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登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
悲劇の関白 豊臣秀次の居城:近江八幡山城

近江八幡の名前の元になったとんでもなく古い神社とは

近江八幡を語る上で避けられない2人の偉人

年間400万人以上が来店するお菓子屋さん:ラ コリーナ 近江八幡

悲劇の関白 豊臣秀次の居城:近江八幡山城


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BIWAKOモニュメント


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マナブ:琵琶湖大橋を渡って、近江八幡へ向かって琵琶湖の湖岸をドライブしています。車窓左側にずっと琵琶湖が見えて、カーブを曲がるたびにその表情を変えてきます。とても気持ちのいいドライブコースですね。


歴史先生:本当にそうですよね。途中、BIWAKOモニュメントもありますので、立ち寄っていきましょう。


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日牟禮八幡宮の前の無料駐車場


ここへ行くにはカーナビには以下の住所を入力するとよい。

日牟禮八幡宮

〒523-0828 滋賀県近江八幡市宮内町257


歴史先生:さぁ、近江八幡につきました。古い町を観光するときはいつも「駐車場どうする?」となりがちですが、近江八幡の場合は観光の中心である日牟禮八幡宮(ひむれ はちまんぐう)の前の広い道の両側に車をたくさん停められます。嬉しいことに無料です。


マナブ:いいですね。ではこのあたりに車を停めて歩き始めましょう。


歴史先生:近江八幡を理解する上で、武家と商人、という2つの側面を考えましょう。


マナブ:というと?


歴史先生:まず、近江八幡という町は城下町です。近江八幡山城という、山の上にできたお城のふもとに開かれた町です。そこでまずは武士の立場からこのお城に登ってみましょう。続いてふもとの商人の町を歩くのですが、「近江商人」という言葉は聞いたことがありますよね?


マナブ:はい、言葉だけは。


歴史先生:ここ近江八幡は近江商人たちの拠点の1つ。彼らの歴史についても学んでいきましょう。


マナブ:なるほど。わかりました。


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八幡山ロープウェイ乗り場


歴史先生:今から登る八幡山ですが、標高285mあります。


マナブ:うっ。


歴史先生:でも大丈夫。ロープウェイで行きますよ。


マナブ:ほっ。良かった。


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八幡山ロープウェイ (地図 ❶)

〒523-0828 滋賀県近江八幡市宮内町

往復950円 (こども料金有)

9:00~17:00(上り最終16:30)、15分間隔で運転、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.ohmitetudo.co.jp/ropeway/


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八幡山ロープウェイ


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八幡山山頂駅


マナブ:ロープウェイで上まで来ました。


歴史先生:近江八幡山城というのは、ここの山頂に築かれた山城です。このロープウェイの駅あたりが二の丸、そして山頂に本丸を作って、さらに西の丸、北の丸、出丸、などが作られました。


マナブ:だれがいつ頃作ったんですか?


歴史先生:1585年、最初の城主は羽柴(豊臣)秀次、です。


マナブ:えーっと、秀次というのは秀吉の・・・・なんでしたっけ?


歴史先生:ここ、大事なポイントなので押さえておきましょう。秀吉にはしばらく子がいませんでした。そこで秀吉の姉の子供、すなわち甥っ子であった秀次を養子にして、秀吉の後継者にしたのです。


マナブ:なるほど。


歴史先生:秀吉は秀次のために八幡山城を造り、43万石の大大名としてここに君臨させます。新しい城、新しい町作りにワクワクした秀次は、織田信長の安土にならって楽市楽座をおこなって、城下町に商人たちを集めました。それが近江八幡。町の特徴としては琵琶湖から運河を作って水運を確保したことに尽きるでしょう。その水運の便を生かして、ここは物資の集積地として栄えるようになります。


マナブ:あ、それが写真でよく見るお堀ですね。


歴史先生:はい、「八幡堀」と呼ばれています。秀次はその後1591年に秀吉から関白の地位を譲られ、ますます秀吉の後継者としての地位を固めていくのですが、なんとそんな時、不幸が始まります。


マナブ:何があったんでしょう?


