
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
巣鴨の商店街は昔の中山道:今でも六地蔵が残る
「とげぬき地蔵」という仏像は存在しない
庚申の日は眠ってはいけない。みんなが徹夜をしたわけは?
摩訶不思議な建物、さざえ堂
巣鴨の商店街は昔の中山道:今でも六地蔵が残る

巣鴨地蔵通 商店街

マナブ:今日は巣鴨に来ています。「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる場所ですが、たしかに年配の人が多い。でも学生さんの姿も目立ちます。
歴史先生:そうですね。ここは地元密着の商店街。近所の方たちが日常的に通っている場所です。ところで巣鴨といえば?
マナブ:えーっと、「とげぬき地蔵」、が有名ですよね。
歴史先生:はい。そこは一大観光地になっていて、遠くからも多くの方が参拝にみえら れます。

商店街 入口
マナブ:巣鴨と言えばこの商店街ですよね。にぎやかな通りがずーっとまっすぐ続いてる。
歴史先生:ここ、昔はなんだったかご存じですか?
マナブ:えっ? 何だろう?
歴史先生:ここは昔の中山道。江戸日本橋を出発して、最初に栄えている町だったんです。
マナブ:ん? 待ってください、たしか板橋にいったとき、あそこが中山道の最初の宿場という話でした。
歴史先生:はい、そうなんです。巣鴨は宿場の数には数えられませんが、江戸と板橋の間でちょっと休憩するにはいい場所でした。

地蔵通商店街の入口にある眞性寺

巣鴨は菊で有名だった

毎年11月の菊まつりでは多くの人でにぎわう

醫王山 眞性寺(地図 ❶)
〒170-0002 東京都豊島区巣鴨3丁目21−21
境内自由
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
https://sugamo.or.jp/prayer/shinshoji/
歴史先生:では商店街に入る前に、そのすぐ脇にある眞性寺へ参りましょう。
マナブ:ずいぶんと賑わっていますね。
歴史先生:今日は菊まつりが開催されていて、菊の展示や茶屋なども出ています。
マナブ:ここは菊が有名?
歴史先生:はい。江戸時代から「巣鴨の菊」として有名だったんです。巣鴨付近の中山道沿いには園芸職人がたくさん住んでいて、菊を育てていたりしたんだそうです。

江戸六地蔵の1つ
マナブ:ところで、大きなお地蔵さんがありますね。新しいのかな?
歴史先生:いえ、これは江戸六地蔵の1つで、東京都の文化財です。
マナブ:江戸六地蔵?
歴史先生:はい。江戸時代、深川に地蔵坊正元という人がいたのですが、不治の病にかかり、地蔵菩薩に祈願したところ病気が治ったんだとか。それに感謝して江戸に6体の地蔵を建てることを思いつきます。1706年のこと、といいますから江戸中期。
マナブ:でもこれって大きいですよね。相当な財力がないと。
歴史先生:像の高さはどれも270㎝ほどとかなりの大きさです。こんな大きなものを作るにはお金がかかったはずです。そこで今でいうクラウドファンディングでしょうか、地蔵坊正元はこの話を広めて多くの浄財を集めたんだそうです。で、実際に江戸の各方面の街道の入口に当たる場所に計6か所、お地蔵さんを建てました。
マナブ:これは鋳造?
歴史先生:はい、神田の鋳物師がこれらを鋳造したことが像に彫られています。しかも表面は金箔が貼られて いて、できた当時、それはそれはまぶしく輝いていたことでしょう。
マナブ:他の5体は?
歴史先生:東海道は品川寺(1番)、奥州街道の東禅寺(2番)、甲州街道の太宗寺(3番)、中山道の眞性寺(4番)、水戸街道の霊厳寺(5番)、そして千葉街道の永代寺(6番)ですが、他にも六地蔵として数えられているものもあるようです。このうち永代寺のものを除く5体が今でも現存しています。永代寺は明治の廃仏毀釈でお寺ごと無くなってしまいました。
マナブ:廃仏毀釈、本当に残念です。

