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富山 高岡_1.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
4,000mの高低差をもつ富山の特殊な地形はなぜできた?

立山への入口:美しい形の扇状地と不思議な立山信仰の物語

常願寺川をさらに上流へ。そこには絶景が広がる。

驚くことばかりの「立山カルデラ」と幕末に起きた大災害

立山カルデラの大崩壊から富山平野を守る終わりなき砂防の戦い

4,000mの高低差をもつ富山の特殊な地形はなぜできた?


マナブ:今日は富山駅に来ています。


歴史先生:さて、これから富山、そして立山黒部アルペンルートを旅するのですが、それにあたって、知っておくべきなのはその地形の特殊性です。


マナブ:というと?


歴史先生:立山に代表される3,000m級の山々はよく知られていますが、富山の目の前にある富山湾もまた、1,000m級の深さを誇っています。実に4,000mの高低差のある特殊な地形なんですね。


マナブ:目には見えませんが、海底まで深く落ち込んでいるんですね。


歴史先生:そうなんです。他に知られている深い湾としては駿河湾、相模湾があって、これらは日本三大深湾、とも呼ばれています。ところで駿河湾、相模湾はフィリピン海プレートが沈み込むために深くなっている場所なんですが、富山湾はなぜ深いのか、わかりますか?


マナブ:ん? なぜだろう? プレートが沈んでいる場所ではないですものね?


歴史先生:これには日本列島そのものの成り立ちを理解する必要があります。


マナブ:大きな話になってきました。


歴史先生:話は約2,500万年前。今の北朝鮮やロシアの東海岸にあたる大陸の一部が細長く剝がれて、1年に20㎝という猛スピードで東に移動を始めます。1,500万年前には今の東北を作った細長い島と、黄海から西日本に伸びている半島という地形になりました。


マナブ:当時の日本はそういう地形だったんですね。


歴史先生:そしてその間の海峡部分は地層で徐々に埋まっていき、今は陸続きとなってフォッサマグナとなっています。フォッサマグナは日本海の中では富山トラフと呼ばれ、一段と深くなっているんです。


マナブ:今の日本列島はそうやってできたんですね。


歴史先生:そして約300万年前、今度は大きな事件が起きます。


マナブ:何でしょう?


歴史先生:日本の東側にある太平洋プレートが、西側に動き始めたんです。日本は東からギュッと押され、西にはデーンと大陸が壁のように動かない。となると、どうなりますか?


マナブ:挟まれて押されて・・・しわしわになります。


歴史先生:そうなんですね。東西圧縮によって東北の山地ができ、能登半島や佐渡島などが隆起しました。立山に代表される飛騨山脈もここで隆起します。現在立山で見られる花崗岩は「深成岩」すなわち地下数㎞の深い場所でマグマがゆっくりと固まったもの。約300万年で1万メートルも上昇し、それが地表に出て風雨で侵食された姿が今の立山なんです。


マナブ:約300万年で1万メートルというと、えーっと、1万メートルは1,000万ミリメートルだから、1年ではわずか3ミリほど?


歴史先生:それってほとんど動いていないように思われるかもしれませんが、地殻の変動としては世界的に見ても極めてまれな、速いスピードなんです。通常、地表で見られる花崗岩というのは数千万年前に地中でできたものなんですが、ここ立山やもう少し南にある穂高岳の花崗岩は150~300万年前という極めて若いもの。


マナブ:若い?


歴史先生:例えば100万年を人間の1歳に置き換えて想像してみてください。通常の花崗岩は数十歳になってからようやく地表にでてくるのですが、立山の花崗岩は1~3歳でもう地表に出てきてる。


マナブ:まだ赤ん坊なのにいきなり社会に出たような感じ?


歴史先生:そうそう、そんな感じです。そしてこの高速の地殻変動は今現在、この瞬間も続いています。


マナブ:ゆっくりすぎて感じられないけど、今もまだ激しく動いているんですね。


歴史先生:はい、私たちはその激動の変化をリアルタイムで目撃しているところなんです。ところで、この4,000mの高低差は素晴らしい恵みをもたらしてくれています。


マナブ:というと?


