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東京都 多摩 島しょ部 アイテムタイトル その1_1.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
多摩モノレールに乗って高幡不動へ行こう
 
参道グルメで腹ごしらえ:開運そばに天丼
 
高幡不動尊はどんなお寺?
 
平安時代の巨像「丈六不動三尊像」をお参りしよう
 
高幡不動尊の境内を歩く
 
享徳の乱の歴史を伝える「上杉堂」
 
土方歳三と高幡不動尊の関係

 

多摩モノレールに乗って高幡不動へ行こう

 

多摩モノレール


マナブ:今日は高幡不動へ行きます。通常は新宿駅から京王線で行くのですが、今日はせっかくなので多摩モノレールに乗ってみましょう。


歴史先生:多摩モノレールは多摩地区を南北につなぐ交通手段。多摩地区の鉄道はどれも都心から放射状に延びていますから、東西移動には強いのですが、南北を繋ぐ交通手段が弱かったんです。


マナブ:たしかに。


歴史先生:そこで東京都が80%を出資して会社を設立。西武鉄道、京王電鉄、小田急電鉄もそれぞれ数%出資しています。1990年(平成2年)に着工して、2000年には全線が開業しました。


マナブ:高架の上を走るんですね。そのため、ほとんどの区間で景色が素晴らしい。きれいで気持ちのいい移動手段です。建設にはかなりのコストがかかったんじゃないでしょうか?


歴史先生:実は膨大な初期投資がかかり、多額の借入金があったことから、一時は債務超過になって東京都から支援を仰ぐなど、経営としてはうまく行ったとは言いづらいところがあります。東京都が出資した負の遺産の1つ、なんている不名誉な呼ばれ方をしています。


マナブ:他にも東京都の負の遺産って、何がありますか? 都民としては気になります。


歴史先生:石原都政の時代の目玉政策だった新銀行東京。中小企業への融資をおこなっていましたがずさんな審査などで1,000億円規模の赤字を出しました。その他お台場地区での再開発事業。東京都が出資したいくつかの第3セクターが破綻しました。新しいところでは2020年東京オリンピック用に作られた巨大な競技施設。その後の運営が芳しくなく、多額の赤字を出しています。


マナブ:東京都民として、もっと関心を持たないといけませんね。


高幡不動駅


マナブ:さて、高幡不動駅に着きました。ここはモノレールと京王電鉄が交差しています。


歴史先生:高幡不動駅前から、高幡不動尊への参道がありますので、そちらを歩きましょう。


参道グルメで腹ごしらえ:開運そばに天丼


高幡不動尊参道


マナブ:おなかがすいてきました。参拝の前に腹ごしらえしませんか?


歴史先生:いいですね。この参道での有名店といえば、門前にある「開運そば」。高幡不動尊の境内にもお店があります。


開運そば


歴史先生:それから、そのお向かいには開運そばが運営する天丼のお店「四八天丼」があります。こちらも名店。


四八天丼


四八天丼

〒191-0031 東京都日野市高幡1−9

https://kaiun.jp/48tendon 


マナブ:あ、天丼が美味しそう。ここにしませんか?


歴史先生:そうしましょう。


野菜天丼


マナブ:私は野菜の天ぷらが好きなので、野菜天丼にしました。軽くサクサク揚がってて、実に美味しい。


歴史先生:ここは30年以上、たれを注ぎ足して使っているんだそうです。開運そばでも使っている「かえし」(つゆのベース)が味の決め手なのだとか。


マナブ:なるほど、たしかにおいしいです。


高幡不動尊はどんなお寺?

 

高幡不動尊



高幡不動尊(地図 ❶)

〒191-0031 東京都日野市高幡733

入場無料

9:00~17:00、無休(奥殿は月曜日休)

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

http://www.takahatafudoson.or.jp/


マナブ:では、腹ごしらえもできたところで、高幡不動尊をお参りしましょう。ところでここはどういうお寺なんですか?


