top of page
富山 高岡_1.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
室堂-黒部ダム間の絶景移動を楽しむ

順序が逆では? ダム建設と観光ルート開発の意外な歴史

ここはスイス? 桁違いの気持ちよさ:黒部平パノラマテラス

巨大なダムの堰堤を渡る絶景ウォーク

スリルある外階段を登って展望台へ

人の少ない、自然豊かな黒部湖畔散歩

いったい、なぜこんな秘境に巨大な黒部ダムを造ったのか?

室堂-黒部ダム間の絶景移動を楽しむ


立山ロープウェイ


歴史先生:さて、立山黒部アルペンルートのお楽しみと言えば、さまざまな乗り物です。


マナブ:ここ、室堂から黒部ダムまでは、トンネルバス、ロープウェイ、それからケーブルカーですね。


歴史先生:はい。まずは室堂ターミナルから電気バスに乗りましょう。


立山トンネル電気バス


マナブ:あれ、たしか昔はトロリーバスって呼んでませんでしたっけ?


歴史先生:はい、そうなんです。実は2024年11月30日付でトロリーバスは廃止になりました。扇沢から黒部ダムの間のトンネルもトロリーバスでしたが、そちらは2018年に運行終了しています。


マナブ:そもそもトロリーバスってとても珍しかったですよね?


歴史先生:元々、2つのトンネルとも非常に長い。ここに普通のバスを走らせると、排気ガスが充満します。その排気がうまくいかず、ここは電気で走るトロリーバスにしたんです。


マナブ:なるほど、それだと排気ガスはゼロですね。


歴史先生:ちなみにトロリーバスは法律上は自動車ではなく電車。電線から電力を引いて、モーターでタイヤを動かす乗り物です。


マナブ:どうして廃止になったんですか?


歴史先生:今は都市部でトロリーバスを見ることは無くなりました。立山トンネルは日本で最後のトロリーバスだったんだそうです。となると、車両のメンテのための部品の入手が困難になります。一方でEV技術が進展して、電気バスは安価に手に入るようになりました。しかもトロリーバスに比べてEVは省電力なんです。


マナブ:なるほど。時代の流れで電気バスになったんですね。


歴史先生:ということで、私たちは最近できた新しい電気バスに乗りましょう。トンネルのバスですから景色はありません。できれば前の方に座ればトンネルの様子がよく見えます。


マナブ:向こう側からバスが来ました。あ、途中でちょっとだけ広くなっているところがあって、そこですれ違うんですね。ケーブルカーと同じだ。


破砕帯だった部分が照明で青くなっている


歴史先生:あそこ、青くなっているのが見えますか?


マナブ:ほんとだ、あれは何ですか?


歴史先生:あの部分は「破砕帯」です。


マナブ:はさいたい?


歴史先生:トンネルを掘っていくと、地層の中に岩が細かく砕けていてそこに多量の水が溜まっている、という場所があります。そこを掘り進めようとすると多量の水が噴き出し、細かな土砂も流れ出ますので、トンネル工事の難所となります。


マナブ:たしかに。


歴史先生:立山トンネルでもこの破砕帯があり、この短い区間を掘り進めるのに大変な苦労と時間を要したそうです。もう1つのトンネル、扇沢と黒部ダムを結ぶ関電トンネルでも破砕帯があり、大量の出水が工事関係者を苦しめました。その様子は映画「黒部の太陽」で描かれています。映画を見てから訪れると、感慨もひとしおです。


<見ておきたい映画>

映画「黒部の太陽」



1968年(昭和43年)公開。三船敏郎、石原裕次郎ら豪華スター共演の大作映画。到達するだけでも大変な秘境黒部渓谷の奥深くで、電力開発という国策によって不可能と思われる難工事をやり遂げなければならなかった現場の人々の苦労を描く。多数の人命を失ったこの難工事は本当に必要だったのか? 戦争の色がまだ濃く残る時代の日本において、この工事そのものの意義を問いかける問題作。