歴史先生:3,000m級の山々には日本海からの風がぶつかってたくさんの雪や雨を降らせます。山は深い森に覆われていて、ここに降った雨や雪は窒素、リン酸、カリウムといった森の栄養をたっぷり含んで、川や地下水になって富山湾へ注ぎます。


マナブ:栄養たっぷりな水が海に流れ込むと、プランクトンがたっぷりの海になりますね。


歴史先生:その通り。富山湾は深くて栄養たっぷり。魚の宝庫になっていて、「天然の生け簀(いけす)」とも言われているのはこういった理由があるんですね。


マナブ:だから寿司や海鮮がおいしい。


歴史先生:そうなんです。せっかく富山に来たんですから、今回は海の幸も楽しみましょう。


マナブ:もちろん!



立山への入口:美しい形の扇状地と不思議な立山信仰の物語


電鉄富山駅


マナブ:さて、私たちはJR富山駅のお隣にある、富山地方鉄道の電鉄富山駅に来ています。今日はこれから立山へ向かいます。


歴史先生:電車は1時間に1本ほど。乗り遅れないように少し早めに行くのがいいでしょう。私たちは自販機で「大川寺(だいせんじ)」までの切符を買います。


駅に入ると切符販売の有人窓口もあるが、奥に進むとプラットフォーム近くに券売機もある


2両編成のローカル電車


マナブ:さて、電車が発車します。2両編成で、乗客は1両に10名ほどでしょうか。


歴史先生:通常立山に行くには立山線一本で1時間強かけて終点立山駅まで行くのですが、今日は違う線「不二越上滝線」というのに乗って、ちょっと寄り道。大川寺(だいせんじ)で下車します。


マナブ:寄り道もまた楽しそうですね。


電車はワンマン運転


マナブ:先ほどから見ていると、電車はワンマン運転で、乗客は降りる時、一番前まで来て定期券を見せたり切符を入れたりしていますね。まるでバスみたい。


歴史先生:はい、この路線のほとんどの駅は無人駅なので、こうして運転手が料金確認までするんですね。いくつかある有人の駅では駅係員が対応します。


マナブ:なるほど。


歴史先生:なかなか乗ることのない路線ですから、外の風景も楽しみたいですね。電車はしばらく市街地を走った後、田んぼが広がる田園風景に変わってきました。


マナブ:ん? これ、少し坂を登ってる? 田んぼが段々になっています。


車窓から見る田んぼは段々になっている


歴史先生:いいところに気が付きましたね。地図を見てください。


マナブ:あ、ここは扇状地なのか。


歴史先生:はい、そうなんです。絵に書いたようなきれいな形をしていますね。


マナブ:ブラタモリではタモリさんが黒部川の扇状地が日本一きれい、と言われていましたが、ここもなかなかいいですよね。


歴史先生:はい。黒部川と比べても甲乙つけがたいきれいな形の扇状地です。ところで、扇状地ということは、土壌はどんな感じでしょう?


マナブ:えーっと、山から運ばれてきた砂礫なので、水はけがいい。ということは田んぼにできない?


歴史先生:そうなんです。そのため富山の人たちは長い年月をかけて用水路を整備して、ようやくお米の栽培ができるようになったんです。


マナブ:富山は米どころ、だと思っていましたが、地形から考えると最初からそうではなかったんですね。


歴史先生:ところで、この扇状地を作ったのは常願寺川。


マナブ:聞いたことがない川です。


歴史先生:え、そうですか? 常願寺川は今回の旅のキーワードでもありますので、ぜひ覚えてくださいね。さぁ、そろそろ大川寺(だいせんじ)駅です。ここで途中下車しましょう。


立山橋


歴史先生:大川寺駅を降りるとすぐに立山橋があります。ここを渡りましょう。


立山橋の北には扇状地と富山平野が広がる


南側は急に谷が細くなり、険しい山々がそそり立つ


マナブ:景色のいい橋ですね。


歴史先生:これが常願寺川。この地点で山から出てきて、ここから先は扇状地になります。私たちがいるのはちょうど扇状地の扇の要の部分。


マナブ:ブラタモリでも黒部川の扇状地の扇の要にある橋に立ち寄っていましたね。この常願寺川ですが、思ったより川幅が広くて水量も多い、大きな川なんですね。


歴史先生:この川が下流に大災害をもたらすのですが、その話はまた後で。


マナブ:え、そうなんですか。ところで、大川寺駅で途中下車したのはこの川を見せたかったから、ですね?


