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登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
紀州の熊野本宮は実はここに移ってきていた? 「熊野神社」
 
金比羅宮との「両まいり」でにぎわった由加神社
 
「旧野崎家住宅」:野﨑武左衛門が「塩田王」になれた理由
 
<おすすめのホテル>
せとうち児島ホテル

 

紀州の熊野本宮は実はここに移ってきていた? 「熊野神社」

 

熊野神社

 

 

 

熊野神社(地図 ❶)

〒710-0142 岡山県倉敷市林684

境内自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://kumano-jinjya.com/ 


マナブ:倉敷の美観地区から車で20分ほど。細い道を入って10台ほど停められそうな駐車場に車を停めました。ここは熊野神社、ということですが、どういう神社なんでしょう?

 

歴史先生:ここは実は大変な歴史のある神社なんです。

 

マナブ:というと?

 

歴史先生:修験道の開祖と言われる役行者(えんのぎょうじゃ)。彼は熊野や大峰で修業を重ねていましたが、699年、その力を恐れた大和政権によって伊豆大島へ流罪となります。その弾圧を受け、役行者の高弟たちは熊野からご神宝を持ち出し、瀬戸内海へ逃亡します。その途中、吉備の国のこの場所にたどり着き、701年、あらためてここに熊野本宮を鎮座させます。

 

マナブ:ということは紀州の熊野がここに引っ越してきた?

 

歴史先生:ということになりますね。よってここも紀州の熊野本宮と同一とみてよいでしょう。八咫烏(やたがらす)の印を使い、熊野と同じく「日本第一」と掲げています。

 

本殿(第二殿は国指定重要文化財)

 

歴史先生:奈良時代になると、740年には聖武天皇が社領を寄進。ここを熊野本宮に見立てて761年には付近の村に「新宮」と「那智宮」が造営され、「新熊野三山」が作られました。

 

マナブ:すごい。ここは熊野三山と同様だったんですね。

 

歴史先生:そうなんです。奈良時代に大いに栄えましたが、平安時代には衰退してしまいます。その後、鎌倉時代には承久の乱に関連して後鳥羽上皇の4男、頼仁親王がここ熊野神社に流罪となります。室町時代には応仁の乱のあおりを受けて熊野神社は焼き討ちされ、ほとんどの建物を失いました。

 

マナブ:残念なことです。

 

歴史先生:その後再建が始まり、その時に再建された第二殿は今でも残っており、国指定重要文化財になっています。

 

マナブ:他の建物もわりと古そうに見えますが。

 

歴史先生:他の多くの建物は江戸時代の初めの1647年に、備前藩主の池田光政によって再建されました。

 

五流尊瀧院の三重塔

 

歴史先生:明治の神仏分離によって熊野神社と修験道の「五流尊瀧院」に分かれ、現在でも隣接しています。

 

マナブ:先ほどからおみやげのところに来ているのですが、お守りの種類がすごい(笑)。

 

歴史先生:(笑)体のあらゆるところのお守りが揃っていますね。テレビなどでも紹介して話題になったそうです。

 

あらゆるお守りが揃う

 

金比羅宮との「両まいり」でにぎわった由加神社

 

蓮台寺

 

 

蓮台寺/由加神社(地図 ❷)

〒711-0901 岡山県倉敷市児島由加2852

境内自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://yugasan.jp/ 

https://yugasan.or.jp/ 

 

マナブ:熊野神社からさらに南に黒まで10分ほど。山道を登ったところに来ました。蓮台寺というお寺の広い駐車場に車を停めます。

 

歴史先生:ここには蓮台寺と由加神社が並んでいます。元々は同一で、明治の神仏分離で分けられました。

 

マナブ:ここはどういうお寺・神社だったんでしょう?

 

歴史先生:ここの歴史も古いですよ。奈良時代の初め、733年に行基がここを訪れ、十一面観音像を彫って神仏習合の由加大権現として開いたとされています。

 

マナブ:先ほどの熊野神社が701年に鎮座したということでしたから、ほぼ同じような時期ですね。

 

歴史先生:実は熊野神社の縁起の中では、ここ由加神社こそが那智宮なんです。

 

マナブ:えっ、そうだったんですか?

