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登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。
最新の商業施設になった歴史の証人①:赤レンガ倉庫

最新の商業施設になった歴史の証人②:ハンマーヘッド

もう1つの船の重要文化財:帆船日本丸

昔の横浜駅はどこにあった?


最新の商業施設になった歴史の証人①:赤レンガ倉庫


赤レンガ倉庫


赤レンガ倉庫(地図 ❶)

〒231-0001 神奈川県横浜市中区新港1丁目1

10:00~19:00(1号館)、11:00~20:00(2号館)

営業時間・定休日は店によって異なる

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.yokohama-akarenga.jp/ 


マナブ:象の鼻、そして横浜税関(Queen)から歩いてすぐ、赤レンガ倉庫に来ています。ここも古い歴史がありそうですね。


歴史先生:そうなんです。赤レンガ倉庫ができた背景からお話ししましょう。幕末の1859年に横浜が開港し、その後明治維新、そして明治の近代化にともなって横浜は貿易港として発展していきます。貨物船が貨物を陸揚げするには何が必要ですか?


マナブ:船をつける岸壁、ですか?


歴史先生:はい、そうです。当初の横浜港には象の鼻と呼ばれる防波堤に囲まれた小さな入り江しかありませんでした。そこで第一期築港工事として、1896年(明治29年)に今の大さん橋の前身にあたる「鉄さん橋」が作られました。


マナブ:そこで荷物の陸揚げができるようになった。


歴史先生:そうなんですが、貨物の輸入量は飛躍的に増大していきます。そうなると、いわゆる桟橋の形では対応できなくなります。そこで近代の港湾では「接岸式埠頭」というのが作られるようになりました。


マナブ:今の港などをみていると、細長い桟橋ではなくて、岸壁に直接横づけするような形になっていますね。


歴史先生:はい、そのとおりです。そこで第二期築港工事として1899年(明治32年)に、「新港埠頭」の埋め立て工事が始まります。これは東洋初の接岸式埠頭でした。


マナブ:今私たちがいる新港地区そのものが文化財でもあるんですね。


歴史先生:まさにそうです。さて、船が直接接岸して貨物を陸揚げするようになると、そこには何が必要ですか?


マナブ:輸入した貨物を置いておく倉庫が必要になりますね。


歴史先生:はい、そうです。この赤レンガ倉庫は国の模範的な「保税倉庫」として建てられました。


マナブ:保税倉庫?


歴史先生:保税倉庫というのは、正式な通関をおこなう前の貨物を一時的に陸揚げして保管するための倉庫です。通関前ですから勝手に外には出せず、税関の厳しい管理下にあります。


マナブ:だから横浜税関からすぐ、のところにあるんですね。


歴史先生:そうなんです。新港埠頭には倉庫の他にも上屋(船から倉庫に移す間に一時的に貨物を置く屋根と柱だけの建物)、クレーン、そして鉄道までが備わっていた、当時の最先端の港湾施設でした。


桜木町駅から新港埠頭へ続く「汽車道」


マナブ:今でも汽車道、というのがありますね。


歴史先生:桜木町駅のところから汽車道を通って新港埠頭の隅々まで貨物列車が入れるようになっていたんです。


マナブ:すばらしい。


右側が1号館、左側が2号館(後方に見えるのは大さん橋に停泊中のダイヤモンド・プリンセス号)


歴史先生:さて、この赤レンガ倉庫ですが、当時は「横浜税関新港埠頭倉庫」という名称でした。まずは1911年(明治44年)に2号館が、続いて1913年(大正2年)に1号館が完成しました。


マナブ:順序が逆なのもおもしろい。


歴史先生:赤レンガ倉庫は日本初の荷物用エレベーターやスプリンクラー、防火扉などが備わった、世界でも最先端の倉庫だったんです。


マナブ:1つ疑問。西洋の真似をして赤レンガで作るのはいいんですが、地震国日本ではレンガ造りはどうなんでしょう?


歴史先生:それ、大事なポイントですね。レンガ造りでも耐震性が保たれるよう、定聯鉄構法(ていれんてつこうほう)というらしいのですが、鉄材をレンガの中に直接埋め込むという工法で建てたんです。


マナブ:そして1923年に関東大震災がやってきた。それにも耐えたんですね?


