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白浜 熊野三山_1.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
まずは「とれとれ市場」で腹ごしらえ
 
こんなホテル、世界のどこにもない? 「ホテル川久」のふしぎ
 
白浜の2大シンボル、円月島と白良浜で自然の美しさを満喫する
 
砂岩の浸食でできた壮大な景観:千畳敷と三段壁
 
熊野水軍の秘密基地だった「三段壁洞窟」

 


まずは「とれとれ市場」で腹ごしらえ

 

白浜駅

 

 

マナブ:今日はJR紀勢線の白浜駅に来ています。

 

歴史先生:南紀の旅ではレンタカーが便利です。ここからは車で移動しましょう。

 

とれとれ市場

 

とれとれ市場(地図 ❶)

〒649-2201 和歌山県西牟婁郡白浜町堅田2521

8:30~18:30、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://toretore.com/ 

歴史先生:さて、まずは腹ごしらえと行きましょうか。

 

マナブ:いいですね~。

 

歴史先生:和歌山はお魚の美味しいところ。常に観光客が大勢押し寄せる「とれとれ市場」に寄りましょう。白浜駅からは3分ほどの短いドライブです。

 

市場コーナーでは新鮮な魚介類や干物などが売られている

 

食事のコーナーは大人気

 

マナブ:駐車場の広さ、建物の大きさにビックリです。そして中はすごい人だ。おっと、食事のコーナーでは長い行列ができていますよ。

 

歴史先生:あの行列は「丼・麺」のコーナー。海鮮丼が一番人気で、それ目当ての行列です。

 

マナブ:これはかなり待ちそうですね。

 

歴史先生:そのとなり、刺身コーナーや海鮮焼きコーナーは待ち時間ゼロです。

 

マナブ:あ、そっちのほうがいいな。

 

刺身定食

 

マナブ:ということで私たちは刺身定食にしました。刺身盛りが何と500円。ごはんを付けて800円いかないというリーズナブルさ。小鉢とみそ汁は無料で付いてきました。

 

歴史先生:海鮮丼だと同じような内容で1,500円以上はしますね。おっと、お隣のテーブルではサザエのつぼ焼きとか、海鮮焼きをたくさん買われたようです。

 

マナブ:それもおいしそう。ここに来たら海鮮丼、という気持ちもわかりますが、待ち時間のない他のコーナーもおススメですよ。

 

歴史先生:ここはお土産店も充実しているので、あとで見ていきましょう。

 

こんなホテル、世界のどこにもない? 「ホテル川久」のふしぎ

 

ホテル川久

 

 

歴史先生:次は「ホテル川久」に行きます。

 

マナブ:ホテル? もうホテルに行くんですか?

 

歴史先生:いえ、ここは私たちは泊まりませんが、ちょっとユニークなホテルなので見学していきましょう。

 

マナブ:細い道を走っていくと、正面にドーンとお城のような建物が見えてきました。あれですね?

 

歴史先生:すごいでしょう?

 

マナブ:インパクト大、です。

 

歴史先生:宿泊客と同じように、正面の入口から入れます。駐車場は門の外になりますので、同乗者だけ玄関でおろしてドライバーが駐車場へ車を置いてくるのが良いでしょう。駐車場は無料です。

 

ホテル川久の玄関

 

マナブ:うわー、圧倒されますね。オレンジ色の瓦がきれい。

 

歴史先生:この瓦ですが、中国の紫禁城と同じ瓦です。

 

マナブ:あ、行ったことがあります。たしかにこんな感じの屋根でしたね。

 

歴史先生:中国では皇帝にしか許されていない「老中黄」という色。紫禁城の瓦を焼いている中国の工房に依頼して47万枚もの大量の瓦を焼いてもらったんだそうです。

 

マナブ:へぇー、すごい。

 

歴史先生:入口の庇は長さが45mもあるのですが、継ぎ目ができないように50人の左官職人が1日で塗り上げたのだとか。カリスマ左官職人と言われる久住 章さんの作品です。

 

彫刻家 バリー・フラナガンのうさぎ

 

歴史先生:塔の上で飛び跳ねているのはイギリスの有名彫刻家、バリー・フラナガンのうさぎ。

 

マナブ:これもすごいもの?

