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東京都 多摩 島しょ部 アイテムタイトル その1_1.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
武田信玄の猛攻に耐えた北条氏照の名城

攻め手の兵士になったつもりで城を歩いてみよう

いよいよ中の丸、そして本丸へ

滝山城の強みは二の丸の鉄壁の守りにあった


武田信玄の猛攻に耐えた北条氏照の名城


本丸にある石碑


 

マナブ:今日は八王子市の「滝山城」に来ています。

 

歴史先生:このお城、ご存じでしたか?

 

マナブ:いえ、まったく初めて聞いたお城です。

 

歴史先生:「続100名城」にも選ばれた、国の史跡なんです。

 

マナブ:東京にも100名城があるんですね。

 

歴史先生:ありますよ。100名城が2つ、続100名城が2つ。どこだかわかりますか?

 

マナブ:え? どこだろう?

 

歴史先生:100名城の1つ目はすぐわかると思います。

 

マナブ:江戸城?

 

歴史先生:その通り。

 

マナブ:もう1つはどこだろう?

 

歴史先生:これは「八王子城」なんです。

 

マナブ:あ、それは聞いたことがあります。

 

歴史先生:そして続100名城はここ「滝山城」と「品川台場」。

 

マナブ:台場というとお台場の?

 

歴史先生:そうです。レインボーブリッジが架かっているお台場の先っぽのところにあるのが品川台場です。

 

マナブ:へぇー、意外なところが続100名城になっているんですね。

 

観光用の無料駐車場がある

 

マナブ:ここは八王子駅からしばらく北方向へ行ったところ。車だと15~20分程度でしょうか。割と広い無料駐車場があるのがうれしいですね。

 

歴史先生:はい。バスだと「滝山城址下」バス停がすぐそばにあります。

 

滝山城址下バス停

 

マナブ:ところで、この滝山城は誰が造ったお城ですか?

 

歴史先生:北条氏照(うじてる)、です。

 

マナブ:北条というと、小田原の後北条?

 

歴史先生:そのとおり。「後」をつけてくれるところなど、よく覚えてくれていますね。

 

マナブ:はい、伊勢新九郎(のちの北条早雲)の子孫たちが、鎌倉の執権の北条氏のブランドをちゃっかり頂いたんですよね?

 

歴史先生:そうです。北条五代、とよく言われるのですがご存じですか?

 

マナブ:いえ、知りません。

 

歴史先生:北条早雲に始まり、豊臣秀吉の小田原征伐で滅亡するまでの5代を指します。初代伊勢新九郎(出家後は伊勢宗瑞と名乗った)は駿河から小田原に進出し、小田原城を奪取して後北条の基礎を作りました。日本で最初の戦国大名「北条早雲」として知られていますが、北条を名乗るようになったのは2代目からですので、本人は後世の人から「北条早雲」と呼ばれていることを知りません。

 

マナブ:えっ、そうなんですね。

 

歴史先生:2代目の北条氏綱(うじつな)は後北条の基礎をしっかりと固めた。3代目は北条氏康(うじやす)。さらに領地を広げる。

 

マナブ:ふむふむ。

 

歴史先生:4代目は北条氏政(うじまさ)。領地をさらに拡大して関東一円を支配。5代目は北条氏直(うじなお)。秀吉の小田原攻めで降伏し、氏政は自刃、氏直は高野山へ追放されて病没。

 

マナブ:最後は悲惨な終わり方ですね。

 

滝山城の入口。説明板の横のボックスから滝山城のパンフレットをもらおう。

 

マナブ:で、氏照というのは?

 

歴史先生:氏照は3代目氏康の子で、氏政の弟。勇猛な武将であり、また非常に優秀なリーダーであったようで、商業や絹織物産業の発展に尽くしたほか、堅固な要塞である滝山城を造成しました。1567年ごろのことと考えられます。

 

マナブ:戦国時代真っ盛り、ですね。

 

歴史先生:はい。当時、甲州の武田、駿河の今川、相模の北条といった群雄が割拠する中で、北条、武田と今川は三者間での同盟を結んでいましたが、武田はそれを突然破棄して駿河へ侵攻。今川からの救援要請を受けて北条は今川に味方することになると、1569年、武田信玄は2万の兵を起こして関東へ攻め入ります。そこでターゲットにされたのが滝山城。

 

マナブ:まずいですね。戦上手の信玄が、しかも2万の大軍で襲ってきた。勝ち目はなさそう。

 

