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登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
溜池山王駅からスタート。歴史と坂の街歩きの始まり。

都心とは思えない、江戸時代の雰囲気を残す氷川神社

歴史と坂の街歩き。次は二・二六事件の凄惨な事件現場。

東京にある豊川稲荷は、あの名奉行ゆかりの寺?

エスカレーターで楽々参拝できる日枝神社。でも昔はどうなっていた?


溜池山王駅からスタート。歴史と坂の街歩きの始まり。


溜池山王駅前では再開発が進む



マナブ:今日は溜池山王駅に来ています。


歴史先生:マナブさん、このあたりはなじみの深い場所でしたよね?


マナブ:はい、このあたりの会社に何年か通っていました。


歴史先生:懐かしい感じですか?


マナブ:たしかに懐かしい感じもしますが、どんどん新しいビルが建って、景色がすっかり変わってしまいました。ビックリです。


六本木通りからこの路地を北へ。ゆるやかな坂を登っていく。


歴史先生:では、この路地に入っていきましょう。


マナブ:このあたりもランチによく来たなぁ。


勝海舟・坂本龍馬の師弟像 (地図 ❶)


マナブ:ん? これは?


歴史先生:さて、いきなり歴史スポットに来ましたよ。ここは明治維新後に勝海舟が住んだ邸宅の跡。勝海舟は幕臣ですが、その知識と進歩的な考え方、明治維新への貢献から、維新政府でも要職を歴任しました。


マナブ:ここが勝海舟の旧宅跡ですか。


歴史先生:はい、ここは勝海舟が亡くなった後、東京市に寄付され、氷川小学校となりました。現在は廃校になり、児童館になっています。勝海舟はこの赤坂の地をとても気に入っていたようで、赤坂の中で3か所住み替えています。あとでもう1か所、立ち寄りますね。


マナブ:楽しみにしておきます。


歴史先生:ではここを左折して、アメリカ大使館宿舎の所へ行きます。


南部坂


マナブ:おっと、ここはかなり急な坂道ですね。


歴史先生:六本木通りからアメリカ大使館宿舎の脇を登ってくる坂、ここは南部坂(地図 ❷)です。このあたりの地形図を見てみましょう。



マナブ:このあたり、起伏が激しいですね。南部坂はちょうど台地のはしっこ、崖になってるところだ。


歴史先生:忠臣蔵が好きな人は、「南部坂 雪の別れ」、と言えばおわかりでしょう。


マナブ:えーっと、私はそんなに詳しくない(苦笑)。


歴史先生:こんなお話なんです。忠臣蔵の時代、ここの坂の上には浅野内匠頭の奥さんの実家がありました。奥さんである瑤泉院は夫の菩提を弔いながら、家来たちがいつ仇討ちをしてくれるのかと心待ちにしていました。


マナブ:ふむふむ。


歴史先生:そしてある雪の降る日、これは討ち入り当日の12月14日なのですが、大石内蔵助と息子の主悦(ちから)がここを訪れます。本当は「これから討ち入りをします」と言って別れを告げたかったのですが、女中の中に見知らぬ顔があるのを見つけた内蔵助は万が一の情報漏洩を避けるため、「私は仇討ちなどする気は毛頭ない。これからも遊んで暮らしますよ。」と言い放って屋敷を後にします。浅野内匠頭の奥さんは「情けない!」と怒るやら悲しいやら。


マナブ:辛いですね。


歴史先生:内蔵助は辛い気持ちをこらえ、主税と共に雪を踏みしめながら南部坂を下っていきます。


マナブ:絵になるなぁ。


歴史先生:でも内蔵助は女中に四十七士の連判状をこっそり渡していたのでした。それを後で知った奥さんは大いに泣き崩れます。そしてその夜、見事に本懐を遂げるのです。


マナブ:あぁ。まさにドラマとか演劇になりそうなシナリオですね。


歴史先生:はい、まさに演劇になりそうなシーンですが、実はこの話は演劇のために後から足されたフィクション。よって、たとえば吉川英治さんの「新編忠臣蔵」などにはこの話は出てきません。


