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登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
お茶の水のビル群の中で異彩を放つ:ニコライ堂

 

やっぱりおかしい? 強烈な違和感をもたらすお茶の水の地形

東京都心にある緑豊かな孔子廟:湯島聖堂

平将門の怨霊を鎮める神田明神と、実はすごい妻恋神社

神田明神とそっくりな地形に建つ、湯島天神

東京に残るおしゃれ度No.1の明治建築:旧岩崎邸庭園



お茶の水のビル群の中で異彩を放つ:ニコライ堂


ニコライ堂



マナブ:今日は湯島に行きます。でも降り立ったのは都営新宿線の小川町駅。湯島からは少し遠くないですか?


歴史先生:湯島に行く前に、お茶の水を縦断して、それから湯島へ入りましょう。


マナブ:なるほど、ではスタートしましょう。


小川町交差点から北へ


マナブ:小川町交差点から北へ坂を登っていきます。


歴史先生:今日は歴史的スポットだけではなく、地形にも注目しておいてくださいね。まずは坂を登っていくことを記憶してください。


マナブ:東京の都心って、意外とデコボコなんですよね。


歴史先生:はい、それが歴史スポットにも大いに関係してきます。


太田姫稲荷神社


太田姫稲荷神社 (地図 ❶)

〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台1丁目2−3

境内自由


マナブ:坂を登ったところで左に折れてちょっと寄り道。太田姫稲荷神社、というこじんまりした神社に来ました。


歴史先生:東京で「太田」というと何か思いつきませんか?


マナブ:えーっと、「大田区」。


歴史先生:あれは戦後間もない1947年(昭和22年)、大森区と蒲田区が合併した時に、「大」と「田」を1字ずつ取ったものなんです。


マナブ:えっ? 大森&蒲田、で大田区だったんですか。


歴史先生:ほかに思いつく「太田」は?


マナブ:えーっとほかには、太田道灌とか?


歴史先生:はい、そうですよね。ところで少し時代は古くなりますが、9世紀の初めの平安時代、小野篁(おののたかむら)という有名な学者がいました。彼が今の鳥取県から船で海に出たところ大しけに会い、舳先のところでお経をあげていたそうです。すると波間に翁が現れ、「わが像を祀れば命を助け、また疱瘡(天然痘)にかかることもないであろう」、と告げました。


マナブ:それはありがたいお話ですが。


歴史先生:京都に戻った小野篁はさっそく翁の像を彫り、京都の南の一口(「ひとくち」と書いて「いもあらい」と読む)に一口稲荷神社を建て、その像を祀りました。


マナブ:ここまでは9世紀のお話ですね。


歴史先生:はい。さて、時代は下って15世紀の室町時代の江戸。ここに城を築いた太田道灌でしたが、最愛の娘が疱瘡にかかってしまいます。すでに手の施しようがなく絶望していると、一口稲荷の話を聞き及び、急ぎ京都に使いを出して祈祷をしてもらいました。すると娘はすぐに快復。これはありがたいということになり、江戸城本丸に稲荷神社を建て、娘と共に深く敬拝したそうです。


マナブ:へぇー、すごい力だ。


歴史先生:その後何度か場所を移されて、今に至ります。


マナブ:それで「太田姫」という名前なんですね。納得しました。


東京復活大聖堂(ニコライ堂)(国指定重要文化財)


東京復活大聖堂(ニコライ堂)(地図 ❷)

〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台4丁目1−3

拝観300円

13:00-16:00(4~9月)、13:00-15:30(10~3月)、月曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://nikolaido.org/ 


マナブ:元の道に戻り、御茶ノ水駅の方へ歩いていきます。


歴史先生:左側に大きなドームが見えてきました。


マナブ:これはたしか「ニコライ堂」って呼ばれている建物ですよね。


歴史先生:何の建物かご存じですか?