歴史先生:正式な名前は「高幡山明王院金剛寺」ですが、「高幡不動尊」という通称で知られています。関東では東の成田山新勝寺、西の高幡不動尊と並び称されるお不動様。関東三大不動の1つ。歴史は実に古く、飛鳥時代の大宝年間(701~704年)に行基が開いたと伝わります。


マナブ:それは古い。


歴史先生:ただしそれは伝承に過ぎず、実際には平安時代初期に清和天皇(在位858~876年)の勅願で円仁(慈覚大師)が開いたというのが確からしいところです。


マナブ:たしか東京都で一番古いのが浅草寺、2番目が深大寺、と聞いたように思いますが。


歴史先生:浅草寺が開かれたのは628年、深大寺は733年と考えられます。高幡不動尊はそれに次ぐクラスの古さと言えるでしょう。


マナブ:なるほど。


歴史先生:慈覚大師はここの裏山を関東鎮護の霊場として定め、その山中に不動堂を建て、不動明王像をお祀りしました。


仁王門(国指定重要文化財)


 


マナブ:入口の門は実に立派ですね。


歴史先生:はい、こちらは仁王門(国指定重要文化財)。建てられた年代がわかる記録がないのですが、その様式からみて室町時代後期に建てられたと考えられています。



仁王門の仁王像(室町時代作)


歴史先生:さて、仁王門を入ると正面にあるのが、こちらも国指定重要文化財の「不動堂」です。今は平地にありますが、平安時代に慈覚大師が最初に立てたオリジナルの不動堂はここの裏山の中でした。しかしちょうど建武の新政が行われていたころの1335年8月に襲来した台風によって不動堂が倒壊してしまいます。その後の1342年に麓で移築・再建されたのが現在の不動堂です。


マナブ:東京だとなかなかそんな古い建物は残っていませんよね?


歴史先生:そうなんです、この不動堂が恐らくは東京都で最古の建物ではないかと言われています。


不動堂(国指定重要文化財)と五重塔


マナブ:実に堂々としたたたずまい、ですね。五重塔との組合せも美しい。


不動堂(国指定重要文化財)と奥殿(左奥)

 

平安時代の巨像「丈六不動三尊像」をお参りしよう

 

奥殿

 

 

歴史先生:さて、不動堂に祀られていた不動明王像ですが、現在はその裏に新しく建てられた奥殿に安置されています。

 

マナブ:「丈六不動三尊 参拝口」と書かれていますね。

 

歴史先生:「丈六(じょうろく)」というのは大きさを表しているのですが、これは仏像の大きさの1つの基準となっています。

 

マナブ:どれくらいの大きさですか?

 

歴史先生:1丈は約3m。1丈=10尺、です。

 

マナブ:えっ? だとすると「丈六」というのは3m×6=18m? 巨大すぎませんか?

 

歴史先生:いえ、「丈六」というのは「1丈6尺」のこと。というのは、お釈迦様の実際の身長は1丈6尺であったと言われ・・・

 

マナブ:お釈迦様の身長って初めて聞きましたけど、1丈6尺って、4.8m???

 

歴史先生:はい、かなり大きな方だったんですね。

 

マナブ:いや、大きすぎる(笑)。

 

歴史先生:丈六仏というのはその大きさを再現しているものなんです。立つと4.8mになりますが、その座像ということで、およそ2.4m~2.9m。

 

マナブ:他にも有名な丈六仏ってありますか?

 

歴史先生:たくさんあります。例えば京都では平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像(国宝)や大原三千院の阿弥陀三尊像(国宝)、三十三間堂の千手観音菩薩坐像(国宝)。奈良では薬師寺の薬師如来坐像(国宝)、唐招提寺の廬舎那仏座像(国宝)、そして飛鳥寺の飛鳥大仏(重文)。

 

マナブ:おぉ、有名な大きな仏像って、丈六サイズで作られていたんですね。

 

歴史先生:はい、そうなんです。さて、奥殿の中は展示室になっていて、数々の仏像、絵画などの寺宝がガラスケースで展示されています。展示の最後に不動三尊像を拝めますよ。

 

マナブ:中へ入りました。たくさんの寺宝があって、解説を読んでいくだけでも時間がかかりそうです。あ、一番奥に、不動三尊像の展示室がありますね。おぉ、これは大きい。すごい迫力です。

 

歴史先生:写真を撮って載せることはできませんが、皆さんはこちらのお寺のWebサイトからそのお姿をご覧ください。平安時代後期に作られたとされる木造の不動明王像で、高さは2.8m。両脇に二童子を従えています。

 

https://www.takahatafudoson.or.jp/?page_id=24

 

高幡不動尊の境内を歩く


五重塔

 

 

歴史先生:引き続き高幡不動尊の境内を歩きましょう。

 

マナブ:まずは五重塔ですね。実に美しい形をしています。

 

歴史先生:実はこれは新しくて、1980年(昭和55年)に建てられたものなんです。

 

マナブ:かつての五重塔を再建した?

 

歴史先生:いえ、オリジナルの高幡不動尊には五重塔はありませんでした。

 

マナブ:ん?

