有田の古い街並みにたたずむ有田焼の老舗
山ひとつが全部やきものに変わった:泉山磁石場
陶磁器の最先端技術が詰まった佐賀藩の秘密の隠れ里:大川内山
有田の古い街並みにたたずむ有田焼の老舗

古い街並みが続く有田町のメインストリート

マナブ:波佐見町から峠1つを越えて、有田にやって来ました。(地図 ❷)
歴史先生:有田と言えば陶器の町、そして「有田陶器市」で有名ですね。
マナブ:陶器市、ニュースで見たことあります。すごい人出なんですよね。
歴史先生:毎年ゴールデンウィークの4月29日~5月5日に開催され、期間中この小さな町におよそ100万人が訪れるんだそうです。
マナブ:それはすごいことになりそうですね。
歴史先生:有田町には有田駅、上有田駅と2つの中心地があり、有田駅周辺は比較的新しい町で、佐賀県立陶磁文化館などがあります。MR(松浦鉄道)も有田駅まで来ています。
マナブ:MR(松浦鉄道)、佐世保で乗りました。佐世保からここまで来ているんですね。
歴史先生:そうなんです。そして上有田駅はいわゆる旧市街。古い街並みが並んでいて 、陶器市のメイン会場となります。まずはその古い街並みあたりを訪ねてみましょう。

歴史先生:今日は陶器市の日ではありませんので人では少ないですが、どこか有田焼の老舗に寄ってみましょうか?
マナブ:いいですね、ぜひ。
歴史先生:では「香蘭社」に立ち寄ってみましょう。
マナブ:ということで、有名な「香蘭社」にやって来ました。(地図 ❶)メインストリートに建っているので駐車場を見つけにくいのですが、西側から来た場合、香蘭社をすぎて東側へ数十メートル行った右側に、香蘭社の観光客用の無料駐車場があります。

写真中央のグレーの洋館が香蘭社。写真手前左が香蘭社の無料観光駐車場の入口。
香蘭社(地図 ❶)
〒844-8601 佐賀県西松浦郡有田町幸平1丁目3−8
9:00~17:00、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

香蘭社の入口。右側のグレーの洋館がショップ。
マナブ:建物も立派な古い洋館で見ごたえがありますが、店内がまた素晴らしい。特に奥の階段が印象的ですね。

香蘭社の店内の様子。(店内の撮影にはお店の人の許可が必要です。)
歴史先生:奥の階段を上った2階には、古伊万里などの貴重な美術品が多数展示されています。1階はショップ。香蘭社らしい洗練されたデザインの焼きものが多数展示されていて、その展示の美しさだけでも見に来る価値があると思います。
マナブ:ところで香蘭社ってよく耳にしますが、どういう会社なんですか?
歴史先生:深川栄左衛門という人が1689年(といいますから江戸時代の初期ですね)に陶磁器を生産し始めたのが始まりと言われています。当時有田は大いにうるおい、「有田千軒」と言われるほどの活気があったそうです。そこでこのあたりを有していた佐賀藩(別名:鍋島藩)は、これに運上金と呼ばれる税金をかけ、佐賀藩の貴重な収入源になりました。
マナブ:ここは佐賀藩だったんですね。波佐見は大村藩・・・。
歴史先生:そして後から行く伊万里の大川内山も佐賀藩、なんです。
マナブ:それぞれの藩が技術と生産量を競っていた・・・今の国際マーケットでの競争と同じですね。
歴史先生:はい、そうなります。ところで陶磁器の生産が盛んになると、窯でどんどん器を焼かないといけない。当時の窯の燃料は何ですか?
マナブ:えーっと、石油や石炭はもっと後の時代だから、まき、かな?
歴史先生:そうです。ということで、有田の近隣の山林は丸裸にされました。保水力を失った山々に囲まれたこの地域は土砂災害、川の氾濫に苦しめられます。そこで佐賀藩は陶工の数を制限したり、緩和したりの繰り返しで、なかなか単純に窯を増設して増産を進める、というわけにはいかなかったようです。
マナブ:なるほど、環境負荷とのバランスがその当時も必要だったんですね。

ショップの裏手には香蘭社の工場が見える
歴史先生:さて、香蘭社の話に戻しましょう。佐賀藩の庇護のもとに発展してきた有田ですが、幕末、明治維新で状況は一変します。もはや藩には頼れない。自分たちで販路を切り開く必要が出てきました。
マナブ:そうか。
歴史先生:そこで八代目の深川栄左衛門は1875年(明治8年)に腕のいい陶工、絵付師、そして商人たちを組織化。これが香蘭社の始まりです。
マナブ:その組織力で販路を拡大していった・・・
歴史先生:そうです。特に海外への販路開拓のために、フィラデルフィア万博、パリ万博にも出品、それぞれで受賞しその技術が海外のバイヤーの間で高く評価されるようになったんです。
マナブ:当時としてはとても広い視野とすごい行動力ですね。
歴史先生:さらに明治政府から磁器製碍子(がいし)の製造を委託され、我が国の通信・電力の技術発展にも貢献しました。
マナブ:あ、セラミックだ。
歴史先生:そうです。陶磁器だけではなくてセラミック製品でも日本の最先端を切り開いた会社なんですね。そして1879年(明治12年)には九州で初めての法人企業である香蘭合名会社が設立されます。
マナブ:ところで、創業家は「深川さん」なんですね。香蘭社と並んで「深川製磁」という会社も有名だと思うんですが、関係あるんですか?
歴史先生:深川製磁の創業者、深川忠次は香蘭社を立ち上げた八代目深川栄左衛門の次男で、1894年(明治27年)に独立して深川製磁を立ち上げました。
マナブ:香蘭社も深川製磁も、いずれも深川さん一族なんですね。