マナブ:いえ。えーっと教会、ですかね。


歴史先生:はい、キリスト教の一派に「正教会」というのがあるのですが、その日本の総本山になります。


マナブ:ロシア正教会ですね。


歴史先生:えーっと「正教会」が正しい名称です。それに各地域の名前がついて、日本正教会とか、ロシア正教会とか言われます。でもロシアが代名詞のように言われているのも事実で、ロシアには1億人近い信者がいるとされています。


マナブ:東方正教会っていうのも聞いたことがあります。


歴史先生:はい、それはロシア正教会の別名です。ヨーロッパから見て東の方にありますので。


東京復活大聖堂


歴史先生:では中へ入ってみましょう。ここは13時から16時(10~3月は15:30)までの短時間しか開いていませんので、訪問を計画される方は要チェックです。


マナブ:中の写真は撮影できませんが、比較的簡素でシックな感じ。ただし正面の祭壇は金で作られていて、まばゆいばかりの光を放っていました。


歴史先生:この大聖堂ですが、明治の初め、1872年に聖ニコライがロシアから日本に渡り、正教会の教えを広めるためにここの土地を購入したことに始まります。


マナブ:やっぱりロシアの人。


歴史先生:そうですね。大聖堂は1884年に着工、1891年に完成しました。イエス・キリスト(正教会ではイイスス・ハリストスと言う)の復活を表す「復活大聖堂」でした。


マナブ:とても立派な大聖堂ですが、正教会の教えは日本で広まったんでしょうか?


歴史先生:いえ、正教会は苦難の道を歩みます。まずは1904-1905年の日露戦争。ロシアに対する日本人の感情は最悪のものでした。さらには1912年のロシア革命によって共産主義国家が誕生し、ロシア正教会は新政府から迫害され、日本正教会はロシア本国からの支援を失います。そこへ1923年の関東大震災。大聖堂は崩れ、焼失してしまいました。今の建物は1929年に復興したもので、国の重要文化財です。


マナブ:短期間の間に、これでもか、という試練があったわけですね。


歴史先生:それだけにとどまらず、今度は第二次世界大戦。終戦時にソ連が満州に攻め込み、北方領土を奪うなど、ロシアに対する感情はますます悪化していきました。


マナブ:そうか。なかなか布教には至らなかったでしょうね。


歴史先生:その後も米ソ冷戦、アフガン侵攻、近年ではウクライナ侵攻と、ロシアに対する日本人の感情はなかなか上向きません。布教も限定的にならざるを得ないですね。


やっぱりおかしい? 強烈な違和感をもたらすお茶の水の地形


聖橋から見た丸の内線



マナブ:御茶ノ水駅のところへやってきました。今、聖橋を渡っています。ここからは丸の内線が一瞬地上に顔を出すところが見られるんですよね。


歴史先生:そうですね。ところでマナブさん、普通、川の流れているのは谷、それとも丘?


マナブ:谷、です。


歴史先生:さっき小川町の駅から坂を登ってきましたね。聖橋の手前も上り坂です。坂を登った丘の上に川があるなんて、変じゃないですか?


マナブ:たしかにそうだ。



歴史先生:ではこのあたりの地形図を見てみましょう。何か気づきますか?


マナブ:あっ、川の流れが明らかにおかしい。谷の方を流れるのが普通なのに、丘を突っ切って流れています。そうか、これって人工的に作ったもの?


歴史先生:そうなんです。御茶ノ水駅のところにある深い谷は、江戸城を作る際に人工的に作った堀なんです。


マナブ:ということは人力でこれを掘った?


歴史先生:まさか、と言いたいですが、そうなんです。四谷から市ヶ谷、飯田橋、お茶の水と電車に乗ってみると、外堀の中を電車が走っているのが良くわかります。これ、人力で掘ったんです。


マナブ:うわー、ものすごい土木工事ですね。普段何気なく通っているところですが、とてつもない大遺跡の中に私たちは住んでるんだ。


歴史先生:そういうことになります。江戸・東京って、意外と面白いでしょ?


マナブ:あらためてそう思いました。


東京都心にある緑豊かな孔子廟:湯島聖堂


湯島聖堂 仰高門



湯島聖堂 (地図 ❸)

〒113-0034 東京都文京区湯島1丁目4−25

境内自由

9:30-17:00(冬季は16:00まで)

大成殿公開は土日祝の10:00から閉門まで

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

http://www.seido.or.jp/ 


マナブ:さて、聖橋を渡りました。渡ったところに湯島聖堂があります。


歴史先生:せっかくですので、東へ少し歩いて、正門である「仰高門」から入りましょう。


孔子像


マナブ:ここのお話、覚えていますよ。長崎で孔子廟に行ったとき、「東京の都心にも孔子廟がありますよ」って教えられました。


歴史先生:そうです、そうです。東京で孔子廟といえばここ湯島聖堂でしょうね。


マナブ:長崎の孔子廟は極彩色でいかにも中国っていう感じでしたが、ここは日本のお寺みたい。


歴史先生:そうですよね、ここの孔子廟は日本風の造りになっています。というのも、ここは中国人が作ったものではないからです。


大成殿


マナブ:誰が作ったんですか?


