ここはブータン? 目の錯覚にも見える岩壁の神社:太郎坊宮
湖東三山 ①:ルイス・フロイスが「地上の天国」と称えた大寺院:百済寺(ひゃくさいじ)
湖東三山 ②:まるで異世界? 千体地蔵と風車が奥へ奥へと誘う:金剛輪寺
湖東三山 ③:信長の焼き討ちを逃れた国宝の寺:西明寺
地元では超有名スポット? 「お多賀さん」こと、多賀大社
ここはブータン? 目の錯覚にも見える岩壁の神社:太郎坊宮

遥拝所から見上げる太郎坊宮

マナブ:さて、次はどこへ行きます?
歴史先生:次はいよいよ「太郎坊宮(たろうぼうぐう)」です。
マナブ:ん? 初耳、の場所です。どんなところなんですか?
歴史先生:それは行ってからのお楽しみ、としておきましょう。きっと気に入ると思いますよ。
<太郎坊宮へドライブ>
マナブ:ここの道路脇のスペースに駐車するんですね?
歴史先生:はい、ここが「遥拝所」と言われている場所です。

太郎坊宮 遥拝所の前に咲くヒガンバナ
マナブ:おぉ。まず目に入るのはこのヒガンバナ。ちょうど今の季節は滋賀県内あちこちで見事に咲いていますね。
歴史先生:そうですね。今回、とてもいい時期に来ました。ところでヒガンバナもいいですが、こっちを見てください。

太郎坊宮
マナブ:えっ、何ですか、あれは?
歴史先生:美しい正三角形の山。ごつごつした岩肌。そしてその岩壁にへばりつくように建てられた神社の建物。
マナブ:目の錯覚か? と思うような眺めです。まるでブータン、じゃないですか?
歴史先生:たしかにそんな感じですね(笑)。ここは太郎坊宮の遥拝所。上まで参拝に行けない人はここでお参りができます。
マナブ:なるほど、でもぜひ上まで行きたい。
歴史先生:もちろんです。行ってみましょう。
マナブ:えーっと、ひょっとして階段ですか?
歴史先生:麓から750段の石段が続いていますが、でも安心してください。今は途中まで車で登れますよ。
マナブ:よかった。では行きましょう。

太郎坊宮 中腹の駐車場。ここまで車で来ることができる。

太郎坊宮の入口
太郎坊宮(阿賀神社)(地図 ❶)
〒527-0091 滋賀県東近江市小脇町2247
入場無料、境内自由
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
http://www.tarobo.sakura.ne.jp
マナブ:急な坂を車で登って、駐車場まで来ました。
歴史先生:すでにこの駐車場の時点で、絶景でしょ?
マナブ:はい、下の田園地帯がきれいに見えています。ところで、ここはどんなご由緒のある神社なんですか?
歴史先生:さっき、下から山を見上げましたね。
マナブ:きれいな三角の形をしていました。
歴史先生:あれがこの神社のご神体。赤神山、です。標高350m。
マナブ:なるほど。きれいな形の山がご神体になっているという神社、いくつかこれまでも見ました。
歴史先生:古くからこの山は崇拝されていたようなのです。記録に残るのは第29代欽明天皇のころといいますから、その在位期間は539-571年になります。
マナブ:というと・・・
歴史先生:飛鳥時代の少し手前、古墳時代の終わりごろ、と言えます。ちなみに聖徳太子が生まれたのは574年。
マナブ:相当昔であることがわかりました。
歴史先生:で、その聖徳太子がですね、ここに神社を作ったんです。赤神山の名前からここを「阿賀神社」と名付けました。祭神は「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊」(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)。
マナブ:はい? もう一度。
歴史先生:「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊」
マナブ:絶対覚えられない(笑)。それは誰なんですか?
歴史先生:この人、実は天照大神の長男なんです。名前の漢字をよく見てください。この名前がどういう意味なのかというと、「正哉吾勝勝速日」は「まさに吾は勝った、日が昇るように迅速に勝った」という意味で、「天忍穂耳尊」は「高天原に降臨した一族直系で力のある稲穂の神霊」という意味。
マナブ:あ、そういうことですか。何かに勝った人、なんですかね?
歴史先生:本来は戦いではなくて農耕の神様のようなのですが、この名前にあやかって、スポーツ選手や厳しい競争環境に置かれている経営者・商売人などの信仰が厚いようですよ。
マナブ:なるほど。
歴史先生:聖徳太子が阿賀神社を建てたのち、平安時代になると最澄が訪れます。
マナブ:お、比叡山から来たんだ。
歴史先生:その時に赤神山に住んでいた太郎坊という天狗が突然現れて、最澄に「ここに堂宇を建立せよ」と伝えたそうで、最澄は神社と寺を神仏習合し、50あまりの社殿・社坊を築きます。その寺の薬師如来の縁日を毎月8日に開き、今の八日市の町の原型となりました。
マナブ:おぉ。平安時代のことが今につながっているんですね。ところで太郎坊って誰ですか?
歴史先生:古代史のスーパースター、役行者(えんのぎょうじゃ)の兄弟子、とも言われていて、赤神山に住んでいたようです。京都の愛宕山にも太郎坊という大天狗が住んでいて、兄弟という説もあります。
マナブ:それにしても謎の多い古代のロマンですね。