歴史先生:いえ。2号館は倒壊をまぬがれたんですが、1号館は中央部分が崩れ落ちるなど、半壊してしまいました。


マナブ:あら、やっぱり。


歴史先生:1930年(昭和5年)にようやく修復工事が終わり、再び倉庫として使われるようになりました。レンガ造りはやはり無理ということで、内部に鉄筋コンクリートの補強壁が付加されています。そして半壊した1号館はおよそ半分の大きさになってしまいました。


マナブ:あ、それで1号館のほうは建物が短いんですね。


歴史先生:そうなんです。そして太平洋戦争がはじまると、ここは輸入貨物の倉庫としてではなく、軍事物資の補給施設になります。そして終戦後はGHQによって接収され、米軍の港湾司令部として事務所や食堂などが置かれました。


マナブ:もはや倉庫ではなくなった。


歴史先生:しかし1956年(昭和31年)に返還され、再び保税倉庫として活躍するようになります。戦後の経済発展の中で輸入品の量が増大。赤レンガ倉庫は日本の貿易を支える重要拠点として光り輝く時代を迎えました。


マナブ:なんだかうれしいですね。


赤レンガの外壁は創建当時のまま


歴史先生:でも時代の波は容赦なくやってきます。1970年代になると、赤レンガ倉庫での貨物の取扱量は激減していきます。なぜだかわかりますか?


マナブ:ん? 横浜港全体での貨物の輸入量はまだまだすごく伸びているはずですよね。新港埠頭は造られた当時は最新設備だったけど、それが時代遅れになった?


歴史先生:そうなんですが、具体的には?


マナブ:うーん、わかりません。


歴史先生:海外貿易の主流がコンテナになったんです。


マナブ:あ、なるほど。


歴史先生:大型のコンテナ船が長い岸壁に接岸して、ガントリークレーンでコンテナを陸揚げして、広いコンテナヤードにそれをどんどん置いていく。そんな港湾施設が主流になってきたんですね。横浜には本牧ふ頭、大黒ふ頭が作られ、貨物の取り扱いはそちらが中心になっていきました。


マナブ:あ、もはや倉庫は必要なくなった。


歴史先生:そうなんです。赤レンガ倉庫は時代遅れになり、取り壊しも検討されたんですが、横浜市はこれを街のシンボルとして残す道を選びました。


マナブ:横浜市、ナイスです!


歴史先生:1989年(平成元年)、赤レンガ倉庫は倉庫としての歴史に幕を下ろしました。そこから長い間の検討や工事を経て、2002年(平成14年)、あらたな商業施設としてリニューアルオープンしたんです。


マナブ:無機質な近代的な建物が多い中、ロマンのある赤レンガ倉庫は人気の観光スポットになっていますよね。いろいろと大変なことが多かったと思いますが、横浜市はいい判断をしたと思います。ところで赤レンガ倉庫は国指定重要文化財にはなっていなんですか?


歴史先生:なっていてもおかしくない建造物だと思うんですが、経産省が認定する「近代化産業遺産」には登録されています。


最新の商業施設になった歴史の証人②:ハンマーヘッド


横浜ハンマーヘッド


横浜ハンマーヘッド(地図 ❷)

〒231-0001 神奈川県横浜市中区新港2丁目14−1

営業時間は店舗により異なる

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.hammerhead.co.jp/ 


マナブ:赤レンガ倉庫から少し歩いたところ。新港埠頭の北の端にある「横浜ハンマーヘッド」に来ました。


歴史先生:2019年にオープンした商業施設です。


マナブ:以長崎佐世保行ったときにクレーンを見て、ここ横浜のハンマーヘッドにも行かなきゃ、と思っていました。


歴史先生:そうですね。お目当てのクレーンは商業施設のビルを抜けた先、海側にありますので、早速行ってみましょう。


ハンマーヘッドパーク


ジャイアント・カンチレバー・クレーン


マナブ:商業施設を抜けるとハンマーヘッドパークという公園になっています。あ、ありましたね、クレーン。造船所の中で遠くからしか見られなかった長崎・佐世保に比べると、すぐ近くまで行って見れるのはいいですね。


歴史先生:はい。「ジャイアント・カンチレバー・クレーン」と呼ばれるこの形のクレーンは明治から大正にかけて世界中で設置されました。今でも残っているのは世界で10基だけ。そのうち日本には3基が現存しています。