歴史先生:それもあるのですがもう1つ、行きたいところがあります。


マナブ:お、そうなんですか? いいですね。


橋を渡りきると川沿いに鳥居が見える


マナブ:あれかな? 川沿いに鳥居が見えてきました。


歴史先生:そうです。ここは「雄山神社 前立社壇(おやまじんじゃ まえたてしゃだん)」(地図 ❶)。


マナブ:ん? 長くて難しそうな名前。


雄山神社 前立社壇 表神門


雄山神社 前立社壇(地図 ❶)

〒930-1368 富山県中新川郡立山町岩峅寺1番地

境内自由

8:30~16:30、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.oyamajinjya-maetateshadan.org/


マナブ:立派な門が見えてきました。ここはどういう神社なんですか?


歴史先生:今回の立山黒部アルペンルートでは歴史よりも地形の話の方が多くなると思うのですが、歴史の話の中での1つのポイントは「立山信仰」です。


マナブ:名前だけ聞いたことがあります。


歴史先生:雪をまとった立山を富山平野から仰ぎ見ると神々しく感じる気持ちは、今の人よりもむしろ昔の人の方が強かったことでしょう。ここは神々が宿る山として、万葉の昔から信仰の対象になっていました。富士山、白山、立山を日本三大霊山、と言います。


マナブ:なるほど。その雄大な姿から自然と信仰の対象になったんですね。


歴史先生:そして立山を霊場として開いたのは、飛鳥時代から奈良時代にかけて生きた佐伯有頼(さえき ありより)という少年だと言われています。


マナブ:少年、ですか?


歴史先生:はい。佐伯有頼少年は、越中の国司として赴任したお父さんについて富山へ来ました。ある日、お父さんが大切にしていた白い鷹を無断で持ちだして狩りに出ました。ところが鷹は山の方へ飛んで行ってしまい、戻って来ません。


マナブ:鷹を連れて帰れないとお父さんにえらく叱られる。


歴史先生:そこで山を登ってようやく木の枝にとまっている鷹を見つけました。捕まえようとしたその瞬間、木の陰から熊が急に現れて、びっくりした鷹はどこかへ飛んで行ってしまいます。「こいつめ!」ということで、少年は弓で熊を射ます。矢が刺さった熊は山へ逃げ込みました。困った少年は熊の血の跡をたどってさらに山を登っていきます。


室堂ターミナルにある佐伯有頼少年の絵


マナブ:それでどうなったんですか?


歴史先生:気が付くと、天上の美しい広場に少年は出ていました。そしてその奥にある岩屋に熊が入っていくのが見えました。「いた!」ということでその岩屋に入ってみると・・・


マナブ:何があったんですか?


歴史先生:なんとそこには不動明王がいて、さらに矢が刺さって血を流している阿弥陀如来がいたのです。熊だと思っていたのは実は阿弥陀様だったんですね。少年は「自分はなんと罰当たりなことをしたんだ」と後悔しましたが、阿弥陀如来は少年にやさしい声でこう言います。「鷹と熊は、お前に思いを託すために私たちが姿を変えていたもの。ここ立山には阿弥陀如来がいて、ここへ登った人は極楽往生できるということを広めてほしい。そのためにお前はここの山を開きなさい。」少年は感激して、下山するとすぐに僧侶となり、立山の開山に一生を捧げました。


マナブ:ほぉー、立山にはそういうお話があったんですね。


歴史先生:さて、その佐伯有頼少年が701年に開いたのが雄山神社。約3,000mの立山のてっぺんにあります。


マナブ:うーん、それは行くのが大変そうですね。


歴史先生:しかも実質、夏の間しか参拝できない。そこで立山の山頂の雄山神社を「峰本社」とし、谷の入口であるここに遥拝所としての前立社壇を造り、この谷の奥に中宮祈願殿を造って、合計3か所の構成になりました。


マナブ:ここがどういう神社なのかという質問への長ーい回答でした(笑)。なるほど、雄山神社の前立社壇というのはそういうことだったんですね。よくわかりました。


雄山神社前立社壇 拝殿


歴史先生:ここは数々の武将たちから庇護されてきました。古くは源頼朝。鎌倉時代の初めに本殿を再建しました。その後、足利義稙(第10代将軍)、佐々成政、前田利家らの名前が本殿の改修の記録に残っています。


マナブ:この中央の建物が本殿、ですか?