マナブ:あら、そうなんですか。ぐっとくるお話だっただけに、なんだか残念。



<読んでおきたい本>

新編忠臣蔵

吉川英治



上下2巻。よく知られた忠臣蔵のストーリー。単なる勧善懲悪ではなく、吉良側の見方も含んだバランス感覚に優れた歴史小説。吉川英治氏の格調高い文章でもう一度、この物語を読み直してみてはいかがだろうか。



都心とは思えない、江戸時代の雰囲気を残す氷川神社


氷川神社 東側の参道



氷川神社 (地図 ❸)

〒107-0052 東京都港区赤坂6丁目10−12

境内自由

9:00~17:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.akasakahikawa.or.jp/ 


歴史先生:さて、アメリカ大使館宿舎の横を通って、氷川神社に来ました。いくつか入口がありますが、ここは東側から入るのが正式な参道です。


マナブ:あ、こちらから入るのが正しいんですね。


四合稲荷(しあわせいなり)


歴史先生:参道を進むと、石段の手前右側に四合稲荷(しあわせいなり)があります。


マナブ:幸福そうな名前ですね。


歴史先生:はい。ここは1898年(明治30年)に近隣の4つの稲荷神社を合祀したものなんですが、ご近所の名士である勝海舟先生が「幸福」と「志を合わせる」という意味をこめて名付けたんだそうです。


マナブ:ほぉ、ここにも勝海舟の足跡が。


太鼓橋


マナブ:ここ、実は私の大好きな場所なんです。働いている時に昼休みに何度か休憩しに来たことがあります。都心の神社って、どこもなんだか近代的になっていて、開放的で明るい。地面もコンクリート舗装。それにいろんな商売っ気が目立ちます。でもここ氷川神社はうっそうと木が茂っていて、なんだか妖怪でも出そうな雰囲気。


歴史先生:なるほど、たしかにそうですよね。ここは都心では珍しい、江戸時代の雰囲気をそのまま残している神社かもしれません。


氷川神社の鳥居と楼門


氷川神社 拝殿


歴史先生:さて、この氷川神社ですが、平安時代の中頃の951年、蓮林僧正という人が一ツ木村(今の赤坂見附駅付近)に泊まった際に夢でお告げがあり、そこに社殿を建てたのが始まり。


マナブ:元々はこの場所ではなかった、ということですか?


歴史先生:はい、そうなんです。ところで八代将軍徳川吉宗は紀州の徳川家の人ですが、紀州藩の中屋敷が赤坂にあったことから氷川神社を手厚く保護します。そして1730年、一ツ木村から、丘の上の広いこの地に遷座を行いました。当然ながら、吉宗公ご本人も参拝にみえたそうですよ。


マナブ:今度は暴れん坊将軍だ。


歴史先生:ここの社殿ですが、安政の大地震、関東大震災、そして東京大空襲でも奇跡的に被害が少なく、江戸時代の創建当時の姿を今にとどめています。


マナブ:東京は災害が多いので、そういう神社って実は珍しいんですよね?


歴史先生:そうなんです。


拝殿・本殿と梅の花


美しい築地塀(ついじべい)も見られる。


マナブ:先日、大宮の氷川神社に行きました。関東には氷川神社がたくさんありますよね。ここもその1つ、というわけですね。


歴史先生:うーん、実はそこが謎なんです。ここの縁起では、蓮林僧正が開いた神社とされていて、大宮の氷川神社から勧請したという記録はないんです。社名も、ここで雨乞いをしたところ雨が降って水が湧き出たことから氷川と名付けられた、とされています。


マナブ:え、そうなんですか?


