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埼玉県 大宮_1.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
小耶馬渓の垂直な断崖に建つ「鷹栖観音堂」
 
石橋の貴婦人、5連の美しい姿をみせる「鳥居橋」
 
長崎のフェートン号事件のあとにできた烽火による緊急通報システム
 
神武天皇をもてなした足一謄宮はここか? 神秘のベールに包まれた謎の妻垣神社
 
妻垣神社を舞台に邪馬台国の場所を特定する新説をぶち上げた、松本清張の「陸行水行」とは?
 
全耶馬渓随一の大岩柱。高さ100mの奇岩が並ぶ「仙の岩」
 
華厳の滝にそっくり。大迫力の名瀑:東椎屋の滝


小耶馬渓の垂直な断崖に建つ「鷹栖観音堂」

 

 

マナブ:宇佐から南の山へ入っていきます。現在は宇佐市ですが、かつては院内町、安心院町、と呼ばれていた地域に行ってみます。

 

歴史先生:今回の大分の旅の中ではもっとも観光客の少ないエリアです。知名度としてはマイナーながらも、見ごたえのある場所が続きますのでお楽しみに。

 

マナブ:私も子供のころ、このあたりには来た覚えがありません。

 

鷹栖つり橋公園

 

 

鷹栖つり橋公園/鷹栖観音堂(地図 ❹)

〒879-0466 大分県宇佐市上拝田828

入場自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.city.usa.oita.jp/tourist/touristspot/touristspot2/touristspot3/10160.html 


マナブ:県立歴史博物館から約20分。鷹栖つり橋公園、というところの駐車場に車を停めました。

 

歴史先生:ここは昔からの景勝地になっていますので、散策しましょう。

 

案内看板

 

マナブ:これはわかりやすい案内図だ。

 

歴史先生:ではまずは吊り橋を渡りましょう。

 

鷹栖つり橋

 

歴史先生:鷹栖つり橋は全長132.5m。1997年(平成9年)に架けられました。

 

マナブ:ということは、わりと最近まで橋はなかった?

 

歴史先生:はい。渡し舟で行くしかない場所でした。

 

百間岩

 

マナブ:左側に見える断崖絶壁、すごいですね。

 

歴史先生:「百間岩」と呼ばれます。ここには道を通すことはできそうにありませんね。

 

右手に観音堂が見えてきた

 

歴史先生:この大きな川は駅館川(やっかんがわ)。院内、安心院から流れ出て、宇佐平野を作っている川です。

 

マナブ:あ、右のほうの絶壁にへばりつくようなお堂が見えてきました。あれが観音堂ですね。

 

歴史先生:はい。ここは元々観音寺というお寺でした。国東に多くの寺院が建てられたのと同じころ、飛鳥時代に宇佐神宮の塔頭の1つとして建てられたようです。

 

マナブ:実は相当に古いお寺なんですね。

 

歴史先生:虚空蔵寺、というのを覚えていますか?

 

マナブ:県立歴史博物館に三重塔の模型がありましたね。宇佐インターの近くで、法隆寺のような伽藍があったとか。

 

歴史先生:そのとおり。そこのご本尊であった薬師如来像が移されて、この観音堂に祀られるようになったそうです。現在は別に薬師堂という、像を安置するだけの小さな建物がちょっと離れたところにあって、そこに保管されています。

 

鷹栖観音堂

 

マナブ:それにしてもすごい場所に建っています。

 

歴史先生:京都の清水寺に代表されるような「懸造り」、のお堂です。何度か建て替えられて、現在の物は江戸時代のものです。

 

慈眼堂(手前)と観音堂(奥)

 

歴史先生:観音堂ですが、老朽化が進んでいますから、何かの行事でたくさんの人が上ると危険です。そのため現在では下に「慈眼堂」を新しく建てて、そこで行事を行っています。

 

マナブ:なるほど。

 

歴史先生:その行事の1つが「修正鬼会」。

 

マナブ:あ、それは国東の天念寺で見ました。

 

歴史先生:ここ鷹栖観音堂では毎年1月4日、川の対岸から川を渡って鬼の面を観音堂に奉納する、というお祭りだそうです。

 

マナブ:うわぁー、それは冷たそう。

 

石橋の貴婦人、5連の美しい姿をみせる「鳥居橋」

 