マナブ:長崎、佐世保、そして横浜。


歴史先生:はい。おさらいしておきますと、以下のようになります。


長崎:1909年(明治42年)設置、150トン、三菱重工業の造船所内で現在も稼働中。世界遺産。

佐世保:1913年(大正2年)設置、250トン、佐世保重工業の造船所内で現在も稼働中。

横浜:1914年(大正3年)設置、50トン、新港埠頭の港湾荷役用として設置されたが退役済み。


マナブ:あ、横浜のは長崎・佐世保に比べるとだいぶ小さいんだ。


歴史先生:そうですね。造船用ではなくて、港湾荷役用だということが関係しているんだと思います。


マナブ:それにしても長崎のクレーンは世界遺産に登録されているんですよね。それだけ価値の高いものなんだということがわかります。


歴史先生:横浜のクレーンは経産省の「近代化産業遺産」に登録されています。


マナブ:赤レンガ倉庫と同じですね。


横浜ハンマーヘッドとみなとみらいの夕景


もう1つの船の重要文化財:帆船日本丸


帆船日本丸


マナブ:桜木町駅の近くまで戻り、帆船日本丸にやってきました。先ほど氷川丸の時に話があったように、これもまた珍しい、船の重要文化財です。


歴史先生:帆船日本丸の前には「横浜みなと博物館」があります。まずはこちらから見学しましょう。



横浜みなと博物館(地図 ❸)

〒220-0012 神奈川県横浜市西区みなとみらい2丁目1−1

入館料500円、日本丸との共通券800円(高校生以下、シニア割引あり)

10:00~17:00(最終入館16:30)、月曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.nippon-maru.or.jp/port-museum/


右側の建物が横浜みなと博物館


マナブ:中に入って驚きました。内部は写真撮影ができないのでここに写真は載せていませんが、展示が大充実。地下に広がる広い空間に時代ごとのコーナーがあって、それらのパネルがわかりやすい。


歴史先生:パネルに書かれている内容も濃いですよね?


マナブ:そうなんです。今まで知らなかったこと、横浜の歴史や港の最新機能など、たくさん勉強できました。


帆船日本丸(国指定重要文化財)


マナブ:さて、博物館の次はいよいよ帆船日本丸に乗り込みます。


帆船日本丸(地図 ❹)

〒220-0012 神奈川県横浜市西区みなとみらい2丁目1−1

入館料400円、博物館との共通券800円(高校生以下、シニア割引あり)

10:00~17:00、月曜休のほか帆の取り外し等の臨時休館日あり

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.nippon-maru.or.jp/nipponmaru/


旧横浜船渠 第一船渠(国指定重要文化財)


歴史先生:その前にこちらを見てください。日本丸が係留されているのは「旧横浜船渠 第一船渠」というところで、これもまた国指定重要文化財なんです。


マナブ:船に目を奪われて見落としがちですが、ドックも重文なんですか。


歴史先生:はい、そうなんですよ。横浜船渠という会社は1889年(明治22年)に渋沢栄一らが設立した船の修理・建造をおこなう会社。


マナブ:渋沢栄一はどこにでも出てきますね。


歴史先生:彼は本当にたくさんの会社の設立に関わりました。そして横浜船渠は1898年(明治31年)に第1号ドックを完成させます。それが今私たちの目の前にあります。第2号ドックはランドマークタワー内で「ドックヤードガーデン」という広場になっています。


マナブ:たしかに石組みなどを見ると古さを感じます。


歴史先生:横浜船渠は1935年(昭和10年)に三菱重工業と合併。その後は三菱重工業の造船所として永く操業します。


マナブ:みなとみらい地区というのは、三菱重工業の横浜造船所だったところですよね?


歴史先生:はい。1983年(昭和58年)に閉鎖され、その後みなとみらい地区として再開発が行われました。


デッキを渡って船に乗り込もう


操舵室


マナブ:さて、先ほどの氷川丸はシアトルへの国際航路を運航した豪華客船でしたが、日本丸は?


歴史先生:日本丸は氷川丸と同じく1930年(昭和5年)に建造された船ですが、その用途はまったく異なります。こちらは船員を養成する訓練船。


マナブ:船員になるための訓練って、とても厳しそう。


歴史先生:船員になるには国家資格の「海技士免許」というのが必要です。免許には等級があり、それによって乗船できる船の大きさや海外航路に出てもよいかどうかなどが決まっています。


マナブ:船員になるための学校もありますよね?