 

歴史先生:長さ6mもある、フラナガンとしては史上最大のサイズの作品。彼の大型の作品はオークションでは1億円単位の値が付くこともあるようです。

 

マナブ:へぇー、すごい。

 

エントランスホール

 

歴史先生:さぁ、中に入りましたよ。

 

マナブ:うわー、何でしょう、このスケール感。

 

歴史先生:入口でミュージアムのチケットを買います。渡されるパンフレットを見ながら、見学コースを歩いていきましょう。


ホテル川久(川久ミュージアム)(地図 ❷)

〒649-2211和歌山県西牟婁郡白浜町3745

入館料1,000円(大学生以下割引あり)

10:30~18:00(最終入場17:30)、年中無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.museum-kawakyu.jp/ 


マナブ:天井の金色が見事ですね。

 

歴史先生:フランス文化省認定の人間国宝で、世界一の金箔職人と言われるファブリス・ゴアール氏の作品です。天井の金箔は5㎝角のドイツ製22.5金の金箔が手作業で貼られています。その数なんと19万枚。総重量は2.5kg。22.5金というのは太陽に最も美しく輝く純度らしいです。

 

マナブ:ため息が出ますね。

 

歴史先生:床はイタリア製の1㎝角の小さなモザイクタイル。イタリアから来た職人たちが手作業で1つずつ埋め込んだもの。

 

マナブ:へぇー、手がかかってますね。

 

2階から見たエントランスホール

 

歴史先生:大理石風の柱も印象的ですね。全部で24本あるのですが、この仕上げは左官職人久住章がドイツで習得したシュトックマルモ技法によるもの。

 

マナブ:超洋風な柱なのに、左官職人さんが仕上げたなんて、面白いですね。

 

2階にはオーナーの貴重なコレクションがずらりと並ぶ

 

マナブ:2階にも高そうな美術品がたくさん並んでいます。しかもガラスケースとかではなくて、そのまま置かれていますから、庶民の私などはぶつかって壊したらどうしよう、と不安になります。

 

歴史先生:オーナーが中国で買い付けた、清時代の骨とう品が並びます。

 

2階から見たラウンジ

 

マナブ:ラウンジも素敵ですね。

 

歴史先生:ここは天井にも注目です。

 

ラウンジの天井

 

マナブ:凝ってますね。これは透かし彫り、ですか?

 

歴史先生:透かし彫りのように見えるよう、模様を描いたトリックアートなんだそうです。建築家の永田祐三さんの作品です。

 

マナブ:へぇー、おもしろい。穴が開いてるようにしか見えない。

 

エントランスホール

 

マナブ:見学コースを終えて1階へ下りてきました。すごかったんですが、いったいこれは何なんでしょう?

 

歴史先生:元々は大正末期または昭和の初めごろに大阪船場の商人、河内屋久兵衛が創業した和風旅館です。彼の名前から当初は「河久」と呼ばれていました。

 

マナブ:和風の老舗旅館がなぜこんな風に?

 

歴史先生:太平洋戦争中、旅館河久は軍部が使用します。さらには南海トラフの地震で津波被害に遭い、旅館は壊滅的な状況になりました。そこへ新婚旅行で泊まったこの旅館をこよなく愛していた安間千之(やすまかつじ)さんが声をかけ、オーナーが代わることになったんです。その時に「川久」と名前を変えました。

 

マナブ:被害を受けた旅館の再建って、大変そうですが。

 

歴史先生:安間さんは皇族が競売に出した金の馬車を無理して購入。これを大阪の街を走らせて宣伝したところ、これが非常に受けて知名度がアップ。

 

マナブ:大阪の人が「白浜に川久あり」と知ってくれるようになった。

 

歴史先生:さらに1971年(昭和46年)の和歌山国体で天皇陛下が泊まられるなどして、宿のブランドは高まりました。そうこうするうちに日本経済はバブル期に突入。

 

マナブ:そうでしたね。

 

歴史先生:1991年(平成3年)には旅館を取り壊して、ここに「世界でただ1つのホテルを作ろう」としたそうです。そのため、世界中から職人たちを呼び寄せて、世界の最高の物を組み合わせて作った建物ができたんです。

 

マナブ:普通はゼネコンがリードして建てますが。

 

歴史先生:安間さんはそうせずに、設計者と各国の職人たちの共同作業でこれを作ったんです。

 

マナブ:すごいな。いったい、費用はいくらかかったんでしょう?