歴史先生:聖堂を建てたのは5代将軍綱吉。1690年のことです。儒学の振興を図るため、ここに塾を設けたそうです。


マナブ:綱吉というとお犬様とか、賄賂で政治が乱れたとかいう印象が強いですが、まじめなこともしてるんですね。


歴史先生:そうなんです。そしてその約100年後、1797年には寛政の改革の一環として、ここに「昌平坂学問所」が幕府直轄の学校として開設されました。主に朱子学を教え、幕臣の子弟の教育に当たりましたが、その後門戸を広げ、陪臣、浪人、町人にも聴講が許されたそうです。


マナブ:江戸の開かれた学び舎だった。


歴史先生:はい。そして明治維新後、昌平坂学問所は閉鎖されましたが、その跡地には日本初の博物館(現在の上野の国立博物館)、東京師範学校(のちの筑波大学)、東京女子師範学校(のちのお茶の水女子大学)、そして日本初の図書館などが置かれ、近代教育発祥の地となっています。


マナブ:そうでしたか。そういう教育の歴史の場所だったんですね。


歴史先生:建物は惜しくも入徳門と水屋以外は関東大震災で焼失してしまい、今の建物は1935年(昭和10年)の再建によるものです。


関東大震災での焼失を免れた水屋


関東大震災での焼失を免れた入徳門


マナブ:それにしても緑がいっぱい。都心にこんな森があるなんて、知りませんでした。


歴史先生:観光客も少なくて静かだし、ちょっとした森林浴もできそうですよね。


マナブ:はい。ここは穴場だと思います。


平将門の怨霊を鎮める神田明神と、実はすごい妻恋神社


神田神社(神田明神)



神田神社(神田明神)(地図 ❹)

〒101-0021 東京都千代田区外神田2丁目16−2

境内自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.kandamyoujin.or.jp/ 


マナブ:湯島聖堂の裏側(北側)へ回り込むと、すぐに神田明神があります。町中に突然現れる立派な鳥居をくぐって進みましょう。


歴史先生:神田明神と呼ばれることが多いですが、正式な名前は神田神社。個々の歴史は古く、730年の創建と言われています。創建したのは出雲氏族の真神田臣。


マナブ:出雲氏族、ということは、祭神は大国主命かな?


歴史先生:はい、大正解です。そして神田、という地名はこの真神田臣からついた、という説もあります。


マナブ:神田にあるから神田明神、と思っていましたが、創建した人の名前だったんですね。


歴史先生:このあたりには伊勢神宮に奉納する田んぼ(神田)があったという説もありますので、どれが正しいかははっきりしていません。


隨神門


マナブ:門が見えてきました。


歴史先生:これは隨神門。1975年(昭和50年)に昭和天皇即位50年の記念として建てられました。


マナブ:鮮やかな配色の、とても立派な門です。


歴史先生:創建当時の神田明神はこの場所ではなく、今の大手町にありました。ところで、平安時代半ばの935年~941年、承平天慶の乱(ほぼ同時に発生した平将門の乱と藤原純友の乱を合わせてこう呼ぶ)が起きます。ご存じのように平将門は討ち取られてしまうわけですが、その首は京都で晒(さら)されました。歴史に残る最古の晒し首、と言われています。


マナブ:恐ろしい。


歴史先生:その首ですが、故郷の関東へ持ち帰られ、今の大手町、神田神社のすぐそばに埋葬されたそうです。


マナブ:それが今もある「将門の首塚」。


歴史先生:そうです。


マナブ:あそこは仕事でよく行きました。ビルの谷間に突然将門の首塚があって、一種独特の怖さを醸し出していますよね。


歴史先生:昔はもっと恐れられていたんです。将門塚の近辺ではさまざまな天変地異が起き、人々は将門の祟りだと恐れていたんです。鎌倉時代末期には疫病が流行り、1309年には将門を神田神社に祭神として迎えます。


マナブ:今では大国主命と並んで祭神なんですね。


歴史先生:はい。大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命、だいこく様)、えびす様、まさかど様、という3神を祀っています。


御社殿


マナブ:で、今の場所へはいつ移ってきたんですか?


