日本書紀にも古事記にも出てこない「宇佐神宮」とはいったい何か?
宇佐神宮の境内を歩く(1):大鳥居、唐橋、弥勒寺跡
宇佐神宮の境内を歩く(2):上宮、下宮
宇佐神宮の境内を歩く(3):菱形池、頓宮
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日本書紀にも古事記にも出てこない「宇佐神宮」とはいったい何か?


宇佐駅
マナブ:今日は大分県の北部、宇佐市に来ています。
歴史先生:宇佐と言えば・・・?
マナブ:「USA」! (笑)
歴史先生:(笑)USAという表示が町中のあちこちにありますから、SNS映えしますよね。
マナブ:そうなんです。でもやっぱり、宇佐と言えば何と言っても「宇佐神宮」ですよね。
歴史先生:はい、そうですね。ではその宇佐神宮というのはどんな神社かご存じですか?

宇佐神宮 上宮
マナブ:えーっと、まず「神宮」という名前が許されるのは皇室ゆかりの限られた神社ですから、それだけの格式高い神社ですね。祭神はたしか応神天皇、すなわち神功皇后の息子さん。そして全国の八幡神社の総本宮。
歴史先生:はい、大正解です。ご祭神は八幡大神(はちまんおおかみ、すなわち応神天皇)、比売大神(ひめのおおかみ、すなわち宗像三女神)、そして神功皇后です。
マナブ:宗像三女神というのはたしかアマテラスとスサノオの姉弟の間に生まれた3人の女の子。
歴史先生:そういうとなんだか怪しく聞こえますね(苦笑)。ところで日本中に神社っていくつくらいあると思いますか?
マナブ:ものすごくたくさんありそう。数万カ所?
歴史先生:正確な統計はないのですが、知られているだけで11万カ所ほど。そのうちの約40,600カ所は八幡神社で、神社の種類としてはトップです。その総本宮が宇佐神宮になります。
マナブ:八幡さまが4割近くを占めているんですね。

菱形池
歴史先生:宇佐神宮の歴史は相当古く、第29代 欽明天皇の時代(539~571年)に現在の宇佐神宮の境内に中央にある菱形池に近くに、応神天皇のご神霊である八幡大神が3歳の童子の姿で降臨したのが始まりとされています。
マナブ:その話は中津の「薦(こも)神社」で聞いたのと同じですね。欽明天皇の在位 中というとどんな時代でしょう?
歴史先生:古墳時代の後期。527年には筑紫で磐井の乱が起きました。538年には百済から仏教が伝来しています。
マナブ:なるほど、そういった時代ですか。ところで応神天皇はいつ頃の人?
歴史先生:日本書紀ですと390年から430年まで在位していました。
マナブ:とすると、降臨されたのが事実だとして、亡くなってから140年ほどでしょうか、その時はそれほど大昔の話ではなかったんですね。
歴史先生:そして588年に鷹居社という社殿が初めて建てられ、その後725年に一之御殿が建てられ八幡大神が祀られました。733年には比売大神を祀る二 之御殿、少し遅れて823年に神功皇后を祀る三之御殿が建てられました。それが現在の3つの本殿として続いています。

大元神社の拝殿
歴史先生:ところで、宇佐神宮の南に御許山という山があって、そこは「大元神社」と呼ばれる宇佐神宮の奥宮で、その山頂に巨石があります。おそらくは古代の豪族、宇佐氏がこれを磐座(いわくら)として信仰していたのが宇佐神宮の始まりではないかとも考えられています。
マナブ:古代の人は巨石を神として信仰してたんですよね。
歴史先生:はい、そうです。
マナブ:これだけ大きな神社ですが、日本書紀とか古事記にはどのように書かれているんですか?
歴史先生:実は一切登場しないのです。
マナブ:えっ? それはなぜ?
歴史先生:いえ、恐らくは記紀が編纂された700年代の初めごろ(古事記は712年、日本書紀は720年に完成)にはまだ社殿も建っておらず、「八幡さま」というのは応神天皇のことであるにもかかわらず中央では知られていない地方の信仰の1つにすぎなかったのだろうと思われます。あ、1つだけ宇佐に関係しそうな記述が日本書紀にあります。
マナブ:それは何でしょう?
歴史先生:例の宗像三女神ですが 、「アマテラスが三女神を葦原中国の宇佐島に降して鎮めさせた」という下りがあります。これが宇佐のことではないかと推測されていて、宇佐には宗像三女神を祀る風習が元々あったと考えられます。
マナブ:なるほど、でもそれだけではその後の宇佐神宮の繁栄にはつながりそうにないですね。
歴史先生:そうなんです。しかし、それが700年代の中ごろ、宇佐の八幡さまは一気に全国区へ名乗り出ます。
マナブ:ん? 何があったんでしょう?