歴史先生:1593年に秀吉に子が生まれたんです。これが秀頼。ということで、秀吉は実の子のほうがかわいくなってしまった。秀次はだんだん邪魔者のように見えてきます。


マナブ:微妙な立場になってきましたね。


歴史先生:そして1595年、なんと秀次に謀反の疑いがかけられ、高野山へと追放されます。それに抗議した秀次は高野山で自害。秀吉は自分で秀次を追放しておきながら、自害するとまでは思っていなかったようです。後継者がいなくなるという事実、これが秀吉への大きなダメージとなってしまいました。


マナブ:なんだかとっても身勝手な話に聞こえます。


歴史先生:さらに悪いことは続きます。秀次には有力大名の娘たちがたくさん嫁いでいました。その数30数名。彼女たちは秀次の関係者として、なんと全員が京都三条河原に引き出されて首をはねられたそうです。中にはまだ秀次に会ってもいなかった東北の有力大名、最上義光の娘も含まれていたとか。


マナブ:狂ったような大虐殺・・・。


歴史先生:これによって秀吉から大名たちの心が離れ始めていきます。1592~1598年は朝鮮出兵を行っていた時期。国外政策でも国内政策でも、秀吉への疑問が渦巻いていたことでしょう。


マナブ:そういうことでしたか。


歴史先生:さて、八幡山城ですが、秀次が追放された後に京極高次が城主になります。しかし八幡山城はすぐに廃城となりました。京極高次はその後大津城に移されます。


マナブ:あ、大津城でその話がありましたね。でも待ってください、そうなると八幡山城ってすごく短かったような・・・


歴史先生:はい。わずか10年ほどしか使われませんでした。


マナブ:もったいない話ですね。


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瑞龍寺門跡


歴史先生:本丸の場所には今は瑞龍寺門跡が建っています。これは秀次のお母さん(秀吉の姉)が秀次の菩提を弔うために1596年に建てたもの。元々は京都にありましたが、1961年(昭和36年)に今の場所に移築されました。


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西の丸へ続く道


歴史先生:西の丸の方へも行ってみましょう。


マナブ:少し歩くと、開けたところに出てきました。


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西の丸から琵琶湖を見る


歴史先生:ここが西の丸。琵琶湖の眺めがいいですね。城として周囲の状況が良く見渡せる、というのは重要な条件です。


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ロープウェイ駅近くから見る近江八幡の町


マナブ:駅の方まで戻ってきました。近江八幡の町がきれいに見えています。


歴史先生:ではロープウェイで町へ下りましょう。


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中央に見える湖が「西の湖」。その向こう側の低い山が安土城、その奥の高い山が観音寺城。


近江八幡の名前の元になったとんでもなく古い神社とは


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日牟禮八幡宮 楼門


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日牟禮八幡宮 (地図 ❷)

〒523-0828 滋賀県近江八幡市宮内町257

境内自由

8:30~17:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://himure.jp/ 


歴史先生:さて、ロープウェイを下りたところにあるのが「日牟禮(ひむれ)八幡宮」、です。


マナブ:近江八幡、という町の名前はここから、ですか?


歴史先生:そのとおりです。とても由緒ある神社で、鎮座したのは131年、成務天皇が武内宿禰(たけうちのすくね)に命じて造営したと伝わっています。


マナブ:またまた、ものすごく古い神社がでてきましたね。


歴史先生:その後、275年に応神天皇が行幸された際、ここで日輪(太陽)の形を2つ見る、という奇瑞があり、それを記念して祠を建て、日群之社八幡宮と名付けたようです。


マナブ:太陽が2つ見えたから、日が群れる、それで「ひむれ」っていうことですね。ところでちょっと待ってください。応神天皇というと、神功皇后のお子さんで、宇佐八幡宮に祀られている祭神では?