鳥居橋のすぐ横に架かっている新しい橋を渡ると2台分の駐車スペースならびに小公園がある。手前が「いんない石橋めぐり」の案内看板。後方の茂みは大倉山烽火台跡。

 

 

鳥居橋(地図 ❺)

〒872-0313 大分県宇佐市院内町香下221−1

見学自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.city.usa.oita.jp/tourist/touristspot/touristspot2/touristspot3/10178.html 


マナブ:鷹栖観音堂からさらに南へ。車で5分ほど行ったところに「鳥居橋」があります。高速道路の高架橋の手前の橋を渡ると、そのすぐたもとに駐車スペースがありました。

 

歴史先生:ではさっそく、鳥居橋を見ましょう。

 

鳥居橋

 

マナブ:おぉ、立派な橋ですね。

 

歴史先生:この橋は1916年(大正5年)に架けられたもの。長さは55mもあって、5連のアーチを描いています。

 

マナブ:高さが結構ありますね。

 

歴史先生:高さは11mもあります。

 

マナブ:橋のサイズのわりに橋脚がスラっと細いような気がします。

 

歴史先生:はい、そのとおりで、その細さから「石橋の貴婦人」と呼ばれて人気があるんですよ。

 

「いんない石橋めぐり」の案内看板

 

歴史先生:こちらの案内板を見ていきましょう。

 

マナブ:院内町にはたくさん石橋があるんですね。どれどれ、ここには75番までのリストが載っています。

 

歴史先生:その中で60基は石造アーチ橋です。「日本一の石橋の町」と言われています。

 

マナブ:なぜそんなに多いんでしょう?

 

歴史先生:院内町の中央を流れているのは駅館川の支流である恵良川。この川の流れが急なため、谷が深く削られて、その両側に集落ができている、ということで橋のニーズが高い。でも流れが急なため、木の橋だとすぐに流されてしまう。そんなことで石橋を必要としていました。

 

マナブ:なるほど、必要性はわかりました。

 

歴史先生:またこのあたりは凝灰岩が豊富に取れ、それを加工する技術を持った石工もたくさん育っていました。

 

マナブ:材料の石があって技術者もいる。それでたくさんできたんですね。

 

石橋の貴婦人、スリムな鳥居橋

 

歴史先生:そのほとんどは単アーチ橋で、3連が3基、2連が2基のみです。この鳥居橋の5連というのはここでは珍しいものなのですが、それは鳥居橋が一番下流にあって、それだけここの谷の幅が広いからでしょう。

 

長崎のフェートン号事件のあとにできた烽火による緊急通報システム

 

大蔵山烽火台跡

 

歴史先生:ところで、橋のすぐ後ろにあるのが「大蔵山烽火台跡(おおぞうさん のろしだい あと)」。

 

マナブ:ここで烽火(のろし)を上げていた?

 

歴史先生:はい。フェートン号事件というのが江戸時代にあったのですが、ご存じですか?

 

マナブ:いいえ。

 

歴史先生:1808年、まだ明治維新の60年ほど前、イギリスの軍艦フェートン号が突然長崎港に入ってきました。当時はオランダとの貿易だけは可能だったので、フェートン号は当初オランダ国旗を掲げて入港します。

 

マナブ:ふむふむ。

 

歴史先生:しかし迎えのために小舟で近づいたオランダ商館員2名をそのまま船内に拉致して監禁。突然イギリス国旗を掲げ、湾内のオランダ船を探索・攻撃しようとしました。

 

マナブ:それは大変。

 

歴史先生:交渉の結果、フェートン号に水や食料を提供し、その代わりに人質は解放され、無事に引き取ってもらうことができました。このときの艦長はペリュー。

 

マナブ:ペリー、に似てる(笑)。

 

歴史先生:ペリーの来航、ではなくて、ペリューの来航という事件が、ペリーが来る50年ほど前にあったんですね。

 

マナブ:おもしろい。

 

歴史先生:結果的に何の被害もなく、フェートン号はそのまま立ち去ったのですが、1隻の軍艦すら打払えない日本の国防の弱さをさらけ出すこととなりました。

 

マナブ:それだとさすがにまずい、と江戸幕府は思うでしょうね。

 

歴史先生:まず、イギリスを侵略的な国だとして警戒し、研究するようになります。その後もしばしばイギリス船が日本近海で目撃されたことから、1825年には異国船打払い令が出されました。

 

マナブ:といっても打払う力はなかったんでしょうけど。

 

歴史先生:その通りですね。ところで、フェートン号が来航した1808年、いち早く着手した対策は、通信網の整備でした。すなわち、外国船が長崎に来航した時、すぐにそれが伝達できるよう、烽火台のリレーを整備したんです。

 

大蔵山烽火台跡の案内板

 

マナブ:その1つの中継点がここ?