<読んでおきたい本>

黒部の太陽

木本正次



映画「黒部の太陽」の原作本。




マナブ:さぁ、大観峰の駅(地図 ❶)に着きました。標高は2,316m。


歴史先生:さっそく2階展望テラスに出てみましょう。


展望テラスへは雪のトンネルを通って出る


テラス側から見た雪のトンネル


マナブ:「雪のトンネル」があります。あ、これ本物の雪ですね。


歴史先生:例年5月上旬から6月下旬までやっています。豪雪地帯ならでは、ですね。


大観峰の展望テラスからの大パノラマ


マナブ:うわぁー、すごい眺めです。


歴史先生:独特の青い色をした黒部湖。そして前方に見えている山々は後立山連峰(うしろたてやまれんぽう)。


マナブ:高さはどれくらいあるんですか?


歴史先生:真正面(写真中央)の赤沢岳が2,677m、少し右にある鉢ノ木岳が2,820mです。


マナブ:立山よりほんの少し低いくらい。


歴史先生:ですね。そしてここからはロープウェイが良く見えます。距離にして1.7㎞、標高差500mという長大なロープウェイなんですが、なんと途中で一本も支柱がない「ワンスパン方式」。



立山ロープウェイ


マナブ:ワンスパン方式というのは珍しいんですか?


歴史先生:日本ではここ立山ロープウェイと、新潟県のガーラ湯沢の2か所にしかないそうです。支柱がないことで眺めの良さを売り物にしています。


順序が逆では? ダム建設と観光ルート開発の意外な歴史


大観峰のロープウェイ乗り場入口


マナブ:大観望からロープウェイに乗るのですが、長い列ができています。これ、乗れるかなぁ?


歴史先生:立山ロープウェイの箱は大きくて、定員81名も乗れます。ざっと数えてみたところ、私たちは大丈夫そうですね。しかしここは立山黒部アルペンルートの中でも定員の少ない乗り物なので、繁忙期には混雑や積み残しが発生しやすいところです。時間には余裕をもって臨んでください。


立山ロープウェイ


マナブ:またチケットのQRコードを「ピッ」と読み込んでもらって、中へ入りました。乗り場に行くと、「時間がありますから写真など撮ってもいいですよ」と、係員の方が声をかけてくださいました。


歴史先生:この手のロープウェイとかケーブルカーとか、乗る前に写真を撮りたいけど、「早く乗って」というプレッシャーを感じてなかなか写真を撮りづらいのが普通ですよね。でもここは乗車のためにゆっくりと時間を取ってくれます。


マナブ:ロープウェイに早く乗っていい席を確保するのか、それともゆっくりロープウェイや絶景の写真を撮るのか、迷います。


立山ロープウェイ乗り場からも絶景が見える


歴史先生:さて、ロープウェイが動き出しました。わずか7分で500m下の黒部平まで、あっという間に下りていきます。


マナブ:ロープウェイの席の基本は下側の一番前に立つこと。


歴史先生:そうですよね。で、もしそれがだめなら、立山ロープウェイの場合は右側のほうが黒部湖が見えて少しだけ眺めがよいかと思います。


途中で上りのロープウェイとすれ違う


右側の窓から見える黒部湖の景色


マナブ:ところで、このロープウェイは純粋に観光用ですよね? 黒部ダム建設には関係ないのかな?


歴史先生:いいポイントですね。では黒部ダムという電力用のダム建設とは別に行われた立山黒部アルペンルートという観光ルートの開発の歴史について比較したいのですが、どちらが先か、わかりますか?