歴史先生:1616年、江戸城の鬼門を守る今の場所に移りました。少しさかのぼりますが、1600年、徳川家康が関ケ原の合戦の前に戦勝祈願しました。その縁もあって徳川幕府から篤い崇敬を受けるようになっていたんです。


マナブ:今の建物はさすがに当時のものではないんですよね。


歴史先生:はい。関東大震災で江戸時代の社殿は焼失してしまいました。今の本殿にあたる御社殿は1934年(昭和9年)に当時としては最先端の鉄骨鉄筋コンクリート造で復元されたものです。


境内案内図


歴史先生:境内の案内図を見てみましょう。随神門から御社殿が神田明神の中心にあたります。


マナブ:御社殿のまわりにたくさんの摂社のようなものがありますね。


歴史先生:はい、江戸にあった多くの神社がここへ移されてきています。その1つ、江戸神社を見ていきましょう。


江戸神社


マナブ:江戸神社、というのは名前からして地元の神社のようですね。


歴史先生:はい、そうなんです。創建は702年、飛鳥時代の末期。豊島郡江戸にできた古い歴史のある神社です。鎌倉時代には江戸氏の氏神として祀られ、室町時代には太田道灌や北条氏に崇敬されました。当時は江戸城内にあったようです。


マナブ:なるほど。


歴史先生:江戸時代になって江戸城が拡張され、それにともなって神田神社と一緒に今の地に移転しました。


マナブ:目立たない場所にありますが、実は江戸の歴史をずっと見てきた由緒ある神社だったんですね。


明神男坂


マナブ:うわぁ、すごい急な階段があります。


歴史先生:明神男坂、と書かれていますね。神田明神から東側の秋葉原方面へ通じています。


マナブ:男坂というのはよく表参道に付けられている名前だから・・・あ、わかった。実は江戸時代はここが表参道だったとか?


歴史先生:いえ、いい推察なんですが、そうではないんです。南側の随神門のところが昔も表参道でした。でも地形図を見てください。



マナブ:おぉ、神田明神は崖の上に立ってる、ということですね。


歴史先生:はい、そうなんです。よって東側は急な斜面になっていて、この男坂のような急な階段があるというわけです。


歴史先生:神田明神の北側も谷になっています。この谷を越えて、向こう側の丘へ登りましょう。清水坂を登ると、妻恋神社があります。


マナブ:行きましょう。


清水坂下の交差点


清水坂を上る途中から振り返る


マナブ:清水坂を上ってきました。谷を下りてすぐに登り。いい感じの坂ですね。


歴史先生:このあたり、地形がかなりデコボコしています。さて、ここでぜひ寄りたいのが妻恋神社。


マナブ:聞いたことがない神社です。


妻恋神社


妻恋神社 (地図 ❺)

〒113-0034 東京都文京区湯島3丁目2−6

境内自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.tsumakoi.jp/ 


マナブ:ん? ここですか。清水坂から路地に入ってすぐの道端にある小さな神社です。


歴史先生:こじんまりとしていますが、じつはすごい神社なんですよ。


マナブ:というと?


歴史先生:創建年は不詳ですが4世紀ごろとされ、平安時代の初めの嵯峨天皇の時代にここは「正一位」という最高位の神社に認定されています。昔は広大な敷地を持っていたようで、江戸時代には「妻恋稲荷」として大変な人気があり、関東の稲荷社の総元締めを務めました。今でも「日本七稲荷」の1つ、とされています。


マナブ:そんなすごい神社だったんですか。でも変わった名前の神社ですよね。


歴史先生:はい。大昔、西暦110年のこと、ヤマトタケルが東征をしました。その際に今の東京湾を三浦半島から船で渡ったのですが、そこでとんでもない暴風雨に遭います。もうこれは沈没しかない、という状況に船は追い込まれました。


マナブ:おっと、思った以上に古い話になってきました。


歴史先生:荒れ狂う海を前に、ヤマトタケルが愛していた奥さん、弟橘媛(おとたちばなひめ)が「私が海神を鎮める」と言って海に身を投げます。そのおかげで海は静まり、ヤマトタケルは無事東征を続けることができました。


マナブ:悲しいお話ですね。


歴史先生:その後、ヤマトタケルはここ湯島を行宮としてしばらく滞在します。このあたりの住民は、ヤマトタケルの悲しみを知り、ここに神社を建てることにしました。


マナブ:ということは、祭神はヤマトタケルの奥さん?


