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東京都 多摩 島しょ部 アイテムタイトル その1_1.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。

 

激しい高低差を生かした岩崎家の立体的な名園

きれいな水の湧き出る国分寺崖線(ハケ)に沿って歩く

かつては高さ60mの七重塔が輝いていた:武蔵国分寺

激しい高低差を生かした岩崎家の立体的な名園


殿ヶ谷戸庭園



マナブ:今日は国分寺駅に来ています。


歴史先生:ここへは来られたことはありますか?


マナブ:いいえ、中央線で通過したことは何度もありますが、降りるのは初めてです。


歴史先生:ここは地形と歴史の両方を楽しめる、とても面白い場所なんですよ。


マナブ:そうなんですか。楽しみにしておきます。


国分寺駅 南口


歴史先生:では国分寺駅の南口から歩きましょう。最初の目的地はすぐにありますよ。


殿ヶ谷戸庭園の入口


殿ヶ谷戸庭園(地図 ❶)

〒185-0021 東京都国分寺市南町2丁目16

入場料150円(シニア割引あり、小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料)

9:00~17:00(最終入場16:30)、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.tokyo-park.or.jp/park/tonogayato/


マナブ:あれ、すぐ着きました。駅から近いんですね。


歴史先生:ここは「殿ヶ谷戸庭園」。さっそく中へ入ってみましょう。


大芝生


マナブ:内部に入ってきました。意外と洋風な感じで、芝生が広がっています。ここはどういう建物なんですか?


歴史先生:元々は貴族院議員の江口定條の別荘でしたが、1929年(昭和4年)に岩崎彦弥太が買い取りました。


マナブ:岩崎、というと三菱の創業家?


歴史先生:そうです。岩崎彦弥太は三菱創業者の岩崎弥太郎の孫にあたります。東京には岩崎家の別邸がたくさんあり、主なものとしてはまずは湯島の旧岩崎邸。


マナブ:そこ、行きました。


歴史先生:それから六義園。さらには清澄庭園。


マナブ:えっ、そんなところまで? 岩崎家、すごすぎる。


歴史先生:三菱財閥がいかにすごかったかを感じる1つの事実ですよね。さて、ここを買い取った岩崎彦弥太は母屋を立て替えます。それが今の本館。


本館


本館から見える芝生の庭が美しい


マナブ:本館の中は展示室になっていますね。この庭園や岩崎家の歴史に関する資料が展示してありました。でも私が特に興味をもったのは国分寺崖線。名前は聞いたことがありましたが、これまでよく知りませんでした。


国分寺崖線の説明パネル


歴史先生:国分寺崖線は立川から国分寺、小金井、調布(深大寺付近)、そして二子玉川へと続くながーい崖。多摩川が何万年もかけて武蔵野台地を削ってできました。 その崖は「ハケ」と呼ばれていて、きれいな湧き水が出ることで古代から人々の生活に寄与してきました。


マナブ:湧き水が出るということは、たぶん地層に関係していますね。


歴史先生:そうなんです。関東の元々の地層の上には有名な関東ローム層が積もっています。


マナブ:関東ローム層ってよく聞きますが、何なんですか?


歴史先生:関東平野には広範囲に箱根山や富士山の大噴火による火山灰が積もっています。その火山灰が風化したものが関東ローム層で、水をよく通します。ここに沁み込んだ水が、その下の水を通しにくい元々の地層(主にシルト層と呼ばれる粘性土)に当たって溜まり、崖から湧き出て来るという仕組みです。


マナブ:なるほど。単に崖だから水が出るんじゃなくて、ちゃんと地層的な裏付けがある、ということなんですね。


歴史先生:はい。箱根山と富士山がもたらした関東の恵みと言えるでしょう。


マナブ:で、ここは国分寺崖線の崖のすぐ上?


