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登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
戦略的要衝「瀬田の唐橋」とヤマトタケルゆかりの大社

紫式部・源氏物語ゆかりの大寺院:石山寺


戦略的要衝「瀬田の唐橋」とヤマトタケルゆかりの大社


瀬田の唐橋



マナブ:さて、今日は瀬田川に来ています。


歴史先生:大津の東にある、琵琶湖から大阪湾に向かって流れ出す大河が瀬田川です。ここに架かっているのが「瀬田の唐橋」(地図 ❶)。今では近江大橋など何本かの橋がかかっていますが、かつてはこの川に架かる唯一の橋でした。


マナブ:東国の方から都へ向かって攻め上ると、必ずここを通らなければならない。


歴史先生:そうなんです。よって都から見ると、最後の防衛線、ともいえる場所です。壬申の乱ではここが激戦地となり、大海人皇子はようやくここを突破して、戦いに勝利しました。


マナブ:ここ、新幹線から右側の車窓に見えますよね。近くで見ると近代的な橋になっていますが、新幹線から見ると昔の雰囲気のある橋だなって思っていました。


歴史先生:はい、そんな配慮のあるデザインになっていますね。ところでここは「近江八景」の1つになっています。


マナブ:近江八景?


歴史先生:はい、室町時代に中国湖南省の洞庭湖の八景にちなんで時の関白によって選ばれたもので、江戸時代に安藤広重の浮世絵によって広く知られるようになりました。その1つ、「瀬田の夕照(せたのせきしょう)」はこちらで見られます。


「瀬田の夕照」滋賀県立図書館のWebページ

https://da.shiga-pref-library.jp/item/detail/?id=0500027


マナブ:なるほど、中の島のようなところも含めて、今の景色とよく似ています。ちょっと川幅が誇張されすぎの感もありますが・・・。


歴史先生:そうですね(笑)。では昔の様子を想像しながら、渡って向こう岸へ行きましょう。


建部大社 神門


建部大社 (地図 ❷)

〒520-2132 滋賀県大津市神領1丁目16−1

入場無料

5:00~17:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://takebetaisha.jp/ 


マナブ:瀬田の唐橋を渡ってすぐ、大きな神社が見えてきました。


歴史先生:これが「建部大社」です。


マナブ:おっ、1つ目の「大社」だ。


歴史先生:そうです、そうです。この建部大社、ヤマトタケルを祀っているのですが、実はものすごく古い。


マナブ:どれくらい古いんですか?


歴史先生:創建は西暦116年と言われています。


マナブ:それは古い(笑)。


歴史先生:以前は別の場所にあったらしいのですが、壬申の乱に勝利した天武天皇が675年にこの地に移したそうです。


マナブ:それでも十分古い。


歴史先生:その後さらに大和の大神神社から大己貴命(おおなむちのみこと)を勧請してヤマトタケルと合祀し、近江国一之宮、となりました。


マナブ:さらにパワーアップした、っていう感じでしょうか。


歴史先生:そうでしょうね。時代はさがって、源頼朝が平家に追われた際、建部大社に立ち寄って参拝をしたそうです。その後平家を打倒し、ここに戻ってきた際には頼朝が多くの寄進をしたのだとか。


マナブ:それまでの話が古すぎて、なんだか頼朝の話がずいぶん新しい話のように聞こえます(笑)。


建部大社 拝殿


建部大社 本殿・権殿


歴史先生:神門をくぐって境内に入ると中央に拝殿があり、その後ろが本殿です。


マナブ:あれ、本殿が2つありませんか?


歴史先生:そうなんです。本殿が双子のような建物になっていて、左側がヤマトタケルを祀る本殿、右側は大己貴命を祀る建物で、「権殿(ごんでん)」と呼ばれています。珍しい形ですね。


マナブ:あ、本殿の後ろ側にも回り込めそう。


歴史先生:はい。ここでぜひ見てほしいものがあるので、行ってみましょう。


マナブ:何だろう?


菊花石


歴史先生:はい、これです。特別天然記念物の「菊花石」。


マナブ:何です、これは? 工芸品?


歴史先生:いえいえ、これ、自然の石なんですよ。


マナブ:え、でも菊の模様がこんなにはっきりと・・・。


歴史先生:不思議ですよね。天皇家の象徴である菊のご紋がこんなにはっきりと出ているなんて。


マナブ:どうやったらこんな模様ができるんですか?