歴史先生:いえ、これは本殿の前に立つ拝殿、です。


雄山神社前立社壇 本殿(国指定重要文化財)


歴史先生:拝殿の背後を覗いてみてください。茅葺の高い建物、あれが本殿です。室町時代の建築で、国指定重要文化財なんですよ。


マナブ:おー、見えました。結構大きな、立派な建物です。


雄山神社前立社壇 東神門を出て岩峅寺駅へ向かう


常願寺川をさらに上流へ。そこには絶景が広がる。


歴史先生:ところで、このあたりの地名は「岩峅寺(いわくらじ)」です。平安時代になって仏教が盛んになると、立山信仰にも天台密教をはじめとする仏教の考え方が取り入れられ、立山は修験道の一大中心地となります。前立社壇には大講堂、地蔵堂などが建てられて、岩峅寺という寺院となりました。一方で中宮祈願殿は芦峅寺(あしくらじ)というお寺になり、そこも地名が残っています。


マナブ:おもしろいですね。


歴史先生:そして岩峅寺、芦峅寺のひとたちは全国を回って立山信仰を広めていきます。その時、立山にあるいろいろな名所を極楽や地獄に例えた「立山曼荼羅」を使いました。これを見せながら、「立山に来てください」と宣伝をしていたんでしょうね。


室堂ターミナルに隣接する「立山自然保護センター」に飾られている立山曼荼羅


マナブ:曼荼羅ですか。一般的な曼荼羅を見たことがありますが、仏様がたくさんいらっしゃって、でもなんだかわかりにくかったです。


歴史先生:ではこの立山曼荼羅、ぜひ見てほしいので、実際に立山に行った時に室堂で一緒に見ましょう。とってもわかりやすくて、おもしろい。極楽、地獄、そして立山に登るルートなど、マンガのように書かれています。


マナブ:それは面白そうですね。


歴史先生:立山曼荼羅を用いた布教活動の甲斐あって、最盛期の江戸時代後期には毎年6,000人もの人が立山に登山したそうです。


マナブ:6,000人も来たら、泊まるところも必要ですね。


歴史先生:はい。そこで岩峅寺や芦峅寺には宿坊ができたそうです。前立社壇を参拝して、途中祈願殿に立ち寄って、そこから険しい立山に入っていく、というルートです。現代の私たちはそのルートを電車とかケーブルカー、バスで難なく行ってしまうわけですが。


マナブ:ちょっと有難みが薄くなりますね。


歴史先生:ということで、ここからの旅路は「もし自分の足で歩いて行ったら?」というのを想像しながら進んでいきましょう。


岩峅寺駅


マナブ:前立社壇から歩いて5分ほど。岩峅寺駅に来ました。なんだか雰囲気のある、絵になる駅舎ですね。


歴史先生:ですよね? 2009年公開の「剣岳 点の記」という映画があって、浅野忠信、香川照之、松田龍平、宮崎あおいといった豪華なキャストで撮影されたのですが、この駅舎もロケ地になっていたようです。


<見ておきたい映画>

「剣岳 点の記」



明治のころ、日本地図の中で未踏の地として空白になっていた剣岳。これまで誰一人、頂上にたどりつけなかった剣岳に命がけで臨む測量士たちの物語。




マナブ:剣岳というのはどこにあるんですか?