 

歴史先生:ということでここも新熊野三山の1つです。でも由加神社の由緒の中ではなぜかそれは語られていません。

 

マナブ:なぜだろう。熊野神社はとてもひっそりしていましたが、由加神社は今では人気の観光地になっているようですね。そんなこともあって、両者の間でちょっと難しい力関係があるのかな。

 

総本殿

 

マナブ:まずは蓮台寺。総本殿と書かれた立派なお堂をお参りします。

 

歴史先生:ここには行基が彫ったと伝わる十一面観音が本尊として安置されていますが、秘仏になっていて見ることはできません。その代わりに前立ちとして日本最大級の厄除け不動明王像が祀られています。

 

備前焼の大鳥居

 

マナブ:蓮台寺の境内のすぐ隣に鳥居があります。ここからが由加神社かな。でもちょっとツギハギの変わった感じの鳥居ですが。

 

歴史先生:この鳥居は備前焼で作られた珍しいもの。1894年(明治27年)に奉納されたものです。

 

 

本殿

 

マナブ:古い由緒あるお寺・神社だということですが、その後はどうだったんでしょう?

 

歴史先生:江戸時代中頃から備前藩主池田氏の祈願所になって、毎年1月、5月、9月に藩主自らが参拝するようになります。

 

マナブ:藩主自ら、というのはすごいですね。岡山市内から歩いてくるとそれなりに遠いし、費用もかかりますね。

 

歴史先生:池田氏はここに数々の社殿を寄贈。立派な建物群がここに生まれました。そして大きかったのが江戸時代から流行した「両まいり」。

 

マナブ:それは?

 

歴史先生:対岸の香川県には金比羅宮(こんぴらさん)という人気の観光地がありました。由加神社は「両まいり」ということを提唱して、金比羅宮と由加神社の両方にお参りする、という慣習を広めたんです。

 

マナブ:いいアイディアですね。

 

歴史先生:そのおかげで参拝者が激増。参道には宿やお店が門前町を作り、大変にぎわったんだそうです。

 

蓮台寺から見下ろした門前町

 

天気が良ければ琴平山が見える

 

歴史先生:ところでここは行基が開いたという話をしましたが、元々、この場所には磐座があって、それ以前から信仰の対象になっていたようなんです。

 

マナブ:原始的な神を祀る風習ですね。

 

歴史先生:その磐座は現在の本殿の裏手にあります。由加神社の原点として、ここにもお参りするとよいでしょう。

 

本殿の裏手にある磐座群

 

「旧野崎家住宅」:野﨑武左衛門が「塩田王」になれた理由

 

旧野崎家住宅(国指定重要文化財)

 

 

旧野崎家住宅(地図 ❸)

〒711-0913 岡山県倉敷市児島味野1丁目11−19

入館料500円(中学生以下、団体割引あり)

9:00~16:30、月曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.nozakike.or.jp/ 

 

マナブ:由加神社から山を下りて、児島の街に来ました。

 

歴史先生:ここでは旧野崎家住宅へ立ち寄りましょう。

 

マナブ:野崎さんって?

 

歴史先生:野﨑武左衛門は塩田王、とも呼ばれ、江戸時代末期に製塩業で財を成した実業家です。彼は晴れの日が多く干満の差が大きい瀬戸内の自然条件に目をつけて、児島の地に入浜式(いりはましき)という方法での塩田を築造しました。

 

マナブ:入浜式?