歴史先生:でも祭神はスサノオとその奥さん、そして大国主命なので、まさしく氷川神社のファミリー。どうみても大宮の氷川神社の末社に見えるのですが。


マナブ:謎、ですね。


境内には計7対の狛犬がある


歴史先生:ところでこの地ですが、三次藩浅野家の下屋敷だったところ。ここは瑤泉院、すなわち浅野内匠頭の奥さんの実家跡。


マナブ:えっ? ここが? あのお話では大石内蔵助がここへ来た、ということにしたんですね。


歴史先生:はい、そうです。松の廊下の事件が1701年3月14日。吉良邸討ち入りが翌年1702年12月14日です。その後三次藩浅野家は跡継ぎに恵まれず、1718年に断絶となり、この土地は幕府に返還されていたんです。


マナブ:1730年になって、ここが空いてるぞということで、吉宗が氷川神社を移したというわけか。いろんな歴史が重なっていて面白い。


樹齢450年の大銀杏


歴史先生:この大銀杏、立派でしょ? 港区の天然記念物です。


マナブ:ずいぶん太いですね。


歴史先生:樹齢450年と推定されますから、織田信長がまだ生きていた時代からここに立っていることになります。


マナブ:うわぁ、そう考えるとすごい。


歴史先生:でも1945年(昭和20年)の東京大空襲ではこの木も一部が焼損してしまい、今でもその傷跡が残っています。


マナブ:それもまた歴史が刻まれている・・・。


歴史先生:そんな大銀杏、秋には本当に美しい黄色い姿をみせてくれます。


マナブ:またそのころに来たいですね。


本氷川坂(もとひかわざか)


本氷川坂を下から見上げる


歴史先生:氷川神社の西側の坂を赤坂駅方面に向かって下ります。ここは本氷川坂。(地図 ❹)


マナブ:さっきから車がばんばん通っています。「速度落せ」って路面に大きく書いてますけど、ここ、本当に危ない。急な下り坂だし、カーブを曲がったあと、急に道幅も狭くなる。


歴史先生:しかもS字に曲がっています。東京の中でも面白味のある坂の1つ、でしょうね。


マナブ:「本氷川坂(もとひかわざか)」という名前からして、こちらが元々の参道だったとか?


歴史先生:いえ、違うんです。実はこの坂の途中に、別の小さな氷川神社が元々あったんです。ところが吉宗の時代になって、裏の丘の上に大きくて新しい氷川神社が移ってきた。


マナブ:ややこしいことになりました。


歴史先生:ということで、元々あったほうを本氷川神社、と呼ぶようになったんです。だからここは本氷川坂。そして本氷川神社は明治中期に丘の上の氷川神社に合祀されました。


マナブ:坂の名前1つをとってもいろいろとわかることがありますね。


勝海舟邸跡


歴史先生:本氷川坂を下りたところにあるのが、勝海舟の邸宅跡です。


マナブ:あ、さっき言われてたところですね。


歴史先生:先ほどの場所は明治維新後になってから勝海舟が住んだ場所でしたが、こちらは勝海舟が36歳から45歳まで住んだ場所。まさに幕末の動乱期をここで過ごしています。


マナブ:もしかして、坂本龍馬が勝海舟の家に暗殺するために押し入って、逆に説得されて弟子になったというのはここの話?


歴史先生:はい、まさにここでの出来事です。


マナブ:そう思うと、ここはとても感慨深い場所ですね。そういえば、両国で行った勝海舟の生家があった場所って吉良邸のすぐ近くでしたよね。そして今度は浅野家の奥さんの実家のすぐ近く。


歴史先生:勝海舟と忠臣蔵では150年ほど時代が離れていますが、なんだか両者の間に縁を感じてしまいますね。



<読んでおきたい本>

勝海舟 私に帰せず

津本 陽



上下2巻。幕末、瓦解していく幕府の中で一人気を吐く論客だった勝海舟。世界情勢を理解し、日本の将来を見据えたゆるぎない思想は薩摩や長州人の心にも響いた。彼の弁舌の歯切れよさが気持ちいい読後感をもたらす。幕末の動乱の真っただ中で生き抜いた彼の一生を、彼の目を通して丁寧に追いかけていく、幕末歴史ファンにはたまらない歴史小説だ。



歴史と坂の街歩き。次は二・二六事件の凄惨な事件現場。

 

赤坂は坂の街。一ツ木公園は坂の上にある。



マナブ:赤坂通りを渡って北側へ歩いています。今まであんまり考えなかったんですが、たしかにこのあたりは坂が多い。


歴史先生:はい、ここからまたすごい坂を登ります。


三分坂と報土寺


マナブ:これはえらく急な坂ですね。


歴史先生:三分坂、といいます。とっても急な坂なので、上るための運賃が割増しになったとか。ここでまた地形図を見てみましょう。



マナブ:なるほど、また台地の上にギュッと登るところですね。


歴史先生:そうなんです。そして坂の下にあるのが報土寺です(地図 ❻)。


三分坂と報土寺の築地塀


報土寺


歴史先生:ここ報土寺には雷電為右衛門のお墓もあります。


マナブ:雷電というと、昔のお相撲さん?