歴史先生:立山の北側、にあります。今日は雲がかかって見えませんでしたが、晴れた日には富山平野から雄大な姿を望むことができますよ。そして立山黒部アルペンルートからも見えますので、その時にもっとお話ししましょう。


岩峅寺駅にて立山駅行きの電車に乗る


マナブ:岩峅寺駅は有人の駅でした。ここで立山駅までの切符を買います。私たちが次に乗る列車は特急だということで、特急料金200円も合わせて支払いました。


歴史先生:さて、ここからはいよいよ常願寺川の谷に入っていきます。しばらくは右側が谷で景色がいいです。そして中間地点で川を渡る鉄橋があって、そこでは左側が絶景。そのあとは左側が谷になります。


マナブ:今日は空いているから席を移動できそうです。空いていない時は最初から左側に座った方がよさそうですね。


千垣橋梁から見える本宮砂防堰堤と大日岳


歴史先生:さぁ、千垣駅を過ぎて、鉄橋にかかってきました。左側、見てください。


マナブ:おー、きれいですね。電車もいったん止まって、景色を見せてくれています。


歴史先生:川が段々の滝のようになっているのが見えますか? あれは本宮砂防堰堤(ほんぐう さぼうえんてい)と言って、国指定重要文化財なんですよ。


マナブ:え、あれが?


歴史先生:あとで砂防の博物館で詳しく見ましょう。そして後ろに見えているきれいな山が大日岳。弥陀ヶ原の正面にそびえる大きな山です。


千垣橋梁から下流方向を見る


マナブ:一応、橋の反対側も見ておきましょう。こちらも十分、絶景と言えますね。


歴史先生:ところで先ほど話に出た中宮祈願殿ですが、ここから近くです。今はその隣に立山博物館という立派な施設ができて、立山信仰についての充実した展示がされているんですが、残念なことに公共交通機関で行く方法がありません。


マナブ:えー、そうなんですか。残念。何とかしてほしいですね。


歴史先生:マイカーやレンタカーで旅する人はぜひ立ち寄ってみてください。


立山博物館(地図 ❸)

〒930-1406 富山県中新川郡立山町芦峅寺93−1

https://tatehaku.jp/ 


マナブ:もうすぐ立山駅です。


歴史先生:さて、ここからが立山黒部アルペンルートの本番です。


マナブ:わくわくしますね。


驚くことばかりの「立山カルデラ」と幕末に起きた大災害


立山駅


マナブ:立山駅(地図 ❶)に着きました。標高475m。駅前はまるでスイスのような雰囲気ですが、まだそんなに標高は高くありません。ここで私たちは一旦荷物をコインロッカーに預けます。鉄道の改札階にある大きめのロッカーが500円、階段を登ったところにある中くらいのが300円でした。


歴史先生:では立山黒部アルペンルートの切符を買いましょう。(上の写真右の「きっぷうりば」と書かれている)窓口で黒部湖までの往復切符を買います。QRコードが付いた、紙1枚のチケットです。それぞれの乗り物に乗る際にこれを見せて、QRコードを読み取りますので、大切に持っていてください。


マナブ:きっぷを買う際に、ここからのケーブルカーの乗車時刻を予約します。まだ午前中なんですが、「15時発で」と言ったら「え?」と聞き返されました。これから称名滝を見に行くこと、途中弥陀ヶ原で泊まることを告げると納得していただけました。


立山駅周辺はまるでスイスのよう。旅館、飲食店、お土産屋などが並ぶ。


歴史先生:さて、今日のメインは称名滝なんですが、その前に絶対行きたいところがあります。


マナブ:どこでしょう?


歴史先生:「立山カルデラ砂防博物館」です。


マナブ:砂防、ですか。ちょっと地味なテーマですね。


歴史先生:だと思うでしょ? ここで1時間半ほど時間を取っているのですが、足りないかもしれませんよ。


マナブ:え? そうなんですか?


歴史先生:それに称名滝は西向きなので、午後の陽が当たる時間帯の方がきれいに見えます。それまでここで時間を使いましょう。


立山カルデラ砂防博物館


立山カルデラ砂防博物館(地図 ❷)

〒930-1405 富山県中新川郡立山町芦峅寺 字ブナ坂68

無料ゾーンあり。有料ゾーンは400円(団体割引あり、大学生以下無料)

9:30~17:00、月曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.tatecal.or.jp/tatecal/index.html


歴史先生:ところで「砂防」ってどんなイメージですか?


マナブ:えーっと、崖や河川を改修したりして、崖崩れとか土石流とかを防ぐこと、かな? 市町村とかがやっている土木工事ですよね。


歴史先生:そのとおり。でもここの砂防はおそらく桁違いです。


マナブ:というと?