歴史先生:そうです、そうです。ということは、ここは応神天皇自らが自分を祀る八幡社にした、ということになりますね。応神天皇を祀る宇佐神宮が建てられたのは725年ですから、それよりも450年も前のこと。


マナブ:本当だとしたらとてつもない歴史のある神社ですね。


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日牟禮八幡宮 拝殿


歴史先生:そして991年に正式に宇佐から八幡神を勧請しています。


マナブ:本人が建てた神社なのに、勧請の必要があったのかなぁ。そのあたり、ちょっと大人の事情なのか、なんだか複雑そうですね。


歴史先生:そうかもしれません。ところで八幡山城はすぐに廃城となりましたが、近江八幡は商人の町としてその後も発展し、神社もにぎわったようです。1600年には関ケ原で勝利した徳川家康が参拝し、多くの寄進をしたそうです。


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たねや


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クラブ ハリエ


歴史先生:では町の方へ歩いていきましょう。左側に和菓子店の「たねや」、右側に洋菓子店の「クラブ ハリエ」があります。


マナブ:どちらもオシャレで人気ありそうですね。


歴史先生:どちらも同じ「たねやグループ」のお店です。滋賀県を代表するお菓子の企業なんですよ。


近江八幡を語る上で避けられない2人の偉人


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白雲橋から見る八幡堀


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白雲橋のたもとにある鳥居。向こうに見えるのは白雲館(旧八幡東小学校)。


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マナブ:白雲橋(地図 ❸)に来ました。あ、これこれ。よく写真でこの景色、見ます。


歴史先生:八幡堀の両側に商家や蔵が建ち並ぶ、近江八幡を代表する景色ですね。


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八幡堀の遊覧船


マナブ:あ、船が来ました。


歴史先生:時間があれば、船でゆっくりと街並みを眺めるのもいいですよ。


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八幡堀の脇には石畳の遊歩道が整備されている


歴史先生:さて、近江八幡を歩く上で、2人の歴史上の偉人のことを避けては通れません。


マナブ:というと?


歴史先生:1人目は西川仁右衛門(にしかわ にえもん)。「ふとんの西川」の創業者です。


マナブ:もう1人は?


歴史先生:ウイリアム・ヴォーリズ。アメリカ人です。


マナブ:えっ? 外国人の名前が出るなんて想像してなかった。


歴史先生:まずは西川仁右衛門の話から。彼は南津田村の生まれ、と言いますから、八幡山の北側、さっきお城の西の丸から琵琶湖を眺めたときに麓にあった町のあたりです。彼は行商人として、奈良の名産の蚊帳や近江の名産であった畳表を天秤棒にかついで歩き、それらを必要とする遠くの村で売る、という商売をしていました。


マナブ:まずはほそぼそと、自分の足で稼ぐ商売だったんですね。


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西川甚五郎本店


西川甚五郎本店 資料館 (地図 ❹)

〒523-0837 滋賀県近江八幡市大杉町16

入場無料

10:00~17:00、火曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://nishikawa-omihachiman.jp/museum/


歴史先生:しかしそんな時、ここ近江八幡に新しい城ができることとなり、西川仁右衛門は工務監督として街づくりに参加。彼は八幡堀沿いの一等地を与えられ、そこに「山形屋」という店を開きました。その場所は現在、「西川甚五郎本店」として内部が公開されています。


マナブ:いいところに目を付けた、ということでしょうかね。


歴史先生:そうですね。その後自分たちで蚊帳の製造も始め、北陸や東海道沿いに販路を広げていきました。


マナブ:今では全国に販路が広がっていますね。


歴史先生:西川の歴史の中で大きかったのが、江戸日本橋への出店でしょう。1615年、大坂城夏の陣で豊臣家が滅亡した年に、江戸の日本橋に支店を構えます。商売なら大阪、と言われていた時代に、江戸の将来の発展を見越して江戸の一等地に店を構えたのです。


マナブ:また今度もいいところに目を付けたんですね。日本橋のどこにあったんだろう?


