登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
「横浜」という地名の由来は? まずは横浜の地形図を見てみよう。
石川町駅から山手の西洋館めぐりをスタート
山手西洋館めぐり(1):山手イタリア山庭園のおしゃれな洋館に驚く
山手西洋館めぐり(2):日本最古の山手公園はどうやってできた?
山手西洋館めぐり(3):元町公園に残るスペイン風の大邸宅
山手西洋館めぐり(4):外人墓地はどうやってできた?
山手西洋館めぐり(5):港の見える丘公園にもある西洋館
「横浜」という地名の由来は? まずは横浜の地形図を見てみよう。
マナブ:今日は横浜に来ています。
歴史先生:横浜の旅行ガイドはいくらでもあると思うのですが、横浜の歴史、ならびにそれを生んだ地形にフォーカスしたガイドはあまりないと思いますので、今日はそれを意識しながら街歩きを進めていきましょう。マナブさんは横浜は何度か来たことがありますか?
マナブ:はい、何度となく来ています。でも今までは中華街での食事がメインだったり、ホテルに泊まったり、山下公園で海を見たり。仕事でもみなとみらいに何度か来ました。
歴史先生:横浜といえば非常に歴史的に重要な街ですが、そういう意識で歩いたことはありましたか?
マナブ:いえ、ないですね。あくまでも現代の港町として、新しい横浜を楽しむばかりでした。
歴史先生:では今日は横浜の歴史をしっかりと学びながら、歩いていきましょう。
マナブ:いいですね。
歴史先生:ところで突然ですが、「横浜」という地名はどういう由来だか知っていますか?
マナブ:いいえ。考えたこともありません。
歴史先生:では江戸時代の初めごろの地形を現代と比較して見てみましょう。

マナブ:あれ、横浜の市街地がない。ここは海だったんだ。
歴史先生:はい。現在横浜の市街地になっているところは深い入り江だったんです。そして入り江の入口には長い砂洲が伸びていて、波穏やかな湾になっていたんですね。
マナブ:天橋立みたいな地形ですね。
歴史先生:まさにそのとおり。そしてこの砂洲の上にあった小さな村を「横浜」と呼んでいたんです。
マナブ:なるほど。横浜というのはそういう意味でしたか。そういえば長崎に行ったとき、地名の由来はひょろっとした長細い岬でしたね。その後埋め立てで長崎市街地ができた。あれに似ていませんか?
歴史先生:はい、よく似ていると思います。
マナブ:長崎と横浜、共通点が多いなぁ。造船所、山手の洋館、中華街、などなど。
歴史先生:今日はいろいろと長崎と比較しながら歩くのも面白いかもしれません。さて、この深い入り江ですが、1656年から11年かけて、江戸の商人である吉田勘兵衛という人が、新田開発事業として埋め立てを行いました。この地区は「吉田新田」と呼ばれていました。
マナブ:今でも何となく地図上でその跡がわかりますね。この事業ですが、新田を開発して石高を伸ばして幕府の財政を改善した、という享保の改革の一環ですか?
歴史先生:いえ、享保は1716~1736年ですから、吉田新田はそれより60~70年前のことです。
マナブ:そうか。当時はとても先進的な取組みだったんですね。
歴史先生:その後、横浜新田、太田屋新田などの埋め立てが進み、今の横浜市街地の原型が出来上がりました。

歴史先生:では次に横浜市街地と山手の地形図をみましょう。何が言えますか?
マナブ:埋め立ててできた市街地の南に、険しい崖があって、山手の丘が続いています。
歴史先生:はい、そうですね。山の上が「山手」。山の麓の平地が「山下」です。
マナブ:あ、山下公園はそういう意味でしたか。
歴史先生:そうなんです。
石川町駅から山手の西洋館めぐりをスタート

JR石川町駅の上には洋館が見えている

マナブ:ということで、私たちはJR石川町駅(地図 ❶)にやって来ました。今日の街歩きはここからスタートですね。
歴史先生:はい。石川町駅の向こうはすぐにトンネルになっています。これが山手の丘ですね。丘の上には早くも洋館が顔をのぞかせていますよ。
マナブ:あ、ほんとだ。

