古代よりなみなみと水を湛えていた奇跡の土地はどうやってできた?
関東大乱の頃の面影を残す古城:深大寺城
珍しい深沙大王を祀る、東京で2番目に古い古刹:深大寺
高さ2mの日本一の肖像彫刻:元三大師像の御開帳
武蔵野の自然を今に残す広大な森:神代植物公園
「調布」の地名はここから生まれた:布多天神社
古代よりなみなみと水を湛えていた奇跡の土地はどうやってできた?

再開発が進む調布駅前

マナブ:今日は京王線調布駅(地図 ❶)に来ていま す。昔来た時とはずいぶん風景が変わっています。
歴史先生:調布駅は2012年に地下化されました。これによって開かずの踏切が解消され、線路や駅舎などの土地があらたに提供されることになって、そこに商業施設などが建てられています。
マナブ:今日は深大寺へ行くということですが、ここからはバスですか?
歴史先生:はい。駅前北口のロータリーにバス停があり、11番の乗り場から京王電鉄バス、小田急バスなどで約8分で着きます。歩くと30分くらいかかるので、バスの方がよさそうです。
マナブ:そうしましょう。

青渭(あおい)神社のケヤキ

マナブ:深大寺小学校前のバス停で下車しました。
歴史先生:まずはじめに、深大寺小学校の北隣にある「青渭(あおい)神社」(地図 ❶)に行きましょう。
青渭(あおい)神社(地図 ❶)
〒182-0017 東京都調布市深大寺元町5丁目17−10
境内自由
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
マナブ:立派な木がありますね。
歴史先生:これは青渭神社の御神木になっているケヤキ。樹齢は推定で600~700年ほど。江戸時代に書かれた「江戸名所図絵」にも描かれていて、そのころから目立った大木だったようです。今では高さ34mの巨木です。

斜めに傾いているが、樹勢は盛ん
マナブ:ケヤキって、そんなに長生きなんですね。
歴史先生:国内で最も古いのは山形県東根市にある東根小学校の校庭にあるもので、推定で樹齢1,500年以上とも言われています。
マナブ:それはすごい。

青渭(あおい)神社
歴史先生:では青渭神社を参拝しましょう。
マナブ:「渭」という漢字はあまり見ませんが、どんな意味があるんですか?
歴史先生:中国に「渭水」という有名な川があって、そこから「渭」といえば水、川、などを表すようになったようです。
マナブ:ということは、水に関係のある神社なんですか?
歴史先生:はい。このあたりは美しい湧き水が出る谷で、縄文時代からの土器や石斧が発見されるなど、古代から人が住んでいたようです。そういった人々が水の神様を祀ったのが最初と考えられます。
マナブ:ま さに原始的な神道。

青渭神社の静かな境内
歴史先生:ご祭神としては「水波能賣大神(みずはのめのおおかみ)」、「青沼押比賣命(あおぬまおしひめのみこと)」。
マナブ:聞いたことがない神様ですが。
歴史先生:水波能賣大神というのはイザナミが火の神様であるカグツチを生んで大やけどを負い、苦しみながら漏らした尿から生まれた神様。古事記、日本書紀に出てきます。水の女神として祀られます。
マナブ:うーん、想像 するとホラー映画のようなすごい状況ですが、神話ってほんとに不思議。
歴史先生:一方の青沼押比賣命は大国主命の子孫の妻で、こちらも水の女神。この2柱を祀る、水の神社というのはとても珍しいんです。

青渭神社の本殿
歴史先生:青渭神社は延喜式にも記載がありますので、延喜式が書かれた927年には存在していたことが確実。一節には推古天皇の時代の創建とも伝わります。
マナブ:古代から水は大切だったんでしょうから、水の神様は大切に祀られたんでしょうね。
歴史先生:そうですね。以前はこの境内に大きな池があって、なみなみと水を湛えていたことから、「青波天神社」とも呼ばれていました。
マナブ:そんな池があったんですか。
歴史先生:ではなぜここには水が湧き出ていたのか、わかりますか?
マナブ:はい。国分寺に行ったときにそれ、勉強しました。国分寺崖線、ですよね? それが深大寺を通って世田谷の方まで続いている。その崖線に沿って、水が湧きだしていて、「ハケ」と呼ばれている。
歴史先生:大正解です 。ではこのあたりの地形図を見てみましょう。

