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登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
大手門はなぜか裏口? 彦根城の不思議

観光するには意外とハード? 国宝彦根城の歩き方

彦根城の中にある絶景の名園:玄宮園

映画を見て「これ、どこ?」と思った人も。他にはない異空間:天寧寺

芸能関係者が参拝する「千代神社」の祭神はやっぱりあの神様だった


大手門はなぜか裏口? 彦根城の不思議


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彦根城天守と「ひこにゃん」


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マナブ:さて、これから彦根城に行きます。彦根城は彦根市街地の中心部にあって、駅から歩いていける距離です。


歴史先生:お城の中にも駐車場はありますが、お城へのアプローチも楽しんでいただきたいので、今夜宿泊する「彦根キャッスルリゾート&スパ」に車を停めて、そこから歩きましょう。


マナブ:彦根城を作ったのは井伊直政?


歴史先生:いいえ。関ケ原のあと、1601年に井伊直政は佐和山城に入ります。そこは石田三成が居城としていたところ。井伊直政はその城を現在の彦根城のある丘に移そうとしましたが、その前に亡くなってしまいました。


マナブ:そうでしたか。ではそのお子さんが遺志を引き継いだ?


歴史先生:はい。1603年、長男の井伊直継が築城に着手しました。といっても当時13歳。ほとんどは家老たちが仕切りをおこないましたが、家康も築城には細かな指示を出していたようです。


マナブ:家康にとっても、それだけ重要な城だった、ということですね。


歴史先生:そうなんです。早く築城するために、大津城や佐和山城から建物や石垣などを持ってきて、リサイクルしたようですよ。


マナブ:それで早く築城できた。


歴史先生:はい。ところで城だけでなく井伊家も家康にとって重要な存在。初代の直政があまりにも優れた人物だったので、その子たちは期待に応えるのが大変だったでしょう。長男の直継は病弱だったと言われ、大坂夏の陣の際に戦功のあった弟に家督を譲るよう、家康から言われました。


マナブ:家康は井伊家の内情にそこまで口を出してきたんですね。


歴史先生:はい。そこで弟の直孝が3代目となります。直孝は父親似の勇猛な武将だったようです。


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いろは松


歴史先生:私たちは佐和口、という東側の入口から入ります。そこへのアプローチに植えられているのが「いろは松」。第3代彦根藩藩主の井伊直孝が植えたものだそうです。


マナブ:弟のほうですね。お堀沿いに整然と松が並んで、気分が上がってきます。


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井伊直弼歌碑のそばにある説明板


歴史先生:突然話は幕末に飛びますが、道路の反対側に井伊直弼(なおすけ)の歌碑があるので見ていきましょう。


マナブ:井伊直弼というと、桜田門外の変で殺された?


歴史先生:そうです、当時開国政策を進めて安政の大獄を主導。尊王攘夷派から憎まれた幕府の大老です。


マナブ:歌が書かれています。「あふみの海 磯うつ浪の いく度か 御世にこころを くだきぬるかな」


歴史先生:琵琶湖の波がなんどもなんども浜に打ち寄せるように、自分も世の中を良くしようとなんどもなんども心砕いているのに・・・という感じでしょうか。


マナブ:悩みは深そうですね。


歴史先生:この歌を詠んだ2か月後に桜田門外の変で暗殺されてしまうわけです。


マナブ:うーん、そうでしたか。つらい立場だったんでしょうね。


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佐和口 多聞櫓(国指定重要文化財)


マナブ:さぁ、入口にやってきました。


歴史先生:ここは二の丸にある佐和口に建てられた多聞櫓。1771年に再建されたものです。複雑な形状をした枡形で、防御に堅い入口です。ほら、鉄砲を撃つ穴(狭間(さま)、という)に三方向から囲まれています。


マナブ:うわ。ここを突破するなんて、ほぼ不可能。


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馬屋(国指定重要文化財)


マナブ:枡形を抜けると、長いL字型の建物が。


歴史先生:これは馬屋、です。藩主の馬など21頭がつながれていたという大規模なもので、全国でも現存するのはここだけ。よって国指定重要文化財になっています。


マナブ:この馬屋のとなりに観光用の駐車場があります。彦根城へ来られるときはここが一番便利ですね。


歴史先生:では、表門橋から中へ入っていきましょう。ここからは有料ゾーンになります。


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表門橋


彦根城 (地図 ❶)

〒522-0061 滋賀県彦根市金亀町1−1

入場料1,000円(玄宮園含む)(中学生以下、団体割引あり)

彦根城博物館とのセット券は1,500円

8:30~17:00(最終入場16:30)、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://hikonecastle.com/ 


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彦根城案内図


マナブ:地図を見ると表門、というのと、大手門という2つの入口があるみたいですね。


歴史先生:いいポイントに気づかれましたね。通常のお城は大手門というのが正面入口。でもここでは表門というのがあって、大手門は裏口のような感じになっています。


マナブ:なぜなんでしょう?


