top of page
東京都 多摩 島しょ部 アイテムタイトル その1_1.jpg
登場人物:
・マナブ: IT業界ビジネスマン。最近、歴史に興味を持つようになり、ただいま勉強中。
・歴史先生:歴史に詳しい街歩きの達人。マナブと一緒に旅をする。

 古代よりなみなみと水を湛えていた奇跡の土地はどうやってできた?

関東大乱の頃の面影を残す古城:深大寺城

珍しい深沙大王を祀る、東京で2番目に古い古刹:深大寺

高さ2mの日本一の肖像彫刻:元三大師像の御開帳

武蔵野の自然を今に残す広大な森:神代植物公園

「調布」の地名はここから生まれた:布多天神社


古代よりなみなみと水を湛えていた奇跡の土地はどうやってできた?


再開発が進む調布駅前



マナブ:今日は京王線調布駅(地図 ❶)に来ています。昔来た時とはずいぶん風景が変わっています。


歴史先生:調布駅は2012年に地下化されました。これによって開かずの踏切が解消され、線路や駅舎などの土地があらたに提供されることになって、そこに商業施設などが建てられています。


マナブ:今日は深大寺へ行くということですが、ここからはバスですか?


歴史先生:はい。駅前北口のロータリーにバス停があり、11番の乗り場から京王電鉄バス、小田急バスなどで約8分で着きます。歩くと30分くらいかかるので、バスの方がよさそうです。


マナブ:そうしましょう。


青渭(あおい)神社のケヤキ



マナブ:深大寺小学校前のバス停で下車しました。


歴史先生:まずはじめに、深大寺小学校の北隣にある「青渭(あおい)神社」(地図 ❶)に行きましょう。


青渭(あおい)神社(地図 ❶)

〒182-0017 東京都調布市深大寺元町5丁目17−10

境内自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://aoi-jinja.com/ 


マナブ:立派な木がありますね。


歴史先生:これは青渭神社の御神木になっているケヤキ。樹齢は推定で600~700年ほど。江戸時代に書かれた「江戸名所図絵」にも描かれていて、そのころから目立った大木だったようです。今では高さ34mの巨木です。


斜めに傾いているが、樹勢は盛ん


マナブ:ケヤキって、そんなに長生きなんですね。


歴史先生:国内で最も古いのは山形県東根市にある東根小学校の校庭にあるもので、推定で樹齢1,500年以上とも言われています。


マナブ:それはすごい。


青渭(あおい)神社


歴史先生:では青渭神社を参拝しましょう。


マナブ:「渭」という漢字はあまり見ませんが、どんな意味があるんですか?


歴史先生:中国に「渭水」という有名な川があって、そこから「渭」といえば水、川、などを表すようになったようです。


マナブ:ということは、水に関係のある神社なんですか?


歴史先生:はい。このあたりは美しい湧き水が出る谷で、縄文時代からの土器や石斧が発見されるなど、古代から人が住んでいたようです。そういった人々が水の神様を祀ったのが最初と考えられます。


マナブ:まさに原始的な神道。


青渭神社の静かな境内


歴史先生:ご祭神としては「水波能賣大神(みずはのめのおおかみ)」、「青沼押比賣命(あおぬまおしひめのみこと)」。


マナブ:聞いたことがない神様ですが。


歴史先生:水波能賣大神というのはイザナミが火の神様であるカグツチを生んで大やけどを負い、苦しみながら漏らした尿から生まれた神様。古事記、日本書紀に出てきます。水の女神として祀られます。


マナブ:うーん、想像するとホラー映画のようなすごい状況ですが、神話ってほんとに不思議。


歴史先生:一方の青沼押比賣命は大国主命の子孫の妻で、こちらも水の女神。この2柱を祀る、水の神社というのはとても珍しいんです。


青渭神社の本殿


歴史先生:青渭神社は延喜式にも記載がありますので、延喜式が書かれた927年には存在していたことが確実。一節には推古天皇の時代の創建とも伝わります。


マナブ:古代から水は大切だったんでしょうから、水の神様は大切に祀られたんでしょうね。


歴史先生:そうですね。以前はこの境内に大きな池があって、なみなみと水を湛えていたことから、「青波天神社」とも呼ばれていました。


マナブ:そんな池があったんですか。


歴史先生:ではなぜここには水が湧き出ていたのか、わかりますか?