歴史先生:私も詳しくないのですが、火山性の岩の割れ目に炭酸カルシウムが沈着して、それが方解石として成長して、石英などに置き換わったもの、なんだそうです。それでもこんなに大きくてはっきりしたものはとても珍しいんだとか。


マナブ:へぇー。自然の造形って、すごいですね。

             

建部大社本殿


紫式部・源氏物語ゆかりの大寺院:石山寺


硅灰石(けいかいせき)の上に建つ国宝の石山寺多宝塔



石山寺 (地図 ❸)

〒520-0861 滋賀県大津市石山寺1丁目1−1

入場 一般1,000円(入山+本堂内陣拝観セット券)、団体・小中学生割引あり

8:00~16:30 (最終入場16:00)、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.ishiyamadera.or.jp/ 


マナブ:瀬田の唐橋から瀬田川沿いを車で5分ほど下ったところにある、石山寺に来ました。


歴史先生:まず、「石山寺」という名前ですが、ここは天然記念物に指定されている硅灰石(けいかいせき)の大規模な露出が見られる特殊な地形。その地に聖なる観音様が降臨した、ということで、そのような名前になったようです。


石山寺の境内案内図


マナブ:この案内図を見ると、いくつか白い岩がむき出しになっている場所が見えます。これが硅灰石ですね。そして境内はかなり広そう。


歴史先生:はい、そうです。そしてアップダウンがすごい。東大門から入るのですが、そのあと本堂の方へは右側の急な階段を登らなければなりません。その後も多宝塔や梅園のあたりへはさらに坂を登っていきます。


マナブ:足腰が丈夫でないと参拝するのも大変ですね。


歴史先生:今回の滋賀の旅は特にそんな場所が多いような気がします。頑張ってついてきてくださいね。


東大門。ここが入口。門前には飲食店やお土産店が並ぶ。


マナブ:ここが東大門ですね。


歴史先生:はい、ここから入りましょう。


東大門から続く道


道沿いにはこんな雅(みやび)なセッティングも見られる


マナブ:東大門から中へ入りました。この道、とても素敵ですね。


歴史先生:平安時代の雰囲気が出ていますね。さぁ、まもなくチケットオフィスです。チケットを購入して中に入りましょう。


本堂のある地区へ昇る石段


マナブ:あ、これですね。階段。


歴史先生:はい。本堂のある地区へはこの階段を上っていきます。


石段を上った先の広場


マナブ:ふぅー。結構傾斜のきつい石段でした。登りきったら、少し広いところへ出てきました。


歴史先生:正面奥を見てください。石山寺のシンボル、国宝の多宝塔が見えています。


マナブ:おー。これはいい。


歴史先生:そしてその土台になっている岩の群れが硅灰石です。


マナブ:なるほど。よくわかります。


石山寺本堂(国宝)の入口付近


裏の道から見上げた本堂


歴史先生:では国宝である本堂へ行きましょう。


マナブ:あ、ここも清水寺みたいな舞台造りですね。


歴史先生:はい。懸造り(かけづくり)という言い方をしたりもします。石山寺は東大寺の大仏を作ったことで有名な聖武天皇の発願で747年に創建され、本堂は762年に建てられました。


マナブ:年代的には奈良時代、平城京だったころですね。


歴史先生:はい、そうです。しかしこの本堂はその後平安時代の1,078年に落雷で焼失。1,096年に再建されたものが今の本堂です。でもこれは滋賀県では最古の建物なんですよ。


マナブ:その建物の中に入れるなんて、貴重ですね。


歴史先生:紫式部は970年代の生まれで源氏物語が書かれたのは1,000年代初めですから、彼女が訪れたときは、まだ前のオリジナルの建物が残っていたはずです。


マナブ:紫式部がここに来たんですか?


歴史先生:石山寺は京都の清水寺、奈良の長谷寺と並んで平安時代に観音信仰の中心地だった場所。当時は「石山詣で」が京都の貴族の間で流行していたんです。石山寺は特に女流文学者との縁が深く、「蜻蛉日記」の作者である藤原道綱の母が参詣した記録も残っていますし、紫式部はここ石山寺で源氏物語の構想を得て執筆を始めた、と言われています。


マナブ:えっ、ここで書き始めた?


