
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
溜池山王駅からスタート。歴史と坂の街歩きの始まり。
都心とは思えない、江戸時代の雰囲気を残す氷川神社
歴史と坂の街歩き。次は二・二六事件の凄惨な事件現場。
東京にある豊川稲荷は、あの名奉行ゆかりの寺?
エスカレーターで楽々参拝できる日枝神社。でも昔はどうなっていた?
溜池山王駅からスタート。歴史と坂の街歩きの始まり。

溜池山王駅前では再開発が進む

マナブ:今日は溜池山王駅に来ています。
歴史先生:マナブさん、このあたりはなじみの深い場所でしたよね?
マナブ:はい、このあたりの会社に何年か通っていました。
歴史先生:懐かしい感じですか?
マナブ:たしかに懐かしい感じもしますが、どんどん新しいビルが建って、景色がすっかり変わってしまいました。ビックリです。

六本木通りからこの路地を北へ。ゆるやかな坂を登っていく。
歴史先生:では、この路地に入っていきましょう。
マナブ:このあたりもランチによく来たなぁ。

勝海舟・坂本龍馬の師弟像 (地図 ❶)
マナブ:ん? これは?
歴史先生:さて、いきなり歴史スポットに来ましたよ。ここは明治維新後に勝海舟が住んだ邸宅の跡。勝海舟は幕臣ですが、その知識と進歩的な考え方、明治維新への貢献から、維新政府でも要職を歴任しました。
マナブ:ここが勝海舟の旧宅跡ですか。
歴史先生:はい、ここは勝海舟が亡くなった後、東京市に寄付され、氷川小学校となりました。現在は廃校になり、児童館になっています。勝海舟はこの赤坂の地をとても気に入っていたようで、赤坂の中で3か所住み替えています。あとでもう1か所、立ち寄りますね。
マナブ:楽しみにしておきます。
歴史先生:ではここを左折して、アメリカ大使館宿舎の所へ行きます。

南部坂
マナブ:おっと、ここはかなり急な坂道ですね。
歴史先生:六本木通りからアメリカ大使館宿舎の脇を登ってくる坂、ここは南部坂(地図 ❷)です。このあたりの地形図を見てみましょう。

マナブ:このあたり、起伏が激しいですね。南部坂はちょうど台地のはしっこ、崖になってるところだ。
歴史先生:忠臣蔵が好きな人は、「南部坂 雪の別れ」、と言えばおわかりでしょう。
マナブ:えーっと、私はそんなに詳しくない(苦笑)。
歴史先生:こんなお話なんです。忠臣蔵の時代、ここの坂の上には浅野内匠頭の奥さんの実家がありました。奥さんである瑤泉院は夫の菩提を弔いながら、家来たちがいつ仇討ちをしてくれるのかと心待ちにしていました。
マナブ:ふむふむ。
歴史先生:そしてある雪の降る日、これは討ち入り当日の12月14日なのですが、大石内蔵助と息子の主悦(ちから)がここを訪れます。本当は「これから討ち入りをします」と言って別れを告げたかったのですが、女中の中に見知らぬ顔があるのを見つけた内蔵助は万が一の情報漏洩を避けるため、「私は仇討ちなどする気は毛頭ない。これからも遊んで暮らしますよ。」と言い放って屋敷を後にします。浅野内匠頭の奥さんは「情けない!」と怒るやら悲しいやら。
マナブ:辛いですね。
歴史先生:内蔵助は辛い気持ちをこらえ、主税と共に雪を踏みしめながら南部坂を下っていきます。
マナブ:絵になるなぁ。
歴史先生:でも内蔵助は女中に四十七士の連判状をこっそり渡していたのでした。それを後で知った奥さんは大いに泣き崩れます。そしてその夜、見事に本懐を遂げるのです。
マナブ:あぁ。まさにドラマとか演劇になりそうなシナリオですね。
歴史先生:はい、まさに演劇になりそうなシーンですが、実はこの話は演劇のために後から足されたフィクション。よって、たとえば吉川英治さんの「新編忠臣蔵」などにはこの話は出てきません。
マナブ:あら、そうなんですか。ぐっとくるお話だっただけに、なんだか残念。
<読んでおきたい本>
新編忠臣蔵
吉川英治

上下2巻。よく知られた忠臣蔵のストーリー。単なる勧善懲悪ではなく、吉良側の見方も含んだバランス感覚に優れた歴史小説。吉川英治氏の格調高い文章でもう一度、この物語を読み直してみてはいかがだろうか。
都心とは思えない、江戸時代の雰囲気を残す氷川神社