 

歴史先生:高幡不動尊には美しい大伽藍がありましたが、江戸時代後期の1779年の大火で大日堂などの多くの堂宇が失われてしまいます。その後、長い年月をかけて復興が進められてきましたが、その復興の象徴として新たに建てよう、ということになったのが五重塔だったんです。

 

マナブ:なるほど、そうでしたか。

 

大日堂

 

歴史先生:境内の一番奥にあるのが大日堂です。ここが高幡不動尊の総本堂です。

 

マナブ:先ほどの話で、江戸時代の大火で失われた、というお堂ですね。

 

歴史先生:はい。その後仮本堂が建てられましたが、現在の建物は1987年(昭和62年)に鎌倉時代の建築様式で再建・修復されたものです。内部には「鳴り龍」などが作られています。

 

 

大師堂

 

歴史先生:江戸時代の大火で焼失した大師堂は、2009年に再建されました。

 

虚空蔵院

 

歴史先生:虚空蔵菩薩を祀る虚空蔵院です。無限の知恵と慈悲を持つとされ、子供が13歳になると厄除けと開運を祈ってお参りする「十三参り」という風習があります。

 

マナブ:三重県の伊勢に行ったとき、朝熊山(あさまやま)に登って、そこの金剛證寺は全国一番の虚空蔵菩薩だ、という話でしたね。

 

弁天池のハスの花

 

歴史先生:境内には弁天堂、弁天池があり、夏には美しい花が咲き誇ります。

 

享徳の乱の歴史を伝える「上杉堂」

 

 

マナブ:奥殿の横に「上杉堂」というお堂があります。

 

歴史先生:ここにある看板、そして高幡不動尊のWebサイトもですが、ちょっと間違っています。

 

マナブ:というと?

 

歴史先生:ここを「上杉憲顕(のりあき)の墓」としているのですが、正しくは「上杉憲秋(のりあき)」の墓」、です。

 

マナブ:漢字の間違い?

 

歴史先生:単に漢字の間違いなら良いのですが、「上杉憲顕(のりあき)」自体が歴史上有名な人なので、この人の墓と言ってしまうと大変な誤解を生みます。

 

マナブ:上杉憲顕って?

 

歴史先生:足利尊氏、足利直義兄弟の従兄弟(いとこ)で、山内上杉家の祖、と言われています。足利尊氏の命を受けて関東へ下り、鎌倉公方の足利基氏を補佐するNo.2である関東管領になりました。しかし、そののち、観応の擾乱、というのが起こります。

 

マナブ:足利尊氏が天下を取ったあと、政権内部が尊氏派と直義派に分かれて争った戦い、でしたね。

 

歴史先生:はい。その時、上杉憲顕は直義派に付きます。足利直義は敗北し、それによって上杉憲顕も失脚しました。でも、その後奇跡の復活を遂げます。

 

マナブ:というと?

 

歴史先生:上杉憲顕は足利尊氏から強い怒りを買っていましたが、尊氏の死後、二代将軍の足利義詮らの援助によって関東管領に返り咲きました。しかし今度は、上杉憲顕の復帰によって領地を奪われた宇都宮氏などの反乱が起き、関東は戦乱の渦に巻き込まれます(1368年、武蔵平一揆の乱)。

 

マナブ:誰かに土地を与えれるには、誰かから土地を取り上げなければならない。

 

歴史先生:反乱は河越、宇都宮などで続きましたが、上杉憲顕はそれらを鎮圧し、最終的に関東に平和をもたらしました。しかし上杉憲顕は宇都宮城を包囲する中で病死していたんです。

 

上杉堂

 

マナブ:さて、ではその人と間違われた「上杉憲秋(のりあき)」とは?

 

歴史先生:上杉憲秋は上杉憲顕のお兄さんのひ孫、という関係。世代的には3代あと、の人です。この家は犬懸上杉家、と言われます。上杉憲秋のお父さんである上杉禅秀(氏憲)は、関東管領でした。しかし鎌倉公方の足利持氏との折り合いが悪くなり、ついに1416年、クーデターを起こします。「上杉禅秀の乱」です。

 

マナブ:どうなったんですか?

