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東京都 多摩 島しょ部 アイテムタイトル その1_1.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
大正天皇の陵墓のためにできた皇室専用の駅と爆破テロ事件
 
かつて一大観光地だった武蔵陵墓地には鉄道も来ていた?
 
神聖なる空間で4つの陵墓をお参りしよう
 
近代の天皇陵はなぜ「上円下方墳」なのか?

 

 

大正天皇の陵墓のためにできた皇室専用の駅と爆破テロ事件


「多摩御陵入口」交差点



マナブ:今日は武蔵陵墓地、そしてそのあとで八王子城へ行きます。電車ではなく、今日は車です。


歴史先生:八王子城のある場所は最寄りのバス停からでも20分は歩きますので、車が便利です。


マナブ:現在、八王子の市街地を走る甲州街道(国道20号線)を西へ向かっています。


歴史先生:ここはイチョウ並木が立派でしょ? 4㎞にも及ぶ並木で、11月には毎年「いちょう祭り」が開催されます。


マナブ:たしかに。1本1本の木が大きくて立派です。


マナブ:ところで八王子城はわかるとして、武蔵陵墓地というのは、墓地ですか?


歴史先生:墓地は墓地でも、大正天皇・皇后と、昭和天皇・皇后の墓地です。


マナブ:あ、それ聞いたことがあります。 たしか「多摩御陵」って言うんじゃなかったでしたっけ?


歴史先生:はい。大正天皇の多摩陵ができたのち、昭和の間そこはずっと「多摩御陵」と呼ばれましたので、今も交差点の名前などで残っています。しかし昭和天皇の武蔵野陵が隣に造られた平成以降は「武蔵陵墓地」というのが正式名称となりました。



歴史先生:さて、地図を見ていただきたいのですが、武蔵陵墓地に向かって甲州街道から立派なアクセスルートが造られています。そしてその南側、中央線のところには駅前ロータリーのようなものがあるんです。


マナブ:ほんとですね。


歴史先生:これはかつて駅があった名残り。東浅川駅(地図 ❶)というのがあり、これは皇室専用の駅でした。


旧東浅川駅のロータリー跡


マナブ:いつ頃の話ですか?


歴史先生:大正天皇が崩御されて、多摩御陵が造られ、そこに埋葬される際に棺を運んだり、皇族・関係者を運ぶために造られた専用駅です。


マナブ:そのためだけに駅を新設するなんて、すごいですね。


歴史先生:皇族専用の駅としては、原宿駅のすぐ近くにある宮廷ホームが有名ですよね。大正天皇の葬儀の際には原宿の宮廷ホームから東浅川へ皇室の専用列車が運行されました。


マナブ:そのあとすぐに廃止になった?


歴史先生:いえ。しばらくは皇室専用駅として残っていて、皇室による陵墓への参拝時などに使われましたが、1960年(昭和35年)に廃止となりました。その後駅舎は「陵南会館」という名前で地域の集会所として使われてきたんですが、ここで大事件に遭遇します。


マナブ:えっ? 何でしょう?


歴史先生:1990年(平成2年)、爆弾テロによって焼失してしまったんです。


マナブ:えっ、そんなことがあったんですか? 記憶にないなぁ。


歴史先生:1990年10月9日、その年の11月に予定されていた平成天皇の即位の儀に反対する過激派が爆弾を仕掛け、それによって発生した火災によって、建物は全焼したんです。幸いけが人はありませんでしたが。


マナブ:なんでそんなことを? 犯人は捕まったんですか?


歴史先生:事件後、革労協(革命的労働者協会)という団体の名前で報道機関へ犯行声明が出されましたが、具体的な検挙・起訴についてはその後の報道がなく、おそらくは未解決事件になっているものと推測されます。


マナブ:革労協?


歴史先生:中核派、核マル派、などはご存じですね?


マナブ:昔、よくニュース等で耳にしていました。


歴史先生:革労協もそれらと同じく新左翼団体の1つで、1960年代の学生運動を基にしています。革労協の中の「改革派」と呼ばれる人たちは特に       抗争性が強く、内ゲバや組織間での対立、あるいは警察官への傷害なども起こしていました。


マナブ:1990年といえば、そういった学生運動もかなり下火になっていたと思いますが、一部にはまだ残っていたんですね。


かつて一大観光地だった武蔵陵墓地には鉄道も来ていた?