 

歴史先生:はい。案内板の図にあるような石組みの設備が良好な状態で残っているようです。

 

マナブ:これを見ると高さ7m、煙が出るところが4mなど、相当に大きな設備ですね。これならたくさん煙が出せそうです。

 

神武天皇をもてなした足一謄宮はここか? 神秘のベールに包まれた謎の妻垣神社

 

妻垣神社の参道入口。車は鳥居の脇にある坂道ではなく、もう少し先まで行って迂回することが推奨されている。

 

 

マナブ:鳥居橋から車で15分ほど。山を越えて安心院盆地へ入り、妻垣神社へ着きました。

 

歴史先生:車で走っていると鳥居があって、歩いて参拝に来られた人はそこを石段で登るようになっています。その脇に車道のようなものが見えるのですが、非常に狭くて急な坂なので、標識に従って少し迂回して上の駐車場に停めるのが正解です。

 

 

妻垣神社(地図 ❻)

〒872-0506 大分県宇佐市安心院町妻垣203

境内自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

http://www.tumagakijinjya.com/ 

 

妻垣神社の駐車場

 

妻垣神社の参道

 

歴史先生:駐車場の所から参道が始まります。この鳥居は江戸の初期、1650年に寄進された古いものです。手前両側には古い狛犬が立っています。

 

狛犬

 

歴史先生:さて、こちらの狛犬をよく見てください。何か変わった点に気づきませんか?

 

マナブ:あれ? 赤ちゃんを抱いている?

 

歴史先生:そうなんです。参拝の帰りにこの赤ちゃんの狛犬をなでて、つぎに自分のお腹をなでると、子授け、安産、子育てのご利益があるのだとか。

 

マナブ:こういうの、初めて見ました。

 

妻垣神社

 

歴史先生:では、妻垣神社のご由緒についてお話ししましょう。宇佐神宮に行ったとき、足一謄宮(あしひとつ あがりのみや)の話をしましたね。

 

マナブ:はい。神武天皇一行が宇佐に上陸した時に、宇佐氏がとても歓待して、1本の柱で支える宮を作ったとか。宇佐神宮の境内にその伝承地の1つがあって、もうあと2か所あると。

 

歴史先生:はい。その1カ所がこちら、妻垣神社になります。神武天皇はこの美しい盆地の風景をとてもお気に召され、妻垣山(妻垣神社の裏手の山)にある大きな石に、神武天皇のお母さんである玉依姫命(たまよりひめ の みこと)の霊を迎えて祀りました。

 

マナブ:たしかにここの盆地の風景は美しい。ちょっと奈良県の飛鳥にも似ている感じがします。

 

歴史先生:そういえばそうかもしれませんね。そして八幡大神が長い旅から宇佐に戻って大尾山に鎮座した765年には、八幡大神がわざわざここを訪れて玉依姫命と語り合ったのだとか。

 

マナブ:八幡大神って、ほんと生きている人みたい。

 

歴史先生:そして神託によってこの地にも八幡大神が合わせて祀られることになりました。その時に出来た社殿が妻垣神社です。よってこの神社の主祭神は玉依姫命、他に八幡大神と神功皇后が祀られています。

 

正面から見た妻垣神社の拝殿

 

歴史先生:古くから大切にされてきた社殿でしたが、1581年、大友宗麟の焼き討ちによって焼失してしまいます。

 

マナブ:えーっ、ここも?

 

歴史先生:その後黒田長政によって再建され、その後改修を重ねて今に至っています。

 

妻垣神社の拝殿・中殿・本殿

 

歴史先生:ところで、妻垣神社の重要性を示す話がいくつかあります。宇佐神宮で足利尊氏が戦勝祈願した話をしましたが、そのあと、妻垣神社に参って流鏑馬の神事を行いました。そこから京へ攻め上ったわけです。

 

マナブ:宇佐からわざわざここまで来て流鏑馬をするとは。それほど大事な場所だったのですね。

 

歴史先生:他には1913年(大正2年)、ここに「謄宮学館」が開かれました。これは神官を養成する学校で、日本では伊勢神宮にある神宮皇學館と東京の國學院、そしてここ妻垣神社の3か所にしかありませんでした。神官を目指す生徒が北海道や沖縄まで全国から集まり、中には満州から来ている生徒もいました。惜しくも太平洋戦争の終戦とともに廃校になってしまいますが。

 

マナブ:今でこそマイナーな場所になっていますが、以前は非常に重要な場所だった、ということがよくわかりました。

 

妻垣神社を舞台に邪馬台国の場所を特定する新説が話題となった、松本清張の「陸行水行」とは?