マナブ:はい。国分寺に行ったときにそれ、勉強しました。国分寺崖線、ですよね? それが深大寺を通って世田谷の方まで続いている。その崖線に沿って、水が湧きだしていて、「ハケ」と呼ばれている。


歴史先生:大正解です。ではこのあたりの地形図を見てみましょう。



マナブ:ちょっと入り組んだ地形になっていますね。


歴史先生:国分寺崖線はほぼまっすぐに伸びているのですが、ここ深大寺のあたりではちょっと複雑な谷を作っています。その分、水が豊富に出ていた証拠だと思います。


マナブ:その水を求めて縄文時代から人が住み着いた。そして命の水に感謝して、いつの頃からか、水の神様を祀るようになった。


歴史先生:そういうことです。そのため神社の創建はいつなのか、はっきりしないほどの古社なんです。


マナブ:今の境内は広くはないですが、とても歴史の古い神社だったんですね。本殿も雰囲気あります。


歴史先生:本殿は1992年の再建なのでまだ新しいのですが、伝統的な建築で、もっと古いように見えますよね。総青森ヒバ造り、銅板葺き屋根の非常に貴重な建物です。


マナブ:特別な神社だということがよくわかりました。


歴史先生:元々この神社があって、深大寺は青渭神社の別当寺でした。


マナブ:別当寺というのはたしか、神社を管理するためのお寺で、明治の神仏分離で別々になったんでしたっけ?


歴史先生:そのとおりです。


マナブ:深大寺に来る人のほとんどはここに立ち寄らないと思いますが、ここはぜひ来ていただきたい場所ですね。


関東大乱の頃の面影を残す古城:深大寺城


深大寺小学校から水生植物園へと坂を下る



歴史先生:では、青渭神社から深大寺小学校へ戻り、そこから坂を下りていきましょう。もう一度、地形図を見てください。


マナブ:ここは深い谷になっていて、谷底に水生植物園がありますね。青渭神社の前でなみなみと水を湛えていた池というのは、ここのことでしょうか?


歴史先生:恐らくそうなんでしょうね。今でも低い谷底は湿地になっています。


水生植物園の入口


水生植物園の案内図


神代植物公園 水生植物園(地図 ❸)

〒182-0017 東京都調布市深大寺元町2丁目37

入園無料

9:30~16:30、月曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.tokyo-park.or.jp/park/jindai/


歴史先生:では、水生植物園に入りましょう。


マナブ:地図を見ながら気になっていたんですが、となりにお城があるんですか?


歴史先生:はい。水生植物園の半分は城跡なんです。この深大寺城跡を見るのが今日の目的です。


マナブ:深大寺城、ですか。聞いたことがないお城です。


第二郭(くるわ)跡


歴史先生:水生植物園に入ってすぐに右側の坂を上っていくと、深大寺城跡(地図 ❷)です。


マナブ:地形図を見ると、ここは台地の先っぽ、ですね。東側には池または湿地があって、南側には川が流れている。お城を建てるには絶好の位置。


歴史先生:まさにそうなんです。


マナブ:これは誰が建てたお城なんですか?


歴史先生:「誰が」というより「いつ」建ったお城か、というお話を先にしますと、1490年頃にできたお城です。 ということは、「享徳の乱」が終わり、「長享の乱」が始まったころですね。


マナブ:待ってください、急に話が難しくなった。


歴史先生:ごめんなさい。関東の中世史を語る上で、「享徳の乱」と「長享の乱」は欠かせないので、この2つは覚えてください。


マナブ:ちょっと名前が似ていますが、「享徳の乱」と「長享の乱」、ですね。覚えておきます。


歴史先生:まず「享徳の乱」ですが、室町時代の中頃、1455年~1483年の28年間に及ぶ長い戦いで、鎌倉公方の足利成氏と、関東管領の上杉家が争ったもの。上杉家は足利将軍家が君臨する室町幕府の支援も受けているのでややこしい。


マナブ:足利氏の内部でも分裂があるんですね。


歴史先生:はい、そうなんです。結果的に足利成氏は鎌倉を追われて古河へ移り、古河公方と呼ばれていました。太田道灌が活躍したのもこの戦いです。


マナブ:あ、そうか。これまでも太田道灌の話は何度となく出てきましたね。



<読んでおきたい本>

騎虎の将

幡大介




太田道灌の幼年時代から暗殺されるまでの一生を描いた歴史小説、上下2巻。一般に広く名前は知られているけれど、「江戸城を作った人」くらいにしか知られていない彼が、享徳の乱という関東における出口の見えない未曽有の大乱の中、それにどう立ち振る舞い、どう悩んでいったのか。彼の波乱の一生をぜひ知っていただきたい。