駐車場から見上げる参集殿

境内マップ
歴史先生:さて、この境内の案内図を見ましょう。
マナブ:私たちは中央のオレンジ色の駐車場にいます。見上げると立派な参集殿がそびえています。
歴史先生:ここをまっすぐ、「表坂」を登っていきましょう。そして帰りは「裏坂」から下りてきます。

おっと、太郎坊の飛び出しに注意!
マナブ:おっと。早速出ました、とび太。太郎坊バージョンですね。
歴史先生:もはや子供の飛び出し注意でも何でもないところに置かれていますよね。

表坂
マナブ:えーっ、ちょっと待ってください。すごい階段じゃないですか。
歴史先生:ごめんなさい、伝えてなかったですね。駐車場から上も、まだまだ長い急な階段が続いているんですよ。
マナブ:ひぇー、これ、どこまで続いてるんだろう。でも仕方ない。がんばります。

ひたすら階段を上る。途中には絶景が見える場所も。

拝殿
マナブ:ふぅ。階段の途中に立派な建物がありますよ。
歴史先生:これは拝殿です。ここから背後の山や岩を拝んでいたのでしょうね。さぁ、もう一息です。続きを上りましょう。

夫婦岩の入口
マナブ:鳥居がありますが、ん? ここで行き止まり? いや、中に入れるのかな?
歴史先生:ここは夫婦岩、と呼ばれています。太古の昔、神社というのは建物ではなくて、磐座(いわくら)だった、というのをご存じですか?
マナブ:いわくら?
歴史先生:はい、山にある自然の巨岩を神聖なものとして扱い、そこで祭祀をおこなっていたんです。この夫婦岩もこの赤神山の磐座と考えられます。
マナブ:岩を祀っていた、のか。
歴史先生:ところで神社の建物って、古くても鎌倉時代とか室町時代とか、比較的新しいものが多いと思いませんか? お寺を考えると飛鳥寺や法隆寺、そして東大寺とか、飛鳥時代や奈良時代から巨大な建物があったわけです。
マナブ:ほお。そんな考え方もあるんですね。
歴史先生:はい、神社は山とか岩とかがご神体だったんです。だからそれを拝むための質素な「拝殿」があればよかったんですね。でも後世になって「人」が神社に祀られるようになってから立派な「本殿」がつくられるようになりました。
マナブ:なるほど。
歴史先生:ではそれを踏まえて、太古の磐座であった夫婦岩に入っていきましょう。
マナブ:通れるんですね?
歴史先生:さぁ、それはどうでしょうか? 良い心の持ち主は通れますが、悪い心の持ち主は岩に挟まれてしまうらしいですよ。
マナブ:じゃ、私はダメだ。ここでやめときます。
歴史先生:えー???