 

歴史先生:潮が引いている時に塩田に砂を撒いておきます。潮が満ちて来ると砂が海水に浸り、その後潮が引くと砂粒に塩の結晶が残ります。その砂を天日で乾かして集めます。その砂から塩分を取り出し、窯で煮詰めて水を飛ばしたら塩のできあがり。

 

マナブ:塩田というのはそういうものでしたか。

 

歴史先生:この方法は昭和20年代まで行われていました。しかしその後法律によって伝統製法は禁止され、日本の製塩業は一気に近代化、工業化されました。

 

マナブ:そのあたりの話は伊豆大島でありましたね。塩化ナトリウムだけでミネラルのない塩が健康によくないということがわかってきて、伝統製法が復活してきていると。

 

案内図

 

マナブ:さて、ここに案内図がありますね。個人の住宅とは思えない、すごい広さです。

 

歴史先生:敷地3,000坪、建物は1,000坪というスケールで、江戸時代末期ごろの建物が多く残ります。瀬戸内の実業家の貴重な住宅建築として国指定重要文化財になっています。

 

映画のロケ地としても使われた

 

歴史先生:ここは2023年公開の映画「ミステリと言う勿れ」のロケ地でもありました。

 

マナブ:あ、その映画、見ましたよ。どこが使われているのか、楽しみに見学します。

 

表書院と枯山水の庭園

 

歴史先生:ここは表書院。大切なお客様を迎える客間でした。

 

マナブ:開放的な広縁と、それから庭園が見事。

 

土蔵

 

歴史先生:旧野崎家住宅のシンボル的な存在がこの土蔵。米、道具、書類などが収められていました。

 

マナブ:なまこ壁のデザインがかわいらしいですね。ところで1つ疑問があるのですが。

 

歴史先生:何でしょう?

 

マナブ:野崎さんがこんなに成功したのはなぜでしょう? 塩田はここだけでなかったはずですし、他の塩田より自然条件がよかったりしたんでしょうか?

 

歴史先生:いい質問ですね。2つの成功要因があったと言われています。1つは思い切った投資によって当初から開発した塩田の規模が大きかったことや、釜を炊くのに従来の薪ではなく早くから石炭を採用したことなどのハード面の優位性で効率よい生産ができました。

 

マナブ:ふむふむ。もう1つは?

 

歴史先生:2つ目はソフト面です。野崎家が人夫を雇って経営するのではなく、労働者に権限を委譲して、成果に対する利益を共有。それぞれにインセンティブを与えるようにしたことで、労働者みんなが自分のこととして必死に成果を求めるようになりました。

 

マナブ:それは現代の経営にも生かせそうな話ですね。

 

歴史先生:例えば、製塩の道具が壊れたりしたとき、雇われただけの人なら「面倒くさい」として放っておいたかもしれませんが、成果のインセンティブがあたえられる野崎家では現場の誰もがすぐにそれを修理しようとするでしょう。

 

マナブ:なるほど。

 

お土産店では塩田王をテーマにしたポテトチップスも売られている

 

歴史先生:ということで、倉敷から児島を巡りました。いかがでしたか?

 

マナブ:まったく知らない場所ばかりでした。今は静かな熊野神社にあんな深い歴史があったなんて。そして初めて名前を聞いた由加神社はとても立派で、かつての繁栄ぶりが想像されます。それから塩田王の野崎さん。たくさんの歴史を学ぶことで今日は見聞がとても広まった気がします。

 

<おすすめのホテル>

せとうち児島ホテル

 

瀬戸大橋を見渡す最高のロケーションに建つ近代的なホテル

 

ホテルロビーラウンジ

 

このホテルを選んだ理由:

・立地:何と言っても瀬戸大橋を眼下に見下ろす丘の上に建つ、最高のロケーション。各部屋からの眺めが期待できる。

・食事:フレンチのレストランが高評価。

 

実際に泊まった感想:

・立地は期待通り。天候は今一つであったが、瀬戸大橋を見渡せるベストなロケーションであることは間違いない。全室オーシャンビューの部屋からの眺めも素晴らしい。

・フレンチレストランでの食事も大満足。多くのテーブルは窓際にあり、大きな窓から海がよく見えた。

・瀬戸大橋をのぞむ露天風呂は最高。

 

エレベーターホールからの眺め

 

各部屋からも瀬戸大橋が良く見える

 

近隣のリゾートホテル群もよく見える

 

フレンチのコースの一部

 

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https://www.ikyu.com/00030847/ 



​歴史好きのための観光ガイド
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