歴史先生:実は築城後しばらくは大手門が正面でした。彦根城は豊臣方の拠点である大坂城の方を向いて大手門を作っています。なぜだかわかりますか?


マナブ:徳川勢が大坂城を広域に包囲するための城の1つだったから?


歴史先生:大正解です。でもその後、大坂城が陥落して太平の世になった。今度は江戸のほうに向かって正面を移すことになりました。山頂の本丸にあった御殿を平地に移し、そこに表門橋を作って、より便利な構造にしたんです。


マナブ:なるほど。戦国時代と江戸時代では彦根城の意味合いが変わったので、それに応じて城を大改造したわけですね。


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ひこにゃんの登場予定と、とび太 井伊直孝バージョン


マナブ:あ、本日のひこにゃんの登場の場所と時間が。


歴史先生:とっても人気のご当地ゆるきゃら、ですからね。でも最近はあまりの猛暑で、登場する時間が短くなっているんだそうです。


マナブ:世界的な気候変動の影響がひこにゃんにも出てる。


歴史先生:そしておなじみの「とび太」。ここでは3代藩主の井伊直孝です。


観光するには意外とハード? 国宝彦根城の歩き方


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彦根城博物館


歴史先生:では表門橋を渡ってすぐ右側にある彦根城博物館から見学をスタートしましょう。ここは元の御殿があった場所。


マナブ:あ、先ほどの話で、本丸から移ってきたものですね。


歴史先生:そうです、そうです。表門橋のすぐ隣で、ここなら政務を取るのにとても便利ですよね。


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博物館の館内には井伊家ゆかりの品々が並ぶ


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復元された御殿の一部


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復元された御殿の庭園


マナブ:展示ホールの他に、御殿のようなところが。


歴史先生:はい、こちらは御殿の奥向(おくむき)を復元したものです。奥向というのは、殿様などのプライベート空間。一方、表向(おもてむき)というのは政務などをとる公式な場所を指します。


マナブ:なるほど。質実剛健というか、武士らしい質素な作りが上品さを感じます。


歴史先生:では次に、天守閣へと参りましょう。


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表門から本丸へ向かう石段


マナブ:え? けっこう長い坂ですね。


歴史先生:はい、この上が本丸、天守閣です。


マナブ:地図で見てると、彦根市街地の真ん中に緑のところがあって、そこのお城だから、登りなんて考えてませんでした。


歴史先生:高低差50m、140段ほどの石段です。


マナブ:安土城とかに比べると全然ですけど、けっこう高齢の方もたくさん来られてるメジャー観光地なので、ちょっとびっくりしました。


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天秤櫓(国指定重要文化財)と廊下橋


マナブ:石段を登りきると、立派な櫓が見えてきました。橋も架かっていますね。そしてここは石垣が高い。


歴史先生:そうですよね。攻めてきた敵は、ここの石垣を登るのはとても不可能。ぐるっと回り込んで橋を渡って攻め込むしかありません。


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廊下橋


マナブ:この橋はそれほど頑丈な作りではなさそうですね。ということは・・・


歴史先生:はい、いざという時はこの橋を落としてしまい、進入路を無くすことができるんです。


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天秤櫓(国指定重要文化財)


マナブ:ぐるっと回り込んで、廊下橋を渡ります。


歴史先生:この櫓、なぜ天秤櫓って呼ばれたか、ここから見るとわかりますよね?


マナブ:あ、そうか。左右対称で、天秤みたいな形になっていますね。


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天秤櫓の内部


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天秤櫓から見た廊下橋


マナブ:天秤櫓の中に入ってみます。


歴史先生:ほら、窓から外を見ると廊下橋が見えます。


マナブ:ここから狙い撃ちするんですね。あ、下の道も見えますね。攻めてきた兵士たちも、ここから狙われたらたまらない。


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天秤櫓から見下ろした御殿。正面遠くに見えるのが佐和山城。


歴史先生:こちらの窓からは下の御殿が見えます。そして正面遠くにある形のいい山が佐和山城です。


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天秤櫓からさらに石段を登っていく


マナブ:天秤櫓を出ました。また石段ですね。


歴史先生:山頂までもうすぐです。がんばりましょう。


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太鼓門櫓(国指定重要文化財)


マナブ:次の門が出てきました。


歴史先生:これは太鼓門櫓。昔はここに太鼓を置いて城内の合図に使ったとか。


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太鼓門櫓を裏側から見る。いよいよ天守閣も見え始めた。


歴史先生:太鼓門をくぐったら、ぜひ裏側も見てください。裏側は開放的な作りになっていて、櫓としては非常に珍しい。


マナブ:あ、あれは天守閣ですよね?


