安土城天主の実物大の復元は絶対に見逃せない!:信長の館
安土城跡:天主を目指して大手道の石段を登ろう
安土城創建当時の面影を今に残す摠見寺
安土城天主の実物大の復元は絶対に見逃せない!:信長の館

安土城天主 信長の館


安土城天主 信長の館 (地図 ❽)
〒521-1321 滋賀県近江八幡市安土町桑実寺777
入場料610円(学生、小中学生割引あり)
9:00~17:00(最終入場16:30)、月曜休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
http://bungei.or.jp/publics/index/74/e.jp/nobu/
歴史先生:さぁ、いよいよ安土城。その豪勢な天主(信長は「天守」ではなく「天主」という字を敢えて使っている)を見に行きましょう!
マナブ:えっ? それって存在しないはずでは?
歴史先生:本物は本能寺の変の後で焼失してしまいましたが、実物大の復元があるんですよ。
マナブ:えっ、実物大? それは見てみたい。
歴史先生:「安土城天主 信長の館」、という資料館がそれです。ここには天守閣の5階、6階が実物大で精巧に再現されているんです。5階というのが、赤くて八角形の特徴的な部分。6階は最上階で金ぴかのところ、です。一番見てみたいところですよね?
マナブ:そうですけど、復元って、ものすごいお金のかかる仕事じゃないですか?
歴史先生:はい。これはセビリア万国博覧会(1992年)に日本館の目玉展示として製作されたものなんです。そんなことでもなければ、製作費用は捻出できなかったでしょう。ではさっそく中に入ってみて見ましょう。
マナブ:うわー、これはすごい。まずは赤くて八角形の5階。正面にお釈迦様が説法されているような図があって、周りにもそのほかの仏画があるのですが、背景がすべて金ぴか。天井も金ぴかだ。床や柱はうるしのような光沢のある見事な朱色。
歴史先生:ため息が出ますね。では階段を上って次は6階を見に行きましょう。
マナブ:うわー、こちらも金ぴかですが、黒が基調になっているんですね。豪華な花の装飾が見事。これ以上の部屋が今までにあったでしょうか。ため息が出ます。
歴史先生:まさに極限の美、ですね。長い年月を経て文化財の本物はどうしても色あせてきますが、この安土城天主の復元は、おそらく作った当時このように豪華だったんだろうな、ということを想像させてくれます。
マナブ:この5階、6階に通される人は限られていたのでしょうけど、大名とか、外国の宣教師とか、とにかく度肝を抜かれる、という感じだったんでしょうね。いやー、あまりにも圧倒されて、この信長という人にはかなわない、と思うでしょう。
歴史先生:それだけ信長の権威は桁外れだった、ということが言えると思います。
マナブ:こんな天守閣は今まで見た記憶が全くありません。唯一無二の感動です。これは写真載せたいなー。
歴史先生:写真撮影はOKですが、SNSやブログへのアップは禁止されていますので、残念ながらここへ載せることができません。
マナブ:この感動を皆さんにも見せたいと思って、この施設のWebページやインスタグラム(https://www.instagram.com/nobunagano_yakata/?hl=ja )も見てみましたが、そこにも天主の写真はほとんど上がっていません。
歴史先生:これは皆さんには実際にここに来て、見ていただくしかないですね。
マナブ:はい。滋賀県に来るなら、ここは見逃せない。そう思いました。
安土城跡:天主を目指して大手道の石段を登ろう

安土城の入口

安土城址と摠見寺(そうけんじ)(地図 ❾)
〒521-1311 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6383
入場料700円(高校生以下割引あり)
8:30~17:00(最終入場16:00)、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
https://www.azuchi-nobunaga.com/
マナブ:「信長の館」から車で5分ほど。いよいよ本物の安土城の跡へやって来ました。
歴史先生:では安土城について簡単におさらいしておきましょう。信長が安土城の建築を始めたのは長篠の戦の翌年、1576年。最新技術を用いた大規模な土木工事は1579年に完成。信長は天主に住むようになります。
マナブ:3年がかりの工事だったんですね。
歴史先生:わずか3年で、と言った方がいいでしょう。それほどの未曽有の大工事だったはずです。
マナブ:えーっと、本能寺の変はたしか1582年。
歴史先生:そうです。安土城は完成後わずか3年でその主を失い、そのすぐあとに焼失してしまいました。
マナブ:明智方が火をつけた?
歴史先生:実はよくわかっていないんです。本能寺の変が6月2日。安土城焼失が6月15日。だから何らかの関係がありそうに思うのが自然なんですが、偶然その時期に落雷があったという可能性も否定できません。
マナブ:建物はありませんが、昔の姿を想像しながら登ってみたいと思います。
歴史先生:建物以外に、築城当時と大きく違っている点が1つあります。
マナブ:それは何でしょう?
歴史先生:今は安土山は田んぼのなかにぽつんと浮かんでいるような山ですよね。
マナブ:はい。
歴史先生:でも当時は、琵琶湖の入り江がここまで来ていて、安土山は琵琶湖に突き出した半島だったんです。
マナブ:ということは、周りは湖に囲まれていた。
歴史先生:はい、安土山とそのお城は、琵琶湖に浮かぶような姿であったわけです。
マナブ:ますます優雅・優美な姿だったんですね。