歴史先生:そうなんです。こちらの地形図を見てください。



マナブ:なるほど、ずっと崖が続いているんですね。


歴史先生:今日はこの崖沿いに歩いていきます。国分寺崖線をたっぷりと見ていただけますよ。この殿ヶ谷戸庭園は崖をうまく利用した立体的な庭園です。では外に出て庭園内を歩いてみましょう。


森の中の道を進む


紅葉亭


マナブ:森の中の平坦な道を歩いていきます。


歴史先生:また建物が見えてきました。これが紅葉亭。岩崎彦弥太が建てた茶室です。さて、ここ紅葉亭の前の景色を見てください。


紅葉亭前から池を見下ろす


マナブ:うわー、すごい落差。写真では見づらいかもしれませんが、すごい急斜面です。


歴史先生:右下のほうに見えるベンチまで、あそこでも10mくらいの高低差はあるでしょうか。そこから池にはさらに下りていきますので、全体で20mくらいあるように見えます。


マナブ:いやー、今まで見てきた大名庭園とはまったく違う、立体的な庭園ですね。


歴史先生:高台の芝生。崖下の湧水を生かした池。まさに国分寺崖線の地形をうまく生かした庭園だ、ということが言えるでしょう。


マナブ:ほんと、納得です。


歴史先生:かつて、ここ国分寺にはたくさんの別荘がありました。いまでは住宅地に変わっていますが、きれいな水の出るハケがあって、静かな武蔵野の森が広がっている、そんな素敵な別荘地だったに違いありません。ここ殿ヶ谷戸庭園はその別荘の雰囲気をもっともよく残している場所として、貴重な史跡だと言えるでしょう。


きれいな水の湧き出る国分寺崖線(ハケ)に沿って歩く


国分寺駅から南側へ坂を下りていく



歴史先生:ではここから南側へ、坂を下りていきましょう。


マナブ:この坂は国分寺崖線の高低差によるものですか?


歴史先生:はい。坂の地形に沿って斜めに下りていく道です。


野川にかかる不動橋


マナブ:坂を下りると川があります。


歴史先生:これが野川。国分寺駅の反対側、北口のほうに森に囲まれた日立の中央研究所があるのですが、そこを源流としています。ここから国分寺崖線沿いに流れて、深大寺の近くを通り、二子玉川あたりで多摩川に合流します。


マナブ:この場所は川がクランクのような形になっていますね。


歴史先生:はい。今から行く湧水群からの湧き水と野川がこの場所で合流しているのですが、昔の人はそこに堰を作って水を一旦止めて、水田に水を引き込んでいました。


標識に沿って歩こう


歴史先生:ここからしばらく住宅街の中を抜けていきます。


マナブ:標識が整備されていますね。これに沿って歩けばたどり着きそう。


お鷹の道


歴史先生:さぁ、「お鷹の道」(地図 ❷)にやって来ました。


マナブ:住宅の裏を抜ける、細い道です。脇に小川が流れています。水が透き通っていて、きれい。


歴史先生:そうですよね。湧水群からの湧き水がここを流れているんです。


お鷹の道は表情を変えながら続く


マナブ:ところで「お鷹」というのはどういう意味なんでしょう? ここに住んでいた女性の名前とか?


歴史先生:いいえ。このあたりは江戸時代、尾張徳川家の「御鷹場(おたかば)」、すなわち鷹狩の場所に指定されていたんです。そこでいつからか、この道を「お鷹の道」と呼ぶようになりました。


マナブ:ここは鷹狩の場所だったんですね。


真姿の池 湧水群入口


マナブ:さて、右側に雰囲気のある道が出てきました。きれいな小川も流れてる。「真姿の池 湧水群」(地図 ❸)と書かれていますね。


歴史先生:はい。ここはハケから水が湧き出ている場所の1つ。近くまで行ってみましょう。


水が勢いよく流れている


崖の下の部分から水が湧き出ているのを観察でき


マナブ:一番奥まで来ました。ここから先は崖ですね。


歴史先生:はい。これがまさに国分寺崖線。ハケ、と呼ばれてきた地形です。その崖の一番下のところから、水が勢いよく湧き出しているのが見えますよ。


マナブ:ほんとだ。あぁ、ここは本当にわかりやすい。国分寺崖線が何なのか、とってもよくわかりました。


「真姿の池」は湧き水のすぐ脇にある


美しい水をたたえる真姿の池


歴史先生:ではここにある真姿の池を見ていきましょう。ここには伝承があるんです。


マナブ:というと?


