佐賀関には世界一の高さの大煙突があった?
神武天皇を救った大タコ? 「早吸日女神社」
おすすめレストラン 「あまべの里 関あじ関さば館」
復元された県下最大級の前方後円墳:「亀塚古墳」
佐賀関には世界一の高さの大煙突があった?


「ようこそ 関あじ関さばの町 佐賀関」
マナブ:今日は佐賀関に来ています。
歴史先生:ここは大分市の東の端。現在では大分市に合併されていますが、2005年までは独立した町でした。
マナブ:海のすぐ向こうには四国愛媛県の佐田岬がひょろっと伸びてきていて、狭い海峡になっているんですよね?
歴史先生:はい。幅14㎞ほどの海峡です。流れが速く、別名「速吸瀬戸(はやすいせと)」とも呼ばれます。

関埼灯台と豊予海峡

マナブ:ここはほとんど平野がなくて、岬の手前にあるくびれの部分にある小さな町です。

歴史先生 :その狭い町ですが、ほとんどがJX金属の精錬所になっています。
マナブ:私が子供のころは日本鉱業、って呼んでいたように記憶しています。
歴史先生:過去の経緯の中で何度か名前が変わったり、合併や分離を繰り返してきましたが、日立鉱山が元になっています。
マナブ:日立鉱山?
歴史先生:茨城県日立市にあった明治時代からの鉱山で、銅や硫化鉄鉱を掘り出していました。久原房之介(くはら ふさのすけ)が経営し、久原財閥の中心的な事業でした。
マナブ:久原房之介に久原財閥? 聞いたことがありませんが。
歴史先生:久原房之介は鉱山王とも言われ、その後政界に進出。二・二六事件では右翼に資金提供。第二次世界大戦後、A級戦犯となりました。久原財閥は日立鉱山を中心に構成され、その工作機械を修理する事業が、そののちに日立製作所になります。
マナブ:へぇー、日立製作所はそこから生まれたんですね。
歴史先生:久原財閥からはさらに日産自動車も生まれました。JX金属はその日立鉱山を元にした会社で、今でも銅が主力製品です。

JX金属の精錬所
マナブ:丘の上に高い煙突が立っていますね。あれはかなり高そう。
歴史先生:1916年(大正5年)、第一次世界大戦の真っただ中、日本の景気が上向いているころ、ここ佐賀関に巨大な銅の精錬所ができました。その時に建てられたのが高さ167m、当時世界一の高さを誇った大煙突。丘の高さが126mなので、海面からは約300mの高さになります。
マナブ:世界一ですか! でもなぜそんな高い煙突が必要だったんですか?
歴史先生:銅の精錬の過程では有毒なガスが発生します。低い煙突では人体や作物に被害が出てしまう。そこで十分な高さの煙突が必要でした。
マナブ:今もそれが残っているなんて、すごい。
歴史先生:いえ、1916年に建てられた煙突は老朽化のため2013年 に解体されました。今見えている煙突は1972年(昭和47年)に建てられたものなんです。現在の煙突は約200mのものですので、最初の煙突よりもさらに高くなっています。
マナブ:ということは、しばらくの間は煙突が2本建っていた?
歴史先生:はい、そういう景色が1972年~2013年まで見られていました。

JX金属の煙突は町中いたるところから見える

歴史先生:最近、佐賀関を有名にしてしまったのが、2025年11月の大火でした。
マナブ:連日ニュースで見ていました。
歴史先生:焼けたのはJX金属とは反対側(南側)にある港の東側の地域です。
マナブ:大変な被害でしたね。心が痛みます。
神武天皇を救った大タコ? 「早吸日女神社」