夫婦岩の幅はわずか80㎝しかない
マナブ:何とか私も岩の間を通れました(笑)。
歴史先生:よかったです(笑)。
マナブ:ところで、こんな岩はどうやってできたんでしょう?
歴史先生:ここに解説の看板がありますよ。

夫婦岩の地質学的解説看板
歴史先生:この看板にあるように、ここ滋賀県の南部は、7,000万年前のカルデラ、なんです。何と比良山地や鈴鹿山脈はその外輪山なんです。
マナブ:うわー、そんな巨大なカルデラだったなんて、驚きです。
歴史先生:阿蘇山のカルデラと比較しても、直径が倍以上もあるスケールです。
マナブ:滋賀県を旅していて、火山なんて全く意識してなかった。
歴史先生:ここ赤神山のごつごつした岩肌も、火山性の岩石で、それが節理によって縦にひびが入り、剥がれ落ちて垂直に近い急な岩の崖になっているんですね。
マナブ:ただただ、昔の人が神聖さを感じていた岩に、科学的な解説をつける東近江市の看板、いいですね(笑)。

本殿

本殿前の舞台
歴史先生:さて、夫婦岩を抜けたところにあるのが本殿です。
マナブ:本殿は急な崖の岩に張り付くように建っていますね。
歴史先生:勝負に勝てるように、ここでお参りしていきましょう。そして本殿の前にある舞台、ここからの眺め、素晴らしいでしょ?

帰路は裏坂を下りていく
マナブ:帰り道も急な石段です。
歴史先生:こちらは女坂。途中、左右に七福神などありますから、ゆっくり楽しみながら、気を付けて下りていきましょう。どうでした、太郎坊宮、気に入っていただきました?
マナブ:はい! びっくりすることだらけで。こんな神社、他にないのでは? 観光地としてそれほど有名じゃないんだと思いますが、ここはとんでもない穴場、でした。ぜひぜひ皆さんにお薦めしたいですね。
湖東三山 ①:ルイス・フロイスが「地上の天国」と称えた大寺院:百済寺(ひゃくさいじ)

仁王門へと続く石段

百済寺 (地図 ❷)
〒527-0144 滋賀県東近江市百済寺町323
入場料600円(中学生以下、団体割引あり)
8:30~17:00(最終入場16:30)、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
マナブ:今日は湖東三山(ことうさんざん)を巡ります。まず初めに来たのがここ。百済寺(くだらでら)。
歴史先生:いえ、ここは「ひゃくさいじ」と読みます。
マナブ:あ、そうでしたか。でも百済の国とは関係があるんですよね?
歴史先生:はい。このお寺を建てたのは聖徳太子である、と伝わっています。606年に聖徳太子がこの地を訪れた際、そこには杉の大木がありました。この杉の大木は半分で切られていましたが、それは百済の国にある龍雲寺のご本尊、十一面観音を彫るために上半分が切りとられて百済に運ばれたからでした。
マナブ:百済の寺のご本尊用の木がここから運ばれた?
歴史先生:ということのようです。それを聞いた聖徳太子は、残った木が植わったまま、そこへ十一面観音を彫り、お堂を建てたんだそうです。木は植わったままですので、「植木観音」とも言われます。
マナブ:それは珍しい。見てみたい。
歴史先生:残念ながらこれは秘仏。およそ半世紀に一度しか開帳されません。高さが3.2mもある大きな仏像なんだそうですよ。
マナブ:あぁ、これも秘仏でしたか。で、その百済とのご縁で百済寺、という名前が付いた。
歴史先生:そういうことです。その後平安時代になって、延暦寺や日吉大社の勢力がここ湖東にも及んできます。百済寺はその流れに応じて天台宗へと改宗し、延暦寺の別院としてこの地域での活動を行うようになりました。百済寺はますます発展していきます。
マナブ:でも今はひっそりとしていますね。
歴史先生:1573年、百済寺を悲劇が襲います。戦国時代、近江の地を治めていた六角氏と親密な関係にあった百済寺は、六角氏の要請によって寺域を要塞化していきました。
マナブ:いやな予感がします。
歴史先生:1568年に信長は上洛を試み、六角氏の居城である観音寺城を攻め落としました。その際、信長はこの地域で大きな影響力を持っていた百済寺を自らの祈願所とし、保護する立場をとったんです。
マナブ:あれ? 思ってた展開と違った。
歴史先生:観音寺城を追われた六角氏は石山本願寺や浅井長政と連携し、信長への抵抗を続けました。1573年、信長はそれらへの作戦指揮を執るべく百済寺に滞在していたのですが、そこで実は百済寺に六角氏の女子供が匿われており、しかも六角氏に食料を援助していた、ということが発覚してしまうのです。
マナブ:うわー、それは恐ろしいことになりそう。
歴史先生:信長は怒り心頭。百済寺を全部焼き払ってしまえ、と命じます。
マナブ:きたー
歴史先生:1,000棟にも及ぶ大伽藍や庭園はこの時、灰燼に帰してしまいます。そして百済寺を要塞化していた石垣は持ち去られ、安土城の建設に使われました。
マナブ:あ、安土城で見た石の中にはここ百済寺から持ち去られたものがたくさんあったんですね。