歴史先生:商船高校とか海上技術学校などがあって、専門技術の勉強や実習などに励んでいます。日本丸は1984年(昭和59年)に引退するまでの間、およそ1万人もの船員の実習に使われてきました。


日本丸の甲板


マナブ:そういえば日本丸は帆船ですから、風の力で進むんですね?


歴史先生:実際には機関室があって動力で航行できる船なんですが、帆船としての訓練もできるようになっています。


マナブ:今日は帆が張られていませんね。


歴史先生:月に1回程度、帆を張る日があります。「総帆展帆」(そうはんてんぱん)と呼ばれるその日は今日とはまた違った美しい姿を見せてくれますから、スケジュールがあえばまた見に来てください。


総帆展帆のスケジュール

https://www.nippon-maru.or.jp/saildrill/


機関室


実習生室


マナブ:こちらは実習生の部屋。8人部屋、かな?


歴史先生:はい。狭い部屋に8人が2段ベッドで寝泊まりします。


船長公室


歴史先生:こちらは船長の部屋。スイートになっていて、こちらはいわゆる応接間のような部屋。


マナブ:さきほどの実習生の部屋とは大違い。


歴史先生:士官はみな個室が与えられます。中でも船長は彼専用の浴室があるくらいの特別待遇。それだけ責任も重い、ということが言えるのでしょう。


昔の横浜駅はどこにあった?


JR桜木町駅


マナブ:さて、今日の街歩きの終着点、桜木町駅(地図 ❺)に着きました。


歴史先生:ここが昔の横浜駅だったって、ご存じでした?


マナブ:えっ、そうなんですか?


歴史先生:日本の最初の鉄道はどこからどこまででした?


マナブ:新橋から横浜まで。新橋に行ったときに新橋の旧停車場を見ました。


歴史先生:そうですね。あの新橋駅から出発した終点がここ桜木町だったんです。


桜木町の駅前にある昔の写真


マナブ:あ、写真をみると昔の新橋駅とよく似ていますね。


歴史先生:そうなんです。桜木町駅の中にも昔の絵がありますので、見てください。


桜木町駅の中に飾られている昔の横浜駅の様子の絵


マナブ:たしかにここは新港につながる港の入口で、横浜駅と呼ぶにふさわしいですね。それがなぜ、今の横浜駅の位置になったんでしょう?


歴史先生:1872年(明治5年)に最初に新橋から横浜まで鉄道が引かれた時はこれでよかったんですが、その後東海道線が開通します。そうなると、東京方面から来た列車は一度横浜駅に入り、そこで方向を変えてまた出発するということになりました。


マナブ:たしかにそれは不便ですね。


歴史先生:そこで東海道線に直接つなげられるよう、1915年(大正4年)に今の高島町あたりに移転し、東海道線との直通化がなされました。


マナブ:それでも今の位置とは違いますね。


歴史先生:はい。1923年(大正12年)、関東大震災で横浜市内のほとんどは焼失してしまいました。1928年(昭和3年)、震災からの復興のなかでより広い鉄道用地が確保できる現在の横浜駅のところへ移転し、今に至るわけです。


マナブ:なるほど。今ある横浜駅は当時の感覚からいうと、「あそこは横浜とは言えないけど東海道線につながる「新横浜駅」っていう感じ」だったんでしょうかね。


歴史先生:そんな感じだったかもしれません。さてマナブさん、今日の横浜、いかがでした?


マナブ:いやー、もりだくさんでした。山手の洋館から山下公園、中華街、そして港。横浜って、今までは「おしゃれな港町」、くらいにしか思っていなかったのですが、どうやってこの街ができたのかを知ると、その見方が全然変わってきますね。埋め立て、開港、そして関東大震災に空襲。さまざまな歴史が重なって今の横浜になっているんですね。感動的でした。


歴史先生:よかったです。


マナブ:以前長崎を深く勉強したこともあって、長崎と対比しながら歩くことができたのも興味深かったなぁ。


歴史先生:そうなんですよね。1つの街、1つの歴史を勉強すると、それが他の街にもつながっていることがわかる。歴史好きの街歩きの醍醐味と言えるでしょう。


マナブ:今度は神戸を歩いてみたいな。あそこも似てますよね?


歴史先生:いいですね。横浜や長崎と似ているところ、違うところがいろいろとありそうです。ぜひ行ってみましょう。


​歴史好きのための観光ガイド
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