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関ケ原_1.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
倉敷の街はどうやってできた?
 
倉敷美観地区を歩く
 
「大原美術館」:西洋美術の宝庫がなぜ倉敷にあるのか?
 
<おすすめのホテル>
倉敷アイビースクエア

 

倉敷の街はどうやってできた?


倉敷美観地区



マナブ:今日は岡山県の倉敷に来ています。


歴史先生:倉敷にはどんなイメージを持たれていますか?


マナブ:ずいぶん前に来たことがあります。お堀があって、蔵のような建物が並ぶ美しい景観。


歴史先生:そうですね。全国各地に似たような景観はありますが、ここほど美しく残っている場所はおそらく他にはないでしょう。


マナブ:この美しい倉敷の街はどうやってできたんでしょう?


歴史先生:お隣の岡山市は岡山藩の城下町。岡山城を中心に街ができています。では倉敷はどうなのかというと、ここには中心となるようなお城がありません。


マナブ:むしろお堀があって蔵があって、水運と商売の街かな?


歴史先生:はい、そのとおりです。「吉備中山」の記事の中で吉備国の成り立ちについてお話ししました。このあたり、現在の岡山平野は昔は「吉備の穴海」と呼ばれた内海で、当時はここ倉敷も海の中でした。



マナブ:で、干拓によってここも陸地になった。


歴史先生:はい、そのとおりです。さて、干拓した土地は何に使ったんでしょう?


マナブ:当然、農地になりますよね。平らな広い土地だからコメ作り?


歴史先生:それがですね、干拓したばかりの土地の土壌には塩分がたくさん含まれていたんです。ということで、米を始め、多くの作物がうまく育たない。


マナブ:困りましたね。


歴史先生:そこで目を付けたのが「綿花」。綿花は塩分のある土壌でもよく育つ作物でしたから、これをたくさん栽培しました。


マナブ:なるほど。綿花ということは織物の原料ですよね。でもそれでは食べて行けないからそれを売って商売しないといけない。


歴史先生:その通りです。水運に恵まれていた倉敷は江戸時代初期の1642年には天領となり、綿をはじめとする産品の物資の集積地として発展しました。


水運の便利さから物資の集積地となった


マナブ:だから堀があって、その周りに大きな蔵や商家が建ち並んでいる。


歴史先生:そういうことです。


マナブ:そしてここは上方と北部九州を結ぶ、瀬戸内の海運の中継地のような場所でしたよね。


歴史先生:瀬戸内だけでなく、日本海を回る「北前船」。倉敷の南にある下津井や玉島などはその寄港地として栄えていました。


マナブ:そうか、そこから綿を輸出できる。


歴史先生:そして綿花の栽培に必要な肥料となる干し鰯(ほしか)やニシンなどを買い付けていたんです。


かつての紡績工場跡地を利用した倉敷アイビースクエアの中庭


歴史先生:ところで、この地域は「綿」という農産物を輸出するだけでなく、綿製品としてさらに付加価値をつけて輸出をしていました。そのため、明治になって紡績産業が発達します。


マナブ:そういえば「倉敷紡績」、というのがありましたね。


歴史先生:1889年(明治22年)に出来た会社で、現在のクラボウ。そのほか、1881年(明治14年)には下村紡績、玉島紡績といった工場も開業しました。


マナブ:その後はどうなったんでしょう?


歴史先生:大正期になると衣料品需要がさらに高まります。洋装化にともなって全国で学生服という市場が突如現れ、倉敷市南部にある児島地区では、全国の実に9割の学生服を作っていたんだそうです。


マナブ:それはすごい。


歴史先生:戦後に日本で初のジーンズを作ったのも児島。国産ジーンズ発祥の地として知られています。倉敷市は現在でも全国一の出荷額を誇る繊維の街、なんです。


マナブ:なるほど、それも元々は干拓地に塩分が多くて米ができなかったことに始まるんですね。


歴史先生:はい、そうです。


倉敷美観地区を歩く

 

倉敷のシンボル「倉敷館」

 

 

マナブ:では、倉敷の美観地区を歩きましょう。

 

歴史先生:スタートは倉敷のシンボル「倉敷館」。「逆くの字型」のお堀の、ちょうど折れ曲がった角にあります。

 

マナブ:素敵な建物ですね。

 