歴史先生:さっそく中へ入って、その理由を見てみましょう。


1階シアター(有料ゾーン)


歴史先生:この博物館は砂防だけでなく、立山の地形そのものの秘密を詳しく解説してくれています。先日お話しした、東西圧縮で急速に隆起しているという説明もありますが、さらにその先のお話もあります。なぜ今のような地形ができたのか、謎が解けるはずです。


マナブ:たしかに立山黒部アルペンルートの地形はちょっと変わっています。


歴史先生:どう変わっていますか?


マナブ:室堂のところから広い弥陀ヶ原、そして美女平まで、斜めで平らな斜面が広がっていますね。そしてその向こう側に切り立った谷があって、称名滝がある。


歴史先生:まさにそうですね。明日行く予定の室堂のところにはみくりが池とか、いくつかの池やくぼ地があります。これらは水蒸気爆発の爆裂火口跡なんです。


マナブ:へぇー、知らなかった。みくりが池って天国のような場所だと思っていたんですが。


歴史先生:天国どころか、かつては地獄のような場所だったんですね。今でもみくりが池の西側には地獄谷が広がっていて、活発な噴気を上げています。そしてとっても広くてまっ平な弥陀ヶ原。ここが一番謎でしょ?


マナブ:はい。ここはどうやってできたのか、見当もつきません。


歴史先生:ここは実は1~2日でできたのではないかと考えられています。


マナブ:えっ、そんな短時間で?


歴史先生:弥陀ヶ原ができたのはおよそ10万年前と考えられます。東西圧縮が始まって隆起し始めたのが300万年前でしたから、それに比べるとずっと最近の話です。


マナブ:はい。


歴史先生:弥陀ヶ原の台地ですが、「溶結凝灰岩」というもので出来ています。近くだと穂高岳なんかも溶結凝灰岩。


マナブ:それはどんな岩なんですか?


歴史先生:巨大噴火の証拠となる岩です。噴火があると火砕流や火山灰が出ますね。それらは軽石や灰なので、少量ずつゆっくり噴出したのであればすぐに流れたり飛んで行ってしまう。でも大規模な爆発で一度に大量に堆積すると、それ自身の重みでギュッと押し固められて、堅い岩になるんです。それが溶結凝灰岩。


マナブ:ということはここで大きな噴火があった。


歴史先生:はい。室堂の南あたりと思われますが、ここに恐らくは立山クラスの大きな火山があって、そこからとてつもない量の火砕流と火山灰が出たのでしょう。後で行く称名川の谷を見ると、なんと崖の高さは500mもあり、450mの厚さの溶結凝灰岩の上に新しい溶岩が50mほどかぶさっている、という地層が、見られます。


マナブ:うわっ、ちょっと想像できない量ですね。それだけの火砕流と火山灰が1~2日で積もったなんて。


歴史先生:押し固められて岩になってなお450mもあるんですから、もっとすごかったに違いありません。さらにですよ、この台地の形成は美女平で止まったわけではありません。実際にはもっと西側数キロにわたって台地が形成されました。美女平のところで止まっているように見えるのは、常願寺川、称名川によって削られたからです。


マナブ:ひやー、火山ってすごい。


歴史先生:もう一度地形図を見てください。今度は弥陀ヶ原より南の部分。


マナブ:これが立山カルデラ、ですか。


歴史先生:はい。カルデラと言うと、例えば阿蘇山なんかをイメージしますよね。大規模な噴火があってマグマが噴出して、それで空いた地下空洞が陥没したのが陥没カルデラなんですが、この立山カルデラは噴火に伴う陥没ではなくて、噴火後に風雨で浸食されて大きなくぼ地になったものなんです。弥陀ヶ原を作った大きな火山や火口も崩れてしまいました。このような地形を「侵食カルデラ」、と呼びます。


マナブ:これまた規模が大きい。これだけの山が崩れてるって、すごいことですね。


歴史先生:ところで島原に行ったときの眉山って、覚えていますか?


マナブ:もちろん。眉山が山体崩壊して海に流れ込んで、「島原大変 肥後迷惑」という大災害をもたらしたんですよね。


歴史先生:はい。この立山もいわば山体崩壊なわけです。崩壊した土砂は土石流となって下流を襲います。


マナブ:あ、さっき常願寺川で言われていた話ですね?