マナブ:そりゃもちろん、まずは戦後は産業用の電力が不足していましたから、昭和30年代に黒部ダムが最初に出来て、それからしばらくして高度成長期が来て日本人が旅行に行けるようになったので、観光にもそれを使おうということになった。


歴史先生:と思うでしょ? 実はそうではないんです。


マナブ:え? 意外すぎる。


歴史先生:簡単にまとめてみましょう。黒部ダムですが、1956年(昭和31年)に着工、1963年(昭和38年)に完成しました。扇沢からつながる関電トンネルは1956年に着工、1957年に破砕帯に当たって工事が難航するも1958年に開通して、黒部ダム建設に大きな役割を果たしました。


マナブ:はい、そこまでは納得です。


歴史先生:一方、富山県は観光開発を早くから計画し、1952年(昭和27年)に立山駅から美女平までのケーブルカーの建設に着工します。


マナブ:えーっ? 意外。黒部ダムの着工より4年も前だ。


歴史先生:そして1955年(昭和30年)には富山市内からの鉄道が立山駅まで延伸されます。これで富山市内から美女平までのルートができました。


マナブ:でもそれだけでは、まだまだですね。


歴史先生:そこで1953年(昭和28年)に美女平から上に高原バスを走らせる道路を作り始めます。まずは弘法までの道路が1955年(昭和30年)に開通し、バスの運行が始まりました。ところで、山の上の道路ができたんですが、山の下とは道がつながっていません。バスはどこから持ってきたんでしょう?


マナブ:あれ、不思議ですね。小さく部品に分解して、上で組み立てた、とか?


歴史先生:いや、立山ケーブルカーを思い出してください。


マナブ:あ、そういえば、荷台のようなものがありました。


歴史先生:そうなんです。当時は今のより大きな荷台を連結していて、そこにバスを乗せて上までケーブルカーが運んだんです。


マナブ:わー、それはすごい光景だったでしょうね。


立山ケーブルカーには現在でも荷台が連結されている


歴史先生:その後、道路は弥陀ヶ原、天狗平、そして室堂へと延伸されました。室堂まで伸びるのには少し時間がかかって、1964年(昭和39年)の開通です。


マナブ:黒部ダムができた翌年、ですね。


歴史先生:一方で、関電トンネルにはこの年(1964年)にトロリーバスが開業し、たくさんの一般の人々が黒部ダム見学に訪れるようになりました。


マナブ:でも黒部ダムで行き止まりだから、また扇沢に引き返すしかなかったんですよね。


歴史先生:はい、そうです。そこで富山県側では室堂から立山を越えて、黒部湖まで下りていく道路の延長を計画したのですが、あまりに斜面が急で、膨大な建設費がかかり、かつ自然保護も難しい。ということで道路案をあきらめます。


マナブ:代わりに出てきたのがロープウェイやケーブルカー。


歴史先生:そうなんです。まずは一番下のケーブルカーから建設が始まりました。着工は1966年(昭和41年)のことです。このあたりは豪雪地帯ですので除雪が難しく、また自然保護の観点からも、ケーブルカーは全線地下式を採用しました。下からトンネルを掘り、黒部平駅の場所には策道やヘリコプターで資材を持ち上げて、駅舎を建設したんです。ケーブルカーは1969年(昭和44年)に開業となりました。


マナブ:ケーブルカーの工事だけでも大変そうです。


歴史先生:そして次はロープウェイ。ワンスパン方式で支柱がないので眺めがいい、とさっき言いましたが、その大きな理由は雪崩・落石への対処でした。このあたりの急斜面は雪崩・落石がひんぱんに起こる場所だったので、支柱を作ることはリスクが大きかったんです。


マナブ:そういうことだったんですね。


歴史先生:ロープウェイの建設は比較的早く進み、ケーブルカー開業の翌年、1970年(昭和45年)に開業しています。


マナブ:残るはトンネルだけだ。


歴史先生:ところがこの立山トンネルが大変でした。建設途中でいくつも破砕帯にあたり、工事がストップ。1966年(昭和41年)に着工しましたが、開通は1969年(昭和44年)までかかりました。立山トンネルはまっすぐではなくて、結構中でカーブしていたのに気が付きましたか?