歴史先生:はい、弟橘媛が主祭神です。


妻恋神社


マナブ:でも、ちょっとおかしいなと思うことがあるんですが。


歴史先生:何でしょう?


マナブ:現代なら、ビジネスマンが地方に出張するとき、奥さんも同行して昼間は奥さんは観光する、なんてこともあるかもしれません。でもですよ、ヤマトタケルの時代、関東なんてどんな野蛮な民族がいるかもわからないし、途中で命を落とす可能性も高いという状況でしょ。そんなところに奥さんを連れて行くかなぁ。


歴史先生:あ、そうですよね。私も気づきませんでした。ヤマトタケルの東征のお話は古事記、日本書紀に書かれていて、どこまでが史実かはわかりませんが、たしかに奥さんの部分は疑わしいかもしれません。


マナブ:ですよね。


歴史先生:ところでマナブさん、「東」という苗字、なんと読みますか?


マナブ:「ひがし」さんもいるし、「あずま」さんもいますよね。


歴史先生:これってどうして「あずま」って読むんでしょう?


マナブ:たしかに。変わった読み方ですね。


歴史先生:ヤマトタケルは東征から帰る際、今の軽井沢へ上る碓氷峠から関東平野を振り返って「吾嬬(あずま)はや」、すなわち私の妻はもういない、と言って悲しんだんだそうです。よって関東のことを「あずま」と呼ぶようになり、「東=あずま」となったと言われています。


マナブ:へぇー、そうだったんですか。


神田明神とそっくりな地形に建つ、湯島天神


湯島天神



マナブ:妻恋神社を後にして、清水坂を再び登っていきます。


歴史先生:このまままっすぐ行くと、湯島天神に突き当たります。


マナブ:あ、そこは有名ですね。たしか梅の時期がいいとか。


歴史先生:はい、梅でも有名な場所ですね。ところで、途中面白いところがあるので覗いていきましょう。


実盛坂


マナブ:うわ。ここは怖い。


歴史先生:通りの右側、急な階段があります。ここは実盛坂(地図 ❻)。斎藤別当実盛という越前の人がいたのですが、ここに住んでいたことから坂の名前になりました。実盛は平安時代の人で、平家に味方して木曽義仲と戦い、討ち死にしました。


マナブ:それにしても急な崖の地形になっていますね。


歴史先生:では再び地形図を見てみましょう。



マナブ:あー、なるほど。さっき神田明神で見た男坂と同じように、ここも台地の端っこの崖になっているんですね。


歴史先生:さぁ、もう少し進むと先ほどの神田明神とそっくりな地形、三角の台地が飛び出しているところに湯島天神はあります。


マナブ:行ってみましょう。


通りの突き当りが湯島天神


湯島天神 (地図 ❼)

〒113-0034 東京都文京区湯島3丁目30−1

境内自由

6:00-20:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.yushimatenjin.or.jp/pc/index.htm


歴史先生:突き当りが湯島天神です。この道が参道であったことが想像できます。


マナブ:ここは天満宮ですから、菅原道真が主祭神ですね。


歴史先生:はい、そのとおりです。ただしもう1人主祭神があり、「天之手力雄命」(あめのたぢからおのかみ)です。


マナブ:なんだか手に力のありそうな神様?


歴史先生:そのとおりなんです。例の天の岩戸の出来事の時、アマテラスが岩戸をちょっとだけ開けて外を覗いた瞬間、そこで待ち構えていた天之手力雄命が岩戸を開けて、アマテラスを外に引きずり出したんだそうです。


マナブ:それにしても、神話の神様の名前は覚えづらい(笑)。


歴史先生:ここ湯島天神は元々は5世紀に天之手力雄命を祀った神社として始まり、その後1355年(室町時代初めごろ)に菅原道真公を勧請して合わせて祀ったとか。その後、太田道灌が社殿を再建しています。


マナブ:太田道灌って、本当にどこにでも出てきますね。江戸の初代ヒーローですね。


歴史先生:いくつかは史実、いくつかは伝承なんでしょうけど、江戸の人々にとって太田道灌は江戸を開いたヒーローであったことは間違いなさそうです。



<読んでおきたい本>

騎虎の将

幡大介




太田道灌の幼年時代から暗殺されるまでの一生を描いた歴史小説、上下2巻。一般に広く名前は知られているけれど江戸城を作った人くらいにしか知られていない彼が、享徳の乱という関東における出口の見えない未曽有の大乱の中、それにどう立ち振る舞い、どう悩んでいったのか。彼の波乱の一生をぜひ知っていただきたい。


境内案内図


本殿


歴史先生:湯島天神は徳川家康からも崇敬され、寄進も受けていました。江戸時代には富くじ(とみくじ)、すなわち今でいう宝くじが許可され、多くの人々でにぎわったそうです。湯島天神の富くじは当時、谷中感応寺、目黒不動と共に江戸三富と呼ばれていたそうです。


マナブ:今では宝くじは膨大な利益を生むので、民間で勝手にすることはできませんが、当時は勝手にできたんですか?