安政の大災害シアター


歴史先生:そうです。この様子は立山カルデラ砂防博物館の「安政の大災害シアター」で見られます。


マナブ:さっそく見てみましょう。


歴史先生:幕末のころの1858年4月9日未明に飛越地震が発生。カルデラ内にあった大鳶山、小鳶山が崩壊。崩れた土砂は川をせき止めていくつもの湖ができました。常願寺川下流では地震の被害がひどかったのですが、川の水が止まったことに不安を抱いた村の人たちは探検隊を結成して川の上流の様子を見に行きます。


マナブ:川の水が止まったということは、嫌な予感がしますね。そこで上流に今にも崩れそうな湖を見つけた。


歴史先生:はい。探検隊は急いで村へ戻り、人々は避難を始めます。4月23日、決壊した湖からの土石流が下流域、主に常願寺川の右岸を襲いました。そしてその復旧に努めている中、今度は6月7日に2度目の決壊。今度は前回より2倍の水量となり、常願寺川の左岸のさらに広範囲の地域を飲み込み、甚大な被害をもたらしたんです。


マナブ:大変な災害でしたね。


歴史先生:美しい扇状地が形成された裏にはこんな激しい自然災害があったんです。


富山市の常願寺川のほとりにある大きな石のレプリカ。「大場の大転石」と呼ばれ、安政の大災害の土石流で流れて来たもの。


マナブ:うわぁー、こんな石が流されてくるなんて。土石流がどれほどすさまじかったか、想像できません。


安政の大災害の被害地域地図。赤が4月23日、黄色が6月7日。


歴史先生:立山カルデラの下には大きな断層帯があって、これがずれることで山が崩れるんです。今後も地震などがあったら大きく崩れることがあるでしょう。ところで、立山カルデラの土砂は安政の大災害で全部流れ出たと思いますか?


マナブ:えっ? いえ、まだ残ってるのかな?


歴史先生:流れ出したのはほんの一部。今溜まっている土砂が全部土石流として流れ出たら、富山平野を約2mの高さで埋め尽くすんだそうです。


マナブ:えー!


歴史先生:安政の大災害は決して過去の話ではありません。今後、常願寺川から流れ出す土砂を少しでも止めて、下流の富山平野の人たちを救いたい。終わりのない戦いがここでは続いているんです。それがここでいう「砂防」なんです。


マナブ:ひやー、壮大な戦いのドラマがここにはあったんですね。決して地味な公共工事の話ではなかった。


立山カルデラの大崩壊から富山平野を守る終わりなき砂防の戦い


泥谷砂防堰堤の模型


歴史先生:さて、ようやく砂防のお話。3つの堰堤が国指定重要文化財になっています。まず最初は泥谷砂防堰堤。


マナブ:名前からしてずるずると崩れやすそうな場所ですね。


歴史先生:実際そうだったんです。高さ120m、距離450mほどの急斜面になっているこの泥谷ではひんぱんに土石流が発生していたので、これを食い止めようと明治から堰堤を作っていたのですが、昭和初めの豪雨で崩れてしまいます。そこで1938年(昭和13年)に、ほぼ人力で新しい堰堤が造られました。それは今も効果を発揮していて、今では木々が育ち、山が安定し、堰堤はどこにあるのか見えないほどになっています。砂防の勝利と言えるでしょう。


マナブ:頼もしい。


白岩砂防堰堤の模型


歴史先生:続いての国指定重要文化財は白岩砂防堰堤。地図を見るとここは立山カルデラの土石流の出口にあたる部分。ここをしっかりと抑えると、土石流はかなり減らせるはずです。


マナブ:なるほど、カルデラの出口の細い谷になっているところですね。


歴史先生:1939年(昭和14年)、ここに壮大な堰堤が築かれました。本堰堤の高さは何と63mもあり、全体で108mの落差のある谷をふさいでいます。立山カルデラの最重要施設と言ってもいいでしょう。