早吸日女神社
早吸日女神社(はやすひめじんじゃ)(地図 ❶)
〒879-2201 大分県大分市佐賀関3329
境内自由
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
https://www.visit-oita.jp/spots/detail/4629
マナブ:佐賀関の町の中にある「早吸日女神社(はやすひめじんじゃ)」に来ました。ここはどういう神社なんでしょう?
歴史先 生:紀元前667年のこと、神武天皇は日向から瀬戸内へ向かいます。その時、海の難所である速吸瀬戸へ差し掛かりました。
マナブ:無事に通れたんでしょうか?
歴史先生:珍彦という漁師が神武天皇の船に近づき、案内を申し出ます。神武天皇はこの男に「椎根津彦(しいねつひこ)」という名前を与えました。そして速吸瀬戸を通過しようとしたのですが、急な暴風雨に見舞われ、船は進むことができません。
マナブ:誰か犠牲になりそうな予感・・・。
歴史先生:ところが海の中に何か光るものが見えていました。椎根津彦は海女の姉妹、黒砂(いさご)と真砂(まさご)に潜って確かめるように指示します。2人が潜ってみると、そこには大タコがいて、光る剣を持っていました。神武天皇が通りがかったということで、大タコは2人にその剣を渡したのだそう です。
マナブ:タコが剣を持っていた?
歴史先生:はい。2人の海女は長時間の潜水により体力を失い、剣を神武天皇に渡すとそのまま亡くなってしまいました。すると天候は急に回復し、荒波も風も収まりました。
マナブ:やはり犠牲者が。

総門
歴史先生:神武天皇は2人の海女を手厚く葬ります。そして、2人が持ち帰った剣をご神体とし、八十枉津日神(やそまがつひのかみ)を祀る神社を造りました。これが早吸日女神社です。
マナブ:ということは、とんでもなく古い歴史のある神社なんですね。

狭い町にある広い境内
マナブ:ところで、ご祭神の八十枉津日神(やそまがつひのかみ)というのは?
歴史先生:イザナギが黄泉の国から戻った際に禊(みそぎ)をしましたが、その時に生まれた神様で、厄除けのご利益があります。
マナブ:それと神武天皇のお話とはどういう関係なんでしょう?

境内にはタコの形をした置石が並ぶ

神楽殿と大タコ
歴史先生:イザナギが禊をしたとされる伝承地はいくつかありますが、ここ佐賀関もその1つです。佐賀関の海岸で禊をおこなったイザナギは、常に身に着けていた剣を禊の最後に海に投じました。それを海中の大タコがひろって、大事に持っていたのだそうです。
マナブ:そして長い年月の後、イザナギの子孫である神武天皇がここを通られるというので、「やれやれ、ようやくこの剣を返せるぞ」ということで差し出した、ということですかね?
歴史先生:はい、そういうことでしょう。

剣を大事に持っていた大タコ
歴史先生:この神社では絵馬の代わりにタコの書かれた絵を貼ります。そして願い事と、それが成就するようにタコを断つ期間が書かれています。
マナブ:願い事が叶うよう、それまでタコを食べません、と?
歴史先生:はい、そうです。ここの宮司さんは39代目だそうですが、一生涯タコを食べないそうです。その風習がすでに千年以上続いているのだとか。
マナブ:大阪に行ってもタコ焼きを食べないんだ(笑)。

拝殿
おすすめレストラン
あまべの里 関あじ関さば館
佐賀関に行ったらやっぱり関あじ・関さば。本場のおいしさをぜひ堪能しよう。

国道沿いの店舗

店の前はきれいなビーチが続く
実際に行ってみた
店舗は海沿いを走る国道沿いにあり、わかりやすい。店の前の駐車場に停めて、レストランがある2階へと階段を上がる。

席のタブレットで注文
席に着くとタブレットで注文。普通の海鮮丼なども1,000円台で食べられるが、せっかく佐賀関に来ているので、少し値段は張るが関あじ、または関さばを楽しみたい。

関さば御膳
ということで「関さば御膳」を注文。2種類の部位の刺身が付く。

関さば
食べてみると、しっかりとした歯ごたえ。噛むほどに味が出る。この弾力は、速吸瀬戸の速い潮の流れに逆らって泳ぐことで魚の身が引き締まるため、と言われている。それがこのブランド魚を生む秘密のようだ。

窓からは美しい海が見える
ここでしか味わえない新鮮なブランド魚。そして目の前に広がる大海原。何とも贅沢なひと時であった。
復元された県下最大級の前方後円墳:「亀塚古墳」