マナブ:そういえばカーブしていましたね。


歴史先生:あれは破砕帯を避けてルートを変更しながら掘り進めた跡だったんです。


マナブ:そうだったんだ。


歴史先生:そして1971年(昭和46年)、立山トンネル内でトロリーバスが営業を開始します。


マナブ:それでようやく、立山黒部アルペンルートが全部つながりました。ということで、先ほどの問題の答えは、富山県側は黒部ダムより早くからこの観光ルート開発に着手していて、黒部ダムができて数年後にはすぐに観光ルートとして全線開業できた、というわけですね。


歴史先生:はい、そうなんです。


ここはスイス? 桁違いの気持ちよさ:黒部平パノラマテラス


もうすぐ黒部平駅


マナブ:黒部平駅(地図 ❷)に着きました。明るい駅ですね。


歴史先生:ちょっと外に出てみましょう。


黒部平庭園


マナブ:ここにもまだ雪が残っています。


歴史先生:インド系の人たちでしょうか。楽しそうに雪遊びしています。


マナブ:雪を初めて見る人もいるかも? 6月に日本に来て雪を見るなんて、想像もしてなかったんじゃないかな?


黒部平パノラマテラスから見た黒部平庭園


黒部平パノラマテラス


歴史先生:さて、駅舎の屋上に上がってみましょう。比較的最近できた、パノラマテラス、です。


マナブ:すごい。ここはとっても気持ちいい場所ですね。まるでスイス。


歴史先生:まさに「アルプス」っていう感じですね。


黒部平パノラマテラスからは登っていくロープウェイが良く見える


マナブ:さて、次は「黒部ケーブルカー」に乗り継ぎます。


歴史先生:距離800m、標高差400mを5分で運びます、というか、落ちていきます、という感じ。最大勾配31度、と言いますから、立山ケーブルカーの29度よりもさらに急勾配です。


黒部ケーブルカー


上りのケーブルカーとすれ違う


マナブ:ほんとだ、これは地の底へ落ちていくみたいな感覚になります。


黒部湖駅に着いたケーブルカー


マナブ:さて、ケーブルカーの終点、黒部湖駅に着きました。乗客は急な階段を下りていきます。


歴史先生:さぁ、ここからいよいよ黒部ダム、ですよ。


黒部湖駅


巨大なダムの堰堤を渡る絶景ウォーク


黒部湖駅からダム堰堤へ



マナブ:ケーブルカーの黒部湖駅はコンクリートのかたまりの中のような場所。そこからコンクリートの通路を歩くと、出口が見えてきました。


歴史先生:出るとすぐにダム堰堤(地図 ❸)です。出口のところに案内看板がありますので、どこに行くか、見ていきましょう。


黒部ダムの案内看板


マナブ:どこへ行きますか?


歴史先生:まずはダム堰堤を渡って、向こう側へ行きましょう。展望台が上と下と2か所あるのですが、下の展望台はどちらかといえば観光放水を間近で見るもの。


マナブ:観光放水はたしか6月下旬からでしたよね?


歴史先生:はい。ということで、今日は上の展望台に登ります。ダムの壁に沿って階段がありますね。あれを上がっていきますよ。


マナブ:絵で見ると、ちょっとキツそうで、怖そう。


歴史先生:そのあとこちら側へ戻って、ちょっとだけ湖畔を歩きましょう。


ダム堰堤の上に出てきた


ダム堰堤と背後の断崖絶壁


マナブ:いやー、風が強い。でも気持ちいい場所です。


歴史先生:堰堤を渡った先、コンクリートのかたまりになっていますね。あのあたりがダムの施設になります。


マナブ:背後の岩、すごいですね。


歴史先生:あれは鏡岩、と呼ばれているようです。映画「黒部の太陽」の冒頭近くのシーンで、調査隊が断崖絶壁に沿ってゆっくりと上っていて、その時1人が足を踏み外して転落するシーン(実際には人形が落ちていく)がありますが、恐らくあの岩だと思います。


黒部ダムの下流側は黒部峡谷


マナブ:左側、すなわち下流側は深いV字谷になっています。


歴史先生:これが黒部峡谷ですね。宇奈月温泉、そして富山平野へと続いています。


マナブ:向こうに見える雪をかぶった山がきれい。


歴史先生:あれはおそらく白馬だと思いますよ。


マナブ:すごい、ここから白馬も見えるんだ。左側の三角・三角した尖った形の山、あれは剣岳ですよね?