歴史先生:はい、太鼓門をくぐって、折り返したところに天守閣が立っています。


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彦根城天守閣(国宝)


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ひこにゃんと記念写真をどうぞ


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南側から見た天守閣


マナブ:さぁ、いよいよ有名な彦根城天守閣に来ました。


歴史先生:どんな印象ですか?


マナブ:美しい。そして思ってたよりもちょっとコンパクト?


歴史先生:そうですよね。姫路城などをイメージすると、かなり小ぶりな印象を受けます。元々は大津城の天守閣だったと言われていますから。ではなぜ美しい、という印象になったと思いますか?


マナブ:えーっと、まず目立つのがあそこに付いている金色のキラキラの装飾。


歴史先生:そうですよね。ほかには?


マナブ:さぁ、何だろう?


歴史先生:美しさの秘密は破風(はふ)の数の多さです。


マナブ:はふ?


歴史先生:ほら、あの飾り屋根のこと。こちら側にも南側にもたくさん付いていますよね。


マナブ:あ、そういえば多い。


歴史先生:しかも切妻破風、入母屋破風、そして優雅なカーブを持った唐破風、と3種類を使っている。そして唐破風には金色の装飾まで付け加えられています。


マナブ:なるほど。


歴史先生:さらに言えば花頭窓(華頭窓、かとうまど)。ほら、お寺でみるような独特の形の窓でしょ?


マナブ:あ、ほんとだ。気が付かなかった。


歴史先生:最上階には高欄付きの廻り縁があって、展望台として外に出られそうにも見えますが、あれも飾りなんです。


マナブ:へぇー。ずいぶんと装飾に凝ったデザインなんですね。


歴史先生:天守閣の外観デザインでは無粋なものを隠すことが徹底されています。例えば、鉄砲を撃つ狭間(さま)が見あたりませんが、実は城内にはその用意があり、いざという時に漆喰の壁をぶち破ると狭間が出現したりするんですよ。


マナブ:それだけ美しさが必要だったんでしょうか。


歴史先生:城の守りの強固さは一流ですが、政治的な側面から、一流の美しさを持った天守閣も必要だったのかもしれません。


マナブ:それで国宝なんですね。


歴史先生:まず、日本には昔のままの姿で残っている天守閣は非常に少ない。


マナブ:いくつくらいあるんですか?


歴史先生:江戸時代以前からあるものを「現存12天守」、と呼んでいます。


弘前城(青森県弘前市)

松本城(長野県松本市)

丸岡城(福井県坂井市)

犬山城(愛知県犬山市)

彦根城(滋賀県彦根市)

姫路城(兵庫県姫路市)

松江城(島根県松江市)

備中松山城(岡山県高梁市)

丸亀城(香川県丸亀市)

松山城(愛媛県松山市)

宇和島城(愛媛県宇和島市)

高知城(高知県高知市)


マナブ:なるほど。でもなぜそんなに少ないんですか?


歴史先生:それは明治になってから廃城令で多くの城が取り壊されたからです。さらに太平洋戦争の空襲では町の中心部の城が焼かれてしまいました。


マナブ:彦根城はその中で奇跡的に残った。


歴史先生:彦根城も実は明治の廃城令の対象だったんです。でもたまたま明治天皇がここを通られた時に随行していた大隈重信が彦根城の美しさに感激し、この城だけは残すよう明治天皇に進言した、ということだそうです。