歴史先生:滝山城の城兵は約2,000。信玄の軍のわずか1/10でしたが、北条氏照はここで奮戦します。信玄は周囲の村々を焼き払い、滝山城へ攻め寄せます。三ノ丸が攻略されましたが、氏照は二の丸に立てこもって防戦。城攻めが始まって3日目の夜半、信玄はとうとう城攻めをあきらめて軍を退却させました。

 

マナブ:すごい。

 

歴史先生:このとき二の丸を攻めたのは武田勝頼。なかなか二の丸を落とせない状況を見て、信玄はこれ以上攻めると勝頼が命を落とすかもしれないと考え、兵を引き上げます。

 

マナブ:勝頼は大事な跡取りですよね。

 

歴史先生:はい。ところでかろうじて城を守りきった北条氏照ですが、この戦いの結果、滝山城の弱点が明らかになってきました。北側は多摩川と崖になっていて守りは固いのですが、南側は弱い。

 

マナブ:今回はその南側から入るんですね。

 

歴史先生:はい、ここは高さが足りない(だから観光しやすい)。何とか二の丸の堅固な防御態勢で退けたものの、次は危ないということで、氏照はあらたに八王子城を造り、本拠を移転させたんです。

 

マナブ:それが八王子城でしたか。

 

歴史先生:八王子城はさらに高い山に造られた堅固な要塞。防御力は格段に高まりました。

 

マナブ:難攻不落の八王子城。

 

歴史先生:と言いたいところなのですが、その後の秀吉の小田原攻めで八王子城はわずか半日で落城。多くの人たちが命を落とす悲劇の城となってしまったんです。

 

マナブ:あぁ、こちらも悲劇的な終わり方だ。氏照はどうなったんですか?

 

歴史先生:そのとき、氏照は小田原城にいました。彼は最後まで徹底抗戦を主張していたのですが、結局は降伏。秀吉によって切腹を命じられました。

 

マナブ:あぁ、そうでしたか。

 

歴史先生:氏照は戦上手というだけでなく、武田に対抗するために越後の上杉謙信とも手を結ぶなど、外交面でも活躍しました。非常に優秀な武将であり、かつ非常に優秀な外交官でもあったとされています。

 

マナブ:秀吉は惜しい人材を失いましたね。

 

読んでおきたい本

火坂雅志・伊東潤

北条五代


 


北条五代、約100年に及ぶ壮大な歴史絵巻。信長のような飛びぬけたヒーローではなく、組織の力で関東一円を支配した一族の物語。NHK大河ドラマの原作にもなった「天地人」で知られる著者、火坂雅志氏が執筆途中で急逝されたため、伊東潤氏があとを継いで完成させた。上下2巻。


攻め手の兵士になったつもりで城を歩いてみよう

 

住宅街の間の細い道を山へ向かって歩く

 

 

山へ入るとすぐに見事な竹林が現れる

 

マナブ:住宅の間の細い道を歩いて山の入口に来ました。中へ入るとすぐに、みごとな竹林が迎えてくれます。

 

歴史先生:ここの竹林は立派ですね。

 

マナブ:上を向いて歩いていると、きつい坂だというのも忘れそうです。

 

歴史先生:ここは天野坂(地図 ❶)と呼ばれています。滝山城の大手口にあたるところ。今日は兵士の気分になってこの城を攻めるつもりで歩いてみませんか?

 

マナブ:おもしろそうですね、そうしましょう。

 

看板のところで「城攻めマップ」を入手しよう

 

歴史先生:滝山城のパンフレットの他に、「城攻めマップ」というのが置かれています。これは攻め手にとって必須のアイテムなので、ぜひ持っていきましょう。

 

マナブ:これはいい資料だ。お城の構造の詳細がよくわかりますね。

 

最初の難関、天野坂の堀底道(天野坂の上から振り返って見たところ)

 

マナブ:道の脇に説明看板が出てきました。

 

歴史先生:滝山城の素晴らしいところの1つは、こうした看板が随所にあって、お城の構造などをわかりやすく解説してくれているところ。これからも随所にたくさん看板が出てきます。

 

マナブ:歩いていて退屈しませんね。どれどれ、ここはどういう場所なのかな?