歴史先生:いいえ。当時も民間で勝手に行うことはできませんでした。寺社の修復事業の費用を捻出するという、公共性の高いものに限って幕府から許可されていたんです。


マナブ:その栄えた時代の名残でしょうか、実に豪華な本殿です。これは昔からある建物ではなさそうですね。


歴史先生:はい、江戸中期の1703年に火災で焼失してしまい、明治半ばに再建されましたがそれも老朽化したため、1995年(平成7年)に再建されたのが現在の本殿です。


撫で牛


マナブ:ここに牛の像があります。そう言えば、天満宮にはよく牛の像がありますよね。なぜなんですか?


歴史先生:はい、菅原道真は丑(うし)年生まれで、亡くなったのは丑の日。 遺言では「自分の遺骸を牛にのせて人にひかせずに、その牛の行くところにとどめよ」とあり、実際にそうされたとか。そのほか、菅原道真は生前から牛を慈しんでいたとされ、そういったことから天満宮では牛の像を置くようになったようです。


庭園と泉鏡花の筆塚


マナブ:庭がきれいですね。大きな石があって、「泉鏡花 筆塚」、とあります。


歴史先生:泉鏡花はご存じですか?


マナブ:名前は聞いたことがありますが。女流の文学者かな?


歴史先生:いえ、男性です(笑)。明治から昭和にかけて生きた小説家で、その代表作の1つに婦系図(おんなけいず)というものがあります。1907年(明治40年)から新聞に連載され、翌年すぐに舞台化。昭和になってから実に6回も映画化されました。


マナブ:それはすごい人気作ですね。


歴史先生:映画の副題に「湯島の白梅」とつくように、ここ湯島天神が舞台となって、その名前を広めました。そういったご縁もあって、ここに筆塚が立っているんです。


男坂


マナブ:そして、やっぱりありました、男坂。


歴史先生:はい、神田明神とそっくりな地形で、男坂もそっくりですね。


マナブ:ここの階段もかなり急で、怖いです。


東京に残るおしゃれ度No.1の明治建築:旧岩崎邸庭園


旧岩崎邸 洋館



歴史先生:再び地形図を見てください。湯島天神の北隣の丘の上には旧岩崎邸庭園があります。


マナブ:なるほど、こうしてみると、台地の端っこに重要な施設が一直線に並んでいますね。



歴史先生:はい、ここが江戸の歴史を感じるメインストリートの1つである、ということがわかっていただけたかと思います。では最後の目的地、旧岩崎邸庭園へ行ってみましょう。


旧岩崎邸庭園の入口


旧岩崎邸庭園 (地図 ❽)

〒110-0008 東京都台東区池之端1丁目3−45

入場料400円(団体、シニア割引あり)

9:00-17:00(最終入場16:30)、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.tokyo-park.or.jp/park/kyu-iwasaki-tei/index.html#institution


マナブ:旧岩崎邸庭園の入口にやって来ました。チケットを購入して、ここから長いスロープを歩いていきます。


歴史先生:まるで女坂、という感じのなだらかな坂道が、ぐるっと敷地を回りながら玄関へ続いています。最後左に大きくカーブすると、玄関が見えてきますよ。


カーブを曲がりきると美しい洋館が目の前に現れる


マナブ:うわぁー、何ですかこれ。すごいじゃないですか。


歴史先生:おしゃれでしょ?


マナブ:壁の模様とか、装飾が細かくて素敵ですよね。いやー、これは美しい。


歴史先生:東京に残っている明治建築の中で、最もオシャレで美しい建物じゃないかな、と私は思っています。1896年(明治29年)に完成したものですが、この細かい装飾はジャコビアン様式と呼ばれる17世紀初頭のイギリス風のデザインで、そこが他の明治の西洋建築とは違うところです。


マナブ:誰が建てたんですか?