南浅川橋



マナブ:では旧東浅川駅前から、車で参道を進んでいきましょう。


歴史先生:参道はすぐに南浅川を渡ります。ここに架かっているのが南浅川橋。


マナブ:天皇陵にふさわしい、威厳を感じる橋です。


歴史先生:こちらは1936年(昭和11年)に架けられたものです。


武蔵陵墓地への参道


マナブ:南浅川橋をわたると道は左にカーブし、立派な並木道になります。やはり特別な場所にこれから向かうんだ、という気持ちにさせるような参道ですね。


歴史先生:その通りですね。天皇陵としての威厳、格式などに配慮したすばらしいアプローチだと思います。


マナブ:ところで、そもそもなぜここが大正天皇の陵墓地になったんでしょう?


歴史先生:1923年(大正12年)の関東大震災で、東京は焼け野原になってしまいました。そこで大正天皇の陵墓地はまずは地震に強いことが必須条件となりました。


マナブ:なるほど、当時はそれが最優先だった。


歴史先生:そこで地盤が強くて津波の来ない土地に絞ることが絶対条件になります。また、次の天皇代々の陵墓を造れるだけの拡張の余地のある広い土地が確保できること、風光明媚な土地であること、首都圏からあまり遠くないこと、交通の便が良いこと、など、いろいろな条件が上がってきました。


マナブ:そうなるとかなり限られてきますね。そしてここ八王子が最終候補地になった。


歴史先生:はい。ここならすべての条件を満たしています。


マナブ:陵墓地の選定はいつごろから始まったんでしょう?


歴史先生:検討は以前からされていたようなのですが、実際の候補地の決定と陵墓の造営は天皇が亡くなってからです。


マナブ:えっ? 天皇が亡くなって、陵墓に埋葬するまでの間に、陵墓地を見つけて、陵墓を造営しなければならないっていうことですか?


歴史先生:信じられないかもしれませんが、そうです。


マナブ:どれくらい期間があったんでしょう?


歴史先生:大正天皇が葉山御用邸で崩御されたのが1926年12月25日。武蔵野陵墓の計画が発表されたのは1927年1月3日。大正天皇はそれまでもご病気がちでしたので、武蔵野陵墓の選定は亡くなる以前から進んでいたものと思われます。


マナブ:関係者は年末年始もお休みできなかったでしょうね。


歴史先生:その後もすごいですよ。1月中旬に着工。お墓だけでなく、駅舎も参道も作らなければなりません。そして2月8日には大正天皇を埋葬しています。昼夜兼行でものすごい突貫工事だったに違いありません。


マナブ:すごいですね。


歴史先生:その後、12月までかけて、きれいに整備をおこなったそうです。


駐車場


マナブ:広い駐車場に車を停めました。ここから歩いて参拝します。


歴史先生:さて、大正天皇の多摩陵が最初にできたわけですが、東京での最初の天皇陵ということもあって、ここは一大観光スポットになるんです。


マナブ:でも都心からはアクセスがあまり良くないですよ。東浅川駅はあっても皇室専用だって言うし。


歴史先生:それがですね、京王電鉄がここに「京王御陵線」という路線を開業したんです。


マナブ:えっ、そんな路線があったんですか?


青が京王御陵線。紫は現在の京王高尾線。


歴史先生:今では高尾線が高尾山口駅まで通じていて、そこからケーブルカーやリフトで高尾山に登れることから、高尾山が一大観光地になっていますよね。


マナブ:はい。


歴史先生:実は、以前は目的地は高尾山口ではなくて、多摩御陵だったんです。京王御陵線は1931年(昭和6年)に開業して、多摩御陵までたくさんの人を運んだんですね。


マナブ:あ、先ほど車で来た参道の途中に駅があったんだ。


歴史先生:そんな御陵線でしたが、太平洋戦争の中、1945年(昭和20年)1月に、戦局悪化を受けて不要不急の路線として休止されます。そして戦後になってもなかなか再開されず、ついには1964年(昭和39年)に正式に廃線となりました。


マナブ:今ある高尾線は?