 

歴史先生:私たちが上っている天野坂の横に深く掘られた道があります。これが昔の大手口。攻め手の兵士たちはここを登ってくるんですね。

 

マナブ:とすると、両側はずっと崖。

 

歴史先生:なので、崖の上から弓などで常に攻撃されます。攻め手は1列くらいでしか進めないので、1人ずつここで倒されます。

 

マナブ:もうすでにこの時点で私は死んでそうです(笑)。

 

歴史先生:そしてその堀底道を登り切ったところ、ここも重要な場所になりますので、枡形の虎口が作られていました。

 

マナブ:あ、それはお城の入口にある四角いスペース。そこで方向転換しているうちに上から狙われるんですよね。

 

歴史先生:そうです、そうです。ところで、上り坂はここまで。この先は平たんな道が続きます。

 

マナブ:えっ? そうなんですね。もっときつい山城のイメージで今日は歩き始めたんですが、上り坂は最初の1~2分で終わりなんですね。

 

歴史先生:標高160mほどの山なんですが、平地部分がすでに約100mの高さがありますので、実質60mくらいの山なんです。

 

三ノ丸

 

 

歴史先生:右側の崖の上は三ノ丸(地図 ❷)です。

 

マナブ:堀の底からは、かなりの高さがありますね。とても登れそうにない。

 

歴史先生:現在でも15mほどの高低差がありますが、当時は堀がもっと深かったと推定されています。

 

マナブ:これは堅固だ。でも武田信玄軍はここを攻略したんですね。

 

歴史先生:はい、そうなんです。

 

コの字形土橋

 

歴史先生:三ノ丸から二の丸につながるところが「コの字形土橋」と呼ばれる細い土橋です。ここで4回も方向転換をさせられます。

 

マナブ:ここで進軍速度が落ちたところを攻撃されそうですね。

 

千畳敷

 

 

歴史先生:左手に開けているのが千畳敷(地図 ❸)という場所です。

 

マナブ:広いですね。何に使っていたスペースなんだろう?

 

歴史先生:そのあたりはよくわかっていませんが、曲輪(くるわ)の1つであったことには間違いないでしょう。

 

マナブ:ところで「曲輪(くるわ)」というのはおもしろい漢字を書きますね。

 

歴史先生:「曲」は文字通り曲がっていること。「輪」は何かの外周のことを指します。すなわち、曲輪とはまあるい形で柵で囲まれた場所、という意味なんですね。

 

マナブ:そういえば曲輪って曲線的なものが多いですね。

 

歴史先生:はい。四角い曲輪は守りづらく、円形が最も守りやすいとされています。

 

マナブ:ひょっとして、本丸とか二の丸とか、「丸」って付くのはそう言う意味だったりして?

 

歴史先生:そうなんです! 丸い曲輪、それが名前の由来です。

 

マナブ:へぇー、知らなかった。

 

千畳敷から弁天池方面を見下ろす

 

歴史先生:千畳敷の一番奥に展望が開けたところがあります。かつてはこの下に「弁天池」という池がありました。湧き水をせき止めて作った池ですが、今ではその堰を切ってあり、水は無くなっています。

 

マナブ:籠城した時のための、飲み水の溜池でしょうか?

 

歴史先生:いい推測ですね、そうだったのかもしれません。埼玉県の鉢形城、ここは氏照の弟、氏邦が造ったお城ですが、そこに弁天池という池があって、舟を浮かべて遊んでいた記録があります。ここでも同じように舟を浮かべていたのかもしれません。

 

歩きやすい整備された道が続く

 

中の丸の南側にある土橋から見た深い空堀

 

 

マナブ:千畳敷から中の丸のほうへ歩いてきています。ここはもう二の丸(地図 ❹)の中にいるんですね。

 

歴史先生:そうですね。信玄軍はここまでたどり着けませんでした。ここを過ぎると、また狭い土橋を通って中の丸へと攻め入ります。ここもしっかりと深い空堀が掘ってありますね。

 

マナブ:これは攻めるのが大変だ。もう何度も死んでいます(笑)。

 

いよいよ中の丸、そして本丸へ

 

中の丸には公園内で唯一のお手洗いがある

 

中の丸にある案内所は平日のためか閉まっていた

 

 

マナブ:平坦な広い場所に出てきました。ここが中の丸(地図 ❺)、ですね。

 

案内所の裏手にある展望台

 

歴史先生:つい見落としがちなんですが、案内所の裏手に展望台があります。ぜひここは見ていきましょう。

 

展望台から多摩川を見下ろす

 

マナブ:あぁ、いい眺めだ。多摩川と、その北側の平野が見渡せますね。

 

歴史先生:ここは河越道が走っていて、多摩川を渡る「平の渡し」があった交通の要所でした。滝山城がこの場所に築かれたのはこの要衝を抑える意味合いもあったようです。

 

本丸へ渡る「引き橋」

 

 

歴史先生:ではいよいよ本丸(地図 ❻)へ。中の丸を攻略したら、次はいよいよ本丸です。中の丸と本丸の間には深い空堀が掘ってあります。

 

マナブ:それがこの橋ですね。

 

歴史先生:はい、当時はこれは「引き橋」でした。

 

マナブ:引き橋?