氷川神社 東側の参道

氷川神社 (地図 ❸)
〒107-0052 東京都港区赤坂6丁目10−12
境内自由
9:00~17:00、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
https://www.akasakahikawa.or.jp/
歴史先生:さて、アメリカ大使館宿舎の横を通って、氷川神社に来ました。いくつか入口がありますが、ここは東側から入るのが正式な参道です。
マナブ:あ、こちらから入るのが正しいんですね。

四合稲荷(しあわせいなり)
歴史先生:参道を進むと、石段の手前右側に四合稲荷(しあわせいなり)があります。
マナブ:幸福そうな名前ですね。
歴史先生:はい。ここは1898年(明治30年)に近隣の4つの稲荷神社を合祀したものなんですが、ご近所の名士である勝海舟先生が「幸福」と「志を合わせる」という意味をこめて名付けたんだそうです。
マナブ:ほぉ、ここにも勝海舟の足跡が。

太鼓橋
マナブ:ここ、実は私の大好きな場所なんです。働いている時に昼休みに何度か休憩しに来たことがあります。都心の神社って、どこもなんだか近代的になっていて、開放的で明るい。地面もコンクリート舗装。それにいろんな商売っ気が目立ちます。でもここ氷川神社はうっそうと木が茂っていて、なんだか妖怪でも出そう な雰囲気。
歴史先生:なるほど、たしかにそうですよね。ここは都心では珍しい、江戸時代の雰囲気をそのまま残している神社かもしれません。

氷川神社の鳥居と楼門

氷川神社 拝殿
歴史先生:さて、この氷川神社ですが、平安時代の中頃の951年、蓮林僧正という人が一ツ木村(今の赤坂見附駅付近)に泊まった際に夢でお告げがあり、そこに社殿を建てたのが始まり。
マナブ:元々はこの場所ではなかった、ということですか?
歴史先生:はい、そうなんです。ところで八代将軍徳川吉宗は紀州の徳川家の人ですが、紀州藩の中屋敷が赤坂にあったことから氷川神社を手厚く保護します。そして1730年、一ツ木村から、丘の上の広いこの地に遷座を行いました。当然ながら、吉宗公ご本人も参拝にみえたそうですよ。
マナブ:今度は暴れん坊将軍だ。
歴史先生:ここの社殿ですが、安政の大地震、関東大震災、そして東京大空襲でも奇跡的に被害が少なく、江戸時代の創建当時の姿を今にとどめています。
マナブ:東京は災害が多いので、そういう神社って実は珍しいんですよね?
歴史先生:そうなんです。

拝殿・本殿と梅の花

美しい築地塀(ついじべい)も見られる。
マナブ:先日、大宮の氷川神社に行きました。関東には氷川神社がたくさんありますよね。ここもその1つ、というわけですね。
歴史先生:うーん、実はそこが謎なんです。ここの縁起では、蓮林僧正が開いた神社とされていて、大宮の氷川神社から勧請したという記録はないんです。社名も、ここで雨乞いをしたところ雨が降って水が湧き出たことから氷川と名付けられた、とされています。
マナブ:え、そうなんですか?
歴史先生:でも祭神はスサノオとその奥さん、そして大国主命なので、まさしく氷川神社のファミリー。どうみても大宮の氷川神社の末社に見えるのですが。
マナブ:謎、ですね。

境内には計7対の狛犬がある
歴史先生:ところでこの地ですが、三次藩浅野家の下屋敷だったところ。ここは瑤泉院、すなわち浅野内匠頭の奥さんの実家跡。
マナブ:えっ? ここが? あのお話では大石内蔵助がここへ来た、ということにしたんですね。
歴史先生:はい、そうです。松の廊下の事件が1701年3月14日。吉良邸討ち入りが翌年1702年12月14日です。その後三次藩浅野家は跡継ぎに恵まれず、1718年に断絶となり、この土地は幕府に返還されていたんです。
マナブ:1730年になって、ここが空いてるぞということで、吉宗が氷川神社を移したというわけか。いろんな歴史が重なっていて面白い。

樹齢450年の大銀杏
歴史先生 :この大銀杏、立派でしょ? 港区の天然記念物です。
マナブ:ずいぶん太いですね。
歴史先生:樹齢450年と推定されますから、織田信長がまだ生きていた時代からここに立っていることになります。
マナブ:うわぁ、そう考えるとすごい。
歴史先生:でも1945年(昭和20年)の東京大空襲ではこの木も一部が焼損してしまい、今でもその傷跡が残っています。
マナブ:それもまた歴史が刻まれている・・・。
歴史先生:そんな大銀杏、秋には本当に美しい黄色い姿をみせてくれます。
マナブ:またそのころに来たいですね。

本氷川坂(もとひかわざか)

本氷川坂を下から見上げる
歴史先生:氷川神社の西側の坂を赤坂駅方面に向かって下ります。ここは本氷川坂。(地図 ❹)