巣鴨で有名なものと言えば「赤の下着」

商店街にはおいしそうなものがたくさん
「とげぬき地蔵」という仏像は存在しない

巣鴨地蔵通 商店街
歴史先生:では商店街へ入っていきましょう。
マナブ:あ、そうか。
歴史先生:何です?
マナブ:「巣鴨地蔵通商店街」っていうのは、さっきの六地蔵から来てるんですね。
歴史先生:えーっと、たぶん違うと思います。
マナブ:というと?
歴史先生:さっきマナブさんが言われた「とげぬき地蔵」。これが商店街の名前の由来かと。
マナブ:あ、そうでしたか。
歴史先生:さて、そのとげぬき地蔵が見えてきましたよ。

とげぬき地蔵尊は商店街に面している
とげぬき地蔵尊 高岩寺(地図 ❷)
〒170-0002 東京都豊島区巣鴨3丁目35−2
境内自由
6:00-17:00、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

高岩寺 山門

本殿・地蔵殿
マナブ: 中へ入ってきました。たくさんの人でにぎわっています。あ、左奥にお地蔵さんがあって、みんな並んでお参りしている。とげぬき地蔵はあれ、ですね?

境内を入って左側のお地蔵さま
歴史先生:実はそんなふうに勘違いをしている人が多いんじゃないか、と思います。
マナブ:え、あれじゃないんですか。
歴史先生:「とげぬき地蔵」という仏像があるわけではないんです。
マナブ:というと?
歴史先生:実体は約3㎝ほどの印、なんです。 本殿に祀られているのは仏像ではなくて、その印。
マナブ:ん?
歴史先生:江戸時代中期の1713年のこと、高岩寺の檀徒であった田付さんという人が病気の奥さんの快癒を祈っていた時に、お地蔵さんが夢に現れてこの印を授けたんだそうです。そのお告げにしたがってその形を1万枚の紙に写し取って隅田川に流したところ、奥さんはけろっと病気が治ってしまった。
マナブ:不思議な話ですね。あまり他では聞かないパターンだ。
歴史先生:さらにその2年後、今度は毛利家の江戸のお屋敷で女中が誤って針を飲み込んでしまい、苦しんでいました。そこでこの印を書いた紙を飲ませたところ、針が紙を貫いて口から出てきたのだとか。「とげぬき」というのはそこから付いた名前なんです。
マナブ:なるほど、それで「とげぬき」。
歴史先生:今でもその印が記された紙の札を「御影」と呼んで、お守りのように販売しています。それを体の痛いところに貼ってもいいそうですよ。
マナブ:実際にどんな模様なのか見てみたい。
歴史先生:その印は「秘仏」扱いなんです。よって中は見ないほうがいいと思います。
マナブ:そうですか。そんなご利益のある「とげぬき」ですから、巣鴨は江戸時代からにぎわったんでしょうね。
歴史先生:実は高岩寺が巣鴨に移ったのは明治になってから。それまでは上野にあったんです。江戸時代に巣鴨の地蔵といえば 、六地蔵でした。でも明治以降はすっかり高岩寺の地蔵に取って代わられた感じですね。
マナブ:六地蔵は270㎝、とげぬき地蔵は3㎝。大きさではずいぶん差があるのにね。
庚申の日は眠ってはいけない。みんなが徹夜をしたわけは?

巣鴨庚申堂の入口

巣鴨庚申堂(地図 ❸)
〒170-0002 東京都豊島区巣鴨4丁目35
境内自由
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
https://www.sugamokoushin.com/
マナブ:商店街を進むと、庚申塚という交差点に来ました。ここに巣鴨庚申堂があります。
歴史先生:マナブさん、ところで庚申塚って何なのか、ご存じですか?
マナブ:うーん、よく街道沿いに立っていますよね。何かの目印かなぁ。
歴史先生:これ、中国から渡ってきた道教の思想の一部が民間信仰として広まったものなんです。
マナブ:どんな思想ですか?
歴史先生:庚申の日、これは年に6回(12年に一度は7回になる)やってくるのですが、この日の夜中、寝ている間に人間の体内にいる三尸虫(さんしちゅう)という虫が這い出て、天帝に人間の悪い行いを密告しに行くんだそうです。
マナブ:それは怖い。
歴史先生:それを防ぐにはどうしたらいいでしょう?
マナブ:日頃から悪いことをしない。
歴史先生:それが無理なら?
マナブ:その日の夜は眠らない。
歴史先生:大正解です。
マナブ:ということは、みんな庚申の日は徹夜した?
歴史先生:はい。その集まりを庚申講というのですが、それを3年18回続けた記念として庚申塚を建てたようです。よってその石塔には庚申講に参加したメンバーの名前が書かれていたりするんですよ。