 

歴史先生:総工費400億円、だそうです。

 

マナブ:桁が大きすぎて、よくわかりません(笑)。

 

白浜の2大シンボル、円月島と白良浜で自然の美しさを満喫する

 

円月島

 

 

歴史先生:では次に、白浜のシンボルともいえる、円月島(地図 ❸)を見に行きましょう。

 

マナブ:真ん中に穴の開いた岩ですね。よく写真で見ます。

 

円月島が良く見える場所にある駐車スペース

 

歴史先生:白浜の街から少し北へ行くと、海沿いの道路から円月島が良く見えます。ちょうどよく見える場所に駐車スペースがありますので、ここに車を停めて、堤防から円月島を見ましょう。

 

マナブ:なるほど、意外と近くに見えていますね。

 

円月島

 

マナブ:駐車場から車道を横切って、堤防の上に登れるようになっています。ここからは円月島が真正面から良く見えます。

 

歴史先生:ちょうど春分の日、秋分の日前後は、このあたりから見ると太陽が穴の中に沈むように見えるんです。

 

マナブ:なるほど、それは面白い。でもこの島はどうやってできたんですか?

 

歴史先生:島の地質としては新世代第三紀(約6600万年前~約163万年前)、海が浅くなっていたころに小石が堆積してできた礫岩です。小石が砂や泥でくっついたものなので比較的崩れやすく、海の浸食によってさまざまな形の奇岩を生んできました。

 

マナブ:円月島の真ん中の穴も、海の浸食の跡ですね? 上の部分が細くなってて、いずれ崩れて落ちそう。

 

歴史先生:はい。遠い将来、もっともっと浸食がすすむと、その頃には「夫婦岩」なんて呼ばれているかもしれませんね。

 

白良浜

 

 

マナブ:さて、続いては白浜町の中心、白良浜(地図 ❹)へやってきました。

 

歴史先生:どうですか、このビーチ?

 

マナブ:砂が真っ白。びっくりです。こんなビーチが日本にあるなんて。

 

歴史先生:実はそれには理由があって、この砂はオーストラリアのパース近郊からはるばる運んできて、補充したものなんです。

 

マナブ:えっ、そうなんですか。

 

歴史先生:元々白良浜というくらいですから、白い砂がたっぷりとある砂浜でした。しかし近年の開発などによって少しずつ砂浜が失われたため、1989年~2010年にかけて養浜事業としてオーストラリアの砂が補充されました。

 

マナブ:なるほど、そうでしたか。

 

歴史先生:昔の白良浜は鳴き砂だったんだそうです。

 

マナブ:それって、歩くとキュッキュッと鳴る?

 

歴史先生:そうです、そうです。でも砂を補充してからは鳴かなくなったそうです。

 

マナブ:鳴き砂になるにはデリケートな条件が必要なんでしょうね。

 

歴史先生:そして昔はとても遠浅だったそうで、しばらく沖合に出てもまだ足がついたとか。今は急に深くなるので遊泳できる範囲が狭いそうです。

 

マナブ:かつては理想的な海水浴場だったんですね。

 

歴史先生:まさにそうですね。日本のあちこちできれいな砂浜が失われてきていて、とても残念です。

 

砂岩の浸食でできた壮大な景観:千畳敷と三段壁

 

千畳敷

 

 

千畳敷(地図 ❺)

〒649-2211 和歌山県西牟婁郡白浜町2927−72

入場自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

http://www.nankishirahama.jp/spot/detail.php?spot_id=22 

 

マナブ:白良浜から車で5分ほど。千畳敷(地図 ❺)にやってきました。

 

歴史先生:70台収容の広い無料駐車場とレストラン、お土産店があります。ここもユニークな地形でしょう?

 

マナブ:そうですね。海に突き出た半島のようになっていますが、岩がむき出しの広いスペースがあります。

 

千畳敷は砂岩の風化が進んだもの

 

歴史先生:ここも円月島と同じく新生代第三紀(約6600万年前~約163万年前)に浅い海の底で堆積物によって形成され、その後隆起して地上に現れた地盤ですが、円月島が礫岩だったのに対して、ここは砂岩でできています。

 

マナブ:ということは砂が固まってできた岩。

 

歴史先生:そうですね。ということは浸食には・・・

 

マナブ:弱い。

 

歴史先生:はい、そのとおり。海水によってどんどん浸食されて、複雑な形になってきているのが今私たちが見ている姿です。

 

千畳敷からみる夕日もきれい

 

 

マナブ:千畳敷のすぐ近くには三段壁(さんだんべき)(地図 ❻)があります。30台収容できる広い駐車場に車を停めて、商店街を歩いていきます。

 

三段壁の駐車場(無料)

 

駐車場から続く商店街

 