長崎・横瀬浦に立つルイス・フロイスの像
歴史先生:当時日本に来ていた宣教師、ルイス・フロイスを覚えていますか?
マナブ:はい、長崎の横瀬浦に行ったときに勉強しました。
歴史先生:彼が信長に実際に何度も会って感じたことを書き残しているのですが、それには信長という人物が「優れた理解力と明晰な判断力を有し、神仏やその他の偶像を軽視し、全ての異教的占いを信じない。宇宙に創造主はおらず、霊魂の不滅などもなく、死後には何も存在しない、と公言している」と、記しています。
マナブ:なるほど、信長らしいな。いや、というか、そのフロイスの書き残した情報を基に、現代の私たちは信長という人物像を作り上げてるんですよね。
歴史先生:そうです。フロイスはここ百済寺のことを「地上の天国」とも書いており、信長によって焼かれてしまったことをとても残念に思ったようです。
マナブ:それにしても、信長は極端なことをいろいろやってますね。
歴史先生:さて、時代は江戸。家康の懐刀で天海という人がいましたが、彼は弟子である亮算をここ百済寺へ送り込み、再興をリードさせます。さらに井伊直政の子、直孝も寄進をおこない、再興を成し遂げました。さすがに以前のような大寺院に戻ることはありませんでしたが、湖東三山の1つとして、今でも存在感を出しています。


百済寺 赤門のところにある境内案内図

赤門
マナブ:さて、赤門のところへやってきました。
歴史先生:森の中に突然、赤い門が見えてきます。何だか神秘的ですね。ここから歩いていくのもいいんですが、私たちは案内図にある上の駐車場まで車で上っていきましょう。

本坊喜見院と庭園
歴史先生:駐車場からすぐのところにある本坊喜見院。ここは巨石を使った見事な庭園が有名です。
マナブ:絵になりますねぇ。
歴史先生:そうそう、絵になると言えば、2017年の岡田准一主演の映画「関ケ原」での撮影にもここは使われていますよ。ぜひ映画を見て、どこのシーンで使われているのか、見つけてください。(以下はAmazon Prime Videoのリンクです。)


天下遠望の名園

天下遠望の名園の看板
マナブ:庭園の中を登っていくと、見晴らしのいい場所に出ました。
歴史先生:ここは天下遠望の名園と呼ばれ、湖東平野から琵琶湖、そして天気のいい日は比叡山まで見渡せる、とてもいい場所なんです。


仁王門へは長い石段を登っていく

仁王門
マナブ:庭園の所から石段を上がっていくと、大きな門があります。あれ、草鞋(わらじ)ですか?
歴史先生:はい。これは仁王門。ぶらさがっているのは、門の左右に立っている金剛力士(仁王様)が履く草鞋です。以前は仁王像に合わせて50㎝くらいでしたが、参拝客が願をかけるようになり、大きいほうがより願いが叶う、などと考えられたことから今では3mくらいにまで大きくなってしまったそうです。
マナブ:門に草鞋がかかっているのを見たことがありますが、仁王様が履くものだとは知りませんでした。