歴史先生:平安時代、玉造小町という美しい女性がいました。しかし彼女は不治の病に侵されていたんです。


マナブ:ふむふむ。


歴史先生:玉造小町は(お寺としての)国分寺に21日間参詣して、病気平癒を祈願しました。すると彼女の前に童子が現れ、この池に案内します。そしてこの水で身を清めるよう、勧めました。実際に彼女がそうしてみると病気はたちまち治り、元の美しい姿に戻りました。


マナブ:なるほど。それで元の姿ということで「真姿」の池。


歴史先生:はい、そういうことです。江戸時代後期に編集された「新編武蔵風土記稿」にもこの池と弁天堂のことが記されています。


池には弁天様が祀られている


マナブ:玉造小町のお話がどこまで本当のことだっだのかはわかりませんが、それだけここの水がきれいで大切にしないといけない、ということを後世まで伝えようとしていたんじゃないですかね。


歴史先生:はい、そうかもしれませんね。



かつては高さ60mの七重塔が輝いていた:武蔵国分寺


現在の武蔵国分寺



歴史先生:さて、ここまで国分寺崖線の地形を主に見てきましたが、ここからは歴史がメインになります。


マナブ:いいですね。


歴史先生:ここは東京都国分寺市。


マナブ:ということはかつて国分寺があった場所、ということになりますよね。


歴史先生:はい。国分寺は全国にあったわけですが、いつごろできたと思います?


マナブ:えっ、いつだろう? えーっと、平安時代、とか?


歴史先生:いえいえ。それよりずっと古くて、奈良時代。741年に聖武天皇が全国に国分寺を作るよう指示を出したんです。


マナブ:ほぉー、そんな前ですか。聖武天皇というと東大寺や大仏を作った人?


歴史先生:そのとおりです。聖武天皇は仏教に深く帰依し、国ごとに国分寺を建てて、そこに自らが書き写した経文を納めさせました。


マナブ:それによって日本全国を統治しようと。


歴史先生:当時は飢饉に加えて疫病(天然痘)も流行しており、社会不安が増大していました。そこで聖武天皇は日本全国を仏教の力で統治しようとします。東大寺は各国の国分寺の総本山なんです。


マナブ:うーん、考え方はわかるのですが、それに必要なとてつもない予算はどこから来るんだろう?


歴史先生:いい見方ですね。そうなんです。あまりにもたくさんの寺院を建立したため、国家財政は危機に瀕します。たくさんの文化財を残して歴史に名を残す天皇ですが、当時生きていた人たちからの評判は決していいものではなかったでしょう。


お鷹の道湧水園の入口になっている旧本多家 長屋門


歴史先生:真姿の池のとなりに、お鷹の道湧水園という公園があります。武蔵国分寺跡資料館もこの中にありますので、入ってみましょう。


お鷹の道湧水園/武蔵国分寺跡資料館(地図 ❹)

〒185-0023 東京都国分寺市西元町1丁目13

入場料 100円(中学生以下無料)

9:00~17:00(最終入場16:45)、月曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.city.kokubunji.tokyo.jp/shisetsu/kouen/1005196/1004237.html


武蔵国分寺跡資料館


マナブ:資料館に入ります。ここには武蔵国分寺の資料やパネルがたくさん展示されています。


武蔵国分寺の模型


歴史先生:聖武天皇の指示によると、各国で好処(立地の良いところ)を選んで七重塔を建立するように、とありました。ここは国府であった府中にほど近く、ハケによる豊かな水の湧き出る景勝の地。国分寺を建立するのは最高の土地だったに違いありません。


マナブ:交通の便としてはどうだったんですか?