三段壁

 

マナブ:さぁ、三段壁に着きました。うわー、ここもすごい景色ですね。

 

三段壁(地図 ❻)

〒649-2211和歌山県西牟婁郡白浜町2927-52

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.nankishirahama.jp/spot/529/ 


大迫力の景色が続く三段壁

 

手前は洞窟につながっている

 

歴史先生:ここも千畳敷と同じく新生代第三紀(約6600万年前~約163万年前)の砂岩でできています。それらが波に削られ、鋭く崩落したのが今の崖の地形です。

 

マナブ:ここは結構高さがありますよね。

 

歴史先生:はい。高さ40~50mの崖が、約1kmにわたって続いています。ところでこの手前側ですが、洞窟になっているんです。そしてその洞窟にはエレベーターで下りられるんですよ。

 

マナブ:おもしろそう。行ってみたいです。

 

熊野水軍の秘密基地だった「三段壁洞窟」

 

三段壁洞窟


三段壁洞窟

入場料1,500円(小学生以下、団体、障がい者割引あり)

8:00~17:00(最終入場16:50)、年中無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://sandanbeki.com/ 


三段壁洞窟へ下りるエレベーターはこの建物の中にある


歴史先生:三段壁の展望台からエレベーターで地底36mにある洞窟へと下ります。


マナブ:下りると波のくだける音がごうごうと響いています。


サドンロック


歴史先生:洞窟から外を見ると、面白いものが見えますよ。あの、崖の上に乗っている岩、わかりますか?


マナブ:崖の上に、たしかにピーナッツのような形の岩が1つ、乗っていますね。


歴史先生:あれは「サドンロック」と呼ばれているのですが、2018年(平成30年)の台風21号のあと、突如として現れた、長さは4mほど、高さと幅はそれぞれ1mほどの岩なんです。


マナブ:突如として?


歴史先生:はい。台風の前にはここに岩がありませんでした。


マナブ:柱のようになっていた岩が折れた、とか?


歴史先生:いいえ、この近くにはそのような岩はなかったんです。


マナブ:ということはどこから来たんでしょう?


歴史先生:どこから来たかわからないんです。当時は猛烈な暴風雨でしたので、50mの壁を越えて、この岩が高波で打ち上げられたのかもしれません。


マナブ:そんな、信じられない。4mもある大岩ですよね。普通の風ならびくともしないはず。もしこれが昔の伝説だったら「作り話」として笑って済ませられるんですが、現代にそんなことが起きるなんて。


歴史先生:とても不思議ですよね。


十像岩


歴史先生:こちらに見えるのが十像岩。洞窟の入口にある巨岩ですが、スフィンクス、人面、オオカミ、ウサギなど10種類の像が見えるということで、こう名付けられました。


日本一大きな弁天像


歴史先生:堂内には水の神様として弁財天が祀られています。この像は高さ3m、日本一大きな弁天像なんだそうです。これはそんなに古いものではなさそうです。


水軍の番所小屋


歴史先生:堂内には熊野水軍の番所小屋が復元されています。


マナブ:熊野水軍というのはいつ頃のお話ですか?


歴史先生:水軍、あるいは海賊と呼ばれる人たちが現れたのは平安時代。瀬戸内を通って諸国の年貢米などが船で輸送されるようになると、生活に困った人たちがその船を海上で襲い、食料などを奪うということが起きるようになりました。


マナブ:そうなると京都の朝廷まで米が届かなくなって、死活問題ですね。


歴史先生:そのため朝廷は瀬戸内の各国に海賊担当の役人を赴任させ、取り締まりを行います。有名な藤原純友もその1人。


マナブ:彼は海賊側、ではなくて?


歴史先生:藤原純友は藤原北家という藤原氏の中でも摂政・関白を輩出している名門の出でしたが、お父さんが早く亡くなったことで出世街道からはずれていました。やがて彼は海賊を取り締まるために京都から伊予の国に派遣されます。非常に能力の高かった藤原純友はそこで海賊たちと良好な関係を築き、お互いに血を流すことなく、海賊たちを朝廷に従わせました。


マナブ:素晴らしい成果ですね。


歴史先生:ところがその功績をまったく認められることがなく、怒った藤原純友は939年、ついに海賊たちを従えて反乱を起こすに至ります。同じ年、東国では平将門が反乱を起こします。東西で大きな氾濫が同時に発生し、京都は一時パニックに。


マナブ:そうでしょうね。


歴史先生:しかし平将門の乱はわずか2か月で平定され、京都も落ち着きを取り戻しましたが、瀬戸内の藤原純友の乱は2年間(939~941年)も続きました。


マナブ:それだけ藤原純友の乱は大きかったんですね。で、その後は海賊たちはどうなったんでしょうか?