仁王門を抜けて本堂へ上がっていく

本堂(国指定重要文化財)
マナブ:仁王門を抜けると、石垣が立ちはだかって、その上に大きなお堂が立っています。
歴史先生:あれが本堂になります。植木観音と呼ばれる秘仏の十一面観音もあの中にあるんですよ。本堂は1650年の建立、といいますから、1573年に信長の焼き討ちで焼失してから、その再建には実に77年もの年月を要しました。
マナブ:それだけ百済寺の再興というのは簡単ではなかったんですね。
歴史先生:昔の伽藍が残っていれば百済寺は国宝の山だったと思いますが、江戸時代以降の再建がほとんどのため、この本堂が重文になっているだけ、という感じです。
マナブ:今は青もみじですが、これって11月はすごくきれいなんでしょうね。
歴史先生:はい。湖東三山はもみじの名所としても有名で、シーズン中はとんでもなく混みあいます。
マナブ:歴史好きの人は、ちょっとその時期を避けて来た方がよさそうですね。

弥勒半跏思惟像(みろくはんかしいぞう)
マナブ:やさしい曲線の仏様がいますね。
歴史先生:こちらは弥勒半跏思惟像。実は百済寺にはもう1つ秘仏があり、それが金銅製の弥勒半跏思惟像なんです。飛鳥・白鳳時代のもので、本物は27㎝という小さなサイズ。幾度も火災に遭われて、本物は痛々しい姿になっているんだとか。そこで一般の人がいつでもお参りできるように、ここに石像が建てられているんです。
湖東三山 ②:まるで異世界? 千体地蔵と風車が奥へ奥へと誘う:金剛輪寺

千体地蔵1つ1つに風車が回っている

金剛輪寺 (地図 ❸)
〒529-1202 滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺874
入場料800円(中学生以下、団体割引あり)
8:30~17:00(最終入場16:30)、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
マナブ:百済寺から車で15分ほど。金剛輪寺にやってきました。ここはどういうお寺なんですか?
歴史先生:ここは741年、聖武天皇の勅願で行基によって開かれたお寺です。行基がご本尊として観音様を彫り始めたところ、木肌から一筋の血がしたたり落ちたんだそうです。そこで行基は彫るのをやめ、荒削りのままでご本尊としました。「生身の観音」と呼ばれています。
マナブ:見てみたい・・・・、でもきっとダメなんですよね?
歴史先生:はい(笑)、これも秘仏なんです。
マナブ:やっぱり。
歴史先生:さて、その後平安時代になり、ここ金剛輪寺も延暦寺の傘下に入り、天台宗の道場となります。
マナブ:百済寺とおんなじだ。
歴史先生:鎌倉時代、室町時代にたくさんの堂宇が建てられ、今もそれらが残っています。
マナブ:ここは信長の焼き討ちにあっていない?
歴史先生:焼き討ちにあったんですが、本堂をはじめとする主要な建物は残りました。理由はよくわかっていませんが、お寺の主要部が少し山奥にあるので助かったのではないかと。
マナブ:ん? では今日はこれから山奥まで行くと?
歴史先生:門を入ってから本堂まで約500m。山道を登っていきます。
マナブ:滋賀県の旅、なかなか大変ですね。
歴史先生:でも飽きさせない仕掛けがありますので、お楽しみに。
マナブ:えっ、何だろう?

駐車場そばの総門から入っていく


総門から入ってすぐの境内案内図
歴史先生:まずは庭園を中心とするエリア。このあたりは総門からすぐに回れます。
マナブ:その先の本堂までが遠いんですね。
歴史先生:そういうことです。