薦神社のご神体である三角池(みすみいけ)
歴史先生:時は奈良時代の初めごろの720年、反乱を起こした薩摩・大隅の「隼人」を討伐するために大和朝廷軍が宇佐へやってきます。その際、中津市の薦神社の三角池に自生している真薦(まこも)という植物を枕状にしたものを八幡神のご神体として神輿(みこし)に乗せ、それで鎮圧に向かったそうです。
マナブ:薦神社でその話がありましたね。
歴史先生:はい。それこそが「神輿」の始まりと言われています。
マナブ:今もお祭りで「わっしょい、わっしょい」と担いでいる、あの「おみこし」ですか?
歴史先生:はい。そのルーツは宇佐神宮と言われています。隼人の討伐によって宇佐の八幡大神の名前は中央にもある程度は知られる存在になったことでしょう。ところで余談ですが、八幡社では「放生会(ほうじょうえ)」というお祭りが行われます。「生き物をいたわり、殺生をしない」というような趣旨で魚を池に放流したりする風習がありますが、これはこの戦いで隼人の人たちをたくさん殺してしまったことに対する八幡さまの反省が込められた行事なんです。
マナブ:放生会というのはそういう意味だったんですね。
歴史先生:さて、薩摩・大隅の方が安定すると、今度は聖武天皇が東大寺に大仏を建立しようとしていました。745年に建立はスタート。しかし大仏を作るには莫大な資金が必要です。
マナブ:そうですね。
歴史先生:そんな時、宇佐神宮で「応神天皇のご神霊である八幡さまが、天の神、地の神を率いてわが身をなげうって協力する」という八幡大神のご神託を得ました。「金(きん)が不足すれば必ずやそれは掘り出される」というご神託の通り、陸奥の国から金が献上されてきたのだそうです。聖武天皇はとても喜んだということなんですが。
マナブ:うーん、八幡大神という地方で信仰されている神様からご神託があったということが、それほど聖武天皇を喜ばせるだけの価値があったんでしょうか?
歴史先生:当時は朝鮮半島の新羅の脅威が恐れられていた時代ですから、太古に朝鮮半島で新羅を討伐した神功皇后、そしてその息子の応神天皇を神として崇める背景はあったかと思います。
マナブ:でもそれだけでしょうか?
歴史先生:実際にはよくわかりませんが、宇佐神宮はこの一帯でかなりの勢力を伸ばしていたのだとすると、大仏建立に対して経済的あるいは人的な援助を直接おこなったのかもしれません。
マナブ:そんな気がします。

東大寺の大仏(奈良市)
歴史先生:さて、ここでも再び神輿が登場します。749年に大仏の鋳造が終わると、八幡大神は神輿に乗せられて、奈良までそれを見に行きます。
マナブ:なんか、おもしろい言い方ですね(笑)。
歴史先生:東大寺では聖武上皇、孝謙天皇をはじめ文武百官勢ぞろい。実に5,000人の僧侶が読経する中で八幡さまの神輿は迎えられたのだとか。
マナブ:ちょっと前まで知られていなかった地方の神様が、急に超VIP待遇になってる(笑)。
歴史先生:そして3年後。八幡大神は752年の大仏開眼法要にも再び呼ばれました。この時も神輿で出かけます。
マナブ:この時はどんなふうに迎えられたんでしょう?
歴史先生:完成したばかりの大仏殿に最初に入ったのは聖武上皇。続いて孝謙天皇。八幡大神は3番目でした。
マナブ:やはり超VIP待遇。
歴史先生:それだけではありません。大仏建立に貢献したことへの感謝として封戸800戸、位田60町が寄贈され、さらには東大寺のすぐそばに「手向山八幡宮」という宇佐神宮の分社が建てられ、東大寺を守護する役割を持たされました。