マナブ:大隈重信さんの功績ですね。まさに奇跡的に残ったわけだ。


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天守閣内部の階段


マナブ:では中に入りましょう。わー、いきなり急な階段だ。


歴史先生:現存している天守ではよくある話ですね。


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天守閣の内部


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天守閣からの眺め。眼下に玄宮園が広がる。


マナブ:天守閣は3階建て。展望フロアはありません。窓から外の景色を眺めています。


歴史先生:では1階へ下りていきましょう。


マナブ:上から見るとこの階段の急なことがさらによくわかります。ほぼ垂直な感じです。ここは年を取ってからの観光は難しいかも。


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天守閣内の階段を上から見る


彦根城の中にある絶景の名園:玄宮園


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天守閣から玄宮園へはこの山道を下りていく


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下から見ると石垣の高さに驚く


歴史先生:帰り道は天守閣の裏の山道を下りていきましょう。この下には玄宮園(げんきゅうえん)があります。


マナブ:先ほど上から見えていた庭園ですね。


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名勝 楽々園


歴史先生:下りたところにあるのは「楽々園」。まずはこちらを見ましょう。


マナブ:これはどういうところですか?


歴史先生:こちらは第4代藩主直興によって建てられた下屋敷。のちに隠居所としても使われるようになって、井伊直弼はここで生まれています。


マナブ:とても立派な建物ですね。


歴史先生:ケヤキでできていて、「槻(けやき)御殿」とも言われ、当時の人々を驚かせたそうです。


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名勝 玄宮園


歴史先生:さぁ、そのとなりにあるのが玄宮園です。江戸中期に造られた大規模な池泉回遊式庭園。


マナブ:いやー、これは絶景。


歴史先生:大きな池と、中央にある茶室。そして何といっても山の上にある天守閣がすばらしい絵を作っています。


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このように橋を手前に置く構図もいい


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「るろうに剣心」のロケ地


歴史先生:ところで、「るろうに剣心」の映画、見ました?


マナブ:はい、好きで全部見てます。


歴史先生:ここ、ロケ地なんですが、何のシーンかわかりますか?


マナブ:え? ここの長い壁があるところ? うーん、さすがにわかりません。


歴史先生:神木隆之介さん演じる瀬田宗次郎が、馬車に乗った大久保利通を襲撃する場面。彼があの塀の上を走って飛び掛かります。


マナブ:あっ、そういえばそうだ。ここです、ここです。


歴史先生:それだけこのあたりは絵になる風景が残っているんだと思います。目の前のお堀をゆっくり巡る遊覧船も出ていますよ。


マナブ:とってもいいところですね。


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遊覧船乗り場


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お堀端のヒガンバナ


歴史先生:彦根城、いかがでした?


マナブ:さすが国宝、とても見ごたえがありました。お城というのは本来は軍事施設だと思いますが、天守閣も庭園も、ここ彦根城の美しさは格別ですね。


映画を見て「これ、どこ?」と思った人も。他にはない異空間:天寧寺


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天寧寺と駐車スペース


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天寧寺 (地図 ❷)

〒522-0022 滋賀県彦根市里根町232

拝観料400円

9:00~16:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/561/


マナブ:彦根城から車で10分ほど。彦根の東側の山沿いにある天寧寺(てんねいじ)というお寺に来ています。狭い道を登っていくとお寺のすぐ横に砂利のスペースがあり、ここに車を停めてもよいようです。


歴史先生:ここは井伊家ゆかりのお寺です。第14代藩主の井伊直中、この人は井伊直弼のお父さんですが、この人がある事件をきっかけに建てたお寺です。


マナブ:ある事件とは?


歴史先生:井伊直中はある時、自分に仕えている腰元の若竹という女性が、自分以外の子を宿したと知って激怒します。


マナブ:そこまではよくありそうな話ですね。


歴史先生:それは藩の法度に違反するということで、なんと死罪にしてしまいました。


マナブ:うーん、ちょっと厳しすぎるかも。


歴史先生:でもそのあと、実は相手は自分の子である井伊直清(井伊直弼のお兄さん)であったことが判明。おなかの子は直中の孫だったことがわかります。


マナブ:悲しい話です。


歴史先生:井伊直中は自分の過失を悔い、若竹と孫の菩提を弔うため、ここに寺を開きました。本堂は1811年、羅漢堂は1828年に建てられた、江戸後期の建築です。


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石州流庭園


歴史先生:羅漢堂と本堂の間には、石州流庭園という枯山水の庭があります。これは井伊直弼が非常に好んだ庭だとか。


マナブ:この庭を見ていると、心静かに時を過ごせそうです。


歴史先生:ところで、天寧寺の一番の見どころと言えるのは五百羅漢、です。羅漢堂の中に入ってみましょう。


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天寧寺の五百羅漢


歴史先生:どうですか?