 

歴史先生:ところで、松本清張の「陸行水行(りっこうすいこう)」という作品をご存じですか?

 

マナブ:いえ、知りません。

 

歴史先生:ここ妻垣神社を舞台にした、1963年発行の短編小説です。

 

マナブ:松本清張はそのころはまだ駆け出し?

 

歴史先生:いいえ。点と線(1958年)、ゼロの焦点(1959年)、砂の器(1961年)と続けて傑作を生みだしていた人気作家でした。でも、松本清張と妻垣神社の縁は戦時中の1942年(昭和17年)に始まります。

 

マナブ:そのころの松本清張は?

 

歴史先生:まだ朝日新聞に嘱託として雇われていました。作家デビュー前、です。古代史が大好きだった彼は古事記に書かれている足一謄宮の所在を突き止めるべく、ここ妻垣神社を訪れます。

 

案内板にある足一謄宮の写真

 

歴史先生:そこで妻垣山に登って足一謄宮と伝わる大きな岩にも足を延ばしました。その後もたびたびこの地を訪れた松本清張は、有名作家となったのち、このロマンあふれる場所を題材に「陸行水行」を執筆するのです。

 

マナブ:それまでネタとして温めていたんですね。先生は読まれましたか?

 

歴史先生:はい。これが実におもしろい。魏志倭人伝で邪馬台国まで陸上で何日、水上で何日行った、とか書かれている部分があるでしょ? あれが混乱のもとで、九州説も近畿説も、どうしてもつじつまが合わない。そこへこの小説は独自の解釈で邪馬台国の場所を特定します。

 

マナブ:へぇー、で、その解釈によると邪馬台国はどこなんですか?

 

歴史先生:それを話したい衝動に駆られていますが、ネタバレになるので言えません。ぜひ読んでみてください。「なるほど、そうか」と思われるのではないでしょうか。

 

<読んでおきたい本>

松本清張

陸行水行

 

 


主人公である歴史学者が宇佐の妻垣神社で不思議な郷土史家と出会う。彼の語った「邪馬台国はここだ」という説に主人公は衝撃を受ける。魏志倭人伝の新解釈で邪馬台国の謎に迫った松本清張の短編小説。

 

全耶馬渓随一の大岩柱。高さ100mの奇岩が並ぶ「仙の岩」

 

道路沿いに駐車スペースがある

 

 

仙の岩(地図 ❼)

〒872-0514 大分県宇佐市安心院町鳥越

見学自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.city.usa.oita.jp/tourist/touristspot/touristspot2/touristspot3/10161.html 

 

マナブ:妻垣神社から車で5分ほど。カーブを曲がるといきなりすごい奇岩が目前に現れました。

 

歴史先生:これが「仙の岩」。耶馬渓の中でも青の洞門がある競秀峰と並ぶ景勝地として名高いところです。岩の前は公園になっています。

 

マナブ:でも観光客が誰もいません。

 

歴史先生:そうなんです、ここはもっと知られてもいい場所のはずです。

 

仙の岩

 

歴史先生:中央に立つ剣ヶ岳は全耶馬渓一の大岩柱。高さは100mほどあります。

 

マナブ:こうして下から見上げていると、上にのしかかってこられるような、威圧感を感じます。

 

歴史先生:岩の上には展望台があって、由布岳、鶴見岳などもきれいに見えますよ。

 

マナブ:眺めはいいでしょうけど、やめておきます(苦笑)。

 

仙の岩の前は公園になっている

 

歴史先生:ところで、この岩の上には「大巌寺」というお寺があります。

 

マナブ:うわ、すごいところに作りましたね。

 

歴史先生:このお寺の歴史はとても古く、孝徳天皇のころといいますから、600年代中盤の大化の改新のころ、インドから来た法道仙人という人が千手観音像を彫って岩屋に納め、この岩の上に住んでいたそうです。そのことから、ここを「仙の岩」と言います。

 

マナブ:この奇岩がインド人の仙人を呼び寄せた。

 

歴史先生:そうでしょうね。その後、717年に仁聞(にんもん)がここを訪れます。

 

マナブ:あ、それは718年に国東の六郷満山を開いた人。

 

歴史先生:はい。仁聞はここには岩屋だけで堂宇がないことを見て、これではいけないと思ったのでしょう。岩の上にお堂を建て、彼もまた千手観音を彫って、そのお堂に納めました。

 

マナブ:そのお寺はまだあるんですか?