マナブ:ちょっと入り組んだ地形になっていますね。
歴史先生:国分寺崖線はほぼまっすぐに伸びているのですが、ここ深大寺のあたりではちょっと複雑な谷を作っています。その分、水が豊富に出ていた証拠だと思います。
マナブ:その水を求めて縄文時代から人が住み着いた。そして命の水に感謝して、いつの頃からか、水の神様を祀るようになった。
歴史先生:そういうことです。そのため神社の創建はいつなのか、はっきりしないほどの古社なんです。
マナブ:今の境内は広くはないですが、とても歴史の古い神社だったんですね。本殿も雰囲気あります。
歴史先生:本殿は1992年の再建なのでまだ新しいのですが、伝統的な建築で、もっと古いように見えますよね。総青森ヒバ造り、銅板葺き屋根の非常に貴重な建物です。
マナブ:特別な神社だということがよくわかりました。
歴史先生:元々この神社があって、深大寺は青渭神社の別当寺でした。
マナブ:別当寺というのはたしか、神社を管理するためのお寺で、明治の神仏分離で別々になったんでしたっけ?
歴史先生:そのとおりです。
マナブ:深大寺に来る人のほとんどはここに立ち寄らないと思いますが、ここはぜひ来ていただきたい場所ですね。
関東大乱の頃の面影を残す古城:深大寺城

深大寺小学校から水生植物園へと坂を下る


歴史先生:では、青渭神社から深大寺小学校へ戻り、そこから坂を下りていきましょう。もう一度、地形図を見てください。
マナブ:ここは深い谷になっていて、谷底に水生植物園がありますね。青渭神社の前でなみなみと水を湛えていた池というのは、ここのことでしょうか?
歴史先生:恐らくそうなんでしょうね。今でも低い谷底は湿地になっています。

水生植物園の入口

水生植物園の案内図
神代植物公園 水生植物園(地図 ❸)
〒182-0017 東京都調布市深大寺元町2丁目37
入園無料
9:30~16:30、月曜休
(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)
https://www.tokyo-park.or.jp/park/jindai/
歴史先生:では、水生植物園に入りましょう。
マナブ:地図を見ながら気になっていたんですが、となりにお城があるんですか?
歴史先生:はい。水生植物園の半分は城跡なんです。この深大寺城跡を見るのが今日の目的です。
マナブ:深大寺城、ですか。聞いたことがないお城です。

第二郭(くるわ)跡
歴史先生:水生植物園に入ってすぐに右側の坂を上っていくと、深大寺城跡(地図 ❷)です。
マナブ:地形図を見ると、ここは台地の先っぽ、ですね。東側には池または湿地があって、南側には川が流れている。お城を建てるには絶好の位置。
歴史先生:まさにそうなんです。
マナブ:これは誰が建てたお城なんですか?
歴史先生:「誰が」というより「いつ」建ったお城か、というお話を先にしますと、1490年頃にできたお城です。 ということは、「享徳の乱」が終わり、「長享の乱」が始まったころですね。
マナブ:待ってください、急に話が難しくなった。
歴史先生:ごめんなさい。関東の中世史を語る上で、「享徳の乱」と「長享の乱」は欠かせないので、この2つは覚えてください。
マナブ:ちょっと名前が似ていますが、「享徳の乱」と「長享の乱」、ですね。覚えておきます。
歴史先生:まず「享徳の乱」ですが、室町時代の中頃、1455年~1483年の28年間に及ぶ長い戦いで、鎌倉公方の足利成氏と、関東管領の上杉家が争ったもの。上杉家は足利将軍家が君臨する室町幕府の支援も受けているのでややこしい。
マナブ:足利氏の内部でも分裂があるんですね。
歴史先生:はい、そうなんです。結果的に足利成氏は鎌倉を追われて古河へ移り、古河公方と呼ばれていました。太田道灌が活躍したのもこの戦いです。
マナブ:あ、そうか。これまでも太田道灌の話は何度となく出てきましたね。
<読んでおきたい本>
騎虎の将
幡大介

太田道灌の幼年時代から暗殺されるまでの一生を描いた歴史小説、上下2巻。一般に広く名前は知られているけれど、「江戸城を作った人」くらいにしか知られていない彼が、享徳の乱という関東における出口の見えない未曽有の大乱の中、それにどう立ち振る舞い、どう悩んでいったのか。彼の波乱の一生をぜひ知っていただきたい。
歴史先生:太田道灌は上杉方の無敵の武将でしたが、1486年、なんと主君によって暗殺されてしまいます。