歴史先生:はい、江戸時代の大関です。当時は横綱というものがなかったので、大関が最高位でした。ここ報土寺は見事な築地塀が残っていることでも有名です。


マナブ:でもこの築地塀、ものすごい坂にそって斜めになってるところがユニークですよね。


薬研坂(やげんざか)


歴史先生:少し歩くと、今度は薬研坂(やげんざか)に来ました。


マナブ:薬研って?


歴史先生:ほら、薬草をすりつぶして粉や汁にするために、両手で車のようなものをゴリゴリと引いてる器具、見たことありません?


マナブ:なんとなくわかります。


歴史先生:あの受け皿の部分、その窪みに似ているから、ここは薬研坂と言われています。


マナブ:たしかにここの地形は緩やかに下って、またすぐに緩やかに登る形をしていますね。地形図を見ると、ここは谷になっていて、谷に下ってまたその先の台地に登る地形になっています。


高橋是清翁像


マナブ:246号線沿いの公園に入ってきました。


歴史先生:ここは高橋是清翁記念公園(地図 ❼)、です。高橋是清という人物、ご存じですか?


マナブ:えーっとたしか、五・一五か二・二六事件で殺された?


歴史先生:はい、二・二六事件のほうです。


マナブ:たしか首相でしたっけ?


歴史先生:そうです。高橋是清は財務大臣として大きな成果を上げた後、首相にもなりました。彼は財務に明るく、日本の国家財政の現状をよく理解していました。しかし彼が生きた昭和初期、軍部がますます力を増して、軍事費は際限なく増大。高橋是清はそれに対して強く異を唱えていました。


マナブ:当時の軍部に逆らう、というのは大変な勇気のいることですよね?


歴史先生:その通りです。高橋は自分の命が無くなることを覚悟したうえで、軍事費の抑制を主張していました。その結果、二・二六事件が起きます。


マナブ:軍人たちが高橋の家に乗り込んで殺害。


歴史先生:はい。1936年(昭和11年)2月26日のことでした。その高橋の自宅跡がここ、高橋是清翁記念公園なんです。


高橋是清翁記念公園


凄惨な歴史の事件現場も今では都会のオアシス


マナブ:入った時はここは素敵な公園だな、と思いましたが、そういう凄惨な事件が起きた場所だったんですね。


東京にある豊川稲荷は、あの名奉行ゆかりの寺?


とらや 赤坂店



マナブ:246号線を赤坂見附に向かって下っていきます。おっと、何か素敵な感じの建物がありますね。「やらと」?


歴史先生:「とらや」です(笑)。


マナブ:あ(笑)、よくデパ地下でみる和菓子店。


歴史先生:そうです、そうです。この界隈は斬新な建築も多いので、建物を見て回るだけでも楽しいですね。


豊川稲荷 東京別院と246号


豊川稲荷 東京別院 (地図 ❽)

〒107-0051 東京都港区元赤坂1丁目4−7

境内自由

5:30~20:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

http://www.toyokawainari-tokyo.jp/


歴史先生:とらやの前の横断歩道を渡ったところが「豊川稲荷 東京別院」です。


マナブ:豊川稲荷というと、愛知県の?


歴史先生:はい。ここは愛知県の豊川稲荷直轄の別院です。


3月中旬は早咲きのサクラが見ごろに


豊川稲荷 山門


歴史先生:とらやの方から入ると裏から入ることになるので、246号を少し下って表から入りましょう。


マナブ:ここの山門から中へ入ります。


手水舎


拝殿・本殿


マナブ:さて、手水舎で手を清めて、それから拝殿・本殿でお参りをしました。


歴史先生:今お参りをされたのは、ご本尊の「豊川ダ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)」です。これは順徳天皇の皇太子が感得されたという、仏法守護の神様。


マナブ:順徳天皇って聞いたことがあるような・・・。


歴史先生:後鳥羽上皇のお子さんです。


マナブ:後鳥羽上皇というと、承久の乱?