赤門

岩と池の組合せが美しい名勝庭園
歴史先生:ここは名勝に指定されている庭園です。
マナブ:名勝、ってよく見ますが、どういう意味なんですか?
歴史先生:「名勝」というのは特に価値が高いとされている庭園で、全国に250か所ほどあるようです。国指定重要文化財の庭園版、と言ったところでしょうか。その中でも特に価値の高い40か所は「特別名勝」と言われていて、これはいわゆる国宝に相当します。
マナブ:特別名勝にはどんなところがあるんですか?
歴史先生:日本三名園の兼六園、後楽園。
マナブ:偕楽園、は入ってない?
歴史先生:なぜかそのようです。香川の栗林公園、平泉の毛越寺、東京だと小石川後楽園、六義園、浜離宮などもそうですね。
マナブ:おお、東京を代表する庭園ばかりですね。
歴史先生:その他、京都は金閣、銀閣をはじめ、たくさん指定されています。
マナブ:なるほど、そういうことでしたか。ところでここ金剛輪寺の庭ですが、後ろの山の斜面を背景として、岩と水のバランスが素敵ですね。
歴史先生:はい、ここの縁側でしばらくぼーっとしたいですよね。
マナブ:たしかに。
歴史先生:さて、庭園を見学したら、いよいよ本堂の方へ歩いていきましょう。
マナブ:あれ、これは何?

千体地蔵と風車
歴史先生:千体地蔵と言われていますが実際には2,000体近くあるそうです。道の両側にずらりとお地蔵さんが並びます。
マナブ:で、1つ1つに風車が。
歴史先生:恐らくこれらのお地蔵さんは子供の健やかな成長、または亡くなった子供の供養として建てられたのではないでしょうか。風車は子供のおもちゃとして持たせていて、さらに風の神様の力も借りるというアイテムなんです。赤い前掛けは魔よけの色。でもこうやってぞらりと道に並んでいると、とても不思議な光景ですね。
マナブ:なんだか奥へ奥へ、と誘い込まれるような気持ち悪さを感じます。
歴史先生:ではそれに誘われて、どんどん奥へ行ってみましょう(笑)。

うっそうと茂る木々の間を千体地蔵に守られて進む

最後の急な石段を登ればいよいよ本堂だ
マナブ:だいぶ歩いてきましたね。
歴史先生:最後の石段が見えてきました。これを登ったらゴールです。

石段の上に二天門が見えてきた

二天門(国指定重要文化財)
歴史先生:さぁ、二天門につきました。
マナブ:ここにも草鞋(わらじ)。百済寺と似ていますね。
歴史先生:本堂より少し遅れて室町時代中期に建てられた門です。

本堂(国宝)
歴史先生:さて、正面にあるのが国宝の本堂です。
マナブ:いやー、大きいですね。
歴史先生:1288年、元寇に勝利したことを記念して建てられたと言われていて、中世を代表する密教寺院です。建物も立派ですが、中身もすごい。本堂の中には鎌倉初期に彫られたと思われる十一面観音立像など11体の国指定重要文化財があるんですよ。ぜひ上がってお参りしていきましょう。

三重塔(国指定重要文化財)
マナブ:本堂の参拝、とても見ごたえがありました。
歴史先生:本堂の奥にあるのが三重塔。こちらは本堂より古い1246年の建立です。
マナブ:こちらも秀逸な姿の塔です。秋は美しい形がもみじに映えそうですね。
湖東三山 ③:信長の焼き討ちを逃れた国宝の寺:西明寺

本堂と三重塔(いずれも国宝)