石川町駅前の案内板
マナブ:案内板があります。西洋館がいくつかありますが、全部入館無料、なんですね。
歴史先生:はい、ありがたいですよね。

大丸谷坂
歴史先生:駅を出てすぐのローソンの角を 曲がって、大丸谷坂(おおまるだにざか、地図 ❷)を上ります。ここで山手の地形図をみておきましょう。

マナブ:この大丸谷坂は右にカーブしながら一気に山手の丘の上まで登るんですね。
歴史先生:はい。そのあとは尾根づたいに平坦な道になります。これが山手本通り。最後、港の見える丘公園からは下りになっていきます。

大丸谷坂の脇に祠が見える

大丸谷震災地蔵尊
マナブ:坂の途中に、何か祠(ほこら)のようなものがありますよ。
歴史先生:これはお地蔵さんなんですが、実はこの場所、多くの人が犠牲になった坂なんです。
マナブ:というと?
歴史先生:1923年(大正12年)9月1日、関東大震災によって、町は火に包まれました。この坂には火災から逃れようと300名もの人が集中。しかし坂の下からの火の勢いが強く、その中の27名の方がここで亡くなりました。この地蔵尊はその犠牲者の冥福を祈って建てられたものです。
マナブ:関東大震災というと東京の被害を思い浮かべますが、横浜も被害があったんですね。
歴史先生:関東大震災の震源地はどこだったか、覚えていますか?
マナブ:あ、たしか相模湾。
歴史先生:そうです。正確には今の松田町の陸地の下だろうと言われています。関東大震災は相模トラフが動いて起きた地震です。
マナブ:なんとなく東京の真下で起きた首都直下型の地震と思っていましたが。
歴史先生:東京は震度6。湘南地域は震度7。これは相模湾・湘南で起きた地震なんです。
マナブ:そうか。 だとすると、東京よりも震源に近い横浜の被害も非常に大きかった。
歴史先生:全壊した建物の数は横浜市が14,000、東京市が12,000。死者は横浜市が23,000人、東京市が58,000人ほど。その当時の人口は横浜市が44万人、東京市が220万人でしたから、割合からいうと横浜のほうが大きな被害が出たと言えるでしょう。実際、横浜の市街地のほとんどが焼失しています。
マナブ:そうだったんですか。江戸時代の技術による埋め立て地だから地盤が緩くて揺れもひどかったのかもしれませんね。横浜における関東大震災の被害というのは、今まで考えたことがありませんでした。
歴史先生:東京もそうでしたが、横浜でも死者のほとんどは火災によるものでした。
マナブ:その悲劇の1つがここ大丸谷坂で起きたんですね。
山手西洋館めぐり(1):山手イタリア山庭園のおしゃれな洋館に驚く

大丸谷坂にある山手イタリア山庭園の裏口

山手イタリア山庭園の案内図
歴史先生:大丸谷坂の途中に、山手イタリア山庭園の裏からの入口がありますが、せっかくなので坂を上り切って、正面から入りましょう。

山手イタリア山庭園の正面入口

山手イタリア山庭園(地図 ❸)
〒231-0862 神奈川県横浜市中区山手町16
入園無料
9:30~17:00、無休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/park/italia/
マナブ:すてきな入口ですね。ところでここはなぜイタリア山、と呼ばれているんですか?
歴史先生:この丘に1880年(明治13年)から1886年(明治19年)までイタリア領事館が置かれていたので、そう呼ばれるようになりました。

メタセコイアの並木道
マナブ:入るとすぐに、まっすぐ並木道が続きます。きれいですね。
歴史先生:メタセコイア、ですね。秋の紅葉も見事です。

展望所

展望所からはマリンタワーやベイブリッジなどが見える

JR石川町駅も真下に見える
マナブ:展望所からはマリンタワー、ベイブリッジなどが見えています。
歴史先生:こちらの下をみると、さっき降りた石川町駅が見えますよ。
マナブ:あ、ほんとだ。ここはちょうどJRのトンネルの上なんですね。