歴史先生:紫式部はここに7日間滞在し、琵琶湖の湖面に映る十五夜の満月を見て、都から須磨に流されて悲しく月を見上げる美しい貴公子、というイメージが湧き、それで源氏物語を書き始めたのだとか。須磨明石の2条はここで書かれたと言われています。



石山寺本堂にある「源氏の間」


マナブ:あっ、紫式部がいますよ。


歴史先生:はい、ここは源氏の間と呼ばれていて、紫式部が滞在した部屋、とされています。


石山寺の庭園内にある紫式部の像


歴史先生:裏山の庭園を歩くと、紫式部の像があります。


マナブ:それだけ紫式部ゆかりの寺、というわけなんですね。


歴史先生:ところで、石山寺のご本尊、には全国で唯一の特徴があるんです。


マナブ:えっ、何だろう? さっき観音信仰、と言われていましたから、ご本尊は観音様ですよね?


歴史先生:はい、如意輪観世音菩薩、がご本尊で、オリジナルは奈良時代に彫られたものの火災で失われ、現在のご本尊は1096年ごろ、本堂の再建に合わせて作製されたものです。高さが5mもあり、秘仏とされています。


マナブ:大きいですね。でも秘仏であること自体は珍しくないと思いますが、何が全国唯一の特徴なんですか?


歴史先生:この像は全国で唯一、「勅封秘仏(ちょくふうひぶつ)」なんです。


マナブ:勅封秘仏?


歴史先生:「勅」という字は天皇のことを表しますから、天皇の命によって秘仏になっているものなんです。


マナブ:なぜ天皇の命でそうなったんですか?


歴史先生:そこはよくわかっていないんです。寺に残る記録では、花山天皇の985年から33年ごとに御開帳(=正式には開扉(かいひ)という)がなされ、現代まで続いています。また、新しい天皇が即位するとその翌年にも特別にご開帳がされます。


マナブ:昔からの伝統を守っているんですね。


歴史先生:なお、花山天皇は紫式部と同時代の天皇で、石山寺とは深いかかわりがあったのかもしれません。そのためでしょうか、33年という厳格なルールがあるにもかかわらず、花山天皇が亡くなって1,000年にあたる2009年には特別にご開帳がされていました。


マナブ:謎の多い寺でもあるんですね。



多宝塔(国宝)


歴史先生:では次は平安時代末から鎌倉時代へと時代を下りましょう。


マナブ:多宝塔のところへやって来ました。


歴史先生:どうです、この均整の取れた美しさ!


マナブ:庇の曲線や長さ、塔の高さなど、まさに黄金比のような美しさを感じます。


歴史先生:この塔は1194年、源頼朝によって寄進されたものです。国宝です。


マナブ:あ、頼朝さん、さっきの建部大社でも寄進していましたが、ここでも、なんですね。


歴史先生:日本で最古の多宝塔であり、最も美しい多宝塔、とも言われています。


月見亭


月見亭から見る瀬田川


歴史先生:多宝塔のすぐそばにあるのが「月見亭」です。


マナブ:誰か偉い人が月見をする場所、ですか?


歴史先生:はい、後白河天皇が行幸された際に建てられました。1156~1158年ごろの話です。


マナブ:後白河さんといえば、法皇として平清盛との確執が有名ですよね?


歴史先生:はい、この月見亭ができたのは後白河がまだ天皇だった時代、頼朝はまだ10歳だったころの話です。


マナブ:ここからは瀬田川が見下ろせますね。


歴史先生:この景色もまた、近江八景なんですよ。「石山の秋月(いしやまのしゅうげつ)」です。


マナブ:あ、また出ましたね、近江八景。


石山の秋月

https://da.shiga-pref-library.jp/item/detail/?id=0500028


鎌倉時代の懸造りの技法を再現した光堂


蓮如堂(国指定重要文化財)


毘沙門堂(手前)と御影堂(奥、国指定重要文化財)


歴史先生:広い境内を歩くと、まだたくさんのお堂、文化財があります。ここはゆっくりと時間をかけて歩いてほしいですね。

​歴史好きのための観光ガイド
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