手向山八幡宮(奈良市)
マナブ:もうこうなると平城京の都のなかで八幡さまを知らない人はいない。
歴史先生:そうなりますね。まさに八幡さまが全国区になった瞬間でした。
マナブ:その後はどうなっていったんでしょう?
歴史先生:奈良時代にはもう1つ、宇佐八幡宮託宣事件というのがありましたが、それは後程詳しくお話ししましょう。
マナブ:はい。
歴史先生:平安時代には延喜式で「名神大社」という高いランクに位置付けられ、宇佐神宮は九州最大の荘園領主になります。そして源平合戦では平家方につき、一時は安徳天皇を匿っていたこともありました。
マナブ:でも平家は負けてしまった。
歴史先生:はい。緒方惟義を中心とする豊後武士団は源氏方についていましたので、平家方であった宇佐神宮は焼き討ちにあいました(1184年)。戦国時代には豊後の大友氏と対立。豊前に進出していた中国地方の大内氏に庇護されていましたが、ここでも宇佐神宮は大友宗麟によって再び焼き討ちを受けています(1562年)。
マナブ:大分県のヒーローと言われている2人がそれぞれ宇佐神宮を焼き討ちしたなんて、大分県人もあまり知ら ないと思います。
歴史先生:江戸時代には徳川幕府から寄進を受け、そのもとで庇護され続け現在に至ります。それにしても平安京を作るときには石清水八幡宮、鎌倉幕府を開くときには鶴岡八幡宮など、八幡さまは天皇家にも武家にも深く崇拝されてきました。
マナブ:源義家は「八幡太郎」と言われていましたね。
歴史先生:歴史上、もっとも八幡さまを崇拝していた武将と言えるかもしれません。
マナブ:「八幡大菩薩」という言い方もよく聞きます。
歴史先生:それこそまさに平安時代に始まった「神仏習合」の典型です。八幡さまという「神様」に対して、仏教の思 想から「大菩薩」号が与えられました。国東半島に広がる神仏習合の文化はここ宇佐神宮から出ているのです。
宇佐神宮の境内を歩く(1):大鳥居、唐橋、弥勒寺跡

国道10号線沿いの宇佐神宮の広い駐車場

宇佐神宮(地図 ❶)
〒872-0102 大分県宇佐市南宇佐2859
境内自由
6:00~18:00、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
マナブ:ではいよいよ、宇佐神宮を歩きます。
歴史先生:今は平日の朝8時。24時間使える駐車場にもまだほとんど車が止まっていません。昼間は観光バスなどが来て賑わいを見せますが、今は境内にはほとんど人がいないと思いますよ。
マナブ:すばらしいです。早起きした甲斐がありました。雨上がりのしっとりした空気の中をこれから歩いていきます。

駐車場の脇にある仲見世通り。お店が開くのは10時ごろから。(店舗により異なる)

歴史先生:地形図を見てください。国道10号線沿いの駐車場に車を停めて、ここから歩いていきます。まずは川を渡り、池のあるところを過ぎるとポツンと小高い丘があります。これは小椋山(または亀山)と呼ばれる丘で、ここの上に上宮(じょうぐう)があります。
マナブ:モノレールがあるって看板が出ていますね。
歴史先生:足の悪い方はこの丘の裏手からモノレールで登ることもできます。それほどきつい石段ではないので、私たちは普通に行きましょう。また地図の右手(東側)にある山の中腹に護皇神社がありますので、ここにも行ってみましょう。
マナブ:宇佐神宮で石段を登った記憶がないなぁ。何となく平地にあるような印象を持っていました。