歴史先生:実は今でもありますよ。現在コレド日本橋になっているところ。日本橋西川本店、です。


マナブ:へぇー、まだあるんですね。


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新町通り(後方に見えるのは八幡山)


マナブ:おぉ、ここは時代劇でも使えそうな、風情のある通りですね。


歴史先生:はい。ここは「新町通り」と呼ばれており、近江商人たちが軒を並べています。ここに別の西川家があるので覗いていきましょう。


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旧西川家住宅(国指定重要文化財)

旧西川家住宅 (地図 ❺)

〒523-0871 滋賀県近江八幡市新町2丁目19

入場料 300円 (小中学生割引あり)

9:00~16:30(最終入場16:00)、月曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.omihachiman-shiryoukan-kawara.jp/nishikawake/


歴史先生:ここは西川利右衛門(にしかわ りえもん)の家。西川仁右衛門とは親戚筋にあたります。同じく蚊帳や畳表の商売で成功した近江商人の代表格の一人。


マナブ:商売道具やら、当時の商品だった畳表や蚊帳なども展示されていますね。


歴史先生:西川利右衛門が作った大文字屋は惜しくも11代で終わってしまいますが、その家はこうして資料館として残っていて、当時の近江商人の様子を今に伝えてくれています。


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旧西川家住宅の珍しい三階建ての土蔵(同様のものは全国で19棟しか残っていない)


マナブ:近江商人って、よく話に出ますよね。


歴史先生:はい。近江で商売している人という意味ではなく、近江をベースに全国で行商をしていた人たちを指します。出身地によって八幡商人、日野商人、高島商人、湖東商人、などが有名です。


マナブ:何か商売上手な秘訣でもあるんですか?


歴史先生:秘訣というよりも、すぐれた心構え、というべきでしょうか。最も有名なのが「三方よし」(さんぽうよし)、という言葉。


マナブ:それ、聞いたことがあります。


歴史先生:売り手よし、買い手よし、世間よし。直接の商売相手とのWin-Winだけでなく、社会的責任も果たす、ということになるでしょうか。


マナブ:現代にもそのまま通用しますね。


歴史先生:商人は変に皮算用するのではなく、本来の需要と供給を調整するということが本務であること。商人は質素倹約し、礼儀作法もきちんとすること。薄利多売をせず、長く商売できるようにすること。権力を持つ武士は遠ざけること。これらは近江商人の間で伝わってきた心構えです。


マナブ:武士のところを政治家に置き換えると、今でもそのまま通用しそうです。近江商人というのは単に商売上手、ということではなくて、今風に言えば高い倫理観に基づいてコンプライアンスを遵守し、サステナブルなビジネスを構築してきた人たち、と言えないでしょうか?


歴史先生:まさにそのとおりですね。現代に生きる私たちが、学ぶべきことも多いです。


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近江兄弟社


歴史先生:さて、もう一人の偉人はウィリアム・ヴォーリズ。時代はぐっと下がって、1905年(明治38年)のこととなります。


マナブ:アメリカ人、でしたね?


歴史先生:はい。ヴォーリズは八幡商業高校に英語教師として来日。しかしキリスト教を布教させようとして放課後に開いた聖書のクラスが地元の人たちから問題視され、解職されてしまいます。


マナブ:明治の中頃の日本って、まだそこまでの自由はなかった・・・。


歴史先生:そうですね。しかしヴォーリズはあきらめませんでした。アメリカから建築士を連れてきて設計事務所を開設。近江八幡の中で多様な洋風建築を手掛けました。いまでも「ヴォーリズ建築」として多くの洋館が残されています。でも彼が手掛けた事業は建築だけではありませんでした。マナブさんも多分これは知っていると思いますよ。


マナブ:え、何だろう?


歴史先生:塗り薬のメンソレータム、ご存じでしょう?


マナブ:はい、もちろん。子供のころから家にありました。


歴史先生:あれはヴォーリズが創業した「近江兄弟社」が、米メンソレータム社から日本での販売権を与えられたものなんです。ヴォーリズはこれを日本で売るにあたり、キリスト教会を利用することを考えました。


マナブ:というと?