歴史先生:とっても形がよく似ていますが、あれは黒部別山(くろべべっさん)、という山のようです。


黒部湖


マナブ:右側は黒部湖です。深いブルーの色がきれいです。こちら側の山もいいですね。


歴史先生:向こうに見える雪を被った山はおそらく赤牛岳、でしょう。


堰堤の半分まで来た


ダム堰堤の上を進む


マナブ:進んでいくと、ますます絶壁と、その手前の巨大なコンクリート構造物が大きく見えます。


黒部ダムレストハウス


マナブ:レストハウスが見えてきました。


歴史先生:あの手前から左に行きましょう。


スリルある外階段を登って展望台へ


標識に沿って展望台へ進む


ここをまっすぐ行くと「ダム展望台」、下へ行くと「ダム新展望広場」


歴史先生:私たちは上にある「ダム展望台」へ行きましょう。


ダムの堰堤が見え始める


マナブ:ダム堰堤の全体が見え始めました。長さ492m、高さ186m、と書かれていました。


歴史先生:数字をサラッというと実感が湧きませんが、186mの高さってすごいですよね? 西新宿の高層ビル群が約200mですから、それに匹敵するくらいの高さです。


マナブ:そう思うとすごい。こんな秘境の地に、それほど大きなコンクリート構造物を作るなんて、信じられません。


ダム展望台へはこの外階段を上っていく


マナブ:ここから上りです。なになに、あと280段?


歴史先生:結構ありますよ(笑)。


マナブ:がんばるしかない、ですね。


すき間から下が見えるのが少し怖い外階段


マナブ:ふぅ、外階段を上っています。だんだんときつくなってきましたが、同時にちょっとスリルも感じます。


歴史先生:コンクリートの巨大な壁にへばりついて上っているような感じですものね。


コンクリートの壁にへばりついているような外階段を上っている


振り返ると巨大なダム堰堤と黒部湖が見える


マナブ:この高さから見ると、堰堤が黒部湖の水をしっかり溜め込んでキープしているのが、よくわかります。


歴史先生:高さ186m分の水ですから、とんでもない量ですよね。


剣岳そっくり? 険しい山容の黒部別山の雄姿


展望台が見えてきた


マナブ:ようやくゴールが見えてきました。


歴史先生:展望台はもうすぐ。頑張りましょう。


ダム展望台の屋上


マナブ:ダム展望台(地図 ❹)に着きました。


歴史先生:黒部ダムの写真をよく見ると思いますが、まさにここからの眺めです。


黒部ダム全景


マナブ:あー、これこれ。よく見る写真の景色です。ダム堰堤があんなに下に見えてるってことは、相当登ってきたってことですね。


ダム展望台から見た黒部湖


歴史先生:黒部湖がとってもきれいです。


マナブ:ダムの写真はよく見ますが、このアングルでの黒部湖の写真はあまり見ませんね。すごくきれい。黒部湖って、たしか遊覧船があるんですよね。後で乗ってみませんか?