ブラフ18番館
ブラフ18番館(山手イタリア山庭園内)
入館無料
9:30~17:00、第2水曜休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/yamate-seiyoukan/bluff18/
歴史先生:イタリア山庭園には2つの洋館があります。まずはじめに、「ブラフ18番館」に入りましょう。
マナブ:かわいらしい家ですね。
歴史先生:白い壁にフ ランス瓦の屋根を持った木造2階建て。緑のよろい戸と上げ下げ窓、などが特徴です。
マナブ:ここはブラフさんの邸宅?
歴史先生:いいえ。「ブラフ」というのは英語のBluff。
マナブ:えーっと、「はったり」とか、の意味でしたっけ?
歴史先生:そうなんですが、そのほかに「崖」「急斜面」という意味もあります。
マナブ:ということは?
歴史先生:この山手地区全体が急な崖に囲まれていますから、この丘の上を外国人たちは「ブラフ」と呼びました。この家はブラフ18番地の館、という意味です。

サロン
マナブ:元々は誰が住んでいた家なんでしょう?
歴史先生:オーストラリアの貿易商バウデンの邸宅です。関東大震災では、丘の上の山手も大変な被害に遭い、多くの家が倒壊しました。そのため震災後、外国人たちが洋館を再建します。この家は震災直後(大正末期から昭和初期)に建てられた、山手(すなわちブラフ)45番地にあったものです。
マナブ:45番地にあった、ということは移築されたんですか?
歴史先生:はい。その後カトリック山手教会の司教館となり、1991年に横浜市に寄贈され、ここイタリア山庭園に移築・保存されています。現在のここの番地は18番地。だから今はブラフ18番館と言われます。

サンルーム
マナブ:1階のサロン、そしてそれにつながるサンルーム。どこも明るくて気持ちの良い部屋です。緑の窓枠と白い壁が印象的ですね。

寝室
マナブ:2階の寝室もまたす ばらしい。窓の外には庭の木が見えて、自然な光と緑に囲まれた素敵な家です。

広場から外交官の家を見る
歴史先生:ではお隣の「外交官の家」に行きましょう。ここは洋式の庭園も見事ですよ。
マナブ:2軒の間にある広場。ここは絵になりますねぇ。

整形花壇と外交官の家
マナブ:うわぁ、ここもすばらしい。外交官の家のとんがり屋 根。石川町駅のホームから、ちらっと見えていた洋館はこれだったんだ。

季節の花が美しい整形花壇
歴史先生:この整形花壇は、ここにイタリア領事館が置かれていたことにちなんで、公園として整備されたものです。
マナブ:とてもよく手入れが行き届いて、すばらしいです。

夏は涼しさを演出する噴水

庭園側から見た外交官の家
歴史先生:では「外交官の家」に入って見ましょう。入口は庭園側ではなくて、反対側になります。

外交官の家の入口は裏側にある
外交官の家(山手イタリア山庭園内)
入館無料
9:30~17:00、第4水曜休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/yamate-seiyoukan/gaikoukan/
マナブ:どこからみても、すてきな外観の家です。
歴史先生:スレート葺きの屋根と下見板張りの外壁。とんがり屋根の塔屋。アメリカン・ヴィクトリアンの様式を受け継いだ洋館です。1910年(明治43年)築の国指定重要文化財、です。
マナブ:おぉ、これは重文に指定されているんですね。でも待ってください。明治末期の建築ということは、ここは関東大震災でも無事だった?
歴史先生:実はこの「外交官の家」。横浜にあったものじゃないんです。
マナブ:え? どこにあったんですか?
歴史先生:東京・渋谷の道玄坂にあったお屋敷を、1997年にここに移築したものです。
マナブ:へぇー。明治時代の道玄坂にこの家があったなんて、モダンでおしゃれだったでしょうね。