歴史先生:はい。承久の乱に敗れた後鳥羽状況は隠岐に流された、というのは有名ですね。


マナブ:はい。


歴史先生:承久の乱の時の天皇が順徳天皇。父である後鳥羽上皇が承久の乱の首謀者だとしても、それに加担した天皇の責任も問われたわけです。


マナブ:ですよね。


歴史先生:そのため、順徳天皇は佐渡へ流されました。その時まだ25歳。


マナブ:まだ若い。


歴史先生:結局、順徳天皇は佐渡から戻ることなく、そのまま佐渡で46歳で生涯を閉じました。


マナブ:悲劇の天皇、ですね。


歴史先生:はい。では本題に戻って、豊川ダ枳尼眞天のお話。稲穂をかついで白いキツネにまたがっている姿をされていることから、「豊川稲荷」と通称で呼ばれているんです。


マナブ:稲荷神社はとてもたくさんあると思うんですが、普通の稲荷神社とは違うんですか?


歴史先生:普通の稲荷神社は「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」を祭神としています。宇迦之御魂大神はスサノオの子で、農業神とされています。稲がたくさん実るように、人々がお祀りしたんですね。


マナブ:同じような農業に関する霊験のある神様だけど、ちょっと違うんですね。


歴史先生:いいえ、実は宇迦之御魂大神というのは本地垂迹説によるとダ枳尼眞天が仮の姿として現れたもの。


マナブ:ん? なんだか急にむずかしい話になりました。


歴史先生:ごめんなさい(苦笑)。「本地垂迹説」っていうのは9世紀から10世紀にかけて広まった思想で、それまでの日本の神様と、新しくはいってきた仏様の関係を説明するものです。それによると、日本の八百万(やおよろず)の神々は、仏様たちが仮の姿として世に現れたものだ、ということなんです。


マナブ:ということは神様と仏様がペアになってる。


歴史先生:そういうことです。宇迦之御魂大神とダ枳尼眞天がここでは同一と考えられます。


マナブ:なるほど。


拝殿前のキツネ


マナブ:ところでお稲荷さんというとキツネ、っていうのはどうしてなんですか?


歴史先生:それは古来からの日本人の考え方によるものなんです。この世には山の神、田の神がいて、春になると山の神は里へ下りてきて田の神になります。そして秋の収穫を終えると田の神は山へと帰っていきます。


マナブ:ふむふむ。


歴史先生:キツネも春になると山から下りてきて、秋ごろには山へ帰っていきます。そのことから、キツネは農業神のお使い、と考えられたんですね。


マナブ:原始的な神様への考え方が、稲荷=キツネ、という連想を生んだんですね。


歴史先生:まさにそのとおりです。


大岡廟


歴史先生:さて、次は隣の大岡廟。これは大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)を祀ったもの。


マナブ:ん? 今日はテレビの時代劇に出てくる人の話が多い。なぜここに大岡越前の廟堂があるんでしょう?


歴史先生:大岡越前は日頃から豊川稲荷に帰依して、邸内に豊川稲荷社を祀っていたんだそうです。大岡邸はここからすぐの一ツ木村にあったのですが、明治20年に豊川稲荷社が現在地に移され、これが現在の豊川稲荷 東京別院となったんです。


マナブ:名奉行が深く信仰した豊川稲荷。理論的で現実的な人というイメージがありましたが、信仰にも厚い人だったんですね。


大黒堂


銭洗弁天


奥の院


マナブ:ここ豊川稲荷はそんなに広くないんですが、狭い敷地にぎっしりといろんな神様が祀られていますね。


歴史先生:昔の人にとってはこれほどありがたい場所はなかったことでしょう。


境内にはいたるところにキツネが


マナブ:あれ? あれあれ?


歴史先生:どうしました?


