦国時代に衰退します。そして明治の神仏分離で大ダメージを受けました。

 

マナブ:神仏習合、が基本ですものね。

 

歴史先生:そうなんです。すっかり廃れてしまった富貴寺は村の集会所兼子供の遊び場になり、太平洋戦争中は空襲で被害を受けました。ついには空き寺となって、これを買い取りたいという人も現れたりしましたが、大分県知事の働きかけで国から予算がおりて、文化財として保護されることになったんです。

 

マナブ:文化財にはそれを守ってきた人の影の物語もあるんですね。

 

山門

 

歴史先生:さて、では早速、富貴寺へ入っていきましょう。有名なお寺ではありますが、境内は広くありません。石段を登ると山門があり、その奥に大堂(阿弥陀堂)があります。

 

マナブ:石段も短くて緩やか。楽に参拝できます。

 

大堂(阿弥陀堂)

 

マナブ:大堂に着きました。これは有名ですよね。たしか国宝?

 

歴史先生:はい、国宝の富貴寺 大堂。宇治平等院の鳳凰堂、中尊寺の金色堂と並んで、日本3大阿弥陀堂、と言われています。

 

マナブ:あとの2つはすごい観光地ですね。ここ富貴寺ももっと人が来てもいいはず。ところでこの阿弥陀堂はいつ建てられたんでしょう?

 

歴史先生:いつ建てられたかははっきりしないのですが、平安時代の終わりごろにいわゆる末法思想が広まり、「お浄土に行くには阿弥陀様にすがるしかない」という考えから各地で阿弥陀堂が建てられました。富貴寺の大堂もおそらくはその頃のものでしょう。いずれにせよ、九州で最古の建築物と言われています。

 

マナブ:ということは中には阿弥陀仏。

 

歴史先生:はい、中には国指定重要文化財の阿弥陀如来坐像があるんですが、実は今日のような雨がちな日には、文化財保護の観点から扉が閉まったままなんです。

 

マナブ:そうですか、中が見れないんだ。でも大切な文化財ですから仕方ありません。

 

歴史先生:その代わり、と言ってはなんですが、宇佐市の博物館に当時の富貴寺大堂を実物大で再現しています。楽しみに待っていてください。

 

大分県立歴史博物館(宇佐市)にある富貴寺大堂の実物大レプリカ

 

歴史先生:阿弥陀如来坐像は榧(かや)の木を使った寄木造りで、高さ85㎝。仁聞の手によるものだと伝わっています。

 

マナブ:仁聞さん、本当ならすごいことですね。

 

歴史先生:周囲には極楽浄土を描いた壁画(これもまた国指定重要文化財)があるのですが、風化によってほとんど見えなくなっています。これも博物館で昔の様子を見ることにしましょう。

 

マナブ:楽しみです。

 

歴史先生:ところで、大堂の周りには国東塔や笠塔婆など、古い石造物がありますので、こちらも見逃さないように見ておきましょう。

 

室町時代の国東塔

 

鎌倉時代の笠塔婆と十王像

 

ド迫力の大型仏像、国重文9体が並ぶ真木大堂

 

真木大堂

 

 

真木大堂(地図 ❺)

〒879-0855 大分県豊後高田市田染真木1796

拝観料300円(中学生以下、団体、障がい者割引あり)

8:30~17:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

http://www.makiodo.jp/ 


マナブ:富貴寺から車で10分。真木大堂(まきおうどう)に来ました。ここも大きな駐車場があります。

 

歴史先生:観光バスも5台とまれるようになっています。

 

マナブ:ここは「~寺」という名前ではありませんが、お寺ですか?

 

歴史先生:元々は伝乗寺、というお寺でした。

 

マナブ:ここも718年、仁聞の開基?