歴史先生:太田道灌は上杉方の無敵の武将でしたが、1486年、なんと主君によって暗殺されてしまいます。


マナブ:え、そうだったんですか。


歴史先生:それをきっかけに上杉家の中が分裂。元々山内上杉家と、太田道灌が属する扇谷上杉家の2つの系統に分かれていて、太田道灌が暗殺されたことで扇谷上杉家の一部が離反し、山内上杉家に従うようになったことで両者の対立が深まりました。


マナブ:同族内での争いって、根が深そうですね。


歴史先生:それによって1487年~1505年の18年間にわたって両者が戦いました。これが「長享の乱」です。実にトータル50年にもわたって関東は戦乱の世になってしまったんですね。


マナブ:深大寺城は1490年頃ということでしたので、両上杉の戦争が始まったころに出来たわけですか。


歴史先生:はい。扇谷上杉家を率いる上杉定正によって建てられました。太田道灌を暗殺したのもこの人です。そのころ敵方の山内上杉家は河越城を本拠にしていましたので、それに南側からにらみを利かす拠点の1つでした。


マナブ:深大寺城はその後、どうなったんでしょう?


歴史先生:長引く長享の乱は結果として両上杉それぞれの力を弱め、関東は群雄割拠の状態になります。そこへ伊勢宗瑞(のちの北条早雲)が伊豆から勢力を伸ばし、後北条氏が関東の支配者になっていきます。


マナブ:「後」北条氏と言われましたが、「後」という字がつくのは?


歴史先生:北条氏といえば鎌倉幕府の執権として有名ですね? でも戦国時代には北条早雲を始祖とする新しい北条氏が関東を支配しました。伊勢宗瑞の子孫たちは鎌倉時代の「北条」ブランドを勝手に使っていたんです。両者の間に血縁はないので、区別するために「後」という字をつけて呼んでいるんです。


マナブ:なるほど。で、この深大寺のあたりにも後北条氏が勢力を伸ばしてきた。


歴史先生:というよりも、1537年に北条氏綱が上杉の拠点である河越城を陥落させたことで、深大寺城の意味がなくなり、廃城となりました。


マナブ:なるほど。


歴史先生:今では当時の縄張り、土塁などを見ることができます。室町時代中期の城の姿が残っている、貴重な遺構です。


第二郭(くるわ)には建物の柱の跡が残る


マナブ:坂を上ると広い芝生の場所に出ました。


歴史先生:ここは第二郭(くるわ)、と呼ばれています。


マナブ:いわゆる「二の丸」ですね?


歴史先生:はい。そうなんですが、お城の曲輪(くるわ)を本丸、二の丸、三の丸、などと言うようになったのは安土桃山時代から。それまでの戦国時代のお城では一郭、二郭、などと呼ばれるのが一般的です。


マナブ:へぇー、知りませんでした。


歴史先生:深大寺城は第一から第三までの郭が並んでいました。第三郭については今は住宅地になっていてその様子がよくわかりませんが、第一、第二は水生植物園の一部として保存がされています。


第一郭と第二郭の間の土塁と空堀


第一郭跡


歴史先生:第二郭から第一郭へ行きましょう。その境のところには土塁と空堀が残っています。


マナブ:あ、ほんとだ。


歴史先生:ここがいわゆる本丸だった場所。といっても当時は立派な御殿などはありませんでした。このころの城は政務を取る場所ではなく、あくまでも軍事的な砦です。


マナブ:なるほど。


歴史先生:ここ深大寺城跡は国指定史跡に指定されています。


マナブ:それってよく耳にしますが、国指定重要文化財とは違うんですか?


歴史先生:国指定重要文化財の対象は「有形文化財」。建物や仏像、絵画などが主です。一方、国指定史跡の対象はその土地そのもの。古墳や城跡、貝塚などが主です。


マナブ:あー、なるほど、そういうことでしたか。ところで国指定史跡の中でもランクがあったりしますか?


歴史先生:はい。国指定史跡は全国でおよそ1,800件ほどあって、そのうち特に重要な62件は「特別史跡」とされています。


マナブ:たとえばどんなものがあるんでしょう?