歴史先生:いいポイントですね。ここのすぐ西側と東山道武蔵路が通っていて、交通も便利な場所でした。


マナブ:模型を見ると、ずいぶんと広い敷地だったんですね。


歴史先生:そうなんです。武蔵国分寺は全国の国分寺の中でも最大規模を誇った大寺院。広い敷地の中央に立派な金堂(写真奥の左側)講堂(写真奥の右側)があって、手前には壮麗な七重塔。


マナブ:この塔はすごい。高さはどれくらいだったんでしょう?


歴史先生:推定で60mと言われています。


マナブ:とすると、今のビルで15~20階建てくらいかな? 奈良時代、ですよね? よくこんなものを建てたなぁ。


歴史先生:ちなみに東大寺にあった五重塔は高さ70mと推定されています。


マナブ:すごいなぁ。ちなみに現存する五重塔って、どれくらいの高さなんですか?


歴史先生:有名なところでは法隆寺の五重塔。あれは32m。それから京都の東寺の五重塔は55mあって、今でも日本で一番高い木造建築物なんです。


マナブ:東寺の五重塔ってすごく高いイメージですけど、あれよりもさらに高かったんだ。すごいとしかいいようがないですね。


七重塔の模型


歴史先生:庭園にはその七重塔の模型も展示してあります。


武蔵国分寺 案内図


武蔵国分寺 山門


歴史先生:では実際の武蔵国分寺に行きましょう。


マナブ:とはいっても跡地だけ、ですよね?


歴史先生:実際にあった場所は跡地になっていますが、そのすぐ北側に国分寺自体はお寺として姿を変えて継続しています。


マナブ:というと?


歴史先生:壮大な伽藍を誇った武蔵国分寺でしたが、1333年、分倍河原の戦いですべてを焼失してしまいます。


マナブ:分倍河原の戦いというと、たしか新田義貞。


歴史先生:はい、そうです。


マナブ:分倍河原の駅前に銅像がありますものね。


歴史先生:あ、そうですね。1333年は鎌倉幕府が滅亡した年。北関東から下ってきた新田義貞軍を鎌倉幕府軍が分倍河原で迎え撃ちますが、結果は新田義貞の勝ち。その勢いに乗って一気に鎌倉まで攻め入り、ついに鎌倉幕府を滅ぼしてしまいました。


マナブ:その時に焼けてしまったんだ。


歴史先生:そうなんです。戦後、新田義貞はここに薬師堂を寄進します。というのも、武蔵国分寺が火に包まれた時、薬師如来像だけが2町ほどかなたの林の中へ飛び去り、難を逃れたんだそうです。


マナブ:不思議な話。実際には誰かが必死に持ち出したのかな?


歴史先生:かもしれません。そこで新田義貞はこの不思議な薬師如来を祀るお堂を建てたということです。


マナブ:で、そのお堂は?


