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白浜 熊野三山_1.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
地球が丸く見える? 本州最南端「潮岬」
 
イラン・イラク戦争でなぜトルコ政府は日本人を救出したのか?
 
他に類を見ない不思議な絶景「橋杭岩」はどうやってできたの?


地球が丸く見える? 本州最南端「潮岬」

 

 

マナブ:白浜から車でさらに南下。本州最南端の町、串本にやってきました。

 

歴史先生:串本はその沖合にあった潮岬の島と本州の間に出来た砂洲のような地形の上に出来た町です。その潮岬が本州最南端、ということになります。

 


歴史先生:ではその最南端まで行ってみましょう。


マナブ:串本町から右手に海を見下ろしながら、反時計回りでドライブします。途中、潮岬灯台の入口を通りました。


潮岬観光タワー


潮岬観光タワー(地図 ❶)

〒649-3502 和歌山県東牟婁郡串本町潮岬2706−26

展望フロア入場料300円

9:00~17:00、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://kumanokanko.nankai-nanki.jp/shionomisaki/


歴史先生:さぁ、潮岬観光タワーに着きました。早速展望フロアまで登ってみましょう。


地球が丸く見える?


マナブ:展望台へ上がってきました。ガラスがなくて屋外なんですね。これは気持ちいい。


歴史先生:潮岬からは「地球が丸く見える」とよく言われます。どうですか?


マナブ:たしかに。南側はずーっと水平線が続いていて、言われてみれば丸く見えるような気がします。


潮岬灯台も見える


歴史先生:右手の方には潮岬灯台が見えています。


マナブ:あ、ほんとだ。


紀伊大島の荒々しい岩礁


歴史先生:左手の方には紀伊大島が少し見えています。


マナブ:岩がごつごつしていて、荒々しい海岸線ですね。


歴史先生:昔の人のことを考えてみてください。水運を使った交易というと瀬戸内海を想像するかもしれませんが、畿内と伊勢湾または関東を結ぶ航路というのは、必ずここ、潮岬を通るんです。


マナブ:たしかにそうですね。


歴史先生:それなのに、ここは太平洋の荒波が非常に激しいところ。


マナブ:船にとっては難所、ですね。


歴史先生:そのため、ここでは海難事故が昔からたくさん起きています。その中でも有名な話を次にしましょう。


イラン・イラク戦争でなぜトルコ政府は日本人を救出したのか?


潮岬観光タワーの入口にあるエルトゥールル号の模型


歴史先生:ところでマナブさん、イラン・イラク戦争を覚えていますか?


マナブ:はい、覚えていますよ。1990年代、いや80年代のころでしたっけ?


歴史先生:1980~1988年という長い間続いた紛争でした。その真っただ中、1985年にイラクが突然、「48時間後の3月19日午後8時以降、イラン上空の航空機は、民間機を含め、無差別に攻撃する」と宣言したんです。


マナブ:当時はイラクが強かった?


歴史先生:はい、テヘランはイラクからの空爆を受けていたようなありさまでした。これを受けて、テヘランに駐在している各国の人たちは急いで帰国を始めます。


マナブ:日本人もいたんでしょうね。


歴史先生:テヘランにはおよそ200人の日本人がいて、彼らを急ぎ救出する必要がありました。


マナブ:日本は自衛隊機かJAL特別機か何かですぐに救援に向かったんですよね?


歴史先生:いえ、それが出なかったんです。


マナブ:どうして?


歴史先生:事件後、いろんな調査がされましたが、日本の状況判断、情報収集の甘さということが結論としていえるかと思います。


マナブ:日本人はどうなったんでしょう?


歴史先生:なんと、トルコ政府が救援機を出してくれて、日本人を救出してくれたんです。


マナブ:えっ? なぜトルコがそこまで?


潮岬沖は海の難所


歴史先生:話は明治時代に飛びます。


マナブ:急にかなり戻りましたね。


歴史先生:1887年(明治20年)のこと、当時の大日本帝国は、ヨーロッパの大国、オスマン帝国に皇族の小松宮彰仁親王を派遣し、皇族外交による両国の友好を図りました。オスマン帝国の皇帝はそれに返礼すべく、明治天皇への勲章と親書を持たせてエルトゥールル号を派遣しました。


マナブ:あ、それは潮岬観光タワーの入口に模型があった船ですね。


歴史先生:はい。1890年6月、約1年がかりでエルトゥールル号は横浜へ着き、無事明治天皇へ勲章と親書を渡しました。


マナブ:1年もかかったんですか?


歴史先生:エルトゥールル号は26年前に建造された古い船で、極東までの航海は元々難しい老朽艦でしたので、途中で修理などをしながらようやく着いた、という感じだったのでしょう。


マナブ:大変だったんですね。そして今度は帰国がまた心配です。


歴史先生:すぐにトルコへ向けて帰る予定だったのですが、コレラの発生などで帰国が遅れ、1890年の9月15日にようやく横浜を出港します。で、9月中旬と言えば?


マナブ:台風シーズン。


歴史先生:そうです。当時は正確な予報などありませんでしたから、いつ台風が来るのかわかりません。日本側はボロボロの船を見て、「この時期はやめた方がいいよ」と何度も勧告しますが、「すでに予定から遅れているので、早く帰国して皇帝陛下に報告したい」という艦長の想いから、出港してしまいます。


マナブ:そこへ台風が来た?