歴史先生:江戸城跡、平城京跡、大坂城跡、などがそれにあたります。


マナブ:なるほど、納得です。


第一郭跡から谷へ下りていく


水生植物園には木道が整備され、歩きやすい


湿地や池が広がる湿潤な谷地


マナブ:さて、深大寺城跡から坂を下って、谷へ下りてきました。


歴史先生:ここは深大寺のあたりの国分寺崖線の「ハケ」から湧き出る豊かな水が溜まりやすい地形です。以前は田んぼだったそうですが、現在では湿地に育つ草花を保護する植物園として管理がされています。


マナブ:人も少なく、鳥の声が聞こえて、ちょうどよいしっとりした湿度加減。涼しい風が吹き抜けて、静かな落ち着く場所ですね。


珍しい深沙大王を祀る、東京で2番目に古い古刹:深大寺


深大寺 境内案内図



深大寺(地図 ❹)

〒182-0017 東京都調布市深大寺元町5丁目15−1

境内自由

5:00~18:00(夏季:春分の日~秋分の日)、6:00~17:00(冬季:秋分の日~春分の日)、無休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.jindaiji.or.jp/ 


歴史先生:ではいよいよ、深大寺へ行きましょう。水生植物園の前、道路を渡ったところに不動堂と不動の滝があります。


不動堂


不動の滝


マナブ:道路脇に水が流れ落ちています。


歴史先生:こちらは不動の滝と呼ばれていて、国分寺崖線のハケからの湧き水の1つ。隣にある不動堂は1884年(明治17年)の再建です。


マナブ:緑と水の豊かさを、もうここから実感します。


参道には小川が流れ、蕎麦店が軒を連ねる


参道には茶店も多く、くずもち、草餅なども売られている


この日は元三大師像の御開帳の日


歴史先生:さて、今日のメインの目的はこれ、です。


マナブ:なになに、「元三大師の大開帳、本来50年に一度のところを臨時」、と書かれていますね。なんと、今はそんな特別な期間だったんですか。


歴史先生:この像はとてもインパクトが強いので、私もぜひ見たいと思っていたんです。


マナブ:おー、それはとっても楽しみです!


山門


歴史先生:では、正面の山門から入りましょう。この山門ですが、1695年に出来たもの。実は深大寺は幕末1865年の大火でほとんどの堂宇を焼失してしまい、江戸時代の建物で今も残っているのはこの山門だけなんです。


マナブ:それは惜しいことをしました。屋根は茅葺き、ですね?


歴史先生:はい。普段はもっと素朴で質素なイメージの門なんですが、今日はご開帳の日ということで幕が張ってあり、いつもとは違う印象です。


1870年(明治3年)に再建された鐘楼


1918年(大正7年)に再建された本堂


歴史先生:山門をくぐると、右手に鐘楼、正面が本堂です。


マナブ:本堂、さすがに立派ですね。


歴史先生:こちらも今日は5色の幕が張ってあって、いつもの質素なイメージとは違います。こういうイベント事の日も、華やかでいいですね。


マナブ:深大寺は何宗のお寺なんですか?


歴史先生:平安時代以降、天台宗のお寺になりました。


マナブ:本堂のご本尊は?


歴史先生:阿弥陀如来です。


マナブ:ふーん。(なんとなく、しっくりこない様子)


歴史先生:ですよね? このお寺の場合、その成り立ちと経緯をきちんと理解する必要がありそうです。


マナブ:ぜひぜひ。


深大寺の手水舎のお花はお隣の神代植物公園から提供されている


歴史先生:むかしむかし、奈良時代のお話。このあたりに福満という人がいました。福満はこのあたりの郷長(さとおさ)の右近という人の娘と恋仲になったのですが、右近夫妻はそれを許さず、娘を湖の中の島に閉じ込めてしまいます。


マナブ:ひどいことしますね。


歴史先生:困った福満は深沙大王(じんじゃだいおう)に祈願して、亀の背中に乗ってその島に渡ることができました。その奇瑞を知った右近夫妻は2人の恋仲を許し、結ばれたそうです。


マナブ:あれ、そんなことで許しちゃうんだ。でも恋の話になるとは想像していませんでした。


歴史先生:その2人の間に生まれたのが満功上人。彼は奈良で仏教(法相宗)を学び、733年、この地に戻って深沙大王を祀るお寺を建てた。それが深大寺の始まりです。東京では628年にできた浅草寺に次ぐ、古い歴史を誇ります。


マナブ:東京で2番目に古い古刹、なんですね。ところで、深沙大王って、聞いたことがないのですが。


歴史先生:深沙大王を祀ったお寺なんて、他では私も知りません。深沙大王は西遊記で有名な玄奘三蔵がインドへ向かって砂漠を旅している時に、その危機から救った神様。その後、なぜか日本では水神として祀られるようになったようです。深大寺という名前は、「深」沙「大」王から来ているんですよ。


マナブ:へぇー、そうなんですね。でも、ご本尊は深沙大王像ではない?