歴史先生:1917年(大正6年)に倉敷町の町役場として建てられた貴重な洋館です。

 

マナブ:そうか、まさにここが倉敷の中心だったんですね。

 

倉敷館 観光案内所

〒710-0046 岡山県倉敷市中央1丁目4−8

9:00~18:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://kankou-kurashiki.jp/info/%E5%80%89%E6%95%B7%E9%A4%A8%E8%A6%B3%E5%85%89%E6%A1%88%E5%86%85%E6%89%80/ 


倉敷館前の中橋を渡ると倉敷考古館がある

 

歴史先生:橋を渡った向こう側には倉敷考古館。江戸時代の米蔵を改装して造られた、なまこ壁の美しい博物館です。

 

マナブ:ここから両側に広がるお堀。それに沿ってお店が並んでいますね。

 

歴史先生:お堀には川舟も出ていて、のんびり周遊できます。

 

マナブ:それもいいですね。

 

堀沿いに土産店や飲食店が並ぶ

 

歴史先生:倉敷美観地区というとこのお堀沿いの写真ばかりを見ますが、それ以外の通りも素敵なので行ってみましょう。

 

本町通り

 

 

歴史先生:こちらは本町通り。

 

マナブ:ここも雰囲気がありますねぇ。

 

歴史先生:古い街並みが500m以上も続く、素敵な通りです。

 

本町通りにある井上家住宅

 

歴史先生:本町通りの中ほどにある井上家住宅は江戸時代の典型的な商家。中を見学することもできます。

 

倉敷美観地区の美しい路地

 

歴史先生:美観地区ではにぎやかな表通りもいいですが、静かな路地もいいでしょ?

 

マナブ:たしかに、路地も素敵です。

 

阿智神社の境内案内図

 

 

阿智神社(地図 ❶)

〒710-0054 岡山県倉敷市本町12−1

境内自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://achi.or.jp/ 


拝殿

 

本殿

 

マナブ:美観地区の北側にある小高い丘に登りました。この丘の上には阿智神社、があります。

 

歴史先生:この神社は戦国時代の1594年、近隣から遷座されたものです。かつては海だった地区で航海の守り神である宗像三女神を祀っています。倉敷総鎮守として地元の人たちから大切にされています。

 

境内の角にある絵馬殿からは倉敷美観地区を見渡せる

 

阿智神社から見下ろす倉敷美観地区

 

マナブ:ここからは美観地区がよく見えますね。

 

歴史先生:屋根瓦がとてもきれいです。

 

「大原美術館」:西洋美術の宝庫がなぜ倉敷にあるのか?

 

路地から見える大原美術館

 

 

大原美術館(地図 ❷)

〒710-8575 岡山県倉敷市中央1丁目1−15

入館料2,000円(高校生以下割引あり)

9:00-17:00(3~11月)、9:00~15:00(12~2月)、月曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.ohara.or.jp/ 

 

マナブ:大原美術館の前にやってきました。まるでギリシャ神殿のような重厚な石造りの建物。ここだけ空気が違います。

 

大原美術館

 

歴史先生:では早速入って見ましょう。

 

マナブ:昔ここに来た時、「エル・グレコ」の受胎告知に感動したのを覚えています。

 

歴史先生:はい、1600年前後に書かれたエル・グレコの代表作の1つ。その他、モネの「睡蓮」、ゴーギャンの「かぐわしき大地」、ドガの「赤い衣装をつけた三人の踊り子」などが有名ですね。

 

マナブ:館内の写真は撮れませんが、実に素晴らしい。ぜひ実物を見に行ってください。

 

大原美術館の正面入口

 

マナブ:ところで、倉敷にどうしてこんなすごい作品がたくさんあるんでしょう?

 

歴史先生:大原美術館を作ったのは大原孫三郎。1880年(明治13年)、倉敷紡績の社長であった大原孝四郎の子として生まれました。お金持ちのボンボンとして若いころは放蕩生活をしていたようですが、倉敷紡績に入社して1906年(明治39年)に26歳で社長に就任してからは社員の労働環境の改善や教育に務めました。

 

マナブ:それにしても若い社長ですね。

 

歴史先生:実業家としては非常に手腕のある人で、倉敷紡績は事業を拡大。工場の動力を電気に変えて、その動力を提供する会社として後の中国電力となる会社を設立したり、後の中国銀行の頭取になったりと、地元経済を引っ張る存在になりました。

 

マナブ:それだけお金があったから趣味で西洋美術を買い集めたのかな?