駐車場からすぐの場所にある「北参道大鳥居」をくぐって境内へ

神橋
マナブ:駐車場から北参道大鳥居をくぐって、次に神橋を渡ります。
歴史先生:この川は寄藻川と呼ばれ、宇佐神宮の奥宮がある御許山から流れてきています。


表参道 大鳥居
歴史先生:神橋を渡った先からはまっすぐな表参道が続きます。
マナブ:薦神社で習ったように、宇佐神宮の鳥居の形は独特ですね。真ん中がなくて、いたってシンプル。
歴史先生:はい、「宇佐鳥居」という話を薦神社でしました。

武内宿禰を祀る黒男神社
歴史先生:大鳥居をくぐるすぐ手前の右側に武内宿禰(たけうちのすくね)を祀る「黒男神社」があります。
マナブ:武内宿禰という名前はよく聞きますね。
歴史先生:伝説上の人物で実在したかどうかはっきりしませんが、第12代景行天皇から第16代仁徳天皇まで、実に240年間も天皇の側近として仕えた人。
マナブ:さすがにそれは長すぎる(笑)。ところで宇佐神宮との関係は?
歴史先生:第15代が宇佐神宮の祭神である応神天皇です。
マナブ:あ、そうか。
歴史先生:第14代の仲哀天皇が亡くなった後、残された神功皇后を良く補佐した話が有名です。ここ宇佐神宮では応神天皇を鳥居の外側で守っています。

初沢池
歴史先生:右に見えてきた池を「初沢池」と言います。奈良の猿沢の池、京都の広沢の池、と並んで「日本三沢の池」と呼ばれています。

マナブ:表参道の突き当りを右へ行きます。
歴史先生:こちら、すなわち西側の入口となるのが「呉橋」。西参道はここへ続いています。少なくとも鎌倉時代より前から存在していた橋です。

呉橋
マナブ:呉橋、という名前にはどういう意味があるんでしょう?
歴史先生:呉の国の人が架けた、という伝承もありますが、詳しくはわかりません。
マナブ:今は渡ることができないようですが、朱塗りで屋根付きの美しい橋ですね。並行して架けられたすぐと なりの橋から眺めることができます。

一柱謄宮跡
マナブ:呉橋のすぐ手前に「一柱謄宮 跡」という石碑が立っています。何て読むんだろう?
歴史先生:これは読めませんよね。 日本書紀に出てくる建物で、「あしひとつ あがりのみや」と読みます。古事記では「足一謄宮」と書かれていますから、日本書紀よりは読みやすいかと。
マナブ:足が1つ?
歴史先生:はい。柱が一本で支える建物のことだろうと推測されます。その昔、神武天皇が東征の途中で宇佐に立ち寄りました。その際、この 地を支配していた宇佐都比古(うさつひこ)、宇佐都比売(うさつひめ)が神武天皇一行を大歓迎し、この宮を建てておもてなしをしました。
マナブ:なんでそんなに歓迎されたんでしょうね?
歴史先生:以前から宇佐と日向は友好的な交流があったのかもしれませんが、史料がなさ過ぎてよくわかりません。そもそも神武東征が本当かどうかも疑われている状態ですから。
マナブ:それはそうですね。でも、ここに一柱謄宮があった、ということなのですね?
歴史先生:一柱謄宮だとされる伝承地はほかにも2か所あって、そのうちの1つは後程行きます。
マナブ:どちらにし ても宇佐は神武天皇の一行と良好な関係を築けたわけですね。
歴史先生:はい。先ほど名前が出た宇佐都比売(うさつひめ)は、神武天皇の家来である天種子命(あまのたねこ の みこと)と結婚します。
マナブ:えっ、そんなロマンスの話なんですか?
歴史先生:恐らくはそうではなくて、神武天皇一行が寄港地を次々に征服していく中で、宇佐とは友好的に同盟が結ばれ、関係強化のための政略結婚も行われたということなんだろうと思います。

弥勒寺跡