歴史先生:深沙大王を祀ったお堂は別にあります。あとで行きますね。


深大寺 境内


歴史先生:さて、満功上人が深沙大王を祀ったお寺は、平安時代に大きく発展することになります。860年頃、武蔵の国司が反乱を起こします。そこで比叡山から恵亮和尚がこの地に赴任。祈祷を行って反乱を鎮圧しました。その功績から深大寺周辺の土地が恵亮和尚に与えられ、深大寺は天台宗のお寺として発展し、東日本随一の密教道場となりました。


マナブ:そういうことでしたか。


歴史先生:先ほどのご本尊の話ですが、天台宗では釈迦如来や阿弥陀如来などが本尊として祀られることが多いです。


マナブ:なるほど。


歴史先生:さて、その後のお話。鎌倉時代になると元三大師信仰の中心地になり、厄除けといえば深大寺、ということになるのですが、その話はまた元三大師堂のところでいたしましょう。


高さ2mの日本一の肖像彫刻:元三大師像の御開帳


元三大師堂に続く御開帳用の通路


マナブ:本堂のすぐお隣、元三大師堂にやってきました。


歴史先生:滅多に見ることができない秘仏の御開帳ということで、多くの人が訪れています。


マナブ:元三大師像っていうのは、とても大きいんですよね?


歴史先生:はい。普通、お寺を開いたお坊さんの座像というのは、50㎝~1mくらいでしょうか。でもここにある元三大師像は高さ2m。座った高さですから、もし立ち上がったらもっと大きい。肖像彫刻としては日本最大と言われています。


マナブ:なぜそんな大きな像を作ったんですか?


歴史先生:この像が作られたのは鎌倉時代。制作年代ははっきりしませんが、13世紀後半から14世紀初めと思われます。13世紀後半といえば、文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)という、いわゆる元寇があったころ。鎌倉幕府が国家を挙げて、異国退散の祈祷のために造ったものだろうと思われています。疫病と同様に、異国の軍隊も元三大師様のお力で追い払おうとしたわけです。


マナブ:大きな像を作ればそれだけ効果も大きいと?


歴史先生:当時の人はそう考えたんでしょうね。実際、元は1368年に滅びていますから、この像が作られて祈祷されてから数十年で滅亡したことになります。


マナブ:まさかそのせいで、とは思えませんが、当時の人はそう信じたかもしれませんね。


元三大師堂


マナブ:そういえば元三大師はいつの人でしたっけ?


歴史先生:912年生まれ、985年に亡くなりました。


マナブ:ということは元寇のころは、元三大師の時代から300年も経っている。


歴史先生:はい。元三大師による厄除けの信仰が、亡くなってから盛んになったことがわかります。比叡山 横川に行ったとき、元三大師堂に行ったのを覚えていますか?


マナブ:覚えていますよ。角(つの)が生えた姿になって、角大師とも呼ばれたんですよね。その時の絵を貼ると魔除けになって、コロナの時にもよく目にしました。


角大師の絵が付いた石碑(比叡山)


歴史先生:さて、いよいよ拝観です。


マナブ:順番に並んで、元三大師堂の中に数名ずつ、入れていただきました。中に入ると正面に大きな、大きな大師像が座っていました。想像していたより大きい。その場でお寺の方に短いご祈祷をいただき、私たちは合掌してありがたく拝観させていただきました。


元三大師堂


歴史先生:さて、この元三大師堂ですが、1867年に再建されました。


マナブ:ん? 焼失したのはいつでしたっけ?


歴史先生:1865年です。


マナブ:ということは、すぐに再建された?


歴史先生:そうなんです。本堂が再建されたのが1918年ですから、その違いは歴然です。元三大師堂がいかに大切にされていたか、わかりますよね。


マナブ:それだけ元三大師への信仰が盛んであった、ということなんでしょうね。


本堂と元三大師堂の間にある五大尊池


マナブ:元三大師堂を出て、左に「五大尊池」を見ながら下っていきます。あぁ、素晴らしかった。


歴史先生:私も初めて実物を見ました。大きくて迫力がありましたね。


マナブ:ところで、今はご開帳の時期だったので私たちはこうして満足していますけど、読者の方からすると、元三大師像を見られないんだったら深大寺にわざわざ来る理由がなくなってしまいませんか?