歴史先生:残された海賊の勢力をうまく取り込んだのが伊勢平氏。瀬戸内の海上交通を握ることで、その後の平家の隆盛を支えます。ここ熊野では熊野湛増(くまのたんぞう)が率いる水軍が力を増してきます。


マナブ:良質の木がたくさん取れる「木」の国で、天然の良港もたくさんある。しかし平地が少なく農業には向かない。となると南紀では水軍も発達しそうですね。


歴史先生:そのとおりです。熊野水軍は取り締まりを逃れるためこのような洞窟に船を隠したようで、この三段壁洞窟もその1つと言われています。


マナブ:ここなら容易に見つかりそうにないですね。


歴史先生:さて、平家がこの世の春を謳歌していた平安末期、東国で源頼朝が挙兵します。世にいう治承・寿永の乱(源平合戦)が始まると、熊野湛増は平家、源氏のどちらにつくかの選択を迫られます。


マナブ:悩ましい選択ですね。どちらにしても負ければ大変なことになりそう。


歴史先生:そこで熊野湛増は田辺市にある闘鶏神社(今はここも世界遺産になっています)で白と赤の鶏を戦わせます。その結果、白い鶏が7回とも勝ったということで、これを神意とし、源氏側につくことを決めました。


マナブ:そういう決め方でしたか。


歴史先生:ところで、この熊野湛増という人は実は武蔵坊弁慶のお父さんじゃないかと言われています。


マナブ:えっ、そうなんですか?


歴史先生:ということで、当然のように源氏方についてもおかしくない状況だったと思われますが、「これは神のご意思だ」、とすることで兵士たちの戦意を高揚させたのかもしれません。結果、熊野湛増は200艘の船に2,000名もの兵士を乗せて屋島へ出航。源氏の勝利に貢献するとともに、壇ノ浦では優勢だった平家の水軍を打ち破り、源氏の勝利に大いに貢献しました。


マナブ:ある意味、源平合戦の勝敗を決めたのは熊野水軍、とも言えそうですね。


歴史先生:それは大いにあると思います。


豪快な波しぶきを上げる洞窟最深部


マナブ:洞窟の最深部では波しぶきと轟音が大迫力です。小さいながらも潮を吹きだす潮吹き穴などもあります。


歴史先生:ところで、鎌倉時代になると海賊の動きは一旦収まりますが、南北朝時代からまた活発になります。


マナブ:世の中が不安定になると海賊も活発になる。


歴史先生:そのとおりです。南北朝時代には熊野水軍は後醍醐天皇の南朝に味方します。またそれとは別に各地の海賊が中国大陸沿岸へも押しかけ、倭寇として恐れられました。


マナブ:瀬戸内だと村上水軍とかの名前をよく聞きますが、あれは戦国時代だったかな?


歴史先生:はい。戦国時代になると瀬戸内の村上水軍が毛利氏に協力し、伊勢湾の九鬼水軍が織田信長に協力するなど、戦国大名と海賊との関係が天下取りを左右するような状況が起きました。


マナブ:江戸時代になるとぱったりと海賊の話を聞かなくなる気がするのですが。


歴史先生:そのとおりで、1588年に豊臣秀吉が「海上賊船禁止令」を出し、海賊行為が全国的に禁止され、それ以降、地方の海賊や水軍は衰退していきました。


マナブ:なるほど、それ以降は海賊が禁止されたわけですね。


歴史先生:ではエレベーターで地上へ戻りましょう。上がったところにカフェが併設されていますので、ここで海を眺めながら一休み、というのも良さそうです。


マナブ:洞窟のチケットを買う時、入場料が少し高いかなと思いましたが、実際に来てみると大迫力。とても満足度の高い場所でした。


歴史先生:ということで、今日は白浜を見てきましたが、いかがでした?


マナブ:白浜は単なるビーチリゾートだと思っていたのですが、実は自然と歴史を満喫できる場所だったんですね。円月島、千畳敷、三段壁と自然が造った造形美を堪能しましたし、熊野水軍の歴史から海賊の歴史までを学ぶことができました。とれとれ市場や川久もおもしろかった。盛りだくさんの1日でした。

 

​歴史好きのための観光ガイド
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