 

歴史先生:そのとおりです。伝乗寺はかつては36坊を有し、六郷満山最大の寺院だったそうです。しかしそれらも火災によって焼失。今では江戸時代に建てられた本堂が残るのみ、です。

 

江戸時代に建てられた本堂

 

収蔵庫

 

歴史先生:しかしここは何といってもその仏像群がすばらしい。かつては本堂に安置されていましたが、今では収蔵庫に移されていますので、入って見ましょう。写真を撮ることはできないので、読者の皆さんは真木大堂のWebサイト(http://www.makiodo.jp/ )でご覧ください。

 

マナブ:中に入るとカーテンで仕切られた部屋があり、中は薄暗くなっています。その中でガラス越しに仏像群を見ることができました。

 

歴史先生:録音による説明が自動で流れますので、1つずつみてください。まずは向かって左の「木造大威徳明王像」。像高241㎝の大きな像で、大威徳明王像として国内最大。水牛にまたがり、不動明王のような怖い顔をして悪を懲らしめます。名前の通り強い徳があり、戦勝祈願などがなされたとか。国指定重要文化財です。

 

マナブ:迫力がありますね。

 

歴史先生:中央は木造阿弥陀如来坐像。像高216㎝で檜(ひのき)の寄木造り。その周囲には木造四天王立像。持国天(161㎝)、増長天(158㎝)、広目天(166㎝)、多聞天(162㎝)という、ほぼ等身大の四天王が四方を守っています。すべて国指定重要文化財です。

 

マナブ:すごい。豪華な造りです。

 

歴史先生:向かって右にあるのは木造不動明王立像。榧(かや)の寄木造りで像高255㎝。日本一大きな木造不動明王立像だと言われています。左側には制多迦童子、右側には矜羯羅童子を従えた、不動三尊像です。これもすべて国指定重要文化財。

 

マナブ:どれも大きくて迫力がある。そしてすべてが重文、というのもすごいですね。

 

国東塔

 

歴史先生:境内には「古代公園」として国東塔をはじめとする石造物が点在しています。あわせて歩いてみましょう。

 

日本最大の磨崖仏には不思議がいっぱい:熊野摩崖仏

 

熊野磨崖仏へ続く石段

 

 

熊野磨崖仏(地図 ❻)

〒879-0853 大分県豊後高田市田染平野2546−3

拝観料300円(中学生以下、団体、障がい者割引あり)

8:30~17:00(4~10月)、8:30~16:30(11~3月)、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.city.bungotakada.oita.jp/site/showanomachi/1248.html


マナブ:真木大堂から車で5分。熊野磨崖仏に来ています。

 

歴史先生:駐車場に車を停めて、石段を登っていきましょう。

 

マナブ:石段の登り口には鳥居。これも神仏習合によるものですよね?

 

歴史先生:はい、そうですね。鳥居ですが、登った後に見られるのは仏様、です。

 

マナブ:なんだか不思議な感覚です。

 

不揃いな石段は登りづらい

 

マナブ:距離にすると大したことはないのですが、石段が不揃いで、足に来ますね。

 

歴史先生:もう少しです。石段は99段しかありません。がんばりましょう。ところでこの石段ですが、鬼が一晩で作ったと言われています。

 

マナブ:鬼?

 

歴史先生:昔、この地域に鬼がやってきて、人を食べるというのです。そこで熊野の権現さまが知恵を絞り、「今夜のうちに100段の石段を造ったら食べてもよいぞ」と言いました。ところが鬼はすごい力でどんどん石を積んでいき、あと少しで100段になりそうです。そこで熊野の権現様は99段まで完成した時、「コケコッコー」と鶏の鳴きまねをしました。鬼は「くそー、間に合わなかった」と99段の石段を放置して逃げていきました。

 

マナブ:それで99段の石段がここに残っているということでしたか。急いでいたから仕方ないけど、鬼ももう少し丁寧に石を積んでくれると、登る方はもっと楽だったんですけどね(笑)。

 

熊野磨崖仏

 

マナブ:上まで上がってきました。わぁ、すごい!

 

歴史先生:熊野磨崖仏です。日本一の大きさを誇ります。

 

マナブ:大きいですね。

 

歴史先生:向かって左側が不動明王。高さ8m。右が大日如来。高さ7mです。

 

マナブ:いつごろ、誰がこんなものを作ったんでしょう?