巣鴨庚申堂。この中に庚申塚が納められている。
マナブ :ここ、巣鴨の庚申塚は小さなお堂になっていますね。
歴史先生:1657年の庚申塔が納められていますが、その下には1502年に元の庚申塔が埋められているそうです。
マナブ:昔からあったんですね。
歴史先生:はい。江戸時代はこのあたりに茶店などがたくさん出ていました。巣鴨の庚申塚といえば当時から非常に有名で、江戸名所図会にもその賑わいぶりが描かれています。

庚申堂を守る猿
マナブ:ところで境内には猿がたくさんいますね。
歴 史先生:「申」という字自体が「猿」なので、当然といえば当然ですが。ところでこの道教の庚申思想が日本に入ってくるときに、猿田彦神と結びついたようです。実際、ここ巣鴨の庚申堂も、猿田彦神を勧請しています。

すぐ近くには都電の庚申塚駅がある
マナブ:都電の「庚申塚駅」ですね。踏切を渡ります。
歴史先生:帰りはここから都電に乗って大塚駅に行くのもよいでしょう。
摩訶不思議な建物、さざえ堂

大正大学にある「さざえ堂」

すがも鴨台観音堂(さざえ堂)(地図 ❹)
〒170-0001 東京都豊島区西巣鴨3丁目19−1 11号館
境内自由
9:00-17:00、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
マナブ:商店街をさらに進むと大正大学のキャンパスです。
歴史先生:ここに面白いものがありますよ。ほら、あれ、見えますか?
マナブ:あ、なんか高い塔が。
歴史先生:あれ、さざえ堂になっているんです。
マナブ:えっ? さざえ堂といえば、会津若松で行きました。あれと同じようなもの?
歴史先生:はい。まさに会津のさざえ堂を模して造られた、近代的な、さざえ堂なんです。会津と同じく二重らせん構造になっていて、登りと下りで人とすれ違わない設計です。

会津若松のさざえ堂
マナブ:それは絶対入ってみたい。
歴史先生:はい。中も入ってお参りできますよ。
マナブ:ではくるっと中を一周してきます。
歴史先生:どうでした?
マナブ:すばらしい。やっぱり二重らせんでした。行きと帰りが逆回転の別ルートになっていて、あとからくる人とすれ違わない。まだ真新しい感じで、会津のさざえ堂もできた当時はこんな感じだったのかな、と思いました。とってもありがたいお参りができたような気がします。

大正大学の前にある種子地蔵
マナブ:さざえ堂の前に「種子地蔵」というのがありますね。
歴史先生:中山道のこのあたりは、昔は「種子屋(たねや)街道」と呼ばれていました。
マナブ:種子を売るお店が多かった?
歴史先生:このあたりは江戸への野菜の供給地でした。そこで取れるいろんな種子を、中山道を通る人たちに販売するようになったのが始まり。今でも種子屋さんがあったりしますよ。
マナブ:なるほど、うまい商売を考えましたね。
歴史先生:さて、巣鴨の街歩き はここまでですが、今日はどうでした?
マナブ:巣鴨というととげぬき地蔵くらいしか思い浮かばなかったのですが、今日歩いてみて、中山道の面影が深く残っているのに感心しました。六地蔵も、庚申塔も、やっぱりメジャーな街道沿いだったから生まれたものですよね。
歴史先生:中山道を感じていただき、よかったです。
マナブ:そして最後にさざえ堂。いやー、これは予想もしないサプライズでした。
歴史先生:会津のさざえ堂はマナブさんのお気に入りですものね。
マナブ:ブラタモリでも会津のさざえ堂に行っていましたよね。タモリさんもびっくりでとても気に入っておられたように思います。
歴史先生:会津までなかなか行けないなー、という東京にお住いの方、ぜひとも大正大学でさざえ堂を体験してみてください。