歴史先生:そうかもしれませんが、実はもう1つ、目玉と言えるものがあるんです。


釈迦堂


歴史先生:それはこちらです。


マナブ:釈迦堂、と書かれていますね。


歴史先生:ここには飛鳥時代に造られた国宝、釈迦如来像があるんです。東日本で最古の国宝仏で、曲線的なシルエットとおだやかなほほえみで、見るものを魅了します。


マナブ:おー、それはもう1つの目玉、ですね。


歴史先生:なんですが、実は今日は国立博物館の展示に貸出されていて、ここにはないそうです。


マナブ:えー? そうなんですか。


歴史先生:こちらも素敵な仏像ですので、普段はこれを目当てにいらっしゃると良いと思います。


深大寺の前にある亀島弁財天池


深大寺からさらに西へ進む


マナブ:深大寺のあたりって、なんだか空気が違う感じがします。


歴史先生:どう違いますか?


マナブ:水が豊富に流れていて、木々が生い茂っていて、とても「しっとり」しているというか、落ち着くというか。


歴史先生:そうですね。これほど水を感じられる場所って、東京では珍しいかもしれません。


深沙(じんじゃ)大王堂


歴史先生:では深大寺の参道を西へ行ってみましょう。


マナブ:右側にお堂が出てきました。


歴史先生:これが深沙大王堂です。


マナブ:では深大寺はここから始まった。


歴史先生:そう言えるでしょう。ここには鎌倉時代作と言われる深沙大王像が祀られているのですが、高さ57㎝という比較的小さなもので、髑髏(どくろ)の胸飾りに象皮の袴、すさまじい忿怒の形相という、変わったお姿の仏像です。


マナブ:見られるんですか?


歴史先生:いいえ。こちらは厳重な秘仏で、長らく人目に触れていないんだそうですよ。


深沙大王堂


マナブ:建物は古そうですが。


歴史先生:この建物は1968年(昭和43年)の再建ですので、それほど古くはありません。元々の建物は明治の神仏分離令によって取り壊されたそうです。元三大師堂に匹敵する大きな建物だったとされています。


マナブ:大火ならしかたないけど、あえて取り壊したなんて、残念です。


歴史先生:このお堂の裏側はハケになっていて、豊富な水が湧きだしています。この地こそが、深大寺の発祥の地、と言えます。


延命観音


マナブ:深沙大王堂の裏手にある国分寺崖線の坂を上っていく途中、なにやら気になる場所があります。


歴史先生:ここは「延命観音」。ちょっと中を覗いてみましょう。


慈覚大師が彫ったとされる延命観音像


マナブ:中は暗いんですが、大きな石があって、そこに仏様がうっすらと彫られています。右に延命観音、と書かれています。


歴史先生:この石は、1966年(昭和41年)、秋田県の象潟港の工事中に海底から引き揚げられたもの。これは慈覚大師によるものだと言われて、縁あって、深大寺に奉納されました。


マナブ:どこかに慈覚大師のサインがあるとか?


歴史先生:いえ。物的証拠は何もないのですが、その作風や地元の伝承などによって、慈覚大師のものだとされてきました。


マナブ:ところでその慈覚大師さんって?


歴史先生:平安時代初期のお坊さん。慈覚大師という名前は死後に贈られたもので、生前は円仁、と名乗っていました。15歳で比叡山に入って最澄に師事した後、遣唐使船に乗って唐へ渡り、9年半にわたって唐の各地を回り、その旅行記である「入唐求法巡礼行記」を残しました。


マナブ:そんな記録が今も残っているんですか。


歴史先生:はい、そうなんです。当時の中国の実際を詳細に記録した貴重な一次資料で、「大唐西域記」(玄奘)や「東方見聞録」(マルコポーロ)と並び「東アジア三大旅行記」の一つに数えられています。


マナブ:あとの2つは世界的にもとても有名ですね。それと並び称される資料だとは、すごい。


歴史先生:それだけではありません。慈覚大師は第3代の天台宗座主。天台宗の高僧として東北地方を回って教えを広め、中尊寺・毛越寺(平泉)、立石寺(山形)、瑞巌寺(松島)などの開基となっています。


マナブ:どれも超有名なお寺で、今ではどこもメジャーな観光地ですね。そんな偉いお坊さんだから、昭和になって石が引き上げられたとき、慈覚大師の作だ、という希望的な期待が高まって、そう信じられたのかもしれませんね。


歴史先生:そうかもしれません。さて、この坂を上りきると国分寺崖線の上に出ます。そこは広い平らな台地になっていて、神代植物公園があります。せっかくなので見ていきませんか?


マナブ:いいですね。行きましょう。


武蔵野の自然を今に残す広大な森:神代植物公園


神代植物公園 深大寺門



マナブ:坂を上がると森のような景色が広がっています。ここが神代植物公園ですね?