歴史先生:全国の教会組織へ呼びかけ、メンソレータムの売り上げの一部を布教活動に寄付することを約束します。そのことでキリスト教会を通じてメンソレータムの名前が広まり、ついにはどのご家庭にもある常備薬としての地位を手に入れました。


マナブ:ほぉ、うまくやりましたね。


歴史先生:ヴォーリズはその後1964年(昭和39年)に84歳で亡くなるまで、日本で過ごしました。


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近江兄弟社のとび太とメンターム資料館


メンターム資料館 (地図 ❻)

〒523-0867 滋賀県近江八幡市魚屋町元29

入場無料

8:30-17:30、土日祝休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.omi8.com/sightseeing/around/181/


マナブ:あれ、ちょっと待ってください。ここにあるマーク、記憶にあるものとちょっと違います。缶の蓋の絵はもっとナースの女の子のような顔だったはず。それに名前が「メンソレータム」じゃなくて、「メンターム」になっています。


歴史先生:実は、近江兄弟社は1974年(昭和49年)に一度破綻してしまいます。その際にメンソレータムの販売権はロート製薬が買い取りました。


マナブ:あ、今売られているメンソレータムはロート製薬の製品、なんですね。


歴史先生:そうです。その後近江兄弟社は再建を果たし、メンソレータムと類似したメンタームという商品を製造販売しています。


マナブ:そういうことでしたか。


<読んでおきたい本>

童門冬二

「蒲生氏郷」


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タイトルは蒲生氏郷となっているが、内容は2つの物語が同時進行する。近江の日野という小さな町の領主であった蒲生家の嫡男、氏郷が信長の人質となることでその才能を見込まれ、戦国を代表する有能な武将に育つ物語。それと並行して、現代も続く老舗のふとんの西川の創業者である近江商人、西川仁右衛門をモデルにした人物とその子供たちが商人として成長していく物語がつづられる。信長、秀吉の時代の近江の武家、そして商人の歴史が良くわかる臨場感あふれる時代小説。近江八幡を訪れるなら読んでおきたい一冊だ。


年間400万人以上が来店するお菓子屋さん:ラ コリーナ 近江八幡


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ラ コリーナ近江八幡


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ラ コリーナ近江八幡 (地図 ❼)

〒523-8533 滋賀県近江八幡市北之庄町615−1

入場無料

9:00~18:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://taneya.jp/la_collina/ 


マナブ:近江八幡の町から車で5分ほど。何だか不思議なところに来ました。平日にもかかわらず大勢の人でにぎわっています。


歴史先生:ここは2015年にオープンした「ラ コリーナ近江八幡」。滋賀県内で菓子店を展開する「たねや」のお店です。


マナブ:さっき日牟禮八幡宮の前で「たねや」のお店、見ましたね。


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場内の案内看板


歴史先生:もともとここには厚生年金施設のホテルやプールがあったのですが、その跡地をたねやが買い取って、菓子店を開いたわけです。


マナブ:でもここ、菓子店というにはあまりにもイメージが違いすぎます。まるでジブリのテーマパークのような・・・。


歴史先生:まさにそうですね。建物はすべて植物で覆われていて、その中に菓子店やレストランなどが入っています。


マナブ:すごく思い切った投資だと思いますが、儲かってるのかなぁ?


歴史先生:ここの来場者数ですが、なんと年間で400万人を超えています。


マナブ:それって、どれくらい?


歴史先生:東京ディズニーランドの約1,500万人に比べると1/4程度。東京ドームの巨人戦入場者数は266万人ですから、それより多い。


マナブ:うわ。そんな比較対象と比べられるんですね。


歴史先生:それだけここがものすごい集客力を持ってるって、わかるでしょう?


マナブ:やっぱりここはお菓子屋さんではなくてテーマパークだ。


歴史先生:近江八幡は歴史好きの人にはとても興味深いところですが、一般にはどちらかというと地味なイメージのある観光地でした。しかしラ コリーナができてから、観光バスがひっきりなしに立ち寄る一大観光地になったんです。


マナブ:なるほど。1軒のお店がこれほどのインパクトを与えるのは珍しい。


歴史先生:近江八幡、いかがでしたか?


マナブ:豊臣秀次をはじめとする武家の歴史、そして近江商人たちの歴史の2つが混ざり合った、とても面白い場所でした。八幡堀や新町通りなど、昔のまんまの景色が残っているのも素晴らしいですね。


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正面から見たラ コリーナ近江八幡

​歴史好きのための観光ガイド
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