歴史先生:その遊覧船「ガルベ」なんですが、2024年をもって営業終了になったんです。


マナブ:あらら。そうでしたか。


歴史先生:同社の発表では、2000年初めのピーク時に比べて乗客が半分以下になっていて、事業の継続が難しくなったとのことです。


ダム堰堤から見た展望台


長い内階段


歴史先生:さて、帰りは内階段を下りていきましょう。


マナブ:ここは外階段のような怖さはないですね。


歴史先生:展望台を目指して、息を切らしながらたくさんのお客さんたちが昇っていきます。下りている私たちは楽ですけどね。


人の少ない、自然豊かな黒部湖畔散歩


黒部ダムレストハウス前


マナブ:内階段を下りると、黒部ダムレストハウスの前に出ました。


歴史先生:では再びダム堰堤を渡って、黒部湖駅の方へ戻りましょう。


ダム堰堤を黒部湖駅方面へ戻る


黒部湖駅に入る手前を「ロッジくろよん」の看板に沿って左折する


歴史先生:コンクリートのかたまりの中を黒部湖駅に向かって歩いていきますが、その手前を「ロッジくろよん」の看板に沿って左折し、しばらくまたトンネルを歩きます。


トンネルを出るとさわやかな新緑が広がる


マナブ:トンネル出口が見えてきました。緑がきれい。


歴史先生:今の時期(6月上旬)、新緑がきれいです。


黒部湖に注ぐ無名の滝


マナブ:新緑ウォーク、気持ちいいですね。滝なんかもあって、とっても清々しい。


黒部湖から見たダム堰堤


カンパ谷橋


歴史先生:「カンパ谷橋」が見えてきました。


マナブ:吊り橋、ですか?


歴史先生:はい。でも構造がしっかりしていて、揺れないので怖くはないですよ。


水のきれいなカンパ谷橋付近


カンパ谷橋から黒部湖を見る


マナブ:橋から眺める黒部湖もきれいです。


歴史先生:さて、この先も遊歩道は続くのですが、そろそろケーブルカーの時間ですので、私たちは引き返しましょう。


マナブ:ほんのちょっとだけのウォーキングでしたが、ダム堰堤と違ってここには人が誰もいなくて、とってもさわやかな体験でした。


いったい、なぜこんな秘境に巨大な黒部ダムを造ったのか?


黒部ダムのゆるキャラ「くろにょん」


歴史先生:ところで、さっきダム堰堤に、ゆるキャラの「くろにょん」がいましたね。


マナブ:あれは「くろよん」、とかけてるんですよね?


歴史先生:そうでしょうね。ところで「くろよん」っていうのは黒部第四発電所のことですが・・・。


マナブ:ということは、第一から第三もある?


歴史先生:あります。そもそも、なんでこんな巨大なものを、こんな秘境に造らないといけなかったのか。不思議じゃないですか?


マナブ:そうですよね。


歴史先生:ところで、明治時代から電力会社というのはあったのですが、最初の頃、火力と水力はどちらが多かったか、想像できますか?


マナブ:うーん、むずかしいなぁ。火力というのはお湯を沸かしてタービンを回す装置があればできるけど、水力というのは大きなダムが必要。まずは火力の方が多かったとか?


歴史先生:大正解です。当初は火力発電が主でした。需要地の都市部のそばに小規模な発電施設が出来ていました。水力はダム建設という課題の他に、当時は山の中から遠距離で、ロス少なく送電する技術がありませんでしたから、ダムを造ってもその近隣へしか電力を共有できなかったんです。


マナブ:でも日本と言う国を考えると、石油はあまり取れない一方で、雨が多くて山がち。急な流れを持つ川がたくさんあるから、水力発電には向いていますよね?


歴史先生:まさにそのとおりで、明治の末期から大正にかけて、送電の技術が進んでくると今度は水力発電が主流になってきます。第一次世界大戦後の好景気が始まり、各地で工業化が盛んに進められました。


マナブ:となると電力需要も増えた。


歴史先生:そこで新たな水力による電源を開発しようと、1923年(大正12年)には黒部川の開発が始まります。黒部峡谷鉄道というのがありますね?


マナブ:トロッコ電車ですね。あれはダム建設用の資材運搬のためのものだったのかな?


歴史先生:はい、そのとおりです。そして宇奈月温泉はそのころ開発された、建設作業員のための基地であり保養施設でした。


マナブ:最初に出来たのは黒部第一発電所、ですね?


歴史先生:はい、ただ当時は第二以降はまだわからなかったので、柳河原発電所と呼ばれていました。1927年(昭和2年)に完成し、送電を始めています。今はすでに廃止され、新しいダム湖の中に沈んでいます。


マナブ:続いては第二?