 

歴史先生:残念ながら江戸末期に火災ですべては失われてしまいました。

 

華厳の滝にそっくり。大迫力の名瀑:東椎屋の滝

 

 

マナブ:仙の岩からさらに車で南へ20分。国道500号線から右の狭い谷に入って、行き止まりまで行くと「東椎屋の滝 駐車場」があります。

 

駐車場

 

 

東椎屋の滝(地図 ❽)

〒872-0724 大分県宇佐市安心院町東椎屋875

見学自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.city.usa.oita.jp/tourist/touristspot/touristspot2/touristspot3/10156.html 

 

滝への遊歩道の入口

 

歴史先生:ここからは遊歩道を歩いていきましょう。

 

マナブ:遊歩道の入口に「自然保護のため遊歩道の整備が十分できていない」、というような趣旨の注意書きがありました。

 

歴史先生:はい、多少そんな感じの場所もあります。

 

階段を下りる

 

マナブ:まずは手すりの付いた石段を下りていきます。このあたりは整備されていますね。

 

ここからは川に沿って、左側の細い道を谷の奥へと進む

 

歴史先生:石段を下りると川のすぐそば。ここから川に沿って上流へ歩きます。5分ほどで滝に到着します。

 

マナブ:川の水がきれい。まさに清流。道はだんだん、頼りなくなってきています。

 

だんだんと道がなくなってきた

 

マナブ:もうこのあたりに来ると、どこが道かよくわかりません。とりあえず川にそって歩きます。

 

歴史先生:左からは小さな滝が落ちています。足元がぬかるんでいますので、気を付けて。

 

マナブ:だんだん、「ゴォー」という滝の音が聞こえてきましたよ。

 

歴史先生:滝はもうすぐです。

 

カーブを曲がると巨大な滝が突然現れる

 

マナブ:あ、見えました。うわぁー、思っていたよりはるかに大きい。

 

歴史先生:もう少し近くまで行けますので、行ってみましょう。

 

東椎屋の滝

 

マナブ:滝の近くまで来ました。すごい迫力。

 

歴史先生:落差は85mもあります。しかも途中で岩にぶつからずに直接下まで落ちる直瀑です。

 

マナブ:水量も十分。これは感動ですね。しばし眺めていたい。

 

歴史先生:この東椎屋の滝ですが、「九州華厳」とも言われています。

 

マナブ:そういえば日光の華厳の滝もこんな感じだったような・・・。

 

華厳の滝(栃木県日光市)

 

歴史先生:華厳の滝はこんな感じです。

 

マナブ:やっぱり、よく似てますね。

 

歴史先生:華厳の滝は落差97mなので、東椎屋の滝より一回り大きめですが、その姿はそっくりです。

 

マナブ:華厳の滝はたしかエレベーターで下りて、滝を見るデッキがあって、観光客でいっぱいでした。ここは深い谷の奥。ここにいるのは野生の鳥たちと私たちだけ。なんだかとても贅沢な空間に感じます。

 

歴史先生:ところで、この近くにさらに2つの名瀑があり、合わせて「宇佐三瀑」と呼ばれています。


福貴野の滝(落差65m)

 

西椎屋の滝(落差86m)

 

マナブ:いずれも落差が60~80m級で、とても大きいですね。

 

歴史先生:はい。これだけの名瀑ぞろいなんですが、いずれも交通の便があまり良くなく、観光地になっていません。それだけ自然の中で静かに滝を見るには良い場所ではありますが。

 

マナブ:たしかに。

 

歴史先生:また、これらの滝を見ると、大分県の北部での古代の火山活動が活発であったことがよくわかります。噴出した火砕流などの地層が冷却されて柱状節理となり、それが剥がれ落ちて急な崖になっています。

 

マナブ:火山の恵みは温泉だけではないんですね。

 

​歴史好きのための観光ガイド
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