入口にある安土城の城内案内地図。この地図を写真に撮って歩くとよい。
歴史先生:さて、安土城ですが下から見上げるだけでもいいし、登ってみてもいいし。
マナブ:はい? ここまで来たんですから、もちろん登りますよ。
歴史先生:マナブさんがそういうなら。でもあとで文句言わないでくださいね。
マナブ:えっ。結構きついんですか。
歴史先生:はい・・・。入口で杖も貸してくれます。
マナブ:うーん、どうしよう。でもせっかくだから、行きましょう! 杖も無しでがんばります!

大手道
歴史先生:まずはまっすぐ、大手道を登っていきます。
マナブ:うわー、これだけでかなりきつい。でもちょっと待ってください、信長とか、側近の人たちはこれを毎日上っていたということ?
歴史先生:毎日かどうかはわかりませんが、お城に行くということはそういうことだったんです。まさに「登城する」という感じですね。
マナブ:たしかに。
歴史先生:ところで、この大手道ですが、実は埋もれていたのを発掘したんです。
マナブ:年月が経って城が荒廃して、土に埋もれた?
歴史先生:いえ、江戸時代に摠見寺を大手道脇に移した際、大手道をせき止めるような石垣を新たに作り、大手道は土中に埋もれてしまいました。
マナブ:それを元に戻す工事をした、ということですね。
歴史先生:はい、近年の発掘作業で大手道を掘り出しました。幅6m、直線で130mの上り坂という、壮大な道がまた姿を現したわけです。

大手道から後ろを振り返って見る
マナブ:後ろを振り返って見ると、もう地面はあんなに下の方。かなり上ってきましたね。
歴史先生:まだまだ先がありますからがんばって。

大手道はやがてジグザグに曲がるようになる
マナブ:ふぅ。ここから階段が右へ左へとジグザグに曲がっていきます。
歴史先生:石段の高さが少しずつ違うので、余計に足腰にこたえますね。

尾根道
マナブ:少し広くなったところに出てきました。ここで道が分かれますね。
歴史先生:右に行くと本丸方面に続く「尾根道」、左に行くと摠見寺を経由して下山する「百々橋口道」です。ここは右側の尾根道へ行きましょう。
マナブ:また石段だ・・・。でもさっきよりはちょっと勾配が楽になったかな。

黒金門跡
マナブ:山の中で突然、立派な石垣が出てきました。
歴史先生:ここは黒金門(くろがねもん)跡。ここから先の山頂部に、天主、本丸、二の丸、三の丸があって、それらが城の中枢部になります。このエリアは高い石垣でぐるりと囲まれ、門で厳重に閉ざされていました。
マナブ:石垣に使われている石が大きいのにびっくりです。いったいどうやってここまで運んだんだろう?
歴史先生:大変な労働力がかかっていることはこの石垣を見るだけでも容易に想像できますね。でも安土城のすごいところは、この山頂部のせまい空間に、多層的に建物が重なり合って密集して建てられ、その中心として輝かしい天主が建っていたこと。今では想像もできませんが、とてつもない建造物であったことは明らかです。
マナブ:それにしても焼失してしまったのは残念。もし残っていたら、姫路城をはるかにしのぐ、とてつもない観光スポットになっていたのにね。

本丸の手前にある仏足石
マナブ:ここに石がありますね。「仏足石」?
歴史先生:はい、お釈迦様の足型を石に彫ったものです。でもこれは仏足石として崇拝するためにここにあるのではなくて、単に石材としてどこかからか持ってこられて、石垣の一部として使われていたんだそうです。
マナブ:別にそんなこと気にしなかったんですね。さすが信長さん。仏様には厳しい・・・。

本丸跡
マナブ:また石段を上がるとちょっと広いスペースになっています。ここが本丸ですね?
歴史先生:はい、ここに本丸御殿が建っていたようです。ところで本丸御殿ですが、発掘結果からその形が内裏の清涼殿にとてもよく似ていることがわかりました。
マナブ:それって?
歴史先生:ということは、この御殿は実は天皇を行幸させたときに泊める建物なのではないかと推測されるんです。実際、信長は天皇に安土城への行幸を二度もはたらきかけています。それは結局は実現しなかったんですが。
マナブ:ここに天皇を招いて自分の権威を見せつけよう、ということだったんでしょうね。

