
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
ヤマトタケルに由来する古地名:「駒込」
連戦連勝の太田道灌が戦勝祈願した勝負の神様:妙義神社
バラと洋館が有名な旧古河庭園で、究極の和洋調和の美を見た
八幡太郎義家の伝承が残る豊島氏の居城と、江戸時代の一里塚
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飛鳥山公園(2): 徳川吉宗はなぜここを花見の山にしたのか?
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ヤマトタケルに由来する古地名:「駒込」

マナブ:今日は駒込駅(地図 ❶)に来ています。
歴史先生:早速ですが、「駒込」という地名は、馬がたくさんいる、という意味だと考えられています。
マナブ:このあたりは馬の放牧地だったとか?
歴史先生:はい、そうなんです。古くはヤマトタケルが東征した時に、ここに馬がたくさんいるのを見て「駒、込みたり」と言ったという伝承もあります。
マナブ:古い話すぎて真偽は怪しいけど。
歴史先生:この地はヤマトタケルゆかりの地でもあるんです。異説としては、このあたりに渡来した高麗(こま)人が住んでいたという説もあるようです。
マナブ:そういえば東京には馬に関する地名が多いような気がします。駒場、駒沢、それから練馬・・・。
歴史先生:はい、そうなんです。昔は関東は馬の一大生産地でしたから、地名にそれが残っているところが多いですね。
マナブ:なるほど。
歴史先生:さて、今から王子駅方面に向かって歩いて行くのですが、今日はまず最初に地形図を見てください。

マナブ:どれどれ。台地と低地がはっきりと色分けされていますね。
歴史先生:はい。ここは武蔵野台地の端っこ。直線的に崖が続いています。その崖の下に沿って京浜東北線や新幹線が走っています。
マナブ:東京の地形というのは、西側(山手)は武蔵野台地、東側(下町)は荒川や隅田川の河口の低地、でしたよね?
歴史先生:その通りです。そして武蔵野台地の中を神田川、目黒川、渋谷川、石神井川などが流れていて、それが谷となり、都内の凸凹地形を作っています。
マナブ:湯島の時に勉強したことですが、江戸の寺社の多くは台地の端っこに建てられたんでしたよね。今日行く予定の所をみると、見事に崖に沿って並んでいます。
歴史先生:はい、ここでも同じことが見られます。崖地形を生かした建物、庭園がありますので、なぜここに建てられたのか、地形を念頭に置きながら今日は見ていきましょう。

駒込駅から北は妙義坂の下りになる
マナブ:駒込駅と言えば六義園(りくぎえん)が有名ですが、それは 駅の南側ですよね。今日は北側に向かって歩いています。
歴史先生:さっそく地形を見てみましょう。駒込駅のあたりは台地になっていて、そこを山手線が切通しになって通っています。駅の北側は谷になっていて、ここを下りる道を「妙義坂」、と呼んでいます。
マナブ:たしかに地形図の通り、下り坂になっています。


妙義坂の子育て地蔵
歴史先生:ところで、この道は「日光御成道」。日光街道の脇道で、将軍が日光東照宮へ参拝するときにはこの道を使ったようです 。
マナブ:なるほど。歴史ある街道なんですね。おっと、道の右側に古そうなお地蔵さんがあります。
歴史先生:これは「駒込妙義坂 子育地蔵尊」と呼ばれていて、江戸初期の1668年にこのあたりにあった今井家が子孫繁栄を願って、地蔵尊とお堂を建てたものです。節分や縁日などの日はたいそう賑わっていたようですが、それらも東京大空襲ですべて焼失してしまい、今はこじんまりとした道端のお地蔵さんのようになっています。
マナブ:空襲によってほんとにいろんなものが失われたんですね。あぁ、本当に勝てない戦争を無理に継続したことで、たくさんの人の命を、そして日本の素晴らしい歴史的なものをことごとく無くしてしまった。
歴史先生:本当にそうですね。
マナブ:ひとことでいうのはむずかしいけど、勇ましい意見に反対するのは今でも難しいし、世論が沸騰すれば合理的な考え方ができなくなる。昔の過ちですが、現代人の私たちも同じ失敗をしてしまう傾向が十分ある。
歴史先生:だからこそ、私たちみんなが歴史を学んで、その人文知を生かして正しい選択、正しい判断をしていかなければいけないんです。

妙義坂から脇道へ入る
歴史先生:さて、妙義坂の途中から、階段のある脇道に左折します。この先にある妙義神社に立ち寄りましょう。
連戦連勝の太田道灌が戦勝祈願した勝負の神様:妙義神社

妙義神社

妙義神社(地図 ❷)
〒170-0003 東京都豊島区駒込3丁目16−16
境内自由
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
マナブ:ん? これはコンクリート製の新しい感じの神社ですね。
歴史先生:今の建物は2020年に出来た新しい物なんですが、神社としての歴史はとっても古いんです。創建は651年と伝えられています。
マナブ:それはかなり古い。