西明寺 (地図 ❹)
〒522-0254 滋賀県犬上郡甲良町池寺26
入場料800円(中学生以下、団体割引あり)
8:30~17:00(最終入場16:30)、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
マナブ:湖東三山の最後、西明寺(さいみょうじ)に来ました。
歴史先生:惣門前の駐車場に停めて参道を歩いてもよかったのですが、ここは本堂に近いところの駐車場に停めましょう。名神高速の上のせまい橋を渡って、上の駐車場まで行きます。
マナブ:ふぅ、よかった。今日初めて楽ができそうです。で、ここはどういうお寺なんでしょう?
歴史先生:開山は834年といいますから平安時代。三修上人という伝説的な行者がいたのですが、ある日琵琶湖の西岸を歩いていると、湖の東に紫雲が現れ、まぶしい光がさしているのが見えました。そこに行かなければという思いで行ってみると、光を放つ池の中から薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将が現れました。
マナブ:不思議な話ですね。
歴史先生:その話を聞いた仁明天皇の勅願で、ここにお寺が開かれることになったんです。琵琶湖の東から京へ向かって薬師如来の光が照らされていることから「西明寺」と名付けられました。
マナブ:なるほど、そういう名前でしたか。
歴史先生:その後、延暦寺の勢力が拡大する中で、ここも天台宗のお寺となります。
マナブ:ほかの2寺と同じですね。
歴史先生:延暦寺の根本中堂の薬師如来が琵琶湖の方を向いているので、ここ西明寺の薬師如来は延暦寺の方を向いて、2体の薬師如来が対面するような形になっています。
マナブ:ところで信長は延暦寺を徹底的に叩こうとしたので、この寺にも襲い掛かったのでは?
歴史先生:はい。ここも焼き討ちされました。でもその時に西明寺のお坊さんたちが機転を利かし、本堂や三重塔よりも手前の建物群を激しく燃やしてまるで全山焼失したかのように見せかけたので、信長軍は満足して引き揚げ、奥にある寺の主要部は残ったと言われています。
マナブ:それはよかった。


白門

名勝庭園
歴史先生:まずは名勝庭園を鑑賞しましょう。その後、二天門、本堂、三重塔を見ます。
マナブ:それ、金剛輪寺とまったく一緒だ。同じ天台宗のお寺だから、ですね。

二天門(国指定重要文化財)
歴史先生:石段を上ったところが二天門。室町時代の建築です。

本堂(国宝)
歴史先生:二天門をくぐると正面が本堂。鎌倉時代の初期に建てられたもので、飛騨の匠が釘を一本も使わずに建てました。
マナブ:延暦寺と対面して光を放っているという薬師如来は本堂にあるんですよね。
歴史先生:はい、でも・・・
マナブ:秘仏。
歴史先生:はい、その通りです(笑)。

三重塔(国宝)
歴史先生:三重塔は鎌倉時代後期の建築。こちらも本堂と同様、飛騨の匠が釘を一本も使わずに建てましたものです。
マナブ:美しいデザインですね。
歴史先生:さて、湖東三山を回ってきましたが、いかがでした?
マナブ:これまで「湖東三山」自体、まったく知りませんでした。しかしこの地域にこれだけ大きなお寺があったこと、驚きです。まだまだ知らないことが多いんだな、とあらためて思いましたね。
地元では超有名スポット? 「お多賀さん」こと、多賀大社

多賀大社 拝殿・本殿

多賀大社 (地図 ❺)
〒522-0341 滋賀県犬上郡多賀町多賀604
境内自由
8:00~17:00、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
マナブ:湖東三山から北に車を走らせて、多賀大社に来ました。
歴史先生:多賀大社、ご存じでしたか?
マナブ:いいえ、初めて名前を聞くような気がします。
歴史先生:ここは地元では親しみを込めて「お多賀さん」と呼ばれる超有名スポット。もっと全国的に名前が知れてもいいはずなんですが。
マナブ:どんな神社なんですか?
歴史先生:全国239社の多賀神社の総本社。創建時期ははっきりとわからないのですが、かなり古くからあると考えていいでしょう。
マナブ:だから「大社」なんですね。誰が祀(まつ)られているんでしょう?
歴史先生:イザナギ、イザナミです。
マナブ:あ、たしかそれはご夫婦で、海の中を棒でくるくる回して日本列島を作った人。
歴史先生:そうそう。その夫婦の子供が天照大神なんです。
マナブ:あ、そういう関係性ですか。
歴史先生:「お伊勢参らばお多賀へ参れ。お伊勢お多賀の子でござる」なんていう歌が流行ったこともあったようです。
マナブ:なるほど。
歴史先生:日本の神々を生んだ命の神様ということで、延命長寿のご利益があるとされてきました。1588年、秀吉がその母である大政所の延命をここで祈願し、それが成就したことから、なんと1万石を与えられたんだそうです。
マナブ:それはかなり気前がいいですね。
歴史先生:それにちなんで、鳥居を入ってすぐの太鼓橋は「太閤橋」と呼ばれています。
マナブ:なるほど。
歴史先生:室町時代から江戸時代には「多賀講」というのが全国に出来て、お伊勢参りと同じようにお多賀参りも盛んになりました。「伊勢ヘ七度、熊野へ三度、お多賀さまへは月参り」という歌も流行ったとか。また、多賀大社を宣伝するための「多賀参詣曼荼羅」も作られたんです。
多賀参詣曼荼羅はこちらからご覧いただけます。
https://www.miho.jp/booth/html/artcon/00010187.htm
(滋賀県甲賀市 MIHO MUSEUMのWebサイト)