 

歴史先生:718年、仁聞が造ったとも伝えられていますが・・・

 

マナブ:仁聞さん、さすがにやりすぎ(笑)。

 

歴史先生:実際には平安時代後期、11世紀ごろに作られたものだろうと推定されています。だれが何の目的で作ったのか、それはよくわかっていません。

 

マナブ:でもここは何らかの大切な場所だったんでしょうね。

 

歴史先生:両子寺で、「峯入りは最後に両子寺で満願する」、と言いましたが、峯入りの出発点はこの熊野磨崖仏の不動明王像の前なんです。

 

マナブ:そうなんだ。

 

歴史先生:ところで、大分には磨崖仏が多いと思いませんか?

 

マナブ:そういえば臼杵石仏なんかもありますね。

 

歴史先生:全国の磨崖仏の約2/3は大分県にあるそうです。

 

マナブ:へぇー、そんなに集中してるんですか。

 

歴史先生:これには仏教文化だけでなく、地質の影響が大きいと思われます。

 

マナブ:というと?

 

歴史先生:国東半島は両子山の噴火でできた、という話をしましたね。このあたりにはその際にできた凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)が分厚く積もっています。

 

不動明王像

 

歴史先生:不動明王像の上と下の部分を見てください。地層が違いませんか?

 

マナブ:たしかに、上下の部分では大きな石がゴロゴロしていて、とても仏像を彫るのは難しそうです。不動明王が彫られている地層はなめらかで、これなら彫れそう。

 

歴史先生:凝灰角礫岩の層では、なめらかな火山灰の中に小さな石ころがたくさん入っています。よって比較的細工しやすいものの、精緻な細工は難しく、仏像は浅く彫られていきます。

 

マナブ:たしかに彫りが浅いですね。

 

歴史先生:一方で臼杵や豊後大野など大分県南部では阿蘇山の噴火による溶結凝灰岩の層があります。これは粒子がもっと細かくて、深くて精巧な彫刻ができるんです。そのため国東と大分県南部では同じ石仏でも雰囲気がだいぶ違っています。

 

マナブ:そうなんだ。ところでこの不動明王像、よくみるとなんだかかわいらしいですね。憤怒の形相、という感じではありません。

 

歴史先生:作られた当初はもう少し怖かったのかもしれませんが、風雨にさらされてお顔つきも丸く穏やかになったのでしょう。

 

大日如来像

 

歴史先生:大日如来像は、頭部がかなり深く彫りこんで丁寧な造作になっています。一方、胸から下は風化にもよるのでしょうが、よくわからなくなっていて、元々浅い彫りだったことが伺えます。

 

マナブ:そうでしょうね。

 

歴史先生:ところで、仏像に詳しい人はこの大日如来像を見て「あれ、おかしいぞ?」と首をかしげることでしょう。

 

マナブ:それはなぜですか?

 

歴史先生:この磨崖仏の特徴は、あたまの「螺髪(らほつ)」ですね。

 

マナブ:あの、くるくるの細かいパーマみたいな髪型?

 

歴史先生:そうです。でも大日如来は螺髪をしていないんです。

 

マナブ:えっ? どういうことでしょう?

 

歴史先生:文献などが残っていないのですべて推測になりますが、まずここに恐らくは薬師如来像(?)が彫られました。その後、ここは密教的な修行の場になり、不動明王をその隣に彫ることになったのですが、不動明王は大日如来が転じた姿とされていますから、このお隣が大日如来であればとても都合がよかったんです。

 

マナブ:で、無理やり「これは大日如来像だ」、ということにした。

 

歴史先生:はい、そういうことではなかろうかと思います。


マナブ:ちょっと無理やりですね。


歴史先生:ということで、ここまで国東半島を回ってきました。マナブさん、国東はどうでしたか?

 

マナブ:小学生のころに来た場所もいくつかあるんですが、あまり覚えていませんでした。今回あらためて国東を回ってみて、六郷満山とか神仏習合とか、そういった独特の信仰の文化があったことを初めて理解できたように思います。そしてそのバックには宇佐神宮がいたんですね。宇佐神宮がものすごい力を持っていたことも初めて知りました。ダイナミックな地形と信仰が合わさって、不思議がいっぱい。ここは歴史好きの人にはぜひ回ってほしい場所ですね。

 

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