 

歴史先生:当初上杉禅秀が優勢で鎌倉を占拠したのですが、室町幕府は追討軍を派遣し、追い詰められた上杉禅秀は鎌倉にて自刃しました。その子である上杉憲秋は命からがら逃亡。京都に隠れました。

 

マナブ:大変なことになりましたね。

 

歴史先生:しかしそれから20数年後の1439年、今度は室町幕府と関東管領、山内上杉家の上杉憲実が足利持氏と対立。挙兵して足利持氏を攻め、自害へと追い込みました。「永享の乱」、です。

 

マナブ:上杉憲秋からすればお父さんの仇が殺された。

 

歴史先生:はい、そして関東での足固めをしたい上杉憲実は、上杉憲秋らを関東に呼び戻します。上杉憲秋は失っていた領地を取り戻し、再び力を手にしました。

 

マナブ:でも関東は大乱がその後も続いたんですよね。

 

歴史先生:はい。1454年、次の世代の間で戦乱が始まります。まずは足利持氏の子、足利成氏が新たに関東管領となった上杉憲忠をだまし討ちで暗殺します。「享徳の乱」の始まりです。

 

マナブ:なんと・・・。

 

歴史先生:怒った上杉勢は足利成氏を討伐する兵を挙げます。上杉憲秋はここで先鋒を務める大将として参陣しました。

 

マナブ:ということは、お互いお父さんの仇、という憎しみでぶつかったことになりますね。

 

歴史先生:はい。1455年、両軍は今の分倍河原のあたりで激突します。ここで上杉軍は大敗。多摩川の上流に落ち延びますが、立川河原のあたりで足利軍に再び攻撃を受けます。上杉憲秋は全身に深手を負い、高幡不動尊に逃げ込みます。しかし「もはやこれまで」と悟り、自刃しました。それがちょうど今、上杉堂が建っているところです。

 

マナブ:そういうことでしたか。

 

歴史先生:お堂の中には「茶湯石」という自然石が祀られていて、「死後100日目(百か日忌)」にこの石にお参りすると、死の「穢れ(けがれ)」が払われ、忌が明ける、という信仰が起こりました。江戸時代になると、高幡不動尊にお参りする人はまずはこの茶湯石を拝んで、けがれを落としてから参拝する、というルーティーンがあったそうです。

 

土方歳三と高幡不動尊の関係


土方歳三像



歴史先生:さて、総門の近くには土方歳三の像が立っています。


マナブ:土方歳三はたしか日野の人でしたよね?


歴史先生:はい。土方歳三は幕末の1835年、日野市の石田というところで農家の子として生まれました。モノレールだと高幡不動から一駅立川寄りにある万願寺という駅のそば。ここ高幡不動からは歩いて20分ほどの距離でしょうか。


マナブ:わりと近いですね。


歴史先生:ここ高幡不動尊は土方家の菩提寺でしたから、土方歳三の先祖代々のお墓がここにはあります。


マナブ:お墓参りにも来ていたんでしょうね。


歴史先生:それだけではなく、子供のころは高幡不動尊の境内が普段からの遊び場だったそうです。残っているエピソードとしては、高幡不動尊の裏山で竹を切って、それを自宅の庭に植えて大切に育てたとか。


マナブ:なぜでしょう?


歴史先生:将来、侍になって大きなことを成し遂げるんだ、その時のために刀の鞘になる竹を育てるんだ、と言ったそうです。


マナブ:その頃から何か大きなことをしたいという大志を持っていたんですね。


参道の商店街には土方歳三の幟が並ぶ


歴史先生:土方歳三の墓も実はここにあります。でも、彼が亡くなったのは北海道の箱館戦争。遺骨は現地で埋葬されましたのでここにはないのですが、家族や義理の兄の佐藤彦五郎によって、菩提寺である高幡不動尊にお墓が建てられました。大日堂の奥に彼のお墓があります。


マナブ:そうでしたか。


歴史先生:ところで、義理の兄の佐藤彦五郎ですが、この人は新選組ファンには有名な人です。


マナブ:というと?


歴史先生:土方歳三のお姉さんの旦那さんである佐藤彦五郎は日野宿の名士で、広い自宅の中に天然理心流の道場を作りました。そこに通っていた子供たちのなかにいたのが土方歳三であり、近藤勇なんです。


マナブ:二人はそこで出会った。


歴史先生:はい、そうです。近藤勇、土方歳三にとっては親代わりになるような人で、その後も新選組を物心両面で支援しました。また佐藤彦五郎は高幡不動尊の熱心な信者としても知られています。


マナブ:近藤勇も日野の人ですか?


歴史先生:いえ、彼は調布市の生まれ。


マナブ:だから日野市としては土方歳三推し、なんだ。


歴史先生:そうでしょうね。さて、今日は高幡不動を訪れましたが、いかがでしたか?


マナブ:京王線の駅、としてしか認識していませんでしたが、実に立派で歴史のあるお寺なんだということがよくわかりました。平安時代の丈六の仏像、室町時代の戦乱、そして幕末の土方歳三まで、日本の歴史がここには詰まっていますね。


​歴史好きのための観光ガイド
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