歴史先生:そのお堂は老朽化したため、江戸時代の中頃、現在の位置に再建されました。


仁王門


薬師堂


歴史先生:ではその薬師堂(地図 ❺)へ行ってみましょう。薬師堂はハケの上にありますから、石段を登っていきます。


マナブ:立派な仁王門から入っていきます。ここは木々が茂っていて、雰囲気ありますね。


歴史先生:石段を上り詰めたところが薬師堂。ここに祀られている薬師如来像は平安末期から鎌倉初期の作と言われている国指定重要文化財なんですよ。


マナブ:先ほど話があった、火災の時に飛び去って難を逃れた仏像ですね。


講堂跡


マナブ:さて、元々の国分寺があった場所に来ました。(地図 ❻)広い公園になっています。ここには何も残っていないですね。


歴史先生:今は講堂の基盤だけが復元されています。かつてこの場所に大伽藍があったことを想像しながら歩きましょう。



武蔵国分寺公園


歴史先生:さて、帰りは西国分寺駅を利用します。ハケの上の広い台地は「武蔵国分寺公園」(地図 ❼)になっています。


マナブ:広いですね。緑豊かで大きな池もあって。


歴史先生:広大な芝生広場もあって、ボール遊びやシートを広げてお弁当を食べている人たちもいます。


東山道武蔵路 遺構


マナブ:ん? あそこに何か書かれていますね。


歴史先生:「東山道武蔵路 遺構 再生 展示施設」(地図 ❽)です。


マナブ:あ、先ほどの話で、国分寺のすぐ脇に東山道武蔵路が走っていたという・・・。


歴史先生:そうです、そうです。


マナブ:ところで東山道というのは? 東海道、中山道とどういう関係?


歴史先生:東海道とか中山道とかは江戸幕府が制定した五街道。東山道(とうさんどう/とうせんどう)は飛鳥時代に整備された官道、と言われていますから、時代がずいぶんと違っています。


マナブ:なるほど。


歴史先生:ちょっとややこしいのですが、東山道は道でもあり、それが走っている国々の総称でもあるんです。


マナブ:というと?


歴史先生:全国を地方ごとに分けて考えるため、奈良時代に「五畿七道」というものが制定されました。


マナブ:あ、聞いたことがあります。


歴史先生:「五畿」というのは畿内の5つの国、すなわち大和、山城、摂津、河内、和泉。「七道」というのは東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道(四国と和歌山)、西海道(九州)。明治になってここに北海道が加わります。


マナブ:あっ、北海道という呼び名はこれに沿って付けられたんですね。


歴史先生:そうなんです。そして東山道ですが、今の県名でいうと滋賀、岐阜、長野、群馬、栃木、そして東北各県を指します。


マナブ:本州の中央の海無し県のところをずっとカバーして、その先の東北を含める。


歴史先生:山梨県、埼玉県以外、そうなりますね。


マナブ:でもここ国分寺は東京都でしょ?


歴史先生:はい。そこで「武蔵路」というのが名前に付いているんですが、群馬県新田市あたりの東山道からまっすぐ南に降りてきて、武蔵国府があった東京都府中市へと続いている支路が、東山道武蔵路なんです。


マナブ:なるほど。


東山道武蔵路の復元展示


歴史先生:では復元された道を見てみましょう。


マナブ:これはどう見ればいいんですか?


歴史先生:道の一部だけが復元されています。ちょうど横断歩道のように道を切り取ったものと考えてください。


マナブ:真ん中がくぼんでいますね。


歴史先生:はい、ここの台地から北のくぼ地(「恋ヶ窪」という地名になって残っている)に向かって道は下っていきます。そのままだと急な下り坂になってしまうので、少し手前から徐々に切通しのような形状にして、傾斜をやわらげているんです。


マナブ:なるほど。手前の溝は?


歴史先生:これは道の側溝と考えられます。道が水浸しにならないように排水の役割を持っていたほか、官道として管理されている道の両端を明確に示す役割もあったと考えられます。


西国分寺駅


歴史先生:さて、西国分寺駅へ来ました。帰路はここを使いましょう。本日の街歩きはいかがでしたか?


マナブ:国分寺市という名前はもちろん知っていましたが、あらためて、「ここに武蔵国の国分寺があったんだ」という歴史スポットであることを認識しました。でもそれ以上に国分寺崖線(ハケ)。あれは驚きました。東京都内であんな地形の面白さと自然の恵みを感じられるところがあるなんて、私にとっては新しい発見でした。


歴史先生:地形と歴史の両方を楽しめる、おもしろい場所だったでしょ?


マナブ:はい、そのとおりでした。


​歴史好きのための観光ガイド
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