歴史先生:黒部第二発電所は1936年(昭和11年)に完成。小屋平ダムで溜めた水を使います。発電所、ダムとも黒部峡谷鉄道から眺めることができます。


マナブ:続いて第三。


歴史先生:このころになると、だんだんと戦争の色が濃くなってきます。仙人谷ダムを造り、下流の欅平に発電所を建てました。その間を竪坑エレベーターやトンネルでつないだのですが、ここのトンネルが大変でした。


マナブ:破砕帯、かな?


歴史先生:いえいえ、こんどは灼熱の岩盤です。


マナブ:掘ったら熱かった?


歴史先生:はい。掘り進めるにつれてどんどん岩の温度が上がっていき、最高で160度にもなったとか。新しく開通した「宇奈月黒部ルート」ではこの高熱隧道を観光できるようになりました。今でも40度ほどあるそうです。


マナブ:そんな暑いところでどうやって作業してたんですか?


歴史先生:掘り進める人の後ろからホースで水をかける人がいて、その人に後ろからさらに水をかける人がいて、というような形でした。でも、それでもあまりにも暑い。


マナブ:ずーっと、サウナの中で働いているみたい。


歴史先生:体を壊して倒れたり、精神をおかしくする人も現れました。あまりの暑さにダイナマイトが自然発火して命を落とした人もいました。第四発電所の話である映画「黒部の太陽」でもこの第三発電所の過去のトンネル工事の話は物語のキーになっていて、「地獄だった」とされています。


マナブ:よくそんな環境で働けましたね?


歴史先生:時は日中戦争から太平洋戦争へと、軍国主義が台頭してきた時代です。お国のため、という理由でたくさんの人がむちゃくちゃな働き方を強要され、多くの人が命を落としました。黒部第三の工事だけでも100名以上が犠牲になっています。


マナブ:そうか、第三はちょうどそういう時代だったんだ。


歴史先生:黒部の工事現場では「黒部にケガなし」と言われていたそうです。


マナブ:それはどういう意味ですか?


歴史先生:黒部で少しでもミスをすると命がない。たとえば資材を搬入するのは主に人力で、岸壁沿いのおよそ60㎝くらいしかない足場を伝って、資材を運んでいました。ちょっとでも足を踏み外すとそのまま谷底へ転落します。実際、多くの人が転落して命を落としました。


マナブ:なるほど。ケガでは済まないわけですね。


歴史先生:第三の話は「高熱隧道(吉村 昭 著)に詳しいのでぜひ読んでみてください。


<読んでおきたい本>

高熱隧道

吉村 昭



黒部第三発電所のためのトンネルを掘る男たちの物語。いざ掘り始めてみると岩盤の温度がどんどん上昇していく過酷な労働環境で働く名もない人夫たち。それを監督する技師はトンネルを貫通させたいという情熱と、失われていく人夫たちの命との間で葛藤する。高熱対策ができ始めたと思ったら今度は全く違う自然の脅威が襲う。やがて物言わぬ人夫たちの怒りが頂点に達し、技師たちは命の危険を感じるようになる。戦争を遂行するために無茶な工事を進めた国の判断は果たして正しかったのだろうか。




マナブ:さて、そうしていよいよここ、第四発電所が造られる。


歴史先生:はい。太平洋戦争後、日本はまだ水力発電が主流でした。昭和30年代になって復興が加速し高度経済成長が始まり、電力の不足は大きな社会問題になりました。そこで発展する関西地区の電力需要を賄うため、関西電力は黒部第四の計画を立てます。


マナブ:黒部川のさらに上流にさらに大きなダムを造るんですね。


歴史先生:しかしあまりにも資材を運ぶルートが貧弱で、トンネルを掘れるかどうかがこのプロジェクトのカギでした。映画「黒部の太陽」でも京大で建築を学んだ若い石原裕次郎がフォッサマグナや破砕帯のことを持ち出して「トンネルを掘るのは無理だ」と突き放し、現場のリーダーに任命された三船敏郎も一旦は任命を辞退するものの、関西電力の社長に言い含められて不安の中に工事を始めていました。


マナブ:映画、おもしろそうです。


歴史先生:工事は当初順調に進みますが、心配されていた通り破砕帯にあたってその先に進めなくなりました。さてこのピンチをどう乗り切ったのか、という映画です。


マナブ:実際にはいつの話ですか?