マナブ:さっきから圧倒されて、無言になっていました。堂内にいるのは私たちだけ。とっても静かな空間の中で、たくさんの仏様に囲まれている。何だか異世界にいるような、不思議な空気を感じます。


歴史先生:この不思議な空気感。それが映画監督さんのセンスにもマッチしたのでしょう。百済寺の時にもお話した映画「関ケ原」において、ここもロケ地として使われました。しかもそれは非常に重要なシーン。映画の冒頭、狩りの途中で寺に寄った秀吉に、寺の小坊主の石田三成が茶を三杯、持ってくるという有名な話の場面です。


マナブ:無名の三成が秀吉によって見いだされる、というシーンですね。


歴史先生:この旅の後の方で、そのシーンがあった本物のお寺にも行きますので、詳しくはそこでお話しましょう。


マナブ:お、それは楽しみです。


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羅漢堂の外観


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井伊直弼供養塔


マナブ:羅漢堂から外に出てきました。立派な外観のお堂ですね。


歴史先生:羅漢堂の脇に井伊直弼供養塔があります。桜田門外で暗殺された後、その血染めの遺品は彦根に送られ、ここ天寧寺に納められているんです。この寺は彼のお気に入りの場所でした。


マナブ:そうでしたか。井伊家ゆかりの寺、という意味が良くわかりました。


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天寧寺からは彦根城天守閣(中央奥の丘の上)も見える


芸能関係者が参拝する「千代神社」の祭神はやっぱりあの神様だった


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千代神社


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千代神社 (地図 ❸)

〒522-0081 滋賀県彦根市京町2丁目9−33

境内自由、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.hikoneshi.com/sightseeing/article/chiyojinja


マナブ:彦根市の市街地にある千代神社に来ています。鳥居の脇の狭いところから境内に車を入れて停めました。比較的小さな神社ですが?


歴史先生:ここはとても重要な神社なのでお連れしました。


マナブ:というと?


歴史先生:倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)、この人は奈良の箸墓古墳の埋葬者ではないか、と言われている人ですが、その誕生を機に彦根に勧請されたのが最初。


マナブ:とんでもなく古い話、ですよね?


歴史先生:ほとんど神話の世界に近く、実在したかどうかもよくわからない時代です。一度は廃れますがその後、5世紀前半の履中天皇の時代に再建。


マナブ:それでもすごく古い。


歴史先生:時代はぐっと下がって、石田三成が佐和山城に入る際に、場所を今の彦根城の近くに移したのだとか。


マナブ:それはだいぶ新しい話になってきました。


歴史先生:そして今度は彦根城を築城するために元の佐和山城の方へ戻しました。ところがその隣にセメント工場ができて・・・


マナブ:また急に時代が進んだ。


歴史先生:その公害から逃れるために、今の彦根市街の場所に移転しました。1966年(昭和41年)の話です。


マナブ:ずいぶんあっちこっちに移されて、ようやく今の場所に落ち着いたんですね。


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千代神社 本殿 (国指定重要文化財)


マナブ:ということは建物も新しい?


歴史先生:いえ、本殿の建物は元の場所から持ってきたもので相当古いようです。国指定重要文化財になっています。


マナブ:おぉ。それはすごい。


歴史先生:この神社ですが、俳優など、芸能関係者のお参りがとても多いことで有名なんです。


マナブ:え、それはなぜだろう? 誰を祀った神社なんですか?


歴史先生:日本で最初に踊りを踊って、神話の神様たちを魅了した人がいます。


マナブ:というと?


歴史先生:あるとき、天照大神は天の岩戸に隠れてしまいましたよね。その時に・・・


マナブ:女性の誰かが裸で踊りを踊って、みんながワーワーよろこんで、天照大神は「何だろう」と思って岩戸を少し開いて覗いてみようとして、それで力持ちの神様に扉を開けられた、という話がありましたね。


歴史先生:その時踊ったのは「天宇受賣命(アマノウズメ)」です。猿田彦の奥さんと言われます。このことから、アマノウズメは芸能の始祖神として崇拝され、その後も歌舞伎役者や俳優などから厚い信仰を受けているんです。


マナブ:では千代神社の祭神はアマノウズメ。


歴史先生:はい、主祭神はアマノウズメ、そして猿田彦も祭神となっています。


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千代神社は石田三成ゆかりの神社でもある


歴史先生:ということで、天寧寺、千代神社という、彦根市内ではやや穴場的な場所にご案内しました。


マナブ:井伊家とか石田三成とか、知っている人たちが出てくる歴史スポットでした。滋賀県の歴史の濃さをあらためて感じますね。

​歴史好きのための観光ガイド
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