マナブ:手水舎で手を清めて、鳥居をくぐって、拝殿と本殿があって。弁天様にもお参りして。それって神社じゃないですか。でもここに入るところは山門って書いてあったし、さっきお参りしたのは仏様だって言うし。


歴史先生:はい。


マナブ:ここって、神社ですか? お寺ですか? そんな一番基本のところがわかってない。


歴史先生:たしかにそうですよね。結論からいうと、豊川稲荷はお寺です。妙厳寺という曹洞宗のお寺なんですよ。


マナブ:へぇー、さっきまで神社のような感覚でお参りしてました。神道と仏教って、長い歴史の中で大いに絡み合ってるんですね。


歴史先生:はい。それを明治になって無理に神仏分離が進められ、廃仏毀釈で貴重な文化財が多数破壊されたりしたんです。


マナブ:今となってはとても残念なことですね。


境内横の駐車場に数軒並ぶ土産物店では手作りの「いなり寿司」も売られていて、店によって味が違うらしい


マナブ:さすがお稲荷様。売店で「いなり寿司」が売られています(笑)。


歴史先生:今では誰もが知っているいなり寿司ですが、その発祥は愛知県の豊川稲荷の門前、と言われているんですよ。


マナブ:へぇー、それは知りませんでした。


豊川稲荷前の歩道橋は赤坂見附の近未来的な立体交差のビューポイント


マナブ:豊川稲荷を出て、赤坂見附方向へ歩いています。国道246号線を歩道橋で渡るのですが、この上からの眺めがとてもいい。


歴史先生:ほんとですね。昭和の高度成長時代にこの赤坂見附付近の立体交差ができました。当時はここが東京らしい、大都会の景色の1つだったんでしょうね。


一ツ木通り


マナブ:さて、赤坂見附駅の近く、「一ツ木通り」に入ってきました。このあたりがかつての一ツ木村ですね。


歴史先生:はい。いまではにぎやかな商店街になっていますが、元々の氷川神社は一ツ木通りの入口、246号沿いのあたりにありました。このあたりは江戸時代にはお寺が並んでいた場所。今でも赤坂不動尊 威徳寺があります。


威徳寺


威徳寺 (地図 ❾)

〒107-0052 東京都港区赤坂4丁目1−10

境内自由

9:00~18:00(金・土は19:00まで)、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.akasakaitokuji.com/ 


歴史先生:今では近代的なビルのお寺になっていますが、ここの不動明王は由緒あるもの。なんと最澄が彫ったものとされています。


マナブ:えっ、急に平安時代初期の話になった。ここで最澄の話が出るとは想像していませんでした。


歴史先生:805年、最澄が唐への留学を終えて帰国する際に海が荒れて、それを鎮めるために彫って海中に投じた不動明王だそうです。


マナブ:それがなぜここに?


歴史先生:858年に越後の漁師が海中で光る不動明王を発見し、これが最澄のものだという話になりました。その後下総のお寺に移されましたが、1600年にここ一ツ木村に寺が建立され、この不動明王も移されました。


マナブ:ふむふむ。


歴史先生:氷川神社の時にお話ししたようにここ赤坂は紀州徳川家の中屋敷があった場所で、このお寺は紀州徳川家の祈願寺として栄えます。その御威徳により、ここは威徳寺と呼ばれるようになったんだそうです。


マナブ:赤坂といえば紀州徳川家、なんですね。今回勉強しました。


歴史先生:だって、紀尾井町っていうのは紀州、尾張、井伊の大名屋敷があった場所、ですよね?


マナブ:あ、そうか。そうでした。


エスカレーターで楽々参拝できる日枝神社。でも昔はどうなっていた?


外堀通りに立つ大鳥居



日枝神社 (地図 ❿)

〒100-0014 東京都千代田区永田町2丁目10−5

境内自由

宝物殿は6:00~16:00、火曜・金曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.hiejinja.net/ 


マナブ:さぁ、本日の最終目的地、日枝神社に来ました。


歴史先生:外堀通りにある大鳥居の前に来ています。ここからエスカレーターで登って参拝できるようになっています。ところで以前、滋賀県を旅した時に日吉大社へ行きましたよね?