歴史先生:はい、正面にある「深大寺門」から入りましょう。


神代植物公園(地図 ❻)

〒182-0017 東京都調布市深大寺元町5丁目31−10

入園料 500円(シニア、中学生、団体割引あり。小学生以下無料。)

9:00~17:00(最終入場16:00まで)、月曜休

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

https://www.tokyo-park.or.jp/park/jindai/


マナブ:「神代」と「深大」、微妙に漢字が違っていますが、どういう理由なんですか?


歴史先生:このあたりは1889年(明治22年)までは深大寺村という地名でしたが、付近の8つの村が合併した際に、その新しい村の名前を「神代村」としました。今では調布市に合併されて、神代村という名前も消えています。


マナブ:なるほど。


園内案内図


歴史先生:では園内に入りましょう。かなり広いですよ。


マナブ:どこを見ますか?


歴史先生:雑木林を抜けて、メインのバラ園へ行きましょう。


雑木林


マナブ:雑木林を抜けています。ここは植物園というより、森林公園、と言った感じ。


歴史先生:そうですよね。ここはかつての武蔵野の森の様子がよく保存されています。


マナブ:元々は何だった土地ですか?


歴史先生:江戸時代は将軍家の鷹狩り場、でした。明治になってからは陸軍の演習地に。昭和になってからは東京の街路樹の整備が始まり、そのための苗を育てる場所になりました。


マナブ:なるほど、それで広い土地が残っていたんですね。


歴史先生:はい。その土地に1961年(昭和36年)、植物公園として開園したのがここです。


バラ園全景


歴史先生:さぁ、神代植物公園で最も有名なバラ園に来ました。


マナブ:広いですね。それにバラが満開。


バラが満開


歴史先生:はい、毎年5月が見頃なんですが、特に5月中旬は最盛期となります。


マナブ:あ、それで今日誘っていただいたんですね。


歴史先生:もちろん元三大師像の御開帳がメインだったんですが、こちらもちょうど見ごろだったので。


マナブ:バラは秋にも見ごろがなかったでしたっけ?


歴史先生:はい、10月後半ごろにも咲きますが、5月のほうが見ごたえがあるようです。


さまざまな色、形のバラが楽しめる


コンクール入賞のバラ「クイーン・オブ・神代」


マナブ:バラって、顔を近づけると香りがするのは知っていましたが、ここは歩くだけでバラの香りが漂っていますね。


歴史先生:ほんと、そうですね。朝に来るともっと香りが強いんだそうですよ。


マナブ:バラ園の背後には大きな温室があります。


歴史先生:熱帯、亜熱帯の植物を見に、中へ入りましょう。


大温室の中


ぼたん・しゃくやく園


歴史先生:大温室の隣には「ぼたん・しゃくやく園」があります。


マナブ:わぁー、こちらも満開だ。ほんとにいい時期に連れてきていただきました。


園内にはかつての武蔵野の面影が残る


つつじ園


歴史先生:池の向こうはつつじ園。すでに花が終わっていますが、4月から5月初めにかけてはここが満開になります。


マナブ:ここも良さそうですね。


歴史先生:ということで、深大寺のあとは花を見ていただきました。どうでしたか?


マナブ:深大寺といえば、これまでは何も知らずに何となくお参りに来て、そばを食べるくらいの感じでしたが、こうして歴史を学びつつ歩いてみると全く違いますね。今まで気にもしていなかった地形もよく見ることができて、大変勉強になりました。神社やお城にも足を延ばしてよかった。それからバラやシャクヤクなども楽しめて、ほんと、最高の時期に来れてよかったです。


歴史先生:よかった。ではこれからバスに乗って、調布駅へ戻りましょう。


「調布」の地名はここから生まれた:布多天神社


バスで調布駅へ戻ったら、商店街を歩こう



マナブ:さて、バスで調布駅(地図 ❶)まで戻ってきました。


歴史先生:今日はもう1カ所。「布多天神社」へ行きましょう。ここから商店街を抜けたところにあります。


歴史先生:調布駅のすぐ北側を旧甲州街道が走っています。ここから北へ延びる商店街が「天神通り商店街」(地図 ❷)。布多天神社への表参道に当たります。


商店街にはゲゲゲの鬼太郎のキャラクターたちがいる


マナブ:おなじみのキャラクターたちがいますね。


歴史先生:はい。ゲゲゲの鬼太郎の作者、水木しげるさんは、亡くなるまでの56年間をここ調布で過ごされました。


マナブ:それで鬼太郎たちがいるんですね。


深大寺門前にあった鬼太郎茶屋は天神通りに移転した


歴史先生:鬼太郎茶屋は今日はお休みのようです。


マナブ:たしか以前は深大寺にありましたよね?