案内板

亀塚古墳公園(地図 ❷)
〒870-0303 大分県大分市里646−1
入場無料
9:00~17:00(最終入場16:30)、月曜休み(第1月曜のみ 開館し、その翌日の火曜休み)
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
http://www.city.oita.oita.jp/o204/bunkasports/rekishi/1014947779619.html
マナブ:大分市の東部にある亀塚古墳に来ています。今回初めて知ったのですが、ここは昔からありましたか?
歴史先生:古墳ですから、もちろんです(笑)。
マナブ:たしかにそうですが(汗)、私が育ったころ にはこんな公園にはなっていなかったと思います。
歴史先生:そうですね、1996年に国の史跡に指定されるまでは山の中にある知る人ぞ知る場所でした。

亀塚古墳
マナブ:亀塚古墳はいつごろできたものなんでしょう?
歴史先生:5世紀初めごろ、と考えられています。
マナブ:それはどんな時代ですか?
歴史先生:いわゆる古墳時代は3世紀中ごろから6世紀の終わりごろまで、を指します。3世紀には大和の纏向に箸墓古墳に代表される大型の前方後円墳が造られました。3世紀というと魏志倭人伝が書かれたころ。
マナブ:なるほど。
歴史先生:4世紀は文献が全くない空白の世紀で、文献としては百済の王子が日本の天皇に贈ったとされる七支刀に彫られた文字と、朝鮮半島にある好太王碑文だけ、とも言われています。しかし4世紀には大和以外の地域、たとえば吉備とか武蔵(埼玉県)などでも前方後円墳が造られるようになりました。
マナブ:大和王権の支配地域が広がっていったと。
歴史先生:そう考えられます。5世紀になると大仙古墳(仁徳天皇陵)など、河内平野に超大型の前方後円墳が建造されるようになります。ここ亀塚古墳のその頃のもの。
マナブ:その頃にはここ大分にも大和王権の支配が及んだんですね。
歴史先生:はい。そして6世紀末頃になると前方後円墳は急に姿を消します。そして時代は飛鳥時代へ。

古墳の上に登ってみよう
マナブ:古墳の上に登ってきました。大きな古墳ですね。
歴史先生:亀塚古墳は全長116m。高さ11mもある、大分県内でも最大級の古墳です。
マナブ:それって、全国の古墳の中ではどれくらいの大きさなんでしょう?
歴史先生:国内最大の大仙古墳は長さ525m、高さ40mと桁違い。大規模古墳の多くは河内平野か奈良盆地にありますが、吉備の国(岡山)には造山古墳(長さ360m、全国4位)と作山古墳(長さ286m、全国9位)があります。
マナブ:吉備はそれだけ重要な国だったんですね。
歴史先生:長さ200m超の古墳は全国で37基あるそうです。
マナブ:そういえば東京のど真ん中、芝公園にも大きな古墳がありましたね。
歴史先生:芝丸山古墳。あれは全長106mでしたから、亀塚古墳とほぼ同規模ですね。
マナブ:芝丸山古墳は木に覆われていましたが、ここ亀塚古墳はよく整備されています。
歴史先生:今でも一部復元されていますが、墳丘の全体は白い石英の葺石(ふきいし)で覆われていました。そこに赤い埴輪が150個以上、並べられていました。
マナブ:きらきら光って、それは素晴らしかったでしょうね。ところでこれは誰のお墓だったんでしょう?
歴史先生:はっきりしたことはわかりませんが、この地域に暮らしていた海部の民の首長である、海部王(あまべのきみ)の墓と考えられています。
マナブ:海部という名前からして海に関係する部族?
歴史先生:はい。このあたりを基地として水運を担っていた部族なのでしょう。出土品からも船のモチーフにしたものなどが多数見つかっています。海から見ると、亀塚古墳は海岸の丘の上に白く光り輝いていたことでしょう。

古墳の手前には「海部古墳資料館」がある
歴史先生:古墳の手前には資料館がありますので、こちらにも立ち寄っていきましょう。
マナブ:いいですね。
歴史先生:さて、今日は大分市の東側を見てきましたが、いかがでした?
マナブ:佐賀関という町、おそらく初めて行きました。大きな精錬所があるのは知っていましたが、実際に見るとすごい迫力でしたね。そして神武天皇と大タコのお話。そんな歴史があったなんて、初めて知りました。亀塚古墳。こんな大きくてきれいな古墳が大分にもあったんですね。驚きました。