清々しい境内

マナブ:低い谷から少しだけ階段を上ったところにありますね。
歴史先生:はい、地形図で見ると、南側の台地の端っこに建っています。
マナブ:ところで「妙義神社」というと、軽井沢の手前にある妙義山。あそこにも同じ名前の神社がありますよね?
歴史先生:はい、そうです。妙義山ではその昔、ヤマトタケルが東征した際に山賊を退治して地元の人たちから感謝されたという伝承が残っていて、妙義山の妙義神社ではヤマトタケルを主祭神の1人としています。
マナブ:ここ、東京の妙義神社は?
歴史先生:同じくヤマトタケルが東征した際に陣を構えた丘がここ。地元の人たちがその御威徳をしのんで建てた神社です。主祭神はもちろんヤマトタケルです。

きれいに管理されている手水舎
歴史先生:その後、室町時代になってこの神社は大いに発展します。先日、調布深大寺に行ったときに「享徳の乱、長享の乱」という説明をしたかと思いますが、その前哨戦となったのが「永享の乱」です。
マナブ:うわ、また乱の名前が増えた。関東の歴史はややこしいな。で、その前哨戦というのは?
歴史先生:室町幕府の統治の形態として、関東地方については「鎌倉公方」が治めていました。しかし鎌倉公方の足利持氏は関東管領の上杉憲実と対立するようになり、室町幕府は上杉を支援して足利持氏を自害に追い込みます。これが「永享の乱」(1438~1439年)。
マナブ:でもまだ対立は続いたんですよね。
歴史先生:足利持氏の遺児、足利成氏は生涯をかけて上杉家や室町幕府と対峙します。これが「享徳の乱」(1455~1479年)。その後両者は和睦しますが、今度は上杉家の中の2つの系統である扇谷上杉家と山内上杉家が対立。これが「長享の乱」(1487~1505年)です。
マナブ:ずーっと、戦争してる。
歴史先生:はい。ところで妙義神社の話に戻りますと、最初の永享の乱で今井茂義という武将、この人は新田義貞の大叔父にあたる人の末裔なんですが。
マナブ:えっと、大叔父って、よく聞きますけど、どういう関係でしたっけ?
歴史先生:自分から見ておじいさん(またはおばあさん)の弟、になります。
マナブ:あ、そうか。その人の子孫、ということは、あんまり関係ない?
歴史先生:と言われればそうかも(苦笑)。でも新田義貞の親戚ということは室町時代ではかなりのブランド価値があ りそうですよ。さて、その今井茂義が永享の乱で関東管領上杉憲実に加勢し、戦功を挙げます。それによってこのあたり、すなわち駒込の地を与えられました。
マナブ:あ、待ってください、さっきのお地蔵さんを建てたのもたしか今井さん?
歴史先生:よく覚えていましたね。おそらく今井茂義の子孫ではないかと。彼は駒込に住んで、荒れていた妙義神社を復興しました。

太田道灌 霊社
マナブ:ここに「勝負の神様」というのぼりが立っている小さなお堂がありますね。
歴史先生:これは「太田道灌 霊社」。文字通り、太田道灌を祀っています。太田道灌は1471年、享徳の乱の際に古河を拠点にしていた足利成氏を討つため、ここ妙義神社に参詣し、戦勝祈願として神馬と宝剣を奉納しました。この戦いに勝った後、太田道灌は社領の寄進もおこなったそうです。
マナブ:だから勝負の神様。
歴史先生:それだけではありません。1477年には豊島氏がたてこもった平塚城(ここは後で立ち寄りますが)を攻める時にもここに戦勝祈願し、さらに1479年、千葉氏の討伐の際にも戦勝祈願して、それぞれ勝ちをおさめています。

太田道灌 霊社の狛猫
マナブ:ん? これは猫?
歴史先生:はい。太田道灌 霊社には狛犬ならぬ、狛猫がいます。太田道灌は1477年、「江古田原 沼袋の戦い」で豊島氏相手に苦戦し、撤退する際に夜道に迷ってしまいました。しかしその時黒猫が現れて手招きし、無事に脱出に成功。態勢を整えて戦いに勝つことができました。

導きの猫みくじ
マナブ:あ、おみくじも黒猫だ。
歴史先生:ということで、招き猫は太田道灌の逸話の1つになっています。
マナブ:でも招き猫といえば豪徳寺では?
歴史先生:はい、豪徳寺の招き猫の伝承のほうが有名ですよね。今度豪徳寺にも行ってみましょう。
<読んでおきたい本>
騎虎の将
幡大介

太田道灌の幼年時代から暗殺されるまでの一生を描いた歴史小説、上下2巻。一般に広く名前は知られているけれど江戸城を作った人くらいにしか知られていない彼が、享徳の乱という関東における出口の見えない未曽有の大乱の中、それにどう立ち振る舞い、どう悩んでいったのか。彼の波乱の一生をぜひ知っていただきたい。

妙義神社 本殿