歴史先生:今の高尾線は1967年(昭和42年)に開業しました。北野駅から山田駅はかつての御陵線を利用し、そこから高尾山口まで延伸させ、高尾山の観光を飛躍的に発展させたのはご承知の通りです。


マナブ:時代と共に、人々のレジャーが「大正天皇陵へのお参り」から、「高尾山のハイキング」へと変わったんでしょうね。


神聖なる空間で4つの陵墓をお参りしよう


武蔵陵墓地の入口



武蔵陵墓地

〒193-0824 東京都八王子市長房町1833

入園無料

9:00~16:00(最終入場15:30)

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.hkc.or.jp/facility/detail.php?id=115


マナブ:ではいよいよ武蔵陵墓地に入ります。


歴史先生:入口に案内板がありますので見ていきましょう。


武蔵陵墓地の案内板


歴史先生:まずは表参道(地図 ❷)を通って、大正天皇と皇后の陵墓へ参りましょう。そのあと、昭和天皇・皇后の陵墓へお参りします。


マナブ:なるほど。まず最初に一番奥のスペースに大正天皇の陵墓を造って、その横に皇后。次に手前のスペースに昭和天皇と皇后。そしてまだ拡張の余地を残していますね。


武蔵陵墓地入口の看板


マナブ:大正天皇陵が「多摩陵」、昭和天皇陵が「武蔵野陵」。それぞれの皇后陵がその東隣にあるというわけですね。


表参道



マナブ:玉砂利の敷かれた表参道(地図 ❷)を歩いています。実にきれいに整備されていて清々しい空気が漂っています。


歴史先生:鳥のさえずりがよく聞こえますね。


マナブ:パッと見たところ、園内にいるのは私たちだけじゃないでしょうか? 昔は一大観光地だったのかもしれませんが、今ではとても静かにお参りできる空間です。


歴史先生:私たち以外には警備の警察官が数名歩いていて、遠目に来園者を監視しているのでしょう。ちょっと気になりますが、それだけ重要な場所なので致し方ありません。


表参道の美しい道が続く


陵墓が見えてきた


マナブ:あ、陵墓が見えてきましたね。


歴史先生:あれが大正天皇の陵墓、「多摩陵」(地図 ❸)です。


多摩陵


歴史先生:一般の人は階段の下の柵のところまで、皇族は階段上から参拝できるそうです。


マナブ:大きいですね。そして上の部分は石に覆われた丸い形をしていますね。


多摩東陵


歴史先生:そしてその右隣にあるのが貞明皇后の陵墓。


マナブ:こちらも同じ形だ。


歴史先生:この形ですが、上円下方墳と呼ばれます。


近代の天皇陵はなぜ「上円下方墳」なのか?


多摩東陵


マナブ:大和朝廷の大王たちは、前方後円墳の大きなお墓を造っていましたよね。でも前方後円墳はやがて造られなくなった。その後、どうなったんでしたっけ?


歴史先生:6世紀ごろまでは前方後円墳が盛んに作られていましたが、その後は方墳、円墳に変わっていきます。しかしそれでは豪族の墓と同じじゃないかということで、7世紀の女帝、斉明天皇あたりから天皇のみは八角墳を造って差別化するようになります。


マナブ:八角形の古墳ですか。


歴史先生:斉明天皇の子である天智天皇、天武天皇の墳墓も八角です。


マナブ:なるほど。


歴史先生:奈良時代以降は大きな墳墓は造られなくなり、仏教が普及したこともあって、寺に納骨したり石塔を建てたり、ということもされるようになります。


マナブ:こんなこと聞いていいのかな、不敬な気がしてちょっと躊躇するのですが。


歴史先生:何でしょう?


マナブ:亡くなった天皇というのは火葬されるんでしょうか?