 

歴史先生:はい。西洋美術にも造詣の深い友人の児島虎次郎をヨーロッパに派遣して、作品を吟味し、買い付けを行いました。そして1930年(昭和5年)、前年に亡くなった児島虎次郎を記念して大原美術館を創設しました。

 

マナブ:その時代、美術館というのは珍しかったのでは?

 

歴史先生:そのとおりで、しかも倉敷という地方都市でこのような一流の作品を有する西洋美術の美術館は大変画期的なことでした。

 

大原美術館の入口脇にあるカフェ「エル・グレコ」

 

マナブ:美術館の入口の隣には、ツタが絡まる古いカフェがありますね。

 

歴史先生:カフェ「エル・グレコ」。元々は1926年(大正15年)に建てられた大原家の不動産を管理する事務所でしたが、1959年(昭和34年)にカフェとして改装されました。

 

マナブ:ずいぶん古くからあるカフェなんだ。

 

有隣荘(右)と旧大原家住宅(左)

 

歴史先生:大原美術館のお堀の対岸には有隣荘と旧大原家住宅があります。有隣荘は大原孫三郎が家族で住むために建てた別宅。大原美術館開業の2年前、1928年(昭和3年)に出来たものです。

 

マナブ:オレンジ色の壁と屋根が印象的ですね。

 

歴史先生:大原美術館を設計した薬師寺主計(やくしじ かずえ)が設計した建物です。庭は各地の名庭を造った京都の小川治兵衛。ここは残念ながら公開されていません。

 

有隣荘

 

旧大原家住宅(国指定重要文化財)

 

歴史先生:その隣にあるのが旧大原家住宅。国指定重要文化財です。

 

マナブ:古そうな建物ですが。

 

歴史先生:1795年、江戸時代から建築が始まり、その後増築を重ねて明治時代中頃には現在の姿になりました。

 

旧大原家住宅(国指定重要文化財)(大原本邸)

〒710-0046 岡山県倉敷市中央1丁目2−1

入館料500円(高校生以下、団体割引あり)

9:00~17:00、月曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.oharahontei.jp/ 

 

土間

 

マナブ:上の写真をご覧いただくと、写真の上に文字を乗せたように見えますが、これは実際に土間に透明なフィルムで文字が垂れ下がっているんです。

 

歴史先生:大原家に伝わる家訓や教訓など、重みのある言葉がたくさん並んでいます。奥には大原家の生活の場や蔵などが続いていて、内部も復元されています。ゆっくりと見ていきましょう。

 

邸内の様子

 

歴史先生:ということで、倉敷の美観地区を歩きました。いかがでしたか?

 

マナブ:倉敷って、美しい景観で有名ですが、それがどんな歴史でできたのか、今日はよくわかりました。素敵なお店も多いし、歩いているだけでも十分楽しい場所ですが、歴史を理解するとさらに楽しめますね。

 

<おすすめのホテル>

倉敷アイビースクエア


かつての倉敷紡績の広大な工場跡を改装して造られた雰囲気抜群のレトロなホテル


ホテルの玄関


このホテルを選んだ理由:

・立地:倉敷美観地区のすぐ隣。美観地区の散策には最適な場所。

・車でのアクセス:広い駐車場があり、レンタカーで訪れても安心。

・建物:歴史ある倉敷紡績の工場跡を利用。他では体験できない雰囲気を持つ。


実際に泊まった感想:

・玄関とは反対側、敷地の西側に出口があり、美観地区にダイレクトにつながっている。散策にはとても便利。

・駐車場は敷地の東側、道路を渡った先にかなりの台数分確保されている。

・玄関、ロビー、そして廊下や中庭など、レンガ造りの重厚な建物はとても印象的。

・食事は瀬戸内の海の幸を楽しむ和食。サザエのつぼ焼きやカワハギの煮つけなどが出された。朝食はバイキング。こちらも地元産の海の幸が豊富であった。

・広い館内には資料館や売店などが充実。館内を散歩するだけでも飽きさせない。


美観地区側の出口


食堂前の廊下のデザインもおしゃれ


瀬戸内の海の幸を楽しむ和食御膳


一休のページ

https://www.ikyu.com/00082112/ 


​歴史好きのための観光ガイド
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