マナブ:大きな人工の滝のようになっているんですね。ぜひ実物を見てみたいのですが。


歴史先生:一般の人は立ち入り禁止ですが、定期的に見学ツアーが開催されていますので、それに申し込むしかないでしょう。


本宮砂防堰堤の模型


歴史先生:3つめは本宮砂防堰堤。


マナブ:さっき、鉄橋から見ましたね。


歴史先生:1937年(昭和12年)に造られた、立山カルデラよりずっと下流の堰堤。高さ22m、長さ107mのダムで500万立方メートルの土砂をここで受け止めるという、日本最大の貯砂量を誇る大堰堤です。ここは下流の川沿いですので、有峰口の駅から歩いて見に行くことができます。


マナブ:先ほどから聞いていると、全部昭和10年代前半くらいに出来ていますね。


歴史先生:はい、当時の成功した砂防工事の数々は、砂防の神様と言われた赤木正雄のリーダーシップによるものだったと言われています。


マナブ:砂防の神様、と呼ばれた人がいたんですね。


歴史先生:はい。赤木正雄は旧制第一高等学校に入学した際、校長の新渡戸稲造の「近年の大災害を防げる治水の技術者よ、出でよ」という訓示を聞き、治水・砂防に一生を捧げる決心をしたそうです。そこから勉強をし、欧州オーストリア留学を経て、日本各地の治水・砂防に関わりました。


マナブ:旧5千円札の人だ。その人の訓示で、砂防の神様が生まれたわけですか。


六九谷展望台からの眺めを再現した大型のジオラマ


歴史先生:ここに大型のジオラマがあります。これは泥谷の上のほうにある六九谷展望台からの眺めを再現したものです。実際にこの場所には行けないので、立山カルデラを中から見る貴重な体験になります。


別棟にある「SABO展示室(入場無料)」とは渡り廊下でつながっている


歴史先生:では隣の建物にある「SABO展示室」へ行ってみましょう。


マナブ:内容が濃くて、もうここまででお腹いっぱいです(笑)。


トロッコ列車を利用した展示


マナブ:トロッコ列車がありますね。


歴史先生:ここ立山駅周辺が砂防工事の事務所になっているのですが、ここから谷の奥へ資材を運び込むためのトロッコ列車が走っています。


マナブ:このあたりの谷って、かなり急な坂ですよね?


歴史先生:はい。そのためトロッコ列車はスイッチバックを繰り返しながら谷を上り下りするんです。


立山カルデラの大型模型


マナブ:ここにも大きなジオラマがあります。たしかに島原の眉山にも形が似てます。


歴史先生:これが立山カルデラの全体図になります。手前の谷の出口に白岩砂防堰堤があるの、見えますか?


マナブ:あ、ありました。


歴史先生:左手の上にある台地が弥陀ヶ原。「立山カルデラ展望台」の表示もあります。


マナブ:崖っぷちのところですね。


歴史先生:ここも行きますのでお楽しみに。


マナブ:この模型を見ると、スコップでざっくりと地面を掘ったような、ものすごい崩れ方をしてるのがよくわかります。


VRシアター施設


マナブ:これは何だろう?


歴史先生:VRですね。ゴーグルをかけてみましょう。


マナブ:お、これはドローン映像かな?


歴史先生:そのようですね。いくつかコンテンツを選べますが、私は称名滝、を選んでみます。


マナブ:おー、すごい。称名滝に大接近してぐんぐん登っていく。


歴史先生:そして滝の上に出ました。そこから先は「称名廊下」と呼ばれる前人未到のV字谷がずっと奥まで続いています。


マナブ:ものすごい景色ですね。こんなところが日本にあるなんて、知らなかった。いやー、VR、予想よりもはるかにすごかった。ところで、このSABO展示室って、無料ゾーンなんですね。それもすごい。


歴史先生:それだけこの立山カルデラでの砂防事業を皆さんに知っていただこうという意志が感じられますね。


マナブ:これまで全く知りませんでした。とても勉強になりました。


窓からはトロッコの発着場が見える


歴史先生:砂防博物館、どうでした?


マナブ:駆け足で飛ばしながら見たのに、気がつけば1時間半。ここで時間を取っていただいていて正解でした。これから立山に入っていくのに、ワクワク感が一層増しました。富山県側から立山黒部アルペンルートに入られる方はぜひここで予習するといいですよね。長野県側から入られる方の場合は、すべてを見てから最後にここで復習するのもいいかもしれません。


歴史先生:さて、そろそろ称名滝行きのバスが出ます。乗り場へ急ぎましょう。


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