太閤橋
マナブ:それほど有名な神社だったんですね。失礼しました。ではさっそく行ってみましょう。駐車場は私たちは参道にある民間のところに停めましたが、神社の中にも無料駐車場があるようです。さて、ここが参道ですね。
歴史先生:お土産屋さんが並んでいます。

多賀大社の参道

多賀大社の鳥居

太閤橋と御神門
マナブ:さて、中へ入ってみましょう。
歴史先生:目の前すぐにあるのが太閤橋です。ここは渡れません。参拝者は横を回って、次は御神門を通り抜けていきます。
マナブ:古くて危なそうですものね。
歴史先生:というよりもここは神橋。神様のための橋です。例祭のときにはここをお神輿が渡るそうですよ。

多賀大社
マナブ:広びろとした境内はきれいに掃き清められていて、神聖な空間だと感じられます。後方にある森も雰囲気があっていいですね。
歴史先生:私たちも延命長寿をお祈りいたしましょう。
マナブ:今日は普通の平日なので、そんなに混んでいませんね。
歴史先生:正月などは大変な賑わいになります。何と年間170万人も参拝されるそうですよ。
マナブ:あ、それって近江八幡のラ・コリーナ(年間400万人超)の半分よりちょっと少ないくらい。
歴史先生:170万人ってすごく多いと思ったんですが、そこと比べられてしまいましたか(笑)。

鳥居前にある「多賀や」
多賀や
〒522-0341 滋賀県犬上郡多賀町多賀601
8:00~17:00、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
https://www.itokirimochi.co.jp/
歴史先生:参拝を終えて鳥居のところまで戻ってきました。正面に「多賀や」というお店があるの、見えますか?
マナブ:なんだか大きなしゃもじがありますね。
歴史先生:元正天皇(在位715~724年)がご病気になられた時、多賀大社の神主が飯を炊き、シデの木で作った杓子と共に献上したところ、たちまち快癒されたとか。そのことから「お多賀杓子」として有名な名産品になりました。
マナブ:なるほど、それで杓子を看板にしているんですね。で、ここは何のお店ですか?
歴史先生:ここは「日本一繊細なお菓子」と言われる名物「糸切餅」のお店です。真っ白なお餅でこしあんを包んで長く伸ばし、それを糸で切ったもの。表面には青、赤、黄の三本線がひかれています。
マナブ:それで糸切り。で、カラフルな三本の線にはなにか意味があるんですか?
歴史先生:蒙古軍の旗、を表しています。
マナブ:えっ、蒙古軍??
歴史先生:鎌倉時代の元寇で、神が吹かせた大風によって蒙古の船が沈み、何とか日本は守られたわけです。そこで、元寇に勝利したあとすぐに全国の神社で神への感謝が行われました。ここ多賀大社では蒙古軍の旗の三色の線がついた餅を作り、しかもそれを刃物ではなくて糸で切ることで、今後の平和を祈ったんだそうです。
マナブ:そんな歴史と平和の想いがあるお菓子だったんですね。お土産に買って帰ろう。
歴史先生:えーっと、実は賞味期限が非常に短くて、夏は1日、冬でも2~3日なんです。
マナブ:あら、そうでしたか。では、ここで食べて行くしかなさそうですね。
歴史先生:湖東三山のすぐそばにある多賀大社。いかがでした?
マナブ:こんな由緒ある神社を今まで全く知らなかったなんて。滋賀県、実はすごいですね。