歴史先生:設計したのはイギリス人建築家、ジョサイア・コンドル。この人は鹿鳴館や旧古河庭園の洋館のデザイナーでもあります。そしてこの家のオーナーは岩崎弥太郎の長男、岩崎久彌。


マナブ:三菱財閥のオーナー一家、ですね。でも待ってください、明治建築ということは、江戸時代にはなかったということですけど、先ほどの話だとこの台地の端っこの列は江戸の一等地。こんな場所がよく空いていましたね。


歴史先生:この丘の上は江戸時代は越後髙田藩15万石の下屋敷だったところなんです。庭園はその大名庭園の名残を引きずっているんですよ。


マナブ:さすが三菱。大名屋敷を引き継いでそこに立派な洋館を建てた、というわけですか。


洋館の内部


マナブ:建物の中に入ってきました。いやー、内部も豪華ですね。そして何より庭の眺めが素晴らしい。


ベランダ


マナブ:このベランダもおしゃれですね。


歴史先生:ベランダは英国風ではなく、コロニアル風。すなわち東南アジアの植民地の建物の雰囲気を持っています。


マナブ:あ、たしかに。シンガポールとかにありそう。


歴史先生:そして洋館は和館に続いています。書院造りの本格的な和風建築なんです。


マナブ:あ、ほんとだ。和風の建物がつながってる。


歴史先生:この和館、以前は550坪もある大きな館でしたが、今はそのほんの一部が残っているにすぎません。


マナブ:和館はジョサイア・コンドル設計ではないですよね。


歴史先生:はい。ここは明治の名棟梁として名高い大河喜十郎が手がけました。


和館


大名庭園の名残をとどめる和洋折衷の庭園


マナブ:建物の外へ出て、庭を歩いてみます。


歴史先生:基本的に洋風庭園になっていますが、一部にかつての大名屋敷時代の名残をとどめた和洋折衷の庭園です。ここ岩崎邸では芝庭を中心にして、そこでゲストをもてなす行事などが行われていました。


マナブ:西洋の映画みたいですね。それにしても広い敷地です。


歴史先生:かつてはこの3倍も敷地があったんですよ。そしてそこには20棟もの建物が建っていたんだそうですが、今残っているのは洋館とそれにつながる和館、そして撞球室すなわちビリヤード室の3棟だけです。


庭から眺める洋館。右側は撞球室。


マナブ:ビリヤード専用の建物があるなんて、ぜいたくですね。


歴史先生:撞球室もジョサイア・コンドル設計。ここは洋館と地下道でつながっているんですよ。スイスの山小屋風の建築で、当時は大変珍しかったのだとか。当初、洋館と撞球室が国指定重要文化財になり、今では庭園も含めた敷地全体が国指定重要文化財になっています。


マナブ:すばらしい邸宅です。洋風・和風の建物と庭のバランスが、明治日本を象徴している感じがします。


歴史先生:ところで、太平洋戦争の終戦後、ここはGHQによって接収されました。「キャノン機関」ってご存じですか?


マナブ:いえ、知りません。


歴史先生:キャノン中佐をリーダーとする組織で、GHQの秘密機関と呼ばれていました。そのキャノン機関が活動拠点としたのがこの旧岩崎邸です。1949年、国鉄の下山総裁が遺体で見つかった下山事件などはキャノン機関が関与していると言われています。


マナブ:戦後の日本でGHQがいろいろと闇で動いていた、ということなんでしょうね。


歴史先生:はい。真相は不明なことが多いですが、旧岩崎邸はそういった戦後の歴史の証人でもあるわけです。


マナブ:決して素敵な家だから住みたくて接収した、ということでもなさそうですね。


歴史先生:さて、湯島の街歩きはこれで終了です。今日はいかがでしたか?


マナブ:ニコライ堂に始まり、湯島聖堂、神田明神、湯島天神、旧岩崎邸と、名前は知っているけどちゃんと行ったことがない場所を回ることができました。そしてそれらが一直線に並んでいるのは、ここの地形と深く関係していたんですね。


歴史先生:そう、台地の端っこ。


マナブ:そして太田姫稲荷とか、妻恋神社とか、今まで知らなかった神社についても知ることができて、とても楽しかった。都内の人は気軽に行ける場所ですから、ぜひこのコースを歩いてほしいですね。



​歴史好きのための観光ガイド
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