歴史先生:運悪く、そうだったんです。翌日9月16日の夜、紀伊大島の東にて暴風雨に遭遇。夜9時ごろに船は沈没して656名の乗組員が海に投げ出されました。


マナブ:それは大変。


歴史先生:紀伊大島の東の端に、樫野埼灯台があるのですが、その明かりを頼りにまずは数名が岸まで泳ぎ着きました。それを灯台守が発見。村に通報し、村人総出で救助活動が始まります。海岸で生存者を引き上げる者、負傷者を手当てする者。暴風雨の中、言葉が通じない、どこの人かもわからない見ず知らずの外国人を、自分たちの危険も顧みず必死になって助けました。


マナブ:なかなかできることではないですね。


歴史先生:結果69名が救出されました。村の人たちは自分たちも食料が豊富でないにもかかわらず、蓄えていた米や飼っていた鶏を提供し、親身になって負傷者を介抱します。その後、ドイツが軍艦を派遣して69名を保護。神戸に移送して手当てを受けさせました。翌年、日本の軍艦で彼らはトルコへ送還されます。しかし69名の人たちは、必死になって助けてくれた紀伊大島の村人のことを決して忘れませんでした。


マナブ:いいお話ですね。


歴史先生:この話はトルコ国内で非常に話題になり、そこからトルコの親日が始まったんです。


マナブ:それがイラン・イラク戦争での日本人救出につながったということですか?


歴史先生:100年前の海での借りを、トルコは空で返した、ということのようです。


マナブ:素敵な話ですね。


歴史先生:トルコではいまでも多くの人がこの話を知っています。


マナブ:でも日本人はあまり知りませんよね?


歴史先生:そうなんです。せっかくのトルコとの友好を深められるような話なのに、学校で教えないのはもったいないです。というわけで、この話をもっと知ってもらおうと、映画が製作されました。内野聖陽さん、忽那汐里さんらが出演する「海難1890」。明治の海難事故と、テヘランでの救出劇。この2つの時代を臨場感あふれる映像で描いています。


<見ておきたい映画>

海難1890





他に類を見ない不思議な絶景「橋杭岩」はどうやってできたの?


岩が一列に連なる橋杭岩



マナブ:潮岬観光タワーから反時計回りにドライブを続けます。しばらく進むと右側に紀伊大島へ続く「くしもと大橋」が見えてきました。そこを過ぎて、串本の街中を抜けたあたりに橋杭岩があります。


歴史先生:ちょうど橋杭岩がよく見える場所に道の駅がありますので、そこに車を停めましょう。


道の駅 くしもと橋杭岩(地図 ❷)

〒649-3511 和歌山県東牟婁郡串本町鬮野川1549−8

9:00~18:00(4~9月)、9:00~17:00(10~3月)、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://kumanokanko.nankai-nanki.jp/kushimoto/


道の駅


マナブ:車を停めた駐車場、ここがもう絶景です。


駐車場から見た橋杭岩


マナブ:すごい景色。大きな岩が一列にまっすぐ海の方へ並んでる。


歴史先生:高さは15m。そんな岩が40個ほど、長さ850mにわたって続いています。


マナブ:いったいこれは何なんでしょう?


歴史先生:これはですね、弘法大師(空海)さんがこの地に住む天邪鬼(あまのじゃく)と賭けをした跡なんです。


マナブ:ん?


歴史先生:弘法大師は夜明けまでに(向こうに見えている)紀伊大島まで橋を架ける、と宣言。「そんなのできっこない」という天邪鬼と賭けをしました。


マナブ:で?


歴史先生:弘法大師はまず橋げたを建て始めますが、ずるい天邪鬼が「コケコッコー」と鶏の鳴きまねをして、「あぁ、もう朝が来てしまった」とだまされた弘法大師は、

途中であきらめてしまいました。そこで中途半端に残されたのがこの橋杭岩なんです。


マナブ:おもしろい伝説ですね。で、科学的には?


橋杭岩形成の説明板


歴史先生:はい(笑)、ここに説明板がありますので、見てみましょう。


マナブ:どれどれ、「マグマがつくった」とありますね。


歴史先生:はい、元々の泥岩の地層の割れ目にマグマが入り込み、細い火成岩の板や柱のようなものができます。


マナブ:たしか火成岩は固いんでしたよね?


歴史先生:はい、ということは海の浸食で泥岩だけが削れて、火成岩が残る。それでできたのが橋杭岩なんです。


陸側には大きな岩がごろごろしている


マナブ:橋杭岩ばかりに目が行きますが、手前には岩がごろごろしていますね。


歴史先生:これは大津波によって橋杭岩が崩れたもの。橋杭岩より陸側にたくさんの岩が落ちています。


マナブ:ということは、昔はもう少し高さがあったのかも?


歴史先生:そうかもしれませんね。


マナブ:いやー、貴重なものを見せてもらいました。


​歴史好きのための観光ガイド
記事の内容は取材当時のものであり、最新の情報についてはWebサイト等で必ずご確認ください。

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