陶器店や窯元が並ぶ古い街並みの散策も楽しい
山ひとつが全部やきものに変わった:泉山磁石場

泉山磁石場

マナブ:有田の町から東へ進み、「泉山磁石場入口」の交差点を左折して「泉山磁石場」に来ました。(地図 ❷)少し手前の「有田磁石場組合」の駐車場に車を停めました。公衆トイレも完備している広い駐車場です。
歴史先生:泉山磁石場はここから石場神社の脇を歩いて1分ほど。ほかに泉山磁石場のすぐ脇にも何台か車を停められます。
マナブ:ここはどういう場所なんですか?
歴史先生:さて、先ほどは江戸から明治にかけての歴史を香蘭社と共に見てきましたが、ここでは少し歴史をさかのぼります。
マナブ:というと?
歴史先生:波佐見町の回でお話ししたように、有田・波佐見といったやきものの産地は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に各地の大名が朝鮮人陶工を連れ帰り、磁器の生産を始めたことによります。戦国時代、このあたりを領有していた戦国大名は?
マナブ:えーっと、有田は後の佐賀藩ですよね、ということは鍋島家かな?
歴史先生:正解です。肥前の大部分を領有していた戦国大名、鍋島直茂。彼が連れ帰った陶工の1人に「李参平」という人物がいました。
マナブ:で、鍋島のお殿様から「おまえたち、私の領内で磁器を作れ」と言われたわけですね。
歴史先生:はい。彼ら朝鮮人陶工の技術は確かで、彼らの最新技術を用いた窯がいくつか作られました。でも当初はいい磁器をうまく作れなかったんです。
マナブ:それはなぜでしょう?
歴史先生:磁器を作るには原料となる良質の陶石が必要なんです。でも当初はそれが日本では入手できませんでした。そこで李参平は領内を歩き回り、良質の陶石を探します。その時に見つけたのがここ、泉山。1616年の出来事、と言われます(諸説あり。もう少し早い時期だった可能性あり)。
マナブ:原料が見つかったら、あとは生産設備ですね。
歴史先生:はい。李参平は今の深川製磁本社からほど近い天狗谷の窯で近代的な窯業システムを作り上げました。その功績により、藩主鍋島直茂から「金ヶ江 三兵衛」という日本名を賜り、そして町の人たちからは「陶祖」として尊敬されるようになりました。今も街の中心部にある陶山神社には李参平がまつられています。

泉山磁石場。そのスケールに圧倒される。
マナブ:泉山磁石場が見渡せる場所に来ました。広い・・・ちょっとした野球のスタジアムみたい。
歴史先生:まずはこのスケールに圧倒されますよね。手前に置かれているのが陶石のサンプル。こういった石が磁器の原料になるんです。
マナブ:露天掘りしていったような感じで、とっても大きなくぼ地になってる。そして向こうの方には横穴がたくさん掘られていますね。
歴史先生:はい。ここにあった山ひとつ、それらは全部、やきものに変わったんですね。
マナブ:うわー、そう考えるとすごいですね・・・。

昭和初期の採掘の様子を示す陶器の看板
歴史先生:昭和初期の採掘の様子が写真として残っています。奥にトロッコがあり、それで陶石をどんどん運び出しています。手前の馬に引かせた荷車がみえますが、これは掘り出した陶石を窯に運ぶものだと思われます。
マナブ:1つ疑問があります。ここを見ると、もう陶石は掘り尽くした感がありますね。でも有田焼は今でもたくさん焼かれている。
歴史先生:そうなんです。その後、熊本県の天草下島で非常に良質の陶石が大量に見つかり、いまでは日本の磁器の8割くらいはこの「天草陶石」が原料として使われているんですよ。
マナブ:そうだったんですか。初めて知りました。
陶磁器の最先端技術が詰まった佐賀藩の秘密の隠れ里:大川内山