 

歴史先生:はい、いざという時は引っ張って片付けることができる橋のこと、です。

 

マナブ:では中の丸が敵の手に落ちたら、この橋を片付けて通れなくする。

 

歴史先生:はい、そのとおりです。

 

本丸

 

歴史先生:さぁ、いよいよ本丸に到達。入口には枡形があって、これが最後の砦になります。

 

マナブ:最後にまたやられそう。

 

歴史先生:幾重にも防御施設が重なる、とても堅固な城だということがわかっていただけましたか?

 

マナブ:はい、よくわかりました。

 

空堀の底から見る引き橋

 

歴史先生:帰り道は本丸のもう1つの枡形入口から出て、空堀の底へ行きましょう。そこから引き橋を見上げることができます。

 

滝山城の強みは二の丸の鉄壁の守りにあった

 

帰り道は「信濃曲輪」と標識のある道を通ってみる

 

 

歴史先生:さて、本丸まで見ましたが、ここ滝山城の縄張りで特徴的なのは二の丸の防御の堅さです。実際に信玄も二の丸の攻略ができずに撤退したのですが、二の丸にはいくつもの馬出が設けられていて、絶対にここを守る、という形になっています。

 

マナブ:なるほど。

 

歴史先生:帰り道はその二の丸を外側から見て、どう攻めるか考えてみましょう。

 

道を間違えやすいポイント。この標識が出たら、右側の「滝山城址下(バス停)」と書かれた方向へ進む。

 

行き止まりの曲輪(ふくろのねずみ)

 

マナブ:さて、おもしろい名前の曲輪に来ました。「行き止まりの曲輪(ふくろのねずみ)」、とあります。

 

歴史先生:ここは尾根を登って来る攻め手が押し寄せる場所の1つになるんですが、狭い曲輪の出口の土橋が両方とも極端に狭い。よって2か所の狭い土橋を抑えれば「ふくろのねずみ」になってしまう場所なんです。

 

マナブ:なるほど。

 

幅50㎝ほどのせまい土橋

 

大馬出

 

マナブ:狭い土橋の先には広い大馬出があります。

 

歴史先生:守備側はここにも兵を出して、ふくろのねずみを攻撃してくることでしょう。

 

二の丸南側の空堀

 

 

歴史先生:二の丸を南側から見ながら歩いていきます。

 

マナブ:深い空堀がずーっと続いていますね。地形図でもはっきりとわかります。

 

歴史先生:これだけ深い空堀を数百メートルにわたって掘ったんですね。そして敵の攻め口には効果的な馬出をいくつも設置しています。

 

二の丸南側の空堀

 

歴史先生:二の丸を外側から見てみましたが、どうでした?

 

マナブ:いやー、攻められそうな場所は見当たりませんでした。この城はとにかく二の丸で防御する城なんですね。そこを突破できればあとの中の丸、本丸はなんとか攻略できそうな気がしました。

 

歴史先生:ということで、今日のお城攻めはここまで。滝山城、いかがでしたか?

 

マナブ:空堀とか土橋とか、なんとなく知っているつもりでしたが、今日、実によく残されている本物を見れて、とてもよく理解ができました。中世の城の遺構として、これはとても貴重なものですね。天守閣のあるようなお城もいいですが、より実際の戦いを感じられるようなこういったお城も味わいがあります。

 

 

歴史先生:最後に、地図の左上にある「山の神曲輪」について。

 

マナブ:ここは何でしょう?

 

歴史先生:一説にはここは他国から攻められたときに村人たちを避難させてかくまう、隠し砦のようなものだったのではないかとされています。

 

マナブ:おぉ。領主としての村人を思うやさしさを感じるお話ですね。

 

歴史先生:天野坂の方から上ってきたとき、三の丸の手前で左に行く尾根道がありましたが、そこをずーっと奥までいった山頂です。なかなか敵もそこまでは攻められなかったのかもしれません。

 

マナブ:とても広範囲におよぶ、スケールの大きな城跡でした。とても見ごたえがありました。

 

 

​歴史好きのための観光ガイド
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