歴史先生:はい。2024年夏まで深大寺の参道で営業していましたが、2024年11月にこちらに移転されました。


甲州街道(国道20号線)を渡れば布多天神社はもうすぐ


マナブ:交通量の多い甲州街道(国道20号線)を渡ります。


歴史先生:奥に見えている鳥居が布多天神社です。


布多天神社


マナブ:では、中へ入りましょう。


布多天神社(地図 ❸)

〒182-0021 東京都調布市調布ケ丘1丁目8−1

境内自由

(※最新の情報はWebサイト等でご確認ください。)

http://www.fudatenjin.or.jp/ 


寿命となってしまった御神木


マナブ:入ってすぐ右に、何かありますね。


歴史先生:これは樹齢500年以上と言われた大ケヤキ。御神木として大切にされてきましたが、とうとう寿命となってしまいました。現在は横に若木が育ち始めています。


左に狛犬、右に撫で牛を見ながら本殿へ進む


撫で牛


マナブ:右側に牛がいます。天満宮にはよく牛がいるのはなぜでしたっけ? たしか湯島天神に行ったときに聞いたような。


歴史先生:そうですね。菅原道真は丑(うし)年生まれで、亡くなったのは丑の日。 遺言では「自分の遺骸を牛にのせて人にひかせずに、その牛の行くところにとどめよ」とあり、実際にそうされたとか。そのほか、菅原道真は生前から牛を慈しんでいたとされ、そういったことから天満宮では牛の像を置くようになったようです。


マナブ:そうそう、そういう話でしたね。


本殿


マナブ:本殿前に来ました。立派な建物ですね。


歴史先生:本殿そのものは覆殿と呼ばれる建物に覆われていて見えないのですが、1706年、江戸時代のものです。


マナブ:布多天神社自体は菅原道真公を祀っているのでしょうから、平安時代以降のものですよね?


歴史先生:いえ、もっと古くて、社伝によると第11代垂仁天皇(29~70年)の頃の創建だとか。


マナブ:いや、ちょっとそれは古すぎて信じられない。


歴史先生:しかし927年の延喜式には載っているので、多摩地区有数の古社であることは間違いありません。


マナブ:ということは、最初は天満宮ではなかった?


歴史先生:はい。元々は多摩川のすぐそばにあって、少彦名命を祀る神社でした。それが多摩川の洪水を避けるために少し内陸の今の場所に移転してきたのが室町時代のことです。その際に菅原道真も合祀したのだそうです。


マナブ:実はとっても古い歴史がある神社なんですね。


歴史先生:ここにはある伝承が残っています。平安時代の初め、799年のこと。このあたりに住んでいた広福長者という人がこの神社に籠り、神のお告げで木綿の製法を教わり、多摩川でさらした木綿の布を作って朝廷に献上しました。桓武天皇は大変喜ばれ、そのことからこの地域を「調布」と呼ぶようになったそうです。


マナブ:へぇー、調布という地名はそこから来ているんですね。


鬼太郎たちが住む森


歴史先生:本殿の後ろを少し覗いてみましょう。立ち入ることはできませんが。


マナブ:雰囲気のある森が広がっています。


歴史先生:ここは水木しげるさんが構想を練るために歩いた場所。「ゲゲゲの鬼太郎」や、その前作である「墓場の鬼太郎」では、鬼太郎たちは布多天神社の裏の森に棲んでいる、という設定になっているんですよ。


マナブ:そうだったんですか。知りませんでした。


大正寺の門


マナブ:さて、参道に気になるお寺がありました。帰りに寄りたいのですが。


歴史先生:大正寺(だいしょうじ)(地図 ❹)ですね。元々は布多天神社の別当寺でしたが、明治の神仏分離で別れました。そのころは栄法寺という名前でしたが、大正時代に他の2件のお寺と合併統合したため、大正寺、という名前に変わりました。


門から中を覗く


境内には緑豊かで静寂な空間が広がる


六地蔵


マナブ:素敵な空間ですね。


歴史先生:都市部とは思えない静けさ。そして深い森に迷い込んだような気にさせてくれますね。


マナブ:ここは穴場、でした。布多天神社へお参りされる際には立ち寄られるといいでしょう。


​歴史好きのための観光ガイド
記事の内容は取材当時のものであり、最新の情報についてはWebサイト等で必ずご確認ください。

なお、本サイトは個人が運営しています。筆者の勉強不足による歴史認識の誤りや情報のアップデートの必要性など多々あろうかと存じますが、何卒温かくお見守りください。

なお、本サイトの内容について無断転載はご遠慮ください​。

© rekishizuki 
bottom of page