歴史先生:歴史上、大事なポイントでもありますよ。日本では伝統的に土葬でしたが、仏教が普及し始めてから火葬という考え方が広まってきて、天皇としては持統天皇が最初の火葬された天皇になりました。


マナブ:天武天皇の奥さん。


歴史先生:そうですね。その後は江戸時代までは特に決まりはなく、結果的には火葬よりも圧倒的に土葬が多かったようです。その間、天皇陵というのは非常に簡素なものでした。しかし明治になって神道が国教となり、天皇の権威を国民に示す必要が出てきたため火葬は禁止され、再び大きな墳墓を作るようになりました。


マナブ:今、私たちが目にしているのはその復活した大きな墳墓ですね。


歴史先生:そうです。


マナブ:ということは大正天皇、昭和天皇、そして皇后さまたちは土葬でこの中にいらっしゃる。


歴史先生:そういうことになります。ところで、2013年に平成の天皇、すなわち上皇様は大きな発表をされたのをご存じですか?


マナブ:いいえ、何でしょう?


歴史先生:上皇様と美智子皇后様は、亡くなられたあとは土葬ではなく火葬されたいと。そうなると後陽成天皇以来、約400年ぶりのこととなります。火葬はここ武蔵陵墓地内で行われるそうです。


マナブ:現代に合わせたということでしょうか。


歴史先生:そうですね。墳墓は上円下方墳になりますが、両陛下の墳墓が寄り添った形で一体的に造営される予定です。葬儀の簡素化なども提案されていて、上皇様と美智子皇后様のお人柄がよく表れています。


マナブ:そうだったんですか。恥ずかしながら知りませんでした。伝統を重んじる人たちに囲まれている環境の中で難しいご判断だったかと思いますが、常に国民に寄り添ってくださる姿勢に本当に頭が下がります。


左:武蔵野陵、右:武蔵野東陵


マナブ:そういえば、ここは大正・昭和の天皇陵ですが、明治天皇のお墓はどこですか?


歴史先生:どこだと思います?


マナブ:えーっと、明治神宮の中にあったかな?


歴史先生:いいえ、明治天皇の陵墓は京都にあります。「伏見桃山御陵」と呼ばれている場所で、京都や伏見を見渡せる眺めのいい丘の上にあります。明治天皇は生まれ育った京都に埋葬されることを望まれたため、首都の東京ではなく、京都に墳墓が造られました。


マナブ:なるほど、そうでしたか。


歴史先生:墳墓の形の話の続きですが、明治天皇の墳墓が上円下方墳でしたので、大正・昭和の天皇陵もそれに倣っています。


マナブ:では明治天皇の墳墓はなぜこの形にしたんでしょう?


歴史先生:これは尊敬する天智天皇の墳墓を真似たからだと言われています。


マナブ:ん? 先ほど天智天皇のは八角形という話じゃなかったでしたっけ?


歴史先生:とっても言いにくい話なのですが、ごく最近、具体的には1988年の調査まで、天智天皇陵は上円下方墳だと思われていたんです。それに基づいて明治天皇陵もそうしたのですが、調査の結果、実は上は八角形の古墳であったことがわかりました。


マナブ:あらあら。間違いだった。でも今さらそうは言えないですよね。


歴史先生:考古学は常にアップデートされていきますから、仕方がありません。


武蔵野陵(地図 ❹)



マナブ:こちらが昭和天皇が埋葬されている武蔵野陵ですね。私たちの若いころから実際に見てきた天皇陛下なので、思い入れも深いです。しっかりとお参りしていきます。


歴史先生:そうしましょう。


武蔵野東陵


マナブ:こちらは皇后さま。こちらもしっかりとお参りします。


北参道


歴史先生:帰りは舗装されている北参道を通りましょう。


マナブ:どこを見てもゴミ1つ落ちていません。実に清々しい空間です。


武蔵陵墓地の森


マナブ:そして横に見える森の美しいこと。とってもよく整備されているように思いました。


歴史先生:武蔵陵墓地、いかがでしたか?


マナブ:現代ではあまりここは話題になりませんが、かつては一大観光地だったとか。派手なお店などまったくありませんが、やはり一度は来るべき場所だなと感じました。天皇陵、そして天皇について私たちは知らないことも多いということに気づきました。今日はとても勉強になりました。


​歴史好きのための観光ガイド
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