マナブ:はい。日枝神社、日吉神社、そして山王神社をまとめる総本社でしたよね?


歴史先生:その時、山王鳥居の話をしました。


マナブ:覚えてますよ。この独特の形。山の神様だから山王。そして鳥居に山の形が乗っていますね。


歴史先生:そして、この外堀通りの入口は本来の参道ではない、という話をしました。


マナブ:そうでした。でも、それってどういうことなんですか?


歴史先生:考えてみてください。今私たちがいるのは外堀通り。


マナブ:あ、そうか。ここは道ではなくて、かつてはお堀。


歴史先生:そしてすぐそばにあるのは溜池山王駅。このあたりからお堀の幅が広がって、ため池になっていたんですね。


マナブ:ということはこのあたりはずーっと水、だ。


歴史先生:昔は幅の広いお堀があって、その向こうに急な斜面があって、その上に神社がある、という景色だったはずです。


日吉神社のエスカレーター



エスカレーターからは首相官邸もよく見える


マナブ:3基のエスカレーターを乗り継いで楽々、丘の上に登ります。


歴史先生:エスカレーターを上がったところに境内の案内図がありますので見ていきましょう。


境内の案内図


宝物殿


歴史先生:まずは宝物殿。日吉神社が保有する刀剣や徳川家ゆかりの品などが展示されています。お参りの前にここを見ていきましょう。


神門


神門へ通じる男坂


マナブ:宝物殿の横にすごい坂があります。急な階段ですね。ひょっとしてここが?


歴史先生:はい、ここが本来の参道です。昔は国会議事堂の方から、一度谷を下って、そしてこの急坂を再び登って参拝していたんです。


本殿


マナブ:神門をくぐって中に入ると正面に立派な本殿があります。ここはどういう由緒があるんですか?


歴史先生:元々は江戸氏が山王宮として祀っていたもの。1478年にそれを太田道灌が江戸城築城に当たって江戸城内で祀るようにしました。


マナブ:太田道灌ですか。


歴史先生:そして今度は徳川家康が江戸城に入城する際に鎮守の社として崇敬。2代将軍秀忠が江戸城を大改造した際に、城の外へ出されました。


マナブ:それがここ。


歴史先生:いえ。その時は今の隼町国立劇場のあたりでした。城外に出たことで、江戸の町人も参拝できるようになりましたが、明暦の大火(1657年)で焼失。時の4代将軍家綱が今の場所に豪華絢爛な権現造りの社を建てました。


マナブ:この地は江戸城の裏鬼門ということを聞いた気がします。


歴史先生:そうですね。鬼門である北東には上野寛永寺や神田明神。そして裏鬼門の南西には日枝神社を配しました。


マナブ:江戸時代の建物は、残ってはないんですよね。


歴史先生:江戸時代の建物は国宝になっていたんですが、1945年の東京への度重なる空襲で焼失してしまいました。戦後の復興の中で、ようやく1958年(昭和33年)にできたのが今の建物なんです。


本殿の脇を守る猿


神門の裏を守る猿


マナブ:境内には猿の像がたくさん。滋賀県の日吉大社でこれは見ましたよ。たしか神の猿、と書いて「まさる」。


歴史先生:はい、そうでしたね。魔が去る、とかけていました。


マナブ:ここのお猿さんたちは、とってもりりしいです。しっかり神社を守ってる、という使命感さえ感じます。


稲荷参道(上から見たところ)


稲荷参道 (下から見たところ)


歴史先生:日吉神社で外国人観光客に特に人気なのが、この稲荷参道。帰りはこちらを通って丘を下りましょう。


マナブ:京都の伏見稲荷みたいな、SNS映えする写真が撮れそうですね。


山王鳥居


歴史先生:さて、また大鳥居の前に戻ってきました。今日の赤坂の歴史街歩き、いかがでした?


マナブ:以前この辺で働いていたのでなんとなく知っていたような気がしていましたが、こうやってじっくり歩いてみると、とても歴史がある街だったんだなぁ、というのがあらためてわかりました。魅力的な坂も多くて、ここはぜひ皆さんにも歴史を感じながら歩いていただきたいですね。


​歴史好きのための観光ガイド
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