本丸から天主台へ登る石段

天主台に残る礎石

天主台にある案内看板
歴史先生:そして最後の石段を上ったら天主台です。
マナブ:やったー。これで頂上ですね。
歴史先生:さぁ、さっき実物大の復元を見た天主がここに建っていたんですよ。
マナブ:感慨無量、ですね。でもなんだか思ってたより狭い・・・。
歴史先生:そう感じますよね。この案内看板をみてください。実は私たちが今見ているのは地下1階の礎石の部分。実際の天主の1階部分はこれよりずいぶん広かったんです。今はその石垣部分がかなり崩れてしまっているようで、その部分を拡張して想像してみる必要があります。
マナブ:あ、なるほど。でも形が面白い。この天主って、7角形だったんですね。
歴史先生:そして5階部分は8角形。
マナブ:今、思ったのですが、信長はここ頂上にある天主にいるわけでしょ? そして行幸してきた天皇はここより一段低い本丸の1階建てに泊まってる。天皇からすると間近に天主を見上げることになり、信長から見下ろされているような、圧迫感をともなった恐怖を感じるんじゃないでしょうか?
歴史先生:それ、いいポイントかもしれません。信長の設計にはそんな意図があったのかもしれませんね。

天主台からの眺め。今は木が育って視界が狭いが、当時は天主の6階から近江全体を見渡せる壮大な眺めであったことが想像できる。
マナブ:先ほどの分かれ道まで戻って、今後は百々橋口道の方へ行きます。これが下山ルートですね。
歴史先生:はい。途中摠見寺を通って、入口へ戻ります。
安土城創建当時の面影を今に残す摠見寺

分かれ道にある標識

マナブ:分かれ道まで戻ってきました。ここに標識がありますね。右が帰路、ということで。
歴史先生:はい。こちらのルートから山を下りていきましょう。

本丸から分かれ道のほうへ下りていく

分かれ道から摠見寺へ続く石段
マナブ:あれ、待って待って。上りですよ?
歴史先生:あ、ごめんなさい。下山ルートとは言ったのですが、摠見寺は小高いところに建っているので、もうしばらくは上りです。
マナブ:ふぅー。だいぶ足腰にこたえてきました。

摠見寺 三重塔(国指定重要文化財)

摠見寺からは西の湖が見える
マナブ:長い石段を上ったところにお寺がありました。これが摠見寺ですね。お城の中なんですけど、ここはどういうお寺なんでしょう?
歴史先生:ここは信長が城内に作らせたお寺です。通常、お城に参内するのは大手道ではなく、こちらのルートだったんです。その時にこの大きなお寺を必ず通ったんですね。
マナブ:立派な三重塔はありますが、本堂や他の建物は失われたんでしょうか?
歴史先生:安土城が燃えたときにはここ摠見寺は焼失を免れたんですが、1854年、江戸時代の末期に三重塔、二王門以外の伽藍の中心部を焼失してしまいました。その後、大手道のすぐわきに仮本堂を建て、今ではそちらが摠見寺となっています。

摠見寺三重塔から下りる石段。二王門ははるかに下の方に見える。
マナブ:おっと。この急勾配の下りはすごいかも。
歴史先生:摠見寺三重塔の前から石段を下りていくんですが、ここは気を付けてくださいね。かなり急な石段です。
マナブ:しかも石段が不揃い。いやー、登りで疲れた足腰に効きますね。

二王門が近づいてきた
マナブ:急な石段を下っています。二王門が少しずつ、近づいてきます。
歴史先生:気を付けて、ゆっくり行きましょう。

二王門(国指定重要文化財)
マナブ:二王門に下りて来ました。古そうな、立派な門ですね。
歴史先生:安土城築城にあたって、信長が甲賀から移築したものです。門だけでなく、左右の金剛力士像も国指定重要文化財になっています。

二王門を過ぎてもまだ下りの石段が続く。写真は下から振り返って見あげたところ。
マナブ:えっ、うそでしょ? 二王門が出口だと思ったけど、まだまだ下りの石段が続いてる。
歴史先生:もう一息です。気を付けてゆっくりと、がんばりましょう。

石段を下りきるとこのような平坦な道が続く。ここを通って大手道へ戻る。

伝 羽柴秀吉邸跡
マナブ:石段を下りきって、ようやく平坦な道になり、大手道の入口のところまで戻ってきました。
歴史先生:ここには羽柴秀吉が住んでいた場所と考えられる広場があります。大手道の反対側には徳川家康、前田利家などの重臣の館があり、大手道の入口を固めています。
マナブ:入口付近に重臣が住んでいて・・・
歴史先生:一方で側近と言われる人たちは頂上に近いところにいたようです。森蘭丸などは黒金門のすぐ前に住んでいたようですよ。
マナブ:安土城、ようやくこれで一周しました。私の足でちょうど45分くらいでした。きつかったけど、達成感がありますね。まだまだ体力あるぞー、という方にはお薦めしたいコースです。
<読んでおきたい本>
山岡荘八
「織田信長」 全5巻

近江路を旅するならやっぱり織田信長の一生をおさらいしておきたい。しかし織田信長を書いた小説は世の中にたくさんある。その中で山岡荘八氏の書かれた織田信長は格調高い日本語でありながら文章が平易で読み進めやすく、私は大変気に入っている。同氏は小説「徳川家康」のほうが有名かもしれないがこちらは全26巻という超大作。すべて読み切れる自信がなかなか出てこない。織田信長はその短い生涯からか、全5巻で完結するので読者の方も手に取りやすいだろう。