細い路地に窯元や陶器店が並ぶ

マナブ:有田から車で30分ほど。佐賀県伊万里市にある、大川内山(おおかわちやま)というところに来ました。(地図 ❸)
歴史先生:伊万里市街地から谷を南にさかのぼっていって、その一番奥にある集落です。
マナブ:その意味で波佐見の中尾山にとても似ていますね。
歴史先生:そうなんです。なぜこんな谷の一番奥にあるかわかりますか?
マナブ:え、なぜだろう? もっと町や港に近いほうが出荷には便利な気もしますが。
歴史先生:江戸時代、陶磁器はとても高価で取引され、佐賀藩の重要な収入源でしたね。
マナブ:あ、そうか。その製造技術は佐賀藩の最高機密事項。よってその技術が流出しないように谷の奥の隔離されたような場所を選んだ・・・。
歴史先生:そういうことです。そして集落の入口には関所が置かれ、出入りは厳重に管理されていました。
マナブ:そういえば、以前イタリアのベネチアに行ったときに同じような話を聞きました。
歴史先生:というと?
マナブ:ベネチアの輸出品といえばベネチアングラス。その昔、世界中で高値で取引されていたとか。
歴史先生:そうですよね。日本の遺跡からも発掘されることがあります。
マナブ:その技術は門外不出のトップシークレットだったので、グラス工房はベネチア本島ではなく、隣のムラーノ島にあってそこに技術者を隔離し、ガラス工芸の最先端技術が流出しないようにしていたとか。
歴史先生:なるほど。まさにそれとよく似ていますね。
マナブ:ということは、佐賀藩の中でも他の有田の窯元とは違ってここは特に最先端技術を持っていたんですか?
歴史先生:ここ大川内山には佐賀藩(鍋島藩)の「藩窯」がありました。
マナブ:はんがま?
歴史先生:藩窯とは佐賀藩直営の窯元のこと。元々藩窯は別の場所にあったのですが、1675年(諸説あり)ごろに大川内山に移ってきて、今のような形になったそうです。ここで生産される磁器は「鍋島焼」、あるいは単に「鍋島」としてブランド化されたんです。そして天皇家、将軍家への献上品など、特に高級な磁器がここで作られました。
マナブ:佐賀藩の重要な収入源だったんでしょうね。でも明治維新後の廃藩置県で佐賀藩が消滅したとき、藩窯はどうなったんですか?
歴史先生:そうなんです。高度な技術を誇った藩窯は一旦その歴史を閉じました。しかし今泉今右衛門という人によってその技術は継承され、現代でも今泉家は代々その技術を守り、複数の人間国宝を輩出するなど、今でも藩窯の技術が生きているんですよ。
マナブ:伝統技術が代々受け継がれているなんて、素晴らしいですね。
歴史先生:では大川内山を歩いてみましょう。

マナブ:北側から車で谷を南下すると、左に関所跡が見えます。その先に駐車場があります(地図 ❶)。
歴史先生:ところがその手前に大きな看板があって駐車場は橋の「手前を」右折するように誘導されているので初めての方は迷われると思いますが、大川内山に最も近い駐車場に入れるには橋を「渡ってから」の右手の広いスペースですので、看板には従わず、橋を渡ってから停めるのがいいでしょう。
マナブ:看板通りに進むとどうなるんですか?
歴史先生:坂を 登って伊万里・有田焼伝統産業会館の駐車場に着きます。ここだと大川内山歩きには少し不便です。

駐車場にある陶器の案内板。大川内山にはたくさんの窯元、陶器店が並んでいるのがわかる。
歴史先生:さて、駐車場から歩き始めましょう。たくさんの窯元、陶器店が並んでいるのでとても全部は見きれません。とりあえず、ぶらぶらと歩いてみますか。

太一郎窯の前の様子
マナブ:太一郎窯というお店の前にいます。真っ白なお皿に藍色の絵柄が書かれたお皿がたくさんあります。そして通りの奥に見える絶壁、迫力がありますね 。
太一郎窯(地図 ❷)
〒848-0025 佐賀県伊万里市大川内町乙1815−2
9:00~17:30、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

大川内山の街並み風景として有名なアングル
歴史先生:次の角を右に曲がりましょう。(地図 ❸)
マナブ:わぁ、この通りも風情がありますね。
歴史先生:大川内山の写真でよく使われるのはここじゃないでしょうか。
マナブ:後方のとんがった絶壁の塔のような山が印象的ですね。
歴史先生:そして右手の煙突、あれが青山窯(せいざんがま)です。1883年(明治16年)に創業した、大川内山でも老舗 の1つです。

青山窯
青山窯(地図 ❹)
〒848-0025 佐賀県伊万里市大川内町乙1832
9:30~17:00、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
マナブ:高級品を展示・販売している白壁の土蔵のような建物が本店、そしてその手前には工場をリノベした「Seizan Plus」というカジュアルなお店もあり、両方を楽しめます。

坂をさらに進むと尖った山がさらによく見える

初夏は風鈴の音色が涼をさそう

風情ある石畳の道が続く
歴史先生:さて、有田、伊万里(大川内山)と見てきましたが、いかがでした?
マナブ:行くまでは、これらの町ではお店を見て回って、気に入ったお皿やお茶碗などを探す場所だと思っていました。たしかにそれも楽しめますが、こんなに歴史を感じる場所、というイメージはなかったです。秀吉の朝鮮出兵によってここに陶磁器の産業が生まれた。そしてそれが佐賀藩や大村藩の財政を支えた。これらの町のやきものは歴史と深くかかわっているんですね。