歴史先生:黒四の工事は1956年(昭和31年)に扇沢からの関電トンネルの掘削によって始められました。掘り始めてから1.7㎞地点で破砕帯に遭遇。大量の水と土砂がトンネル内に吹き出しました。


マナブ:どうやって乗り越えたんでしょう?


歴史先生:たくさんの脇のトンネルを掘って、そこからボーリングして、土壌を固める薬剤を投入することで、7か月間かかってなんとか掘り進めることができました。


マナブ:地中に隠れていて見えませんが、実はトンネルがすごかったんですね。


歴史先生:そうなんです。


マナブ:でも、地上に見えているダムの巨大な堰堤も、やっぱりすごいです。こんな山の中にどうやってこんな大きな構造物ができたんだろうと思いますね。


歴史先生:当時、コンクリートの材料となる砂や砂利、セメントはトラックで扇沢まで運ばれ、そこからトンネルの中をベルトコンベアでダム建設現場まで運ばれました。そして現場で練り上げてコンクリートにしたんですね。


マナブ:なるほど。


歴史先生:外階段のところにあったコンクリートバケット。覚えていますか?


マナブ:はい、黄色い大きなかごのようなもの。


コンクリートバケット


歴史先生:練りあがったコンクリートはあのバケットに入れられます。そして谷の両側に設置されたクレーンで吊り上げられ、堰堤部分に造られた鉄製の枠に流し込まれます。これを繰り返していくのですが、いったい何杯くらいのコンクリートが使われたか想像できますか?


マナブ:いやー、まったく、桁さえわかりません。


歴史先生:実に17万8000杯もこれで流し込んだそうです。


マナブ:桁が大きすぎて想像ができませんね。


歴史先生:現場の努力によってものすごいスピードでダムの堰堤は造られ、1963年(昭和38年)に完成しました。


マナブ:黒四でも多くの人が亡くなったんですよね。


歴史先生:はい。171人の方が犠牲になりました。黒部ダムレストハウスの奥に慰霊碑があります。


殉職者慰霊碑(この日は工事中で近づけず。銅像に交じって作業員の方が立っているのもおもしろい光景だ。)


歴史先生:というわけで黒部ダム、そして立山黒部アルペンルートを見てきましたが、いかがでしたか?


マナブ:まずは黒部ダム。単に大きなダム、としてだけ見るのはもったいない。映画を見たり本を読んだりして、なぜこれができたのか、どうやって作ったのか、などを知っておくと2倍楽しめますね。


歴史先生:まさにそうだと思います。


マナブ:そして立山黒部アルペンルート。これはもう、言葉にならないくらい、素晴らしかった。バスツアーなどで駆け足で通り抜けていく人がほとんどのように見えましたけど、もったいない。せっかく来られるのであればその2倍以上の時間をかけてほしいですね。天気のいい時に立山・室堂を歩いてほしいし、それから称名滝にはぜひ行ってほしい。ルートの中で1泊(または2泊)するのも最高です。これから行こうとされている皆さんは、ぜひ私たちの経験を参考にしてくださいね。



​歴史好きのための観光ガイド
記事の内容は取材当時のものであり、最新の情報についてはWebサイト等で必ずご確認ください。

本サイトは個人が運営しています。筆者の勉強不足による歴史認識の誤りや情報のアップデートの必要性など多々あろうかと存じますが、何卒温かくお見守りください。

本サイトの内容について無断転載はご遠慮ください​。

© rekishizuki 
bottom of page